進化論の最前線:池田清彦著(2017年) [’23年以前の”新旧の価値観”]
一読するとこの言論に関わった関係者が多くて煩雑だけど、
「進化論」自体がもはや一人の論ではないことは確かなようで
まだまだ発展途上な「進化論」なのだろうなと感じた。
まえがき から抜粋
進化とは一言で言ってしまえば、
「生物が世代を継続して変化していくこと」
です。
従って、もし一つの個体が能力を獲得したとしても、その性質が子や孫といった次の世代に伝わっていかなければ、それは進化と呼べないのです。
このような話をすると驚かれるかもしれませんが、実は進化のプロセスを合理的に説明する科学的な理論というものは、いまだに存在していません。
もちろん、皆さんはダーウィンの示した「進化論」の存在を知っているはずです。
ダーウィンの進化論は様々な修正が加えられ、現在はネオダーウィニズムとして受け継がれています。
しかし、生物を研究していくと、ネオダーウィニズムでは説明できない事柄が実にたくさん出てくるのです。
人類はさらなる変化を遂げる可能性 から抜粋
私たちが進化について学ぶ大きな動機は、人類が出現してきた道筋を知ること
ーーつまり、
「私たちはどこから来たのか」
を解明することです。
進化の道筋を知ることができれば、
「私たちの未来はどうなるのか」
といったことも予測できるかもしれません。
人類は哺乳類の中でも高度に特化した生体システムを持っていますので、今さら生物学的な進化が起こるということは、あまり考えられません。
しかし、様々な技術を開発することによって、生物学的な進化とは別の変化を遂げる可能性は高いと考えられます。
現在「ブレイン・マシン・インターフェイス(BMI)」
という、脳からの信号を受信して機械を操作するプログラムや機器の開発が進められています。
このBMIの技術を使えば、脳波などを読み取ることで脚を前後に動かすことのできる義足や、指を閉じたり開いたりできる義手を作る事も可能です。
また、視力を失った人の目にデジタルカメラなどに使われているCCD(電荷結合素子)を埋め込み、それを脳とつなげることで視力を回復させる人工網膜などの開発も進められています。
さらに、これは研究段階の話ですが、生きたサルの脳と離れた場所にあるロボットとをつなげて、サルが行動したとおりにロボットを動かすという実験にも成功しています。
このような技術の進歩を目の当たりにすると、そのうち体のほとんどが機械に置き換わったサイボーグのような人間が現れても不思議ではありません。
どこまで進んでしまうのか、人間の科学。
まるで手塚治虫さんの漫画ではないかと思った。
映画「エリジウム」「マトリックス」も現実になる日も来るのか、なんて。
第一章 ダーウィンとファーブル
ネオダーウィニズムは、時代によって考え方が少しづつ変化している から抜粋
ダーウィンは1859年に『種の起源(On the Origin of Species)』を著し、人類に進化という概念を示した人物です。
しかし現在主流になっている進化論の学説は、ダーウィンが提唱したものと少し異なっています。
現在の進化生物学の標準理論と考えられているのは、ダーウィンの自然選択説と、グレゴール・ヨハン・メンデル(1822-84)の遺伝学説を中心に、いくつかのアイデアを融合させた学説で、これは「ネオダーウィニズム」と呼ばれています。
(略)
その中核をなす考えは、
「偶然起こる遺伝子の突然変異が、自然選択によって集団の中に浸透していくことで、生物は進化していく」
というものです。
自然選択説とは何か から抜粋
生物がもつ形や性質を「形質」と言います。
遺伝とは、この形質が親から子、子から孫へと受け継がれていく現象です。
そして遺伝情報を担っている中心的な高分子化合物がDNA(デオキシリボ核酸)で、遺伝情報はアデニン(A)、チミン(T)、グアニン(G)、シトシン(C)という4種類の塩基の配列として刻まれています。
遺伝子とは素朴には「遺伝形質を規定する因子」のことですが、具体的にはタンパク質の作り方の情報を持っているDNAの塩基配列が乱れたり、変化したりすると、その部分の遺伝子に変異が生じ、生物の形質が多少なりとも変わる(ことがあります)。
ネオダーウィニズムでは
「このようなDNAの変異は偶発的に起こる」
と考えたのです。
(略)
しかし、ネオダーウィニズムは、幾つもの問題点を抱えています。
例えば、ネオダーウィニズムを信じる人たちは、長い間
