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だましだまし人生を生きよう:池田清彦著(2008年) [’23年以前の”新旧の価値観”]


だましだまし人生を生きよう (新潮文庫)

だましだまし人生を生きよう (新潮文庫)

  • 作者: 清彦, 池田
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2008/12/20
  • メディア: 文庫

進化系の話もあるけれど、


珍しく自伝的な要素で構成されてて


なぜなら、若い科学者向けという良書だった。


毎晩少しづつ読み進めて読了。


まずは、池田節のダーウィニズムへの考察。


III 構造主義生物学を始める


ネオダーウィニズムに疑問を持つ から抜粋


進化論で有名なダーウィンの立てた理論をダーウィニズムという。

ダーウィニズムはおおよそ、次のような理論枠から成っている。

 

① 生物には変異があり、変異のいくつかは遺伝する。

② 生物は生き残るよりもずっと多くの子を産む。

③ 環境に適した変異を持つ個体は、そうでない個体に比べ、生き残る確率が高い。

④ その結果、環境に適した変異を持つ個体は、世代を重ねるごとに集団中での比率を徐々に高めるに違いない

 

要するにダーウィンは、生物は多少なりとも変異を持ち、変異は遺伝するという事実を生物の多産性から、生物が進化するものであるとの結論を導いたのである。

しかし、考えてみれば、生物の変異性と多産性は生物の持つ基本的な性質であるから、ダーウィンは、生物でありさえすれば進化をする、ということを言っているにすぎないとも言える。

私の考えによれば、ダーウィンは生物と進化するものは、実はおんなじだと言った最初の人なのである。

これは大変な発見ではあったけど、進化のメカニズムの解明になっていないと、私は思ったのである。


ダーウィンの同時代(19世紀)の人にメンデルがいて、遺伝の法則で有名である。

当時メンデルは無名であったため、ダーウィンはメンデルを知らなかった。

メンデルは形質の原因は遺伝子という不変の実体であると主張した最初の人である。

遺伝子が変化すると形質が変化する。

だから生物の形の変異は、遺伝子の変異に還元できる。

メンデルの理論からはこのようなことが言える。

メンデルの理論が再発見されたのは1900年のことである。

遺伝子が変化すれば形が変わるのであれば、進化の原因は遺伝子の変異に直接結びつけられるはずだ。

ほとんどの生物学者はそう思った。

ところが、ことはそれほど単純ではなかったのだ。

遺伝子が突然変異を起こして、それで種が変化するようであれば問題はない。

こうなれば、突然変異は即、進化である。

しかし、染色体が倍化して生殖隔離が成立するオオマツヨイグサのような特別な場合を除いて、そういうことはほとんどない。


多くの場合、遺伝子の突然変異は微細な変異しか起こさない。

もとの集団との間で生殖隔離が成立せず、交配の結果、変異は集団の大海の中に拡散していってしまう。

突然変異自体は偶然生ずると想定されている。

しかし、進化は普通、単純から複雑へ、下等から高等へと進む。

この方向性はどのようにして生ずるのか。

そこで、ダーウィンの自然選択説をメンデル理論に取り入れたのが、ネオダーウィニズムである。

すなわち、ネオダーウィニズムはダーウィンの理論とメンデルの理論を合体したものである。

これは1940年代に確立して、現在もなお主流の進化理論である。

それは単純にいえば、次のようなものである。


① 生物には変異があり、変異のいくつかは遺伝子が原因である(新しい変異のいくつかは、突然変異した新しい遺伝子が原因である)。

② 生物は生き残るよりもずっと多くの子供を作る。

③ 環境に適した変異の原因となる遺伝子(を持つ個体)は、そうでないものに比べ、生き残る確率が高い。

④ その結果、環境に適した変異の原因となる遺伝子(を持つ個体)は、世代を重ねるごとに集団中での比率を徐々に高めるに違いない。


ネオダーウィニズムの理屈では、遺伝子の突然変異は偶然であり、それが集団中で優勢となるのは、自然選択の結果である。


難しい…です。ダーウィンの論では足りてないってのは何となくわかる。


これ並べてみると分かりやすいのかな、ってあくまで池田さん視座の要点の比較。


■ダーウィニズム4つの要点

 ① 生物には変異があり、変異のいくつかは遺伝する。

 ② 生物は生き残るよりもずっと多くの子を産む。

 ③ 環境に適した変異を持つ個体は、

 そうでない個体に比べ、生き残る確率が高い。

 ④ その結果、環境に適した変異を持つ個体は、

 世代を重ねるごとに集団中での比率を徐々に高めるに違いない


■ネオダーウィニズム4つの要点

 ① 生物には変異があり、変異のいくつかは遺伝子が原因である

 (新しい変異のいくつかは、突然変異した新しい遺伝子が原因である)。

 ② 生物は生き残るよりもずっと多くの子作る

 ③ 環境に適した変異の原因となる遺伝子(を持つ個体)は、

 そうでないものに比べ、生き残る確率が高い。

 ④ その結果、環境に適した変異の原因となる遺伝子(を持つ個体)は、

 世代を重ねるごとに集団中での比率を徐々に高めるに違いない。


なるほど、こうして、進化論はバージョンアップを


繰り返し精査されていくのかなーと。


間違い探しみたいだよな、②と③なんて、


見過ごしそうで、久々にdiffを使ってしまった。


ここから毛色が変わりまして、池田さんのプライベートにフォーカス。


池田さんって文章上手だし、詩みたいな感じがするなあ。


石原吉郎吉岡実田村隆一富岡多恵子が好きとの記述もあったけどね。


死ぬ前に本を書かねば! から抜粋


私はこの年の初夏に増富に虫採りに行って、自動車ごと谷に転落する事故にあった。

私は運転しながら、飛んでいる虫を目で追うことが多く、種名がわかって普通種であればそのままやり過ごし、種名が判明しない奴や、珍品らしいときは、自動車を止めて、その虫を追いかけて採ろうと考えていたのである。

このときも珍品らしそうなカミキリを、車を運転しながら目で追っていたのであるが、車を止めるべきかどうかの判断がなかなかつかない。

もっとよく見ようと思った矢先、車はゴトンと谷に向けて転落の一歩を踏み出していたのであった。

車が谷へ落ち始めるときは、実にゆっくり落ち始める。

しかし途中から加速度がつき、ピュー、ドスンと谷へ落ちた。

落ちる瞬間、私は何を思っていたか。

構造主義生物学の理論書を書いておくべきだった。

私が思ったことは、ただそれだけだった。

この話を少しあとで、当時、山梨大学の学長をされていた小出昭一郎さんにしたら、小出さんは、

「なんと学問に打ち込んでいるのだろう」と私をほめてくれた。

同じ話を女房にしたらところ、

「自分が死んだら、女房、子供はどうなるのだろう、とまず最初に考えなくてはいけません」と言われてしまった。

谷に落ちた私は、幸い命に別状はなさそうだったが、顔は切れて血だらけであり、全身アザだらけであった。


大事に至らず幸いでしたが、奥様のいうことごもっともでございます。


でも、男ってそんなもんなのかねえ。やだねえ。


自分も会社員を長くやってて洗脳されてたからなんとなくわかるような。


時は戻り、1970年代半ばくらいか。


若かりし池田先生にも幸福な新婚時代が。


そして奥様には試練が。


II 生物学者の卵だったころ


赤貧洗うがごとき新婚時代 から抜粋


私は女房の家に電話というものをめったにかけなかった。

だから女房の両親は、私という存在そのものを知らなかった。

いきなり見知らぬ男が現れて、娘をくれと言われればたいがいはびっくりする。

私は今でも、女房の母親に初めて会ったときの、彼女の唖然とした顔が忘れられない。


結婚資金なんていうものは、もちろんゼロだった。

結婚するのに資金が必要だという観念がそもそもなかった。

私はただ、この子と結婚できるというそのことだけがうれしくて、それ以外のことは要するにどうでもよかったのである。


結婚した当初は赤羽に住んでいた。

8畳一間の間借りであった。

金はなかった。若さだけがあった。

私は25歳になったばかり、女房は23歳であった。

ただ女房がそばにいるというだけで、わけもなく幸せであった。


おかずは干物一枚という日もあった。あまりの貧乏におかしくて笑ってしまった

しかし私は全然落ち込まなかった。

自分の才能は無限であり、いざとなったら何とでもなると思っていたのである。


長男は生まれたばかりで、まだ託児所では預かってくれず、私が家で面倒を見ていた。

それでも日曜日には日帰りでよく虫採りに行った。

赤ん坊の面倒を見ると言っても、私はもともといい加減で、女房ほど手が行き届かなかった。

女房はこの頃のことを振り返って、離婚することばかり考えていた、とあとで言った。


定時制高校の先生から山梨大学の専任講師へ から抜粋


七七年の秋に次男が生まれ、女房は会社を退職した。私が無理やりやめさせたと言ったほうが真実に近い。

研究と高校教師とカミキリ集めと三足のわらじをはいていた私は相変わらず家事もせず、子供の面倒も見なかった。

女房が専業主婦にならない限り、赤ん坊の世話は不可能であった。

製薬会社の研究員として、博士の学位を取ることを目指していた女房の夢を砕くのは気の毒であったが、是非もなかった。

私はわがままで、自分のやりたいことしかやらず、そのためには女房の希望などは考えないひどい夫であった。

1978年の暮れに、私にとっては、女房と結婚した次くらいにうれしい出来事があった。

私は山梨大学の専任講師として採用が決まったのである。


ひどい…、ひどすぎる。奥様の人生を何だと思っているのだ。


って、自分も振り返ると身に覚えがないこともないような。


しかも、時は70年代日本だと、そういう時代だったのかあ、なんて。


研究員といっても女性の社会進出や男女雇用機会均等法とか考慮すると


時代というのも大きく影響しているように思う。


そしてかなり時流れ、研究の傍ら、執筆活動もする


池田先生ならではのアティチュードが。


III 構造主義生物学を始める


DNAが変わっても大きな進化は起きない から抜粋


私は1993年から94年にオーストラリアに約1年間留学するが、ちょうど出発の頃、『宝島30』が創刊され、オーストラリアからほぼ毎号、この雑誌に寄稿した。

オーストラリアに在留しているという気安さも手伝って、この雑誌にはずいぶんと過激なことを書いたような気もするが、私はいつ誰とでもケンカをする気は十分であったので、罵詈雑言を書きまくって気分は爽快であった。

