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未来への大分岐:マイケル・ハート・斎藤幸平他2名(2019年) [’23年以前の”新旧の価値観”]


資本主義の終わりか、人間の終焉か? 未来への大分岐 (集英社新書)

資本主義の終わりか、人間の終焉か? 未来への大分岐 (集英社新書)

  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2019/08/09
  • メディア: 新書

副題が「資本主義の終わりか、人間の終焉か? 」


余談だけど、最初出版された時は、


表紙に4名の対談者の写真があり


マルクス・ガブリエルが面積比率が大きくて


今風に言うならマルクス推しの表紙だったのに


今や斎藤幸平先生推しになってますよ。


時の人だからですね、私的には何の支障もありませんし


本の価値を損なうものでもないんでいいすけど。


(ちなみにマルクスさんも好きです、NHKも見たし持ってるし)


第5章 貨幣の力とベーシック・インカム


マイケルハート(政治哲学者・デューク大学教授)


ベーシック・インカムは救世主なのか から抜粋


■斉藤

私は「楽観主義は意志のものである」というあなたの立場にはいつも勇気づけられています。

しかし、ここでは「悲観主義は知性のものである」ということにあえてこだわってみたいと思います。

聞きたいのは、ベーシック・インカム(以下BI)についてです。

あなたはBIを提唱していますが、現代の社会でそれがどういう戦略的意味を持つのかという問題です。

 

現代の社会とは、アプリで食事を注文すると、ウーバーイーツのようなシステムを通して誰かが配達して届けてくれるような社会です。

犬の世話や散歩も、あなたの代わりにやってくれる人をアプリで探せる。

汚れた服も、宅配で集荷され、誰かが洗濯してくれる。

トイレットペーパーがなくなれば、ネット・スーパーに注文すればいい。

何でもアプリがあれば済んでしまう。

他方で、現実にこれらのサービスを提供する労働者は低賃金で、不安定な非正規雇用なわけです。

こんな社会で、BIが導入されたらどうなるでしょうか。

今の労働条件や生活水準をただ受け入れるしかなくなるでしょう。

しかも、アントレプレナーシップというイデオロギーによって、その状況は正当化されてしまいます。

自立性のある労働者になりなさい、そうすれば食事やトイレットペーパーを誰かのために運送する時でも、他人の犬の散歩をする時でも、クリエイティヴでいられますよ、というような具合にです。

あるいは、そういう状況に陥っているのはアントレプレナーシップが足りないからだ、要するに、自己責任だと言われかねないわけです。


■マイケル・ハート(以下MH)

<帝国>』の最後の部分で、ネグリと私は実現可能な行動について三つの方向性を打ち出し、その一つ目がBIでした。ちなみに二つ目は移動の自由、三つ目は生産手段を取り戻すことでした。

もちろんBIを導入すれば、収入を仕事から切り離すことができます。

20世紀には、収入と社会的権利は仕事と結びついているという教条的な考え方がありましたが、それはもう時代遅れです。

BIはまた、過酷な仕事を減らしていく力にもなると考えられます。

BIがきちんとした生活のために十分な金額で支払われれば、わざわざ劣悪な労働環境で働くことはなくなりますからね。

変革のためのツールとしてBIが不可欠だとは思いませんが、それでもBIはかなり具体的な改善につながると思えるのです。

しかし、あなたが表明されていた懸念は、社会的な不平等をよりいっそう悪化させることになるというものでしたね。


■斉藤

そうです。

労働環境の悪化が、BIによっても正当化されかねないと考えています。

人々のいやがる仕事の担い手が消えてしまうような金額のBIをたぶん資本主義国家は支給しないでしょう。

 

■MH

ああ、それは私が考えているBIとは違いますね……

 

■斉藤

毎月五百ドルを支給するだけでも、BIだという人はいますが、あなたの言うBIとは、誰もが無条件に、生きるために十分な額を受け取ると言うものなのですか。

 

■MH

ええ、そうです。

私がBIを提案した20世紀の終わり頃には、BIなんて常識外れのアイディアにしか見えないだろうと考えていましたが、最近では主流派の経済学者が提案してくるBIもたくさんあって、シリコンバレーの起業家が監修したものさえも出ています。

 

■斉藤

まさに同床異夢という感じですが、BIのアイディアを遡っていけば、その由来の一つは新自由主義の教祖とも言える、ミルトン・フリードマンの「負の所得税」に行き当たるんですよね……

 

■MH

たしかにそうですが、でも権力側が実際にそれをやってくれたらいいと思うんです。

大きな改善につながりますからね。

相当程度、貧困をなくすことができるでしょう。

それ自体、良いことですよね。

もちろん、BIが革命の代役を果たすとは考えていません。

今の社会が抱える病理をいくぶんかでも解消することのできる手段である、というだけです。

といっても、変革のための効力をもつ可能性も否定できません。


■斉藤

私はあまりそう思わないんですよね。

BIには「構想」と「実行」が分離している状態を改善する効果はありません。

いくばくかの貨幣を受け取れば、少々の商品の購買が可能になる。

こんなふうに購買という行為の主体性が発生しても、それは貨幣の力によるものであって、労働者が固定資本や生産手段を取り戻すことによって発生した主体性ではない。

BIと関連させて、あなたは「貨幣そのものは問題ではない」と『アセンブリ』のなかで書いてますね。

貨幣は「<コモン>としての貨幣」として使用できる可能性があると。(※)

(※=Hardt & Negri,Assembly p.280


この文脈で再びBIの話が展開されていますが、この点についても、異論があります。

マルクスは貨幣そのものが問題だと捉えていました。

貨幣はどんなものでも購買できるという特別な力を備えており、それが基礎となって、他人を支配できる社会的な力を持っている。

貨幣なしには商品生産社会で生きていくことはできません。

マルクスは、商品と貨幣によって媒介されたこの関係を克服しようとしていました。

マルクスにとって、貨幣こそが資本主義の根幹的な問題だったのです。

こうした考え方からすれば、私たちの目指すべき方向は、生活に必要なサービスや財の現物支給による「脱商品化」(エスピン=アンデルセン)であり、貨幣と商品の力を制限することではないでしょうか。

現金を支給して、人々に商品を購入させる。

つまり、貨幣と商品の交換をさせるBIではなく、基本的なニーズを満たすサービスを給付することを目指したほうがいい。そのほうが、貨幣の力を制限できます。

具体的に言えば、教育や医療を無料にすることや、先ほどお話のあった電気や水などへの開かれたアクセスなどがそれにあたるでしょう。

いわば「ユニバーサル・ベーシック・サービス」です。

これを要求するのであれば、BIは別にいらないのではないでしょうか。

目指すべきは脱商品化で、貨幣の力に基づいた変革ではありません。


貨幣の力をどう見るか から抜粋


■MH

思うに、あなたと私の違いは資本主義下の貨幣を想定しているのか、あるいはより一般的な枠組みでの貨幣を想定しているのかの違いではないでしょうか。

資本主義という枠組み内の貨幣の話であれば、あなたの意見に賛成です。

しかし、貨幣というのはもっと一般的な概念、歴史的行為だと考えています。

だから、これは、ネグリと私がもっと一般的な哲学的なレベルの話として、考えている問題なのです。

つまり、貨幣の本質を交換様式の問題として定義していませんし、貨幣を価値の蓄積の問題であるとさえみなしていません。

では、私たちにとって貨幣とは何か。

貨幣とは、社会的関係を再生産するためのテクノロジーなのです。

それゆえ、資本主義のもとでの貨幣は、資本主義のもとでの貨幣は、資本主義的な社会関係を再生産するためのテクノロジーとして機能しているのです。

だからといって、ネグリと私が社会的関係を制度化するものに反対しているわけでも、社会的関係の再生産のための技術を否定的に見ているわけでもありません。

貨幣というテクノロジーが、<コモン>という別の形で使われてほしいのです。

「<コモン>としての貨幣」とは、つまり、民主主義的で、平等で、公正な社会諸関係を再生産するためのテクノロジーです。

ネグリと私が、「<コモン>としての貨幣」という概念にこだわる理由は、今日の話の冒頭でしていた、社会運動とその制度化の議論とある意味で重なります。

社会運動に制度化が必要なように<コモン>にも社会的な制度化が必要なのです。

私たちが関心を持っているのは、商品生産や交換様式ではありません。

むしろ、広がりと持続性を持つ社会的テクノロジーとしての貨幣に関心があるのです。

その意味では、私たちのこういう貨幣の捉え方は、一般的な貨幣のイメージとは対立するものかもしれません。


脱商品化についても同じで、斉藤さんの意見はその通りだと思います。

未来に到達したい社会の姿についてお話しされていましたが、私はBIを到達点として考えているわけではなく、資本主義社会の問題を多少なりとも和らげる方法として捉えています。

そして、同時に、BIは「働かざる者食うべからず」というような資本主義のもとでのイデオロギーで凝り固まった考えをほどき、新しい方向に広げていく助けにもなります。


■斉藤

同じゴールを目指しているのはわかりましたが、ゴールにたどり着くまでにどの経路をとるかについて、あなたと私では違いがあるようですね。

私はその組織化の担い手として国家を使っていくことが」現実問題としてやむを得ないところがあると考えているのですが、国家が脱商品化の推進役になることに、あなたは反対していますよね。

 

■MH

うーん、国家が推進役となる脱商品化というのは、なかなか難しいのではないかな。

国家がその役割を担うとして、国家がうまく脱商品化を進められるのか、いや、進めたがるのか……


まあ、アメリカ次第なのだろうな。


日本の立場というか。


今までのやり方で考えると。


属国と言われてしまいそうだけど。


もはやグローバル的見地というか


世界全体がそうなので、


って事だとするとまた違ってくるのかな。


というかそんなところで世間の顔色


伺っている場合じゃないよね。


より良い社会にするためには。


■斉藤

政治主義に陥った日本の左翼たちの多くは、BIに大きな期待を抱いています。

資本主義のものとで貨幣はすでに大きな力を持っているがゆえに、貨幣という力を使えば社会を変えられると彼らは信じているのです。

資本主義に抗うための武器として、貨幣を考えているのです。

しかし、貨幣の力の源泉は資本主義にあるわけですから、その力を資本主義に刃向かうために、使うことなどできるはずがありません。

特に労働組合の力が弱い、日本のような国では、いったんBIが導入されてしまうと、賃金は下げられる一方でしょう。福祉サービスもカットされるはずです。

BIで生きるのに必要な現金を与えているではないか、というのが理屈になるはずです。

そうすると、人々は貨幣の力にいっそう従属してしまうことになります。

 

■MH

どうしてそのことは貨幣の力を強めるといえるのですか。

 

■斉藤

福祉サービスが削減されれば、その領域が商品化され、余計に貨幣に頼る必要が出てきてしまいます。

それは資本への従属につながります。

 

■MH

なるほどね。でも、福祉サービスはすでにかなり切り詰められているのではないですか。

これ以上カットする余地がないのではないですか。

 

■斉藤

いや、もっと徹底的に切り詰められてしまうはずです。

BIを導入するとなれば、相当な額の予算が必要となります。

そして、今の資本と労働者のパワーバランスを見れば、BIが導入されると、そのぶん確実に他の社会保障が削られるしかない。

そうなった時、欧州などの他の国では、労働組合がその状況に対して闘うことができるかもしれません。

でも、日本の状況を考えると、単に賃金がカットされただけで終わってしまうことが懸念されるのです。

 

■MH 

よくわかります。負けが負けを呼ぶということですね。

「BIを給付するから、それ以外はいっさい給料を支払わないよ」というような交渉はご免ですよね。


マイケル・ハートは世界を見てて、


斎藤幸平先生は日本から考えているので


話が合わない点もあるけれど


自分は日本人なので、やはり斉藤先生の


おっしゃる意味がわかる気がする。


マイケルさんも斉藤さんの対談で、日本の状況が


お分かりいただいたようだし、


斉藤さんも狭い視野ではない。


それにしても、斉藤さんにはこれからも見識を広めて


日本型BIというか、BIという体ではないかもしれないけど


新しい社会の提唱を続けられることを


切に願う次第でございます。


(それを受けての「人新生」なのかもしれないけど)


もちろん丸投げではなく、


かなり年上になってしまったけど


自分自身も考え続けますぜ。


最近、グローバルについて、


グローバリズムっていうのを


見聞き読みして、負の面しか


見れてませんでしたが


斉藤さんの世界の知識・知見は


グローバルで良かったと思わざるを得なかった。


50年以上前、三島由紀夫さんが予見していた


「今に言葉こそ違えど世界中が同じ問題を抱える」


って状況なのだから、日本を考えるとき


他国の状況を知らざるを得ないすよな。


今のウクライナも然り。


世界状況が当事者になっているというか


そうなってしまった。


いいとか悪いとかじゃなくてリアルとして。


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みんなのコミュニズム:ビニ・アダムザック著・橋本紘樹・斎藤幸平訳(2020年) [’23年以前の”新旧の価値観”]


みんなのコミュニズム

みんなのコミュニズム

  • 出版社/メーカー: 堀之内出版
  • 発売日: 2020/03/20
  • メディア: 単行本

最近「コミュニズム」が気になるのだけど


斎藤幸平さん絡みのものが、偶然なのか必然なのか


わからないがよくございます。


コミュニズムってなに? から抜粋


コミュニズムっていうのは、現在の社会ーー資本主義社会ーーで

みんなを悩ませている苦しみを全部なくしてしまう社会のこと。

コミュニズムがどんな社会になるかを考えてみると、いろんなイメージが浮かんでくる。

でも、もしコミュニズムがみんなを悩ませている資本主義の苦しみを全部なくしてしまう社会なら、もう苦しまなくてもいいような社会をイメージしてみるといいんじゃないかな?

それは病気の治療にそっくり。

資本主義が病気だったらーーそうじゃないけどーー、

みんなをほどほどに健康にするんじゃなくて、完治させるコミュニズムがいちばんの薬ってこと。

でも、ふつうなら病気になる前は健康だよね?


つまり、コミュニズムはなんでも治すんじゃなくて、資本主義が原因の苦しみだけを治すんだ。


資本主義ってなに? から抜粋


いまは、資本主義が全世界を覆っている。

資本主義って呼ばれているのは、それが”資本”による支配だからだ。

金持ちによる支配や、金持ち階級による支配とはちょっと違う。

たしかに資本主義では、ほかの人よりも発言力の強い人はいるけど、社会のてっぺんに立って、あれこれと命令する王様はもういない。

でも、人間を支配するのが人間じゃないなら、いったいなんだろう?

