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生き延びるための流域思考:岸由二著(2021年) [’23年以前の”新旧の価値観”]

生きのびるための流域思考 (ちくまプリマー新書)

生きのびるための流域思考 (ちくまプリマー新書)

  • 作者: 岸 由二
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2021/07/08
  • メディア: 新書

著者は鶴見川の氾濫を経験されてきた

災害当事者の目線で描かれている進化生態学者。

自分も川の近くで仕事していたり、

家も少し離れてはいるが鶴見川があるし

それといつもで恐縮ですが養老先生が

他の対談でお話しされてたので拝読。

 

長いまえがき<なぜいまこの本を出版するのか>から抜粋

豪雨災害の時代がはじまっている

ここ数年、豪雨の災害が続いています。

小さな川(中小河川)の氾濫だけではなく、鬼怒川、球磨川、最上川など、大きな一級河川が氾濫し、多大な被害が広がっています。

丘陵・山地では、斜面を駆け下る土石流によって、多くの人命が奪われました。

この傾向は、おそらく一過性の現象ではありません。

地球規模の気候変動によってこれからも続く、あるいは、さらに厳しくなると考えられます。

わたしは、都市河川の下流域で何度も大きな水害を体験してきました。

同時に地域の治水安全・実験的な防災活動に長く関わってきた市民の一人です。

また、都市の自然環境の保全や水土砂災害の防災(または減災)に強い関心をもつ生態学者としての日常もあります。

治水や自然保護に関する国や自治体の審議会委員なども長く経験した研究者の一人として、この課題を大急ぎでまとめる必要があると感じてきたのです。

「「流域」を知らないと命が危ない」から

まずは、「地図」が問題です。豪雨を引き起こす水土砂災害は、大小のスケールにかかわらず、「流域」という地形や生態系が引き起こす現象です。

「流域」とは、雨の水を河川・水系の流れに変換する大地の地形のことです。

「流域」の構造を知ることで、水土砂災害に備える考え方や行動ができるのですが、実際には、私たちが利用する通常の地図にはほとんど反映されていないのです。

河川に大量の雨水を集める大地の広がりは「流域」であり、雨水や降水による氾濫やさらにそれらを水土砂災害を引き起こす川の流れに変換するのは、「流域」という地形であり、生態系です。

つまり氾濫を起こすのは、川ではなく「流域」なのです。

これが、水土砂災害を考える上で、わたしたちがいま確認すべき、最も重要なポイントです。

まずは冒頭では「流域思考とは、流域という地形、生態系、流域地図に基づいて工夫すれば、豪雨に対応する治水がわかりやすくなる。

さらには、生物多様性保全(自然保護)の見通し、防災・自然保護を超えた暮らしや産業と自然との調整の見通しも良くなる」という従来からわたし、そして共に実践を進めてきた市民活動の主張を表現することばとして理解していただければ幸いです。

これまで実践を進めてきた活動は、鶴見川流域と三浦半島・小網代という地域にほぼ限定されていますので、まだ全国へ広く普及された用語、概念というわけではありません。

とはいえ、「流域思考」という表現でくくられるものの見方、考え方、方法は、治水の現場では展開されてきた国や自治体の努力から学び、国や自治体や市民運動が推進する自然保護活動でその有効性が実証され、ここから未来を目指す試みがはじまっているとわたしは理解しています。

だからこそ今、温暖化による未来の危機を展望して流域治水の方針を明示した国の動きにも励まされ、その有効性をあらためてアピールしておく必要があると思い立ったのです。

単純に言葉通りの「流域」ってイメージではないよとうこと。

多くの人との対話でなされるもの、

一人では絶対に実現不可能なものの総称のようなものなのかな。

 

「第二章 鶴見川流域で行われてきた総合治水

土地利用の変化でさらに被害が拡大」 から

1958年鶴見川流域の市街地率は10%と記録されています。

流域のほとんどは田園風景で、上中流部で当時市街化されていたのは、鶴川、玉川学園周辺、長津田、中山周辺のみ。密集市街地のほとんどは、下流域の横浜市鶴見区、川崎市幸区の一帯に広がっていました。

重厚長大といわれた重工業時代の京浜工業地帯が流域下手の埋立地に展開していた鶴見川流域は、その下流部(わたしが育った地域)に、全国から労働者が集まり、住商工混在の市街地が形成されていました。

