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伊丹監督の書から”昭和”を感じる [’23年以前の”新旧の価値観”]


問いつめられたパパとママの本 (中公文庫)

問いつめられたパパとママの本 (中公文庫)

  • 作者: 十三, 伊丹
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2011/08/25
  • メディア: 文庫


過日読んだ吉川さんの書


「遺伝子か運か」の章で


”問いかけが子供じみている”ということの


引き合いとしてエクスキューズにあったため


インプットされてて思わず購入して拝読。


序章と思われる何も表記のないところから


抜粋


この本を私は、生まれつき非科学的な人、つまりあなたのために書いた。

理数科にうとく、どちらかといえば文学的なあなたに、まるで講義のようにどんどん読めてしまって、そうして読み終わった後、自分が地方の高校の物理の先生にでもなったような、そういう気分にさせるような本を私は贈りたいと思ったのであります。

さよう、講談のように読めてしまう、そうして講談のようにわかりやすい、これが、この本を書くにあたっての私の眼目でありました。

つまりおもしろくなくては困るのであります。


実用的にみるなら、また、この本は、ホラ、子供がよく親にいろんなことを訊くじゃありませんか。

「空ハナゼ青イノ?」「オ月サマハ、ボクガ歩クトドウシテツイテクルノ?」

そうして、そういう時の親の態度というのが大切なのですよ。

実に大切だ。

子供の心は染まりやすい。

確信のない、ごまかしの返事をしたり、

「うるさいわね。ママ、いま忙しいのよ、サ、いい子だからあっち行って遊んでらっしゃい」

などと逃げをうつ。

こういうことが罪かなさると、折角の子供の好奇心の芽がどんどん摘み取られてしまって、遂には知識欲のまるで乏しい子供ができてしまう。

そうなってしまってから、子供を塾なんぞへいれて、やいのやいの勉強しろったって、そりゃ子供が可哀そうだよ。

向学心をひからびさせちゃったのはあなたなんだからね。


痛いとことをついてくる子育て論のようで


やはり感性の強い人は世の流れより早くから


着眼点が優れているようで。


しかし、この頃はまだ子供がいなかったようで


”あとがき”からは子供が生まれて少し


考え方がお変わりになったご様子。


あとがき 


昭和51年8月 から抜粋


子供もいないのに「婦人公論」に請われるままこんな本を書いてしまってから、すでに10年の歳月が経ちました。

今では私も二人の子持ちであります。


実際に自分で子供を育ててみると、やはりこの本を書いた当時とは若干考え方を変えざるをえなかった部分が出てきている。

今日はその辺をお話しして「あとがき」に代えたいと思うわけです。

考え方の変わった部分とは、性教育に関してであります。


実を言うと、私は最初の子供が生まれた時、女房と話し合って「子供には絶対に嘘をつかない」という大方針をうちたててしまったんですね。

なぜそんなことをしたのかといえば、理由はいろいろあるわけですが、たとえば、私のところへ子供連れで遊びにくる親たちと言うのが、みている相当子供に嘘をつくんです。

実に、つかなくてもいいような下らない嘘を連発する。


たとえば子供が電話機で遊ぶ。

初めは親は面白がって眺めております。

けれども、やがて子供が受話器を外したりダイヤルを弄ったりし始めると、やはり、子供から電話を取り上げざるをえなくなるでしょう。

こういう時に嘘が出るわけなんです。

できるだけ摩擦を避けたいという、日本人特有の心情なのか、自分が憎まれ役をやりたくないという気の弱さなのか、

「ホーラ、電話はもうおしまいね、ツトムくん、ホーラ、電話もう壊れちゃった。ハイ電話もう聞こえなくなっちゃったから、あっちへポイしちゃいましょう」

こういう嘘を、何の疑いもなくつるつるといっちゃう。

なんで本当のことをいわないのか。

親じゃないですか、それが親子というもんじゃないですか。

コミュニケイションを信じよう。


この子は将来は西欧に雄飛するかも知れぬし、西欧といえば言葉と論理の国国ではないか、今から何事につけても説明の労を厭わず言語感覚を陶治するなら、必ずや、それは将来何らかの益をこの子に齋(もたら)すことであろうし、そもそも、絶対に嘘をつかぬ、と親が自ら思い定めることによって、子供に対する態度が真摯ならざるをえぬところに追い込まれるという、この副次的効果がまた馬鹿にできない、第一、子供が思春期になって親子大激突という局面を迎えた際、

「トオチャンが今まで一回でもお前に嘘をついたことがあるか」

と開き直れるところが実にまたいい、なアんて、まあ、いろいろ考えてですね、子供にはどんな些細な嘘もつかぬ、と思い決した。


性教育については、そのまんまのことを


デンマークでみた教育も踏まえて母親と共に


実践してみているとのこと。


結果はまだわからないけれど、ってことで。


いろいろな考え方や態度というものが


あろうとは思いますが、電話機を取り上げた


母親の応対は特に自分は問題ないと思う。


伊丹さんにすれば、可能性の芽を摘むんじゃない


ということなのだけど、本当にそうだろうか。


しかもそれは母親は不誠実ってことではなく


昭和50年代は、こういう使い方はしなかったが


”面倒くさかった”のだと思う。


時間、労力をかけて子供に説明して


真剣具合を伝えるよりも他に優先することが


あるという、毎日の育児というのは。


たとえ関わりが薄くても父親でもそうだろう。


今はイクメンが主流になっているから


関わりはさらにディープかもしれんが。


余談だけど自分の頃は


育児勤務(時短)申請しても


「はっ?お前何言っているの?」と人事部長に


いわれるような時代だった。


(うらみ節じゃないよ、単なるファクトです)


話は戻りまして、伊丹監督。


監督のようには時間配分や人格形成を


考えることができないのが普通だろう。


だから伊丹さんは天才なのだ、という事も言える。


伊丹さん享年64歳。


お葬式」はリアルタイムで映画館で


タンポポ」は後からテレビでだったが


何回も繰り返しみては、すぐにラーメンを


食べに行ったり。


もう少し映画を撮ってほしかったですが


やんごとなき常人には理解できないことが


あったのだろうと思い、今は継承されている


誰かがいるだろうと思うことにする。


それにしても、この伊丹さんの文章は


自分は小学生高学年の頃で


色々読んだり書いたりしはじめた時期と


まるかぶり、なんか懐かしかった。


雰囲気とか構成とかカタカナの使い方とか。


”ちょっと似てる”って感じただけで


”才能が”ってことではまるでありませんからね。


過日、大江健三郎さんの追悼番組を見てたら


大江さんを小説家として焚き付けたのは


なんと伊丹さんだと知ってビビりました。


では今日も仕事そろそろ行ってまいります。


 


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進化生物学への道―ドリトル先生から利己的遺伝子へ (グーテンベルクの森)

進化生物学への道―ドリトル先生から利己的遺伝子へ (グーテンベルクの森)

  • 作者: 長谷川 眞理子
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2006/01/26
  • メディア: 単行本


第6章


ダーウィンとの出会い


から抜粋


いろいろと寄り道をしたが、結局のところ、私は進化の研究をすることになった。

進化生物学の元祖と言えば、19世紀イギリスの博物学者、チャールズ・ダーウィンである。

思い返してみれば、進化の研究をしようなどと思う前から、そしてその後も、私とダーウィンの間には、いくつかの縁があった。


ともかくこうして、高校生のときにダーウィンの『ビーグル号航海記』と『種の起源』を読んだ。

もちろん、内容をよく理解したわけではない。

しかし、『ビーグル号航海記』は面白かった。

それは、ドリトル先生シリーズに魅せられて以来、船で未知の世界に乗り出す探険に憧れていたからだ。


『種の起源』のほうは、なぜ読み通したのだろう?

「世界の名著と呼ばれているものを読み通す」ということだけのために読んだのかもしれない。


意味もわからずに読んだのだから、読んだ、読んだと言っても何も誇れないのだが、のちに進化生物学を専門とし、ダーウィンの著作を翻訳することになったことを考えるとなんてったって、何かの因縁のようなものを感じる。


これには池田清彦先生も養老先生も


奥本大三郎先生も同様のことを


おっしゃっている


(『三人寄れば虫の知恵


第四部「虫屋」の正体 III ダーウィンとウォレス


ダーウィンの『種の起源』は分かりにくいと。


天才なのは間違いないだろうけれどとも。


ゲノムなど時代的に明らかにされていない


ことから考えると、やむを得ないのだろうと


自分は(というか大方)認識しております。


自分はほぼ読んでないので何もいう資格なし。


性淘汰の理論


から抜粋


私が深く進化生物学を学んだのは、ケンブリッジ大学動物学教室に行ってからだ。

所属したのは、アカシカの行動生態の研究で有名な、ティム・クラットン=ブロック博士の研究室である。


ティムの研究室を選んだ理由は、アカシカの雄と雌の繁殖戦略の違いを克明に研究した彼らの野外調査が素晴らしかったので、それに参加したかったからだ。


しかし、ついてすぐにティムが、アカシカではもう、おもしろいことはたいていやってしまったので、今度は別のダマジカというシカの研究をしようと思っていると言う。

ダマシカはレック繁殖する種で、レックにおける雌の配偶者選択の研究がおもしろい。


レックとは何だろう?

雌の配偶者選択とは何だ?

私は、まったく何も知らなかった。


レックとは、ある狭い地域に雄たちがどちらかがを携え、そこへやってくる雄たちに対して、いっせいに求愛ディスプレイをする場所をさす。

レックでは、どの雄と繁殖するかは、雌が選んで決める。

このような繁殖様式を、レック繁殖と呼ぶのである。


雄と雌の繁殖戦略の違いに関する理論は、ダーウィンが最初に提出した。

それは、自然淘汰の理論とは区別して、「性淘汰の理論」と呼ばれている。


ダーウィンは、同種に属している雄と雌の間に、からだの色や角や牙の有無など、いろいろな違いがあることを不思議に思い、自分が提出した自然淘汰の理論では、この性差は説明できないことに悩んでいた。


昨日も挙げた4つ自然淘汰の理論から


ダーウィンは自然淘汰が起これば、


生物はまわりの環境をうまく利用するように


適用的になっていく、と考えていた、とある。


しかし、雄と雌とは、同種に属しているのであるから、同じ環境のもとで同じような適応を起こすようになるはずだ。

それなのになぜ、雄だけが角や牙を持っていたり、雄だけが美しい色をしていたりする動物がたくさんいるのだろう?

つまり、卵や精子の生産に直接かかわらない部分にまで、なぜ性差が現れるのだろうか?

