中村・村上・西垣先生の対談から”わからなさ”を考察 [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]
- 出版社/メーカー: 藤原書店
- 発売日: 2020/10/27
- メディア: 単行本
新型コロナウィルスがあぶり出した社会の問題
予測不能なものに向き合えるのが生き物
から抜粋
村上▼
昔から一つ気になっているのは、さっきから出てきている、確率です。
気象情報で「何%」というと、いかにも科学的になったように見えるけれど、何%と言った時の、100%から引いた方はわからないわけでしょう。
そのわからないということをわからないとして、正面から受け止める。
何%とは何を意味しているのかということをきちんと理解して、よくわからないんだけど、それでもそのわからないことに対応しましょうという気持ちで、最後まで我々自身がいられるのか、それでも数字が「%」で出たから、その数字をよりどころにして行動しましょうとなるのか。
ここにさっきから西垣先生が言っておられるポイントの一つがあるのかもしれない。
西垣▼
最近のAIというのは統計処理をやっています。
確率分布を仮定して、計算して答えを出す。
ところが状況ががらりと変わってしまうと、分布そのものが変わるので、AIの計算結果は役に立たなくなる。
そこが問題なのです。
一昨年『AI言論』という本を書きましたが、そこでカンタン・メイヤスーという現代哲学者の興味深い議論を紹介しました。
彼はわからなさに二通りあると言っています。
一つは、英語で言えばポテンシャリティ(潜勢力)。
これは確率的なわからなさで、繰り返しているうちにだんだん見当がついてくる。
もう一つは、ヴァーチャリティ(潜在性)です。
こちらは、対象の挙動が何をもたらすか全く予測ができない偶然性みたいなものなのです。
わからなさにはこの二つがあるのに、我々はみんな大体ポテンシャリティでなんとかなると思っています。
地震を例にすると、首都直下型地震が起きる確率は何々%だとかいいますが、メイヤスーに言わせると
「そんなことはヴァーチャリティだからわからない」
となるでしょう。
彼の議論は『有限性の後で』という本の中に、非常に厳密に書かれています。
要するに世の中の事実の根本には、われわれ人間には偶然としか思えない根本的なわからなさがあるということです。
サイコロを振って出る目を当てるようなポテンシャリティについては、確率計算で予測できるけれど、そればかりではないのです。
AIは過去のデータに引きずられる存在で、まったく新たな環境条件のもとでは役にたちません。
ところが人間などの生物は、新たな環境でもなんとか生き抜こうとする。
この何とか生きようとする直感力みたいなものが弱ると、死にます。
生物種は滅びます。
人間はそのことに気づかないといけないんじゃありませんか。
中村▼
フランソワ・ジャコブという研究者がいます。
村上▼
ジャック・モノーと一緒にノーベル生理学医学賞を共同受賞した人ですね。
中村▼
彼の生物の定義ーー彼自身は、別に定義として言っているわけではないのですが、生物とは何かを説明しています。
1980年代に書いた本ですが、私は彼の考え方がとても好きです。
彼は、生物を
①予測不能性、②偶有性、③ブリコラージュ(あり合わせの材料、道具でものを造ること)、と言っています。
寄せ集めてできた予測不能なものが生物だと、分子生物学者として説明しているのです。
私は直感的に、この説明はピタリと当たっているなあと思っています。
「偶有性」は、茂木健一郎先生が
「ブリコラージュ」は内田樹・平川克美先生が
ある対談で話していたのを思い出した。
まったくのノーマークの書でしたが
いつも立ち寄るブックオフの廉価コーナーで
中村先生のお名前があり廉価の中では若干
高めだったが即購入。
予想以上に興味惹かれる書だった。
この3人ではないと語れない対談だったものを
長時間の電車の移動中に読了。
「わからなさ」を「わからない」とすることが
許されない社会というか、
「わからない」と言えない、言うと「経済」が
回らない何かになっているような気がする
ただいま現在の大人の世界。
なぜこのような世の中になってしまったのか、
とはいえ、それでも踏ん張るのだ
いや、もうそんな年齢ではない、と
お三方の中でも押し問答があり、
天井人のような方達でさえもそうなら
下々のものだって逡巡して当たり前
それでも考えておかしいと思えば抗い、
より良い方向にするのが
今を生きる大人の役目なのだろう、と思った
本当に良書でございます。
コロナ禍発生当初の書なので、この後時間が
経過すると一般的には価値が薄れてしまうのかも
しれないが、普遍的な眼差しを秘めているなあと
感じた次第でございますが、明日は
早番仕事のため早く寝たいと思います。