そう、それは物だ。

文字通りの意味じゃないよ。

言わなくったってわかると思うけど、物だけじゃなにもできないし、一人の人間を支配するなんてできっこない。

物体にすぎないんだから。

ありとあらゆる物が、人間を支配するわけでもない。

人間を支配するのは、ある決まった物だけ。

もっとちゃんと言うと、ある決まった形態をもつ物だけ、ってかんじ。


生活を少しでも楽にするために役立てようと、人間が自分たちで作り出したんだ。

でも時間がたつと人間は、これらの物を作り出したのが自分たちだということを忘れ、物に仕えはじめる。どういうことかな?


ようするに、共同の作業や人間関係、労働そのものが問題じゃないってこと。

それらがある決まった形態をとるときにはじめて、物は人間を支配する特別な力を手に入れる。


あらゆる社会が物の支配という特徴をもってるんじゃない。

それは、資本主義社会にだけあてはまるんだ。

資本主義では、人間関係や労働がある特定の形態をとるようになる。

そうなると、物は人間を支配しはじめるんだ。

だから、考えなくちゃいけないのは、こんな問題。

資本主義で人間関係はどうなるんだろう?

それは別の社会の人間関係とどう違うんだろう?


どんなふうに資本主義は生まれたの? から抜粋


資本主義には、もう200~500年の歴史がある。

最初に発展したのは、ご存知イギリス。当時イギリスではまだ封建制度が支配していた。

女王さまや王女さま、たくさんの女官がいたんだ。

でも、ほとんどは農民だった。

彼女彼らは村でまとまって、あるいは家族で畑を耕していた。

機械はなかったし、便利な道具もあまりなかったから、いっぱい働いたけどすごく貧しかった。

しかも、その時はまだ大きな権力を持っていた教会が、農民たちの作ったパンの10パーセントを要求したし、女王さまたちはもっとたくさん要求した。

さらにさらに、農民たちはときどき彼女たちの宮廷にいって、そこで何時間も働かなくちゃいけなかった。

一日中のときもあった。

けれどみんな、支配者たちがどれだけもっていくか、いつもはっきりわかっていた。

それに、ほかのことではあまり干渉されなかった。

女王さまたちは労働についてそんなにわかっていなくって、農民たちに働きかたを指示するなんてできやしなかったからね。


当時のイギリスはとっても強い海軍をもっていて、世界を相手に華々しく貿易をしていた。

毎日たくさんの商船が、イギリスから、アフリカやヨーロッパをはじめ、アジアやアメリカにも出港した。

十分に大きな船と、十分に強力な武器をもった商人はそんなにたくさんいなかったから、イギリスの商人たちの儲けはすごかった。

例えばアメリカにいって、そこで生活している人たちからあらゆる装飾品を奪いとって、それをヨーロッパに売りさばいた。

つぎにアフリカにいって、そこで生活している人たちを連れ去り、アメリカへ奴隷として売りさばいた。

商人たちはとても豊かになり、すぐに、身分にあわない贅沢をしはじめた。

そう、女王さまたちだって、ただ夢にしかみなかったような贅沢をね。

女王さまたちは、商人たちがびっくりするほど豊かで、きらびやかな装飾品をたっくさん所有してて、ものすっごい刀剣を持ってるってわかると、とても嫉妬するようになった。

そして、経済的にとても大きな力をもつようになった商人たちがこれまで以上に政治に口を出しはじめて、自分たちを追い出そうとするんじゃないか、って不安におそわれたーーやがて現実になるんだけどね。


エピローグ コミュニズム的な渇望を構築するために から抜粋


歴史の終わり」は終わった。

フランシス・フクヤマが1992年に「歴史の終わり」を告げたとき、考えていたのはほかでもない。

リベラル資本主義以外の選択肢がなくなったーーそれも永遠にーー

ということだ。

まもなく、ブルジョア的イデオロギーであるこの物語は挑戦を受けたーー

1994年チアバスのサパティスタや1999年シアトルのグローバル化運動、2001年ジェノア・サミットでのデモによって。

しかし同時にその物語は疑いなく現実を表してもいた。

それは、物語への批判により裏書きされた。

というのも、歴史上のどの時代を取っても、「今とは違う世界を実現できる」という合言葉が、こんなにも人々を誘発して、路上へ連れ出すことなどなかったと思われるからだ。


「歴史の終わり」は、ソ連の崩壊後に認識され、その10年後、2001年のアメリカ同時多発テロで再確認された、世界史の現実を表している。

その現実は、競合する政治家たちが自分たちの立場を示す際に重要となる、政治の中心的な議題を変化させた。

よりよい未来への希望にかわって、現在の世界が悪化することへの不安が姿を見せたのだ。

大多数の人たちの生活をますます悪化させる現在の世界は、永遠のものになった。


現在はどうなっているのだろうか?


「ぜひともネガをポジにしたい」


さまざまな立場、さまざまな広場 から抜粋


多様に存在する資本主義への批判はこれでおわりにする。

では、コミュニズム的な立場から、たくさんの資本主義批判や、それと結びつくさまざまな(コミュニズム的)ユートピアを

ーーいかに不十分であるかを基準にーー

体系化できるだろうか。

それに資本主義的見地(流通・生産・消費)から主張されていることを、そもそもコミュニズム的な立場から批判できるだろうか。

もし可能であるならば、そうした体系化や批判は、自らの立脚点がどこにあるのか、という問いに答えねばならない。すなわち、コミュニズム的な非・場所、すなわち不在はどう入った場所を指し示しているのか、という問いである。

しかし、コミュニズム的な立場は本来一つの立場でありうるのだろうか。

あるいは、コミュニズム的批判という運動にとって、静的な立場の規定は、まったく不適切なのではないか。

むしろコミュニズム的批判は、点から線へ、線から面へと揺れ動きながら、ときには立ち止まったり、散歩してみたり、走り出したりするのではないだろうか。


この本は、「歴史の終わり」という条件のもとで書かれた。

いまとなっては、この「終わり」自体が、すでに歴史となっている。

すでに始まりを告げている未来から眺めれば、この時代は1991年に始まり、2011年のアラブの春まで、ちょうど20年間続いた。

20世紀の革命がそうであったように

ーー1917年と1968年、そして限定的だが1989年もーー、

新たな革命も街から街へと、地域から地域へと、国境を超えて広がっていった。

以前の革命の波がそうであったように今回も世界秩序の辺境で始まった。

そしてそこから、多かれ少なかれ成功を収め、中心である「悪の巣窟」へと進んでいった。

シディ・ブ・サイドからカイロへ、そしてベンガジ、ダルアー、アルマナマ、サナアへと。

それから、アテネ、マドリッド、テルアビブ、ロンドン、サンティアゴ・デ・チレ、ウィスコンシン、ニューヨーク、フランクフルト、オークランド、モスクワ、リオ・デ・ジャネイロ、イスタンブールを経由して、香港やロジャヴァ、サラエボ、パリに至るまで。


1917年のロシア革命の革命家の多くは、成功を手にできるのはただ、革命が資本主義世界全体に広がる時だけだと確信しており、ドイツにすべての希望をかけていたーー失敗に終わったけれど。

今日もまた、とりわけヨーロッパのなかで、ドイツは再び特別な役割を演じている。

ドイツは低賃金政策、強力な通貨、安価な輸出より、ヨーロッパ危機を引き起こす一員となった。

そして対応にあたって、緊縮命令で事態を悪化させたにもかかわらず、いちばんに利益を得たのだった。


今日においても、さまざまな反乱の成功はひとえに、どれだけ相互に推進し、激化させ、グローバル化させることができるかどうかにかかっている。


日本語版付録インタビュー


ビニ・アダムザックに聞く(2017年5月)


インタビュアー・ジェイコブ・ブルーフェルメント から抜粋


ネオ・ファシズムと闘うためには、表面的に反対するだけでは社会を守れません。

わたしたちが闘うべきは、もっと別のものです。

世界を救いたいなら、根本的に世界を変える必要があるのです。


昔のアメリカのイメージで、


赤狩り、レッドパージ


みたいな映画もあったし、


チャップリンを追放する大義名分とか


あんまり良いイメージなかった「コミュニズム」。


マルクスも然り。


だって遠藤ミチロウさんが1980年代に


最も嫌われようとしたのでつけたバンド名が


「スターリン」だよ。「共産党宣言」を歌詞にしてたし。


でも「共産党、貧乏、うそつき」と叫んでたのは


深い意味があったのか。


当時は全くキャッチできなかったけれど。


そんな世代で育ったんだから、


しょうがないじゃないですか。


って、誰に言ってるんだよ、これ。


書籍に話を戻すと


途中まで、革命を扇動するような


不穏分子からのメッセージなのか、これは、みたいな展開で


やや引き気味だったけど、そんなわけはないよな。


最後の著者のインタビューで腑に落ちた。


原題が「Kommunismus」なのは著者がドイツで活動する人で


ドイツ人なのかな。ドイツ語だと後で知った。


イラストは日本人のようだけど、独時のタッチで


このドイツ思考の言説と不思議な味わいを醸し出している。


今風なのかな、これも。


いや、そういうレベルのものではなくて


まったく新しい風のような気がするな。


すでに2年経つけれど。


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気象を操作したいと願った人間の歴史:ジェイムズ・ロジャー・フレミング著・鬼澤忍訳(2012年) [’23年以前の”新旧の価値観”]


気象を操作したいと願った人間の歴史

気象を操作したいと願った人間の歴史

  • 出版社/メーカー: 紀伊國屋書店
  • 発売日: 2012/06/21
  • メディア: 単行本

はしがき から抜粋


現代の気候エンジニアは、気候変動にどう対処すべきかという問題へのあるアプローチを擁護している。

そのアプローチは私に、科学技術的な解決に関してきわめて深い疑いを抱かせる。

それは重大な欠陥のある不確かな企てであり、「空を修理する」という非現実的で危険ですらある目論見を持っているのが普通だ。さまざまな提案は、「太陽放射管理」をはじめとする地球規模の手段を含み、熱力学的に現実味のない、大がかりな炭素の回収と隔離の計画を伴っている。

この種の提案を支えているのは、思いつき的な計算や、十分とは言えない単純なコンピューター・モデルの操作であることが多い。

こうしたアプローチで忘れられているのは人間が天気や気候を支配しようとしてきた波瀾万丈の歴史なのである。


第八章 気候エンジニア から抜粋


■私は何を知りうるか?

気候はつかみどころがなく、複雑で、予測不能であることを、われわれ知っている。

気候はあらゆる時間的・空間的規模でつねに変化していることを、われわれは知っている。

そして、入り乱れた詳細についてほとんど知らない。来週どんな天気になるか、近い将来か遠い将来に突然の激しい気候変動があるかどうかは、わからない。

人間、とりわけ「奪う者」が農業を通じて、また、化石燃料の燃料とその他の多くの行為のすべてによって、気候システムに摂動を与えてきたことをわれわれは知っている。

それらすべての究極的な帰結はわからないが、よくはないだろうと強く疑っている。

気象・気候制御が名案入り交じる歴史を持つことをわれわれは知っている。

傲慢さから生まれ、ペテン師と、誠実だが道を誤った科学者たちを育んできた歴史である。

気象・気候制御計画のほとんどが、その時期の差し迫った問題への当てずっぽうの対応で、その時代に流行していた最先端の技術である大砲、化学物質、放電、飛行機、水素爆弾、宇宙探査ロケット、コンピューターなどに依存していたこと、そうした技術の大半は軍に起源があることも知っている。

気候システムを最もよく理解する人たちが、その複雑さに対して最も謙虚であり、気候を「修理」する簡単で安全で安価な方法があるとはとうてい言いそうにはないことも、われわれは知っている。多くの気象・気候エンジニアが、そうしたことを考えた「第一世代」だと自負し、「前例のない」問題に直面したがゆえに、歴史の前例とは無縁だと思い込んでいることも、われわれは知っている。ところが、彼らにこそ、歴史的前例がどうしても必要なのだ。


■私は何をすべきか?

われわれ全員がそう問い、最も合理的で公正で効果的な答えの実現に力を合わせるべきだ。

気候研究所の私の同僚たちは、中道的解決策の支持を雄弁に説きながら、責任ある地球工学の研究も擁護し、その一方で、憶測に走る人たちを啓蒙し、やんわりと誤りを正している。

(※Mccracken,Beyond Mitigation

地球工学の危険は地球温暖化の危険よりも悪いのかと問うてきた人たちもいる。

おそらくそのとおりだと、私は思う。

ことに、われわれが歴史上の前例と文化的意義を無視すれば、そうなるだろう。

自然の複雑さ(と人間の性質)を前にして、十分な謙虚さと、畏怖さえ培うべきだ。

複雑な社会的・経済問題に対し、単純化しすぎた技術的解決策を提案してはいけない。単純化しすぎた社会的・経済的解決策を提案するのもいけない。

検証不能な結果について功績を主張してはいけない。

地球の発熱にはヒポクラテス流の処方箋「助けよ、さもなければ、少なくとも害を与えるな」を採用しよう。

幅広い気候区分と多くの文化を持つ多元的世界において、緩和と適応を実践しよう。

最優先すべき倫理的大原則として、カントの定言命法人間一般に無条件に当てはまる道徳法則)に従うのが良いのではないだろうか。「あなたの意志が同時に普遍的法則となるような格律のみに基づいて行動しなさい」


■私は何を望みうるか?