このことは『種の起源』の中にも、少しは言及されている。


それをのちに発展させて集大成としたのが、『人間の進化と性淘汰』という大著であった。

この中で、ダーウィンは、雄と雌とは、たとえ同種に属していても、繁殖のチャンスをめぐる競争のあり方が非常に異なる場合があると論じている。

誰が誰と配偶するかは、雄と雌との社会関係である。

そこで、個体同士が社会的な交渉を持つ場合には、繁殖のチャンスをめぐる競争が生じるだろうが、雄と雌とでは、その競争のあり方が異なるようになる。


同種の雄同士の間には、配偶相手の雌の獲得をめぐって激しい競争が起こることがある。

そうすると、そのような競争に有利な「武器」となる形質である、角や牙、大きなからだなどが雄の間に進化するだろう。


一方、雄どうしが競争するならば、雌は、どの雄との配偶するかを自分で選ぶことができるだろう。

そこで、もしも雌が、たとえばより青い色をした雄を選んだり、より尾の長い雄を選んだりすれば、雄の間には、青い色や長い尾が進化するだろうが、雌には、それは進化しないだろう。

前者が同性間競争は雄どうしで闘われ、配偶者選択は雌が行う。


これがダーウィンの性淘汰の理論である。

私がこのことについて最初に学んだのは、先に述べてとおり、菅原先生の講義であった。

しかし、当時、配偶者選択に関しては、あまり研究がなかった。


ダーウィンが性淘汰の理論を発表した当初から、実に1980年代初めまでの100年間も雌による配偶者選択の部分は人気がなかったのである。

それはなぜか?


一つの理由は、繁殖期に雄どうしの闘いはさまざまな動物で見られており、雄間競争が存在することは誰の目にも明らかだったが、雌が、なみいる雄たちの中から選り好みをしていることを示す直接の証拠はなかったことだ。


もう一つの理由は、当時の人間社会が持っていた、女性や雌に対する偏見である。

女性はあれでもない、これでもないと、自分の配偶相手を選ぶべきものではなかったし、自分で賢い選択をする能力もないと考えられていた。


ましてや、動物の雌が、確かな目を持って配偶者選びをするなどということは、まったくあり得ないないことだと退けられたのである。


しかし、もう一つ、大きな理由がある。


それは、雌の選り好みが働くと雄の形質がどのように進化するかについての、しっかりした数理モデルなどは存在しない時代だった。

それでも、1980年代になるまで、100年も真剣に取り上げられなかったのは、進化の数理モデルが立てられる時代になってからも、雌による配偶者選択の理論はモデル化が成功しなかったからだ。


この後、1930年に統計学の始祖、


ロナルド・フィッシャーの「ランウェイ」過程や、


1975年イスラエルの進化生物学者アモツ・ザハヴィが、


ハンディキャップ仮説」に触れて、


長谷川先生の研究は加速されていく。


私がケンブリッジ大学動物学教室に行った1987年雌による選り好みの進化の研究は、次々と新しい研究成果が発表され、もっともホットな議論の進む研究分野であったのだ。

またしても私は、そのような世界の研究の最前線について、何のたいした知識もなかった。

ザハヴィのハンディキャップ理論は、ドーキンスの『利己的な遺伝子』の中にも出てきたので、おもしろいなとは思っていたが、性淘汰の研究全体の流れも把握していなければ、数理モデルの難点のことなども知らなかった。

サセックス州、ペットワークス公園でのダマジカの野外調査が始まった。

幸にして、この研究はうまくいき『ネイチャー』に論文を出すことができた。


ダーウィンとの馴れ初め、理論への傾倒っぷりと


疑問や変節されゆく長谷川先生がなんとなく


わかった気がしたと感じた。


第7章 科学、人間、文明について


博士にはなったものの…私の就職歴


から抜粋


私たち仲間うちでは、理学博士などという称号は、「足の裏にくっついたご飯粒」だと言う。

そのこころは、「取っても食えない、取らねば食えない」。

大学や研究所に研究者として就職しようとすれば、博士号は必須である。

しかし、博士号を持っているから採用されるかと言えば、そんなことはまったくわからない。

このことを表した「名言」である。


東京大学理学部助手のあとの就職先を見つけねばならず、ケンブリッジ滞在中から、学科の掲示板に貼られている求人広告にはつねに目を通していた。

どんなところでも、可能性があれば出してみるつもりだった。


日本に帰ってから、状況はますます厳しくなった。

東京大学理学部人類学教室の当時の主任教授が、「女は絶対に東大で教授になれないのだから、早く出ていきなさい」と言った。

1989年である。


ある日、パブア・ニューギニア大学の求人が目に入った。

そのころには、本当に躍起になっていたので、あたりかまわず何でも出してみる気になっていた。

今度は夫が、「だめだめ、それは辞めたほうがいい」と言う。

理由は、オクラホマのときと同じである。

まわり中にあるものがトウモロコシではなくて、熱帯のサンゴ礁なだけだ。

それはそれで素晴らしいかもしれないが、やはり、学問の中心から遠く離れ、何の刺激もなく、いいことは絶対にない、ということだ。

これにも納得して、そこには応募しなかった。


そういうわけで、オクラホマにもパブア・ニューギニアにも応募はしなかったが、ほかにいくつか日本の大学の求人に応募して落ちた。

落ちるたびに焦りがつのる。

最後はまた、もうオクラホマにもパブア・ニューギニアでもいいという気持ちになった。

そうこうするうちに、専修大学法学部に、教養の科学論の助教授として就職した。

1990年である。


これは私の人生の大きな転換点だった。

これまで私は、自分の専門の科学者集団である理学部にしか、身を置いたことがなかった。

それが、まったく学問的に共通点のない法学部に所属し、まったく科学者になることなどない学生たちに、「科学とは何か」を教えることになったのだから。


2000年には専修大学から早稲田大学政治経済学部に移ったが、基本的に状況は同じだった。

途中、イェール大学で1年間、再びケンブリッジ大学で1年間過ごした時を除き、合計13年間にわたって理学部以外に所属し、人文・社会系諸学の先生方とつきあい、人文・社会系の学生たちを教えることになったのである。


東大の主任教授から受けたパワハラ。


今では考えられない。


過日読んだ中根さんは特別だったということか。


それにしても「就活」して決まらずに


「焦る」なんて長谷川先生には


もっとも縁遠い”情動”なのではと


勝手に思ってたのだけど、


人間はわからないものです。


”先入観”や学歴・キャリアからの


”刷り込み”って怖い。


自分だけかもしれんが。


話戻って、長谷川先生、一旦落ちてからの


そこからのリカバリーがすごいし


だから深いのか、と思ったり。


「科学とは何か」を考える


から抜粋


この13年間には、紆余曲折、いろいろなことがあった。

しかし、私にとっての一番の大きな収穫は、科学者でない人々が科学というものをどのように見ているのか、ある意味で、どれほど科学を知らないか、ということと、科学者全般が、いかに社会を知らないかということの両方を実感したことだった。


科学を専攻するのではない学生、および社会人一般が、科学という仕事をどのように理解しているのかに注意を払うということは、理学部にいたときには思いつきもしなかった。

それで、この両者の間に存在する大きなギャップに気づかなかったのだが、それは逆をいえば、私たち科学者自身が、いかに世間とかけ離れているかということでもあったのである。


人間は、自分自身がおかしいということよりも、他者がおかしいということのほうが、気づきやすいのだろう。

自分自身の状態は、自分にとって当たり前であるからだ。


私も、まずは、「科学者でない人々は、なぜこうも科学を知らず、または科学を誤解しているのだろう、なぜこうも科学を知りたくないと嫌っているのだろう?」ということがショックだった。

法律やら社会の仕組みやらに自分が疎いことは棚上げにして。


それから、科学史にも足を突っ込み、ジョセフ・ニーダムの『文明の滴定』、矢島祐利『アラビア科学史序説』など中国の科学やイスラムの科学についても学んだ。

自分でもとてもおもしろいと思ったものもあれば、現場の科学者の感覚とは全く違うと思ったものもあった。


その後の何年にも渡って、こんな勉強をしながら「科学とは何か」を教えてきた結論の一つは、自分は根っからの科学者だということだ。

自分はずっと科学者であり続けるし、それが自分の本性であり、科学史家や科学哲学者にはならないだろうということだった。


現場主義ってことなのかな。


”科学史家”、”科学哲学者”がよくわからないから


わからないけれど。


この後「4枚カード問題」という章で


盟友サラ・ハーディやカナダのマクマスター大学の


マーティン・デイリー、マーゴ・ウィルソンらから


人間の心理と行動について


進化生物学的に研究することを勧められたが


どのようにすれば良いのかわからないところ


「4枚のカード」レダ・コスミデス


ジョン・トゥービーによる研究で目を開かされたと。


従来これに関しては、人間はもともと抽象的思考は不得手なのだが、具体的で日常的な問題ならばよくわかるのだ、というような説明がなされていた。

それに対して、進化心理学者のコスミデスとトゥービーは、違う仮説を提出した。

それは、人間の進化の過程で、互恵的利他行動に関する問題が非常に重要であったからではないか、という仮説である。


コスミデスとトゥービーは、現在の人間の社会に互恵的利他行動がたくさん見られること、そして、原始人の時代から互恵的利他行動は決定的に重要であったろうということから、人間の脳の働きには、互恵的利他行動の問題に特化したモジュールがあるのではないかと考えた。

そして、「4枚のカード問題」に見られる認知のバイアスは、期せずしてそれを表しているいるのではないかと考えたのである。


なんかむずいけど、4枚のカード問題


別に本があったら読んでみたい。


それは置いといて、長谷川博士の変遷が窺えて


納得、深さとユニークさとチャーミングさと


知性を備えている人って、そうそういない。


スムーズなキャリアパスからではこうならない。


余談だけど、前回紹介した自分の小学校時代の


担任は、ひとクセある人で


哲学者たる風貌で教えとか言葉が


他の教師とはまったく次元の異なる人だった。


後日同窓会で知ったのは、教師になる前


税務署に勤めてて、差し押さえ係を


やっていた経験があり、財政破綻した家族の


子供が泣いている横で、淡々と


差し押さえシールを貼ることに


嫌気がさして教師になったという経歴だった。


長谷川先生と若干被るのはさまざまな経験から


見識を広めているところでした。


まったく新しい総合人間科学をめざす


から抜粋


私は、早稲田大学政治経済学部で、「地球環境問題の行方」というゼミをやっていた。

このテーマを選んだ理由は、環境問題が、現代社会の抱えるもっとも困難で緊急な複合問題の一つだからである。

これは、単一の分野の研究や活動で解決できるものではない。

政治も経済も、生態学も進化生物学も、心理学も社会学も、全てが関連している。


私は科学者で専門は行動生態学である。

アフリカのタンザニアで国際協力の仕事をした経験もある。

これらの話を私から提供するかわりに、政治経済学部の学生たちからは、政治や経済の切り口から環境問題に関する彼らなりの分析を聞いてみたかったのだ。

そして、理系と文系が合わさった考察をしてみたかった。


特定地域に密着した保全活動の例から、


原発問題、農業と食料自給、人口問題、オゾン層破壊、


森林伐採と紙の使用、環境教育、そして


サミュエル・ハンチントン著の『文明の衝突』を


学生から教わったと記される。


読んでみた結果、ハンチントンの本書の議論には賛同しなかった。

なるべく厳密な定義と理論をもとに、理論の検証性のある実証的なデータを出して議論していくのが常道である自然科学の観点からすると、ハンチントンの議論は、単に自説の展開だけであるかのように見えて不満足だった。

しかし、『文明の衝突』からヒントを得て、文化システムを進化生物学的に研究する興味が深まった。

文化とはなんだろうか?

