日本再興戦略:落合陽一著(2018年) [’23年以前の”新旧の価値観”]
「なるべく注釈だけで説明を終わらせることなく、
文章中で解説し、平易な日本語を心がけています」
ということで、同じ筆者の異なる書籍
『デジタルネイチャー(2018年)』よりも
格段に読みやすかった。
テーマが圧倒的に異なるからね。
そして、本当に本当に僭越でございますが
20歳も上の者が言うのも違和感あり
学歴から考えて口幅ったいものございますが
なんか感覚とか感性が
少しだけ近い気もするのは
今この時期だけのまったくの妄想だろうね。
人間存在や国家ビジョンなどの我々のアイデンティティに関わる分野を聖域的にとらえ、それからすればテクノロジーを些細な一分野であるような見方をする人々もいます。
しかしながら我々はテクノロジーによって知を外在化し、生活を拡張し、人間存在それ自体の自己認識を更新し続けてきたのです。
テクノロジーという人の営みが生んだ文化を見直し、テクノロジーが刷新する人間性や文化的価値観を考慮することは、これからの人の営みにおいて不可欠であり、自然の中から生まれた人間存在は、人間が生み出したテクノロジーによる新たな自然を構成することで自らの存在や定義という殻を破り、更新されうると僕は考えています。
はじめに:なぜ今、僕は日本再興戦略を語るのか?
「欧米」という概念を見直す から抜粋
そもそも、日本は国策によって急激に近代化を果たした国です。
明治時代以降に我々が手本にしたのは、いわゆる欧米型といわれる欧州型と米国型でした。
明治維新では、主に欧州型を手本にして、1945年以降は、米国主導で、戦勝国型を手本にして国を作ってきました。
この欧州型と米国型が合わさって、「欧米」という概念になったわけですが、それをもう一度見直してみるのもこの本の趣旨です。
「欧米」なんてものが本当にあるのか?「欧州型」「米国型」とは具体的に何を意味するのか?
日本にも考える基軸は絶対にあるはずです。
我々は他の国に引けを取らない長い歴史を持ち、歴史の中で何度もイノベーションを起こしてきました。
たとえば幕末や明治の変革を起こした若い人たちは、時代の変革点において、自分の頭を使って、考える基盤をつくり出し、それを共有した上で行動を起こそうとしていました。
たとえば、吉田松陰は29歳で亡くなっていますが、当時、できてからわずが数年の私塾に過ぎないにもかかわらず、彼の思想は大きな影響力を世の中に与えましたし、現代にも引き継がれています。
その徹底的な現場に即した生活と議論は高杉晋作や伊藤博文などの多くの傑物を育て、明治期の変革を生み出しました。
吉田松陰が残した「狂え」というメッセージは、当時の時代の変化が今の我々の対面している計算機時代と同様、並大抵のものではなかったことを示しているようです。
吉田松陰さんは高校の時、荻に行った際
松陰神社を訪れ、ひっそりとした土産屋で
財布を購入し、その後しばらく使っていたという
縁もございまして、だがしかし
だからなんだって感じでございます。すみません。
高度経済成長の3点セット から抜粋
結局、高度経済成長の正体とは、「均一な教育」「住宅ローン」「マスメディアによる消費社購買行動」の3点セットだと僕は考えています。
つまり、国民に均一は教育を与えた上で、住宅ローンにより家計のお金の自由を奪い、マスメディアによる世論操作を行、新しい需要を喚起していくといく戦略です。
物質的には豊かになっていった高度経済成長の時代において、これは別に悪い戦略ではなく、むしろ良い戦略でした。
ただし、今の状況でこの戦略を続けていくと、日本人一人当たりの生産性はどんどん下がっていきます。機械親和性(※)が低く、代替性の高い人類を生産する仕組みだからです。
※=機械親和性:機械を活用しながら業務や問題把握、自分の身体感覚との接続を行なって、行動に生かす能力。
落合陽一の三つの再興戦略 から抜粋
これからの日本最高のために大切なのは、各分野の戦略をひとつづつ変えるのではなく、全体でパッケージとして変えていくことです。
ひとつ目は、経営者として社会に対してより良い企業経営をすることです。
僕らのコンピューテーショナルな最先端技術や少数精鋭の企業体としてのフットワークの軽さと、大企業の持つ製造ライン、交渉力、営業能力を組み合わせることによって、今までと違うスタイルのイノベーション開発を目指しています。
2つ目は、メディアアーティストとしての活動です。
メディアについて考えるのは、文化について考えることでもあります。
3つ目は大学での活動です。
日本の大学はどうあるべきかを考えて、グランドデザインすること、そして今、見える数十年先を明確にイメージしてコミットすることが自らの責務だと思っています。
それと同時に、教員としては、世界レベルの研究をし続けないといけませんし、その中で次の時代を担う若者たちを育てていかなくてはなりません。
我々の世代の次の一手で、日本のこの長きにわたる停滞は終わり、戦況は好転する。僕はそう確信しています。
バックグラウンドとビジョンを拡張し、世界に貢献する。日本にとって、世界にとって、今ここが「始まったばかり」なのです。