「遺伝子と形質は、一対一でできている」
と暗黙裡に考えていました。
遺伝子と発現形質が、実際に一対一で対応していれば何の問題もないのですが、現実はそう簡単ではありません。
自然選択と突然変異だけでは、大きな変化は起こらない から抜粋
多くの人は
「ネオダーウィニズムは、新しい種ができる仕組みを論じたものである」
という印象を持っています。
しかし、実のところネオダーウィニズムは、種の枠組みを超えるような大進化がどうして起こるのかを解明できていないのです。
ネオダーウィニズムという学説の大きな柱は、「突然変異」と「自然選択」ですが、遺伝子にどれほどの変異が起こったとしても、大進化が起きるという保証はありません。
つまり、「自然選択」と「突然変異」だけで新種ができるということは、確定的事実ではないのです。
1970年代あたりから、人類は遺伝子を操作する技術を手に入れ、遺伝子組み換え実験をおこなってきました。
この実験が始まった当初は、多くの学者が
「地球上に存在しないような、すごい生物ができるかもしれない」
と思っていました。
遺伝子が生物の形を決めているのであれば、人工的に遺伝子を操作することで、とんでもない生物が作られても不思議ではないと考えられていたからです。
(略)
「遺伝子を組み替えただけでは、生物が大きく変化することはない」
という理解が徐々に進んでくると、やがて日常に近い環境下でも遺伝子組み換え実験が行われるようになりました。
このように事実に直面して以降、
「自然選択と突然変異だけでは、大きな変化は起きないのではないか」
という疑問が生じてきたのです。
ファーブルの進化論批判 から抜粋
生物の進化は形態的な側面からのみ論じられがちですが、生物、特に動物を大きく特徴づけるものに「行動」があります。
動物は誰からも教わっていないにもかかわらず、一定の条件のもとでは必ず発動されるように見える行動をとることがあり、そのような行為は「本能行動」と呼ばれています。
ダーウィンは、本能行動を学習や思考などによるものではなく、外部から受ける刺激によって引き起こされる反射が複雑に組み合わさったものだと考えました。
そして、体のつくりなどと共に、本能行動もまた自然選択によって保存され進化してきたと主張したのです。
そのダーウィンと同時代を生きた研究者に『昆虫記』を記したジャン=アンリ・ファーブル(1823-1915)がいます。
「偉大なる枚挙主義者」と言えるファーブルは、現在でいう動物行動学や動物生態学に属する分野の研究を行った人物です。
(略)
昆虫の生態を記録し続けたファーブルの勤勉さはもちろんですが、彼の感心する点はそれだけではありません。
なんとファーブルは、当時「最先端の理論」として注目された進化論に、果敢に戦いを挑んでいたのです。
彼はたくさんの狩りバチの仲間を観察し、それぞれの種のエサが極端に特殊化していることや、獲物を狩る方法が驚くほど的確であることを記録しています。
そして、その行動記録をもとに進化論を批判したのでした。
しかしファーブルとダーウィンは仲が悪かったわけではなく、
お互いの研究を認め合っていたようで。
書簡での交流を続けていて、ファーブルのハチの研究に感銘を受け、
ではそのハチたちをこうしてみてくれないか、とディレクションできる
仲だったという大人で建設的な関係だったようだ。
第四章 ゲノム編集がもたらす未来
構造主義進化論 から抜粋
言語学や哲学、社会学、数学など諸科学における考え方の一つに「構造主義」という方法論があります。
構造主義とは、簡単に説明しますと
「表面に現れているあらゆる現象の背後には、必ず何らかの深層的な構造が存在する」
という考え方です。
この理論にはシステムの共時性が原理として取り入れられています。
私は、この構造主義を進化論に当てはめて生物の進化を理解する「構造主義進化論」を提唱しました。
遺伝子の発現パターンを左右するDNAのメチル化 から抜粋
遺伝子は外部の環境によって発現パターンに変化が生じます。
この発現パターンが子孫に遺伝することが、進化へとつながるのです。
遺伝子の発現パターンの遺伝といっても、なかなかピンとこない方が多いと思いますので、もう少し詳しく説明しておきましょう。
遺伝子の発現パターンを左右するものの一つに「DNAのメチル化」があります。
DNAのメチル化とは、遺伝子を構成している塩基の一つであるシトシン(C)にメチル期が付着することです。
