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リズムの生物学:柳澤桂子著(2022年) [’23年以前の”新旧の価値観”]


リズムの生物学 (講談社学術文庫)

リズムの生物学 (講談社学術文庫)

  • 作者: 柳澤 桂子
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2022/03/10
  • メディア: 文庫

最初の刊行は1994年というから、28年前。


今再刊されることに、何か曰くがありそうだ。


リズム、繰り返し、に人間が反応して安堵する不思議に


気がついたのは赤ちゃんをトントンすると


気持ちよさそうに眠るのを見た時だそう。


「学術文庫版あとがき(2021年)」から抜粋


リズムの効用を私自身実感したのは、そのずっと後、大人になってからである。

私は32歳の時、子宮内膜症と言われ、開腹手術を受けた。

術後あまり痛みが長く続くので、手術をしてくれた医師にそう訴えた。

すると「気のせいだろう」と、精神科へ行くように言われた。

精神科へ行くと「全くどこも悪くない」と外科へ戻された。

納得がいかないので病院を変えてみたが結果は同じで、腹痛は治らず、激痛が続いた。

 

ある時、救急車で病院へ運ばれる途中、あまりの痛みに耐えられなかった私は思わず、

「ダルマさんが転んだ、ダルマさんが転んだ」と口の中でつぶやき続けていたのだ。

なぜその時に、そんなことを言ったのか理由はよくわからない。

しかし、病院に着いた時には、不思議に痛みがかなり和らいでいることに気がついたのだ。

私にはその言葉が痛みを和らげる魔法の呪文のように思えた。

 

その後、「ダルマさんが転んだ」という言葉自体に痛みを和らげる効果がある訳ではなく、どんな言葉でもそれが口調よく繰り返せるものであれば、繰り返し唱えているとからだに何らかの効果があることが分かってきた。

要するに、言葉を繰り返し唱えていること自体に、呪文とての効果があったのである。


考えてみると、繰り返しのリズムが私たちの心に、さまざまな効果を与えてくれることは、日常の生活の中に沢山ある。

例えば、行進曲のリズムを聞くと心が躍るし、太鼓の響きに陶酔したりする。

韻を踏んだ詩を読むだけでもなぜか陶然となったりするのである。

口調の良い短い言葉の繰り返しが人の気持ちを落ち着かせ、痛みを和らげても少しも不思議なことではないだろう。


今まで述べてきたように、私はリズムに魅せられて、以前『いのちとリズム』という本著を

出版した。(中央公論社、1994年)

そのなかでリズムの存在を天体の動きから人間、さらに微生物の動きなどまで例示し、リズムの普遍性について論じた。

 

リズムはこの世界に存在する、あらゆる物質の構造を維持、そこに起こるさまざまな事象の秩序を保持しているかのようであると。

人々はさまざまなリズムを理解することによって先を予見、予測して安心した生活を送ることができるのであると。


昨日の池田先生の本とは正反対で、先を知ることは


安心するとおっしゃられている。


確かにそうだよなー、それが家族のことなら


尚更だったり。


でもなー、池田さんの「知って何になる、


今生きているだけでいいじゃねえか」も分かる。


それとも「リズム」の予測と


「先」の予測だと違うのかなー。同じなのかなー。


結局どちらとも言い切れない


優柔不断、附和雷同な立ち位置ができる


書籍という無限の力の恩恵を拝受・感謝すれば


今はいいか。疲れるし。


「21 文化とリズム 繰り返しの中の揺らぎ」から抜粋


「20 繰り返しと心の安らぎ」で私たちが時間的・空間的に繰り返されるものに

安堵感をもつ可能性を考えてみた。

しかし、私たちには退屈する、飽きる、という心理もある。

揺らぎを求めるようである。

 

ただし、その揺らぎは、あくまでも繰り返しの安らぎの中での揺らぎであろう。

私はこれまで、生命現象にみられるいろいろなリズムに存在する揺らぎについては

あまり触れないできた。

しかし、これらがすべて、素粒子の、あるいは原子の集合体に起こる確率的な現象であれば、揺らぎがあって当然とも言える。

 

すべての値は、平均値を中心にしてわずかに変動しているのである。

心臓の拍動や脳波ばかりでなく、星の輝きや川の音、風の速さなどにも揺らぎが見られ、その揺らぎの中にも単純な法則性のあることが分かっている。

この揺らぎが1/f揺らぎである。

 

私たちの心も文化や環境の中に揺らぎを求める。

掃き清められた庭に数枚の落ち葉、活け花にみられる非対称性、たちまち散ってしまう桜への恋慕。

日本人は特に環境に中に揺らぎをたいせつにする民族のように思える。

 

繰り返しに安らぎを見出す一方で、一度かぎりのもの、はかなさに私達は特別の感情を寄せる。

はかなさの中に悲しみを読み取り、それを美にまで高めていく。

悲劇の鑑賞を好むのには、このような美意識とともに日常性からの脱却という願望も

込められているのかもしれない。

 

私達が好むのが非遺伝的な文化や環境の中の揺らぎであっても、揺らぎを好むという性質の

少なくとも一部は遺伝的なものであろう。

 

しかし、日本人に環境の中の揺らぎを好むという特性があるとすると、揺らぎを求める心理の一部は学習によるものかもしれない。


日本人の独特の美意識については、同じようなことを


哲学者(と自分は思っている)の


ドナルド・キーンさんが仰っていた。


揺らぎを吹き飛ばす、悲劇の欲動は


例えば自分でいうと


村上龍(オールドテロリスト)、


三島由紀夫(金閣寺)、つげ義春(別離)を


思い出した。


吹き飛ばされない揺らぎ、面白い。


学習でも得られるかも、というのも興味深い。


最近寝る時によくSpotifyで「自然音」を流して


木々のさえずり、川の流れる音とかを聴いてて


すると、よく眠れる。


若い頃、妻と泊まったことのある


奥多摩の川の近くの宿なんかは


川のせせらぎが聞こえたのは風流だったし


妙に安堵感のあったのは


そういうことだったのかと思った。


 


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