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街場の芸術論:内田樹著(2021年) [’23年以前の”新旧の価値観”]


街場の芸術論

街場の芸術論

  • 作者: 内田 樹
  • 出版社/メーカー: 青幻舎
  • 発売日: 2021/05/27
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

この先生を知るきっかけは有名な「日本辺境論」でも


「寝ながら学べる構造主義」でもなくて


何度かここでもお伝えしております「ラジオデイズ」でした。


その鼎談とでもいうか、その音源の大人たちの会話を


子供が生まれたばかりの頃、


家からあまり出れない休日、聴き続けてたという


何でかわからないけど、会話が面白かったとしか


言いようがなかったのだけど、その後


10年くらい前、「日本辺境論」を読んで、


間空いてからの、最近いろいろ


拝読させていただいている次第です。


本書は表現の自由、言論の自由というわりと原理的な(硬い)話から始まって、文学、映画、アニメとだんだん話柄が柔らかくなってきて、最後にポップスについてかなりパーソナルなエッセイで終わるという結構(原文ママ)です。

「外殻は煎餅で、そのあとカステラとあんこが続いて、中心部はホイップクリーム」みたいな作りです。

ですから、読者のみなさんは、ご自身の嗜好に合わせて、好きなところから読み始めてくださって結構です。

本書に登場するのは、固有名詞を挙げれば、小津安二郎、宮崎駿、三島由紀夫、村上春樹、大瀧詠一、キャロル・キング、ビートルズ、ビーチボーイズといった方たちです。

映画作家、小説家、ミュージシャンとジャンルは多岐に渡ります。

共通しているのは、ぼくが個人的に偏愛している人たちだということです。

僕が彼らを論じるときの立ち位置は、学者でも、批評家でもありません。

あくまでも1ファンとしてです。

1ファンとしてそっと読者の前に差し出すというのが僕のスタンスです。


高校生のときに、「これ、貸してやるから、聴いてみろよ。なかなかいいぞ」と鞄の中から新譜のレコード盤を取り出してくれるような友人がきっといたと思いますけれど(もうアナログのレコード盤があまり目に触れない時代に育った方も「そういう時代」の高校生を想像してみてください)、あれに近いです。

そういうときのファンの口立てって独特なんですよね。とにかく、相手を「その気」にさせないといけない。

でも、あまり押し付けがましくてもいけない。

押し付けすぎるとかえって逆効果になるから。

推すけれども、無理強いしないというさじ加減がむずかしいのです。

あまり強く薦めてしまうと、その作品との出会いが誰かにコントロールされたもので、偶然に出会ったという気分にならないからです。

何かをほんとうに好きになるためには、偶然に出会ったという条件が必要なんです。

偶然目が合ったのだけれど、それが後から思うと宿命的な出会いだった…という「物語」がたいせつなんです。

本はそうですよね。


ファンというのは「ファンと増やすことをその主務とする人」のことです。

これは僕の個人的な定義です。

でも、これ、なかなか使い勝手のよい定義だと思います。

ファンとはファンを増やすことを主務とする人である。

とすると、ファンの一番たいせつな仕事は、できるだけ多くの人に「これは宿命的な出会いだ」と思って頂けるように、そっとプレゼンテーションをすることだということになる。

この「そっと差し出す」というのがなかなかむずかしいんです。


この「個人的な定義」にまずは同意を。


でも、そうじゃない、意固地なファンってのも一定数いますよね。


自分はそうじゃないつもりなんだけど。


伝道師的な役割じゃない、意固地なダークなファンじゃないつもりだけど


自分ではよくわからないのだけどね。


ーーー


第1章 三島由紀夫


政治の季節 から抜粋


アンドレ・ブルトンがどこかで「世界を変えようと思ったら、まず自分の生活を変えたまえ」というようなことを書いていた。世界と自分の日々の間に相関があるという直感を持てなければ、人間は「革命」など目指しはしない。

そう書いてから、本当にブルトンがそんなことを言ったのかどうか気になって『引用辞典』というものを引いて調べてみた(そういう便利なものがこの世にはある)。

実際はこうだった。

『世界を変える』とマルクスは言った。『生活を変える』とランボーは言った。

この二つのスローガンはわれわれにとっては一つのものだ。


「政治の季節」ではこれが逆転する。

自分のただ一言、ただ一つの行為によって世界が変わることがあり得るという「気分」が支配的になるのである。

自分の魂を清めることが世界の浄化するための最初の一歩であるとか、自分がここで勇気をふるって立ち上がることを止めたら世界はその倫理的価値を減じるだろうかとか、

「ぼくがたふれたらひとつの直接性がたふれる もたれあうことをきらった反抗がたふれる」(吉本隆明)