この頃の文章は『思考するクワガタ』(1994年)に収めてある。

『科学は錯覚である』(1993年)に比べてあまり売れなかったが、私としてはこの本のほうが面白いと思う。


こ、怖い…。ケンカ上等、売られたら買います的な。


まさにインテリヤクザ。普通じゃない。


しかし、だからこそ面白いとも言える。


それと池田先生の書籍を読んでて感じることなのだけど、


作家の井上靖さんが村上龍さんを評した「うっすらとした哀しみ」のようなのが


文章から漂っている気がするのは自分だけかね。


それにしても喧嘩も辞さないような言説を書籍で出せる土壌は


学者であることと、宝島社という忖度なしの


コラボだからできたのだろうな。


オーストラリア博物館に留学する から抜粋


池田先生、在留中に二人の子供と三人で国立公園で虫採り、二十種類以上、三千匹を超える


甲虫、カナブンやジョウカイ、タマムシを採ったときのこと。


さすがにオーストラリアの虫仲間も驚愕。


アレンもこんなことはめったにないと言ってくれた。

私にしてもこんなに虫を採ったのは空前である。

もしかしたら絶後かもしれない。

至福のときというのは確かにある。

しかし、それは一瞬である。

それはタマムシを採った私たちだけでなく、花に蝟集(いしゅう)して食や性の饗宴の限りを尽くしたタマムシたちにしても同じであろう。

数日後に、ロイヤル国立公園は大火に見舞われ、タマムシもユーカリもすべて灰燼(かいじん)に帰したのだから。

タイムスケールの違いはあるにせよ、もしかしたら、人も虫も一瞬の至福のために生きているのかもしれない。

マスとしての人間に生きる意味や目的などありはしない。

人は生まれて成長し、子供を作り、やがて老いて死ぬだけだ。

一生のうちで一瞬でも、これで死んでも悔いはないという至福の瞬間を持つことができたならば、もって冥(めい)すべきなのかもしれない。


マスで見たら、そらそうなのかもしれない。


でも人間ってどうしてもニッチというか、


ミクロでしか見れませんからね。


それは置いておいて。池田先生、オーストラリアにて


至福のときを過ごしたはずなのに、


日本で念願だった虫を採った後、養老先生が


「池田君もこれで安心して死ねるに違いない」といったのに対して


あとがき(2008年) から抜粋


冗談ではない。日本産のすべてのカミキリムシをネットインするまでは死ぬわけにはいかないのである。


何とも、欲深いお人でございます。


 


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遺伝子改造社会あなたはどうする:池田清彦・金森修共著(2001年) [’23年以前の”新旧の価値観”]

遺伝子改造社会 あなたはどうする (新書y)


遺伝子改造社会 あなたはどうする (新書y)

  • 出版社/メーカー: 洋泉社
  • 発売日: 2023/06/24
  • メディア: 新書

まえがき(金森修) から抜粋

どんな問題がありうるのか。

現在と近未来、ときにははるか彼方の未来を見据えて、私と池田さんが、遺伝子をめぐるいろんな話をぶちあげてみた。

「浮気遺伝子」というようなおとぼけ話で済んでいるのなら、それほど心配はいらない。

でも、もう少し真剣に考えてみたら、クローン、ES細胞、遺伝子診断や遺伝子治療など、今日われわれの社会をにぎわすかなり多くの話題が、遺伝や生殖に関するものだ、ということに、あなたは気づくはずだ。

とくに遺伝学の場合、事態は単に一つの世代だけでなく、今後長く続いていく(はずの)われわれの子孫にも関係してくるものなのだ。

またここで取り上げたいろいろな話題のなかには優生学などという、過去の暗い話と関係するところもある。

その一方で、はるかに現代的な遺伝子組み換え食品などに触れている部分もある。

もちろん、それらの話題すべてになんらかの提言を、というまでにはいっていない。

だが、現時点で比較的重要で、いっておくべきだと考えたことには、できる限り触れておいたつもりだ。


第三章 ヒトゲノム解読は何をもたらすのか


ヒトゲノム解読は始まりの一歩 から抜粋


■池田

遺伝子というのは、メンデルの時代には仮想的なものだったわけですが、それが染色体の上に乗っかっているとわかってDNAというものであることがわかったわけです。

人間には、全部で23X2=46個の染色体があって、その上にDNAが乗っているわけですけど、DNAというのは相補的な塩基対でできますから、こっちにアデニンがあれば、その向かいにチミンがあるというようなかたちでくっついているわけで、その塩基対が人間には30億あるといわれているわけです。

これを全部解読すればすべてのことがわかるんじゃないかといっている人が、昔からいたわけですが、そういっている人たちも、本当にすべてのことがわかるとは思っていないのではないかと私は疑っています。

しかし、それはかなりの金の研究になるわけです。

何百億ドルというような額のプロジェクトになりますから、やりたい人はいっぱいいたわけです。

塩基対を解読するのは、昔は大変だったんだけど、だんだんいい器械ができてきて、わりに簡単に高速度で解読できるようになって、ついに2000年の6月に

「ほとんど全部解読した」

ということを発表しまして、だいたい90パーセント近く、DNAの素読が終わったというわけです。


DNAというのは人間の場合ーー人間じゃなくても多細胞生物は大体そうですがーー、ほとんど機能していないわけです。

機能している部分を、普通遺伝子というんです。

だから、遺伝子とDNAというのは、普通は等値しますけど、実際はDNAのごく一部が遺伝子であって、残りのDNAをわれわれは普通ジャンク(ガラクタ)といったりしています。

僕は、じつはガラクタじゃなくて、そのなかに何かもっと重要な、進化を司るような遺伝子があるんじゃないかという仮説を立てているんだけど、固体発生に関しては関係なさそうですから、ジャンクのDNAはあってもなくてもどうでもいいということになるわけです。


ところが今言ったように、どの遺伝子が何の機能を持っているかという同定をしなければ、DNAを素読しただけでは役に立たない。

タンパク質を作る遺伝子というのは、メッセンジャーRNAというのを作りますから、そのメッセンジャーRNAを取り出してきて、RNAは非常に読みづらいので、それに相補的なDNAを作らせるんですね。

これがコンプリメンタリーDNA、いわゆるcDNAというもので、それを読むわけです。

そうすると、その遺伝子がどんなタンパク質のアミノ酸配列がわかりますので、機能が特定できるわけです。

それが、2000年6月の時点で2割ぐらいでしたから、今はもうちょっといってると思います。

日進月歩ですから、3割くらい言っているかもしれません。


ヒトゲノムの解読が済んだというので、みんな大騒ぎして、全てがわかったように思っているかもしれませんが、具体的なことはあまりわかっていないというのが現状です。


科学者は痛い目に遭うまでやりたいことをやる存在である から抜粋


■池田

科学者は、やっぱりやりたいことをやるんだよ。

これを止めるというのは、なかなか難しくてね、”やらない”ということに対しては金がでないし、”やる”ことに関しては金が出るからなんだかんだと理屈をつけて”やる”わけですよ。

これは、日本の公共事業みたいなもんでね(笑)。

昨日、山梨県の下部というところへ行ったんだけど、誰も通らないような山の中の道が工事で通行止めになっているんですよ。

1日一台も通らないようなところを舗装しているんですよ。

僕が「こんなところ舗装してどうするんだ?」っていったら、隣に乗ってた人が

「あれは舗装が目的じゃなくて、金を出して石油の産業廃棄物を捨ててるんだよ」

というんですよ。

道路と称して、じつは山は産業廃棄物の捨て場になっているというわけです。

ただ捨てるんでは問題があるし、公共事業ということにしておけば、土建業者が儲かるからね。

 

■金森

うーん、それはすごい洞察だ(笑)。

 

■池田

けっこうすごい話ですよね。

なんだかんだと理屈をつけて”やる”んですよ。

建設省(国土交通省)も、もう道路はいらないとなったら、今度は「道の駅」なんているのを造るんですよね。

あんなもの、何の役にも立たないんですよ。

金をどんどん取ってくるために、そういうことをやってどんどん金をつかうわけです。

たとえば河川だったら、今まではコンクリートで一生懸命固めてたところを、

「これじゃ自然が失われる。ビオトープ構想を」

というので、今度はそれをまた元に戻すようなことをしているでしょう?

