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①多田富雄先生の書から”感謝”を読む [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]

懐かしい日々の対話


懐かしい日々の対話

  • 作者: 多田 富雄
  • 出版社/メーカー: 大和書房
  • 発売日: 2006/10/01
  • メディア: 単行本

あとがき から抜粋

この対談集は、私にとっては正真正銘の最後の対談の記録になる。

なぜなら、私はもはやしゃべれないからである。

私は五年前に、脳梗塞で声を失った。

訴えようとしても声は出ない。

叫ぶことも出来ない恐怖の中で、絶望に打ちひしがれていた。

初めは信じられないことだった。

前日まで冗談を言い、議論を戦わせていた舌は、もう動かない。

右麻痺だったが、幸運なことに失語症ではなかった。

言葉の意味はわかる。

かろうじて動く左手で、音声発生装置(トーキングエイド)を使って、妻に意思を伝える方法を覚えた。

やがて、初めてのパソコンのキイボードをポツリポツリたたいて、原稿書などで社会とのコミュニケーションをマスターした。


それができるようになると、嬉しくて1日7〜8時間仕事をした。

私は自分を表現することができるようになり、再び人間の仲間入りをした。


だが思い出すのは、かつての日、よき友との談論風発の対話である。

私はおしゃべりではないが、良い友達と気の利いた対話をするのは大好きであった。

だからこれまでに、2冊の対談集を出している。

(『生命へのまなざし』『生命をめぐる対話』)

いずれも版を重ねているのは、それがナンセンスではない証拠だ。


私は繰り返し、免疫学で自分が見たこと、考えたこと、そしてそこから演繹(えんえき)された生命観を語った。

そのさきは談論発風、お能のこと、身辺雑事から、私のものの見方、「スーパーシステム」にまで話は及んだ。

そんな対話はもう出来ない。

悲しいことだ。


ここに集めた対談は、全二著に漏れた対談である。

したがって発作前のこと、私がものをしゃべれた頃、つまり五年以上も前のものである。

中には故人になった友人もいる。

読み直してみると、みんな新鮮で、懐かしい。

私の、半身不随になってから編んだエッセイ集『懐かしい日々の想い』と共に、消え去り行く記憶にとどめたいと出版を依頼した。


多田先生に感謝させていただきたいくらい


この対談集の相手は興味深い10人だった。


これが多田先生の発案がなければ


埋もれてしまうところだったというのが


ため息の出る書でございます。


といっても難しくて分からないことも


多々あるのだけれど。


養老先生と米原万里さんの対談はもちろん


自分は初めて存じ上げた方が


多く興味深かった。


ゲノムが教える21世紀の生き方


村上和雄


ゲノム・サイエンスはこれからが本番


から抜粋


多田▼

ゲノム計画が完了したということは、人類にとって大変大きな成果だったと思います。

ただ、それは単にDNA配列が解読されたというだけのことです。

そこから何が現れるのか、何が理解できるようになるかはまだわかっていない。


村上▼

そうですね。

今はまだ万巻に及ぶ経典が発見されたようなもので、そこに記されている文字はどうにかわかったけれど、どんなことが書いているのかは分からないという状態です。


多田▼

おっしゃるように、いまは「大蔵経」みたいな巨大な経巻(きょうかん)を写経したような段階で、写経しただけではなぜありがたいのかは分からない。

そういう段階にあると思いますね。


村上▼

ええ。ゲノムというのはただ単にタンパク質を作るだけではなくて、生物の形を決める非常に重要な情報を持っていますからね。

一個の受精卵からどうして多くの細胞からなる個体ができるのかという肝心のメカニズムについては分からないところだらけです。

DNA配列の解読が終わったからといって済ませられる問題ではありません。

実を言えば私も最初は遺伝子の暗号解読ということに非常に意義を感じて、熱中していたんです。

でも、あるとき、遺伝子の暗号解読の技術もすごいけれど、もっとすごいことがあると気づきました。

それは、万巻の書物に相当する情報が一つのゲノムの中に書き込まれているということなんです。

DNAの指図によって、私たちの体の中では現代の分子生物学が解明できない驚異的なことが行われている。

それによって私たちは命の炎を燃やし続けているわけですが、そのメカニズムを私たちは何も知らない。

この事実をどう考えればいいのかということに思い至ったとき、私は震え上がりました。

この解明できない何かのことを、私は「サムシング・グレート」と呼んでいるのですが、「サムシング・グレート」の正体を21世紀の科学者は追いかける必要があると思います。


生命を動かす「超システム」から抜粋


村上▼

多田先生は生物の持っている不思議なシステムを「超システム」と名づけておられますが、これについて少しご説明いただけませんか。


多田▼

遺伝子が発現していって人間の形を作るところまでは非常にはっきりとしたプログラムが組まれているように思うんです。

でも、それから先、どんな人間になり、どのようにして死んでいくかということまでがプログラムされているわけではなさそうです。

では、どうやって時間軸を完成させていくのかと考えると、そこに一つのルールがあると思うんです。

生命体を作り出すときは、たくさんの遺伝子が働いて多様な細胞が生み出されます。

そしてそれらがお互いに情報交換することによって次々に新しい段階のものを作り出していきます。

つまり、自分で自分を作り出すというプロセスがあるわけです。

これは従来の工学的なシステムとは違いますね。

工学的なシステムというのは、多様な要素を目的のために組み合わせて、それが有機的に動いていくわけですけれど、生命体の場合は初めから多様な要素があるわけではなくて、多様な要素は自分で作り出してゆくのですから。

