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齋藤孝先生の3冊から”孤独”を考察し損なう [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]

孤独を生きる (PHP新書)


孤独を生きる (PHP新書)

  • 作者: 齋藤 孝
  • 出版社/メーカー: PHP研究所
  • 発売日: 2022/06/16
  • メディア: 新書

はじめに 先人に学び、「単独者」として生きよ!

から抜粋


昨今、現代人の「孤独」が大きな問題になっている、といった言説を多く見聞きします。


とくにここ数年は、新型コロナウイルス感染症の影響もあって、家でひとりで過ごす時間が長くなったせいか、心のなかで「孤独」ならぬ「孤独感」をモンスターのように膨れ上がらせてしまった人が、少なからずおられるようです。

しかし、私は「孤独感のモンスター化」こそ「緊急事態宣言」ではないかと思います。


なぜなら本来、孤独とは、人が自らを成長させるために、絶対に必要な時間だからです。


私は過去にも『孤独のチカラ』『50歳からの孤独入門』などの著作で、孤独の効用を語ってきました。

しかし、今のこの現代ほど、孤独にまつわる勘違いがはびこっている時代はない、と感じています。


もっと言えば、皆が不安を感じているのは、孤独ではありません。

「孤独感」です。

孤独というより、何となく不安なだけなのです。


「孤独感」は気分ですから、幽霊とかお化けみたいなもの。

実体はなく、「あると思えばある、ないと思えばない」程度のものなのです。

そこをしっかり認識するだけで、ずいぶんと心持ちが違ってくるはずです。


孤独感は「教養の力」「知性の力」で払拭せよ!から抜粋


文学、和歌、哲学、宗教、音楽、戯曲、映画…洋の東西を問わず、大昔から今日に至るまで、ありとあらゆるジャンルで「孤独」ならびに「孤独感」をテーマとする世界と物語が描かれてきました。


そこには必ず、自分の孤独感と響き合う心象風景が見つかるはず。

先人たちの作品には、孤独感を癒す力があるのです。

言い換えれば孤独とは「教養」と密接な関係があり、孤独感は「知性の力」で振り払うことができるのです。



孤独のチカラ (新潮文庫)

孤独のチカラ (新潮文庫)

  • 作者: 孝, 齋藤
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2010/09/29
  • メディア: 文庫

プロローグから抜粋

現代人は孤独を非常に恐れる。

その反動なのか、<友人がいないと不安だ症候群>とでも言いたいほど、人とつるみたがる。

実際、「友達がいない」というと、ほとんど人格破綻者のように扱われる世の中である。


つまり私の提案は、一人の時間をリラックスして過ごそう

自分自身を癒そうという主張ではない。

もっと自分自身に向き合うような時間、もしくは自分の技量を深めていく時間を持とう。

それこそ脳を真っ赤に燃え上がらせる知的活動のひとときは、誰もが持つべき孤独なのだ。


こうした孤独は、エネルギーを要し、厳しさを伴う。

そして、気分は暗めが定石だ。

一人で明るくしていてもいいが、暗さが持つ力というものがどうしてもあるのだ。


エピローグ から抜粋


私はこれまでの人生でかなりの部分を、ひとりで過ごしてきた。


何かを成そうとすれば、単独者となって自らを鍛えていくことがどうしても必要だとわかっていたからだ。


中でも、私が精神的双子のように身近に感じていたのは、ニーチェである。

ニーチェは、『ツァトゥストラ』のような哲学的な詩をつくることでしか周りの人と繋がれなかった男だ。

他者が評価してくれる以上に自分のすごさを知っていて自画自賛のスパイラルに入り、一方では他者の無理解から精神のバランスを崩していくニーチェの思想は時代を先取りし過ぎていた。

彼は、いわば危険極まりない一陣の風である。

勢いが強過ぎるために人とすぐには交れなかった。


ーー私の著書の空気を呼吸するすべを心得ている者は、それが高山の空気、強烈な空気であることを知っている。

ひとはまずこの空気に合うように出来ていなければならぬ。

さもないと、その中で風邪をひく危険は、決して小さくない。

(ニーチェ『この人を見よ』)


