立花隆さんの「前段」から無知の知と死を考察 [’23年以前の”新旧の価値観”]
はじめにのような
前段のような位置付けから。
平易な表現のようでいて、いつもながら
とてつもなく深い。
序論と解題 立花隆 から抜粋。
人間存在をトータルにとらえようと思うと、関心領域は次から次へ広がっていかざるを得ない。
人間というものを、その物質の相において根源的なレベルでとらえようと思えば、分子生物学までいかざるを得ない。
それが『精神と物質』などの仕事になっている。
人間を物質の層においてではなく、精神の相においてとらえようと思えば、意識の世界の探究に入っていかざるを得ない。
そして、あまりにも広大無辺な意識世界を探ろうと思ったら、これまた、その世界の内包と外延を知るために、異常な意識体験を知ることが重要になってくる。
臨死体験から始まって、神秘体験など、さまざまな意識体験の世界に興味を持つようになったのは、そのためである。
このようにして、人間存在というものをあらゆる相においてとらえようとすることで、私は結局何を望んでいるのか。
一言でいえば、私は人間としての見当識を得たいのである。
見当識というのは、医学用語で、自分の置かれている状況を客観的に正しく把握する能力をいう。
脳機能の異常ないし意識レベルの低下を疑われる患者に対して、医者はまず見当識がどの程度あるかを検査する。
そのとき使われる定型的な質問が、
「ここはどこ?」「あなたはだれ?」「いまはいつ?」
という三つの質問である。
この三つの質問に正しく答えられれば、その人の意識は、百パーセント正常と見なされる。
この三つの質問に正しく答えられるということは、運動機能をのぞく脳のほとんどあらゆる機能が働いているということを意味するのである。
失見当識といって三つの質問に対する答えのいずれかがおかしければ、その機能をになっている脳の部位が障害を受けていると推測されるのである。
さて、この三つの質問だが、そのすべてに、真剣に、本質的に答えようと思うと、なかなか答えられない。
「ここはどこなのか」。
通常は住所を答えるか、病院の中と答えれば、よしとされる。
しかし、もっと本質的な意味で、ここはどこなのか。
我々は、日本のある町に住んでいる。
そして、日本は地球の北半球にある。
地球は太陽系にあり、太陽系は銀河系にあり、銀河系は宇宙にある。
ここまではたいていの人が答えられる。
しかし、だが、この宇宙とはどこなのかと問われたら、なんと答えればよいのか。
「ここはどこ」という問いに対しては、通常、住所(アドレス)、つまりより大きな座標系の中の一定の位置を指定することが答えとなる。
太陽系がどこにあるかは、銀河系内の特定の位置を指定すればよいし、銀河系がどこにあるかは、我々の宇宙の特定の位置を指定すればよい。
だが、我々の宇宙がどこにあるかを指定するための座標系はどこにもないのである。
つまり、我々はこの宇宙がどこにあるかを指定する術がないのである。
すなわち、我々は、本質的に我々がどこにいるかを知らないのである。
「いまはいつ」という問いに対しても同じことだ。
いまはいつなのか。
通常は、西暦(または日本暦)○○○○年○月○日○時○分と、時間的座標軸の一点を指定することで答えられる。
しかし、ではこの西洋暦という時間軸は、無限の時の流れの中のどこに位置しているのか。
これまた我々には答える術がないのである。
そして、「あなたはだれ」なのか。
これまた簡単には答えられない。
通常は、名前を正しく答えれば、自分が誰かわかっていることになる。
しかし、名前などというものは、ただのレッテルに過ぎない。
名前というレッテルをはぎとったあなたはだれなのか。
通常は、住所、年齢、職業、親子兄弟の名前などを答えれば、自分がどういう人間かわかっているとみなされる。
要するに、自己の存在を、時間と空間の中で位置付け、さらに社会的人間関係の網の中で位置付け、個人的人間関係の網の目の中で位置付ければ、一人の人間を定位づけられると考えるわけである。
しかしこれは、その人間を外面的にとらえ、いわば個物としての位置情報(空間的、時間的、機能的)を並べることによって個有性を表現しようとする発想である。
しかし、あなたは個物ではないはずだ。
単なる位置情報の集合体ではないはずだ。
では、あなたはだれなのか。
結局、わたしたちは、自分がどういう存在なのかよくわかっていないのだ。
自分がどこにいるのかもよくわかっていないし、いまがいつなのかもわかっていない。
わたしたちは、この無限の空間の中において、悠久の時の流れの中において、本質的には、失見当識状態にあるのである。
そして、何がわからないといって、とりわけわからないのは、わたしたち自身の存在である。
考えれば考えるほど、私がここにこうして生きて存在しているということは、不思議なことである。
私はなぜここにいるのか。私はいかにしてここに存在するようになったのか。
それはそうだけどさあ…
って思いは拭えない。
そんなこと言ってたら
キリがないではないですか、みたいな。
しかし、よく読むと本当にその通りだし
立花さんの思考の整理というか
論理展開って恐れ入る。
博識の立花さんが
「自分がどういう存在なのか
よくわかっていないのだ」
と言われたら、自分なんか
「まったく何も知りません」って
いいたくなりますよ。
空海晩年の著作『秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)』は、空海の密教理論の精髄をなるものとして知られている。
その冒頭の序に次のような一節がある。
生れ生れ生れ生れて生の始に暗く
死に死に死に死んで死の終に冥し
生と死の向こう側は人間にとって同じように永遠の謎なのである。
近代の化学主義によって立つ人は、死の向こう側には何もない。
従って謎もないというであろう。
そういうのはたやすい。
だがそういいきった途端に、心の片隅で、本当にそうなのだろうかという疑いが首をもたげてくる。
先に引いた空海の『秘蔵宝鑰』には、次のような一説もある。
