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コロナ後の世界:内田樹著(2021年) [’23年以前の”新旧の価値観”]


コロナ後の世界

コロナ後の世界

  • 作者: 内田 樹
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2021/10/20
  • メディア: 単行本


コロナ後の世界(2020年) から抜粋


この後コロナが終息しても「元の世界」に戻ることはないだろう。

「コロナ以前」と「コロナ以後」では世界の政治体制や経済体制は別のものになるだろう。

政治的変化について私が危惧しているのは「民主国家よりも強権的な国家の方がパンデミック対応能力が高い」という評価が定着することである。

中国は武漢の都市封鎖や「一夜城」的な病院建設というような民主国家ではまず実行できそうもない政策を遂行して、感染抑制に成功した。

逆に、アメリカではトランプ大統領が秋の大統領再選という政治的な自己都合を優先させて、初動において大きく後れをとり、感染が広がり出してからも適切な措置を怠った。

「選挙」というのは民主制の基本をなす活動だけれど、それを優先させたために、巨視的な対策を採れなかった。

この差はさしあたりコロナ禍が終息した後のアメリカの相対的な国威低下と中国の相対的な国威向上として帰結するだろう。

パンデミックを契機に、国際社会における米中のプレゼンスが逆転することはないにしても、中国のグローバル・リーダーシップがアメリカに肉薄する可能性は十分にある。

中国はそもそも新型コロナウィルスの発生源であり、初期段階では情報隠蔽や責任回避など、非民主的体制の脆さを露呈したが、党中央が直接現場を仕切るようになってからは一気に感染拡大を抑え込んだ。

それだけではなくて、他国の医療支援に乗り出した。

中国はマスクや検査キットや人工呼吸器や防護服などの医療資源の生産拠点である。

どの国も喉から手が出るほど欲しがっているものを国内で潤沢に生産できるし、在庫も十分にある。

このアドバンテージを利用して、北京は医療支援を外交的な手段血すて最大限に活用し始めた。


今後コロナ禍が終息して、この歴史的出来事を総括する段階になった時におそらく

「米中の明暗を分けたのは何か」

という問いに

「民主制は独裁制よりも危機対応能力が低かった」

という答えが導かれることを私は深く懸念している。

確かにその指摘は部分的にあたっている。

中国では、血みどろ党内闘争に勝ち残った人間しかトップになることができない。

中国では、無能な人間が14億の国民の指導者になる可能性はほとんどない。

それに対して、アメリカの有権者は必ずしも有能な統治者を求めていない。

アレクシス・ド・トクヴィルが看破した通り、アメリカの有権者は自分たちと知性・徳性において同程度の人間に親しみを感じる傾向がある。

だから、トランプのような知性にも徳性にも著しく欠けた人間が大統領に選ばれるリスクがある。


アメリカでは、無能な人物が大統領に選ばれても統治機構に致命的な傷を与えることができないように制度設計がなされている。

建国の父たちはデモクラシーの社会では

「無能な人物が指導者に選ばれるリスクが高い」

ことを見通しており、そのリスクを抑制するための制度を準備していたのである。

トクヴィルはその炯眼(けいがん)に敬意を表している。

だが、トランプのアメリカは明らかに習近平の中国よりも感染症対策で大きく遅れをとった。

パンデミックについては、アメリカン・デモクラシーよりも中国独裁制の方が成功しているように人の眼には見えるだろう。

だから、欧州や日本でも、遠からずこれを奇貨として「緊急事態に際してはトップに全権を委任して、民主制を制限すべきだ」と言い出す人が出てくるはずである。

日本の場合は、すでに自民党が2012年の改憲草案の「緊急事態条項」で行政府への権限集中を訴えているが、改憲派の人々は必ずや今回の災禍を改憲に結びつけて、私権の制限を声高に訴えるはずである。


今はアメリカ・バイデン政権なので様相は変わっている。


知性・特性は上がっているのだろうか。


中国はピンチをチャンスに変えたり、その逆だったりせわしない。


外交のカードとして注目を浴びて、したたかな戦略も感じる。


その中で日本はこのコロナで何を学んだのだろうか。


直近の日本政府、ご指摘の「改憲派の私権の制限」や


このコロナと直接関係してるのかわからないけど


北朝鮮・中国の台湾への牽制などを見据えた


防衛費増税に踏み切った岸田政権。


それを国民に負担を強いるようだが、納得できないよな。


防衛費増税自体は、賛否あるだろうけどやむを得ない


ところあるのかなと自分は思うが。


そもそもこの事案は多くの同意を得るには難しい。


これからどのようにリカバリーして国民と向き合っていくのか


総理というか与党の手腕が注視される。


しかし、政治に対する、評価とか、態度とか、


現代は誰が取り締まるのだろうか。


作家も重要な監視塔であってほしいと願うのは


自分だけではないだろう。


そしてその役目の人は、できれば


国民のメンター(先達)であってほしい。


「コロナ以降」の日本で民主主義を守るための急務は「大人」の頭数を増やすことである。

繰り返し言うように、何も国民全員が「大人」になる必要はない。

「私は子供でいたい」と言う人はそのまま子供でいてくれて構わない。

でも、せめて7%、35人のクラスならそのうち3人くらいが、道に落ちている空き缶を拾うとか、おばあさんの荷物を持ってあげるとか、赤ちゃんを抱いている女の人に電車の席を譲るとかいうことを「肩肘張らずに」できるようであってほしい。

それくらいの頭数があれば民主制はもうしばらくは大丈夫である。

そのパーセンテージを切ったら、もう先はない。


カミュの『ペスト(1947年)』を例に取られ作家のあるべき態度としてなのかな?