恐怖と不安はわれわれを凍りつかせ、行動を起こすのを阻んだり度を越した行動をとらせたりする。

われわれはそうした恐怖と不安の克服を望むことができる。

みなが納得できる、合理的で、実用的で、公平で、効果的な気候の緩和と適応の中道の出現も、望むことができる。


訳者あとがき から抜粋


地球温暖化問題が世間の耳目を集めるようになったのは、だいぶ以前のことである。

近代以降、大量に排出されてきた二酸化炭素によって気温が上昇し、今後さまざまな自然災害が発生するおそれがあるというのだ。そうした事態を避けるため、生活のスタイルを変えて二酸化炭素の排出量を減らすべきだという考え方は、現在では半ば常識となっている。目下わが国で論争の的となっている原発問題にしても、発電に際しての二酸化炭素の排出削減が、原発を推進すべき理由の一つに挙げられているようだ。

ところで、地球温暖化対策には、もっと急進的な方法もある。

「地球工学」によって地球の環境を大規模に操作しようというもので、たとえば、太陽シールドを打ち上げて地球に日陰をつくる、硫酸塩などの物質を高層大気に散布して太陽光を弱める、数十万本におよぶ巨大な人工木を植えて二酸化炭素を大気から吸収するなどといった方法である。

SFに出てくる話のようにも思えるこうした提言が、現実になされているという。

だが、この手の方策には地球に害を及ぼす計り知れない危険性が潜んでいるため、極端な手段に安易に飛びついてはならず、慎重を期して「中道」を進むべきだというのが本書の主張である。


人間が自然を操作っていうのは


やはり健全ではないのだろう。


環境破壊が取り沙汰される昨今


このままで良いはずはないから


自然を操り改善と成すってのは


わからないでもないけど、まあ


その方向ではやらないほうが良いだろうな。


それよりも、どこまで破壊したか


っていうのを知ることで


でも、正確にはわからないだろうから


まずは現状把握として


何を指針とするのが良いのか。


可能な限り正しいと思われる情報を集め、


分析、そしてそこから何を導いて、何ができるか。


猶予がないのはわかるのだけど


現状がわかってないと先に進めないよね。


常軌を逸したものではなく、現実的なもの


それは「中道」である、というのが興味深かった。


自然(雨、雲、霧)を支配して


一儲けしようとした人たちの


悲喜交交(ひきこもごも)の話のようだけど


それとは別に自分はそこが一番響いた。


また違うタイミングで読んだら違うんだろうけどなあ。


今は自分として響いたのはそこ「中道」でした。


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2冊からエネルギー問題、宗教ほか、を考察してみた [’23年以前の”新旧の価値観”]

昨今、「環境問題」や「エネルギー」について


書籍を読んでおりまして、


その流れでこの書籍を読んでみた。


東日本大震災直後の御三方の鼎談で


話はエネルギー革命に及び、


整理されたその段階が興味深かった。


調べてみると1976年出版の人類学者の


言説のようだった。


大津波と原発

大津波と原発

  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
  • 発売日: 2011/05/17
  • メディア: 単行本


IV 原子力エネルギーは生態圏の外にある


「人知とシステムへの不信」から抜粋


(A・ヴァラニャック「エネルギーの征服』蔵持不三也訳)

「エネルギー革命」

■第一次革命

火の獲得と利用。

火を発火させ安全に保存する技術が開発されることによって、「炉」を中心とする「家」というものができた。

 

■第二次革命

農業と牧畜が発達して、いわゆる新石器の時代が始まる。

農業は余剰生産物を生み出して、交換経済が発達するようになる。

初期の都市が形成される。

 

■第三次革命

家の「炉」から冶金(やきん)の「炉」が発達して、金属がつくられるようになる。

火の工業的利用が発達するようになり、同時に家畜や風や水力がエネルギーに源として利用される。

金属の武器の発達は国家を生み出す。

 

■第四次革命

火薬が発明される。

これは十四世紀から十六世紀のことである。

化学反応の速度を高めて、燃える火から爆発する火への移行が起こる。

インカ帝国の滅亡はこれに起因する。

 

■第五次革命

石炭を利用して蒸気機関を動かす技術が確立される。

これをきっかけとして、産業革命が起こる。

 

■第六次革命

電気と石油。

十九世紀の西欧では、電気が新しいエネルギーとして発達を始める。

原子を構成する電子の運動から、エネルギーを取り出す技術である。

電子の運動は電磁波をつくり出し、ここから電磁通信の技術が発達するようになる。

アメリカでは石油が新しいエネルギーとして注目され、実用化される。

自動車産業の発達。

「フォード主義」は現代的な資本主義生産モデルとなる。

 

■第七次革命

原子力とコンピュータの開発。

いずれも第二次大戦の刺激によって発達した技術である。

コンピューターは電子の量子力学的ふるまいを情報処理に利用した技術だが、この技術がなければ原子力エネルギーのコントロールはほとんど不可能に近い。

 

A・ヴァラニャック「エネルギーの征服』蔵持不三也訳)


■平川

その六次と七次の間には、大きなギャップがあるんですか?

 

■中沢

大きい分水嶺(ぶんすいれい)が、1942年12月のシカゴ大学で実現した原子炉によってもたらされました。

それまでの石炭・石油による第五次・六次のエネルギー革命では化石からのエネルギー取り出しが行われてきた。

もともとは十数億年前の藻のような植物や動物の遺体が地下に埋葬され、化石化していたものをまた掘り出して使うという形ですから、もともと地球生体圏の中に生きていた生き物の体を変性したものですね。

生体圏の中に生きている生き物は、太陽エネルギーを自分の中で濾過するフィルターの働きをしています。

植物は光合成をしてエネルギーに変えて、動物は植物や他の動物を食べて、その身体に蓄えられたエネルギーを自分の中で燃やすことを続けています。

しかし第七次エネルギー革命というのは、決定的に今までのものとは構造が異なっていて、生体圏の完全に外にあるエネルギー源を取り出そうとした。

原子核の中に操作を加えるということですね。

それまで使われてきた化学エネルギーは、外側の電子の部分だけが問題だったんですが、原子核の内部に操作を加えちゃうというのが第七次エネルギー革命が起こると同時に火力や水力による発電も発展していきますけれども、それを通して大量消費時代が始まったわけです。


第七次エネルギー革命のいちばんの問題点は、これが大量生産と大量消費による経済成長を求める産業界と結びついて、一つの盲目的なイデオロギーを形成してきたということなんですね。

それは単一化を進めるモノイデオロギーを形成しますが、それはモノテイズム(一神教)の思考法の変性版で、単一原理を蔓延させていこうとします

日本はもともとモノテイズム的な発想は苦手で、いろんなものを寄せ集めてね、神様も仏様も習合しちゃえっていう、この考え方でずっとやってきた民族です。そういう人たちには、ブリコラージュは得意ですけれども、モノテイズムは今までにノウハウを蓄積してこなかった。

しかし産業イデオロギーの巨大な渦の中に日本人は巻き込まれ、原発の開発をやみくもに推進してきました。原発の意味も自由経済の意味も棚上げにして、走ってきた。そして、福島の事故にまでたどり着いてしまった。


日本は第七次エネルギー革命に、ある種の挫折を体験して、そこから別の道に入ったという方向を開いていかなきゃいけないし、これはぼくらがやっておかなければいけないことだと思うんです。


■内田

やっぱり原子力というのは、一神教における神に類するものだよね。

■中沢

そうなんです。原子力は一神教的技術なんです。

■内田

それでわかったよ。あのさ、日本人というのはさ、一神教的な神のようなものについては、これをどう扱うかについてのノウハウを全然持ってないんだよ。

日本における神様というのは、さっき中沢さんは「習合」とおっしゃったけれどもさ、ステークホルダー(利害関係者)をやたら多くすることによってがんじがらめにするというシステムなんだよね。日本の原発って、まさにそうでしょう。

政治が絡んで、技術が絡んで、地域振興が絡んで、公共投資が絡んで、雇用が絡んで、交通インフラが絡んで…

ありとあらゆるものが関係者なわけでしょう。

■中沢

箱物もね。

■内田

そうそう。日本人ってこれが大好きなんだよ。利害関係を複雑怪奇にするのが。


大人としてこういった構造が分かる気がして、


へんに気を回してしまい、言い淀みがちなんだけど


「原発」とは「一神教」のようなもので、


宗教の根付かない日本なはずなのに、


中沢さんの言説から考えるにそれは「利権」となり、


グローバル資本主義へという


公式になってしまうよなあと解釈。


 


そして話は、繋がるようで繋がってないのだけど


「仕事と生活」というところに及ばれまして


以下を引かせていただきました。


「記者の実感と紙面の乖離」から抜粋


■中沢

内田さんのことを批判していた人たちがまっさきに疎開するんじゃないですか?

■内田

ぼくがちょっと腹を立てたのは、メディアの諸君というのは、新聞社の人にしても、出版社の人にしても、いちはやく自分の妻子を疎開させているんだよ。

■平川

それはそうだろうね。

■内田

もう震災直後に。当たり前なんだけど、彼らはニュースが早いからさ。

■中沢

そういう人を何人か知っています。(笑)

■内田

現場に行った人から直接話を聞いているからね。

現場ではぜんぜん危機管理ができていないっていう実態を知っているわけだから。

それで戻ってきて社内で話すわけだよ。記事にはならないけど。

「現場は大混乱だよ」ってね。

そういう話はそのまま記事にはならないけれども、とりあえず家に帰って妻子に向かって、

「お前ら、実家に帰ってろ」って。

どんどん、実家に帰しているのよ。

ぼくが腹立つのは、自分は黙って妻子を実家に帰している連中が、東京を離れようとする人たちのことを茶化したり、非難がましく報道したりしているという点なんだよ。

ジャーナリスト自身の生活実感と紙面構成がまるで乖離してるじゃないか。


自分だったら、どうするかなあ、と。


11年前子供が生まれたばかりの時は、


疎開先がなかったから関東に留まったけれど


もしも疎開先があり、正確な情報が身近にあったとしたら。


内田さんのおっしゃる事は、言ってることとやってることの


「ギャップ」のことかと。


 


ちょっと異なるけどこれを読んで思い出したのは、


以前にもご紹介した


養老先生の本の引用の引用でございます。



「自分」の壁(新潮新書) 「壁」シリーズ

「自分」の壁(新潮新書) 「壁」シリーズ

  • 作者: 養老孟司
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2014/12/19
  • メディア: Kindle版

第9章あふれる情報に左右されないために


「テヘランの死神」から抜粋


原発事故の後に思い出した寓話があります。

事故直後、放射能を恐れて避難した人たちがいました。

本当は、避難することのリスクもあり、それを伝えている人もいましたが、放射能を過度に恐れていた人たちは、その危険性を強調するような情報ばかり見ていたから避難したのです。

あの時は、本当は避難しない方が良かった老人たちがたくさんいました。

無理に避難したことで、結果的に健康を損なって、中には命を落としてしまった人まで出てしまいました。

そのことは事前に言われていたけれども、なかなか伝わらなかった。

冷静に見れば、どう考えても影響がなさそうなところ、たとえば東京に住んでいるのに関西や九州に逃げる人までいました。

警戒区域などではないのに、こういう行動に出る人がたくさんいると知った時に、少々乱暴な言い方ですが、

「世間が壊れてきた」

と感じたものです。

少なくとも戦時中は、そんなことは世間が許さなかったでしょう。

「少しでも不安があれば逃げて何が悪い」と言われるかもしれません。

その人は、起きた状況と自分たちを切り離しています。

それまで同じところに住んでいて、その場にとどまる人たちのことも切り離しています。

少なくとも、その場にいる人たちと共にいようとは考えなかった、ということでしょう。

もちろん、どういう行動をするのかは自由ですし、責めるつもりもありません。

その時、思い出したのが、「テヘランの死神」という寓話でした。

ヴィクトール・E・フランクルの『夜と霧』の中に出てきます(以下同書をもとに紹介します)。

 

裕福で力のあるペルシャ人が、召使をしたがえて歩いていると、急に召使いがこんなことを言います。

「今しがた死神とばったり出くわして脅かされました。

私に一番足の速い馬を与えてください。

それに乗ってテヘランまで逃げていこうと思います。

今日の夕方までにテヘランにたどり着きたいのです。」

主人が言われた通りに馬を与えると、召使はそれに乗って去っていきました。

その後、主人が館に入ろうとすると、死神に会ってしまいます。

そこで主人が、

「なぜ私の召使を驚かせたのだ、怖がらせたのだ」

と言うと、死神はこう答えました。

「驚かせてもいないし、怖がらせてもいない。

驚いたのはこっちだ。

あの男に、ここで会うなんて。

やつとは今夜、テヘランで会うことになっているのに」

これは寓話なので、いろんな解釈が成り立ちます。

どう解釈するかは、お任せします。


この寓話の解釈は「避けられぬ運命」


みたいなような気がしまして


「ギャップはいかん」という内田さんの言説と


「避けられぬ運命」だという養老さんの


寓話からの自分の解釈。


 


ちょっと異なるどころか、


まるで異なるね、論旨が。


 


もしくは深すぎて今の自分では


手に負えない。失礼いたしました。


眠くて考察・分析を放棄、


ツラ洗って出直してきます。


 


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2冊の”10冊本”からレイチェル・カーソンを考察 [’23年以前の”新旧の価値観”]

10冊の本を紹介している、2冊から偶然、

同じ書籍があり、かつ興味もあったのでご紹介。

■1冊目

世界を変えた10冊の本

世界を変えた10冊の本

  • 作者: 池上 彰
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2014/03/14
  • メディア: Kindle版

 第7章 沈黙の春 Silent Spring

 レイチェル・カーソン 初版1962年 アメリカ

近代的自然観への反省 から抜粋

地球上で一番偉い存在は人間。

人間が地球を作りかえる。

美しい街や自然を人工的に作り出す。

カーソンはこんな近代的な自然観への反省を求めました。

その例が、楡の木の病気をめぐる対策でした。

1950年代、アメリカ各地で楡の木が枯れる病気が流行りました。

ニレノキクイムシが繁殖したのが原因でした。

この虫を退治するため、殺虫剤が繰り返し散布されます。

ミシガン州立大学構内で、楡の木に散布された結果は、それまで大学構内に多数いたコマドリの絶滅でした。

殺虫剤は、鳥には影響がないはずだと宣伝されていたのですが、殺虫剤はミミズにかかり、ミミズを餌にしていたコマドリの体内に殺虫剤が蓄積。コマドリが犠牲になったのです。

この経験をもとに、カーソンは、ニレノキクイムシを絶滅させることは現実的ではないことを指摘します。

発想を変え、環境を保護することで、

「これくらいなら何とか我慢できるという線で押さえつけておくのが良い」

と提言します。

そもそも広大な地域に、楡の木という一種類だけを植樹したために、こうした病気が拡大すると指摘し、いろんな木を植えることが、病気拡大を防止するとして、生物の「多様性」の大切さを訴えたのです。

2010年には名古屋で生物多様性を守るための国際会議が開かれるなど、今や「生物多様性」はキーワードとして知られていますが、1960年代に、この概念を主張したのは、カーソンの先見性を示すものでした。

私たちの住んでいる地球は自分たち人間だけのものではない

ーーこの考えから出発する新しい、夢豊かな、創造的な努力には

<自分たちの扱っている相手は、生命あるものなのだ>という認識が終始光り輝いている。

(中略)