第1章 欧米とは何か
「ワークライフバランス」から「ワークアズライフ」へ から抜粋
西洋的思想と日本の相性の悪さは、仕事観にもあらわれています。
今は、ワークライフバランスという言葉が吹き荒れていますが、ワークとライフを二分法で分けること自体が文化的に向いていないのです。
日本人は仕事と生活が一体化した「ワークアズライフ」のほうが向いています。
無理ではなく、そして自然に働くのが大切なのです。
以前『WIRED』で、
「旅行に行くときもスマホを持っていくとオンとオフの区別がつかないので良くない」
という趣旨の記事があったのですが、これも日本的にはあまり向かない考え方なのでしょう。
オンとオフの区別をつける発想自体がこれからの時代には合いません。
無理なく続けられることを、生活の中に入れ込み複数行うのが大切なのです。
日本人は古来、生活の一部として仕事をしていました。
繰り返しますが、ストレスで死んでしまったら元も子もないので、ストレスがないことが重要です。ただ、本人がストレスを感じていないのであれば、仕事をし続けるのも、旅行先でスマホをいじり続けるのも、別に問題はありません。
つねに仕事も日常になったほうが、アップダウンの波がない分、むしろ心身への負荷が低いと言えます。
だから、我々が西洋的な「ワークライフバランス」の発想にとらわれる必要はないのです。
むしろ、そうした発想のままでいると、日本を再興することはできません。
明治時代の時にもいきなり西洋化したのですから、我々は今、いきなり東洋化しても良いのです。
これはおそらく歴史の揺り戻しでしょう。個人と集団、自然化と人間中心の間でものを考える中で、今は、自然で集団の時代に突入しているのです。
自分も仕事をしていると、プライベートでも考えてしまう性分のようで
なかなか頭切り替わらないのだけど、それって悪いことだとは思えなかった。
落合さんのこの文を読んで、自分の考え、というか
アイデンティティが肯定された気がした。
第7章:会社・仕事・コミュニティ
「自分探し」より「自分ができること」から始める から抜粋
つまり、我々が持っている人間性のうちで、デジタルヒューマンに必要なものは、
「今、即時的に必要なものをちゃんとリスクを取ってやれるかどうか」
です。
リスクをあえて取る方針というものは、統計的な機械にはなかなか取りにくい判断です。
ここをやるために人間がいるのです。
言い換えると、近代的な人間性は
「自分らしいものを考え込んで見つけて、それを軸に、自分らしくやって生きていこう」
という考え方であり、デジタルヒューマンは、
「今やるべきことをやらないとだめ」
という考え方だと考えます。
要は、タイムスパンが全然違うのです。
そして、やったことによって、自分らしさが逆に規定されていきます。
よく学生さんにアドバイスを求められるときに言うのですが、これからの時代は、「自分とは何か」を考えて、じっくり悩むのは全然良くありません。自分探し病はだめな時代です。
それよりも、「今ある選択肢の中でどれができるかな、まずやろう」みたいなほうがいいのです。
おわりに:日本再興は教育から始まる から抜粋
読者のみなさんにあらためて言いたいのは
「ポジションを取れ。とにかくやってみろ」
ということです。
ポジションを取って、手を動かすことによって、人生の時間に対するコミットが異常に高くなっていきます。
ポジションを取るのは決して難しいことではありません。
結婚することも、子供を持つことも、転職することも、投資することも、勉強することも、すべてポジションを取ることです。
世の中には、ポジションを取ってみないとわからないことが、たくさんあります。
わかるためには、とりあえずやってみることが何より大切なのです。
「ポジションを取れ。批評家になるな。フェアに向き合え。
手を動かせ。金を稼げ。画一的な基準を持つな。
複雑なものや時間をかけないとなし得ないことに自分なりの価値を見出して愛でろ。
あらゆることからトキメキながら、あらゆるものに絶望して期待せずに生きろ。
明日と明後日で考える基準を変え続けろ」
とTwitterに書きました。
これが僕から読者のみなさんへの最後のメッセージです。
日本の凋落とこれからの道筋を、
新しい感覚で書かれているのが爽快。
江戸、明治から近代、イノベーションの出現、
出てきた時の社会の反応とか。
エジソン、フォード。産業革命以降の世界。
それから国防、外交、政治についてなど。
経済摩擦とか歴史史観とかファクトで語るだけではなく
独自視点と考察があるのが読んでて痛快。
ゆえに、敵も多そうだ。
天才の一人なんだろうな。新しいタイプの。
会社もやって学者もやってってバランスを
取っているのだろうけど
それも頭良いと言わざるを得ない。
若い人向けに書かれた書籍だけど
それ以外でも通用するのではないかと思った。
「デジタル」と「アナログ」が混在する中に
我々は生きていて何かとその対比で
物事を捉えがちだけど
それはもう古い価値観に置き換わろうと
している、いわば端境期
みたいなところにいるのかもしれない。