文化は人間性にどのような関係にあり、どのようにして生み出され、どのようにして人間を変えるのだろうか?


リチャード・ドーキンスは、『利己的な遺伝子』の最後で、文化の伝達を考える手だてとして、一つ一つの文化要素を「ミーム」と名付け、遺伝子の伝達を分析するのと同じように、ミームの伝達を分析する構想を展開している。

これは、一つの方法である。


一方、従来の文化人類学は、どんな文化が作られかはまったく任意であるとしていた。

母系社会もあれば父系社会もある。

黒が不吉とみなされる社会もあれば、白が不吉とみなされる社会もある。

つまり、何でもあるのだ。


しかし、私には、この問題設定はなはだ不満であった。

なぜなら、文化は所与の物であるとは言っても、個人はそれぞれ、文化の中のある要素じゃ受け入れ、ある要素は受け入れないということをする。


個人が新しい文化を生み出しもする。

文化が捨てられることもある。

個人は、文化のまったくの奴隷ではない。

また、どんな文化が生み出されるかは任意だとは言っても、逆立ちして歩くことが普通であるという文化は存在しない。

文化の任意性には、生物としての人間が持っているなんらかの制約が反映されているはずだ。


ミームの考え方は面白い。

それを採用するとしても、もう少しシステム全体を見渡す視点で、文化とその動態とを分析できないものだろうか?


そのようなことを探っているときに読んだ『文明の衝突』は、この本が扱っていることと、扱っていないこととの双方を通じて、私に新たな道筋を示してくれた。


一つは、歴史的な流れに沿ってシステムの動向を概観し、異なるシステムどうしの競合関係を分析することである。扱っていないことの一つは、このシステムを、複雑適応系として分析することだ。


この校舎の考えには、ジャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』と、サイモン・レヴィンの『持続不可能性』を読んだことが大きく影響した。

人間を取り巻く生態系、人間の持つ社会・経済システム、文化システムを、複雑適応系として捉えて分析していくというのは、まだ、考えが広がり始めたばかりである。

今後、しばらくはこの方向で考えてみたい。


人間を科学的、進化的に研究するには、研究者の側にかなりの度量が要求されると思う。


動物の行動と生態、進化の研究が、結局のところ最終的に私を導いてきたところは、人間とは何かであった。


動物を研究してきたが、人間とは何かに


たどり着いたと。


人生を、極めようとすると


結局はそうなるのかもしれないなあ


動物行動学だけの話ではないよなあ、と思いつつ


これは本当に良書とよべるものだったなあと、


残暑厳しい休日に思いつつも


ブックフで16冊購入、Amazonから10冊届いた為


図書館に届いている3冊は後回しにして


パパが夕食を作り始めないとって思っている


ところで今夜は春巻きとシューマイです。


作るわけじゃないよ、買っただけです。


 


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進化生物学への道―ドリトル先生から利己的遺伝子へ (グーテンベルクの森)

進化生物学への道―ドリトル先生から利己的遺伝子へ (グーテンベルクの森)

  • 作者: 長谷川 眞理子
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2006/01/26
  • メディア: 単行本

 


前回からの続編で


おまちどうさまでした、自分。


ドーキンス先生の理論との出会いでございます。


第5章 利己的遺伝子


「群淘汰の誤り」を教えてくれたプレマック先生


から抜粋


博士課程の2年の夏から、野生チンパンジーの調査でアフリカに行くことになった。

その年の春である。

チンパンジーの言語訓練の研究で有名なアメリカの心理学者、デビット・プレマック夫妻が来日された。


私たちは、野生のチンパンジーの行動と生態を研究しようと思っていたので、プレマック先生たちが取り組んでいたような、実験室での類人猿の認知能力についてはあまり知識がなかった。


チンパンジーの研究の先にある大きな目標であるはずの、人間の進化の理解ということも、ほんの漠然としたイメージしか描くことができずにいたのである。


先生は私たちに言ったのである。

この論文は、観察事実としてはたいへんにおもしろいが、理論的には完全に間違っている。

全面的に書き直さなくてはいけない、と。


プレマック先生は、私たちの論文のもとになっている考えは、「種の保存」という群淘汰の考えに基づいているが、その考えはもう今では誤りであることがわかったので、遺伝子淘汰に基づいて完全に書き換えねばならないとおっしゃった。


これは青天の霹靂であった。

今考えれば恥ずかしい限りなのだが、当時、東京大学理学部人類学教室では、欧米ではさんざん議論された挙げ句に捨てられた、「動物は種の保存のために行動する」という古い考えが、まったく疑いをさしはさまれることもなくまかり通っていたのだ。

これは、専門的には、「群淘汰の誤り」と呼ばれるものである。

この誤りは、あれから二十数年がたった現在でも、進化学者ではない一般の人々の間ではぬぐい去られてはいない。

それは、欧米社会でも似たり寄ったりであるようだ。

それにしても、進化を研究する専門の学科で、欧米の最先端の議論がまったく届いていないということを知ったときは、これはショックだった。


それから先生は、

「一番いいのは、この本を読むことだ」

と言って、ある本を紹介してくださった。

それが、リチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』だったのである。

さらに先生は、日本でこの本を今すぐ手に入れるのは難しいかもしれないからと、なんとご親切にもアメリカの秘書に電話し、原書を一冊すぐに東京大学に送るようにと頼んでくださったのだ。


本書を読んだときの感動は今でも忘れない。

それは、目からうろこが落ちるとはこういうことか、という経験だった。

「動物は種の保存のために行動する」「動物の持っている性質は、種の保存に有利なものである」という議論は、今でも一般には流布している。

生物学者でさえ、進化生物学が専門でない人々の中には、そう信じている人は多い。

しかし、これは誤りであり、種などという大きな集団全体の利益になるように進化が起こることはないのだ。

このことは、1960年代から徐々に明確にされてきたことで、その結果、動物の行動を研究する枠組みが大きく変わった。

そのような、言わばパラダイムの転換が起こったのが、1970年代前半だったのである。


私たちは、野生ニホンザルの子どもの母親が死んだとき、みなしごになった子どもが誰に世話され、どのような社会関係を持つのかを研究した。

その結果は、いろいろと興味深いことがわかったのだが、私たちはそれをみな、「ニホンザルの集団にとって有利な行動だから」というように論じていた。

しかし、これは群淘汰の誤りである。


集団にとって有利な行動はなかなか進化するものではない。

行動はまず第一に、それを行う個体にとって生存・繁殖上の利益があるかどうかの問題なのだ。


私たちは、そのように書き直して投稿した。

やがて編集会議から送られてきた返答は、「修正なしで受理」だった。

書いた論文がまったく修正なしで受理されたなんて、これまでの研究生活で後にも先にも、この論文だけである。

プレマック先生には、本当にお世話になった。


なんか難しいのだけど、”群淘汰の誤り”。


昨夜夜勤中にみていた、今西進化論との対立とも


関係しているのだろうかね。


今西先生も興味深いのだけれど、今の自分にとっては。


新旧の価値観の交代劇だったのか?


余談だけれど、論文は英語で書かないとならないし


レフリーがああだこうだとうるさくて


時間かかって面倒くさい、というのは養老先生の本で


読んだことがある。


なぜ「種の保存」論は誤りなのか


から抜粋


リチャード・ドーキンスによる『利己的な遺伝子』の初版の出版は1976年である。

先にも述べたように、生態学や行動学でも、以前は、種の利益や集団の利益になる性質が進化するという群淘汰の考えが採用されていた。

コンラート・ローレンツの著作はすべて、この群淘汰の考えで貫かれている。

たとえば、彼は、有名な『攻撃』という書物の中で、オオカミのような肉食獣が同種内で互いに殺し合いをしないのは、あのような有能な殺し屋どうしが本気で攻撃しあえば、すぐに種が滅びてしまうので、そういう行動は「種の保存」のために進化しないのであると論じている。


1962年には、ウィン=エドワースという学者が『社会行動と関連した動物の分散』という専門的な大著を著した。

この本は、動物が行うおよそありとあらゆる社会行動を、種の保存のために自らの増えすぎを防ぐ、個体群調整行動であると論じていた。

たとえば、カラスなどの鳥が群れて上空を飛び回っていることがある。

あのような行動は、自分たちの個体数がどれくらいであるのか、資源は足りなくないかを査定し、繁殖を控えるかどうかを決めている行動だというのである。


生態学でも、個体群の調節機構について、つねに種の保存の観点から考えられていた。

生物の個体数は、たいていは安定しているが、増えすぎるとさまざまな新奇な行動が出てくる。

たとえば、飼育下で増えすぎて個体密度が高くなったネズミは、互いに殺し合ったり、雌の妊娠率が下がったりする。

これは、究極的に個体数を抑える働きをし、それによって「種が保存されるのだ」と説明されてきた。


ところで、このような群淘汰の考えは、ダーウィンが自然淘汰による進化の理論を提出した1859年当時からつねに主流であった。

なぜか人間は、洋の東西を問わず、「種の保存」という概念が好きなようである。

しかし、ダーウィン自身は、そう考えていたわけではない。

彼は自然淘汰の理論は、

(1)種内には、さまざまな個体差が存在する

(2)それらの個体差の中には、親から子へと遺伝するものがある

(3)それらの遺伝する個体差の中には、生存と繁殖に関して、有利なものとそうでないものとがある

(4)生まれてきた子どもたちの全員が成熟するわけではない

という四つの前提をもとに、生存と繁殖に有利な個体変異が、世代を経るにつれて集団中に広まっていく、というものだ。

つまり、ここで言う有利か不利かは、ある個体変異が他の個体変異に対して有利か不利かの問題なのであり、集団全体または種にとって有利かどうかは、全然関係がないのである。


ダーウィンは、そのことをよく理解していた。

それでも、ダーウィン自身、しばしば曖昧な言葉を使っている。

「種にとって利益となる性質が」という言い回しが何度も出てくるのだ。


結局のところ、自然淘汰が起こって、個体にとって有利な性質が集団中に広まると、集団の誰もが適応的になっていく。

すると、結果的には種全体にとって有利な性質が進化したように見えることになる。

そこで、「種にとって利益となる性質が進化する」という言い方がされる。

しかし、それは自然淘汰が起こった結果なのであって、自然淘汰のプロセスそのものは、個体が生存・繁殖上どのような利益を得るかが鍵となって起こっているのである。


行動を研究しているのではない生物学者の多くが、今でも「種の保存」の考えを持っている理由の一つは、鳥の翼の形が流体力学的に非常にうまくできていることや、血液凝固の仕組みが素晴らしい適応であることなどの性質が、どの個体にとっても利益となるものであり、集団または種の全員がそれを持っていることが多い、ということによるのだろう。

