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遺伝子改造社会あなたはどうする:池田清彦・金森修共著(2001年) [’23年以前の”新旧の価値観”]

遺伝子改造社会 あなたはどうする (新書y)


遺伝子改造社会 あなたはどうする (新書y)

  • 出版社/メーカー: 洋泉社
  • 発売日: 2023/06/24
  • メディア: 新書

まえがき(金森修) から抜粋

どんな問題がありうるのか。

現在と近未来、ときにははるか彼方の未来を見据えて、私と池田さんが、遺伝子をめぐるいろんな話をぶちあげてみた。

「浮気遺伝子」というようなおとぼけ話で済んでいるのなら、それほど心配はいらない。

でも、もう少し真剣に考えてみたら、クローン、ES細胞、遺伝子診断や遺伝子治療など、今日われわれの社会をにぎわすかなり多くの話題が、遺伝や生殖に関するものだ、ということに、あなたは気づくはずだ。

とくに遺伝学の場合、事態は単に一つの世代だけでなく、今後長く続いていく(はずの)われわれの子孫にも関係してくるものなのだ。

またここで取り上げたいろいろな話題のなかには優生学などという、過去の暗い話と関係するところもある。

その一方で、はるかに現代的な遺伝子組み換え食品などに触れている部分もある。

もちろん、それらの話題すべてになんらかの提言を、というまでにはいっていない。

だが、現時点で比較的重要で、いっておくべきだと考えたことには、できる限り触れておいたつもりだ。


第三章 ヒトゲノム解読は何をもたらすのか


ヒトゲノム解読は始まりの一歩 から抜粋


■池田

遺伝子というのは、メンデルの時代には仮想的なものだったわけですが、それが染色体の上に乗っかっているとわかってDNAというものであることがわかったわけです。

人間には、全部で23X2=46個の染色体があって、その上にDNAが乗っているわけですけど、DNAというのは相補的な塩基対でできますから、こっちにアデニンがあれば、その向かいにチミンがあるというようなかたちでくっついているわけで、その塩基対が人間には30億あるといわれているわけです。

これを全部解読すればすべてのことがわかるんじゃないかといっている人が、昔からいたわけですが、そういっている人たちも、本当にすべてのことがわかるとは思っていないのではないかと私は疑っています。

しかし、それはかなりの金の研究になるわけです。

何百億ドルというような額のプロジェクトになりますから、やりたい人はいっぱいいたわけです。

塩基対を解読するのは、昔は大変だったんだけど、だんだんいい器械ができてきて、わりに簡単に高速度で解読できるようになって、ついに2000年の6月に

「ほとんど全部解読した」

ということを発表しまして、だいたい90パーセント近く、DNAの素読が終わったというわけです。


DNAというのは人間の場合ーー人間じゃなくても多細胞生物は大体そうですがーー、ほとんど機能していないわけです。

機能している部分を、普通遺伝子というんです。

だから、遺伝子とDNAというのは、普通は等値しますけど、実際はDNAのごく一部が遺伝子であって、残りのDNAをわれわれは普通ジャンク(ガラクタ)といったりしています。

僕は、じつはガラクタじゃなくて、そのなかに何かもっと重要な、進化を司るような遺伝子があるんじゃないかという仮説を立てているんだけど、固体発生に関しては関係なさそうですから、ジャンクのDNAはあってもなくてもどうでもいいということになるわけです。


ところが今言ったように、どの遺伝子が何の機能を持っているかという同定をしなければ、DNAを素読しただけでは役に立たない。

タンパク質を作る遺伝子というのは、メッセンジャーRNAというのを作りますから、そのメッセンジャーRNAを取り出してきて、RNAは非常に読みづらいので、それに相補的なDNAを作らせるんですね。