とか、そういうふうに人々が個人の歴史に及ばず影響力を過剰に意識するようになることが、「政治の季節」の特徴である。


だから、「政治の季節」の人々は次のように推論することになる。

 

1 自分のような人間はこの世に二人といない。

2 この世に自分が果たすべき仕事、

 自分以外の誰かによって代替し得ないようなミッションがあるはずである。

3 自分がそのミッションを果たさなければ、世界はそれが「あるべき姿」とは違うものになる。

こういう考え方をすることは決して悪いことではない。

 

それは若者たちに自分の存在根拠について確信を与えるし、成熟への強い動機づけを提供する。

その逆を考えればわかる。


このように推論する人のことを「非政治的な人」と私は呼ぶ。


自分が何をしようとしまいと、世界は少しも変わらない。

だから、私はやりたいことをやる。


そういうふうに考えることが「合理的」で「クール」で「知的だ」と思っている人のことを「非政治的」と私は呼ぶ。

現代日本にはこういう人たちがマジョリティを占めている。

だから、現代日本は「非政治的な季節」のうちにいると私は書いたのである。

政治的な季節の若者たちは時々ずいぶんとひどい勘違いをしたけれども、

「自分には果たすべき使命がある」

と思いこんでいたせいで、総じて自分の存在理由については楽観的であった。

その点では非政治的な時代の若者たちよりもずいぶん幸福だったのではないかと思う。


三島由紀夫の生き方と死に方が左翼右翼双方の政治少年たちに強い衝撃をもたらしたのは、それが実に「政治的」だったからである。

三島は単独者であった。

彼のように思考し、彼のように行動する人間は彼の他にはいなかった。

けれども、彼は自分が単独者であることを少しも気にかけなかった。

それは彼が「三島由紀夫以外の誰によっても代替し得ないミッション」をすでに見出しており、それをどのようなかたちであれ実践する決意を持っていたからである。

自分の個人的実践が日本の国のかたちを変え、歴史の歯車を動かすことができると信じていたからである。

そして、実際に(三島が期待していた通りかどうかはわからないけれど)、彼の生き方と死に方によって、日本と日本人は不可逆的な変化をこうむったのである。

今三島のような考え方をする人はきわめて少ない。

けれども、時代は変わる。

遠からず私たちはまた

「自分には余人によって代替し得ない使命が負託されている」と

感じる若者たちの群れの登場に立ち会うことになるだろう。

その気配を私は感じる。


よく聞く「政治の季節」って、当事者だった


内田さんの言葉から推察するに


そうだったのか、と納得した次第。


三島さんについては、自分としての論考は


いみじくも「政治的」になってしまわれたのは


ご自分であんなに嫌ってらした「権威」に


いつの間にか気がついたら、なってしまったご自身に


気が付けず、新しい価値観とのバランスが


取れないことを承知で、かつご自分で拒否され


これ幸いと”最後の機会(自決の理由)”と自覚しつつ


さらに退却できないよう緻密にシナリオを作成しての


行動だったと思っておりまして、


これ、結果的に内田先生と似たようなこと言ってます?


それとも全然違ってますかね。すみません。


ーーー


第5章 


音楽とその時代


大瀧詠一 から抜粋


 


ハーマン・ハーミッツの「ヘンリー八世君」という曲の最後に、


おそ松くんに出てくるイヤミの「シェー」という声が入っていて


それは、60年代ハーマンのボーカルが日本で、


おそ松くんを見たから、というのと、


そのイヤミはトニー谷の模倣で、


それはアメリカのボードビリアンのエピゴーネンでって


回帰性というのか、歴史文化の繰り返しを意味し、


表現の根源は同じであることを示唆した後で


内田さんのまとめです。


大滝さんの音楽史の真骨頂は、この「目に見えない因果の糸」を自在に取り出す手際にあります。

この名人芸を支えるのは、もちろん大滝さんの膨大な音楽史的知識であるわけですが、通常の音楽評論家との違いは、その音楽史が過去から未来にではなく、しばしばそこでは時間が現在から過去へ向けて逆走(原文ママ)する点にあります。

