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②グールドさんの最後の書籍から神と科学を考察 [’23年以前の”新旧の価値観”]

神と科学は共存できるか?


神と科学は共存できるか?

  • 出版社/メーカー: 日経BP
  • 発売日: 2007/10/18
  • メディア: 単行本

ダーウィンとハクスリーの結びつき、


強い動機がグールドさんの筆致で


鋭く考察される。


途中で合いの手を挟ませないくらい鋭い。


第一章 お定まりの問題


3 二人の父親の運命 から抜粋


私の専門分野である進化生物学における二人のヴィクトリア朝最大の英雄、チャールズ・ダーウィンとトマス・ヘンリー・ハクスリーは、両者とも平均以上の収入と医学の知識に恵まれていたが、愛する子どもたちをもっとも苦しい状況で失った。

二人はその後もずっと、宗教的な復活論者や原理主義者たちの宿敵の役回りを演じたーーーダーウィンはただ進化論を発展させるために、ハクスリーはより活動的な「聖職者批判」のために(ハクスリーは有名な警句のなかで、形状が司教の帽子に似ていることから名づけられた僧帽弁が心臓のどちら側にあるか、どうしても覚えることができないでいたが、「司教は右(ライト)ではあり得ない」(右(ライト)と正しい(ライト)をかけている)と覚えてからは、僧帽弁は心臓の左心房を接続していることをずっと忘れなかったと述べた)。


二人にとって自分の子供の死は、ある真剣な対話の時期と重なり、喪失を伝統的なキリスト教の慰めの源と対峙させることとなったーーーそして二人とも慣習的な慰めを、感動的で節度のある態度で拒否した。

二人とも旧弊な教義が述べている見え透いた偽善(少なくとも見せかけの希望)に気分を害したのでは、と考える人もいるかもしれない。

中身のない歴史書がしばしば描写するように、また科学と神学のあいだに闘争が内在するというモデルが予期するように、これらの悲痛で無意味な死がダーウィンとハクスリーを、宗教に対して正面から敵対するよう導いたのだろうか?

実際には、そんな単純な話ではないーーーー二人の男が見せたのは、彼らの知的資質の威厳と知性の鋭さだけだった。


ダーウィンは、ビーグル号で世界周航の航海に出発した時には生涯を「田舎教師」として過ごそうと計画していたが、やがて横道に逸れて別の職業につくことになったとされる。

しかし、進化の発見がダーウィンを背教と生物学者の生涯へ導いたという、よくいわれる憶測は正しくない。

真実はといえば、ダーウィンは天職としての神学には、個人的に一度も傾倒したことがなかった。

青年時代の彼の宗教観は決定的に生ぬるく、受身的で因習的なものにとどまっていたーーーただ単に、物事を幅広く考えたことがなかったのである。


ダーウィンの牧師になろうという計画は、何らかの積極的な信念や願望によるというよりは、ほかにあてがなかったことから生まれた。


それはともかく、富と職業上の名声と、田園地帯の邸宅で暮らす幸福な家族という平穏の中で中年に近づきつつあったダーウィンは、進化についての見解のゆえにイギリス国教会で教え込まれていた伝統的な教義のいくつかに疑問をもったり放棄したりしていたにもかかわらず、個人的な信仰の問題と深く格闘したことは一度もなかった。


しかしそんな時、1851年4月23日までの運命的な期間に、知性上の疑念と個人的な悲劇徒が組み合わさって、彼の世界を永遠に変えてしまった。

数年以上にわたる萬脚類(フジツボやエボシガイ)の分類についての集中的な研究を終え、不安定な健康もかなり回復したダーウィンは、読書の時間と考えを深めるための静穏の両方を手にしていた。

熟考の末に決心したことは、彼自身の宗教的な信条を注意深く系統だった方法で調べてみることだった。


そこでダーウィンは、一人の魅力的な思想家の本と正面から取り組んでみることにした。

その思想家は、当時は有名だったが、しかし今日ではほとんど忘れられている。

彼よりはるかに有名な兄が、別の道に進んで彼を覆い隠してしまったからである。

ニューマン兄弟のことだ。


ダーウィンは1850年から51年のあいだに、持ち前の集中力でニューマンの主要な著作を読み、伝統的な教条の空虚さについて(またしばしば冷酷であることについても)同じような結論に到達した。

しかし、ニューマンの個人的な献身についての考えにはなんの慰めも見出せず、したがって宗教的な信念のすべての側面に疑いを抱くにいたった。


ニューマンの著作を精読したことは、ダーウィンにとって最大の個人的悲劇が同時に起こらなかったなら、彼の人生観にさほど深い影響は与えなかったかもしれない。

ダーウィンは長女アニーを熱烈に愛していたが、それほどの気持ちにさせたのには、アニー自身のやさしい気質と、アニーがダーウィンの姉スーザンによく似ていたことが、複雑に絡みあっていた。

スーザンは早くに死んだダーウィンの母親の代役をつとめ、また二年前に他界したばかりの父親を最期まで親身に看病していた。

しかしアニーは、生まれたときから病弱な子どもであった。


アニーの無慈悲な死が、ニューマンの著書を読んだことと、宗教についての詳細な探究から生まれていたすべての疑念の触媒となった。


彼は公表された文書でも私的な文書でも直接的な言及を慎重に避けたので、私たちは彼の内面での決断を知ることはできない。

私の推論では、彼はハクスリーの知的に有効な唯一の立場としての不可知論についての格言を受け入れる一方で、私的には、アニーの無情な死に触発されて、神は存在しないのではという強い(そして、彼にはよくわかっていたように、まったく解答不能な)疑いを抱いていたのではと思われる。