とにかく金を動かすわけです。


その逆はだめですね。

僕のところにも自然保護に興味のある学生がいて、大学院で自然保護を勉強したいというので、東京農工大の自然保全を専攻するところに紹介したら、けっこうな競争倍率を突破して受かったんです。

だけど、農工大の先生に聞いたところによると、そこは入るのは大変だけど、でても就職がぜんぜんないというんですよ。

逆に、林学科はそこよりやさしくても、出るときの就職はたくさんあるんだそうです。

自然保護というのは、若い人に受けがいいけれども、ネガティブだから、なかなか就職に結び付かなくて大変ですね。

木を植えても切る方が、少なくとも金儲けになるからね。


だから、これからの社会では遺伝子改造を”するな”というのは、理屈としてはとおっても、実際にそうなるかというとなかなかそうはならないでしょう。

なんだかんだと理屈をつけて、遺伝子をいじって金儲けしたい人がいるわけだから。

そういったところから甘い言説が溢れでて、それに抗していくのは大変ですよね。


予算のつき方って、その通りなんだろうね。


公的機関の予算ってのはよく知らんけど。


上を説得するのに、下の人たちは懸命に


必要性をロジカルに企画して


「これ儲かりますよ」とすると、


上は役員に、役員は株主に、って流れで。


貨幣価値がのさばる社会、資本主義論理って


そうなってしまうのが常でございますよ。


そうじゃない流れも少しはできてきている気も


希望的観測かもしれないけど、


あるにはあるだろうけど。


第四章 遺伝子改造社会の論理と倫理


自己決定は可能か から抜粋


■池田

もしそういうことをやりだすとすると、例えば背は平均的に徐々に高くなってくる。

その時に遺伝子改造を「やる」のも「やらない」のも自己決定だというのは確かにその通りです。

僕は過激なリバタリアンだから、自己決定でやってもいいんだけど、その時に「やる」という人が大勢になってしまうと、「やらない」という人が差別の対象になる。


だから、「自己決定だ」といっても、これはじつはかなりのバイアス、社会的なキャナリゼーション(誘導的な道筋)がかかっていて、そうせざるを得ないような”自己決定”に追い込まれていくわけですよ。

そこに国家のパターナリズムみたいなものが絡んでくると、自己決定と言いながら、じつはまったく自己決定ではなくて、いやいや決定させられているというようなはめになって、普通の人は、そんなことだったら、最初から国家が介入してくれた方がいいというふうに思うことがあると思うんですよ。


遺伝子組み換えのリスク から抜粋


■池田

ホルモンを外在的に入れると、自分のホルモン系がサボるからね、いろいろめんどくさい問題が起きるんだよね。

(略)

ただ、遺伝子改造の場合はちょっと違って、もとをいじっちゃうわけだから、その辺でそんなリスクがあるかは、やってみなきゃわからないけど、ホルモン投与よりはリスクが少ないかもしれないね。下手すると。

 

■金森

ええ、下手するとね。

 

■池田

ただ、社会的な価値というのは、いつ反転するかわからないわけであって、極端なことをいうと、背が高い、背が高いというふうにバイアスがかかっていくと、正規分布の山がこっちへこっちへとずれていくわけですよ。

自然選択でそういうことが起きれば、それは適応的になっているといえるわけだけれど、無理矢理、人為選択をかけているわけだからあるところまでいくと、あまりにも背が高いことは必ずマイナス要因になります。

たとえば背が高くてよろよろしてうまく動けないとか。

だいたい、統計的にみても、背の高いやつは早死にすることはわかっているんですよ(笑)。

中肉中背のやつが一番長生きだって言われてますからね。


第五章 遺伝組み換え作物は安全か


とりかえしのつかない多様性を壊すことの危険性


■金森

一番最初に池田さんがおっしゃった、エコロジカルな、生態学的なことで言うと、僕が絶対に問題だと思っているのは、これはもともと大規模農業を想定しているから、やり方にしろ品種にしろ、均一化するんですね。

そうすると、さっきおっしゃったように、除草剤耐性なんていっているうちに、それが結果的には除草剤耐性どころか、雑草もぜんぜん平気になったとしますよね、たとえば今から50年後くらいにしておきましょうか。

ところが、それまでにその手法で均一化していって、地域によって一つ一つ違う嚢胞や薬があったのを一つ一つ潰していって、その巨大企業の利益を追求していき、例えばダイズ生産のほぼ80パーセントがそうなってしまった後に、実際には除草剤耐性が元も子もなくなってぜんぜん効かなくなってしまったら、どうするんですか。

それこそメチャクチャになるでしょう。

そういう危険もある。

このタイプの技術は必ず独占化を目指すもので、少しでも比率を増やすというか、自分以外のものを排除しようとします。

あるいは、地方の細かい伝統を潰そうとします。

そういう意味で、農法の多様性を壊す方向に行きますし、作物の品種の多様性も壊すとなれば、それこそ他の生物界とのアナロジーで考えると、これはきわめて危険です。

■池田

そう。それから生態系自身の多様性を減らす可能性もあります。


終章 我々は何をなすべきか


学者は社会的視座で価値を提示する必要がある から抜粋


■池田

学問の流行り廃りみたいなものがあって、金森さんは哲学のことをおっしゃったけれども、学者っていうのは論文ばかり書いていればいいわけではなくて、少なくとも自分のやっている学問が社会に及ぼす影響について明晰でなければならないと思いますね。

専門家相手の論文ばかりではなくて、普通の人に論点を提示したり、価値判断を提示したりということをある程度やらなければいけない。

多くの学者はただ税金をかすめて食っているわけだから、申し訳ないと思わなきゃ(笑)。

しかし、そうは思っていない連中の方が多いでしょう?


■金森

つまり、人類史全体のなかでも大局的な意味での危機的な時代だということは明らかだと思うですよ。

(略)

現代は、人類史の中でも稀に見るほどに危機的な時代の一つだと思う。

そういう危機的な時代にあって、自分の小さな世界を一所懸命に守るというかたちじゃないようなものを、一人一人の人間が、ーーもちろん、挫折したり、間違った事を言ったりするわけですがーー最善の努力で少しでも社会的に広い視座を持つようにして、発言していかなければならない。

特に僕なんかは文科系の人間ですから、価値を提示しないと、それこそ何の役にも立たないわけです。

価値を提示するというのは、「これはいい」「これは悪い」ということ、いいものと悪いものをはっきりいうという事です。

毒にも薬にもならないようなことを、ブツブツ言って時を過ごすんじゃなくて、毒にも薬にもなりうることを言おうと努める事です。

これは美しい、と断言するということは、他方で、醜いものだと感じたものを前にした時には、紳士的にニヤついているだけではなくて、しっかりと怒り、きちんと批判する、という事です。

それが価値を作っていく、という事なんだと思う。

そのような意味で価値を作っていくということを、もしも可能であれば、一人ひとりの人間が目指すべきなのではないかと思います。

それぞれの人間が、それぞれの観点から、正しいもの、美しいもの、間違っているもの、醜いものに見えるものを名指し合い、なぜそれが美醜に見えたり、真偽に見えたりするのか、その根拠を自由に論じ合えばよい。

その議論の過程で、徐々に、より多くの、より慎重な判断をとれる人々にも納得できるような価値が成熟していくでしょう。


学者にも色々いると思うけど、有意義な論説を


役に立たせるも役立たずにするかは、


市井の人々によるところが


大きいと感じた。


そのためにも、自分達は感性を磨き、有益な情報かの


判断力がないと、大局的にいうと人類は


良い方向にいかないだろうなと。


なので、まずはメディアなり企業などが、


功利に関わることばかり


喧伝せず、忖度なしの有効と思われる情報を


抽出できる体質になってほしいですよ。


学者の論文って多分、普通は目にする事が


あまりないから、


そこからメディアなり企業が、利益になりそうだ、と


判断されての情報発信からの流布となるからね。


そこから一般市民は、今だけよければって


視座だけじゃなくどのような未来となるかも


吟味していかないと。


(未来を予測するのは難しい、とは池田さんも


”あとがき”で言っているけどね…)


なんか大きな話すぎて頭が疲れた本だった。


20年以上前のものだから、現在の進化


(と軽々しくいうのも憚られるが)が気になりますが


ひとまず今日は掃除と家族で映画(すずめの戸締り)


観に行って参ります。


最後にシビれる池田さんのあとがきで


締めさせていただきます。


あとがき(池田清彦) から抜粋


一万年前に農耕が始まって以来、人類は自然を自分の都合にあわせて変革してきた。

DNA操作技術はこの延長線上にあるとはいえ、今までの技術とはまったく違うところがひとつだけある。

それは人類自身を変革する可能性を手に入れたことだ。

ヒト以外の生物をヒトの都合にあわせて変えるのと違って、ヒトをヒトの都合にあわせて変えるというのは、考えてみれば、ずいぶんおかしな話ではないか。

ヒトを変革するということは、いいかえれば都合のほうが変わるということである。

少し過激に考えてみよう。

たとえば、多くの人々はなるべく自由に安楽にしかも長生きしたいと願っているであろう。

これはヒトの都合である。

これらのヒトの都合に従って、自然は改造されてきたわけだ。

しかし、人々が自由に安楽に長生きしたいと思わなくなってしまえば、話はまったく変わってしまう。

たとえば、環境問題は人々の欲望が科学技術という手段を得て顕現したものである。

人々の欲望が変わらない限り、これを解決するのはほとんど不可能なことは誰でも知っている。

ならば、DNA操作によって欲望の質そのものを変えてしまえば良い。

そう考える人が現れても不思議ではない。

ヒトの性質の遺伝的基盤が明確になれば、そういうことも不可能ではなくなるかもしれないからである。

我々はつい最近まで、人間には、信頼、正義、名誉といった普遍的な価値があるはずだと信じてきた。

しかし、価値もまたヒトが変われば変わってしまう。

遺伝子改造された未来人は、科学技術の進歩にさしたる興味をいだかなくなってしまう可能性だってないわけではない。

 