<自然の征服>ーーこれは、人間が得意になって考え出した勝手な文句に過ぎない。

生物学、哲学のいわゆるネアンデルタール時代にできた言葉だ。

自然は、人間の生活に役立つために存在する、などと思いあがっていたのだ。

「世界を変えた」ってことが主軸で、

「豊かになる」10冊ではなかったがゆえに

その中には、オサマビン・ラディンが影響受けて

行動し、アメリカを、世界を変えた書籍も

入っていたので若干驚いた。

まごうかたなき「世界を変えた」だった。

話をレイチェル・カーソンにフォーカスし直すと

環境問題を提言するだけでも、あり得ない時代に

「ここまでなら我慢できる線」というギリのライン

今風に言うと寛容性を示されていたってのは、

すごいことなのではなかろうか。

時に1960年中盤になろうかという時代。

次も、偶然なのだけど、同時期に読んでた本の

レイチェル・カーソン女史の紹介でございます。

 

■2冊目

これだけは読んでおきたい科学の10冊 (岩波ジュニア新書)

これだけは読んでおきたい科学の10冊 (岩波ジュニア新書)

  • 作者: 池内 了
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2004/01/20
  • メディア: 新書

 6 カーソン 「沈黙の春」

 カーソンの予言は当たった から抜粋

『沈黙の春』が出版されてから40年経った現在、地球上には天国にいるレイチェル・カーソンの心を揺り動かすような出来事が多発している。

1976年7月10日、北イタリアのミラノに近いセベソという町で事故は起きた。

除草剤の2、4、5ーTやトリクロロフェノール(TCP)、殺菌剤のヘキサクロロフェンを作っていた工場の反応器が爆発したのだ。

付近に漂っていった塩素の匂いのする雲は、畑に、牧場にそして人間の上に細かいほこりを降り積もらせた。

1984年12月、インドのボパールで起きたアメリカの多国籍企業の化学工場爆発事故では、夜間だったこともあり、近くに住む2500人もの人が亡くなり、被害者は20万人以上という大規模なものだった。ベトナムで米軍によって使われた枯葉剤の後遺症もまた、大きい。

こうした事故は外国だけのものではない。

私たちの身近でも規模の大小はあれ、起きていることだ。

水俣病、イタイイタイ病、四日市喘息をはじめとする大気汚染による喘息、カネミ油症事件など、枚挙にいとまがないほどだ。

60年も前の太平洋戦争が終わったとき、軍隊が埋めたと言われるヒ素を含む毒物によって地下水が汚染され、その井戸水を飲んでいた人たち、特に子供に影響がでて大きな問題になっている茨城県神栖村のことは、今現在のできごとなのだ。

レイチェル・カーソンを語り継いで から抜粋

彼女の作品の特徴は、科学者の目と詩人の心が見事に合流しているところにある。

海の三部作といわれる『潮風の下で』『われらをめぐる海』『海辺』は、いずれもベストセラーであるが海洋生物学者としての観察と検証をもとに、詩情豊かに語り、読者を海辺から深海へ、また遠くの島へと誘ってくれる。そこに登場する鳥や魚、貝などの海に生きる生物たちを目の当たりにする臨場感がある。

特に、彼女の没後出版された『センス・オブ・ワンダー』は、幼い甥と自然体験をもとに書かれたもので、自然界の不思議さに美しさに目を見張る感性の大切さを、美しい言葉で語りかけてくる。

「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではないという言葉は、ともすれば知識偏重に陥りがちな日常を煮直してしまう。

彼女の感性が『沈黙の春』を執筆した原動力になっていることを実感した本だった。

「センス・オブ・ワンダー」という感性は、自然界に向けられているばかりでなく、人間社会、人類の文明に対しても敏感にはたらかなければならないと考えるからである。

科学者と詩人の目を持っているって

なかなかないだろうね。

柳澤桂子さんはご著書に、

よく詩や芸術を引き合いに出されるのは

珍しいタイプなんだよね、きっと。

というか、日本のレイチェル・カーソンといっても

過言ではない気がするな、柳澤さんは。


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街場の芸術論:内田樹著(2021年) [’23年以前の”新旧の価値観”]


街場の芸術論

街場の芸術論

  • 作者: 内田 樹
  • 出版社/メーカー: 青幻舎
  • 発売日: 2021/05/27
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

この先生を知るきっかけは有名な「日本辺境論」でも


「寝ながら学べる構造主義」でもなくて


何度かここでもお伝えしております「ラジオデイズ」でした。


その鼎談とでもいうか、その音源の大人たちの会話を


子供が生まれたばかりの頃、


家からあまり出れない休日、聴き続けてたという


何でかわからないけど、会話が面白かったとしか


言いようがなかったのだけど、その後


10年くらい前、「日本辺境論」を読んで、


間空いてからの、最近いろいろ


拝読させていただいている次第です。


本書は表現の自由、言論の自由というわりと原理的な(硬い)話から始まって、文学、映画、アニメとだんだん話柄が柔らかくなってきて、最後にポップスについてかなりパーソナルなエッセイで終わるという結構(原文ママ)です。

「外殻は煎餅で、そのあとカステラとあんこが続いて、中心部はホイップクリーム」みたいな作りです。

ですから、読者のみなさんは、ご自身の嗜好に合わせて、好きなところから読み始めてくださって結構です。

本書に登場するのは、固有名詞を挙げれば、小津安二郎、宮崎駿、三島由紀夫、村上春樹、大瀧詠一、キャロル・キング、ビートルズ、ビーチボーイズといった方たちです。

映画作家、小説家、ミュージシャンとジャンルは多岐に渡ります。

共通しているのは、ぼくが個人的に偏愛している人たちだということです。

僕が彼らを論じるときの立ち位置は、学者でも、批評家でもありません。

あくまでも1ファンとしてです。

1ファンとしてそっと読者の前に差し出すというのが僕のスタンスです。


高校生のときに、「これ、貸してやるから、聴いてみろよ。なかなかいいぞ」と鞄の中から新譜のレコード盤を取り出してくれるような友人がきっといたと思いますけれど(もうアナログのレコード盤があまり目に触れない時代に育った方も「そういう時代」の高校生を想像してみてください)、あれに近いです。

そういうときのファンの口立てって独特なんですよね。とにかく、相手を「その気」にさせないといけない。

でも、あまり押し付けがましくてもいけない。

押し付けすぎるとかえって逆効果になるから。

推すけれども、無理強いしないというさじ加減がむずかしいのです。

あまり強く薦めてしまうと、その作品との出会いが誰かにコントロールされたもので、偶然に出会ったという気分にならないからです。

何かをほんとうに好きになるためには、偶然に出会ったという条件が必要なんです。

偶然目が合ったのだけれど、それが後から思うと宿命的な出会いだった…という「物語」がたいせつなんです。

本はそうですよね。


ファンというのは「ファンと増やすことをその主務とする人」のことです。

これは僕の個人的な定義です。

でも、これ、なかなか使い勝手のよい定義だと思います。

ファンとはファンを増やすことを主務とする人である。

とすると、ファンの一番たいせつな仕事は、できるだけ多くの人に「これは宿命的な出会いだ」と思って頂けるように、そっとプレゼンテーションをすることだということになる。

この「そっと差し出す」というのがなかなかむずかしいんです。


この「個人的な定義」にまずは同意を。


でも、そうじゃない、意固地なファンってのも一定数いますよね。


自分はそうじゃないつもりなんだけど。


伝道師的な役割じゃない、意固地なダークなファンじゃないつもりだけど


自分ではよくわからないのだけどね。


ーーー


第1章 三島由紀夫


政治の季節 から抜粋


アンドレ・ブルトンがどこかで「世界を変えようと思ったら、まず自分の生活を変えたまえ」というようなことを書いていた。世界と自分の日々の間に相関があるという直感を持てなければ、人間は「革命」など目指しはしない。

そう書いてから、本当にブルトンがそんなことを言ったのかどうか気になって『引用辞典』というものを引いて調べてみた(そういう便利なものがこの世にはある)。

実際はこうだった。

『世界を変える』とマルクスは言った。『生活を変える』とランボーは言った。

この二つのスローガンはわれわれにとっては一つのものだ。


「政治の季節」ではこれが逆転する。

自分のただ一言、ただ一つの行為によって世界が変わることがあり得るという「気分」が支配的になるのである。

自分の魂を清めることが世界の浄化するための最初の一歩であるとか、自分がここで勇気をふるって立ち上がることを止めたら世界はその倫理的価値を減じるだろうかとか、

「ぼくがたふれたらひとつの直接性がたふれる もたれあうことをきらった反抗がたふれる」(吉本隆明)

とか、そういうふうに人々が個人の歴史に及ばず影響力を過剰に意識するようになることが、「政治の季節」の特徴である。


だから、「政治の季節」の人々は次のように推論することになる。

 

1 自分のような人間はこの世に二人といない。

2 この世に自分が果たすべき仕事、

 自分以外の誰かによって代替し得ないようなミッションがあるはずである。

3 自分がそのミッションを果たさなければ、世界はそれが「あるべき姿」とは違うものになる。

こういう考え方をすることは決して悪いことではない。

 

それは若者たちに自分の存在根拠について確信を与えるし、成熟への強い動機づけを提供する。

その逆を考えればわかる。


このように推論する人のことを「非政治的な人」と私は呼ぶ。


自分が何をしようとしまいと、世界は少しも変わらない。

だから、私はやりたいことをやる。


そういうふうに考えることが「合理的」で「クール」で「知的だ」と思っている人のことを「非政治的」と私は呼ぶ。

現代日本にはこういう人たちがマジョリティを占めている。

だから、現代日本は「非政治的な季節」のうちにいると私は書いたのである。

政治的な季節の若者たちは時々ずいぶんとひどい勘違いをしたけれども、

「自分には果たすべき使命がある」

と思いこんでいたせいで、総じて自分の存在理由については楽観的であった。

その点では非政治的な時代の若者たちよりもずいぶん幸福だったのではないかと思う。


三島由紀夫の生き方と死に方が左翼右翼双方の政治少年たちに強い衝撃をもたらしたのは、それが実に「政治的」だったからである。

三島は単独者であった。

彼のように思考し、彼のように行動する人間は彼の他にはいなかった。

けれども、彼は自分が単独者であることを少しも気にかけなかった。

それは彼が「三島由紀夫以外の誰によっても代替し得ないミッション」をすでに見出しており、それをどのようなかたちであれ実践する決意を持っていたからである。

自分の個人的実践が日本の国のかたちを変え、歴史の歯車を動かすことができると信じていたからである。

そして、実際に(三島が期待していた通りかどうかはわからないけれど)、彼の生き方と死に方によって、日本と日本人は不可逆的な変化をこうむったのである。

今三島のような考え方をする人はきわめて少ない。

けれども、時代は変わる。

遠からず私たちはまた

「自分には余人によって代替し得ない使命が負託されている」と

感じる若者たちの群れの登場に立ち会うことになるだろう。

その気配を私は感じる。


よく聞く「政治の季節」って、当事者だった


内田さんの言葉から推察するに


そうだったのか、と納得した次第。


三島さんについては、自分としての論考は


いみじくも「政治的」になってしまわれたのは


ご自分であんなに嫌ってらした「権威」に


いつの間にか気がついたら、なってしまったご自身に


気が付けず、新しい価値観とのバランスが


取れないことを承知で、かつご自分で拒否され


これ幸いと”最後の機会(自決の理由)”と自覚しつつ


さらに退却できないよう緻密にシナリオを作成しての


行動だったと思っておりまして、


これ、結果的に内田先生と似たようなこと言ってます?


それとも全然違ってますかね。すみません。


ーーー


第5章 


音楽とその時代


大瀧詠一 から抜粋


 


ハーマン・ハーミッツの「ヘンリー八世君」という曲の最後に、


おそ松くんに出てくるイヤミの「シェー」という声が入っていて


それは、60年代ハーマンのボーカルが日本で、


おそ松くんを見たから、というのと、


そのイヤミはトニー谷の模倣で、


それはアメリカのボードビリアンのエピゴーネンでって


回帰性というのか、歴史文化の繰り返しを意味し、


表現の根源は同じであることを示唆した後で


内田さんのまとめです。


大滝さんの音楽史の真骨頂は、この「目に見えない因果の糸」を自在に取り出す手際にあります。

この名人芸を支えるのは、もちろん大滝さんの膨大な音楽史的知識であるわけですが、通常の音楽評論家との違いは、その音楽史が過去から未来にではなく、しばしばそこでは時間が現在から過去へ向けて逆走(原文ママ)する点にあります。

そして、このような逆送(原文ママ)する時間こそ時間意識こそ、系譜学者の第3の条件なのです。

歴史学者と系譜学者の発想の違いを一言で言うと、歴史学者は「始祖」から始まって「私」に達する「順ー系図」を書こうとし、系譜学者は「私」から始まってその「無数の先達」をたどる「逆ー系図」を書こうとする、ということにあります。

歴史学的に考えると、祖先たちは最終的には一人に収斂します。

船弁慶』の平知盛が「われこそは恒武天皇九代の後胤(こういん)」と告げるのは典型的に歴史主義的な名乗りです。

しかし、これはよく考えるとかなり奇妙な計算方法に基づいたものです。

というのは、私たちは誰でも二人の親がおり、四人の祖父母がおり、八人の曾祖父母……つまり、私のn代前の祖先は2のn乗だけ存在するからです。平知盛の九代前には計算上は512人の男女がいます。

にもかかわらず、知盛が「恒武天皇九代の後胤」を名乗るとき、彼は残る511人をおのれの「祖先」のリストから抹殺していることになります。

たしかに、歴史学的な説明はすっきりしています(しばしば「すっきりしすぎて」います)。

系譜学はこの逆の考え方をします。

「私の起源」、私を構成する遺伝的なファクターをカウントできる限り算入してゆくのが系譜学はこの逆の考え方をします。

「私の起源」、私を構成している遺伝的なファクターをカウントできる限り算入してゆくのが系譜学の考え方です。

ファクターがどんどん増えてゆくわけですから、これをコントロールするのは大仕事です。

けれども、まったく不可能ということはありません。

それは炯眼(けいがん)の系譜学者は、ランダムに増殖するファクターのうちに、繰り返し反復されるある種の「パターン」を検出することができるからです。

歴史学者がレディメイドの「ひとつの物語」のうちにデータを流し込むものだとすれば、系譜学者は一見すると無秩序に散乱しているデータを読み取りながら、それらを結びつけることのできる、そのつど新しい、思いがけない物語を創成してゆくことのできる人のことです。

日本ポップス伝2』で、大滝さんは遠藤実さんの曲を時間を逆送しながら聴くことで、それまでどのような音楽史家も思いつかなかったような「物語」を提出してみせます。


うーん、「平知盛」「恒武天皇九代の後胤」って


言われてもよくわからないけど


内田先生が言うならそうなんでしょう。


いや、今度調べて再読して熟考します。


そして以下、大瀧さんのお言葉から、です。


「分母でも地盤でもいいけど、思ったのは、その下のほうにあるものをカッコにしてしまわないで、常に活性化させることが、やっぱり上のものがあるとすれば、そこがまた活性化する原因だと思うんですよ。