要するに、ニーチェは、自分の著書を読むには、それ相当の資質を備えていなければならないと要求しているのだ。

そんな男の孤独は、ゾッとするほどひどい。


そのニーチェはツァトゥストラにこう言わせている。

”弟子たちよ、私はこれから独りになって行く。君たちも今は去るが良い、しかもおのおのが独りとなって。そのことをわたしは望むのだ”。

キリスト教では隣人愛という言葉で同情や嫉妬などをごまかすが、ニーチェが『ツァトゥストラ』で幾度となく繰り返す孤独のすすめは、遠人を愛し、つるまないことなのだ。


『自分は単独者か』といまでも私は自問自答する。

それに『イエス』と答えられる限り、孤独は恐れるものではない。

自分を磨き、豊かにしてくれるかけがえのないひとときを与えてくれるからだ。

そのためには、ある時期は自分から望んで孤独とつきあい、ひとりでいることの心許なさに耐えられるだけの、強いメンタリティを育てておかなければいけない。


もちろん人は孤独なほど、何かの支えが必要だ。

その一つは遠い先人たちであり、もう一つは自分を肯定する力、自己肯定力だと私は思う。

とはいえ、自分を無闇に肯定することはなかなか出来ないだろう。

普段から自分自身の心や体とうまく付き合っておくことが大切だというのは、そのためである。


ひとりぼっちの寂しさや虚しさ、それ自体は辛いものだ。

しかし、その感覚を共有できる遠い誰かがいる

自分という応援団がいる

そう思えると、孤独への適応力はずっと増すはずだ。


この本は、私自身が孤独で苦しんだことがあるからこそ書けたと思う。

できるだけ率直に、自分の体験を多く交えながら書いたつもりだ。


孤独は取り扱いを間違うと<劇薬>になる。

そのことを知っているからこそ、切に願う。

劇薬を<良薬>とするために、ここで紹介した<孤独の技法>をぜひ身につけてほしい。

それはやがて、良き孤独を生きるヒントになるはずだ。



50歳からの孤独入門 (朝日新書)

50歳からの孤独入門 (朝日新書)

  • 作者: 齋藤 孝
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
  • 発売日: 2018/09/13
  • メディア: Kindle版

おわりに から抜粋

本文では触れられなかったのですが、50歳で直面する人生の危機を乗り越える方法がもう一つあります。

「脱力」することです。

50歳になれば、世の中とはどういうものか、すでにわかっています。

これからの人生で何が起ころうとも「今まで死なずにやってきたんだから、力んで迎え撃つというほどのこともないか」と鷹揚に構えることができるはずです。


私は呼吸法の研究者で『息の人間学』『呼吸入門』といった本も出しているのですが、吐く息中心の丹田呼吸法はセロトニンを活性化させ、心の平静をもたらすと言われています。(有田秀穂『50歳から脳を整える』)


おへその下に手を当てて、吐く息とともに否定的な感情が出ていくようにイメージすると、50歳以降を生きる「脱力スタイル」を実感できます。

力が抜けて、意識がバランスよく秩序づけられた状態を「フロー」と呼びます(ミハイ・チクセントミハイ『フロー体験 喜びの現象学』)。

仕事をフローが生じる活動に変換すると、遊びのように生活が楽しくなります。


孤独の特効薬はなんといっても読書です。

読書は一人でやるものですから、一人の時間が多いほどありがたい。

おすすめしたいのは、自分のタイプに合う人生のモデルを見つけることです。

たとえば良寛を、50歳以降の心の師と仰いでもいいでしょう。


この里に 手まりつきつつ 子供らと 遊ぶ春日は 暮れずともよし


これはもう「孤独」というよりは、一人の時間を味わい尽くす贅沢な営みです。

人生の深い意味がわかるということが、50歳からの何よりの良さだと思います。


齋藤先生ほど、朗らかな笑顔で


つまづく事を知らなそうな先生も


あまりいなそうとは勝手なこちらの解釈。


実は誰しも”闇”を持っていると。


ちなみに遠藤ミチロウさんに似ているなあと


いつも感じている、どちらも経験から手にされた


知性の持ち主のような気がしている自分は


アホの極みなのだろう。


『孤独のチカラ』『50歳からの孤独入門』は


すでに持っていて、遠い昔、


会社員だった頃に読んでいた。


先日『孤独を生きる』を購入し


冒頭で、孤独シリーズ三部作と知って


改めて読んでみたけれど


経過が分かって興味深い。


作家さんの経過が面白くなると


今でいう”沼”でございますな。


孤独シリーズだけでなく、読書シリーズ、


教養シリーズもすでに何冊か購入・拝読


しておりまして、実践してみたり


大変僭越ながら、似ているなあ感性がと思ったり。


間違っても、教養の質とか、学びのレベルとかが


似ているってことではないですということを


慌てて付記させていただきまして


夕飯の支度をしながら、”孤独”と”孤独感”の違いを


あらためて拝読させていただきたく存じます。


 


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