つまり、このような性質を見る限り、個体にとって有利な性質と集団全体にとって有利な性質は一致しているのだ。


ところが、行動の話となるとそうはいかない。

集団全体にとって有利になるような行動は、必ずしも、個体自身にとっては有利にならないこともある。

その逆もある

ある個体にとって有利な行動は、他個体にとっては不利になることもある


社会行動は、個体間の葛藤と対立に満ちあふれているのだ。

そこで、行動の進化を考えるときにも自動的に群淘汰の考えを使うと、大きな誤りを犯すことになる。

集団全体の利益で解釈してしまうと、個々の個体の置かれている状況の違いや、微妙な対立と葛藤の調整などがすべて見えなくなってしまうのだ。


繁殖期の雌の獲得をめぐる雄どうしの闘争を考えてみよう。

闘争の結果、強くて勝ち残った雄が、雌への接近を果たす。

負けた雄は配偶ができない。

これを、「種の保存」論で説明すると、強くて闘争に勝つ雄だけが子孫を残すのは、「種全体にとって有利」な行動だから進化したということになる。

そう考えると、負けた雄は、 「種全体の利益のために」黙って身を引くはずだということになる。


しかし、個々の雄を考えてみよう。

誰だって負けたくないし、誰だって繁殖したいのだ。

そこで、正直な闘争に負けた雄の中には、勝った雌が持っているなわばりのうしろの方に、目立たないように隠れているものがいる。

そして、闘争に勝った雄のところへ雌がやってきて配偶しようとした瞬間、うしろからさっと現れて、卵に精子をかけてしまうのだ。

これを、スニーカーと呼ぶ。

実際、魚でもカエルでも、スニーカーの存在は確認されている。


種の保存で考えていたころには、こんなスニーカーの存在など、誰も考えつきもしなかった。

これらは、単に異常としてかたづけられていた。

しかし、一旦、群淘汰ではなく、個体にとって有利な行動が進化するという観点から考えれば、スニーカーを初めとするさまざまな戦略が進化するだろうと予測されるようになる。

これは、ローレンツなどによる昔の動物行動学からすれば、180度の転換であった。


ドーキンスの『利己的な遺伝子』は、生命の起源から始まっている。

この第1章は、初めて読んだ当時は少し退屈な気もした。

しかし、ここは、生命の本質は自己複製であり、自己複製がうまくできたものだけがあとに残り、連綿と続いてきたのだということを示す、重要な導入部分である。


私たち人間も含めて現在の生物はみんな、連綿と自己複製によって続いてきた個体の子孫である。

自己複製できなかったものは、みんな消えてしまって存在しないのだ。

その自己複製の単位は遺伝子であるので、ある遺伝子が複製できるのかどうか、ある遺伝子が、その対立遺伝子よりも多く複製を残すのかどうかが、進化の基本なのである。

集団の繁栄は、単にその結果にすぎない。


雄の雌の獲得競争、ここから派生しての


90年代ごろのトンデモ本への展開となり


進化を真面目に研究している人にとっては


迷惑だし不快であることを綴られておられる。


ドーキンスの本についていまだに目的を


果たせてないとも指摘もあり。


しかし、なんか難解なゾーンに突入してきた。


何度も反芻しておかないと。


自分としては『利己的な遺伝子』へのステップとして


ヒントが詰まっているという視座だと解釈しやすい。


いよいよ『利己的な遺伝子』を読みたくなってきた。


ちなみにドーキンス氏が持論については、


日高先生との会話でネッカーキューブのようなものだ


という懐の深さを示されたということだけれど


長谷川先生のこの章の見解も併せての印象だけど


どんどん哲学的なところに入っていく気がする。


哲学を追求も良いのだけど、夜勤明けの夜は


どうしても一食抜いた分、空腹感が強くて


夕飯の支度を主体的に行いたいと存じますが


最後にこちらがないと締めれないことに気がつき


これこそ、人生をも左右する幸福な読書体験だ


と思った。


子殺しの進化に関する問題 から抜粋


ドーキンスの『利己的な遺伝子』は、群淘汰から遺伝子淘汰へと考えの枠組みを転換させてくれた、画期的な書物であった。

しかし、本書の中には、問題だと思う点も、何かひっかかる点もたくさんあった

それらと向き合い、格闘することが、その後の私の研究の道筋を開いてくれた

そして、最終的には、現在取り組んでいる、人間性の進化的基盤の解明へとつながっていったのである。


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長谷川博士の書から”動機”の強さを読む [’23年以前の”新旧の価値観”]


進化生物学への道―ドリトル先生から利己的遺伝子へ (グーテンベルクの森)

進化生物学への道―ドリトル先生から利己的遺伝子へ (グーテンベルクの森)

  • 作者: 長谷川 眞理子
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2006/01/26
  • メディア: 単行本


Amazonをつらつら見ていたら


柳澤桂子先生と同じフォーマットの装丁で


長谷川先生のもあるではないですか。


寝る前にコツコツ読んだ、これまた


至福の時間でございました。


表紙の袖の紹介文から


図鑑とドリトル先生シリーズによって動物の世界に誘われた少女は、生物学研究者の道に進み、いま進化の視点から「人間の本性」に迫ろうとしている。

動物好きの少女がここに至るには、『ソロモンの指輪』や『利己的な遺伝子』などの本、大学の恩師やチンパンジー研究者グドールなどとの決定的な出会いがあり、その道は悩み多きジグザグのコースをたどった。

これは一研究者のドラマティックな成長の記録であるとともに、興味津々たる読書の履歴書でもあり、動物と進化に関する名作・名著への生き生きとしたガイダンスともなっている。


第二章『ドリトル先生航海記』ーー博物学とイギリス流ユーモア


「ドリトル先生シリーズ」との出会い


から抜粋


小学校に入ったころ、講談社の『少年少女世界文学全集』というのを買ってもらった。

初めは父に読んでもらったが、そのうち自分で読むようになった。

『ギリシャ・ローマ神話』を初めとして、いくつかの世界の古典に最初に触れたのがこの全集だった。


のちに、この全集のほとんどは年下のいとこにあげてしまったが、『ドリトル先生航海記』が入っている巻だけは、今でも手元に残してある。


しかし、『航海記』がやはり群を抜いておもしろかった。

最初の出会いであったから印象が強かったということもあるのだが、いろいろこれまで読み返してみて、文学的にも『航海記』がもっともすぐれているのではないかと思う。

また、この本は日本語がたいへん良かった。


後年、『航海記』は原書でも読んだが、井伏鱒二氏の日本語訳はたいへんよくできていると思う。

19世紀のイギリスの人物の雰囲気を日本語で表現するのはなかなか難しいが、井伏氏の訳はドリトル先生も、オウムのポリネシアも、ネコ肉屋のマシューほか、さまざまな階級の人間たちも、その雰囲気と性格を見事に表現している。


そして、日本語として、とてもきれいな日本語である。


削られた差別的表現


から抜粋


作者のロフティングは、1886年生まれで1947年に亡くなった。

19世紀後半から20世紀前半を生きたイギリス人であり、アメリカに移住した。

そういう時代の人であったから、イギリスの階級社会をそっくりひきずっていたし、黒人やアメリカ・インディアンに対する差別表現もあった。

私が子供のときに読んだ井伏鱒二訳では、それらはすべてそのまま訳されていた

1990年代にペンギン・ブックスに収められている原書を買って驚いたことには、そういう差別的表現のところが全部削られていたのである。


とくに子どもに読ませる児童文学なのだから、差別的表現はないほうがよいのだろう。

しかし、差別的表現が満載されたオリジナルを愛読して育った私は、差別主義者になったのだろうか?


差別的表現には気づいたが、私がこの物語全体から得たものとしては、ヒューマニズムのほうがずっと大きかった。

その後の教育と経験の中で差別のいけないこと、その悲惨な実態を知り、楽しいドリトル先生とは関係なく、差別の問題を考えるようになった。


その後、実際にアフリカで過ごし、アフリカ人と一緒に仕事をする過程で、アフリカやアフリカ人に対する自分の考えを作り上げた。

仕事がうまくいかず、アフリカ人たちが協力的でないときには、アフリカに対する軽蔑の感情も生まれた。

しかし、アフリカ人に助けられ、言葉が違い、文化が違っても人間は同じだと思うことも多々あった。


差別がいけないのは当然だが、ささいなところまで言葉狩りをすることで、何でも消し去ろうとすることにも、また、差別的表現に触れれば必ず子どもは差別主義者に作られるかのように考えることにも、疑問を抱いている。


差別用語については軽くだけど


この後ドリトル先生の面白さを


解きほぐし具体的にも触れられている。


帝国主義時代は西欧諸国の価値観が


強固な時代ですからね。


それにしても井伏鱒二さんってこういう仕事も


されてたんすね。改訂前のを読んでみたい気もした。


第3章『ソロモンの指環』とコンラート・ローレンツ


ミクロの生物学からマクロの生物学へ


から抜粋


大学で出会った先端の生物学は、こうしてどんどん個体から遠ざかり、細胞に、分子に、遺伝子に、とミクロな話になっていった。

普通なら、ここで分子生物学にのめり込み、図鑑やドリトル先生の世界は過去のものとなるのだろう。

しかし、先の述べたように、本当に小さい頃から図鑑やドリトル先生に惹かれて動物の研究がしたかった私は、心のどこかで、丸ごと個体としての動物の研究への興味を捨てられなかった


ここで、私をマクロの生物学に決定的にゆり戻す展開が起きた。

それは、2年生後期の、菅原浩先生の講義だった。

先生は動物学教室のご出身で神経生理学がご専門だったが、その年は退官の年であり、先生の最後の授業だった。

そこで、先生が「今もっともおもしろいと思う分野」ということで、動物の行動と進化に関する講義をなさったのである。


おりしも1973年、分子生物学が真っ盛りのとき、動物行動学の祖である、カール・フォン・フリッシュ、コンラート・ローレンツ、ニコ・ティンバーゲンの3人が、ノーベル生理・医学賞を受賞したのだ。

ときは、遺伝子暗号解明の興奮の時代であり、分子生物学によって初めて、生物学が物理学のような理論の世界に入ろうとしていた時代である。


そんなときに、動物の行動と進化の研究は決して主流ではなかったのだが、このノーベル賞によって、それが生物学の一つの分野として公式に認められた。

これは画期的なことだった。


私は、ノーベル賞の内幕も政治も知らないので、なぜこの時期に動物行動学がノーベル賞の対象になったのかの詳細は知らない。

しかし、これは本当に先駆的な決断だったと思う。


動物の行動と生態を研究する学問は、その後、大雑把に言えば二つの方向に分かれ、一つは行動生態学に、もう一つは認知行動科学となって発展した。

しかし、この二つとも、当時は、現在のような発展があるとは誰も予期していなかったし、行動生態学がその後に結びつくことになる、生物多様性の生態学も、まだまったく存在していないも同然だったのだ。


