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最初期の池田先生の書から”清算”を考察 [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]

構造主義と進化論


構造主義と進化論

  • 作者: 池田 清彦
  • 出版社/メーカー: 海鳴社
  • 発売日: 1989/09/01
  • メディア: 単行本

はじめに

から抜粋


本書は「構造主義」という時間とは最も無縁なものと、「進化」という時間に最も関係深いものを架橋しようとする試みである。

本書を書いた動機は二つある。


一つは、前著『構造主義生物学とは何か』(1988年)を書いたあと、進化については、まだなにか言い足りない思いが残ったこと。


一つは、「科学とは不変なるもの(構造、形式、公理など)によって変なるもの(現象、出来事、個物など)をコードしようとする営為である」という私の構造主義科学論によって、変なるものを扱っている科学の代表である「進化論」を解釈しようと考えたこと。


その二つの動機に沿って執筆していくうち、時間論を避けて通るわけにはいかなくなり、それとともに科学的営為の原点とも言うべき、古代ギリシャの自然哲学者たちにも言及してみたくなった。


そんなわけで、ごく常識的な科学史や進化論からみた言説としての本書には、

①少し風変わりな古代ギリシャの自然哲学史、

②新しい歴史的事実の記載は何もない進化論史、

③わけのわからない時間論、

④マユツバものの構造主義進化論の大構想、

などが書かれている。


もちろん私には私なりの成算があるわけで、私の密かな目論見によれば、本書は未来から書かれた進化論史の本なのである。


したがって現時点において、本書が、構造主義進化論のマニフェストとして読まれようが、できそこないの進化論史として読まれようが、時間や名を形式化しようとする形式主義者の稚拙な一試行(いちしこう)として読まれようが、かくべつの不満はない。


池田先生のライフワーク


”進化論”の最初期の書ということで


このあと”進化論”については


何冊も書かれているのだけれど


直近の『驚きの「リアル進化論」』と比較すると


基本ラインはあまり変わってないように


自分は感じた。


細かいところは違いますよ、そらもちろん


30年以上経過しているんだから。


そもそも進化論自体理解しているとは


自分は言い難いし。


そういうことではなくて、


”態度”というか”物腰”というかが


同じってことで。


そういう意味では確かに”まえがき”にあるように、


未来の視座を持った書なのだろう。


ただ、この書は個人的には読みづらいってのは


あるのですが、それは自分の頭がついていけてない、


ってことなのでしょうなあ。


あとがき(1989年3月) から抜粋


1989年1月7日に昭和天皇は死去した。

当時私は本書の執筆に没頭している最中であった。

天皇死去に伴う政府・マスコミあげての騒ぎと、それに便乗した天皇の戦争責任不問キャンペーンを傍に見ながら、私の心は鬱屈し、それはときとして現れる主題からの逸脱と、論敵へのいわずもがなの悪口となって本書に反映した。


それは本書の品格を損なうものではあろうが、もともと品格のない私はあえて書き改めることをしなかった。

文句のある人は私の悪口に数倍する罵詈雑言を私に浴びせるもよし、黙殺するもよし、紙上のものである限り、そのこと自体に異存はない。


柴谷篤弘氏は草稿を通読し、貴重な幾つものコメントを寄せてくださった。

前著の時と同様に深い感謝の意を表したい。


私事になるが、1988年6月1日に私の母は20年近くにもなる長い闘病生活の末に死去した。

母は、私の人生上の小さな失敗を我がことのように悔い、小さな成功を我がことのように喜んだが、私が政治的には必敗の学生運動に関わったときだけは、長いものには巻かれろ式のものいいで私を諌めることをしなかった。

それどころか国家がいかにインチキなものであり、姑息で卑怯な人間を再生産するかを(もちろんそのような言い方をしたわけではないが)語ってくれさえした。

だから私の反国家主義は母親ゆずりである。


死に近き母のベッドの枕辺で、本書の構想を練りながら、私には、母が死に逝こうとしているのに私の心はなぜかくも平静でいられるのか、いぶかしく悲しかった。

母はたとえ生きていたとしても、本書のようなものを決して読むとは思われないが(母は私が前著を見せた時も一瞥しただけで扉すら開けようとしなかった)、行動ばかりでなく心まで親不孝であった私のせめてもの気持ちとして、本書を母に献じたい。


個人的なことを滅多に書かれない印象のある


池田先生、実際にはそんなことはないのかも


しれないが、反権力の発芽は、お母様だった


というのは実は自分も似ているというか


自分の母親は威張りくさった態度というものを


忌み嫌っていてそれを受け継いでしまいまして。


(僭越ながら…養老先生シンパになるのも


無理ないよなあと思った。)


かつ、母が亡くなった時に平静だったのも


同じで、でもそれは自分なりに思うことがあり


自分の場合は子供が生まれたばかりだった為


母親が用意してくれていたステージが


変わったから、としか言えない。


抽象的でうまく説明できないのだけれども。


余談だけれども、池田先生はお母様に


献じるものがあるので清算されたと思うけれど、


自分は何を献じたのだろう、などと全く不毛なことを


考えてしまった朝5時起床で仕事してきた身では


なかなか眠くなってお腹減ってきましたので


食事したいと思い始めたところです。


 


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