ヒトの遺伝的基盤をいじるとは、そういうパラドキシカルな構造をもつ社会に突入することでもある。


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ダーウィンの遺産・進化学者の系譜:渡辺政隆著(2015年) [’23年以前の”新旧の価値観”]


ダーウィンの遺産――進化学者の系譜 (岩波現代全書)

ダーウィンの遺産――進化学者の系譜 (岩波現代全書)

  • 作者: 渡辺 政隆
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2015/11/19
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

ダーウィンに影響を与えた人たちの

系譜ってことなのだけど

どうしてもダーウィンさんに目がいってしまうなあ。


しかし、『種の起源』(1859年)とか


生物の進化論とか


それ自体がさまざまに進化していくっていうのは


本当に興味深いとしか言いようがありません。


まえがき から抜粋


大げさな意味ではなく、ダーウィンの著作を読むと、一段落ごとに、人が一生をかけるに足るような研究テーマが眠っている。

今は亡き著名な進化生物学者スティーヴン・ジェイ・グールドも、ことあるごとに『種の起源』を読みなおすのが楽しみだと繰り返し語っていた。

その一方で、ダーウィンを読んだことがないとか、今更読む必要はないという研究者も決して少なくはない。

それでも、読めば読むだけの得をするというのが、ダーウィンのすごいところなのである。

ただし、ダーウィンにも弱みはあった。

最大の弱みは、当時まだ遺伝の仕組みがわかっていなかったことである。

遺伝、すなわち子供が親に似ることは誰でもが知っていた。

ダーウィンもすべての議論をそこから始めている。

子は親の性質を遺伝するが、瓜二つというわけではなく、同じ親の子でも少しづつ違っている(遺伝的変異がある)。

このことを前提に、人が動物や植物の品種改良をしてきた手法を自然界に敷衍(ふえん)すれば、地球の長い歴史の中で生物が大きな変化を遂げてきたと考えてもおかしくない。

これが自然界の原理である。

しかし、どのような変異がいかにして生じるのかを論じることになると、遺伝の仕組みが不明だったことが大きな足かせとなった。

これが、ダーウィンの大きな弱点だった。


第一章 ダーウィンの由来


一大転機 から抜粋


それまでの航海も実り多きものではあった。

ブラジルでは熱帯林の生物多様性に歓喜した。

アルゼンチンでは巨大な古代生物の化石を発見した。

ナマケモノの親戚にあたるメガテリウム、またの名をオオナマケモノである。

パタゴニアでは新種の「ダチョウ」を発見した。

それまで知られていたレアとは別に、ネグロ川を境にその南には小型のレアが生息していたのだ。

後にそれはダーウィンレアとして新種登録されることになった。

しかし、もし南アメリカ西岸の航海が実現していなかったとしたら、ダーウィンの、創造論者から進化論者への改宗は中途半端に終わっていたかもしれない。

ダーウィンが愛読していたライエルの『地質学原理』は、過去の大規模な地殻変動について、神がかりな天変地異など想定しなくても、目の前で少しづつ進行中の自然現象で説明がつくと説いていた。

天高くそびえるアンデス山脈も、土地の隆起によって形成されたに違いないことになる。

頭では納得していた。

しかし、必ずしもその証拠を目の当たりにしていたわけではない。

1835年1月15日、ダーウィンは初めて火山の噴火を目撃した。

チリ南部、標高2660メートルのオソルノ山である。

山形が富士山に似ていることから、日系人の間ではチリ富士と呼ばれているという。

2月20日には、チリ中部の都市ヴァルディヴィアで大地震に遭遇した。

そこから北に300キロ離れた大都市コンセプシオンは激しい揺れと津波で崩壊していた。

そして海岸線が1メートルも隆起している証拠を見つけた。

ライエルは正しかったのだ!

 

ダーウィンは、1838年2月にロンドン地質学会の書記に任命された。

科学界の期待のホープとしての抜擢だが、心の中は嵐だったに違いない。

当時にあっては、進化思想は反体制派の危険思想だった。

彼はその思想を科学の理論として確立すべく、さまざまな証拠をたぐり寄せながら思索を紡いでいた。

ところが、学会で付き合っているのは、体制側のお歴々である。

晴れ舞台に颯爽とデビューした自分が、陰では反社会的な思想を構築しているという大いなる矛盾を抱えていたのだ。

ダーウィンが体調不良を訴えるようになったのはこの頃からである。

激しい動悸や胃腸の不良など、自律神経失調症を思わせる症状である。

心の平安がほしい。結婚もいいかもしれない。


ダーウィンは、結婚の損得を列挙してみた。

 

独身を通すメリットは?

好きなところに出かけられる自由ーー

社交界への顔出しよりどりみどりーー

クラブでの才人との会話ーー

親戚訪問の強制など、くだらないことに屈する必要なしーー

子どもに対する出費と心配なしーー

たぶん口げんかもなしーー

時間の浪費ーー

夜の読書ができないーー

肥満と怠惰ーー

不安と責任ーー

書籍などへの支出枠減ーー

たくさんの子供が腹が減ったとせがみでもしようものならーー

(そうはいっても過労は健康によくない)

 

結婚するメリットは?

子供ーー

(神の御心しだい)ーー

一生の連れ合い、(それプラス老いたときの友)関心を払ってくれる人ーー

愛情と遊び相手ーー

とりあえず犬よりはましーー

家庭と家事をしてくれる人ーー

音楽の魅力と女性との気軽な会話ーー

どれも健康に良いーー

しかし恐るべき時間の浪費ーー

 

ああ、一生、まるで働き蜂のように働きづくめの生活だなんてぞっとするーー

だめだ、ぜったいにーー

煙で薄汚れたロンドンの家での独りぼっちの生活ーー

ソファーに座る優しくてすてきな妻に暖かい暖炉、読書、たぶん音楽、お前にとって唯一の団らん風景ーー

そんな光景とグレート・マルバラ街の陰気な現実を比較。

 

結婚ーーけっこうーー結婚 証明終わり

 

かくして彼は、1838年11月11日にエマに結婚を申し込み、その場で承諾を得た。

エマも、それとなく予感していたのだ。


結婚するのに、こんなに書き出して整理するか、普通。


真面目すぎる。真面目な自分がいうのだから間違いない。


それにしても「犬よりまし」ってエマさん怒るだろう。


結婚の予感があったってことは、


エマさんも想定されてのこれだと思うし。


でも、他の書籍を見る限り、内助の功、大有りで


仲も良かったみたいだし


エマさんのお写真拝見するに


大変聡明でお綺麗でいらしたから、他人が


とやかくいうことじゃないんですねども。


きっと素敵な間柄だったのだろう、


「犬よりまし」にメクジラ立て時間浪費するより


有意義な時間を過ごされたのかなあ、なんて。


第二章 ダーウィン進化論の成立


進化の枝分かれ から抜粋


ダーウィンは、「なぜかくも多様な生き物がいるのか」という問いと格闘し、ついにその答えを得た。

すなわち、すべての生物は共通の祖先を持っており、少しづつ変化しながら枝分かれを繰り返してきた。

その結果、

「じつに単純なものからきわめてすばらしい生物種が際限なく発展し、なおも発展しつつあるのだ」

(『種の起源』の結語)

との結論に達したのだ。その苦闘の跡を詳述したのが『種の起源』だった。

種の起源が枝分かれであるということについては、かなり早い時点で着想していた。

ビーグル号の航海から帰国後の翌年、1837年7月からつけ始めたノートブックB(1837年7月~1838年3月)は、ダーウィンが「転生説」を専門に扱った一連のノートブックの1冊目である。

いったん進化について本格的に取り組み始めたダーウィンは、驚くほどのスピードでその核心をつかんだ。

ノートブックBをつけ始めてから、大ざっぱではあるが紛れもない進化の系統樹を描くまで、わずか1ヶ月かそこらしかかかっていない。


余話 


脱宗教を果たした科学としての進化論 から抜粋


英国の進化学者にして優れたサイエンスライターであるリチャード・ドーキンスは、今を去る40年前の1976年に、世界的ベストセラーとなった一般向け科学書『利己的な遺伝子』を出版した。

その書の冒頭には次のような一節がある。

 

生きることには意味があるのか。

人は何のために存在するのか。

人間とは何か。

これら深刻な問いを突きつけられても、もはやわれわれは迷信に頼る必要はない。

 

ここでドーキンスが「迷信」と名指ししているのは宗教、それもキリスト教のことであり、「もはや」と言っているのは、1859年以降、かのチャールズ・ダーウィンの『種の起源』出版以降のことを指している。


ではほんとうに、ダーウィン進化論は宗教に代わりうるのだろうか。

その『種の起源』の末尾には、次のような象徴的な一文がある。

 

「生命は、もろもろの力と共に数種類に吹き込まれたことを端に発し、重力の不変の法則にしたがって地球が循環する間に、じつに単純なものからきわめて美しくきわめてすばらしい生物種が際限なく発展し、なおも発展しつつあるのだ。」