時のノーベル賞が、その後の学問の発展を


広く導いた結果になった動物行動学。


当時はそれは学問なのか?という時代だったのかな。


長谷川先生にすれば菅原先生という恩人との出会いや


ローレンツ氏達のノーベル賞受賞など時代の流れも


味方となり、それは運命と呼べるものかもしれない。


さらにいうなら自分が最初に感じたことを


貫けたというのは幸せな事だろうなと感じた。


話はズレるけど、自分の小6の頃だから


40数年前、担任の先生(当時36歳くらい)が


若い頃、考古学なんて学問なのか、と思ってきたが


この歳になり思うのは、あれは紛れもなく学問だね


と仰っていたのを


思い出したのは言いたいだけでした。


余談だけどその先生も相当に変人で


自分はモロに精神的に影響を受けてしまいました。


コンラート・ローレンツ


から抜粋


行動生物学という学問上では、ローレンツよりもティンバーゲンのほうが、大きな貢献をしたかもしれない。

しかし、一般的に言えば、ティンバーゲンはほとんど知られていないと言っても良いだろう。

それに対して、ローレンツは、一般向けの著作を通して、多くの人々に知られている。

彼は、専門分野の視点から人間や文明について哲学的に論じるのが好きだった。

そして、人を惹きつけるおもしろい書物を書く才能があった。


『ソロモンの指環』という題名も、ドリトル先生の話に通じるものがある。

どちらも、動物の言葉を人間を理解するということだからだ。

ドリトル先生は、人間の言葉を覚えた賢いオウムのポリネシアからオウム語を習い、そこから始めて多くの動物たちの言葉を習得した。

伝説の王様、ソロモンは、特別な指環を持っていて、それをはめると動物たちの言葉がわかるようになるという。

ローレンツは、動物の身振り、表情、行動を観察することから、動物が何をしているのか、動物の行動にどんな意味があるのかを研究する、動物行動学という学問分野を開いた。

その研究は、ソロモンの指環を手に入れるようなものだというわけである。


長谷川先生の印象に残っている『ソロモンの指環』の


中の話でカラスの逸話が引き合いに。


ローレンツは、チョックと名付けた、コクマルガラスというカラスの仲間を、ヒナのときから自分で育てて飼っていた。

大きくなったチョックは、ローレンツを自分の仲間だとみなしていたので、カラスが親密な個体同士で行う行動を、ローレンツに対して向けるようになった。

その一つは、チョックが見つけてきた太ったミミズの切れ端を、ローレンツの口に押し込もうとするものである。

動物にはとことんつきあうローレンツだが、これはちょっと受け入れがたかった。

そこでローレンツはこの迷惑なプレゼントを拒否し続けていたのだが、チョックのほうもあきらめなかった。


ついにチョックは、本を読んでいたローレンツの肩に止まり、彼の耳の穴にプレゼントをぎゅっと詰め込んだのだった!


この行動に関するローレンツの説明は、チョックがローレンツに対してミミズをあげたいという愛情表明行動をしたくなると、一旦それが始まったからには完結しなければおさまらず、ローレンツの口という「正しい」目標が拒否された場合には、次善の策として、ともかくも丸い穴である彼の耳を選んで行動を完結させた、というものだ。


別のところで、ローレンツは、自分自身および人間の怒りの行動にも、同じ説明を与えている。

他者に対する激しい怒りの「本能」がわき起こったとき、人はその怒りを爆発せざるを得ないのだが、その目的を直接に達することが阻止されると、そばにあったブリキ缶を蹴飛ばすなどという行動に出る。

これも、チョックの行動と同じ原理で説明できるというのである。


人間社会も動物社会も同じですな。


八つ当たり、ってやつで、気が収まらない、から


ガス抜きが必要、またはあげた拳を振り下ろさせる。


どこかの誰か、プーチンさんにこの技の転用を


お願いできないものだろうか。


こうもり傘の威力


から抜粋


『ソロモンの指環』の中に語られているおもしろい挿話の中で、もう一つ、のちのちまで私の頭にこびりついていた印象的な話がある。

それは、ローレンツの奥さんがガンたちに対してとった行動の話だ。

ローレンツはハイイロガンをたくさん飼っていたが、彼らは奥さんの花壇や野菜畑にしばしば入りこんでは中を荒らしていた。

そこで、ローレンツの奥さんは、ある日、ガンたちに向かってこうもり傘をばっと開いては閉じ、またばっと開いては閉じる、というディスプレイを行ったのだ。

ガンたちは、これには仰天して逃げていったという。

ユーモラスな挿絵もついていたので、ますます印象に残った。


しばらく前の夏、うちにスタンダード・プードルの子犬がやってきて家族の一員になった。

名前を菊丸という雄の子である。

うちに来たときには、まだ生後3ヶ月だった。

いろいろと事情があって、菊丸がうちにやってきて数ヶ月は、私は家にいなかった。

そこで、初めて私と会ったとき、菊丸は私を友達扱いしようとした。

そして、さらには、なんとかして自分の方が順位が上だということを印象付けようとし始めたのである。


これは、まずい。

イヌとの長いつきあいが始まろうとしているのに、イヌの方が偉くなってたまるものか。

菊丸が私につっかかってこようとしたある日、私は、ローレンツの奥さんのことを思い出した。

そして、本当に都合よくそばにあった折りたたみ傘を手に取った。

菊はなんにもわからないらしい。

そこで、私は、無邪気な菊の目の前で、いきなりばっと折りたたみ傘を開いたのである。


菊は、心底びっくりした。

尻尾をまいて、耳を垂れ、後ずさりした。

そこで、私は二度、三度と傘を開いたり閉じたりしてみせた。

菊はとうとうお風呂場に退却して、しばらく出てこなかったのである。


こんなに恐怖心を起こさせたとは、こちらも予期していなかった。

そこで、あとは一生懸命抱っこしたり、なでなでしたりして、関係の修復をはかった。

それは、一応功を奏したようである。


動物を飼った事がないのだけど、


順位づけがあるというのはなんとなく


知っておりましたが先に家にいたからって、


ここまであからさまなものなんですな。


先人の知恵を継承されたエピソードの


「傘での威嚇」はユニーク。


菊君、若干気の毒だけど、びっくりしただろうな。


この書は長谷川先生の興味の成り立ちから


紆余曲折のストーリー展開が読んでて楽しい、


柳澤桂子先生とはまた別の深淵なる思考の塊からの


行動とその顛末が爽快でございます。


学者さんで本出してるという図式だけでは


捉えきれない、人生の悲喜交々が


心を打つのでございまして感慨を禁じ得ないが


それはさておき、そろそろ夜勤のための腹拵えを


しないとっていう時間になってまいりました。


 


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往復随筆③内田先生とるんさんから”こう在りたい”と感じた [’23年以前の”新旧の価値観”]


街場の親子論-父と娘の困難なものがたり (中公新書ラクレ (690))

街場の親子論-父と娘の困難なものがたり (中公新書ラクレ (690))

  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2020/06/08
  • メディア: 新書

表紙袖にある文章から


抜粋。


わが子への怯え、親への嫌悪、誰もが感じたことのある「親子の困難」に対し、名文家・内田樹さんが原因をときほぐし、解決のヒントを提示します。

それにしても、親子はむずかしい。

その謎に答えるため、一年かけて内田親子は往復書簡を交わします。

「お父さん自身の”家族”への愛憎や思い出を文字に残したい」「るんちゃんに、心の奥に秘めていたことを語ります」。

微妙に噛み合っていないが、ところどころで弾ける父娘が往復書簡をとおして、見つけた「もの」とは?

笑みがこぼれ、胸にしみるファミリーヒストリー。


2 僕が離婚した年の長い夏休み


内田樹 → 内田るん


から抜粋


るんちゃんの最後の質問、「『くだらない人だなあ』と思っていた人が、実はなかなか稀有な人物だと思い直したり、『失敗したなあ』と後悔していたことが、時間が経ってからむしろ大正解だったと気づいたりしたようなこと、何か思いつきますか?」

ということですが、どうでしょう。


失敗だと思っていたことが「いかにも自分がしそうな失敗だった」とわかるということはよくあります。

単なる偶然や不運ではなくて、自分にとって必然的な失敗だったということがわかる。

そういうことはあります。


僕はいま能楽の稽古をしているのですけれど、稽古や舞台で犯す失敗はすべて「僕がやりそうなこと」です。

態度がでかい、ものごとを舐めてかかる、粗雑、自分勝手、無反省…そういう僕の個人的欠点が必ず失敗というかたちをとって外形化されます。

「なるほど、これがオレの欠点なのか」ということがしみじみ身に染みます。


昔の人はある程度の年齢や社会的地位に達したら、必ずお稽古事(能楽や義太夫のようにシステマティックに失敗して、師匠に叱られ続ける芸事)を嗜んだものですけれど、それは年を取って偉くなってきたせいで、「自分の欠点を思い知らされる」機会が減ることを警戒していたからだと思います。


「くだらない人だ」と思っていた人に対する評価が大きく変わるということについては、記憶をたどってみても、経験がありません。

たぶん僕の場合は会った人については「くだらない人/まっとうな人」という見きわめよりも「興味を持てる人/持てない人」の分類が先行して、「この人、興味ない」とか「この人、邪悪」とか思うと、仔細に観察して、データを絶えず更新します。

人間はどこまで愚鈍になれるかとかどこまで邪悪になれるかということを知るのは生き延びる上できわめて重要な情報ですからね。


3 「内田樹の真実」はどこに?


内田るん → 内田樹


から抜粋


お父さんと私では、人の分類の仕方が違うみたいです。

じつはこう書くとちょっと感じが悪いかもしれませんが…私にとっては、「興味が持てない人」というのは私にとって「いい人」「安全な人」と映る人で、「まっとうじゃない人」「邪悪な人」の方が、パッと目に入るというか、思わず注視してしまう気がします。


もちろん警戒心からで、そういう人物と極力関わらないようにするために、強く記憶に残します。

「この人は絶対に信用してはいけない」と判断した瞬間のことは、その時の相手の瞳がまざまざと思い出せます。

「私は人の悪い面しか見えないのではないか」と、時々哀しくなります。

そして「邪悪な人」と判断した人に関しては、その後の観察や風の噂を聞く限りだと、私の判断が覆ったことがいまのところありません。

それもまた哀しいことです。


人の魅力や欠点というのも、そもそも見る人によってそれぞれですよね。

たとえば、私にとってお父さんの評価されてる部分というのは、現状ではごく一部です。

お父さんは絵本の文章を書く才能もありますし、絵も上手だし、漫画だって描けます。

お料理も上手だし、車の運転も上手いし、体型的に腰が高く脚が長くX脚と甲高で、バレエダンサーの才能がすごくあることも知ってます。

一日家にいるだけの日も、汚い格好はせず、どんなに着古した服も神経質なくらい洗濯機で毎日洗って清潔にしていて、汗臭かったりしません。


アメリカンカジュアルでまとめていつもオシャレだったし、(私の主観だけど)音楽の趣味も良いし、保育園でもお母さん方に運動会や餅つき大会でいつもモテモテだったし、「中型バイクと革ジャンにサングラスでお迎えに来るパパ」がいるのは、ちょっと悪目立ちもしたけど、鼻が高かったです。


うわー、こんな素敵なパパ、


子供にはこの本は絶対に読ませられない!