こうも書かれている。


猛威を振るうペストに対して、市民たち有志が保健隊を組織する。

これはナチズムに抵抗したレジスタンスの比喩とされている。

今、私たちは新型コロナウィルスという『ペスト』に対抗しながら、

同時に独裁かという「ペスト」にも対抗しなければならない。

その意味で、『ペスト』は現在日本の危機的状況を寓話的に

描いたものとして読むこともできる。


戦争が終わって2年後の出版。


文学が政治を監視していた時代だったという気がする。


その後、カミュはノーベル文学賞を40代で受賞しているのだね。


話全然変わって大瀧詠一さんの追悼文。


大瀧詠一さんを悼んで(2014年)


去年の暮れに7回目の収録のための日程調整のメールを平川くんが送ったとき、大滝さんから

「去年が最後のつもりだった。だからスタジオにおいで頂いたのである」と言う返事がきた。

「始まりのあるものは、いつか終わる。」と言う言葉が書き記してあったそうである。

いかにも大瀧さんらしいと思った。

僕は定期的に会えなくなったせいでがっかりするより、なんだかうれしくなってしまった。

先ほども書いた通り、大瀧さんは「あらゆるものを見ている」わけで、僕にしてみたら、そばにいてもいなくても、いるのである。


大瀧さんは僕がツイッターやブログに書いたものをずっと読んでくれていて、

「日本でこんなことを知っているのは大瀧さんくらいしかいないだろうな…」

と思うトピックに言及すると、ほんとうに数分以内にメールがきた。

だから、ナイアガラーにとって最大の名誉は、

「日本でこんなことを知っているのは大瀧さんくらいしかいない」

ことを自力で発見して、大瀧さんからのメール認知を得ることである。

僕は2度その栄誉に浴した。


一つは2年前。ニール・ヤングの「Till the morning comes」は僕の耳にはどう聴いても「死んだはずだよお富さん」と言う春日八郎の『お富さん』のフレーズをそのままに聞こえる。

果たしてニール・ヤングが春日八郎を聴いた可能性ってあるのだろうかとそのとき、ブログに書いた(そう思ったのは1970年のことなのだが、言葉にするまで42年逡巡がの時があったのである。)

そのときは大瀧さんからすぐにメールが来て、アーサー・ライマン・バンドの演奏するOTOMI SANの映像がYoutubeにあると教えてくれた。


もう一つは、仕事をしながらBGMにデイブ・クラーク・ファイブを流していたら、『ワイルド・ウィークエンド』のイントロ部分に聞き覚えがあった。

顔を上げて、もう一度聴いてみたら、大瀧さんが作曲した『うなずきマーチ』の冒頭のビートきよしの音程のいささか甘い独唱部分とそっくりなフレーズだった。

二つの音源をYOUTUBEで探してツイッターに貼り付けたら、大瀧さんからすぐにメールがきた。

「この二つを結び付けられたのは内田さんが地球上で最初の人です」

つまり、大瀧さんは「ワイルド・ウィークエンド」を自作の「歌枕」にカウントしていなかったのである。

それを知らされて、ちょっと残念です、と書いたら、すぐまた返事がきた。

「”残念”ではなく、本当に見事な”新解釈”なのですよ!

あの曲の元ネタは、The Rivingtonsと言うグループの「Papa -Oom-Mow」です。

それがまさか、DC5の”ワイルド・ウィークエンド”と同じになっているとは!

今日の今日まで気がつきませんでした。

確かに同じですね!

こりゃ大笑い!

DC5は何万回と聴いているのでどこかでそれがあったのかもしれません。

しかしそれにしても、ビートきよしが、マイク・スミスとは!!

これは内田さん以外に提唱できない、”超解釈”です。」

大瀧さんからもらったメールの中でこれほどうれしかったものはない。

そのとき、一瞬だけ、大瀧さんと同じ「歌枕」に立って、

同じ方向を見ているような気がした。


大瀧さんが亡くなってはや9年。


この内田さんの文章はなんか泣けてくる。


文中にもある最後のラジオデイズ(2012年)は、


福生のスタジオで録音されたもので、興味深く、


いや単純に面白くて何回も聞き込んできた。


この文章を読んでから改めて聞き直すとさらにしみじみする。


これが最後だったのか。


収録最後に内田さんが仰る「じゃ、また来年」と


いうのは叶わなかったわけで。


おかしな表現しかできないけど、”深い落語”のよう


”洒脱な大人たちの説法”とでもいうか。


ところで余談なんだけど、音楽わからない人には


なんのことか全くわかりませんよ、これ。


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