大学を卒業してすぐに英国海軍艦船ビーグル号に乗船した時点でもまだ、青年ダーウィンは神による天地創造論者だった。

そのダーウィンが神に決別する上で最後の一押しをしたのが、1851年に最愛の娘アニーをわずか10歳で失ったことだとする説がある。


現在の知見から見て、アニーの命を奪った原因は結核だったと思われる。

しかし当時の医学は、治療はおろか診断さえおぼつかないレベルにあった。

アニーの突然の発病とけなげな闘病生活、そして悲しい別れは、ダーウィンの世界観を決定的に変えることになった。

最愛の無垢な魂が無慈悲にも奪い去られた瞬間、彼は神の慈悲など存在しないことを確信したのである。


悲しい出来事だけど、ここから感じたことは、


人を突き動かし、それを継続させるには


強い動機があるのだな、ということだった。


ブラックボックスから玉手箱へ から抜粋


ヒトの遺伝子をめぐる見方を一変させたのは、2001年に一区切りがついたヒトゲノムの解読プロジェクトだろう。

ヒトの遺伝子の数は、かつては少なくとも数十万と言われていた。

それが、ヒトゲノム(ヒトのDNAに組み込まれている、基本をなす遺伝情報の1セット)を詳しく調べたところ、遺伝子(タンパク質の生成をコードしている塩基配列)の数はおよそ3万個、多くてもせいぜい5万個という数値が弾き出されたのだ。

たった3万個の遺伝子で、はたして人類の複雑な機能、特に心(脳)の複雑な働きのすべてを説明できるものだろうか。

ましてや、ヒトとチンパンジーが98パーセントまで同じだとしたら、遺伝子の違いはわずか600個の違いでしかないことになる。

だとしたら、ヒトというアイデンティティはどこに求めれば良いのだろうか。


遺伝子の機能は、一個につき一つとは限らない。

なにしろ、ヒトのほぼ全ての細胞は、同一の遺伝子セット(ゲノム)をそなえており、3万個の遺伝子を擁するヒトのゲノムは、爪から心臓そして脳に至るまで、自在につくり出しているのだ。

これは、きっちりとした青写真が最初からゲノムに焼き付けられているからではなく、時と場所に応じて遺伝子の情報が階層的かつ柔軟に機能するからにほかならない。


科学と日常生活の折り合いをつけるのはやさしいことではない。

なぜなら、専門化した先端科学は門外漢の科学離れを促進する。

その一方で、口当たりの良い解説は、新たな神話を創出させかねない。

一人でも多くの人が科学との適切な付き合い方を身につけない限り、科学の研究が進むほどに、科学は闇の世界へと沈潜する定めにあるとも言える。

それはダーウィンも本意とするところではないだろう。


科学の世界のことだけではなく


日常に溢れる情報がフェイクなのかそうじゃないのかなど、


個人の感性、共同体の意識に委ねられることが多い昨今、


昨日もドイツ政府が、国家を転覆しようとしている組織を摘発


今の世の中を成敗するつもりだったというような


報道がされ全容解明が急がれているようだけど。


ダーウィンと離れてしまったけど、遺伝の仕組みが


解明されてなくて歯痒かったのかもしれないが、


進化論(がダーウィン前からあったにせよ)の


きっかけには間違いなくなったし、


フォロワーを多く生み出し継続研究していることは、


その全ては肯定できなくても


概ね良いことだったと言えるのではないだろうか。


原理主義の方達からは反発もあったろうが、


これが現実なのだろうと思う。


でもその反面、現実を知ることが良いことなのか、


という考えも一理ある。


そこで思い出すのは、柳澤桂子さんの言葉なんですよね。


何度も引用してしまうけれど


「人間には踏み込んではならない領域がある」って。


そして柳澤さんの提唱することは、


個人の感性を磨くこと。周りに伝えること。


深すぎて、身が引き締まります。


余談だけど、自分が会社員だった頃、


年間の個人目標みたいなのがあって


右肩上がりの数字主義に物申したくて


人格を磨くって書いたら、スルーされたよ。


今思えば評価のしようもないけどね、


そんなん書かれても。


だからって今更別にうらんでるわけでも、


柳澤さんと自分が同じってわけじゃないよ、


なんか言ってることと構造がちょっとだけ


似てるなって思っただけでございます。


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進化論の最前線:池田清彦著(2017年) [’23年以前の”新旧の価値観”]


進化論の最前線 (インターナショナル新書)

進化論の最前線 (インターナショナル新書)

  • 作者: 池田 清彦
  • 出版社/メーカー: 集英社インターナショナル
  • 発売日: 2017/01/12
  • メディア: 新書

進化というか、ダーウィンに興味あり

一読するとこの言論に関わった関係者が多くて煩雑だけど、


「進化論」自体がもはや一人の論ではないことは確かなようで


まだまだ発展途上な「進化論」なのだろうなと感じた。


まえがき から抜粋


進化とは一言で言ってしまえば、

「生物が世代を継続して変化していくこと」

です。

従って、もし一つの個体が能力を獲得したとしても、その性質が子や孫といった次の世代に伝わっていかなければ、それは進化と呼べないのです。

このような話をすると驚かれるかもしれませんが、実は進化のプロセスを合理的に説明する科学的な理論というものは、いまだに存在していません。

もちろん、皆さんはダーウィンの示した「進化論」の存在を知っているはずです。

ダーウィンの進化論は様々な修正が加えられ、現在はネオダーウィニズムとして受け継がれています。

しかし、生物を研究していくと、ネオダーウィニズムでは説明できない事柄が実にたくさん出てくるのです。


人類はさらなる変化を遂げる可能性 から抜粋


私たちが進化について学ぶ大きな動機は、人類が出現してきた道筋を知ること

ーーつまり、

「私たちはどこから来たのか」

を解明することです。

進化の道筋を知ることができれば、

「私たちの未来はどうなるのか」

といったことも予測できるかもしれません。

人類は哺乳類の中でも高度に特化した生体システムを持っていますので、今さら生物学的な進化が起こるということは、あまり考えられません。

しかし、様々な技術を開発することによって、生物学的な進化とは別の変化を遂げる可能性は高いと考えられます。

現在「ブレイン・マシン・インターフェイス(BMI)」

という、脳からの信号を受信して機械を操作するプログラムや機器の開発が進められています。

このBMIの技術を使えば、脳波などを読み取ることで脚を前後に動かすことのできる義足や、指を閉じたり開いたりできる義手を作る事も可能です。

また、視力を失った人の目にデジタルカメラなどに使われているCCD(電荷結合素子)を埋め込み、それを脳とつなげることで視力を回復させる人工網膜などの開発も進められています。

さらに、これは研究段階の話ですが、生きたサルの脳と離れた場所にあるロボットとをつなげて、サルが行動したとおりにロボットを動かすという実験にも成功しています。

このような技術の進歩を目の当たりにすると、そのうち体のほとんどが機械に置き換わったサイボーグのような人間が現れても不思議ではありません。


どこまで進んでしまうのか、人間の科学。


まるで手塚治虫さんの漫画ではないかと思った。


映画「エリジウム」「マトリックス」も現実になる日も来るのか、なんて。


第一章 ダーウィンとファーブル


ネオダーウィニズムは、時代によって考え方が少しづつ変化している から抜粋


ダーウィンは1859年に『種の起源(On the Origin of Species)』を著し、人類に進化という概念を示した人物です。

しかし現在主流になっている進化論の学説は、ダーウィンが提唱したものと少し異なっています。

現在の進化生物学の標準理論と考えられているのは、ダーウィンの自然選択説と、グレゴール・ヨハン・メンデル(1822-84)の遺伝学説を中心に、いくつかのアイデアを融合させた学説で、これは「ネオダーウィニズム」と呼ばれています。

(略)

その中核をなす考えは、

「偶然起こる遺伝子の突然変異が、自然選択によって集団の中に浸透していくことで、生物は進化していく」

というものです。


自然選択説とは何か から抜粋


生物がもつ形や性質を「形質」と言います。

遺伝とは、この形質が親から子、子から孫へと受け継がれていく現象です。

そして遺伝情報を担っている中心的な高分子化合物がDNA(デオキシリボ核酸)で、遺伝情報はアデニン(A)、チミン(T)、グアニン(G)、シトシン(C)という4種類の塩基の配列として刻まれています。

遺伝子とは素朴には「遺伝形質を規定する因子」のことですが、具体的にはタンパク質の作り方の情報を持っているDNAの塩基配列が乱れたり、変化したりすると、その部分の遺伝子に変異が生じ、生物の形質が多少なりとも変わる(ことがあります)。

ネオダーウィニズムでは

「このようなDNAの変異は偶発的に起こる」

と考えたのです。

(略)