どうも、申し訳ありませんでした!


申し訳ありませんでした!2回重ねつつ


あれ、デジャヴ、なのかこれ


なので、お父さんは「考えていることを文章にしたりお話しすることが上手」だけど、それがお父さんの「一番の才能」として、世間がお父さんの枠に決めてしまっていることが、私にはなんだか「うちのお父さんはもっと凄いのよ!?」という気持ちにさせられるというか、ちょっと不満です。


世間の人は勝手になんでも決めてしまえるから恐ろしいです。

共通認識ができてしまえば歴史だって改変されてしまう。

だからこうやって、あらゆる証言・資料を残しておきたいです。


そしてもっと大事なことは、「本当のことは誰にもわからない」って理解してもらうことだと思います。

私の見方や意見は、あくまで私のものです。

色々言っていますが、これは「内田樹の真実」ではありません。

そんなものは、お父さんの著書を全部読んだって、お父さんをストーカーしたってわからないことです。

だってお父さん自身にだってわからないことなんですからね。


素晴らしい娘さんだと思わずにはいられない。


どこがってのは言えませんよ。


なんてったって『「いき」の構造』


読んでますからね、自分は。


4 「記憶の物置」に足を踏み入れる


内田樹 → 内田るん


から抜粋


保育園にバイクで通園していたこともよく覚えています。


夏はジージャン、冬は革ジャンで、足元はブーツで、サングラスですから、保育園に送迎するお父さんとしては相当ガラ悪いですよね。

実際にるんちゃんから「もうすこしおとなしい格好をして来て」と注意されたことがありました。


昔のことをこうやって二人で思い出して、小箱にしまっていた小石を机に並べるみたいに「そうそう、そういうこともあった」とか「それ、覚えていない…」とか確認し合うというのは、とてもすてきな経験だと思います。


記憶というのは、不思議なもので、新しい経験をするごとに「上書き」されて、「書き換え」が行われます。

それまで現実だと思っていたことがなんだかあいまいになり、逆にすっかり忘れていたことがありありと思い出されたりする。


僕だって要領の悪いことをいろいろしでかしたし、感情的になって判断が狂ったりということは時々あったんですけれど、じっくり吟味されることがなかった。

どうして、「こんなこと」を思ったり、したのかということを自分の問題として考えることがなかった。

ただの「やりそこない」「ふみはずし」だと思っていた。

でも、そんなわけないんですよね。


人間がやることは一から十まで、ぜんぶ「その人らしい」ことなんです。

よいことも、わるいことも。

うまくいったことも、失敗したことも含めて、実はぜんぶ「自分らしいこと」なんです。


だから、全部の経験を等しく記憶して、それをときどき記憶のアーカイブから取り出して、よくわからないことについては、「さてまた、どうしてこんなことを僕はしたんだろう?」と考えるのはたいせつなことだと思います。


もちろん、そうしたからといってすぐに「あ、そうか!わかった!」というようなことは起きません。


すぐに答えは出なくても、考えるだけでも。


13 お父さんの「オフレコ青春日記」


内田るん →  内田樹


から抜粋


ふと気づけば身の回りの生活雑貨や家具・家電もどんどん変化していって、「え、いまってもう、あれ売ってないの?」ということが、今後もどんどん増えそうです。


家具も、ニトリやIKEAで手軽に安く使い勝手のう良いものが揃うのは素晴らしいことですが、たまには大塚家具などで、職人さんが作った一生物の家具なども見て目を肥やしておかないと、物の価値がわからなくなりそうで怖いです。

「2〜3年で粗大ゴミに出しても惜しくない」ものばかりで暮らす生活は、ある意味「贅沢」ではあっても、「豊か」とは言えないんじゃないか、と勝手にモヤモヤします。


リサイクルショップで働いたこともあって、昭和の高級家具や、実用的で作りのしっかりした家具の価値を見過ごせません。

「需要がない」「場所を取る」と、安易に焼却処分せず、直し直し使っていく道を探すべきだし、そうしていかないと、「昭和の中産階級家庭の日用品」と同じレベルの質のものは、我々以下の世代では到底手に入らない希少品になってしまうでしょう。


そこそこの品質の大量生産品を気軽に買える時代も、いずれ終わってしまうことを考えると、いまのうちに「カネ」よりも「モノ」を国内にキープしておかねばならないと感じます。

この国はこれからますます貧しくなっていくのだから、それに合わせて生活スタイルを見直していかなくちゃいけない。

昔のやり方も、新しいやり方も、どんどん取り入れて。


ここには引きませんでしたが


娘さんとうまくいかない時期もあったご様子で


お互い書きたくないような、思い出を


丁寧に掘り起こし、謝るところなど涙なしでは


読めなかったりしたが、父娘でかつ


離婚もされてのことであれば


いろいろあるのだろうなあ、と納得したり。


しかし、内田先生の娘さん、


さすがだというしかない。


新しきに惑わされずに、権力や原理主義に


振り回されない柔らかさを文章や行間から


発している。


自分は見習いたいと思いますが


家人にそれを要求してはいませんからね。


そういうオーラ出ているかもしれないけど。


影響はモロに受けるかもしれないけど。


って、なぜか言い訳ばかりしたくなるような


良書だった。


そろそろ昼食の野菜ラーメンを拵えなくては。


嵐中の関東地方からでした。


 


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ローレンツ博士の書から”ありのまま”を考察 [’23年以前の”新旧の価値観”]

ソロモンの指環―動物行動学入門 (ハヤカワ文庫NF)


ソロモンの指環―動物行動学入門 (ハヤカワ文庫NF)

  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 1998/03/01
  • メディア: 文庫

1 動物たちへの忿懣(ふんまん)


から抜粋


どうして私は、まず動物たちとの生活のいやな面から筆を起こすのだろう?

それはこのいやな面をどれくらい我慢できるかによって、その人がどれくらい動物を好いているかがわかるからなのだ。


私は自分が小学生かあるいはもうちょっと大きくなったころ、またまた新しい、おそらく前よりもっと破壊的なペットをうちにもちかえったときに、頭をふるか、せいぜいあきらめのため息をつくだけでいつも見逃してくれていた、しんぼう強い両親に、かぎりない感謝の念をい抱いている。


そして私の妻は長い年月の間、どれほどの我慢をしてきてくれたことだろう。

ネズミを家の中で放し飼いにして、そいつが家じゅう勝手に走り回り、敷物からきれいなまるい切れはしをくわえだして巣をつくってもほっといてくれ、といえる夫は、私の他にそうもない。


これがもしよその奥さんだったらどうだろう。

庭に干した洗濯物のボタンをかたっぱしから食いちぎってまわるオウムなど、とうてい我慢してくれまい。


およそばかげた苦心談だ。

人はきっとこうたずねたくなるにちがいない。

「そういう苦労はすべて必要不可欠だったのですか」。

もちろん私は大声ではっきり「イエス」と答える。


すべては絶対に必要なことだった。

もちろん、居間に取り付けた檻の中で動物を飼っておくことはできる。

けれども、知能の発達した高等動物の生活を正しく知ろうと思ったら、檻や籠ではだめである。

彼らを自由にふるまわせておくことが、なんとしても必要だ。


檻の中のサルや大型インコたちがどれほどしょんぼりしていて、心理的にもそこなわれていることか。

そしてまったく自由な世界では、そのおなじ動物がまるで信じられぬほど活発でたのしそうで、興味深い生きものになるのである。


もちろんその場合は相当な損害や忿懣も覚悟せねばならない。

こういう科学方法論的な根拠から、私は高等動物をまったく自由な状態で飼うことを身上にしてきたし、じっさいに私の研究の大部分は、自由に生活させて飼った動物についておこなわれてきたのである。


2 被害をあたえぬものーーアクアリウム


から抜粋


それはほとんど金がかからず、しかもじつに驚異にみちたものである。

ひとにぎりのきれいな砂をガラス鉢の底にしき、そこらの水草の茎を二、三本さす。

そして数リットルの水道の水を注意深く流しこみ、水鉢ごと日のあたる窓ぎわに出して数日おく。


水がきれいに澄み、水草が成長をはじめたら、小さな魚を何匹か入れる。

これでアクアリウムは出来上がりだ。

ほんとうは、ガラスピンと水網をもって近くの池へゆくのが良い。

二、三回網ですくえば、いろいろな生きものがいっぱいとれる。


アクアリウムはひとつの世界である。

なぜならそこでは、自然の池や湖とおなじく、いや結局はこの全地球上におけるのと同じく、動物と植物が一つの生物学的な平衡(へいこう)のもとで生活しているからである。

植物は動物が吐き出す炭酸ガスを利用し、かわりに酸素を吐き出している。

植物が動物とちがって呼吸せずその逆をやる、というのは正しくない。

植物も動物とまったくおなじように、酸素を吸い込み炭酸ガスを出している。


しかしそれとはまったく別に、成長しつつある緑色植物は炭酸ガスを取り入れている。

植物は自分の体をつくりあげるために炭酸ガスを使うからである。

そしてそのさいに植物は、呼吸につかうよりもっと多量の酸素を吐き出すのだ。

この余った酸素によって、動物と人間が呼吸してゆける。

最終的には植物は、ほかの生物の排出物や死体がバクテリアに分解されて生じた物質を同化して、ふたたびそれを物質の大きな循環の中にくみ入れる。


この物質循環や動植物共同生活の平衡がちょっとでも乱されると、たちまち悪い結果が生じてくる

緑の水草の量からみて、もうこれ以上動物は入れられないはずの水槽に、もう一匹このきれいな魚を泳がせてみたいという誘惑は、子どもには(おとなにだって)我慢しきれないものである。