そして、このような逆送(原文ママ)する時間こそ時間意識こそ、系譜学者の第3の条件なのです。

歴史学者と系譜学者の発想の違いを一言で言うと、歴史学者は「始祖」から始まって「私」に達する「順ー系図」を書こうとし、系譜学者は「私」から始まってその「無数の先達」をたどる「逆ー系図」を書こうとする、ということにあります。

歴史学的に考えると、祖先たちは最終的には一人に収斂します。

船弁慶』の平知盛が「われこそは恒武天皇九代の後胤(こういん)」と告げるのは典型的に歴史主義的な名乗りです。

しかし、これはよく考えるとかなり奇妙な計算方法に基づいたものです。

というのは、私たちは誰でも二人の親がおり、四人の祖父母がおり、八人の曾祖父母……つまり、私のn代前の祖先は2のn乗だけ存在するからです。平知盛の九代前には計算上は512人の男女がいます。

にもかかわらず、知盛が「恒武天皇九代の後胤」を名乗るとき、彼は残る511人をおのれの「祖先」のリストから抹殺していることになります。

たしかに、歴史学的な説明はすっきりしています(しばしば「すっきりしすぎて」います)。

系譜学はこの逆の考え方をします。

「私の起源」、私を構成する遺伝的なファクターをカウントできる限り算入してゆくのが系譜学はこの逆の考え方をします。

「私の起源」、私を構成している遺伝的なファクターをカウントできる限り算入してゆくのが系譜学の考え方です。

ファクターがどんどん増えてゆくわけですから、これをコントロールするのは大仕事です。

けれども、まったく不可能ということはありません。

それは炯眼(けいがん)の系譜学者は、ランダムに増殖するファクターのうちに、繰り返し反復されるある種の「パターン」を検出することができるからです。

歴史学者がレディメイドの「ひとつの物語」のうちにデータを流し込むものだとすれば、系譜学者は一見すると無秩序に散乱しているデータを読み取りながら、それらを結びつけることのできる、そのつど新しい、思いがけない物語を創成してゆくことのできる人のことです。

日本ポップス伝2』で、大滝さんは遠藤実さんの曲を時間を逆送しながら聴くことで、それまでどのような音楽史家も思いつかなかったような「物語」を提出してみせます。


うーん、「平知盛」「恒武天皇九代の後胤」って


言われてもよくわからないけど


内田先生が言うならそうなんでしょう。


いや、今度調べて再読して熟考します。


そして以下、大瀧さんのお言葉から、です。


「分母でも地盤でもいいけど、思ったのは、その下のほうにあるものをカッコにしてしまわないで、常に活性化させることが、やっぱり上のものがあるとすれば、そこがまた活性化する原因だと思うんですよ。

だから、そのひとつとしてパロディ作品にトライしてみるとか、確認作業とか、そういうことをやってるんですよね。

だから、常に一面的な見方の地盤というんじゃなくて、その地盤も変幻自在に変わっていく部分もあると思う。

そこを見つめていくことが大事じゃないかって考えているんです。」

(「分母分子論」、『FM fan』83年4月号)


過去を歴史の中で封印することなく、つねに活性化させ続けること。

大瀧さんのこの方法論的自覚こそ、系譜学的思考の核心のひとことで言い切っていることばだと私は思います。


最近思うのは、60、70年代は「文学」が


80年代は「音楽」が、若者の心理や人格形成に


多大な影響を与えてたんじゃないかと。


それだけではもちろんないだろうし、かねてより


そう思ってはいたけど、それが肉体化してきたとでもいうか。


吉本隆明さんが、そういう(文学→サブカルチャー)論考の


主軸をずらしたのも、うなずけるのだよね。


お子さんがいたと言うのも大きいと思う。


子供って親の影響が大きいと言うのと逆の構造。


そして、音楽、言葉、リズムが与える影響の凄まじさたるや


想像を超えてるのかもしれないというのは


柳澤桂子さんの書籍から伺えるような。


さらにそれに時代が呼応すると


スパイラルの上昇になるのかも。


まだ研究途中なので、分析できたら論考まとめよう。


っていいよ、そんなことしなくて、


ページビュー100くらいのブログなんだから。


さらに余談だけど90年代は人格形成として


何が影響してたかはわからないよ、


その頃、すでに若者じゃなかったから。


多分「Web」とか「ゲーム」だと思うけど。


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