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小林克也 洋楽の旅:小林克也著(2021年) [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]


小林克也 洋楽の旅

小林克也 洋楽の旅

  • 作者: 小林 克也
  • 出版社/メーカー: 玄光社
  • 発売日: 2021/05/31
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

80年代を20代で過ごした自分達にとっては、この方と言ったらなんといっても「ベストヒットUSA」。

でもその頃から一味違う、視点がクールでしたよ。


それは下地として心理学博士との馴れ初めがあったのですね。かつシニカルなのは資質かな。


■「はじめに」から抜粋

(中略)

22歳の時、アメリカの心理学博士ドクター・キャサリンと出会った。

(中略)

実はこの心理学の先生から大きなヒントをもらうことになるんだよ。

「心理学でも何でも、学者が研究を続けていくといろんな壁にぶつかるんだよ。

するとね、その度に仮説を作ってみる。こうなんじゃないだろうか?

いやそれともあーなんじゃないだろうか?

すると答えが出る。いや、違ってた、これも違ってた。

でもね、その仮説が正しいこともあるんだ。

アインシュタインの相対性理論だって仮説から生まれたんだよ」

このプレゼントもね、後々になってオレの役に立っている。

(中略)

「アーチストがコラボしたり、フィーチャーを頻繁にやるようになり、グループの数が可哀想なくらい減っている」

こりゃ、当たり前だよね、相性のいい組み合わせがカンタンに作れる。

曲も共同で作れる。悪い曲ができたりするムダも省ける。

ロックグループが減ってくるよね。

こんなちょっと頭を使う仮説的な遊びも番組に取り入れるんだよ。

聴いてる人もより頭使うようになる。

つまりね、二流のオレのくだけたシャベリと、一流のシャッキッとした悟りと誰も考えないような思想、もちろん大ウソの可能性がある。それを全部番組に入れるの。

ウソだって強いんだよ。

トランプなんか「こないだの大統領選挙はインチキでオレが負けた」ってまだ言っててそれを共和党のほとんどが「その通りです」って支持してる。あの立派な国アメリカをウソが堂々と歩くんだよ。

 ーーーーーーーー

■「第二章ラジオの世界へ足を踏み入れる」から抜粋

 

僕のお気に入りのDJの一人に、アメリカのFENなんかですごく人気のあったサンフランシスコのトニー・ピッグマンという人物がいたんです。

彼のラジオショーは、「レディス&ジェントルマン!ディス・イズ・トニー・ピッグ!」というセリフでスタートしたら、何も喋らないでそのまま3曲続けて流すんです。

その後で、彼がラジオボイスでない声でボソボソっと「今流れたナンバーは何とかと何とかでした」と曲名を紹介して、また3曲続けて流すんです。

このトニー・ピッグという人物は、まさに異才のDJでした。ともかく、彼は余計なことは一切喋らないんですよ。

それでいて、番組中に時々「クスッ」っという若い女の子の笑い声が入っていたりして「おいちょっと待てよ、今の声は誰なんだ!?すぐ傍に女がいるな」とか、そういうことがわかるような仕掛けになっていました。

(中略)

僕はウルフマン・ジャックと一緒に番組をやったことがあるんですが、彼は短いイントロで簡単なジョークを使って曲を紹介する時に手元に資料を置いて、

「この曲はすごくホットだよ~!だから、うちの放送局のアンテナに鳥が乗っかっていたら、焼け死んで落っこちちゃったんだよ」とか言うの。

しかもあの声でやるわけじゃないですか。

そこでボーンと曲を流すと、それが彼のトークとマッチしていてすごくカッコいいんですよ。

彼はそうやって一つの曲を脚色することができる人なんです。

彼のように人気があるDJは、みんなそういう風に独自のスタイルでやっているんですよ。

僕がいつも思っているのは、ビートルズの曲なんかはみんな知っているわけだから、

「じゃ次はビートルズの「ヘイジュード」です」とDJが紹介して、すぐにポールの声で、

「ヘイ~ジュード♪」と始まったら、それは最悪の紹介の仕方なんですよね。

ところが日本のラジオ番組の場合、それをわざわざ

「ビートルズは四人組で、これはポール・マッカートニーが作った曲で、ジョン・レノンがアレンジして~」

なんて解説したりする。

だから日本のラジオ番組とアメリカのラジオ番組というのは根本的に違うものなんですよ。

いうならば、アメリカのラジオ番組というのは、すごく音楽的にセンスのあるお笑いの人が曲を紹介しているような感じで、曲の内容なんかを紹介することはないんです。


DJ哲学というかラジオ哲学みたいなものが、貫かれているので聴いてて心地良いし痛快。


アーチストに媚びるでもなく、かといって完全にリスナー寄りでも、まして業界至上主義でもない独自視点が今でも素敵です。


それがダメだって人ももちろんいるのでしょうけど。


この方と双璧をなすのは、ピーターバラカンさんで、このお二人の功績がなかったら日本のポップorロックの解釈は、かなりちがったものになっていたのではないかと。


「スネークマンショー」やYMOも、当時聴いてはいたのだけど、自分はテクノになじめなかった。


というか、肉声の少ない音楽が若い頃は抵抗あったのか。


細野晴臣さん文脈で音楽を捉えられなかったのですよなあ。


はっぴいえんど系譜だと、どうしても大滝さん派に属しておりました、不遜ながらも「隠れナイアガラー」とでもいうか。


余談だけど、細野さんのファーストは最近よく聴かせてもらってます。


ってほんとに余談だな、これ。


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