だから、そのひとつとしてパロディ作品にトライしてみるとか、確認作業とか、そういうことをやってるんですよね。

だから、常に一面的な見方の地盤というんじゃなくて、その地盤も変幻自在に変わっていく部分もあると思う。

そこを見つめていくことが大事じゃないかって考えているんです。」

(「分母分子論」、『FM fan』83年4月号)


過去を歴史の中で封印することなく、つねに活性化させ続けること。

大瀧さんのこの方法論的自覚こそ、系譜学的思考の核心のひとことで言い切っていることばだと私は思います。


最近思うのは、60、70年代は「文学」が


80年代は「音楽」が、若者の心理や人格形成に


多大な影響を与えてたんじゃないかと。


それだけではもちろんないだろうし、かねてより


そう思ってはいたけど、それが肉体化してきたとでもいうか。


吉本隆明さんが、そういう(文学→サブカルチャー)論考の


主軸をずらしたのも、うなずけるのだよね。


お子さんがいたと言うのも大きいと思う。


子供って親の影響が大きいと言うのと逆の構造。


そして、音楽、言葉、リズムが与える影響の凄まじさたるや


想像を超えてるのかもしれないというのは


柳澤桂子さんの書籍から伺えるような。


さらにそれに時代が呼応すると


スパイラルの上昇になるのかも。


まだ研究途中なので、分析できたら論考まとめよう。


っていいよ、そんなことしなくて、


ページビュー100くらいのブログなんだから。


さらに余談だけど90年代は人格形成として


何が影響してたかはわからないよ、


その頃、すでに若者じゃなかったから。


多分「Web」とか「ゲーム」だと思うけど。


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日本再興戦略:落合陽一著(2018年) [’23年以前の”新旧の価値観”]


日本再興戦略 (NewsPicks Book)

日本再興戦略 (NewsPicks Book)

  • 作者: 落合陽一
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 2018/01/30
  • メディア: Kindle版

「なるべく注釈だけで説明を終わらせることなく、


文章中で解説し、平易な日本語を心がけています」


ということで、同じ筆者の異なる書籍


デジタルネイチャー(2018年)』よりも


格段に読みやすかった。


テーマが圧倒的に異なるからね。


そして、本当に本当に僭越でございますが


20歳も上の者が言うのも違和感あり


学歴から考えて口幅ったいものございますが


なんか感覚とか感性が


少しだけ近い気もするのは


今この時期だけのまったくの妄想だろうね。


人間存在や国家ビジョンなどの我々のアイデンティティに関わる分野を聖域的にとらえ、それからすればテクノロジーを些細な一分野であるような見方をする人々もいます。

しかしながら我々はテクノロジーによって知を外在化し、生活を拡張し、人間存在それ自体の自己認識を更新し続けてきたのです。

テクノロジーという人の営みが生んだ文化を見直し、テクノロジーが刷新する人間性や文化的価値観を考慮することは、これからの人の営みにおいて不可欠であり、自然の中から生まれた人間存在は、人間が生み出したテクノロジーによる新たな自然を構成することで自らの存在や定義という殻を破り、更新されうると僕は考えています。


はじめに:なぜ今、僕は日本再興戦略を語るのか?


「欧米」という概念を見直す から抜粋


そもそも、日本は国策によって急激に近代化を果たした国です。

明治時代以降に我々が手本にしたのは、いわゆる欧米型といわれる欧州型と米国型でした。

明治維新では、主に欧州型を手本にして、1945年以降は、米国主導で、戦勝国型を手本にして国を作ってきました。

この欧州型と米国型が合わさって、「欧米」という概念になったわけですが、それをもう一度見直してみるのもこの本の趣旨です。

「欧米」なんてものが本当にあるのか?「欧州型」「米国型」とは具体的に何を意味するのか?


日本にも考える基軸は絶対にあるはずです。

我々は他の国に引けを取らない長い歴史を持ち、歴史の中で何度もイノベーションを起こしてきました。

たとえば幕末や明治の変革を起こした若い人たちは、時代の変革点において、自分の頭を使って、考える基盤をつくり出し、それを共有した上で行動を起こそうとしていました。

たとえば、吉田松陰は29歳で亡くなっていますが、当時、できてからわずが数年の私塾に過ぎないにもかかわらず、彼の思想は大きな影響力を世の中に与えましたし、現代にも引き継がれています。

その徹底的な現場に即した生活と議論は高杉晋作や伊藤博文などの多くの傑物を育て、明治期の変革を生み出しました。

吉田松陰が残した「狂え」というメッセージは、当時の時代の変化が今の我々の対面している計算機時代と同様、並大抵のものではなかったことを示しているようです。


吉田松陰さんは高校の時、荻に行った際


松陰神社を訪れ、ひっそりとした土産屋で


財布を購入し、その後しばらく使っていたという


縁もございまして、だがしかし


だからなんだって感じでございます。すみません。


高度経済成長の3点セット から抜粋


結局、高度経済成長の正体とは、「均一な教育」「住宅ローン」「マスメディアによる消費社購買行動」の3点セットだと僕は考えています。

つまり、国民に均一は教育を与えた上で、住宅ローンにより家計のお金の自由を奪い、マスメディアによる世論操作を行、新しい需要を喚起していくといく戦略です。

物質的には豊かになっていった高度経済成長の時代において、これは別に悪い戦略ではなく、むしろ良い戦略でした。

ただし、今の状況でこの戦略を続けていくと、日本人一人当たりの生産性はどんどん下がっていきます。機械親和性(※)が低く、代替性の高い人類を生産する仕組みだからです。

 

※=機械親和性:機械を活用しながら業務や問題把握、自分の身体感覚との接続を行なって、行動に生かす能力。


落合陽一の三つの再興戦略 から抜粋


これからの日本最高のために大切なのは、各分野の戦略をひとつづつ変えるのではなく、全体でパッケージとして変えていくことです。


ひとつ目は、経営者として社会に対してより良い企業経営をすることです。

僕らのコンピューテーショナルな最先端技術や少数精鋭の企業体としてのフットワークの軽さと、大企業の持つ製造ライン、交渉力、営業能力を組み合わせることによって、今までと違うスタイルのイノベーション開発を目指しています。


2つ目は、メディアアーティストとしての活動です。

メディアについて考えるのは、文化について考えることでもあります。


3つ目は大学での活動です。

日本の大学はどうあるべきかを考えて、グランドデザインすること、そして今、見える数十年先を明確にイメージしてコミットすることが自らの責務だと思っています。

それと同時に、教員としては、世界レベルの研究をし続けないといけませんし、その中で次の時代を担う若者たちを育てていかなくてはなりません。


我々の世代の次の一手で、日本のこの長きにわたる停滞は終わり、戦況は好転する。僕はそう確信しています。

バックグラウンドとビジョンを拡張し、世界に貢献する。日本にとって、世界にとって、今ここが「始まったばかり」なのです。


第1章 欧米とは何か 


「ワークライフバランス」から「ワークアズライフ」へ から抜粋


西洋的思想と日本の相性の悪さは、仕事観にもあらわれています。

今は、ワークライフバランスという言葉が吹き荒れていますが、ワークとライフを二分法で分けること自体が文化的に向いていないのです。

日本人は仕事と生活が一体化した「ワークアズライフ」のほうが向いています。

無理ではなく、そして自然に働くのが大切なのです。


以前『WIRED』で、

「旅行に行くときもスマホを持っていくとオンとオフの区別がつかないので良くない」

という趣旨の記事があったのですが、これも日本的にはあまり向かない考え方なのでしょう。

オンとオフの区別をつける発想自体がこれからの時代には合いません。

無理なく続けられることを、生活の中に入れ込み複数行うのが大切なのです。

日本人は古来、生活の一部として仕事をしていました。


繰り返しますが、ストレスで死んでしまったら元も子もないので、ストレスがないことが重要です。ただ、本人がストレスを感じていないのであれば、仕事をし続けるのも、旅行先でスマホをいじり続けるのも、別に問題はありません。

つねに仕事も日常になったほうが、アップダウンの波がない分、むしろ心身への負荷が低いと言えます。

だから、我々が西洋的な「ワークライフバランス」の発想にとらわれる必要はないのです。

むしろ、そうした発想のままでいると、日本を再興することはできません。

明治時代の時にもいきなり西洋化したのですから、我々は今、いきなり東洋化しても良いのです。

これはおそらく歴史の揺り戻しでしょう。個人と集団、自然化と人間中心の間でものを考える中で、今は、自然で集団の時代に突入しているのです。


自分も仕事をしていると、プライベートでも考えてしまう性分のようで


なかなか頭切り替わらないのだけど、それって悪いことだとは思えなかった。


落合さんのこの文を読んで、自分の考え、というか


アイデンティティが肯定された気がした。


第7章:会社・仕事・コミュニティ


「自分探し」より「自分ができること」から始める から抜粋


つまり、我々が持っている人間性のうちで、デジタルヒューマンに必要なものは、

「今、即時的に必要なものをちゃんとリスクを取ってやれるかどうか」

です。

リスクをあえて取る方針というものは、統計的な機械にはなかなか取りにくい判断です。

ここをやるために人間がいるのです。

言い換えると、近代的な人間性は

「自分らしいものを考え込んで見つけて、それを軸に、自分らしくやって生きていこう」

という考え方であり、デジタルヒューマンは、

「今やるべきことをやらないとだめ」

という考え方だと考えます。

要は、タイムスパンが全然違うのです。

そして、やったことによって、自分らしさが逆に規定されていきます。


よく学生さんにアドバイスを求められるときに言うのですが、これからの時代は、「自分とは何か」を考えて、じっくり悩むのは全然良くありません。自分探し病はだめな時代です。

それよりも、「今ある選択肢の中でどれができるかな、まずやろう」みたいなほうがいいのです。


おわりに:日本再興は教育から始まる から抜粋


読者のみなさんにあらためて言いたいのは

「ポジションを取れ。とにかくやってみろ」

ということです。

ポジションを取って、手を動かすことによって、人生の時間に対するコミットが異常に高くなっていきます。

ポジションを取るのは決して難しいことではありません。

結婚することも、子供を持つことも、転職することも、投資することも、勉強することも、すべてポジションを取ることです。

世の中には、ポジションを取ってみないとわからないことが、たくさんあります。

わかるためには、とりあえずやってみることが何より大切なのです。

 

「ポジションを取れ。批評家になるな。フェアに向き合え。

手を動かせ。金を稼げ。画一的な基準を持つな。

複雑なものや時間をかけないとなし得ないことに自分なりの価値を見出して愛でろ。

あらゆることからトキメキながら、あらゆるものに絶望して期待せずに生きろ。

明日と明後日で考える基準を変え続けろ」

 

とTwitterに書きました。

これが僕から読者のみなさんへの最後のメッセージです。


日本の凋落とこれからの道筋を、


新しい感覚で書かれているのが爽快。


江戸、明治から近代、イノベーションの出現、


出てきた時の社会の反応とか。


エジソン、フォード。産業革命以降の世界。


それから国防、外交、政治についてなど。


経済摩擦とか歴史史観とかファクトで語るだけではなく


独自視点と考察があるのが読んでて痛快。


ゆえに、敵も多そうだ。


天才の一人なんだろうな。新しいタイプの。


会社もやって学者もやってってバランスを


取っているのだろうけど


それも頭良いと言わざるを得ない。


若い人向けに書かれた書籍だけど


それ以外でも通用するのではないかと思った。


「デジタル」と「アナログ」が混在する中に


我々は生きていて何かとその対比で


物事を捉えがちだけど


それはもう古い価値観に置き換わろうと


している、いわば端境期


みたいなところにいるのかもしれない。


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国家の品格:藤原正彦著(2005年) [’23年以前の”新旧の価値観”]


国家の品格(新潮新書)

国家の品格(新潮新書)

  • 作者: 藤原正彦
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2012/07/01
  • メディア: Kindle版

戦時中、満州生まれだから

うちの祖父は満鉄で満州に家族でいたから


母と近い場所で幼少期過ごされたかもと思ったり。


東大出の理数学者、作家新田次郎、藤原ていさんの


ご次男とのこと。


おもいっきりラディカルなこの書籍は、


お父様の意思を継いで孤高の人っぷりを印象づけますが


きっかけは、いつものことですみませんが


養老先生の対談で知ったのでした。


「はじめに」から抜粋


30歳前後の頃、アメリカの大学で三年間ほど教えていました。

以心伝心、あうんの呼吸、腹芸、長幼、義理、貸し借り、などがものを言う日本に比べ、論理の応酬だけで物事が決まっていくアメリカ社会が、とても爽快に思えました。

向こうでは誰もが、物事の決め方はそれ以外にないと信じているので、議論に負けても勝っても、根に持つようなことはありません。

人種のるつぼと言われるアメリカでは、国家を統一するには、すべての人種に共通のもの、論理に従うしかないのです。

爽快さを知った私は、帰国後もアメリカ流を通しました。

議論に勝っても負けても恨みっこなし、ということで、教授会などでは自分の意見を強く主張し、反対意見に容赦ない批判を加えました。

改革につぐ改革を声高に唱えました。アメリカでは改革は常に善だったからです。

結局、私の言い分は通らず、会議で浮いてしまうことが重なりました。

数年間はアメリカかぶれだったのですが、次第に論理だけでは物事は片付かない、論理的に正しいということはさほどのことでもない、と考えるようになりました。

数学者のはしくれである私が、論理の力を疑うようになったです。

そして「情緒」とか「形」というものの意義を考えるようになりました。

そんな頃、40代前半でしたが、イギリスのケンブリッジ大学で一年ほど暮らすことになりました。

そこの人々は、ディナーをニュートンの頃と同じ部屋で、同じように黒いマントをまとって薄暗いロウソクのもとで食べることに喜びを見出すほど伝統を重んじていました。論理を強く主張する人は煙たがられていました。

以心伝心や腹芸さえありました。同じアングロサクソンとは言っても、アメリカとはまったく違う国柄だったのです。

そこでは論理などより、慣習や伝統、個人的には誠実さやユーモアの方が重んじられていました。

改革に情熱を燃やす人もいましたが「胡散臭い人」とみられている様に感じました。紳士たちはその様な人を「ユーモアに欠けた人」などど遠回しに評したりします。

イギリスから帰国後、私の中で論理の地位が大きく低下し、情緒とか形がますます大きくなりました。

ここで言う情緒とは、喜怒哀楽のような誰でも生まれつき持っているものではなく、懐かしさとかもののあわれといった、教育によって培われるものです。

形とは主に、武士道精神からくる行動基準です。

ともに日本人を特徴づけるもので、国柄とも言うべきものでした。

これらは昭和の初め頃から少しづつ失われてきましたが、終戦で手酷く傷つけられ、バブル崩壊後は突き落とされるように捨てられてしまいました。

なかなか克服できない不況に狼狽した日本人は、正気を失い、改革イコール改善と勘違いしたまま、それまでの美風をかなぐり捨て、闇雲に改革へ走ったためです。

経済改革の柱となった史上原理をはじめ、留まることを知らないアメリカ化は、経済を遥かに超えて、社会、文化、国民性にまで深い影響を与えてしまったのです。

金銭至上主義に取り憑かれた日本人は、マネーゲームとしての、財力にまかせた法律違反すれすれのメディア買収を、卑怯とも下品とも思わなくなってしまったのです。


ライブドアがフジテレビを買収しようとした頃(2005年)懐かしい。


その後ライブドアが粉飾決算(2006年)で問題になったのは


覚えてるけどテレビ局買収はすっかり忘れていた。


野球の球団も買収しそうになったのもその頃かだったか。


テレビも野球も興味がないから忘れてしまったけど。


いずれにせよ、「古い価値観」の人たちには、


ホリエモンさんたちというか、


現代社会に生きる人たちの全てではないけど


近代合理性の論理は嫌われそうだよね。


と「古い価値観」と一括りにするんじゃねえ、若造!