これがコンプリメンタリーDNA、いわゆるcDNAというもので、それを読むわけです。

そうすると、その遺伝子がどんなタンパク質のアミノ酸配列がわかりますので、機能が特定できるわけです。

それが、2000年6月の時点で2割ぐらいでしたから、今はもうちょっといってると思います。

日進月歩ですから、3割くらい言っているかもしれません。


ヒトゲノムの解読が済んだというので、みんな大騒ぎして、全てがわかったように思っているかもしれませんが、具体的なことはあまりわかっていないというのが現状です。


科学者は痛い目に遭うまでやりたいことをやる存在である から抜粋


■池田

科学者は、やっぱりやりたいことをやるんだよ。

これを止めるというのは、なかなか難しくてね、”やらない”ということに対しては金がでないし、”やる”ことに関しては金が出るからなんだかんだと理屈をつけて”やる”わけですよ。

これは、日本の公共事業みたいなもんでね(笑)。

昨日、山梨県の下部というところへ行ったんだけど、誰も通らないような山の中の道が工事で通行止めになっているんですよ。

1日一台も通らないようなところを舗装しているんですよ。

僕が「こんなところ舗装してどうするんだ?」っていったら、隣に乗ってた人が

「あれは舗装が目的じゃなくて、金を出して石油の産業廃棄物を捨ててるんだよ」

というんですよ。

道路と称して、じつは山は産業廃棄物の捨て場になっているというわけです。

ただ捨てるんでは問題があるし、公共事業ということにしておけば、土建業者が儲かるからね。

 

■金森

うーん、それはすごい洞察だ(笑)。

 

■池田

けっこうすごい話ですよね。

なんだかんだと理屈をつけて”やる”んですよ。

建設省(国土交通省)も、もう道路はいらないとなったら、今度は「道の駅」なんているのを造るんですよね。

あんなもの、何の役にも立たないんですよ。

金をどんどん取ってくるために、そういうことをやってどんどん金をつかうわけです。

たとえば河川だったら、今まではコンクリートで一生懸命固めてたところを、

「これじゃ自然が失われる。ビオトープ構想を」

というので、今度はそれをまた元に戻すようなことをしているでしょう?

とにかく金を動かすわけです。


その逆はだめですね。

僕のところにも自然保護に興味のある学生がいて、大学院で自然保護を勉強したいというので、東京農工大の自然保全を専攻するところに紹介したら、けっこうな競争倍率を突破して受かったんです。

だけど、農工大の先生に聞いたところによると、そこは入るのは大変だけど、でても就職がぜんぜんないというんですよ。

逆に、林学科はそこよりやさしくても、出るときの就職はたくさんあるんだそうです。

自然保護というのは、若い人に受けがいいけれども、ネガティブだから、なかなか就職に結び付かなくて大変ですね。

木を植えても切る方が、少なくとも金儲けになるからね。


だから、これからの社会では遺伝子改造を”するな”というのは、理屈としてはとおっても、実際にそうなるかというとなかなかそうはならないでしょう。

なんだかんだと理屈をつけて、遺伝子をいじって金儲けしたい人がいるわけだから。

そういったところから甘い言説が溢れでて、それに抗していくのは大変ですよね。


予算のつき方って、その通りなんだろうね。


公的機関の予算ってのはよく知らんけど。


上を説得するのに、下の人たちは懸命に


必要性をロジカルに企画して


「これ儲かりますよ」とすると、


上は役員に、役員は株主に、って流れで。


貨幣価値がのさばる社会、資本主義論理って


そうなってしまうのが常でございますよ。


そうじゃない流れも少しはできてきている気も


希望的観測かもしれないけど、


あるにはあるだろうけど。


第四章 遺伝子改造社会の論理と倫理


自己決定は可能か から抜粋


■池田

もしそういうことをやりだすとすると、例えば背は平均的に徐々に高くなってくる。

その時に遺伝子改造を「やる」のも「やらない」のも自己決定だというのは確かにその通りです。

僕は過激なリバタリアンだから、自己決定でやってもいいんだけど、その時に「やる」という人が大勢になってしまうと、「やらない」という人が差別の対象になる。


だから、「自己決定だ」といっても、これはじつはかなりのバイアス、社会的なキャナリゼーション(誘導的な道筋)がかかっていて、そうせざるを得ないような”自己決定”に追い込まれていくわけですよ。