75年、流域の市街地率は一挙に60%に跳ね上がりました。

東京オリンピックのあった64年前後から、鶴見川流域では、源流、上流、中流を問わず。激しいベッドタウン開発が進み、中・上流の丘陵・台地にひろがっていた田園地帯はまたたく間に市街地へと変わっていきました。この状況を受け、66年、76年、77年の大水害が発生しています。

70年代には、本流中流部東側の丘陵地の過半を対象とする港北ニュータウンの構想による大開発が進み、市街地率はさらに高まります。

2000年にはついに85%を超え、現在では87%近くまでに及んでいるはずです。

この激しい市街地化に伴う保水・遊水力の急速かつ大規模な低下こそ、戦後の鶴見川流域に大水害をもたらした主因なのです。

鶴見川は自分も家が近かったから、この流れはよくわかる。

しかも水が汚染されてて大変だったよ、鶴見川の70年代は。

よく新聞とかテレビに出てた記憶あります。

 

「総合治水・流域整備計画はどのように行われたのか」 から

1980年にスタートした鶴見川流域総合治水対策を推進する行政組織は、「鶴見川流域総合治水対策協議会」と呼ばれました。

計画の基礎となったのは、流域の土地利用についての方針です。

都市計画の領域では、すでに市街地区域、市街地化調整区域などの土地利用の指定が流域関連自治体すべてに示されていたのですが、それとはまったく別に、水循環に関わる特性に基づき、流域全体が

①保水地域、②遊水地域、③低地地域

の三つに大別され、それぞれの地域でどのような治水対策を重視するのかという指針が示されました。

「排水能力を強化して遊水地の確保を」 から抜粋

1970年代末から鶴見川下流部で実施された大規模浚渫(しゅんせつ)は、下流に到達する大洪水を速やかに海へ排水するための作業でした。

護岸の整備もすすみました。各所に堤防のない無堤区間が残っていたため、豪雨時の下流域の町の浸水はそもそも不可避であったという事情があります。

1982年、秋の大洪水を受けて、河口から2キロ地点左岸の最も危険な無堤地区に護岸ができました。

川辺の土地利用に関する企業と行政の調整がまとまるまでに、それほど時間がかかったのです。

川辺に多数の住居が密集していた河口生麦まで地域の調整が進み、築堤が完成したのは2007年のことでした。

下流部における最大の河川整備は、新横浜地区の鶴見川多目的遊水地です。こちらは2003年に完成しました。

丘陵地から駆け下る洪水を最初に受ける大蛇行地点(大曲(おおまがり))の上流右岸に広がる水田地帯84ヘクタールを河川区域として買収し、湛水(たんすい)量(水田などに水をたたえること)最大390万平方メートルの大規模都市遊水地を建設したものです。

同地は治水用の施設ですが、その大半を横浜市が公園、総合競技場を含むスポーツ施設や自然保護の領域として活用しているので、「多目的遊水地」と呼ばれています。横浜市の管理する公園が豪雨時に遊水地になるというわけではありません。治水のための遊水地(河川区域)の一部が公園として利用されるという形です。

神奈川県は、中・上流の区間で洪水を安全に流す能力を向上させるために河川幅の拡大、親水整備(安全で快適な水辺空間を工夫する整備)を含む護岸を進めています。同時に、中流区間左岸に一ヶ所、上流区間の右岸に一ヶ所、それぞれ10万平方メートル規模の地下遊水地を整備しています。

「下水道の整備」 から

河川の整備と並行して下水道の整備も進みました。

1950年代になり、本流下流域の横浜市域の低地地域で大型の下水管が設置されて、ポンプ場が整備され始めました。

現在の鶴見川水系には21ヶ所のポンプ場が配置されています。

下水道の基本機能は、家庭などからの生活雑排水を下水処理場に集め、活性汚泥法で浄化することです。あまり知られていないことですが、実は治水の世界でも内水氾濫の阻止・減災の分野でも多大な役割を果たしているのです。

本題とは逸れますが、鶴見川流域では、1970年代に全国一級河川の中でも筆頭ランクの汚染にさらされた水質も流域7ヶ所に設置された大規模な下水処理場の働きで見事に処理され、今では都市河川としては実質的に清流に近い状態まで改善されています。