そしてまさにこのたった一匹の魚のために、今まで大切にかわいがってきたアクアリウムが壊滅してしまうこともあるのである。


最近のアクアリウム愛好家は、エア・ポンプで人工的に空気を水中に送りこんで、この危険を防止する。

けれどもそのような人工的なやりかたでは、アクアリウムの真の魅力はそこなわれてしまう

アクアリウムの魅力は、この小さな世界が自活しているところにあるのである。


魚に餌をやったり、ときどき手前側のガラスをきれいにふいたりすることをのぞけば、生物学的にはとくに世話をしてやる必要はない

さらに、もしほんとうの平衡状態が保たれていれば、掃除してやる必要もない


最初の二つの随筆、


と呼ぶのも気が引けるほどの


研究から考察された文章からも


ローレンツさんの真髄が伺える気がする。


居丈高に言っているようで、実は異なり


確信に満ちているがゆえの眩しさから


初心者に諭されているような論調で。


すごいことを仰っているのだけど


今風に言うならば、マウントとっている感じが


しないのは、贔屓の引き倒しだからか。


マウントって発想自体がローレンツさんには


不似合いとしか言いようがないけれども。


文庫化にあたってのあとがきと解説


1998年3月2日 日高敏隆


から抜粋


旧約聖書によると、諸王の一人ソロモンはたいへん博学で、けものたち、鳥たち、魚たちについても語ったという(列王記I 4・33)。

聖書のこの記述のちょっとした読みちがいが、ソロモンは魔法をはめて、けものども、鳥ども、魚どもと語ったという有名な言い伝えを生むことになった。

ローレンツはこれに因んで、この『ソロモンの指環』のドイツ語原著(初版は1949年出版)に『彼、けものども、鳥ども、魚どもと語りき』という長いタイトルをつけた。

訳書には、原著第6章の表題Salomons Ringによる英語版のタイトル(King Solomon’s Ring)を借りることにした。

ドイツ語の原著のタイトルはあんまり長すぎるし、ローレンツ自身が原著第二版の「製作上のいくつかのまちがいについて」で書いているとおり、どういう部類の本だかさっぱりわからないだろうと思ったからだ。


1975年、彼が沖縄での海洋博の祈りに来日したとき、NHKの計らいで初めて彼に会い、テレビで対談した。

「われわれは歴史に学ぶ必要があります」といったローレンツに、ぼくは「でも、歴史に学ぶことはできるのでしょうか?」と質問した。

彼はしばらく考えてこう答えたーーー「たしかにそれは不可能かもしれません。われわれは歴史から学べるのは、われわれは歴史からは学べないということです。」

その後ぼくは幸にして、 NHKスペシャルの番組で、ノーベル賞受賞後オーストラリアに帰ったローレンツをアルム渓谷の彼の研究地に訪ね、ハイイロガンたちとともにいる彼と語ることになった。

そしてその後も、何度か晩年の彼に会い、親しく「コンラート」と呼ぶことにもなった。


コンラートは物理学をやっている息子トーマスをことのほかかわいがっていた。

「私がかつて日本であなたとしたNHKの対談を、あれはお父さんの対談の中でいちばんよかったよと、トーマスがいつもほめてくれます。」

ローレンツはうれしそうにぼくにこう語ってくれたことがある。


そのトーマスが病気で亡くなり、ローレンツの最愛の妻グレーテルも亡くなった。

晩年のコンラートは淋しそうだった。


1989年2月28日、ローレンツが死んだとき、彼が打ち立てた動物行動学は、すでに完全に変貌していた。

動物たちの行動は、ローレンツが考えていたように「種の維持」のためのものではなく、個体のためのものであるとみなされるようになった。

学問とはそういうものである。


しかし、変わったのは学問であり、つまりわれわれの見方でもある

動物たちの行動というものの研究を、学問の重要な分野として確立したのがコンラート・ローレンツであり、その最初の本がこの『ソロモンの指環』であるということも、何一つまったく変わっていない。


この本は動物たちの行動を知る上で、絶対に欠かせないものである。

そこには感激があり、感動があり、人間の心の動きがあり、そして現実の動物たちを見る眼がある。

現実の動物たちは魔法であると、ローレンツはいつも思っていた

彼がなぜそう思ったか、それはこの本を読めばわかる


日高先生の名訳は他にも沢山あろうけれど


この書は、おそらくベスト5に


選ばれるのではなかろうか。


この「あとがきと解説」も”愛”が横溢。


翻訳について、漢字と平仮名のバランスも


素敵で読みやすい。


翻訳という枠にとどまらずの感想として


書籍全体が放つ美しさの理由は


ローレンツさんご本人と


アニー・アイゼンメンガーさんという


お二人で描かれている挿絵も素晴らしい。


これまたバイアスかかってると思うが


昔の学者さんって絵が上手という印象が強い。


写真もパソコンもない時代、


ものすごく好きな対象を留めたいと思うあまり


絵のスキルが自然に上がっていたのかも


と思えば、なんとなく納得するような


朝5時起床で仕事してた身としては


そろそろ眠くなってまいりましたのは


自然の摂理ですな。


 


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ローレンツ博士から遙かなる歴史の連続性を考察 [’23年以前の”新旧の価値観”]


鏡の背面: 人間的認識の自然誌的考察 (ちくま学芸文庫)

鏡の背面: 人間的認識の自然誌的考察 (ちくま学芸文庫)

  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2017/11/09
  • メディア: 文庫

ドーキンスさんや、動物行動学系の書を

斜め読みしてたら頻回に出てくるローレンツ博士。


コンラート・ローレンツ(Konrad Lorenz)

1903年ー1989年。ウィーン生まれ。

動物行動学を確立した。

ウィーン大学で医学・哲学・動物学を学ぶ。

1949年比較行動学研究所を創立。

マックス・ブランク行動生理学研究所所長等を歴任した後、コンラート・ローレンツ研究所を設立。

1973年N.ティンバーゲンらとともにノーベル生理学賞を受賞した。

著書:『攻撃』『文明化した人間の八つの大罪』『動物行動学』『ソロモンの指環』他。


それよりも、5−6年前だったか


音楽家の早川義夫さんが、自分の元ネタとでも


仰るかのように挙げられていたので


この書と対峙してみたのでございます。


ほとんど討ち死にですけれども。


第15章 鏡の背面


第1節 回顧


から抜粋


私のこの本で、人間の認識メカニズムについての一つの展望を与えようという、たぶんあまりにも大胆不敵な試みを企てたのだ。

そのような企てを行うための真の資格は、ただ包括的な知識だけが与えることができるのだろうが、自分はそれを所有しているなどという己惚れは私には毛頭ない。

私の試みを是認するものとして私がわずかに持ち出すことができるのは、これまでだれもこれを行なっていないということであり、さらにまたわれわれは人間の認識作用に対して反省的な全体的考察を行うべく切に要請されているということである。


というのはこれらのどれもが作用失敗を犯す危険を孕んでおり、特にその傾向が強いのは、文化的知識を獲得したり貯蔵したりする過程だからである。

生理学的な洞察はつねに、病的過程の理解のための前提であり、それゆえにまた病的過程を治療しようとはたらきかけるあらゆる試みのための前提である。

そして逆に病理学は、きわめてしばしば正常で健全な作用を理解するための鍵を提供してくれる。


第二節 認識作用をとり扱う自然科学の意義


から抜粋


人間の社会的行動のなかにも、文化的影響によっては変えることのできない本能的なものが含まれているというわれわれ行動学者の証言に対して、それは極端な文化悲観論への信仰告白であるとする解釈がしばしば向けられてる。

しかしこれはまったく是認しえない解釈である。

もし誰かが差し迫った危険を指摘するならば、そのことは彼が絶対に、差し迫った禍いを避け得ないものと見なす運命論者ではないということを示しているからである。


もし私の記述を単純化することができるとするならば、私はこれまで述べてきたすべての点において次の述べてきた仮定を固執してきた。

すなわち、私が論じた文化発達と文化の衰退との諸過程はたいていの人間にとって未知の者であるという仮定、もしくは少なくとも、私が問題にしてきた諸認識は人類史の将来の発展に対していかなる遡及効果も及ぼさないだろうし、また及ぼすことはできないという仮定である。


こう述べると、まるで私が、自分は人間の認識装置の、つまり《鏡の背面》の自然科学的研究を必須のものと見なした唯一の人間であると信じてでもいるかのように聞こえかねない。

そのような己惚れよりも私から遠いものはない。

それどころか私は、ここに再現した認識論的見解や倫理的意見が、その数を急速にふやしつつある多くの思想家たちによって分かちもたれているという喜ばしい事実を深く意識している。

やがてある時期に《空気のようなものとなる》認識が存在するのである。


確かにこんにち人類の状況は、これまでのいかなる時期よりも危険である。

しかしながらわれわれの文化はその自然科学を通して遂行される省察によって、潜在的には、これまですべての高等文化がその犠牲となった没落から免れうる立場に置かれている

世界史においてはじめて、そうなのである。


学問から自然・生き物を鑑み


文明批判せざるを得ない態度は


ダーウィンや養老先生たちを彷彿ってのは


自分だけの気のせいだろうか。


まったく自分には柄にないこの書は


もちろんほとんど難しくて読めないし


1ミクロンくらいしか理解できてないけど


何か得体の知れない深さを感じる。


同時に、古さ、新しさ、に惑わされては


本質は見えてこないっていう構図も。


訳者あとがき 1974年7月 谷口茂


から抜粋


本書はウィーン生まれの比較行動学者のコンラート・ローレンツの最新著の全訳である。

昨年度のノーベル賞受賞者である著者については、すでにその著書のいくつかが翻訳されているし、一般新聞などでも紹介されたから、かなりよく知られている。

現代の科学の一般的な傾向である実験と数式的表現に反対して、自然な観察と文章による記述を頑固に押し通している彼の方法は、専門分野からはさまざまな批判を受けているが、学問的成果を一般人に親しみ易いものにしてくれた点だけでも、確かにノーベル賞に値する。

またとくに『攻撃』や『文明化した人間の八つの大罪』で顕著になった態度だが、その広く深い知識にもとづく文明批判は説得力に富み、人類の終末を憂える人々の共感を呼んでいる。


『鏡の背面』は、『八つの大罪』の文明批判の前提と論証である。


具体的には人間の行動の基礎である認識のはたらきを、全面的に批判して明らかにする作業として展開される。

全面的にとは、五官から中枢神経系まで含めた人間の全認識装置とその機能の解明が、ただ単に個的人間において行われるのではなく、アメーバやゾウリムシの行動から始まって、最終的には人間の社会の営みにまで至る(生きたシステム)全域に亘って繰り展げられる、その徹底性の謂れである。


初め目次を読んだとき、これはとても歯が立たないと思った。


比較的理解し易そうな序章〜3章と8章以下を走り読みしてみた。

それが運のツキだった。

ローレンツの躍動的な文章の調子と並々ならぬ熱意について浮かされて、この本はおよそ世界と人間とに興味を持つものに対する自然科学者からの挑戦状もしくは誘惑の手紙にほかならないと感じた。


何はともあれ自己流儀に熟読したことだけは確かである。

そしてローレンツの努力が、ジャック・モノーカール・ポパーチョムスキーらの努力と深いところで連携している事情をいささかなりとも知ることができたことは、せめて諸学の成果を勝手にツマミ食いすることで満足しているものにとっても、非常な喜びであった。