そこに国家のパターナリズムみたいなものが絡んでくると、自己決定と言いながら、じつはまったく自己決定ではなくて、いやいや決定させられているというようなはめになって、普通の人は、そんなことだったら、最初から国家が介入してくれた方がいいというふうに思うことがあると思うんですよ。


遺伝子組み換えのリスク から抜粋


■池田

ホルモンを外在的に入れると、自分のホルモン系がサボるからね、いろいろめんどくさい問題が起きるんだよね。

(略)

ただ、遺伝子改造の場合はちょっと違って、もとをいじっちゃうわけだから、その辺でそんなリスクがあるかは、やってみなきゃわからないけど、ホルモン投与よりはリスクが少ないかもしれないね。下手すると。

 

■金森

ええ、下手するとね。

 

■池田

ただ、社会的な価値というのは、いつ反転するかわからないわけであって、極端なことをいうと、背が高い、背が高いというふうにバイアスがかかっていくと、正規分布の山がこっちへこっちへとずれていくわけですよ。

自然選択でそういうことが起きれば、それは適応的になっているといえるわけだけれど、無理矢理、人為選択をかけているわけだからあるところまでいくと、あまりにも背が高いことは必ずマイナス要因になります。

たとえば背が高くてよろよろしてうまく動けないとか。

だいたい、統計的にみても、背の高いやつは早死にすることはわかっているんですよ(笑)。

中肉中背のやつが一番長生きだって言われてますからね。


第五章 遺伝組み換え作物は安全か


とりかえしのつかない多様性を壊すことの危険性


■金森

一番最初に池田さんがおっしゃった、エコロジカルな、生態学的なことで言うと、僕が絶対に問題だと思っているのは、これはもともと大規模農業を想定しているから、やり方にしろ品種にしろ、均一化するんですね。

そうすると、さっきおっしゃったように、除草剤耐性なんていっているうちに、それが結果的には除草剤耐性どころか、雑草もぜんぜん平気になったとしますよね、たとえば今から50年後くらいにしておきましょうか。

ところが、それまでにその手法で均一化していって、地域によって一つ一つ違う嚢胞や薬があったのを一つ一つ潰していって、その巨大企業の利益を追求していき、例えばダイズ生産のほぼ80パーセントがそうなってしまった後に、実際には除草剤耐性が元も子もなくなってぜんぜん効かなくなってしまったら、どうするんですか。

それこそメチャクチャになるでしょう。

そういう危険もある。

このタイプの技術は必ず独占化を目指すもので、少しでも比率を増やすというか、自分以外のものを排除しようとします。

あるいは、地方の細かい伝統を潰そうとします。

そういう意味で、農法の多様性を壊す方向に行きますし、作物の品種の多様性も壊すとなれば、それこそ他の生物界とのアナロジーで考えると、これはきわめて危険です。

■池田

そう。それから生態系自身の多様性を減らす可能性もあります。


終章 我々は何をなすべきか


学者は社会的視座で価値を提示する必要がある から抜粋


■池田

学問の流行り廃りみたいなものがあって、金森さんは哲学のことをおっしゃったけれども、学者っていうのは論文ばかり書いていればいいわけではなくて、少なくとも自分のやっている学問が社会に及ぼす影響について明晰でなければならないと思いますね。

専門家相手の論文ばかりではなくて、普通の人に論点を提示したり、価値判断を提示したりということをある程度やらなければいけない。

多くの学者はただ税金をかすめて食っているわけだから、申し訳ないと思わなきゃ(笑)。

しかし、そうは思っていない連中の方が多いでしょう?