「300mm規模の豪雨でも大氾濫しない川に」 から

1982年には、200mm越えの雨によって、私の実家のあった鶴見川下流左岸地域は再び3,000件規模の大洪水に襲われたのでした。

しかしこの水害を最後に、以降今日にいたるまで、300mm近い豪雨があっても、鶴見川流域に大氾濫はないのです。

2014年には、鶴見川における戦後二番目にあたる322mmの豪雨が襲ったにもかかわらず、外水氾濫は起きませんでした。

(局所的な床下浸水が数件あったとされています)。

完成し、すでに機能を開始していた鶴見川流域多目的遊水地も、154万立法メートルの洪水を湛水し、大活躍したのでした。

「大型台風襲来も多目的遊水地が大活躍しラグビーの試合は開催」から抜粋

競技場では、大風襲来翌日13日(2019年10月)日本とスコットランドのラグビー戦が予定されていました。

豪雨の襲った12日の夕方には本川(ほんせん)から洪水(大雨の水)が越流して、競技場下の投擲(とうてき)場まで水没しはじめたのです。

この段階で「明日の競技は大丈夫か?」との全国報道もあったのですが、洪水の湛水は94万立方メートルにとどまり、翌日にはラグビーの世界戦も無事実施され、日本が解消したことは周知の事実です。

実はこの時、英国の報道が「日英のラグビー戦のおこなわれている総合競技場は、下流の町を水害から守るための巨大な遊水地の中に、1000本を超す柱で支えられている」と、遊水地を絶賛したのでした。

しかし、同時にこの評判が困惑、誤解も生みました。

(略)

決して誤りではないのですが、流域治水、総合治水を推進する鶴見川流域の防災事情から言えば、大きな誤解にもつながるのです。

2019年、台風19号の豪雨から、鶴見川流域下流の低地帯を守ったのは新横浜多目的遊水地そのものではなく、町田市、川崎市、横浜市西部の丘陵地隊の諸都市が総合治水関連の努力によって確保してきた緑・田畑、そして多数の雨水調整池が、河川法、下水道法の法定義務の外で大規模な保水を実現し、河川法対策である多目的遊水地を見事に補佐したというのが、正しい理解と言うことなのです。

英国のメディアも正しい理解を伝えたいというよりは、

ラグビーのニュースがメインだったならば

そんなことあったよ程度の報道だったのだろうね、求められっぷり的に。

同様の研究や課題を抱えてる人だったら感度が高いから、

調べるかもしれないけど、他国のメディアだと

おおよその感じだけで、そこまで不要なのでしょうね、

正しい理解というのは。

 

第三章 持続可能な暮らしを実現するために

1 生命圏最適応という課題

地球環境は危機の真っ只中 から抜粋

人類のめざす未来についてはさまざまな意見があります。

「産業文明が生命圏に適応することは不可能に決まっている。

人類は都市をエンジンとする産業文明を捨てて、生命圏に溶け込む脱科学の素朴な共同体型の未来を選ぶしかない」

と考える人もいます。

「いや、人類は科学技術の力をさらに強化し、生命圏全体コントロールするばかりか、生存世界を宇宙にも広げてゆくのだ」

と、勇ましく考える人もいます。

わたしはいずれの意見にも反対です。

想像を絶する悲惨な展開なしに、産業文明を廃止することなど、できるはずがありません。

地球を捨てて、宇宙へ移動すると言うのは夢物語でしょう。

過去数百年の人類の歴史でみれば、未来は先例のない変化になるかもしれませんが、人類はそこに生き続けるしかありません。

しっかり工夫すれば、たとえ大規模な環境改変が続いたとしても、都市をエンジンとする産業文明は、地球での持続可能な暮らしを実現できると、わたしは考えています。

その鍵の一つが、地図の問題だとわたしは考えています。

生命圏と持続可能に付き合ってゆく地図の工夫が大きな課題なのだと思うのです。

私の提案は流域思考。

今私たちの日常が依拠している地図は、国や県や、さまざまな行政てきな単位で区切られたもの。

そんな地図に基づく活動が、豪雨・水土砂災害を筆頭に、すでに様々な不適応を起こしています。

水循環の大撹乱が、生命圏規模で引き起こしてゆくだろう豪雨の時代への適応を進めてゆくには、暮らしの地図の領域に、流域という地形、生態系を単位とする「流域地図」を導入してゆくのがいい。そんな地図を、大小の規模にかかわらず活用し、防災、環境保全の工夫を進めてゆく流域思考が、生命圏再適応のカギとなるというのが、わたくしの意見なのです。