自分で作り出して、それがお互いにつながり合って自己組織化をして、最終的には全体としてうまくいくようなものを自ら作り出していく。

その過程で不要なものはどんどん死んでいく。

そういう過程があるのです。

その延長として人間の一生が作り出されるわけですから、それは設計図に従って機械を作って、その機械が動いたり壊れたりするのとは違うものと考えた方がいいと思うんです。


村上▼

普通、ゲノムは体の設計図というような言い方をしますね。

しかし、それは工学的な意味での設計図ではなくて、もう少しダイナミックなもので、変更可能なものである。

もちろん変更可能といっても、よほどの例外がない限り人間になるけれど、どんな人間になるかということに関してはかなり柔軟性があるということですね。

しかし、自己組織というのは、どうして可能なのでしょう。

自分で自分のプログラムを書きながら成長していくということなのですか?


多田▼

そうです。

別に外側から神様のようなものが光っていて、「うまくやっているか」といつも見ているわけではなくて、自分で自分のプログラムを確かめながら作り出していくというやり方ですね。

つまり、自己言及的なやり方だと思うんです。

しかも、それは単に自分の内部情報だけではなくて、外側のいろいろな環境条件による情報を受け取りながら、それを内部情報に転換して自分の生き方を決めていく、そういうやり方だと思います。

生命体以外でそんなことをやっているものはないんじゃないでしょうか。

私はそれを、通常の工学的・機械的なシステムとは違うという意味で、「超システム」呼んだわけです。


あとがき から再度抜粋


こうしたバラエティに富んだ対談者に恵まれて、楽しい時を過ごせたのも、もう遠い過去になってしまった。

今読み直すと、ああ言えばよかった、あの話をしたかった、あのことも聞きたかったと、悔やむことが多い。

でももう手遅れだ。

声を失った今は、懐かしい時となった対話の日々を、こうして一冊の本にまとめ、時の流れの手触りを、静かに眺めるしかない。

「懐かしい日々の対話」と名付けた所以である。

私は発声のリハビリを受けているが、発病後五年を過ぎた今も、会話はほとんどできない。

この10月で、冷酷なリハビリ打ち切りの制度によって訓練を打ち切られる。

もう一生しゃべれないようになる。

私のしゃべれたころの形見に、この最後の対談集を送る。


2006年9月

多田富雄


ここからただいま現在で18年経過。


遺伝子の研究も様変わりし


この前読んだりテレビで観た


クリスパー・キャス9”までは


聞いたことあるくらいだけど


大丈夫なのかな?とは言いたいだけ


ですが、でも素人ながら心配だったり。


「超(スーパー)システム」って養老先生や


中村先生との対談にも出てきてたけれど、


このご説明でさらに興味深く拝読した次第。


2006年のリハビリ制度打ち切りっていうのも


なんとなく知ってはいたけれどなあ。


この”あとがき”の締めくくりはなんとも


切なく悲しくなってくる。


この書とは異なるテーマですが、


多田先生はその運動も当事者として


旗振りをされていたようで気になる。


こうして書物として残されたことに


さらに感謝させていただきたいと思う。


 


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中村桂子先生の対談から”DNA”を考察 [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]

人間が生きているってこういうことかしら?


人間が生きているってこういうことかしら?

  • 出版社/メーカー: ポプラ社
  • 発売日: 2022/02/09
  • メディア: 単行本

生きているとはどういうことか

いのちと時間とDNA


から抜粋


内藤▼

私も医療を学びながら、先生の疑問に通じるようなことを何度も感じていました。

先ほどのアメリカ流の科学的育児も、1人ひとりの違いは置いておいて、実験データから因果関係を特定し、こうすればこうなるとマニュアルをつくるわけですよね。

でも、現実の子育ては生活の真っ只中でやるわけですから、特定されない因果関係がいっぱいあって、赤ちゃんだけをジーっと見ているわけにも行きませんよね。


中村▼

そうね。

お乳は3時間おきにあげてくださいと言われても、「あれ、うちの子は飲まないな」ということがあり、それが現実です。

科学的な実験データがどうであれ、生きているのは目の前の子どもですから。

とても機械のようにはやれないし、それでは生きものを育てていることにはなりませんでしょ(笑)。


内藤▼

そんなふうに感じて「生きているとはどういうことか」と問いながら、ご自分の研究の立っているところを探っていくのは、大変じゃありませんか?


