ぼくの鎌倉散歩:田村隆一著(2020年) [’23年以前の”新旧の価値観”]
小町通り から抜粋
駅前広場の一角に鳥居。鳥居をくぐると一直線に酒店街。
レストラン、薬屋さん、八百屋さん、古美術商、お土産やさん、本屋さん、お菓子屋さんにお寿司やさんなどなど。
なんの変哲もない商店街のにぎわいに紛れて、ぼくはゆっくりと散歩する。
育ち盛りのお嬢さん、老婦人、それも未亡人らしいお年寄り、Tシャツの青年、着流しのご隠居さん。
一人ひとりの表情をながめながら歩く楽しみは、格別なものだ。
人間の数だけの人生。
その多様性の豊富さに、ぼくは一種の感動を覚えながら歩くのだ。
若いカップル。
質の異なるホルモンをおぎない合って、幸福そうな笑顔がかわいらしい。
ぼくもこういう時期があったはずだが、それは遠い昔のこと。
軍靴の響きと軍艦マーチとモンペと空腹だけではなかったのに、いま思い出すことができるのは、戦争のことばかりだ。
赤い風船。
水素ガスでふくらませた風船には糸がついていて、よちよち歩きの子供がその糸の端をしっかり握っている。残る片手はお母さんの手に握られていて、子供の歩行は真剣そのものだ。
風船を離してはいけない。2本の足で歩かなければならない。
人類が二足歩行をはじめた時から、これは巨大なテーマだったのではないか。
それを考えはじめた時から、ぼくは小町通り商店街から枝分かれしている路地に歩みこんでゆく。
そこには居酒屋があって、ぼくと同じことを考えながらウイスキーを飲んでいる友達がたくさんいるのである。
余談だけど、田村さんの詩は、昔住んでいた町の銭湯に貼ってあった。
あれは直筆(もちろんコピー)だったのかなあ、味わいある字だった。
銭湯すたれば 人情もすたる
銭湯を知らない子供たちに
集団生活のルールとマナーを教えよ
自宅に風呂ありといえども
そのポリ風呂は親子のしゃべり合う場
にあらず、ただ体を洗うだけ。
タオルのしぼり方、体を洗う順序など
基本的ルールは だれが教えるのか。
われは、わがルーツをもとめて銭湯へ。
「古い時代の戯言」とは思えないんですよね、やっぱり。
いや、「古い時代の戯言」なのかもしれないけれど
詩人の言葉って「警鐘」も併せ持つ、深い言葉だよね。