もう少し正確にいうと、DNAの上流から下流にかけてC-G(シトニン–グアニン)と並んだCにメチル期が付着することです。
このメチル化が起こることによって、遺伝子の発現が抑えられることがわかっています。
(略)
このような、DNAの塩基配列に変化が起こらずに遺伝子の発現を制御するシステムのことを「エピジェネティックス」と言います。
通常、遺伝形質の発現はDNAに記録されている遺伝子情報に起因しますが、エピジェネティクスは塩基配列を変えることなく、遺伝の発現を変化させ、その結果表現型も変わります。
さらに、エピジェネティクスによって制御された状態では、場合によっては遺伝します。
第七章 人類の進化
アメデトックリバチの不思議な営み から抜粋
ダーウィンの進化論は、
「なぜ地球上には、これほどまでに多様な生物が存在するのか」
という疑問に答えるための理論です。
しかし、ファーブルにしてみれば
「これまでの観察結果を説明することができない、非常に貧弱な理論」
に思えたことでしょう。
そして、ファーブルの心には、進化論を認めるわけにはいかないという気持ちが湧いてきました。そのことは、『昆虫記』のなかのあらゆるところに見受けられます。
生物の進化は、ダーウィンが考えていたほど単純なものではありません。
そしてダーウィンの考え方を修正して発展してきたネオダーウィニズムも、進化に関する様々な謎を解明できていないのが現状です。
多細胞生物では遺伝子そのものの変化だけでなく、遺伝子をコントロールするエピジェネティックなシステムも重要になってきます。
そのようなシステムを解明することによって初めて、私たちは進化の本質に迫ることができるのかもしれません。
この書籍から約5年経過、まだまだ進んでいくのだろうなと感じさせる。
先月NHKで「超・進化論」というのをみたけど
虫の生態について、超高速な羽根の運動、回転方向、
さなぎの中で何が起こっているかのCTスキャンとか
驚くことが多かった。
地球上で昆虫の多さもびっくり、昆虫からしたら
人間はものすごく恐ろしい存在だろうな。
ファーブルさんって日本では有名だけど
祖国フランスでは書籍としてみたこともないと言ってたのは
内田樹さんだった。養老先生と平川克美さんの鼎談でのこと。
流れ的に前後してしまうのだけど、以下のものも
興味深かったので引かせていただきます。
言語獲得の章から。
第六章 DNAを失うことでヒトの脳は大きくなった
日本語は英語以外で科学について考えられる数少ない国の一つ から抜粋
多くの国では、科学を基本的に英語で学んでいます。
しかし、日本では科学を母国語で学ぶことができ、専門用語も日本語で作られていることが多い。
そのため、一つの言葉からたくさんのイメージを受け取ることができるのです。
例えば「陽子」という言葉からは、
「電気的に陽性(プラス)の粒子」であることを感じ取ることができるでしょう。
しかし英語の「プロトン」と言われても、日本人からしたら電気的な性質についてはピンとこないかもしれません。
生物の「細胞」も、その言葉と漢字の意味合いから
「小さく細分化されたものの一区画」ということが直感的にわかると思います。
日本は英語以外で科学について考えられる数少ない国の一つです。
そのお陰で、世界を驚かすような発見をいくつもしてきたと言っても過言ではありません。
2008年にノーベル物理学賞を受賞した益川敏英博士は、ノーベル賞の受賞講演を日本語で行いました。
英語が得意でなくとも世界トップレベルの発見ができるのは、日本語がしっかりとしているからなのです。
ただ、これは日本人が英語を話すことができないことと表裏一体です。
日本語の優秀さというのは、日常で
使っている人間からするとよくわからない。
英語はブロークンだけど多少わかるとはいえ
比較できるほど習得しているとはいえないし。
縦書きの効用とかもあるのかな、以前誰かが言っていた気がする。
余談だけど、日本人で良かったって思うことが結構あって
それは例えば、蕎麦屋さんに行って
蕎麦を食べた後、蕎麦湯で最後締めるとき、感じる。
なんて合理的なのだろう、なんて。
でも小さい頃から今も刺身はなぜか親兄弟内で
ただひとり(食べれない)受け付けなくて
「日本人として損してるよね」と多くの知人から
言われてきたのが悔しいといえば悔しいけれど、
もうどうにもならねえでござんす。
この味覚嗜好、子どもにも遺伝してしまい
妻は刺身が好きなのに…
申し訳ございません!