三界の狂人は狂せることを知らず
四生の盲者は盲せることを識らず
狂っている人間は、自分が狂っているということを知らないし、あらゆる目が見えない生物は、自分が目が見えないということを知らない、というのである。
人でも生物でも、自分が知っている世界だけが世界のすべてだと思ってしまう。
自分に見える世界だけが世界のすべてだと思ってしまう。
知らないものを「ない」といい、見えないものを「ない」といってしまう。
正しくは、「ない」ではなくて、「私は知らない」または「私には見えない」というべきである。
しかし、人間は知らないことを知らないままにしておくことには耐えられない動物である。
知らないことはなんとかして知ろうとする。
しかし、どんなに努力してもわからないことはあるものだ。
原理的にそれを知ることが不可能というものがある。
知る方法がないということがある。
その場合、健全な立場は、不可知論に立つことである。
わからないことはわからないとすることである。
わからないことについては判断中止(エポケー)をすることである。
しかし、人はなかなかそういう健全な立場をとることができない。
そして、イソップの「すっぱいブドウ」のキツネの立場を取りがちである。
自分が跳びついてもとることが出来ないブドウはすっぱいのである。
いくら知ろうとしてもわからないことは、知る価値がないことか、そもそも存在しないことにしてしまいたいのである。
境界内の人間には、教会の外に何かあるかどうかすら知り得ないはずなのに、「境界の外には何もない。何もあるはずがない」と断固としていいはる人は、すっぱいブドウのキツネと同じなのである。
イソップのキツネと違って、人間の場合には、手に入らないものに対して、もう一つの別の心理的対応がある。
すっぱいブドウに対して、「甘いブドウ」の立場とでもいったらいいだろうか。
手に入らないものがいいものかどうかもわからないのに、それはとてつもなくいいものだと思い込み、より一層欲しがり、あこがれてしまうことである。
失恋した場合で考えるとわかりやすい。
「なんだ、あんな女。ブスで下司でつまらない女」とたちまち相手の評価を下げて、すぐ立ち直るタイプがすっぱいブドウタイプ。
失恋するや、より一層相手を素晴らしい女性と思い込み、まるで天使か天女の如くあがめたてまつるようになってしまうのが甘いブドウタイプである。
死後の世界は天国、極楽であるとするのは、甘いブドウタイプである。
宗教はだいたいそう教えるが、別にその根拠があるわけではない。
どんな宗教の経典を読んでも、天国の存在証明はない。
真実はこれこれこうであるぞよ、というドグマの形で、証明抜きの教祖のご託宣として下されて終わりなのである。
それでも、信仰の世界に入ってしまった人は、証明の有無などまったく気にせずに、それを信じてしまうのだろうが、信仰の外にあるものには、そう簡単には信じられない。
世の大半を占めるすっぱいブドウタイプと甘いブドウタイプのあいだにあって、健全な懐疑心を堅持してエポケーをつらぬける人は意外に少ない。
なぜなら、先に述べたように、エポケーは、知りたがりを本性とする人間の性に反するからである。
しかも、死はすべての人に一歩一歩確実に容赦無く迫ってくる。
死が身近に迫ってくれば、誰でも死について考えないではいられなくなってくる。
エポケーなどとのんきなことをいっている場合ではないという気がしてくる。
死は人生最後のライフステージである。
あるライフステージから次のライフステージに移るとき、人は不安と緊張でいっぱいになる。
これまで体験したことがなかったことを体験しなければならないからである。
小学校に入学するときも、中学校に入学するときも、就職するときも、結婚するときも、みんなドキドキしたはずである。
とはいっても、そうしたライフステージの移行については、先輩を見習うことができた。
経験者がいろいろ教えてくれた。
お膳立てもしてくれた。
手引書もあった。
同じことを同時に初体験しなければならない仲間もいた。
しかし、この死という人生最後のライフステージに関してだけは、先輩を見て学ぶということが出来ない。
死にいたる過程は見ることができても、死そのものは観察できない。
もちろん経験者(死んだ人)が教えてくれるということもない。
手引書があったとしても、その内容は本当かどうかわからない。
体験を共にしてくれる仲間もいない。
たとえ恋人同士で心中するとしても、死は共有できない。
本当の死の瞬間に相手がどのような意識体験をしているのかはどちらにも永遠にわからないのである。
若い頃は死が怖かったという立花さんは
年をとってそれは和らいできたという。
身近に接してきたり、年齢だったり、
大量に取材してみて考えたりという
いくつか理由があるとして最後におっしゃるのは
死というものが、生命の本質であるということに気がついたからである。
死は、命あるものにしか訪れない。
生きているものしか死なない。
生きているからこそ死ぬのである。
あるものが生命を獲得するということは、同時に、一定期間後の予定された死を獲得するということでもあるのだ。
我々はいずれ死ぬことを条件に今生きているともいえるのである。
生命は死すべき宿命と同義語といってもよいのである。
だからこそ、生あるものは、死に思いをいたさざるをえないのかもしれない。
私もいずれ死ぬだろう。
それまで私は、相変わらず、
「生とはなに」、「死とはなに」、
「ここはどこ」、「いまはいつ」、「わたしはだれ」
と繰り返し問い続けるだろう。
立花さん亡くなってから、
先月で丸二年が経過。
扱っておられるテーマに普遍なものが多く
今読んでも響くし、この先もおそらく
価値は高いのではないだろうか。
さらに、昨今ジャーナリズムの是非を思うこと多く
日本や世界の政治、コロナ禍を経た世界や
ウクライナ戦争をどのようにご覧になっただろうかと
思う人は、かなり多いのではないだろか。
少なくとも自分は痛切に感じる。
余談だけど初版は1994年で平成6年
松本サリン事件の発生した年だった。