しかし、ネオダーウィニズムは、幾つもの問題点を抱えています。

例えば、ネオダーウィニズムを信じる人たちは、長い間

「遺伝子と形質は、一対一でできている」

と暗黙裡に考えていました。

遺伝子と発現形質が、実際に一対一で対応していれば何の問題もないのですが、現実はそう簡単ではありません。


自然選択と突然変異だけでは、大きな変化は起こらない から抜粋


多くの人は

「ネオダーウィニズムは、新しい種ができる仕組みを論じたものである」

という印象を持っています。

しかし、実のところネオダーウィニズムは、種の枠組みを超えるような大進化がどうして起こるのかを解明できていないのです。

ネオダーウィニズムという学説の大きな柱は、「突然変異」と「自然選択」ですが、遺伝子にどれほどの変異が起こったとしても、大進化が起きるという保証はありません。

つまり、「自然選択」と「突然変異」だけで新種ができるということは、確定的事実ではないのです。

1970年代あたりから、人類は遺伝子を操作する技術を手に入れ、遺伝子組み換え実験をおこなってきました。

この実験が始まった当初は、多くの学者が

「地球上に存在しないような、すごい生物ができるかもしれない」

と思っていました。

遺伝子が生物の形を決めているのであれば、人工的に遺伝子を操作することで、とんでもない生物が作られても不思議ではないと考えられていたからです。

(略)

「遺伝子を組み替えただけでは、生物が大きく変化することはない」

という理解が徐々に進んでくると、やがて日常に近い環境下でも遺伝子組み換え実験が行われるようになりました。

このように事実に直面して以降、

「自然選択と突然変異だけでは、大きな変化は起きないのではないか」

という疑問が生じてきたのです。


ファーブルの進化論批判 から抜粋


生物の進化は形態的な側面からのみ論じられがちですが、生物、特に動物を大きく特徴づけるものに「行動」があります。

動物は誰からも教わっていないにもかかわらず、一定の条件のもとでは必ず発動されるように見える行動をとることがあり、そのような行為は「本能行動」と呼ばれています。

ダーウィンは、本能行動を学習や思考などによるものではなく、外部から受ける刺激によって引き起こされる反射が複雑に組み合わさったものだと考えました。

そして、体のつくりなどと共に、本能行動もまた自然選択によって保存され進化してきたと主張したのです。

そのダーウィンと同時代を生きた研究者に『昆虫記』を記したジャン=アンリ・ファーブル(1823-1915)がいます。

「偉大なる枚挙主義者」と言えるファーブルは、現在でいう動物行動学や動物生態学に属する分野の研究を行った人物です。

(略)

昆虫の生態を記録し続けたファーブルの勤勉さはもちろんですが、彼の感心する点はそれだけではありません。

なんとファーブルは、当時「最先端の理論」として注目された進化論に、果敢に戦いを挑んでいたのです。

彼はたくさんの狩りバチの仲間を観察し、それぞれの種のエサが極端に特殊化していることや、獲物を狩る方法が驚くほど的確であることを記録しています。

そして、その行動記録をもとに進化論を批判したのでした。


しかしファーブルとダーウィンは仲が悪かったわけではなく、


お互いの研究を認め合っていたようで。


書簡での交流を続けていて、ファーブルのハチの研究に感銘を受け、


ではそのハチたちをこうしてみてくれないか、とディレクションできる


仲だったという大人で建設的な関係だったようだ。


第四章 ゲノム編集がもたらす未来


構造主義進化論 から抜粋


言語学や哲学、社会学、数学など諸科学における考え方の一つに「構造主義」という方法論があります。

構造主義とは、簡単に説明しますと

「表面に現れているあらゆる現象の背後には、必ず何らかの深層的な構造が存在する」

という考え方です。

この理論にはシステムの共時性が原理として取り入れられています。

私は、この構造主義を進化論に当てはめて生物の進化を理解する「構造主義進化論」を提唱しました。


遺伝子の発現パターンを左右するDNAのメチル化 から抜粋


遺伝子は外部の環境によって発現パターンに変化が生じます。

この発現パターンが子孫に遺伝することが、進化へとつながるのです。

遺伝子の発現パターンの遺伝といっても、なかなかピンとこない方が多いと思いますので、もう少し詳しく説明しておきましょう。

遺伝子の発現パターンを左右するものの一つに「DNAのメチル化」があります。

DNAのメチル化とは、遺伝子を構成している塩基の一つであるシトシン(C)にメチル期が付着することです。

もう少し正確にいうと、DNAの上流から下流にかけてC-G(シトニン–グアニン)と並んだCにメチル期が付着することです。

このメチル化が起こることによって、遺伝子の発現が抑えられることがわかっています。

(略)

このような、DNAの塩基配列に変化が起こらずに遺伝子の発現を制御するシステムのことを「エピジェネティックス」と言います。

通常、遺伝形質の発現はDNAに記録されている遺伝子情報に起因しますが、エピジェネティクスは塩基配列を変えることなく、遺伝の発現を変化させ、その結果表現型も変わります。

さらに、エピジェネティクスによって制御された状態では、場合によっては遺伝します。


第七章 人類の進化


アメデトックリバチの不思議な営み から抜粋


ダーウィンの進化論は、

「なぜ地球上には、これほどまでに多様な生物が存在するのか」

という疑問に答えるための理論です。

しかし、ファーブルにしてみれば

「これまでの観察結果を説明することができない、非常に貧弱な理論」

に思えたことでしょう。

そして、ファーブルの心には、進化論を認めるわけにはいかないという気持ちが湧いてきました。そのことは、『昆虫記』のなかのあらゆるところに見受けられます。

生物の進化は、ダーウィンが考えていたほど単純なものではありません。

そしてダーウィンの考え方を修正して発展してきたネオダーウィニズムも、進化に関する様々な謎を解明できていないのが現状です。

多細胞生物では遺伝子そのものの変化だけでなく、遺伝子をコントロールするエピジェネティックなシステムも重要になってきます。

そのようなシステムを解明することによって初めて、私たちは進化の本質に迫ることができるのかもしれません。


この書籍から約5年経過、まだまだ進んでいくのだろうなと感じさせる。


先月NHKで「超・進化論」というのをみたけど


虫の生態について、超高速な羽根の運動、回転方向、


さなぎの中で何が起こっているかのCTスキャンとか


驚くことが多かった。


地球上で昆虫の多さもびっくり、昆虫からしたら


人間はものすごく恐ろしい存在だろうな。


ファーブルさんって日本では有名だけど


祖国フランスでは書籍としてみたこともないと言ってたのは


内田樹さんだった。養老先生と平川克美さんの鼎談でのこと。


流れ的に前後してしまうのだけど、以下のものも


興味深かったので引かせていただきます。


言語獲得の章から。


第六章 DNAを失うことでヒトの脳は大きくなった


日本語は英語以外で科学について考えられる数少ない国の一つ から抜粋


多くの国では、科学を基本的に英語で学んでいます。

しかし、日本では科学を母国語で学ぶことができ、専門用語も日本語で作られていることが多い。

そのため、一つの言葉からたくさんのイメージを受け取ることができるのです。

例えば「陽子」という言葉からは、

「電気的に陽性(プラス)の粒子」であることを感じ取ることができるでしょう。

しかし英語の「プロトン」と言われても、日本人からしたら電気的な性質についてはピンとこないかもしれません。

生物の「細胞」も、その言葉と漢字の意味合いから

「小さく細分化されたものの一区画」ということが直感的にわかると思います。

日本は英語以外で科学について考えられる数少ない国の一つです。

そのお陰で、世界を驚かすような発見をいくつもしてきたと言っても過言ではありません。

2008年にノーベル物理学賞を受賞した益川敏英博士は、ノーベル賞の受賞講演を日本語で行いました。

英語が得意でなくとも世界トップレベルの発見ができるのは、日本語がしっかりとしているからなのです。

ただ、これは日本人が英語を話すことができないことと表裏一体です。


日本語の優秀さというのは、日常で


使っている人間からするとよくわからない。


英語はブロークンだけど多少わかるとはいえ


比較できるほど習得しているとはいえないし。


縦書きの効用とかもあるのかな、以前誰かが言っていた気がする。


余談だけど、日本人で良かったって思うことが結構あって


それは例えば、蕎麦屋さんに行って


蕎麦を食べた後、蕎麦湯で最後締めるとき、感じる。


なんて合理的なのだろう、なんて。


でも小さい頃から今も刺身はなぜか親兄弟内で


ただひとり(食べれない)受け付けなくて


「日本人として損してるよね」と多くの知人から


言われてきたのが悔しいといえば悔しいけれど、


もうどうにもならねえでござんす。


この味覚嗜好、子どもにも遺伝してしまい


妻は刺身が好きなのに…


申し訳ございません!


