多田富雄先生の書から”福祉国家”を考察 [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]
- 作者: 多田 富雄
- 出版社/メーカー: 青土社
- 発売日: 2007/11/19
- メディア: 単行本
総括、弱者の人権
から抜粋
この本は2006年度に行われた、政府による診療報酬改定に端を発した、リハビリテーション医療(リハビリ)打ち切り反対闘争の、私の論説を集録したものである。
リハビリを続けなければ、社会から脱落するもの、生命の危険さえあるものにたいして、医療を打ち切るという酷い制度改悪に私は怒った。
文章を書いて反論することが、一障害者の私にできる唯一の抵抗であった。
本にまとめておきさえすれば、この医療史上の一大汚点は、実名とともに後世に残る。
この本を出版する意味
から抜粋
リハビリは息の長い訓練治療にとってようやく目的が達成できる医療である。
健常者にはわからない苦痛に満ちた治療を、医師も患者も辛抱して続けている。
紙の上でお役人が、いつ治療を打ち切るかなど、判断できるはずはない。
それを2006年の制度改定では、病気や障害の多様性、患者の個別性などを無視して、一律に日数で制限しようとしたのだ。
これまでの保険医療制度改定では、患者の負担増を求める流れはあったものの、医療を「切り捨てる」事態が起こったのは始めてである。
国民皆保険以来始めての、医療保険からの患者切り捨てである。
今回設けられた制度により、長期のリハビリ医療を必要とする多くの患者は、保険診療の対象からははずされることになるのだ。
回復を断念せざるを得ない。
これは、世界が羨む国民皆保険を達成した日本の、医療制度の根幹を揺るがす問題である。
このまま医療制限が続けば、早晩公的医療保険は崩壊する。
公的皆保険を破壊し、アメリカのように、損害保険会社の営利的な保険に移行させようとしている危険な医療資本家が、政府の財政諮問会議のメンバーにも堂々と名を連ねている。
実現すれば、先進医療は一部の富裕層だけに独占される。
貧乏人は、生死がかかっていても、医療費不足によって放置されるようになりかねない。
これは国民皆保険という、戦後日本が達成した世界に誇る制度の危機でもある。
だからこの問題は、リハビリという一部の人だけが直接の関心を持つ医療問題ではない。
この国の医療と福祉の未来、ひいては弱者の生存権までかかった、重要な問題なのである。
9 リハビリ制限は、平和な社会の否定である
から抜粋
鶴見和子さんは、先のエッセイにこう述べている。
「戦争が起これば、老人は邪魔者である。
だからこれは、費用を倹約することが目的ではなくて、老人は早く死ね、というのが主目標なのではないだろうか。
老人を寝たきりにして、死期を早めようというのだ。
したがってこの大きな目標に向かっては、この政策は合理的だといえる。」
「老人は、知恵を出し合って、どうしたらリハビリが続けられるか、そしてそれぞれの個人がいっそう努力して、リハビリを積み重ねることを考えなければならない。
老いも若きも、天寿をまっとうできる社会が平和な社会である。
生き抜くことが平和につながる。」
と続けている。
だからこの問題は、リハビリ医療だけの問題ではない。
こんな人権を無視した制度が堂々まかり通る社会は、知らず知らずに戦争に突き進んでしまう社会になる。
老人も障害を持った患者も生き延びねばならない。
鶴見さんの言うように、それが平和を守ることにつながるのである。
その意味でも、この制度改定には断固として反対しなければならない。
それが鶴見さんの遺志でもある。
(『世界』2006年12月号)
回復期に受けれなかったことを
”一生の痛恨事”とされ、リハビリの重要性を
誰よりもご存知の多田先生の警鐘。
その後、この日本の福祉はどのように
なって今に至るのだろうか。
兵庫県医師会の先生の記事にたどり着く。
https://kobecco.hpg.co.jp/22842/
社会保障の歴史にも”経過”という意味で
興味があるのだけれども
福祉国家の事例に言及されているところが
自分としては強く惹かれた次第でございます。
余談だけど、多田先生もまさかご自分が
専門外のこういう告発書を書くことになるとは
想像だにしなかったであろうなあと。
予期せぬってことでいうと自分も
吉本隆明先生の書で多田先生のことを
知ったのだけど、この時はまさかこの後
深掘りすることになりこの書を読んだり
リハビリという今の自分の仕事と微妙に
リンクすることになるとは思わなかった。
リハビリは自分の親もお世話になったし、
かくいう自分や誰しもが
お世話になる可能性だってあるのだから
声高に言い続けていかないとならないのでは
なかろうかと思った夜勤前のコンビニ駐車場で
拝読させていただいた深い書でございました。