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「現代優生学」の脅威:池田清彦著(2021年) [’23年以前の”新旧の価値観”]


「現代優生学」の脅威 (インターナショナル新書)

「現代優生学」の脅威 (インターナショナル新書)

  • 作者: 池田 清彦
  • 出版社/メーカー: 集英社インターナショナル
  • 発売日: 2021/04/07
  • メディア: 新書

最近、進化論系の書籍をよく読んでいて


その流れと思ったが池田先生のこの本は


そういうのとは異なり


かなりセンシティブな本だった。


まえがき から抜粋


人類史上最悪の災厄


優秀な人間の血統のみを次世代に継承し、劣ったものたちの血筋は断絶させるか、もしくは有益な人間になるように改良する。

そうすれば優れた者たちによる高度な社会が実現できるだろうーーこうした「優生学」の研究が、ナチスの優生政策に強い影響を与えたことは広く知られています。


現代の優生学


いまだ禍根を残しているとはいえ、極端な科学や思想を信奉する人々を除けば、優生学は忌まわしい過去もろとも封印されるはずの研究でした。

ところが学問としての体裁は整っていないものの、明らかに優生学的な傾向を持つ考えが、現在さまざまな領域で顕現しつつあります。

それを仮に「現代優生学」と名づけるとするならば、その広がりに大きく寄与しているものの一つが「遺伝子」の存在です。

胎児の遺伝子や染色体を検査することで、たとえば障害のある可能性が高ければ中絶するといったことも、現在では可能になりました。

こうした検査は、

「出生前に胎児の状態や疾患を調べ、最適な分娩方法や療育期間を検討する」

ことが主な目的ですが、出生前診断を受ける人の多くが

「胎児に先天的な障害がないかを調べ、障害があるようなら出産を控える」

というのが実情です。

科学の進歩がもたらす変化に倫理が追いつかない状況が、21世紀の今、静かに広がりつつあります。


第五章 無邪気な「安楽死政策」待望論


資本主義に毒された考え方 から抜粋


「役に立つ」「役に立たない」という概念自体、そもそも人間を何かの道具と捉えている証拠です。

太平洋戦争前の時代において「役に立つ人間」とは、「体が頑強で障害も病気もなく、男性は、兵隊として反抗的でなく、上官の命令通りに働く滅私奉公型の人間」のことでした。

一方、女性には「将来兵隊として役に立つ男の子を、たくさん産む」ことが求められました。

戦争が終わって高度成長期になっても、その価値観はそれほど変わりませんでした。

今度は工場で黙々と働く男性と、労働力確保のために子供をたくさん産む女性が「役に立つ人間」とされました。

LGBTの人たちのことを「生産性がない(子供を産まない)人間」と糾弾するのは、こうした考えに基づいています。

現在、世界を席巻している資本主義は、多くの労働者と消費者を必要としています。

「少子化は悪」というのは、資本主義というイデオロギーに毒された考え方ではないでしょうか。

生態学的見地からすれば、人口が少なくなれば一人当たりの資源量は増えていきます。

そうなると、個人個人の平均的な幸福度は高まってくるはずです。


本当に難しい問題をたくさん孕んでいる、


一般論としての見識はわかるものの


自分ならばどうするか。


選択肢の幅が増えることになる


科学の「進化」、ではなく「進歩」。


進化論の本を多く読んできたから、


「進化」というのは微妙です。


それは言いたいだけの、どうでも良くて


科学の「進歩」に話を戻すと、


良い悪いとは別に「倫理」の問題で、


ブログで何度も引いてしまって


大変恐縮ですが、柳澤桂子先生の言葉を思い出します。


「科学」「倫理」、質の高い「宗教」など。


話戻り、ナチスはとうの昔に消え去ったと思いきや


昨今のドイツクーデター(※)の動きなど、


ナチスと異なるものか


それとも残党の思想が燻っているか。わからない。


(※=2022年12月14日「ドイツ「クーデター計画」極右組織に根強くはびこる「陰謀論」 」)


 


池田先生、この書籍では言説が極めて


機微なるものだからか


最近のそれと比べると


文章の表情というか、硬い雰囲気が続かれる。


第七章 ”アフター・コロナ”時代の優生学


民主主義の根本を揺るがす危機 から抜粋


今回のコロナ禍では、「経済活動の再開」「感染抑制」「個人情報の保護」のどれを優先するかという対応策が、各国で大きく分かれました。

中国や韓国、台湾が大規模な封じ込めに成功しているのは、程度の差こそあれ、政府が国民の個人情報を強力に管理したからです。

「経済活動の再開」「感染抑制」を優先して、「個人情報の保護」を犠牲にしたわけですが、曲がりなりにも民主主義を掲げる国民が、それらの国を手ばなしで称賛して良いものかどうか、よく考える必要があります。

一方、アメリカ、スウェーデンのように「経済活動の再開」とともに「個人情報の保護」を優先し、「感染抑制」を犠牲にした国もありました。

オックスフォード大学の調査によると、2021年3月10日時点におけるスウェーデンの人口100万人あたりの死亡者数は1296人と、北欧諸国の中では突出しています(デンマーク411人、フィンランド140人、ノルウェー117人)。