武士道精神を復活せよ、なんだよ!と言われてしまいそうだし


読むと一理も二理もあるのだけど。


余談だけど蔑称とかアイロニーで(今風でいうディスってる)


言ってるるわけじゃないすからね、


この場合の「古い価値観」って。


どちらかというと、今風にいうとリスペクトで


使わせていただいてます。


戦後、祖国への誇りや自信を失うように教育され、すっかり足腰の弱っていた日本人は、世界に誇るべき我が国古来の「情緒と形」をあっさり忘れ、市場経済に代表される、欧米の「論理と合理」に身を売ってしまったのです。

日本はこうして国柄を失いました。「国家の品格」を失ってしまったのです。

現在進行中のグローバル化とは、世界を均質にするものです。

日本人はこの世界の趨勢に敢然と闘いを挑むべきと思います。

普通の国となってはいけないのです。

欧米支配下の野卑な世界にあって、「孤高の日本」でなければいけません。

「孤高の日本」を取り戻し、世界に範を垂れることこそが、日本の果たしうる、人類への世界史的貢献と思うのです。


「第7章 国家の品格


「国際貢献」を考えなおす」から抜粋


いま、国際貢献などと言って、イラクに戦えない軍隊を送っています。

とても賛成する気になれません。

なぜならそんなことをしても誰も日本を尊敬してくれないからです。

「アメリカの属国だからアメリカの言いなりになっているだけ」と思われるのがせいぜいでしょう。


そもそも今のアメリカに、手前勝手なナショナリズムはあっても「品格」はありません。

9.11のテロでもかき消されてしまいましたが、京都議定書の批准を拒否、国際人道裁判所の設置にも反対、そして自分の言いなりにならない国連に対しては分担金を滞納さえするのです。

日本はアメリカの鼻息をうかがい、「国際貢献」などと言うみみっちいいことを考える必要はまったくないのです。

本気で世界に貢献したいのなら、「イラクの復興は、イスラム教にどんなわだかまりもない日本がすべて引き受けよう。

そのために自衛隊を十万人と民間人を一万人送るから、他国の軍隊はすべて出て行け」くらいのことを言えなければなりません。


これは言えないだろう。国内世論が…みたいな感じだろう。


学者の言いそうなことで、政治がわかってらっしゃらない、


と言われてしまうんだろうね。政界では。


翻って、自分、ここまで極論は賛同できないです。


どうにかうまく手を組めないものか、


古い価値観と新しい価値観で協議して仮説、実行、改善するには。


すべてを満たすことはできないにしても。


 


「「神の見えざる手」は問題を解決しない」から抜粋


市場原理が猛威をふるっています。

各自が利己的に利潤を追求していれば、「神の見えざる手」に導かれ、社会は全体として調和し豊になる、と言うものです。

自由競争こそが素晴らしい、国家が規制したりせず自由に放任する、すなわち市場に任せるのが一番良い、と言うものです。

これは、アダム・スミスが『国富論』で示唆し、続く古典派経済学者たちが完成させた理論です。

これがあっては、現代に生きる人々が金銭至上主義になるのは仕方ありません。

金銭亡者になることが社会への貢献になるのですから。

呆れるほどの暴論です。

各自の利己的な利潤追求を自由に放任していたら、ゴミ問題ひとつ解決しないのです。

福祉はどうなるのでしょう。

必然的に弱者や敗者が大量に発生しますが、誰が救済するのでしょう。


アダム・スミス以来の、戦争、植民地獲得、恐慌に明け暮れた二世紀が充分以上に証明しています。

イギリスの経済学者ケインズが、これを1930年代になって初めて批判しました。

当然です。

それまで正面から批判するもののいなかったことの方が驚きです。

ケインズは、国家が公共投資などで需要を作り出すことの重要性を指摘したのです。

これは「ケインズ革命」と呼ばれるほどの驚きで迎えられましたが、これに従ったアメリカのその後の成功があって定着しました。


「新自由主義経済学の「異端性」」から抜粋


ところがアメリカの経済がうまくいかなくなってきた1970年代から、ハイエクフリードマンといった人々がケインズを批判して、再び古典派経済学を持ち出してきました。

もし経済がうまく行かなければ、どこかに規制が入っていて自由競争が損なわれているからだ、とまで言う理論です。時代錯誤とも言えるこの理論は、新自由主義経済学などと言われ、今もアメリカかぶれのエコノミストなどにもてはやされているのです。


これはアダム・スミスの二番煎じに過ぎません。

アダム・スミスはジョン・ロックの経済版にすぎず、ジョン・ロックの説はカルヴァン主義を自分流に取り込んだだけのいかがわしいものです。

予定説を一大特徴とするカルヴァン主義は、キリスト教でもプロテスタントの一部が信奉するにすぎず、カトリック、ギリシャ正教、ロシア正教などは無論認めていません。


「キリスト教原理主義」から抜粋


恐らく教会の過剰な権威を否定するために生み出されたカルヴァンの予定説と、王権神授説に対抗し個人の権利を確保するためにカルヴァン主義を利用したロックの自由、平等、国民主権などが、現代のすべてです。

アメリカを旗手として世界を席巻しつつあるこれらは、一言で言うと「キリスト教原理主義」です。

キリスト教もイスラム教も尊敬すべき立派な宗教ですが、「原理主義」がつくと一転して危険思想になるのです。


「品格ある国家の指標」から抜粋


その① 独立不羈(美しい情緒)

その② 高い道徳

その③ 美しい田園

その④ 天才の輩出


楯の会を結成した後の三島由紀夫みたいな言説だなあ、


と読みながら思ったけど、それは自分が


民主化された戦後教育を受け、そういう価値観で


育ったからなのかな。凡庸な頭では難しい、


だけど、なんか引っかかる。分析には時間かかる


そんな時間と地頭あるのか。


アダム・スミスというのも最近よく見聞きするな。


これからの日本とか世界とか


考えざるを得ない日々を過ごしているからだろう。


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生き延びるための流域思考:岸由二著(2021年) [’23年以前の”新旧の価値観”]

生きのびるための流域思考 (ちくまプリマー新書)

生きのびるための流域思考 (ちくまプリマー新書)

  • 作者: 岸 由二
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2021/07/08
  • メディア: 新書

著者は鶴見川の氾濫を経験されてきた

災害当事者の目線で描かれている進化生態学者。

自分も川の近くで仕事していたり、

家も少し離れてはいるが鶴見川があるし

それといつもで恐縮ですが養老先生が

他の対談でお話しされてたので拝読。

 

長いまえがき<なぜいまこの本を出版するのか>から抜粋

豪雨災害の時代がはじまっている

ここ数年、豪雨の災害が続いています。

小さな川(中小河川)の氾濫だけではなく、鬼怒川、球磨川、最上川など、大きな一級河川が氾濫し、多大な被害が広がっています。

丘陵・山地では、斜面を駆け下る土石流によって、多くの人命が奪われました。

この傾向は、おそらく一過性の現象ではありません。

地球規模の気候変動によってこれからも続く、あるいは、さらに厳しくなると考えられます。

わたしは、都市河川の下流域で何度も大きな水害を体験してきました。

同時に地域の治水安全・実験的な防災活動に長く関わってきた市民の一人です。

また、都市の自然環境の保全や水土砂災害の防災(または減災)に強い関心をもつ生態学者としての日常もあります。

治水や自然保護に関する国や自治体の審議会委員なども長く経験した研究者の一人として、この課題を大急ぎでまとめる必要があると感じてきたのです。

「「流域」を知らないと命が危ない」から

まずは、「地図」が問題です。豪雨を引き起こす水土砂災害は、大小のスケールにかかわらず、「流域」という地形や生態系が引き起こす現象です。

「流域」とは、雨の水を河川・水系の流れに変換する大地の地形のことです。

「流域」の構造を知ることで、水土砂災害に備える考え方や行動ができるのですが、実際には、私たちが利用する通常の地図にはほとんど反映されていないのです。

河川に大量の雨水を集める大地の広がりは「流域」であり、雨水や降水による氾濫やさらにそれらを水土砂災害を引き起こす川の流れに変換するのは、「流域」という地形であり、生態系です。

つまり氾濫を起こすのは、川ではなく「流域」なのです。

これが、水土砂災害を考える上で、わたしたちがいま確認すべき、最も重要なポイントです。

まずは冒頭では「流域思考とは、流域という地形、生態系、流域地図に基づいて工夫すれば、豪雨に対応する治水がわかりやすくなる。

さらには、生物多様性保全(自然保護)の見通し、防災・自然保護を超えた暮らしや産業と自然との調整の見通しも良くなる」という従来からわたし、そして共に実践を進めてきた市民活動の主張を表現することばとして理解していただければ幸いです。

これまで実践を進めてきた活動は、鶴見川流域と三浦半島・小網代という地域にほぼ限定されていますので、まだ全国へ広く普及された用語、概念というわけではありません。

とはいえ、「流域思考」という表現でくくられるものの見方、考え方、方法は、治水の現場では展開されてきた国や自治体の努力から学び、国や自治体や市民運動が推進する自然保護活動でその有効性が実証され、ここから未来を目指す試みがはじまっているとわたしは理解しています。

だからこそ今、温暖化による未来の危機を展望して流域治水の方針を明示した国の動きにも励まされ、その有効性をあらためてアピールしておく必要があると思い立ったのです。

単純に言葉通りの「流域」ってイメージではないよとうこと。

多くの人との対話でなされるもの、

一人では絶対に実現不可能なものの総称のようなものなのかな。

 

「第二章 鶴見川流域で行われてきた総合治水

土地利用の変化でさらに被害が拡大」 から

1958年鶴見川流域の市街地率は10%と記録されています。

流域のほとんどは田園風景で、上中流部で当時市街化されていたのは、鶴川、玉川学園周辺、長津田、中山周辺のみ。密集市街地のほとんどは、下流域の横浜市鶴見区、川崎市幸区の一帯に広がっていました。

重厚長大といわれた重工業時代の京浜工業地帯が流域下手の埋立地に展開していた鶴見川流域は、その下流部(わたしが育った地域)に、全国から労働者が集まり、住商工混在の市街地が形成されていました。

75年、流域の市街地率は一挙に60%に跳ね上がりました。

東京オリンピックのあった64年前後から、鶴見川流域では、源流、上流、中流を問わず。激しいベッドタウン開発が進み、中・上流の丘陵・台地にひろがっていた田園地帯はまたたく間に市街地へと変わっていきました。この状況を受け、66年、76年、77年の大水害が発生しています。

70年代には、本流中流部東側の丘陵地の過半を対象とする港北ニュータウンの構想による大開発が進み、市街地率はさらに高まります。

2000年にはついに85%を超え、現在では87%近くまでに及んでいるはずです。

この激しい市街地化に伴う保水・遊水力の急速かつ大規模な低下こそ、戦後の鶴見川流域に大水害をもたらした主因なのです。

鶴見川は自分も家が近かったから、この流れはよくわかる。

しかも水が汚染されてて大変だったよ、鶴見川の70年代は。

よく新聞とかテレビに出てた記憶あります。

 

「総合治水・流域整備計画はどのように行われたのか」 から

1980年にスタートした鶴見川流域総合治水対策を推進する行政組織は、「鶴見川流域総合治水対策協議会」と呼ばれました。

計画の基礎となったのは、流域の土地利用についての方針です。

都市計画の領域では、すでに市街地区域、市街地化調整区域などの土地利用の指定が流域関連自治体すべてに示されていたのですが、それとはまったく別に、水循環に関わる特性に基づき、流域全体が

①保水地域、②遊水地域、③低地地域

の三つに大別され、それぞれの地域でどのような治水対策を重視するのかという指針が示されました。

「排水能力を強化して遊水地の確保を」 から抜粋

1970年代末から鶴見川下流部で実施された大規模浚渫(しゅんせつ)は、下流に到達する大洪水を速やかに海へ排水するための作業でした。

護岸の整備もすすみました。各所に堤防のない無堤区間が残っていたため、豪雨時の下流域の町の浸水はそもそも不可避であったという事情があります。

1982年、秋の大洪水を受けて、河口から2キロ地点左岸の最も危険な無堤地区に護岸ができました。

川辺の土地利用に関する企業と行政の調整がまとまるまでに、それほど時間がかかったのです。

川辺に多数の住居が密集していた河口生麦まで地域の調整が進み、築堤が完成したのは2007年のことでした。

下流部における最大の河川整備は、新横浜地区の鶴見川多目的遊水地です。こちらは2003年に完成しました。

丘陵地から駆け下る洪水を最初に受ける大蛇行地点(大曲(おおまがり))の上流右岸に広がる水田地帯84ヘクタールを河川区域として買収し、湛水(たんすい)量(水田などに水をたたえること)最大390万平方メートルの大規模都市遊水地を建設したものです。

同地は治水用の施設ですが、その大半を横浜市が公園、総合競技場を含むスポーツ施設や自然保護の領域として活用しているので、「多目的遊水地」と呼ばれています。横浜市の管理する公園が豪雨時に遊水地になるというわけではありません。治水のための遊水地(河川区域)の一部が公園として利用されるという形です。