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三島・石原慎太郎さんから伝統と新しきを考察 [’23年以前の”新旧の価値観”]

今年2月、元政治家・作家の石原慎太郎さんが


亡くなったのは記憶に新しい。


ご冥福をお祈りいたします。


政治家になる前は、若かったし新しい価値そのもののような存在で


三島由紀夫さんからも注目された『太陽の季節』。


自分は好きな小説ではなく、そもそも最後まで読めませんでしたけど。


政治家になってから、本当に物議を醸した


昭和の父権で突き進む、ある意味強いリーダーだった気がする。


弟の裕次郎さんは、父親たちの時代のオピニオンリーダーで


父の若い頃の写真を見ると裕次郎カットしていた。


兄弟で日本のカルチャーを引っ張っていたのだろうな。


裕次郎さんでいえば、自分の頃はもう


太陽にほえろ」「大都会」で大御所扱いだった。


余談だけど「西部警察」は申し上げにくいけど


自分の感覚としては二番煎じで嫌いであまり観なかった。


 


話を慎太郎さんに戻しますと


政治家になってから三島由紀夫と仲違いしてしまい


一説には三島さんは政治を目指して先を越されたとか。


政治思想の違いも当然あったろうけど


新聞上で果たし合いをされていたのを読んだことがある。


リアルタイムでじゃないよ、全集とかで。


 


三島さんも、石原さんも、共通するのは


デビュー時に、当時の伝統的な価値観のある文壇から


理解されなかった、新しい価値の人たちだったってところかなと。


 


話変わって、生物学者の池田清彦先生の


10年以上前の書籍で石原さんを評されていた随筆があった。


 



そこは自分で考えてくれ

そこは自分で考えてくれ

  • 作者: 池田 清彦
  • 出版社/メーカー: 角川学芸出版
  • 発売日: 2009/03/12
  • メディア: 単行本


時は北京オリンピック(2008年)の時期、当時福田首相だった日本で、


選手たちを鼓舞する催しがあったようで。


暴走する正義 から抜粋


福田首相は、オリンピックの出場選手に

「せいぜい頑張ってください」

と言ったと伝えられる。

それを聞いた東京都知事の石原慎太郎が、せいぜいとは何事だと怒ったという。

「せいぜい」の本来の意味は「力の及ぶ限り」ということなのだけれども、石原はこの本来の意味を知らなかったらしい。

道理でヘタな小説しか書けないわけだ

もっとも福田が本来の意味で使ったかどうか。わたしは知らない。


さすが忖度のない人だけど、では池田さんのいう


うまい小説家というのは誰なのだろうか気になる。


 



バカにならない読書術 (朝日新書 72)

バカにならない読書術 (朝日新書 72)

  • 出版社/メーカー: 朝日新聞社
  • 発売日: 2007/10/12
  • メディア: 新書


「勝手にノーベル文学賞」というテーマで養老先生と鼎談から抜粋


■池田

僕の「勝手にノーベル賞」は、三島由紀夫の『金閣寺』。

彼ももらうもらわないで騒がれたけど、受賞に値する作家だった。


『金閣寺』は古典的名作になり得え、世界的評価も高そうだし


そもそも比類するものがないような高みのものなんだけど。


ちなみに池田先生「鴎外VS漱石」というテーマでは


吉岡忍さんが、読み継がれているのは単に教科書に


載っているからだけじゃないだろう、を受けての


■池田

漱石の文章はいま読んでも違和感がないからだよ。

『吾輩は猫である』や『坊ちゃん』は、江戸っ子の話し言葉をもとにして作ったもの。

それがいまでも読めるということは、漱石の作った文体が、結局その後の日本語になったということだよ。

その影響を受けた芥川龍之介なども同様の文体で書き継いできたものだから、その源流の漱石の作品はスッと読める。

それに比べると、鴎外の初期の作品は読めないよ。


と話されて、両者からのお薦め本を3冊


  森鴎外「かのように」

  夏目漱石「夢十夜」

  森鴎外「渋江抽斎」


余談だけど、


 太宰治の三作

 『晩年』『斜陽』『津軽』


でもって、話をまた石原慎太郎さんに戻す。


完全なる遊戯』(1958年/昭和33年)という小説について、


三島由紀夫さんが最後の対談でコメント。


対談相手は文芸評論家の古林尚さん。


全共闘の若者の話からの流れで。


■古林

石原慎太郎が『完全なる遊戯』を出した時、三島さんが、これは一種の未来小説で今は問題にならないかもしれないけれど、10年か20年先には問題になるだろう、と書いていたように記憶してますが…。

■三島

あれは今でも新しい作品です。

白痴の女をみんなで輪姦する話ですが、今のセックスの状態をあの頃の彼は書いていますね。

ぼくはよく書いていると思います。

ところが文壇はもうメチャクチャにけなしたんですね。

なんにもわからなかったんだと思いますよ。

あの当時、みんな、危機感を持っていなかった。

そして自由だ解放だなんていうものの残り滓がまだ残っていて、人間を解放することが人間性を解放することだと思っていた。

僕はそれは大きな間違いだと思う。

人間性をそうした形で解放したら、殺人が起こるか何が起こるか分からない。

つまり現実に起こる解放というものは全部相対的なもので、スウェーデンであろうがどこの国であろうが、ルスト・モルト(快楽殺人)というものは許されない、人間が社会生活を営む以上は。

そういう相対的な解放の中では、セックスというものは絶対者に到達しない。

したがってパラドキシカルに言えば、戒律がないときには絶対に到達できない。

だからカソリックというのはすごいですよ。

あれはもっともエロティックな宗教です。


最後の方は、石原慎太郎と話が飛躍してしまってるけど、


三島さんも小説家として石原さんは最後まで評価されていたようだ。


スウェーデンが引き合いに出されてるのは、ちと分からない。


多分重いテーマのものだろうことは想像できるけど。


 


『完全なる遊戯』は自分はなんか心に引っかかって、


戦後短編をまとめたものをだいぶ前に買ってあって


今思うとヘヴィな時期に読んでみた。


だからってわけでもなかろうが、かなり衝撃的で、


発表時は昭和30年代だろ、これは反発食うわと思った。


これ読んだ時は自分も50歳過ぎてたから


当時の文壇の人たちに近い気持ちだったのだろう。


でも、僭越ながら思うのだけど


本当はそれこそが文学の役割で


いわゆる作品が優れた「批評」になっていた頃の


「時代」だったのかな、なんて。


 


余談だけど、「伝統的な価値観」って良い表現だよね。


「古い価値観」っていうと波風立つでしょ。


悪意のある意味で使ってなかったとしても。


これ、先日夜勤の休憩中にテレビ観てたら、


大リーガーの大谷翔平との対立した概念風に


NHKの番組で言ってて、思わず膝を打ったよ。


って表現が古いね、自分も。


伝統的な価値観に染まり始めている証拠だよ、これは。


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進化論はいかに進化したか:更科功著(2019年) [’23年以前の”新旧の価値観”]


進化論はいかに進化したか(新潮選書)

進化論はいかに進化したか(新潮選書)

  • 作者: 更科功
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2019/07/12
  • メディア: Kindle版

最近、なぜか「進化論」が気になる。

「資本主義」「コミュニズム」の研究はしばし休憩して


こちらを追求しております。


鉄は熱いうちに打て、とでもいうような。


まえがき から抜粋


私はネアンデルタール人の子孫である。

私の、というか日本人のDNAのだいたい2パーセントぐらい(ちなみに数万年前はもっと多かった)は、ネアンデルタール人から受け継いだものだからだ。


そんな私のご先祖様であるネアンデルタール人が、不当に貶められているのを見聞きするたびに、私は心を痛めてきた。

たとえば、英語で「ネアンデルタール人のような」といえば「醜い」とか「野蛮な」という意味だ。


このように進化の分野では、不当な扱いや誤解は珍しくない。

史上最も有名な進化学者であるダーウィンも、そして現在の進化学も、たくさんの誤解を受けている。

ダーウィンが『種の起源』を出版したのは1859年だから、日本でいえば江戸時代だ。

また、ネオダーウィニズムと呼ばれる説がある。

ネオダーウィニズムにはいくつかの意味があるが、たいていは遺伝学とダーウィンの進化論を合わせた説を指す。

このネオダーウィニズムが形を整えたのは1940年頃だから、昭和の初期だ。

こんな昔の学説が、そのままの形で今日まで生き残っているわけがない。

ところが、ダーウィンの進化論やネオダーウィニズムが、今日の進化学だという誤解は、最近出版された本などをみても、かなり広まっているようだ。

これは逆にいえば、ダーウィンがとても有名だということかもしれない。

しかし有名であることと、その主張が今でも通用することは、別の話である。


現在の進化学は、ダーウィンの進化論とは大きく異なっている。

これは進化学が大きく進歩したということでもあるが、もともとのダーウィンの進化論にも原因がある。

ダーウィンの言ったことには、ものすごく重要なことも含まれている一方で、たくさんの間違いもある

両者を区別しないで、ダーウィンの『種の起源』を読めば、何が何だかわからなくなってしまう。


ダーウィンの前にも、生物が進化すると考えた人はたくさんいた

有名な人に限っても、何十人もいる。

でも、そういう人たちの進化論は進化しなかった

つまり、後の人に受け継がれて発展することはなかった

さまざまな議論を巻き起こしながら、進化論が時代を超えて発展し始めたのは、やはりダーウィンからなのだ。


第一部 ダーウィンと進化学


第一章 ダーウィンは正しいか から抜粋


ダーウィンに対する誤解は、大きく分けて二つのタイプがある。

一つ目はダーウィンの考えを間違えて理解している場合で、二つ目は現在の進化生物学とダーウィンの進化論が異なることを知らない場合だ。

「現在の進化生物学は、突然変異とダーウィンの自然選択だけで進化を説明しようとしている」

といった意見が後を絶たないが、それは二つ目のタイプの誤解だろう。

もちろんダーウィンは神様ではない。

それにダーウィンは、ずいぶん昔の人である。

だから「種の起源』にはたくさんの間違ったことが書かれている。

現在の進化生物学は、ダーウィンの進化論を基本的には認めていない。

科学は日々進歩していくものだから、160年前の理論がそのまま生き残っている方が、むしろ不自然なことなのだ。

しかし、それにもかかわらず、ダーウィンの進化論は現在の進化生物学に非常に大きな影響を与えている。


ここで注意しなければならないことは、ダーウィンの進化論と『種の起源』の内容は、必ずしもイコールではないということだ。


ダーウィンの考えは年と共に変化していったが、『種の起源』はその途中で書かれたものである。


進化の証拠 から抜粋


『種の起源』の主張は、次の三つにまとめられる。

(1)多くの証拠を挙げて、生物が進化することを示したこと

(2)進化のメカニズムとして自然選択を提唱したこと

(3)進化のプロセスとして分岐進化を提唱したこと


第二章 ダーウィンは理解されたか


広まったのはダーウィンの進化論ではなくスペンサーの進化論


ダーウィンが「生物が進化する」と言ったとき、そこには「進歩する」とか「良くなる」といった方向性は含まれていないのだ。

「進化」とは、単に「(遺伝する形質が)変化」することに過ぎないのである。そしてこれは、現在の進化生物学の考えでもある。

現在のイギリスやアメリカでは、(生物の)進化を意味する言葉として「エボリューション(evolution)」が定着している。

しかし、ダーウィンが『種の起源』の初版を書いた頃は、そうではなかった。

ダーウィンは、進化を意味する言葉として「descent with modification」を用いている。

これは「変化しながら系統がつながっていくこと」で、「変化を伴う由来」と訳されることが多い。しかし、それでは少しわかりにくいので、ここでは「系統の変化」と訳しておこう。

