SSブログ

地球で生きている ヤマザキマリ流人生論(2015年) [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]

「この母にしてこの娘あり」から抜粋


■可愛い子に旅をさせたかった

頼りがいのある自分に気づく

何年経っても不思議に思うのは、まだ世の中に14年しか生きた経験のない子供を、1ヶ月間も日本から遥か遠く離れた土地へ一人で旅行へ行かせようと思い立った母の心理だ。

やがて自分も子供を持つ立場になり、果たしてそんな思い切りと勇気が持てるかどうかシミュレーションしてみたが、子供がたとえ平気だと言っても、その間留守をしなければならない私が抱えるであろう不安のことを思うと、簡単に「行ってこい」とは言い難い。

それでも母は、あの時空港で飛行機に乗り込む私を毅然とした態度で見送った。

やせ我慢の得意な人だから、内心では様々な思いがひしめき合っていたのだろうけれど、それは私の留守中も、一切言動や表情に露見させることはなかったらしい。

(中略)

真冬のヨーロッパの朝は暗い。

手元に握りしめられた交通公社刊の「六カ国会話集」は、思いを言葉に転換させる速度にページをめくる速度がついていけず、さっぱり役に立たないのに、全てのページがくしゃくしゃになっていた。

フランスにドイツにも厄介になった家には私と同じ年頃の女の子達がいたが、皆信じられないくらい大人っぽく、美しくて、かっこ良かった。

食べ物は朝も昼も夜も、それまで食べたことのないようなものが毎日続いたが、言葉が不自由な代わりにせめて食べ物越しに私を受け入れてくれている人々への感謝やシンパシーを表明しようと、どんなに不味いものであろうと、何でももりもり食べることに尽くした。

気を緩めると「私はなぜこんな自分と関係のない土地にいるのだろう」という疑問で飽和するから、とにかく余計なことは考えないようにする。

為すべきことをこなそうと心に固く決めて毎日を送るのみ。

滞在先で熱が出て寝込んでも、予約が間違っていたせいで連泊するはずのホテルから突然追い出されても、列車の乗り換えがわからなくて話しかけた駅員に何故か激しく怒鳴り散らされても、とにかく泣いたら終わりだと思って耐え抜いた

泣いたって何も解決しなさそうなのは、誰一人自分に気を止めているわけでもない周辺の様子を見れば一目瞭然でもあった。

そうしているうちに、ふと、自分というのは、実は思っているより頼り甲斐がある人間なのではないか、もっと頼ってみてもいいのではないか、という思いが湧き起こってきたのを覚えている。

こんなに心細くてたまらないのに、今にも泣き出しそうな心地なのに、それでも両足で大地を踏みしめて歩いている自分が、母よりも誰よりも逞しい存在に感じられてきたのだ。

いろいろ大変だけれど、自分がいる限り大丈夫だ。

成し遂げられる。

その場を乗り越えるための一時的な暗示だったにせよ、これは効力があった


常にこういう「思い」でいるってわけではないだろうけど。


こういう暗示を本気でかけられるってすごい体験だ。


こうでもしないと何かが崩壊してしまう危険にさらされていたんだろうな。


こういう経験からくる「自己防衛本能」というか「生存戦略」というか、を得ている人って、いざという時、強そうだ。


この後のヤマザキさんの人生に於いての危機対応管理力に影響を与えていることは間違いなさそうだ。


こういうバイタリティは、年齢や性別に関係なく見習いたい。


余談だけど「美味しい」というのは世界共通で幸せの感情を表明するようで、椎名誠さんがジャングルの奥地に行った時、その民族からまず「美味しい」をその民族の言語で教えてもらっておいて、実際何かを食べたときに言うとコミュニケーションが弾むと言うのを何かで読んだ気がした。


nice!(8) 

nice! 8