ダーウィンは、進化は事実であるという真実を求めて熱心に闘ったが、生命の歴史の諸原因によって人生の意味の謎を解くことはできない。

死の医学的な原因についての知識は、将来の悲劇を予防することはできるが、体験したばかりの喪失の苦痛をやわらげることは決してできないし、苦悩の一般的な意味を教えてくれることもない。


後の章ではダーウィンがハーヴァード大学の植物学者エイサ・グレイにあてた注目すべき手紙をみることになる(グレイは進化と自然選択説を認めつつ、それらの法則を、私たちが認識しうるなんらかの目的のために神が定められたものと考えるよう、ダーウィンに強く勧めていた)。


私がこの文書を、科学と宗教との適切な関係についてはこれまでに書かれた中で、もっとも優れた論評だとみなしているからである。

しかしここでは、1860年5月ーーーアニーの死から9年後、『種の起源』刊行の6ヶ月後ーーーにおける、進化が事実であることが、なぜ究極的な意味という宗教的な問題にあたえることができないかについての、ダーウィンの意見を引用しておきたい。


””この問題の神学的な見方についてですが、これはつねに私の苦痛のたねです。

私は困惑しています。

無神論者のように書こうと思ったことは、一度もありません。

しかし、周囲のあらゆる側面にある神の計画(デザイン)と恩恵の証拠が、他の人々が見ているように、また自分がそう見なければと願っているようには、私には明白に見えていないことを認めます。

世界には謎が多すぎるように思います……その一方で、私はこのすばらしい世界、とりわけ人間の本性を見て、あらゆることが獣のような暴力の結果だと結論することには、どうしても納得できません。

私はすべてが計画(デザイン)された法則の結果であって、その細部には、善いことであれ悪いことであれ、偶然と呼ばれるのかもしれないことの働きに任されている、と見なしたい気持ちになっています。

そう考えたところで、自分としてはまったく満足してはいません。

この問題全体が、人間の知性には理解し難いほど大きいのだと、私は心の底から感じています。

一匹の犬が、ニュートンの心をあれこれ押し測ろうとしているようなものなのでしょう。””


トマス・ヘンリー・ハクスリーは、ダーウィンの聡明で雄弁な若い同僚である。

社会及び宗教の正統派のあらゆる潮流に対決し、進化論を公然と支持して「番犬(ブルドッグ)」と呼ばれたが、彼は最愛の長男、三歳になったばかりのノエルを、1860年9月15日に亡くしたーーーダーウィンがグレイに手紙を書いた4ヶ月後、ハクスリーが『種の起源』を読み、羨望や後悔の入り混じった畏敬の驚きの声ーーー「こんなことを思いつかなかったとは、なんてまぬけだったんだ!」ーーーをあげた一年後のことである。


ダーウィンの周りの人々にも、


各々強い動機(というのも辛すぎる…)


があって進化論を説いておられたと。


番犬と呼ばれたハクスリーさんも同様で。


 


自分が驚いたのは、ダーウィンさん、


『種の起源』刊行後の文書で


「無神論者のように書こうと思ったことは、一度もありません」と。


ただ、見て感じたこと、事実を論文としてアウトプットした


ということでこんなに世間が騒ぐのは本意ではない


とでも言いたげな。


それだけキリスト教原理主義がマジョリティな


世の中だったということなのだろうな。


それにしても何かを成し遂げた人の動機というものは


他の人にはわかりにくく、かつ成果以外のこととして


埋もれがちなのに対して、グールドさん


ここまで掘り下げるのはすごいと感じた。


周知の事実なのかもしれないが


これが文章の力なのかもしれない。


そしてこれを最初に持ってくる意味はかなり深い、


『神と科学は共存できるか?(ROCK OF AGES)』にとって。


これがベースになっているとでもいうのかな。


 


余談だけど、ダーウィンの読書好きというのは


有名な話だけど結婚に対して二の足踏んだ理由が


読書の時間が削られることを挙げておられた。


(それ以前に養老先生がダーウィンは


グラジュアリズムだったと指摘されてたけど)


 


自分も今でこそ読書の時間って大切だって思うけど


結婚の阻害要因にはならなかったけれどなあ。


仕事の質が下がるって意味で太宰治さんが


「家庭の幸せは諸悪の根源」


のような使い方してたけど、若い頃はなんとなく


そうかもと思ったりもしたけど


今思うとそれは浅いし若いですよ。


太宰さん30代だから、仕方ないと思うけど。


年代によってステージが変わるとてもいうか、


生活がもっとも大事、と思いますが、これは


歳をとらないと気づかない何かで


感性が鋭い人は気づきたくない事なのかもしれない。


ってことで相容れないので考えても仕方ないですな。


 


自分は読書できる喜びと生活できていることに


感謝をしたいが、それは神へなのだろうか、


何になのだろうかと思いながら読書していて


これまた考えても仕方ないことなのだけど、


あえて軽くいうとそんなフィーリングでいる


昨今なのでした。


 


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