神奈川県は、中・上流の区間で洪水を安全に流す能力を向上させるために河川幅の拡大、親水整備(安全で快適な水辺空間を工夫する整備)を含む護岸を進めています。同時に、中流区間左岸に一ヶ所、上流区間の右岸に一ヶ所、それぞれ10万平方メートル規模の地下遊水地を整備しています。

「下水道の整備」 から

河川の整備と並行して下水道の整備も進みました。

1950年代になり、本流下流域の横浜市域の低地地域で大型の下水管が設置されて、ポンプ場が整備され始めました。

現在の鶴見川水系には21ヶ所のポンプ場が配置されています。

下水道の基本機能は、家庭などからの生活雑排水を下水処理場に集め、活性汚泥法で浄化することです。あまり知られていないことですが、実は治水の世界でも内水氾濫の阻止・減災の分野でも多大な役割を果たしているのです。

本題とは逸れますが、鶴見川流域では、1970年代に全国一級河川の中でも筆頭ランクの汚染にさらされた水質も流域7ヶ所に設置された大規模な下水処理場の働きで見事に処理され、今では都市河川としては実質的に清流に近い状態まで改善されています。

「300mm規模の豪雨でも大氾濫しない川に」 から

1982年には、200mm越えの雨によって、私の実家のあった鶴見川下流左岸地域は再び3,000件規模の大洪水に襲われたのでした。

しかしこの水害を最後に、以降今日にいたるまで、300mm近い豪雨があっても、鶴見川流域に大氾濫はないのです。

2014年には、鶴見川における戦後二番目にあたる322mmの豪雨が襲ったにもかかわらず、外水氾濫は起きませんでした。

(局所的な床下浸水が数件あったとされています)。

完成し、すでに機能を開始していた鶴見川流域多目的遊水地も、154万立法メートルの洪水を湛水し、大活躍したのでした。

「大型台風襲来も多目的遊水地が大活躍しラグビーの試合は開催」から抜粋

競技場では、大風襲来翌日13日(2019年10月)日本とスコットランドのラグビー戦が予定されていました。

豪雨の襲った12日の夕方には本川(ほんせん)から洪水(大雨の水)が越流して、競技場下の投擲(とうてき)場まで水没しはじめたのです。

この段階で「明日の競技は大丈夫か?」との全国報道もあったのですが、洪水の湛水は94万立方メートルにとどまり、翌日にはラグビーの世界戦も無事実施され、日本が解消したことは周知の事実です。

実はこの時、英国の報道が「日英のラグビー戦のおこなわれている総合競技場は、下流の町を水害から守るための巨大な遊水地の中に、1000本を超す柱で支えられている」と、遊水地を絶賛したのでした。

しかし、同時にこの評判が困惑、誤解も生みました。

(略)

決して誤りではないのですが、流域治水、総合治水を推進する鶴見川流域の防災事情から言えば、大きな誤解にもつながるのです。

2019年、台風19号の豪雨から、鶴見川流域下流の低地帯を守ったのは新横浜多目的遊水地そのものではなく、町田市、川崎市、横浜市西部の丘陵地隊の諸都市が総合治水関連の努力によって確保してきた緑・田畑、そして多数の雨水調整池が、河川法、下水道法の法定義務の外で大規模な保水を実現し、河川法対策である多目的遊水地を見事に補佐したというのが、正しい理解と言うことなのです。

英国のメディアも正しい理解を伝えたいというよりは、

ラグビーのニュースがメインだったならば

そんなことあったよ程度の報道だったのだろうね、求められっぷり的に。

同様の研究や課題を抱えてる人だったら感度が高いから、

調べるかもしれないけど、他国のメディアだと

おおよその感じだけで、そこまで不要なのでしょうね、

正しい理解というのは。

 

第三章 持続可能な暮らしを実現するために

1 生命圏最適応という課題

地球環境は危機の真っ只中 から抜粋

人類のめざす未来についてはさまざまな意見があります。

「産業文明が生命圏に適応することは不可能に決まっている。

人類は都市をエンジンとする産業文明を捨てて、生命圏に溶け込む脱科学の素朴な共同体型の未来を選ぶしかない」

と考える人もいます。

「いや、人類は科学技術の力をさらに強化し、生命圏全体コントロールするばかりか、生存世界を宇宙にも広げてゆくのだ」

と、勇ましく考える人もいます。

わたしはいずれの意見にも反対です。

想像を絶する悲惨な展開なしに、産業文明を廃止することなど、できるはずがありません。

地球を捨てて、宇宙へ移動すると言うのは夢物語でしょう。

過去数百年の人類の歴史でみれば、未来は先例のない変化になるかもしれませんが、人類はそこに生き続けるしかありません。

しっかり工夫すれば、たとえ大規模な環境改変が続いたとしても、都市をエンジンとする産業文明は、地球での持続可能な暮らしを実現できると、わたしは考えています。

その鍵の一つが、地図の問題だとわたしは考えています。

生命圏と持続可能に付き合ってゆく地図の工夫が大きな課題なのだと思うのです。

私の提案は流域思考。

今私たちの日常が依拠している地図は、国や県や、さまざまな行政てきな単位で区切られたもの。

そんな地図に基づく活動が、豪雨・水土砂災害を筆頭に、すでに様々な不適応を起こしています。

水循環の大撹乱が、生命圏規模で引き起こしてゆくだろう豪雨の時代への適応を進めてゆくには、暮らしの地図の領域に、流域という地形、生態系を単位とする「流域地図」を導入してゆくのがいい。そんな地図を、大小の規模にかかわらず活用し、防災、環境保全の工夫を進めてゆく流域思考が、生命圏再適応のカギとなるというのが、わたくしの意見なのです。

「流域地図を共有しよう」から

本論で取り上げた、行政区ごとに作成された氾濫ハザードマップは象徴的です。

ある規模の豪雨が降るとあなたの自宅が何メートルで水没するか地図で明示されても、二階に逃げるか、学校に逃げるか、事前準備ができる程度で、そもそも治水に備える広報活動も、行政間の連携も、その地図には示唆されていません。

豪雨に対応して発生する氾濫は、行政区で起こるのではなく、豪雨を洪水(何度も繰り返しますが、豪雨時の川の流れを洪水と言います)に変換する流域という大地の構造、生態系が引き起こす現象だからです。

行政地図をいくら詳細に見つめても、豪雨氾濫のメカニズムは分かりません。

行政地図で区切られたハザードマップを頼りに都市の温暖化豪雨への適応策について、市民がどれだけ意見を交換し、ビジョンや計画を工夫しても、わたしたちの暮らしの場、ひいては生命圏に発生する豪雨、水土砂災害の危機の理解に到達することはできないでしょう。

しかし、流域地図が整備され、広く市民にも共有されていれば話は別です。

「流域は大地の細胞」から

流域という地形は、雨の降る大地を下図にしてGoogle Earthの衛星写真をみれば、緑や市街地の広がる衛星写真の光景が、流域という水循環の単位に区分けされて、新たな様相でみえてくる。

流域地形、流域生態系の基本構造や基本機能が広く理解されていれば、区画ごとに雨に対応する水のコントロール、水循環に対応する生物多様性の保全の課題が、衛星写真そのままで見えてくるはずなのです。

専門的な分析は難しくとも、その概要は、少し予習のできた市民や学生にも、おおよそ理解できるようになるはずなのです。

流域という水循環の単位、特殊な地形だからこそ実現できる、不思議な効果というべきでしょう。

流域地図を下図におけば大地の見え方に、根本的に新しい視野がひらかれます。

水土砂災害や生物多様の保全の理解に、容易につながる見え方が開かれるのです。

世界の科学の歴史の中に似た事例を探すことができます。

今、私たちの医療は、細胞医学と言われることがあります。

人体を解剖すれば様々な臓器や体液など複雑な構造が確認できます。

しかしその複雑さからはじめる伝統的な医学は、統一的で有効な現代医学につながることなく、さまざまな伝統医療を生み出しました。

有名な事例の一つは体液医学とも呼ばれるものです。

その流派は人体の不調には各種の体液バランスのくずれが関与していると考えました。

その理解をもとにした治療の一つに瀉血(しゃけつ)があったことを知っている読者もおられることでしょう。

医院にゆくとバットとナイフがあり、医師の判断で、血液やリンパ液が抜かれました。

モーツァルトも、アメリカ合衆国初代大統領ワシントンも、瀉血治療が元で亡くなったといわれています。

人体は細胞で構成されているという認識を基本とする現代医学になじんでいる私たちには理解できない世界なのですが、そもそもすべての生物が細胞でできているという仮説が科学の世界に登場したのは1880年代半ば。

細胞という存在を、対象の測り方を間違えていたら、有効な適応を進められるはずがありません。

人工的な区画や、さまざまな特殊な区画で地球を測るばか基本として生物、人体を見る視野のなかった時代、人体の測り方がうまくゆかなかったのは仕方のないことなのでした。

医学が人体を対象とする科学技術だとすれば、防災や生物多様性保全は、生命圏を対象とする科学技術ですりの対応は、細胞節以前の医学の状況かもしれないのです。

その困難を乗り越える方法として、私は、流域という地形、生態系の地図を使ってみようと提案しています。

流域は生命圏への文明適応の要となる大地の細胞のような地図だと、考えているからです。

流域思考の時代、流域治水の時代は、地球の測り方の大きな転換の時代になるのかもしれないと思うのです。

「流域思考」という考え方、用語

どこまで浸透するかは、不明だけれど、

岸さんの考えによって多くの人の命が

救われているというのは事実で

この流れを継承、横展開するとか、によって、

国土計画とか治水計画とか、ひいては地球環境とか

良き方向に行くようにも思うような

予感がするのは自分だけかな。

科学的データに基づき、仮説、

賛同得て、説き伏せ

実行、検証、改善って

昔から言われてるPDCAってやつだけど

それには「強い動機」が必要というのが

あらためて気付かされた本だった。

養老先生と対談も読んでみたい。


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デジタルネイチャー:落合陽一著(2018年) [’23年以前の”新旧の価値観”]


デジタルネイチャー: 生態系を為す汎神化した計算機による侘と寂

デジタルネイチャー: 生態系を為す汎神化した計算機による侘と寂

  • 作者: 落合陽一
  • 出版社/メーカー: PLANETS/第二次惑星開発委員会
  • 発売日: 2018/06/19
  • メディア: Kindle版

読み出しは若干、分かりにくかったのですが、


それは自分の勉強不足なのだろう。


進むにつれ、エジソンの偉大さ、


資本主義について、明治期以降の日本などの


考察・分析など興味深く、


最終部には「デジタルネイチャー」を


実例までに展開して紹介されているのには


驚いた次第でございます。


「第一章 デジタルネイチャーとは何か


オーディオビジュアルの発明、量子化、デジタル計算機、


そして計算機自然、デジタルネイチャーへ」


から抜粋


デジタルネイチャーとは、生物が生み出した

量子化という叡智を計算機的テクノロジーによって

再構成することで、現存する自然を更新し、

実装することだ。

そして同時に<近代的人間存在>を脱構築した上で、

計算機と非計算機に不可分な環境を構成し、

計数的な自然を構築することで、<近代>を乗り越え、

言語と現象、アナログとデジタル、

主観と客観、風景と景観の二項対立を

円環的に超越するための思想だ。

未だ実現していないヴィジョンでありながら、

その萌芽は至るところに現れ始めている。


「機械と自然が融合する時代が始まる」から抜粋


「デジタルネイチャー」という言葉を、

前著『魔法の世紀』で定義してから

約3年が経とうとしている。

1991年に、マーク・ワイザーが提唱した

「ユビキタス・コンピューティング」という概念

ーー生活空間に数多くのコンピュータが

偏在(ユビキタス)し、それらがインターネットと

接続することで、人々はコンピュータの存在を

意識することなく、IT技術の恩恵を

受けられるようになるというヴィジョンは、

27年後の現在、「IoT 」(Internet of Things)の

普及によって実現しつつあるが、さらにその先に

<侘びた>世界観として構想したのが

「デジタルネイチャー」だ。

これまで<人工>と<自然>は対極な存在と

みなされてきた。人類は道具を発明することで、

自然を支配し、文明を生み出す。これは有史以前から、

連綿と続く営為と見られてきた。

その中でもコンピュータは、人類が作り出した

最も複雑な人工物であり、90年代以降は世界に

巨大な変革をもたらす道具として、ソフトの限界費用から

イノベーションの主役となってきた。

そして今、コンピュータは、「道具」という

枠組みを超えて、新しい領域へと踏み出しつつある。

そもそも量子化という意味での<デジタル>は、

生物に固有の情報演算形式であった。DNAやRNAの

記録は4種類の塩基によって量子化され、

コドンによってさらにコード化されている。

網膜や蝸牛も量子化装置であり、空間の光線や

空気振動をデジタル化して神経系へと接続する装置だ。

アナログな光学回路として設計されている虹彩や

レンズと網膜の対比、鼓膜や耳子骨と蝸牛の対比に

身体の中に偏在するデジタルとアナログの通信を

見てとることができる。


「<超人>・<身体性>からデジタルネイチャーへ」から抜粋


我々が想像する未来像「デジタルネイチャー」は、

ユビキタス・コンピューティングの発展の先に、

<実質>と<物質>の境界、<人間>と<機械>の

区別が融解した世界だ。再魔術化ののちにたどり着く、

自然のアップデート。

コンピュータは融けて不明になり、

思想やシステムは既存のものからアップデートされる。

その実現のために、僕が主宰する

「デジタルネイチャー研究室」では、

テクノロジーの発明に伴うアート表現やデザインの

領域まで含めたアプリケーションドリブンの学際的な

研究をおこなっている。

デジタルネイチャーは近い。

我々は今、何がバーチャル(実質)で、

何がマテリアル(物質)なのか区別がつくことなく、

解像度を超越し、その区別が

意味のない世界、人間の会話と

プログラムが生成する会話を

判別できない領域に突入しつつある。

時間と空間の概念理解がコンピュータの中での

データのやり取りとして抽象化され、

あらゆる物理現象の最適化のために

コンピューティングが分散化し自動化しうる。

その意味では知能化した

超自然ともいうことができるだろう。


「終章 思考の立脚点としてのアート、そしてテクノロジー


未来を予測する最適の方法としての」から抜粋


TelewheelChair(2017年)』は、機械知能と

人間知能を組み合わせた

電動車いすを志向するプロジェクトだ。

車いすは一世紀以上大きな変化がなく、

自分自身で操作する、

もしくは介護者が後ろに立って

操作する形となっていた。

高齢者や身体障碍者が健常者と同じように

生活するためには、技術を用いることで、

車いすを人的コストが低い状態で

利用できるように変えていかなければいけない。

例えば従来は車いすを利用する際に、

介護者が付き添う必要があった場合も、

このような遠隔技術を用いることで

付き添いの必要性を下げることができる。

AIとの組み合わせにより、身体障碍者の自立支援や

人間の自動搬送など、従来の車いすではできなかった

身体機能の補完が可能になる。

我々はデジタルネイチャーの向こうに、

高齢者、身体障碍者と健常者という分類がなく、

個々人が多様性を維持しながらも快適に過ごせる

社会を目指している。

ブロックチェーンでのVR共有など、視聴覚と

身体拡張の試みは、

前述した「JST CREST xDiversity」を

含め、多くの社会的働きかけとして行なっている。


さすがに養老先生が注目されていて、恐れ入りました。


独自の自国視点、<侘と寂>っていうのもイカしてる。


自分も車いすはなんとかならないのかと


思い続けて、はや30年くらい。


遠い昔、デザインスクールの卒業制作に、


一人でベッドに臥床が


可能な車椅子のプロトタイプを


作ったくらいなので


こういう発想は素晴らしいと共感した次第。


テクノロジーとの合わせ技の発想は、全くなかった。


(AIって概念が80年代にはほぼなかった)


