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そのうちなんとかなるだろう:内田樹著(2019年) [’23年以前の”新旧の価値観”]


そのうちなんとかなるだろう

そのうちなんとかなるだろう

  • 作者: 内田樹
  • 出版社/メーカー: マガジンハウス
  • 発売日: 2019/07/11
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


帯にあるコピーから抜粋。


 

直感に従って生きてきた思想家の

悔いなき半生記

 

いじめが原因で小学校「登校拒否」

受験勉強が嫌で「日比谷高校中退」

親の小言が聞きたくなくて「家出」

大検取って東大入るも「大学院3浪」

8年間で32大学の教員公募に「不合格」

男として全否定された「離婚」

仕事より家庭を優先して「父子家庭12年…」


これらのことを事前に知っていたら、


内田先生の書籍を手にする人は


こんなにいただろうか、


とは要らぬお節介である。


自分はなんか、いろいろな謎が解けて


内田先生の他の書籍を本腰入れて


読もうと思った。


腰痛が治ってきた今だから。


 


紆余曲折、いろいろあってシングルで子育てを


引っ越しした赴任先、神戸で教鞭をとる中


周りの方達の配慮から、週2日勤務以外


合気道の練習だけという恵まれた生活となり


娘さんとの時間に多くを割いたご様子。


 


第2章 場当たり人生いよいよ始まる


仕事で成功することを求めない から抜粋


すべてにおいて家事育児を最優先することにしました。

家事育児のせいで、研究時間が削られた。子供のせいで自己実現が阻害された

というふうな考え方は絶対にしない

朝晩きちんと栄養バランスのとれたおいしいご飯を作って、家をきれいに掃除して、服を洗濯して、布団をちゃんと干して、取り込んだ洗濯物にきれいにアイロンかけして、服のほころびは繕って…ということができたら

「自分に満点を与える」

ことにしました。

家事育児仕事が終わって少しでも時間が残っていたら、それは

贈り物

だと思ってありがたく受け取る

その

「贈り物としての余暇」

に本を読んで、翻訳をして、論文を書く。


うわー、耳が痛い!痛いですよ!


研究者じゃないけど自分は。


これは妻に絶対、読ませられない。


こんなパパ、素敵すぎる。


申し訳ございません!


 


空き時間は天からの贈り物 から抜粋


それから数年したら、今度は大学の管理職という年回りになりました。

2005年に教務部長に選ばれた時も

「しばらく研究は諦める」

決意をしました。

自分が赴任してきたときに、先輩たちから

「若いときは思い切り研究しなさい。学務はわれわれ年長者がやる」

と言われました。

その代わり、僕らが彼らの年齢になったら、今度は若い人たちの研究を支援しなければならない。

こういう仕事は順送りです。

僕と娘が二人で「することがない」生活を送れたのは、諸先輩方が裏で大学を運営するという面倒な仕事をこなしてくれていたからです。

今度は僕がその仕事をする番になった。

教務部長として出勤した初日に課長から

「出なければならない委員会のリスト」

を渡されました。

「いくつあるの?」

と聞いたら

「47です」

と言われました。

気が遠くなりそうでした。

研究棟に僕の研究室がありましたけれど、打ち合わせのためにいちいち教務課と往復するのが面倒だったので、教務課の奥にあった教務部長室に身の回りのものだけ持って引っ越ししました。