「流域地図を共有しよう」から

本論で取り上げた、行政区ごとに作成された氾濫ハザードマップは象徴的です。

ある規模の豪雨が降るとあなたの自宅が何メートルで水没するか地図で明示されても、二階に逃げるか、学校に逃げるか、事前準備ができる程度で、そもそも治水に備える広報活動も、行政間の連携も、その地図には示唆されていません。

豪雨に対応して発生する氾濫は、行政区で起こるのではなく、豪雨を洪水(何度も繰り返しますが、豪雨時の川の流れを洪水と言います)に変換する流域という大地の構造、生態系が引き起こす現象だからです。

行政地図をいくら詳細に見つめても、豪雨氾濫のメカニズムは分かりません。

行政地図で区切られたハザードマップを頼りに都市の温暖化豪雨への適応策について、市民がどれだけ意見を交換し、ビジョンや計画を工夫しても、わたしたちの暮らしの場、ひいては生命圏に発生する豪雨、水土砂災害の危機の理解に到達することはできないでしょう。

しかし、流域地図が整備され、広く市民にも共有されていれば話は別です。

「流域は大地の細胞」から

流域という地形は、雨の降る大地を下図にしてGoogle Earthの衛星写真をみれば、緑や市街地の広がる衛星写真の光景が、流域という水循環の単位に区分けされて、新たな様相でみえてくる。

流域地形、流域生態系の基本構造や基本機能が広く理解されていれば、区画ごとに雨に対応する水のコントロール、水循環に対応する生物多様性の保全の課題が、衛星写真そのままで見えてくるはずなのです。

専門的な分析は難しくとも、その概要は、少し予習のできた市民や学生にも、おおよそ理解できるようになるはずなのです。

流域という水循環の単位、特殊な地形だからこそ実現できる、不思議な効果というべきでしょう。

流域地図を下図におけば大地の見え方に、根本的に新しい視野がひらかれます。

水土砂災害や生物多様の保全の理解に、容易につながる見え方が開かれるのです。

世界の科学の歴史の中に似た事例を探すことができます。

今、私たちの医療は、細胞医学と言われることがあります。

人体を解剖すれば様々な臓器や体液など複雑な構造が確認できます。

しかしその複雑さからはじめる伝統的な医学は、統一的で有効な現代医学につながることなく、さまざまな伝統医療を生み出しました。

有名な事例の一つは体液医学とも呼ばれるものです。

その流派は人体の不調には各種の体液バランスのくずれが関与していると考えました。

その理解をもとにした治療の一つに瀉血(しゃけつ)があったことを知っている読者もおられることでしょう。

医院にゆくとバットとナイフがあり、医師の判断で、血液やリンパ液が抜かれました。

モーツァルトも、アメリカ合衆国初代大統領ワシントンも、瀉血治療が元で亡くなったといわれています。

人体は細胞で構成されているという認識を基本とする現代医学になじんでいる私たちには理解できない世界なのですが、そもそもすべての生物が細胞でできているという仮説が科学の世界に登場したのは1880年代半ば。

細胞という存在を、対象の測り方を間違えていたら、有効な適応を進められるはずがありません。

人工的な区画や、さまざまな特殊な区画で地球を測るばか基本として生物、人体を見る視野のなかった時代、人体の測り方がうまくゆかなかったのは仕方のないことなのでした。

医学が人体を対象とする科学技術だとすれば、防災や生物多様性保全は、生命圏を対象とする科学技術ですりの対応は、細胞節以前の医学の状況かもしれないのです。

その困難を乗り越える方法として、私は、流域という地形、生態系の地図を使ってみようと提案しています。

流域は生命圏への文明適応の要となる大地の細胞のような地図だと、考えているからです。

流域思考の時代、流域治水の時代は、地球の測り方の大きな転換の時代になるのかもしれないと思うのです。

「流域思考」という考え方、用語

どこまで浸透するかは、不明だけれど、

岸さんの考えによって多くの人の命が

救われているというのは事実で

この流れを継承、横展開するとか、によって、

国土計画とか治水計画とか、ひいては地球環境とか

良き方向に行くようにも思うような

予感がするのは自分だけかな。

科学的データに基づき、仮説、

賛同得て、説き伏せ

実行、検証、改善って

昔から言われてるPDCAってやつだけど

それには「強い動機」が必要というのが

あらためて気付かされた本だった。

養老先生と対談も読んでみたい。


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