同じ欧州のイギリス(1845人)やイタリア(1667人)、スペイン(1539人)よりは少ないですけれど、地理的・社会的な特徴が似た地域と比べると遥かに高い。

したがって、これを成功と言っていいのかは難しいと思います。

さらに言うと、ニュージーランドでは「感染抑制」「個人情報の保護」を優先した結果、経済活動が犠牲になりました。

ニュージーランドの新型コロナウィルス対策で注目を集めたのは、政府の迅速な対応でした。

ニュージーランドは、2020年3月26日から国全体で厳格なロックダウンを実施し、いったんは市中感染者を完全にゼロにすることに成功しました。

その状態を102日間も維持できたのですが、ニュージーランド統計局が2020年9月に発表した4月~6月期のGDPは、前期比11.0%減と過去最大の落ち込みでした。

「感染率がもっと低かったらどうだったのか」とか、逆に「子供を含む若年層でも重症化率が高かったら」など、いくつかのシナリオで思考実験してみても、「経済活動の再開」「感染抑制」「個人情報の保護」のいずれかが犠牲になってしまうのは避けられないと思います。


今日本は第8波なのか。


身近にきているのは気配で感じることの一つで


「ゼロコロナ」政策で混乱中の中国


(2022.11.29 中国で大規模な抗議デモ、


ゼロコロナ政策が感染抑制に失敗)


”イデオロギーの混乱”と”感染症の拡大”とは


無関係なのだろうか。


中国民の不満の爆発は何かを


象徴しているように見える。


話戻して、池田先生、あとがきでは


最近の文章の調子が復活。


いや、ここまであえて封印してきた


としか思えない。


あとがき から抜粋(ほぼ全文引用御容赦)


本書の素稿が仕上がった頃、特措法改正(新型インフルエンザ等対策特別措置法等の一部を改正する法律)の素案が出てきて、新型コロナウイルスに対する国民の不安に乗じて、強制的に国民をコントロールするチャンスが訪れた、と権力がほくそ笑んでいることがよくわかって不気味であった。

ミシェル・フーコーが「生権力」と言う言葉で指摘したように、近代以降の権力は人々の健康に積極的に介入することによって、人々の行動を制限して、権力の意向に従わせようとする傾向を持つ。

もう少し丁寧に説明すれば、権力は何であれ、おのれの意向通りに人々をコントロールしたいのだが、民主主義の世の中では、大衆からそっぽ向かれる政策を遂行することはなかなか難しく、まずは、健康・環境・安全といった人々が不安に思っているところから、コントロールを強めていこうとする傾向が強い。

とりわけ、健康・環境を錦の御旗に押し立てて、国民をコントロールする政策は大きな潮流となってきた。


健康に関しても、企業に対して従業員の健康診断を受けさせるのを義務化するなどの悪政を行ってきたが(健康診断を受けても受けなくても死亡率に差はない)、2021年2月に成立した、今回の特措法・感染症法改正(実は改悪)ではついに罰則規定まで盛り込んできた。

新型コロナで入院を拒否したり、入院先から逃亡したりした者にはこの50万円以下の過料(当初の案では1年以下の懲役も盛り込まれていたが、これは削除された)、営業時間に応じない者には30万円以下の過料、濃厚接触者が調査を拒否した場合は、30万円以下の過料といった具合である。

 

感染症の制御にはほとんど役に立たない、罰則規定を矢継ぎ早につくったのは、COVID-19を終息させることよりも罰則規定をつくることが目的だったとしか思われない。

ウイルス感染を拡大させないためには、医学的・疫学的な根拠に基づき、予防や治療を推進することが最も大事である。

罰則規定を盛り込むと、具合が悪くても入院したくないために検査を受けない人が、巷をうろつき、かえって感染者を増やしてしまう。

濃厚接触者を聞き出そうとしても、罰則規定があると、忘れたと言って答えない人が必ず一定数出てきて、かえって濃厚接触者の特定が難しくなる。

あれやこれやを考えれば、罰則規定はCOVID-19を抑制するよりも拡大させてしまう可能性の方が高い。

入院したくても入院させてもらえない状況を改善しないで、入院拒否や逃亡には罰金って、何を狙っているのだろうね。

日弁連や日本医学会連合が反対したにもかかわらず、こんなにも拙速に改正案を成立させた裏には、新型コロナで恐怖を煽って、いずれ拡大解釈を行なって、権力が隔離しておきたい人を意のままに閉じ込めておきたいとの思惑が透けて見える。

 

第七章で述べたチフスのメアリーのように、不顕性でまったくの健康体で、ウイルスが長期にわたって体から抜けないといった人が現れたら、どうするつもりかしら。

「ハンセン病違憲国賠償訴訟全国原告団協議会」の竪山事務総長が、特措法改悪に

「差別や偏見を助長する」と強く反対したのも頷ける。

 

国の政策の失敗を認めず、ハンセン病患者を蛇蝎(だかつ)のように扱ったのと同じように、COVID-19の蔓延を、あたかも患者個人や飲食店の責任であるかのような風潮をつくり出し、国のやり方に反対する国民を罪人と認定する今回の特措法改悪と同様な思想は、そのうち、知的障害者や、認知症の人権を守ろうとする人をターゲットにし始めるかもしれない。

新型コロナウイルスの蔓延を奇貨として、権力が優生学的な政策を導入することに対して、我々は最大限の警戒をしなければならないだろう。

人々の健康を守ると称して導入される政策が、実は不健康な人を排除したり見捨てたりする政策だったりしたら、洒落にもならねえよな。


最後の締めかたが最近の


池田先生ならではですなあ。


これが嫌いって人には読めないのだろうな。


言説内容の可否以前に。


自分も特別これが好きってわけではなく


ものすごい情報量と分析力に支えられて


文章全体が論理的で、何よりも面白くて


読まずにいられないという。


そういう好みって、理屈ではないからねえ。


余談だけど、本との付き合い方って


本来そういうものなのだろうと


自分にとっては、ってことで、


腰痛で休んでいるコタツからの投稿でした。


 


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