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唯脳論(1989年)他:養老孟司著 [’23年以前の”新旧の価値観”]

唯脳論とはなにか

ヒトが人である所以

人のあらゆる活動は、脳の刻印を帯びる。

酒を飲んでいる時の肝臓の機能には、ほとんど脳の影響はない。

しかし、そもそも本人が酒を飲むに至った事情はといえば、それは脳の機能に尽きるであろう。

天文学者が宇宙の彼方を観測している時に、宇宙の底で生じている出来事に、脳は何ら関係していない。

しかし、その出来事を天文学者が観測しなければ、つまりそこで天文学者の脳が関与しなければ、そんな出来事はヒトにとって、存在しないも同然といってよいであろう。

宇宙論では、ある物理定数を測定と計算の結果確定すると、そうして定数を決定した宇宙と、決定する以前の宇宙とは、異なったものになるという考えすらある。

むろん、定数を決定するのはヒトの脳である。

ヒトが人である所以は、シンボル活動にある。言語、芸術、科学、宗教、等など。これらはすべて、脳の機能である。

われわれはお金を使い、衣服や帽子、アクセサリーを身につけ、車にお守りを吊るし、ゴルフ道具を担ぎ、碁やマージャンで暇をつぶす。これらすべて「具現化したシンボル」であるが、これもまた、すべて脳のシンボル機能に発する。

われわれの社会では言語が交換され、物財、つまり物やお金が交換される。

それが可能であるのは脳の機能による。脳の視覚系は、光すなわちあり波長範囲の電磁波を捕え、それを信号化して送る。

聴覚系は、音波すなわち空気の振動を捕え、それを信号化して送る。

始めは電磁波と音波という、およそ無関係なものが、脳内の信号系ではなぜか等価交換され、言語化が生じる。

つまり、われわれは言語を聞くことも、読むことも同じようにできるのである。

脳がそうした性質を持つことから、われわれがなぜお金を使うことができるのかが、なんとなく理解できる。お金は脳の信号によく似たものだからである。

お金を媒介にして、本来はまったく関係のないものが交換される。

それが不思議でないのは(じつはきわめて不思議だが)、何よりもまず、脳の中にお金の流通に類似した、つまりそれと相似な過程がもともと存在するからであろう。

自分の内部にあるものが外に出ても、それは仕方がないというものである。


文庫版のためのあとがき」から抜粋

 

この本の題名を考えたのは、私ではない。これを最初に出版してくれた、青土社の編集者である。

おかげで内容もずいぶんはっきりした。

(中略)

もっともこのおかげで、かなりの誤解を受けたようである。なにごとも脳を調べたらわかる。

私の考えは、そういう「科学」主義だと捉えた人が多かったらしい。


本日、偶然、以下の本を近所の


地区センターで見つけたので気になる箇所をピックアップ。


記憶がウソをつく!養老孟司・古舘伊知郎著(2004年)

自分は死なないつもりでいる現代人

■養老■

「今の人は死なないつもり」って言ったのは、例えばこういう事があったんですよ。

僕が東大を辞めるときのことですが、来年の3月で定年にさせていただきますっていうのを9月の教授会で報告するんです。

すると誰も文句を言わないから、まあ、あれは申し合わせ事項ですから、通ったことになる。

それで、教授会が終わったらある先生が僕のところに、個人的に質問がありますって来たんですよ。

「先生、3月にお辞めになるそうですね」って念を押すから「辞めます」と。

すると、「その後どうなさるんですか」と聞くわけ。東京大学というのは定年が早くて60歳で定年だから、教授連中の一番の関心事というのは、辞めたあとどうするかということ。

だからたぶん、僕が三年早く辞めたからどこかいい就職口があったのかとでも思ったのかも知れない。

それで僕は正直に「あとのことは考えてないんですよ」って言った。

癌の告知みたいなもので、辞めたときの気分は辞めてみないとわからないでしょう。

先のことを考えるとしたら、辞めて自分がガラッと変わってから考えますって、そう答えたんです。

そうしたらその人はちょっとアテが外れたみたいで「そんなことでよく不安になりませんな」って言う。

そこで僕が、「先生だっていつか何かの病気で亡くなるでしょう。いつ何の病気で亡くなるか教えてください」って聞くと「そんなことわかるわけないでしょう」と言うから、「それでよく不安になりませんな」って言ったんです。(笑)

相手も医者ですから、人が死ぬのを毎日見ているんですよ。

でもこれで、本人は死ぬ気がないんだなとすぐわかる。

たいていの人がそうですけれど、定年みたいに予定されたことが来ると、その先どうなるかと心配になる。

だけど、予定されていないことについては一切考えないから、別に何も心配いらないわけですね。

幸せといえば幸せですけれどね。

今の人が死ぬ気がないと言うのはそう言う意味ですよ。

60歳になったら自分は辞めるだと思って、次の仕事を探しておかなきゃと思ってるでしょう。

でも、それまでに死んだらどうするんだろう。

仕事を探した分の努力は全部無駄になってしまうじゃないかと、僕は思っているんですけどね。


最後の抜粋は、古舘さんの「あとがき」からでございます。


養老先生の鎌倉のご自宅に伺ったとき、嬉しさのあまり気分が高揚して、なぜか帰りがけに昔の恩師に会いに行った。


その時の気持ちを古舘さんなりに分析するに、


「未来」を感じたから「過去の自分への旅」に向かって


「今」に戻ろうとした、いわく「脳のブーメラン現象」では…と思ったが、


「たぶんその解釈は間違いだろう。だって脳の最強の得意技は誤解と錯覚なのだから。」


と仰る。


そして以下を抜粋でございます。


それで言えば、世のかなりの割合の人が養老先生を誤解してないかと。

脳の話をする人=難しいことを言う人=頭の良い人=クールな人=冷たそうな人、と。

現に先生の著した「唯脳論」だって、「世の中の全ては脳のなせる技なんだ」と先生がメッセージとして、とらえている人に何人も私は会った。

とんでもない大間違いである。

先生はウォームな人だ。


そんな気もしてましたよ。話の節々から


トンデモ本とか好きそうだし


(安部公房さんと超能力についての対談面白かった)、


突拍子もないこと考えていそうだ、とも。


虫に対する熱量も、その現れなのではないかなと。


でも、だからこそ、面白いなーと思いますけれど


余談ですが、


これも脳がつくりだす「誤解」や「錯覚」なのかも。


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