しかし『種の起源』も第五版以降になると、「系統の変化」とともに「エボリューション」も使われるようになる。

これは、進化を広く世間に紹介した文筆家、ハーバード・スペンサー(1820-1903)の影響らしい。


時のトレンドにダーウィンも沿ったようで、


版を重ねると「エボリューション」という単語に置き換わっていったが、


「系統の変化」と「エボリューション」だと若干意味合いが違っていて、


それが誤解を増幅させてしまったと指摘する。


万物が進歩するとみなしたスペンサーは、当然生物も進歩していくと考えた。

だからスペンサーのエボリューションには進歩という意味は含まれない。

日本語の「進化」も英語の「エボリューション」も、進歩という意味があるように誤解されやすい言葉なのである。

ダーウィンの『種の起源』によって、進化論が広く受け入れられるようになったことは事実だろう。

しかし広く受け入れられたのは、ダーウィンの進化論ではなく、スペンサーの進歩的進化論だったのだ。

残念なことにその状況は、現在の日本でもあまり変わっていないようである。


ヒトを野獣におとしめた から抜粋


ダーウィンの進化論でもっとも批判が集中したのは、ヒトと他の動物を連続的につないだことだった。


ダーウィンとは独立に自然選択を発見したとされるアルフレッド・ラッセル・ウォレス(1823~1913)は礼儀正しい人物で、ダーウィンを尊敬していた。


細かく見れば、ダーウィンとウォレスの考えには違うところがたくさんある。

たとえばダーウィンは、進化のメカニズムはいくつかあり、その中の一つを自然選択と考えたが、ウォレスはほぼ自然選択だけが進化のメカニズムであると主張した。


またダーウィンは、生物の体の中には適応していない部分もあると考えていたが、ウォレスは生物の体の全ての部分は適応していると考えていた。

ダーウィンが

「生物は環境に完全には適応していない」

と考えた理由の一つは外来種の存在である。


ダーウィンは『種の起源』第5版と第6版の間に


人間の由来』(1872年)を出版していて、美的センス・モラルなど、


ヒトの高度な精神作用も進化で形成されることを主張。


ウォレスはヒトだけは異なる知的能力の獲得を主張していて、


『人間の由来』はウォレスの主張にカウンターするような


意味もあったと著者は指摘。


少し細かいことをいえば、ウォレスは、ヒトの高度な知的能力も、ヒト以外の知的能力も、発達段階としては連続しているという。

しかし、ヒト以外の知的能力は自然選択によって進化するが、ヒトの高度な知的能力は自然選択では進化せず、霊的なものが関与しているという。

ちょっとわかりにくいが、とにかくヒトだけは別格ということだろう。


第6章 漸進説とは何か


種は一気に変化する?


ダーウィンが考えた進化は、連続的にゆっくりと進むものだった。

これは進化の漸進説(ぜんしんせつ)と呼ばれる。

しかし、これまでの章では、ダーウィンの主張は、

(1)進化説、(2)自然選択説、(3)分岐進化説

の三つにまとめられると述べてきた。

漸進説は入っていないのだ。

これはなぜだろうか。

ダーウィンよりも少し前に、ジョルジュ・キュビエ(1769~1832)というフランス人の博物学者がいた。

ダーウィンより40歳ほど年上である。

キュビエは化石を調べることによって、時代ごとに生物が異なることに気づいていた。

しかし、生物が進化したとは考えなかった。

たとえば、地層を観察すると、陸地の上の川や湖などでできた地層(陸成層)のすぐ上に、海でできた地層(海成層)が載っていることがある。

陸成層と海成層の境界がはっきりしていることから、海水が一気に侵入してきて、急激に陸と海が入れ替わったのだとキュビエは考えた。

このような大災害があれば、生物は絶滅するだろう。

そして、その後、他の地域から新たな生物が移住してくる。

上下の地層で化石種が異なるのは、そのためだとキュビエは考えたのだ。

このような考えを激変説という。

激変説によれば、進化を持ち出してこなくても、生物が変化する原因は、絶滅と移住というわけだ。


キュビエの時代には、進化論者として、ラマルクがいたが、キュビエの影響力の方が大きかった。

当時、ナポレオン1世エジプト遠征によって、古代エジプトの墓から多数の動物のミイラが、フランスに持ち込まれた。

しかし、どのミイラ化した動物も、現在生きている動物と同じ形をしていた。

これは進化を否定する証拠と考えられた。

もちろん、古代エジプトの墓はせいぜい数千年前のものであり、進化による明らかな変化が起きるには短すぎる。

しかし当時は、正確に年代を測ることができなかったし、そういうことは分からなかった。

キュビエの主張は

「生物は、天変地異によって入れ替わることはある。しかし、生物自体は完成されたものであって、進化はしない」

というものだった。

キュビエの著作のいくつかは、すでにキュビエの生前に英訳されてイギリスで出版されており、ダーウィンも購入している。


それからしばらくして、ダーウィンが『種の起源』を出版すると、進化説は社会に広まり、ダーウィンは有名人になった。

すると、自然選択説に対する批判も増え始めた。

その中でダーウィンにもっとも大きな影響を与えたのが、セントジョージ・ジャクソン・マイヴァート(1827~1900)の『種の誕生』だった。

マイヴァートの批判はそれなりに筋の通ったものだったので、ダーウィンは見過ごすことができなかった。

そこでダーウィンは、マイヴァートの『種の誕生』の翌年に出版した『種の起源』の第6版に、わざわざ1章を追加した。

マイヴァートの批判に答えるためである。


なんとか説、ってのが多過ぎて、混乱する。


それにしても『種の起源』


ここまで改訂を繰り返したりしていると


ダーウィンだけの論説と言えるのだろうか。


「みんなで成長しました」みたいな


昨今の良い子たちのスローガンみたいだけど


本当にそういうことはあるのだろう。


誰それには負けたくない、ってことで頑張って、


気がついたら成長してた、みたいな。


ダーウィンの場合、負けたくないというよりも


死ぬまでに、これだけは言っておきたい


って気持ちの方が強かったのだろうと感じた。


 


『種の起源』それ自体が、多くの批評を跳ね除けるため


進化して、ダーウィンが生きている間はもちろん


亡くなってからの2022年現在も途中であるということなのか。


 


それからダーウィンに最も影響与えた学者の存在も


かなり興味あるのだけど英語版しかなくて


著者のコラムがあったので、備忘的にメモさせていただきます。


 


さらにそれから、興味深いのは、ダーウィンも


今の科学の視点からだと間違っていることが多いというのは


他書籍でも指摘されるけど、この書籍では


著者自らの実験で感じていることだった。


それとあとがきで、著者はゲーテを信奉していてそれは『人間ゲーテ』に出会い


ゲーテの闇の部分も知ってのことだったと書き及ばれている。


「あとがき」から抜粋


たびたび見たり聞いたりするのは、

「ダーウィンの進化説は現在でも通用している」

とダーウィンを持ち上げすぎたり、

「ダーウィンなどもう時代遅れだ」

と落とし過ぎたりする意見だ。

でも、それはどちらも正しくないし、ダーウィンに親しむ妨げになっていると思う。

さらに本書では、話題をダーウィンから進化生物学にまで、少し広げさせていただいた。

ダーウィンや進化について、親しむきっかけになれば幸いです。


昨日、アマゾンプライム+NHKオンデマンドで


『100分de名著』のダーウィンの回を拝見。


自分の説を証明するために、多くの実験を実施


ファクトを抽出しまとめ、多くの反論を跳ね除ける。


その一つに、海を隔てた遠く離れた大陸で、


同じ種が発生することを証明するために、


植物を何十種類も別環境で育ててみたり、


種を運ぶ鳥の体内に取り込み排泄しても


種自体の機能は無くならない(消化されない)よう


実証実験しているとあり驚いた次第。(細かいところはちと違うかも)


キリスト教の反発は強烈にあったものの


当時の大ベストセラーとなり


多くシンパシーを感じた人がいて


その中にキリスト教徒でも賛同派がいたという。


全くの余談だけど、何回か前の投稿記事で、


ダーウィンの人相がニール・ヤングのように


鋭いと書いたけど


あらためて『100分de名著』の写真を見ると、


優しい目つきのジェントルメンだった。


なぜかショーペンハウワー氏と一緒くたになって


怖い人相と記憶していて


これもまた当てにならんなあと思う次第でございました。


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