中村▼

人間が生きているとは何かを知りたい。でも、DNA研究は面白い。

DNAから離れずに、しかも機械論でない考え方はできないものかしらと悩んだんです。

その頃、人間の細胞に入っているDNAのすべて、これをゲノムと呼ぶのですが、その全塩基配列を調べようという「ヒトゲノム計画」が持ち上がりました。

提唱者のひとりはアメリカのがん研究のリーダーでした。

がんを遺伝子から突き止めようとしたらとても複雑で、けっきょく、人間のDNAをぜーんぶ調べなくてはならないとなったわけです。


内藤▼

「ヒトゲノム計画」は、そういうところから出てきたんですね。

ところで初歩的な質問ですが、DNAとゲノムは何が違いますか?


中村▼

それがとても大事なことなので、専門家じゃない方にもここだけはわかっていただきたいといつも思います。

科学の知識だと思わず、生きものを生きものとして見ようとする大事な基本なので。


内藤▼

ぜひ、教えてください。


中村▼

DNAはデオキシリボ核酸の略だから、モノの名前です。

これは遺伝子として大事な役割をします。

ところで、細胞に入っているすべてのDNAをゲノムとして見ると、そこには、ある生きものがその生きものになるために必要なすべての遺伝子があるだけでなく全体としてのはたらきという情報も出てきます。

つまり、DNAとか遺伝子というだけでは出てこない次元が、ゲノムという時には出てくるの。

「ヒトゲノム計画」はゲノムに目を向けたのは素晴らしいけれど、機械論的に、人間のDNAを端から端までぜーんぶ調べて書き出してしまえば、人間をつくっている部品がぜんぶわかり人間がわかるだろうという発想なわけね。すごく単純化して言えば。


でも、私はゲノムを全体して見たいと思ったの。

時間を入れて。


内藤▼

ゲノムに時間を入れる?

それはどういうことなんでしょう。


中村▼

生きものは38億年前に生まれた祖先細胞から始まり、現在の生きものはすべてそこから生まれたものということがわかっていますよね。

あなたの細胞の中にあるゲノムはご両親から半分ずつ受け継いだもの。

ご両親はそのご両親からというように祖先を辿ると生命の起源まで戻ります。

つまりあなたのゲノムは38億年前からこれまでの歴史が入っているわけね。

すべての人、すべての生きものすべての歴史と関係が書き込まれていることになるわけです。

歴史は一回だけのものでしょう。


内藤▼

ええ、いちど起きたものは変えられないし、それぞれに固有のものですね。

患者さんを診るときには、お会いしていなかった間にどうだったか、様子の変化をご家族に聞いたりしますが、経過や流れの中で見たいとわからないことがあります。

そこだけを取り出しても判断できない。

でも、機械ならば、昨日の調子はどうだったかを見る必要はありませんね。

壊れているところを直せばすみます。


中村▼

そうなの。

だから生きものは機械とは違う。

機械ならば、再現できますね。

設計図があって、同じ部品をそろえれば何度でも同じものを作れる。

そういう考え方では生きものは捉えられません。


内藤▼

確かに、その通りですね。

今ふと思ったのですが、私が在宅で患者さんを診る意味も、先生が「時間を入れる」とおっしゃったことと関係がある気がします。

患者さんの病気は病名がつくからには共通の特徴があります。

でも、病名はおなじでも病気の現れ方はさまざまですし、その人の暮らしの中でどう病気に向き合うか、何が良いかはみんな違います

でも、次々にたくさんの患者さんを診なければならない病院では、患者さんの人生を「時間」に注意を払う余裕はありません。

効率よくやるために、病気だけをいわば「マイナスの部品」として見がちなんですね。

「時間を入れる」と考えることで、医療にも新しい視点が生まれますね。


中村▼

その通りですね。

あなたの場合、人間そのものから始まってそう考えるようになったでしょう。

私は逆にDNAから始めて人間のほうへ向かって考えていこうとしたのです。

部分だけを見るのではなく、まず生きもの全体を見て、それがどう生きているかをよく見てそこから学ぼうという気持ちが大事です。

ゲノムには歴史とお互いの歴史とお互いの関係が入っているので、そこから考えれば、DNA研究という科学の力を生かしながらも生きものを知ることができると思ったの。


”DNA”はDeoxyribonucleic acid(デオキシリボ核酸)


の略称であるからモノの名前、


”ゲノム”は遺伝子(gene)と染色体(chromosome)を


合わせた言葉らしいが、自分が思う相違点って


ゲノムには実体がないということではなかろうか、


なんて生意気に思ったり。


「時間を入れる」というのはなんとなくしか


自分は分からない。


”時間”って”変化”のことだと思うのだけど


当然、”経過”というか、


”今”と”現在”と”過去”があるのは


わかるのだけれど。


そもそもが違うのだろうか。


というか”時間”ってなんだろうか。


実はものすごく深い話なのではないだろうか。


また新たなテーマにぶつかり


しかしそういうのも実はすでに


自分の中にあるものだったり


でもそれを掘り下げ微細に分解していくと


疑問の細胞まで辿り着くといった


これこそまさに自己疑問のゲノムなのでは


なかろうかと、むりくり繋げてみたが


浅学非才ゆえお里が知れてしまい、


空腹と睡魔にはやはり勝てないな、と


責任転嫁してしまう


朝5時起床での平日仕事終わりからの


投稿でございました。


 


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