■金森

つまり、人類史全体のなかでも大局的な意味での危機的な時代だということは明らかだと思うですよ。

(略)

現代は、人類史の中でも稀に見るほどに危機的な時代の一つだと思う。

そういう危機的な時代にあって、自分の小さな世界を一所懸命に守るというかたちじゃないようなものを、一人一人の人間が、ーーもちろん、挫折したり、間違った事を言ったりするわけですがーー最善の努力で少しでも社会的に広い視座を持つようにして、発言していかなければならない。

特に僕なんかは文科系の人間ですから、価値を提示しないと、それこそ何の役にも立たないわけです。

価値を提示するというのは、「これはいい」「これは悪い」ということ、いいものと悪いものをはっきりいうという事です。

毒にも薬にもならないようなことを、ブツブツ言って時を過ごすんじゃなくて、毒にも薬にもなりうることを言おうと努める事です。

これは美しい、と断言するということは、他方で、醜いものだと感じたものを前にした時には、紳士的にニヤついているだけではなくて、しっかりと怒り、きちんと批判する、という事です。

それが価値を作っていく、という事なんだと思う。

そのような意味で価値を作っていくということを、もしも可能であれば、一人ひとりの人間が目指すべきなのではないかと思います。

それぞれの人間が、それぞれの観点から、正しいもの、美しいもの、間違っているもの、醜いものに見えるものを名指し合い、なぜそれが美醜に見えたり、真偽に見えたりするのか、その根拠を自由に論じ合えばよい。

その議論の過程で、徐々に、より多くの、より慎重な判断をとれる人々にも納得できるような価値が成熟していくでしょう。


学者にも色々いると思うけど、有意義な論説を


役に立たせるも役立たずにするかは、


市井の人々によるところが


大きいと感じた。


そのためにも、自分達は感性を磨き、有益な情報かの


判断力がないと、大局的にいうと人類は


良い方向にいかないだろうなと。


なので、まずはメディアなり企業などが、


功利に関わることばかり


喧伝せず、忖度なしの有効と思われる情報を


抽出できる体質になってほしいですよ。


学者の論文って多分、普通は目にする事が


あまりないから、


そこからメディアなり企業が、利益になりそうだ、と


判断されての情報発信からの流布となるからね。


そこから一般市民は、今だけよければって


視座だけじゃなくどのような未来となるかも


吟味していかないと。


(未来を予測するのは難しい、とは池田さんも


”あとがき”で言っているけどね…)


なんか大きな話すぎて頭が疲れた本だった。


20年以上前のものだから、現在の進化


(と軽々しくいうのも憚られるが)が気になりますが


ひとまず今日は掃除と家族で映画(すずめの戸締り)


観に行って参ります。


最後にシビれる池田さんのあとがきで


締めさせていただきます。


あとがき(池田清彦) から抜粋


一万年前に農耕が始まって以来、人類は自然を自分の都合にあわせて変革してきた。

DNA操作技術はこの延長線上にあるとはいえ、今までの技術とはまったく違うところがひとつだけある。

それは人類自身を変革する可能性を手に入れたことだ。

ヒト以外の生物をヒトの都合にあわせて変えるのと違って、ヒトをヒトの都合にあわせて変えるというのは、考えてみれば、ずいぶんおかしな話ではないか。

ヒトを変革するということは、いいかえれば都合のほうが変わるということである。

少し過激に考えてみよう。

たとえば、多くの人々はなるべく自由に安楽にしかも長生きしたいと願っているであろう。

これはヒトの都合である。

これらのヒトの都合に従って、自然は改造されてきたわけだ。

しかし、人々が自由に安楽に長生きしたいと思わなくなってしまえば、話はまったく変わってしまう。

たとえば、環境問題は人々の欲望が科学技術という手段を得て顕現したものである。

人々の欲望が変わらない限り、これを解決するのはほとんど不可能なことは誰でも知っている。

ならば、DNA操作によって欲望の質そのものを変えてしまえば良い。

そう考える人が現れても不思議ではない。

ヒトの性質の遺伝的基盤が明確になれば、そういうことも不可能ではなくなるかもしれないからである。

我々はつい最近まで、人間には、信頼、正義、名誉といった普遍的な価値があるはずだと信じてきた。

しかし、価値もまたヒトが変われば変わってしまう。

遺伝子改造された未来人は、科学技術の進歩にさしたる興味をいだかなくなってしまう可能性だってないわけではない。

 

ヒトの遺伝的基盤をいじるとは、そういうパラドキシカルな構造をもつ社会に突入することでもある。


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