毎日教務の仕事と授業のために出勤する。

会議と会議の合間、授業と授業の合間にたまたま空き時間があったら、その時間を天からの「贈り物」と思って、そこで本を読み、原稿を書く。

そこで本が読めたり、原稿が書けたりしたら、それは

「ボーナス」

だと思う。

育児の時に僕が採用したルールがそのままです。

こうしたほうが精神衛生上、楽なんです。


あらゆる仕事には、

「誰の分担でもないけれど、誰かがしなければいけない仕事」

というものが必ず発生します。

誰の分担でもないのだから、やらずに済ますことはできます。

でも、誰もそれを引き受けないと、いずれ取り返しのつかないことになる。

そういう場合は、

「これは本当は誰がやるべき仕事なんだ」

ということについて厳密な議論をするよりは、誰かが

「あ、オレがやっときます」

と言って、さっさと済ませてしまえば、何も面倒なことは起こらない。

家事もそうです。

どう公平に分担すべきかについて長く気鬱なネゴシエーションをする暇があったら、

「あ、オレがやっときます」

で済ませた方が話が早い。

ですから、最初から

「家事は全部オレの担当」

と内心決めておいた方がメンタル面では気楽なのです。

相手に期待せず、押しつけず、全部自分でやる。

だから、相手がしてくれたら

「ああ、ありがたい」

と感謝する気持ちになれる。


このブログでも何度もご紹介させていただいている


ラジオデイズ」で


アゲイン10周年記念鼎談(2017年)


を昨夜聴いた。


武蔵小山にあったLive Cafe Again10周年の為


店主と内田さん、平川克美さん三人は


高校時代からの友人で大学を経て


社会人となり仕事仲間という戦友。


自分は10年以上前から、このメンツに


大瀧詠一さんを加えた「大瀧詠一的」を何度も拝聴。


何度も聞く理由は、「大瀧詠一」さんが


大きな理由でもあり続けるだろうけれど


もっと大きな理由はこの三人だったのだと


確信した。


この三人はとにかく類をみないような面白さで


でも、それはどこにでもいる、戦友だからなのだ


ということだった気がする。


 


あとがき から抜粋


そういえば、僕よりちょっと年長だと、椎名誠さんの『哀愁の町に霧が降るのだ』がありますよね。

これは1950年代末の「時代の空気」についてのとても貴重な記録だったと思います。(これに類するものを僕は他に知りません)。

本書も椎名さんより少し年下の人間が書いた60年代終わり頃の『哀愁の町』のようなものと思って読んでいただけたらうれしいです。


「自分らしさ」という言葉があまり好きじゃないのですが、それでもやはり「自分らしさ」というのはあると思います。

ただ、それはまなじりを決して「自分らしく生きるぞ」と力んで創り出したり、「自分探しの旅」に出かけて発見するようなものじゃない。

ふつうに「なんとなくやりたいこと」をやり、「なんとなくやりたくないこと」を避けて過ごしてきたら、晩年に至って、「結局、どの道を行っても、いまの自分と瓜二つの人間になっていたんだろうなあ」という感慨を抱く…というかたちで身に浸みるものではないかと思います。


「あなたがほんとうになりたいもの」、それが「自分らしい自分」「本来の自分」です。

心と直感はそれがなんであるかを「なぜか(somehow)」知っている。

だから、それに従う。

ただし、心と直感に従うには勇気が要る

僕が我が半生を振り返って言えることは、僕は他のことはともかく

「心と直感に従う勇気」については不足と感じたことがなかったということです。

これだけは胸を張って申し上げられます。

恐怖心を感じて「やりたいこと」を断念したことも、功利的な計算に基づいて

「やりたくないこと」を我慢してやったこともありません。

僕がやったことは全部「なんだかんだ言いながら、やりたかったこと」であり、僕がやらなかったことは「やっぱり、やりたくなかったこと」です。


こうありたいし、なんか、


かなり近いのではないかという


僭越で恐縮ながら、


そんな気がする、自分自身も。


 


紆余曲折、人に歴史あり、


何もない人ってそうそういないし


それはつまらないものだとも思う。


 


2010年に亡くなった母親に生前病室にて


「どういう人生が幸せなのかねえ」


と聞いたら、こう答えた。


「そうねえ…なにもないのがいいのではないかねえ」


 


きっとそんなことはありえないって


ことも知っての回答だったのだな、と


なぜか内田先生の書籍を読んで


思い出し、考えてしまった。


今月命日があったので家族で墓参りしたのも


影響したのかもしれないな。


 


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