最近の動向を調べたらやはり進化されていた


メタバース、スマートグラス。


34歳で、老いを感じたって、まだ若いでしょう。


でもこういう話って身の回りでもよく聞く。


介護・福祉への動機は当事者意識としてあったのですな。


自分の場合もそうだったけれど。


こういう人が新しい社会とか時代を


作っていくのかと思うと同時に、


大きなうねりになってほしいと願う。


その時自分は何ができているだろうか、なんて。


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リズムの生物学:柳澤桂子著(2022年) [’23年以前の”新旧の価値観”]


リズムの生物学 (講談社学術文庫)

リズムの生物学 (講談社学術文庫)

  • 作者: 柳澤 桂子
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2022/03/10
  • メディア: 文庫

最初の刊行は1994年というから、28年前。


今再刊されることに、何か曰くがありそうだ。


リズム、繰り返し、に人間が反応して安堵する不思議に


気がついたのは赤ちゃんをトントンすると


気持ちよさそうに眠るのを見た時だそう。


「学術文庫版あとがき(2021年)」から抜粋


リズムの効用を私自身実感したのは、そのずっと後、大人になってからである。

私は32歳の時、子宮内膜症と言われ、開腹手術を受けた。

術後あまり痛みが長く続くので、手術をしてくれた医師にそう訴えた。

すると「気のせいだろう」と、精神科へ行くように言われた。

精神科へ行くと「全くどこも悪くない」と外科へ戻された。

納得がいかないので病院を変えてみたが結果は同じで、腹痛は治らず、激痛が続いた。

 

ある時、救急車で病院へ運ばれる途中、あまりの痛みに耐えられなかった私は思わず、

「ダルマさんが転んだ、ダルマさんが転んだ」と口の中でつぶやき続けていたのだ。

なぜその時に、そんなことを言ったのか理由はよくわからない。

しかし、病院に着いた時には、不思議に痛みがかなり和らいでいることに気がついたのだ。

私にはその言葉が痛みを和らげる魔法の呪文のように思えた。

 

その後、「ダルマさんが転んだ」という言葉自体に痛みを和らげる効果がある訳ではなく、どんな言葉でもそれが口調よく繰り返せるものであれば、繰り返し唱えているとからだに何らかの効果があることが分かってきた。

要するに、言葉を繰り返し唱えていること自体に、呪文とての効果があったのである。


考えてみると、繰り返しのリズムが私たちの心に、さまざまな効果を与えてくれることは、日常の生活の中に沢山ある。

例えば、行進曲のリズムを聞くと心が躍るし、太鼓の響きに陶酔したりする。

韻を踏んだ詩を読むだけでもなぜか陶然となったりするのである。

口調の良い短い言葉の繰り返しが人の気持ちを落ち着かせ、痛みを和らげても少しも不思議なことではないだろう。


今まで述べてきたように、私はリズムに魅せられて、以前『いのちとリズム』という本著を

出版した。(中央公論社、1994年)

そのなかでリズムの存在を天体の動きから人間、さらに微生物の動きなどまで例示し、リズムの普遍性について論じた。

 

リズムはこの世界に存在する、あらゆる物質の構造を維持、そこに起こるさまざまな事象の秩序を保持しているかのようであると。

人々はさまざまなリズムを理解することによって先を予見、予測して安心した生活を送ることができるのであると。


昨日の池田先生の本とは正反対で、先を知ることは


安心するとおっしゃられている。


確かにそうだよなー、それが家族のことなら


尚更だったり。


でもなー、池田さんの「知って何になる、


今生きているだけでいいじゃねえか」も分かる。


それとも「リズム」の予測と


「先」の予測だと違うのかなー。同じなのかなー。


結局どちらとも言い切れない


優柔不断、附和雷同な立ち位置ができる


書籍という無限の力の恩恵を拝受・感謝すれば


今はいいか。疲れるし。


「21 文化とリズム 繰り返しの中の揺らぎ」から抜粋


「20 繰り返しと心の安らぎ」で私たちが時間的・空間的に繰り返されるものに

安堵感をもつ可能性を考えてみた。

しかし、私たちには退屈する、飽きる、という心理もある。

揺らぎを求めるようである。

 

ただし、その揺らぎは、あくまでも繰り返しの安らぎの中での揺らぎであろう。

私はこれまで、生命現象にみられるいろいろなリズムに存在する揺らぎについては

あまり触れないできた。

しかし、これらがすべて、素粒子の、あるいは原子の集合体に起こる確率的な現象であれば、揺らぎがあって当然とも言える。

 

すべての値は、平均値を中心にしてわずかに変動しているのである。

心臓の拍動や脳波ばかりでなく、星の輝きや川の音、風の速さなどにも揺らぎが見られ、その揺らぎの中にも単純な法則性のあることが分かっている。

この揺らぎが1/f揺らぎである。

 

私たちの心も文化や環境の中に揺らぎを求める。

掃き清められた庭に数枚の落ち葉、活け花にみられる非対称性、たちまち散ってしまう桜への恋慕。

日本人は特に環境に中に揺らぎをたいせつにする民族のように思える。

 

繰り返しに安らぎを見出す一方で、一度かぎりのもの、はかなさに私達は特別の感情を寄せる。

はかなさの中に悲しみを読み取り、それを美にまで高めていく。

悲劇の鑑賞を好むのには、このような美意識とともに日常性からの脱却という願望も

込められているのかもしれない。

 

私達が好むのが非遺伝的な文化や環境の中の揺らぎであっても、揺らぎを好むという性質の

少なくとも一部は遺伝的なものであろう。

 

しかし、日本人に環境の中の揺らぎを好むという特性があるとすると、揺らぎを求める心理の一部は学習によるものかもしれない。


日本人の独特の美意識については、同じようなことを


哲学者(と自分は思っている)の


ドナルド・キーンさんが仰っていた。


揺らぎを吹き飛ばす、悲劇の欲動は


例えば自分でいうと


村上龍(オールドテロリスト)、


三島由紀夫(金閣寺)、つげ義春(別離)を


思い出した。


吹き飛ばされない揺らぎ、面白い。


学習でも得られるかも、というのも興味深い。


最近寝る時によくSpotifyで「自然音」を流して


木々のさえずり、川の流れる音とかを聴いてて


すると、よく眠れる。


若い頃、妻と泊まったことのある


奥多摩の川の近くの宿なんかは


川のせせらぎが聞こえたのは風流だったし


妙に安堵感のあったのは


そういうことだったのかと思った。


 


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ゼフィルスの卵:池田清彦(2007年) [’23年以前の”新旧の価値観”]

ゼフィルスの卵


ゼフィルスの卵

  • 作者: 池田 清彦
  • 出版社/メーカー: 東京書籍
  • 発売日: 2007年
  • メディア: 単行本

「あとがき」から抜粋

しかし、最近の人を見ていると、何が起こるかわからないのは、楽しみというよりむしろ不安だ、と思っているようである。

予定通りに事が進まないと落ち着かない。

人間はいつか死ぬのだから、予定がすべてわかっているとすると、死ぬ日までわかっていることになる。

ここまで書けば誰だって、予定がすべてわかっているのは、恐ろしいことだとわかるはずだ

世界に予定などというのは実はないのだ。

未来は未決定なのだ。

決定されているのであれば、未来ではなくて過去ではないか

科学は長い間、初期条件さえわかれば、未来は予測可能であると僭称(せんしょう)してきた。

科学技術の奴隷となった

現代の都市の住民もまた、初期条件さえ厳密に整えておけば、未来をコントロールできると考えているのかもしれない。

未来におかしなことが起こるのは、現在のコントロールが足りないからというわけだ。

そこで無闇にルールを作って瑣末なことまでコントロールしようとする。


コントロールできないものは「悪」というか


「野蛮」という感覚なのかなあ、


現代の人たちの間では。


それは自分も含まっているのかなとも思う。


2000年ごろから法案とか規制とか


政治とか世界が作りすぎてて、がんじがらめで


テロを一例にされ決してなくなることはないし


ならば、それに縛られて失う労力の方が


もったいねえだろう、


というのは池田さんの大まかな言説。


だからって地震や災害は来るのだから備えよ


原発は危険すぎだよ日本にはってのも


すごくよく分かるし正しい考え方だと思う。


(この本では原発には触れてないけど)


「地球温暖化に思う」から抜粋


環境や健康に関する政策を遂行するためには科学的正当性が必要だが、政治・経済共同体は、自分たちに都合の良い科学者の説を恣意的に取り上げるようになり、研究費が欲しい科学者もまた、迎合する研究を進めることが多く、ここに巨大な政治・経済・科学共同体が出現することになる。

そうなると、湯水のように税金が使われてもこれを止める術はなくなる。

たとえば、地球温暖化が話題になって久しいが、その本当の原因はよくわかっていない

私自身は太陽の活動の周期が主たる原因であると思っているが、日本では二酸化炭素の人為的排出が

主たる原因であるとの説以外は滅多にマスコミに流されない。

今やNHKのニュースでは、「温暖化の原因となる」は「二酸化炭素」にかかる枕詞になってしまった。

何と言ったって、太陽が主因では人為的に防止策を講じることは不可能で、従ってそのために税金を使うことも不可能だからだ。


温暖化対策とは実は、環境関連官庁の利権と環境関連企業の儲けのための税金たれ流しにほかならない。

二酸化炭素の人為的排出は化石燃料を燃やす事に起こる。

だから、削減しようと思うならば、化石燃料の採掘を凍結する以外にない。

省エネとか、排出権取引とかの姑息な手段はマクロに見れば何の役にも立たない。

しかし、残念ながらこの当たり前の事実を報道するマスコミはほとんどない。


2006年(15年前)から


こういう言説をされているのは、


早いというべきではないか。


他にもいたのかなあ。キャッチできなかっただけで。


時代を感じるものもあるっちゃあ、あるけど


基本的には今もほぼ同じことを


おっしゃっているよね。池田先生。


よく言えば「一貫性ある」、


そうでないと「変わってねーな」なのか。


「変わんなくていいんだよ、先のことなぞ


なんか考えてもしょうがない」


と仰りそうだなあと。


言い方が、ちと乱暴なので、好みが分かれる所


かもだが、なんか嫌いになれないのだよな。


養老先生に似ている文体なのも嫌いになれない。


余談で自分の印象だが養老先生って「太陽」で


池田さんはどちらかというと「月」なような。


そこにシンパシーを感じるのだろう。


地球規模のマクロ、からミクロに話は移り


「体の悲鳴を聞く耳」から抜粋


若い時は、体はいつも完璧でなければ気に入らなかった。

少しでも具合が悪いとすぐに病院に行って治すように心掛けていた。

実際にそれですぐに治ったものだから、病気とは治るものだと思っていた。

それが30代の後半に二週間ほど毎日徹夜で虫採りをして体をすっかり壊して以来、一日たりとも体が完璧なことはあり得なくなってしまった。

最初のうちは病院に行って色々検査をしたり、薬を飲んだりしていたが、一向に埒が明かない。

体のことが気になって仕事もはかどらないし、第一遊んでいても余り楽しくない。

何となく頭がボーっとしているし、時々フラフラするような気もする。

そんなある日、車を運転していて崖から落ちたことがあった。顔から血がたくさん出て、

全身打撲でアザだらけになり、38度以上の熱が一週間くらい続いた。幸い命に別状はなく家で数週間ほど寝ているうちに治ってしまった。

まあ、命拾いしたわけだが、この事故でモヤモヤした気分が吹っ切れた。

体の調子は相変わらず余り良いとは言えなかったが、体は完璧でなければならないという呪縛から

自由になった。

体の調子が少々悪くても、生きるのにそれほど不自由なわけではない。

だましだまし生きられればそれでいいと思えるようになった。


自分の体は医者まかせにするのではなく、自分で管理するのが一番だと思う。

自分で管理するとは健康診断の検査項目の数値を見ることではなく、体の悲鳴を聞く耳と

余裕をもつことである。

体が休ませてくれと言っているのに休ませないで薬漬けにしておいたのでは、体がいつかストライキを起こすに決まっていると私は思う。


最近ふと思うことがあるのだけど、


心って身体の一部なのではないかと。


心は脳だ、というのは違和感があり


(言わない人もいるだろうけど)、


心は身体、というのは、ちと乱暴な物言いかな。


そして自然と生物は一緒という気もするのだけど。


そんなん使い古された考え方だとも言われそうだが


50歳をとうにすぎて自分としては


身にしみて感じる今日この頃なんですが。


そして話は池田先生の書籍に戻りまして


今はどうか存じ上げないけど


パソコンは使わないというのが面白かったので


「eメール」から抜粋


世間はIT革命とやらで何やら騒がしいが、私は原稿を書くのにパソコンはおろかワープロも

使ったことがない。

1998年に哲学者の中村雄二郎氏と二十一世紀へのキーワード インターネット哲学アゴラ 生命と題する本を作ったことがある。

インターネットで中村氏と私がメールのやりとりをして、それに対し誰もがネット上で意見を述べることができるという趣旨の企画をしたのだ。

文章を書いたのはもちろん私だが、パソコンを操作したのは女房である。

私はといえば、女房に頼むより原稿を速達で送っちまった方が手っ取り早い、などとうそぶいていたのだから、『インターネット哲学アゴラ 生命』は実は羊頭狗肉のようなものだ。

ついでに書けば、羊の肉よりも犬の肉の方が本当はうまい。


池田先生、最後の一言は明らかに多いです!


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