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野沢収さんの書から”若さ”を考察 [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]

新版 ザ・ドアーズ―永遠の輪廻


新版 ザ・ドアーズ―永遠の輪廻

  • 作者: 野沢 収
  • 出版社/メーカー: 音楽之友社
  • 発売日: 2001/12/01
  • メディア: 単行本

1 音楽が終わるまで

1971年7月3日土曜日 から抜粋


ジム・モリソンは持てる才能の”魔”にからめ取られ、やがて自滅せざるを得なかったロックンロール詩人といえるかもしれない。

かつてオノ・ヨーコは、三島由紀夫を”自分の作り上げた幻想の中で死んでしまった”と言ったが、モリソンもまた自らの「文学」にーーーデンズモアにいわせれば、”ニーチェ”にーーー殺された一人だ。


一方で、酒で身を滅ぼした典型例として片付けられないわけでもない。

彼は彼の深層によどんでいる衝動をむき出しにするためにアルコールを用いた。

むろん彼の飲んだ酒のすべてがそうではないが。

自己を器用にコントロールし、時代に同調し、サイクルを合わせてゆくキャラクターとは対極的に立つモリソン。

しかしそれも自滅と解されるのは避け難い。


このどちらも皮相的ではあるが、全く誤った指摘とは言えない。

だが、「ムードを変えよう、喜びから悲しみに(L.A.ウーマン)」と歌っていた彼の死には、単なる自殺とも事故死とも異なる、それらを超えた”何か”が感じられてならない。


「死よ 汝の訪れしとき 生けるもの すべて 天の使いとなり 空かける 翼を得ん」


これは、彼のまさに戦慄すべき戦略である。

永遠こそ死と引き換えに彼が最後に得たものだ。

自分自身を対象化し、作品としてしまうために。

《L.A.ウーマン》の次の作品とは、もはや言葉も音楽も不要となった、「ジム・モリソンの死」という表現だったのではなかったか。

なぜなら、そこに彼自身の意志が介在したにせよ、あるいはしなかったにせよ、それまでに遺した言動や何よりも作品の数々が否応なく”死”にそのような意味をもたらしているからである。

四年余にわたって奏でられてきた永遠へのプレリュード。


ポップスターからの逃避を逆手にとり、皮肉にも表現にまで昇華させたといってもいい。

モリスンは姿を消すことにより、彼の生涯を貫いてきたコンセプトである「終り」を始めたのだ。

死により彼の美学はいったん完成され、そのことにより彼のコンセプトはさらに続く。

ドアーズでの数年間は、モリソンにとってどうしても死ななければ生きてこないのだ。

現在、不在でありながらも、ますますその存在感を強め、表現を続けているというべきか。


つまりあれほど「終り」にこだわっていたモリソンが、1971年7月3日以降、いよいよ永遠に「終り」始めたのである。

これには、恐ろしいことに終りが来ない

永遠の不在を”表現”にしてしまったアーティスト


彼はあらかじめ約束された彼岸への旅立ちに関する歌を持って現れた。

私を遠くない距離に見、徐々にそれに接近してゆく緩やかな自殺。

一般的な通念上での”自殺”とは異なった、自分自身の上に死を誘発しようとする試み。

例えば客観的にはドラッグによる偶発的な事故死と見えても、彼の主観にあってはいかなる驚きもない必然死。

いわば、未必の故意による自殺。

プログラムされていた死が、単にその「時」を捉えたに過ぎない。

モリソンの死にはそんな印象が強い。

従って、それが悲劇的な非業の死という印象を抱かせないのである。


もうひとつ、彼の死を悲劇的な色彩から遠ざけている要因がある

それは、三人のメンバーとの関係が、最期まで崩れることなく保たれていた点だ。

これは、マンザレクに負うところが大きい

モリソンは才能をもてあましながらも周囲の人間に恵まれず、不遇と失意のうちに短い生涯を終えたわけでは決してないのである。

彼本人の思惑はともかく、客観的事実として、彼の周囲には実に申し分のない才能と理解者が(理解という言葉が適当でなければ、協力者が)常に存在していたのだ。

このマグネティヴなパワーがもたらした幸福。

しかも彼らは、この”一瞬のうちに姿を消した巨大な流星”の話を今なお語り継いでいるではないか。

何もかもがモリソンの意図した通りに運んでいる。


よき理解者、レイ・マンザレクも鬼籍に


2013年に入ってしまわれた。享年73歳。


もう10年以上経過。


”ロック”とか”文学”とか”映画”などの分野って


解釈の仕方であらぬ方向に行くことも多々ある。


特にドアーズの場合、単に優れた音楽ってだけで


捉えるには余りあるものなのは確かなのだけど


ビートルズもそうで難しく考えすぎではないかなあと


でも面白いから読めちゃう、というのは


もう老年に差し掛かったおじいさんの


繰り言で少し自分自身残念でもありますが


昨今はそう感じてしまう。


本に話を戻すと、日本の表現者からの視点


オノ・ヨーコ、三島由紀夫もあったり


ジム・モリソンが亡くなった後の


ドアーズにも主眼を置いていたりと


この著者ならでは一級資料であるということは


疑いようのない事実。


これ以上のドアーズ研究・分析本は国内では


なかなかでないでしょう。


1971年以降のドアーズの活動内容の


詳細に触れているのを読んだ記憶がほぼない。


自分は昨日も聞いたけれど「other voices」は


レコード持っているし、かなり良い出来と感じる。


だけど、ジムが抜けたのは埋め難いものが


 あるのも事実で。


(ちなみにレイのソロ一作目もサブスクだけど


一昨日聴いたらかなり良くて驚いた)


バンドサウンドのマジックって


言葉では尽くせないものがある


っていってしまえば、それまでなんだけど。


余談でございますが、自分はこの書


若き日に改訂版の前のものを読みましたが


7−8時間くらいぶっ続けで読破したことを


思い出しました。


若かったからできた懐かしい書でした。


とはいえ、過去の書ってことじゃないすよ


今でも通用する本で読み応えございます。


 


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