専門主義の弊や、とくに日本で著しい現象だが、精神科学に従事する人間の自然科学への無関心ということの孕む問題は、こんにちようやく多くの人々の自覚するところとなった。

本書はそれらの人々へのローレンツの呼びかけでもある。


生物学者の日高敏隆教授には校正刷りを読んでいただき、有益な助言をたまわった。


新装版のための訳者あとがき


1989年8月 谷口茂


から抜粋


ローレンツ博士はこの二月、残念ながらこの世を去った。

「ローレンツはもう古い」という提言すら聞かれなくなったエソロジーの日進月歩だが、それだけにこの創設者の偉大さは、今後ますます輝き出すことであろう。


彼が本書で打ち建てた「人間社会まで含めたすべての生きたシステムの総合的研究」の基礎は、人類の生態的危機が現実となった今こそ、学問を通して人類存続に貢献しようと願うすべての学徒にとって、最も頼りとなる足場の一つであろう。


「ちくま学芸文庫」版再刊に寄せて


2017年10月8日 谷口茂


から抜粋


この本も版を重ねましたが、出版元の事情で絶版となり、そのうち著者の名前も忘れられていきました。

その代わり、彼の業績の最大のものである「刷り込み」理論は、ユクスキュルの「環境世界」理論と同じように、動物行動学の枠を超えて広く人間解釈に適用されるようになりました。

人は死んでも名を残すというが、学者の真の名誉は、名は消えても説が残るということだろうから、さぞやローレンツ先生も”以って瞑すべし”だなと思ったことでした。

それから20年ほどたち、突如として再発行の報に接し、驚きとともに深い喜びに浸っております。

訳者も年をとり、時として著者のクリスチャンネームを忘れる体たらくながら、長生きして良かったと思います。


谷口茂(たにぐちしげる)

1933年鹿児島県生まれ。

東京大学大学院宗教学科博士課程修了。

明治大学大学名誉教授。

ドイツ文学者、宗教学者。著訳者多数。


日高先生もかかわられていたのか。


助言ってことなのだろうけど。


2017年まで版を重ねるほど、人気のある書には


思えないのだけどと余計なお世話だが


やはり自分のように何かを感じる人がいるのか


それとも自分にはわからないだけで


世間の人は理解して支持されているのか。


なんといってもノーベル賞だからなあ。


エソロジー自体見えないくらいの深さにあるけど


良書は受け継がれて、時代の旗手たちによって


翻訳・改訂されていってほしいと願いたくなる。


谷口先生のこの翻訳もいつか、他の誰かに


受け継がれていくような悠久の歴史に


思いを馳せつつ、洗濯物をたたみ始め


妻を助けないと。


子供は具合悪くて学校休んでいるから


昼食も作りますよ!という積極的なパパでした。


 


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2冊の安保先生の書から”病気”を考察 [’23年以前の”新旧の価値観”]


免疫革命 (講談社+α文庫)

免疫革命 (講談社+α文庫)

  • 作者: 安保徹
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2014/01/31
  • メディア: Kindle版


池田先生の書評をこちらで拝読していたら


面白いことを投稿されている方がいて


他のも読んでいたら、この書評があり


そちらも面白かったので、手に取った次第。


近藤誠先生ともお近いようでございました。


第6章 


健康も病気も、すべて生き方にかかっている


から抜粋


白血球の自律神経支配の研究から、じつにさまざまな身体の細胞が自律神経支配を受けていることがわかりました。

身体中を動きまわる白血球も自律神経支配を受けています。

こうしたシステムがつくられている目的は、私たちの行動に見合った体調をつくるということです。

長年研究してきて感じたのは、生体反応のほとんどは身体にとって役にたつ反応だ、ということでした。

生体が自然に起こす反応というのは、たとえ症状としては不快なものであっても、じっさいには生体の状態を調整するために行われている場合がほとんどです。

けっして病気をつくるためにできたシステムではありません。


ではどうして病気が起こるのか、と考えてみますと、私たちは長い人生の間に必ず感染にさらされたり、悩んだり、仕事で無理をしたりと、さまざまなストレスを受けます。

するとストレスの刺激で自律神経に過剰な偏りが生まれます。

その影響で、身体の細胞、あるいは身体を守る白血球が過剰な活動をして、生体に負担をかけ、害を与えることになります。

それが病気といわれるものの基本的なしくみなのです。


そう考えてくると、つまるところ、病気になるかならないかというのは、私たちの生き方にかかっています。

困難や挑戦というストレスの多い機会がめぐって来た時、人間はその状況を切り抜けようとして無理をします。

無理をしても、ある程度までは耐えることができます。

しかし、やはり限界があります。

どこまでも無理をしていけば、身体がその無理から生み出される反応に持ちこたえられなくなる限界があるのです。


ですから、ここまでは無理はきくけど、それ以上は身体が耐えられない、という自分なりの限界を感じとり、破綻を招かないことが健康を保つ秘訣です。


その限界は、年齢、体力によって、それぞれ個人で違うと思いますが、自分がどのくらいの無理なら耐えられるかということはよく知っておかなければいけないでしょう。


それは、心理的な無理、ストレスについても同じです。

悲しいこと、辛いこと、我慢しなければならないことを、あまりにもためこみすぎていると、それが交感神経を緊張させて、内側から組織破壊を起こします。

まさに、ストレスが体をむしばむのです。

生き方には、生活のあり方だけでなく、人生への心のもち方という要素もあります。

健康に生きたいと願うなら、心のストレスをなくしていくことも大切です。


楽をしすぎても病気になる


から抜粋


ストレスが身体によくないのであれば、ひたすら楽に生きたらよいのでしょうか。

そうではありません。

リラックスしすぎることも、健康への害になります。

リラックスのしすぎもまた、別の意味でストレスになってしまうのです。


いちばん簡単に思いつくのは、運動不足と肥満です。

肥満も過剰になると、身体に直接的な負担をかけます。

肥満というのは、あるレベルまでは副交感神経優位のリラックス型の体調をつくりますが、さらに進むと、肥満であること自体がストレスに働いて、息が切れるとか、すぐに疲れてしまうという現象が現れてきます。

つまり、リラックスの体調ですが、ちょっとした負担ですぐに交感神経過剰優位な状態になるような体調ができてしまい、そこから病気を招いてしまいます。


リラックスでリンパ球が増えることで過敏な体質になってしまうということです。

ちょっとしたストレスでじんましんなどのアレルギー症状がでるということが起こってきます。


さらに、リラックス型でリンパ球が多ければ、病気にならないというわけではありません。

たとえば、ガンや膠原病は、ふつうは交感神経過剰優位が原因になって発症するのですが、たまにリンパ球が多いのに病気になっている人がいるのです。

二割ぐらいですが、リラックスの副交感神経優位型の体調なのに病気になっている人がいるのです。

そういう人たちの場合は、もっと機敏に生活し、運動し、食事を制限するという形で、交感神経を活性化していく必要があります。


心のもち方が体調をつくる


から抜粋


ガンの解説のところで、ガンになりやすい性格に少しふれました。

がんばるということは、責任感の表れでもあり、よいことと受け取られがちですが、がんばりすぎるというのは、必ずしもよいことではありません。

がんばりすぎて、交感神経過剰優位になって病気になってしまう人は、たくさんいます。


もちろん、不可避的な苦しい状態というのも、人生にはときおり訪れます。

それが、ストレスになることは、たしかにあります。

家族のだれかが重い病気になる、配偶者や大切な人を亡くす、という場合の悲しみや苦しみはたいへんつらいものでしょう。

そういうつらさを乗り越えるのはたいへんなことかもしれません。

しかし、その後いつまでも嘆きながらすごすということが、はたして自分にとっても周りの人間にとってもよいことなのか、考えてみるべきだと思います。

強い感情の働きというのは、身体にも必ず影響を与えます。


心のもち方は、病気を防ぐ上でとても大切だと思います。


食べることの大切さーーー食生活は副交感神経へのスイッチ


から抜粋


食べ物を摂取することは、反射的に必ず消化管の動きを促して、腸管の常在細胞層を刺激します。

なにかを食べて消化管を動かすということが、いちばんてっとりばやく副交感神経を活性化する方法です。

なぜなら消化管は、副交感神経に直接つながっている最大の臓器だからです。

消化管というのは、口から肛門まで一つながりになっていて、人間の内臓のほとんどを占めるほどです。

これほどの巨大な副交感神経支配の臓器はほかにありません

となれば、食事がいかに大切かわかってくるのではないでしょうか。


先日、「自然食ニュース」という小冊子の記事に、ある栄養学の先生が興味深い考察を書いていました。

日本人は数千年の間、米と魚を主体とした食事に適応してきたのだから、急に白人の真似をして肉や牛乳や卵の多い食事に変えると身体がついていかなくてさまざまな破綻を起こすのではないか、と述べていました。

納得できる意見だと思います。

日本人には日本人の適応・進化の長い歴史があります。


意識と無意識の両方をつなぐ呼吸が重要


から抜粋


消化管以外で大きな器官といえば、呼吸器です。

人間は、不安なときには浅くてはやい呼吸になり、リラックスしているときにはふかくて回数の少ない呼吸になります。

私たちの行う活動のなかで、呼吸だけは、意識と無意識の両方につながっています。

つまり、自律神経の、交感神経と副交感神経の両方の支配にはいっています。

呼吸は、呼吸しようと思わなくても、呼吸のことを忘れていても、行われています。


だから、深呼吸すると、酸素をたくさんとりながら、そのあとにリラックスが訪れるのです。

呼吸の生理学として、無意識と意識の世界の接点があるからこそ、あとは深い呼吸をしたあとに酸素過剰になってリラックスの呼吸態勢に移り変わります。

そういう呼吸と自律神経の関係を知ると、深呼吸のもたらす健康効果がわかります。

交感神経が緊張しているような時ほど、意識して深呼吸をしてください。

そうすれば、リラックスの呼吸が始まって、緊張が和らいできます。


身体は冷やしてはいけない


から抜粋


いままで、多くの病気が血行障害から起こっていることを説明してきました。

血行、つまり血液の循環は、リラックスの神経である副交感神経の支配を受けています。

ですから、やっぱり循環をよくするには身体を冷やさないこと、こまめに身体を動かすことが大切です。


元東京大学講師の西原克成先生は、冷蔵庫の発達でいろんな食べ物が冷やされた状態で口に入ることが多くなったことが、さまざまな病気の原因になっていると主張しています。


現代医療を良くするために~代替・補完医療が治療の選択肢を増やす


から抜粋


最近、いわゆる現代医学以外の方向から医療をとらえなおす試みが、一部の医療現場の医師たちの間でもじわじわと広がっているように思います。

たとえば、代替医学(オルタナティブ・メディスン)や補完医学(コンプリメンタリー・メディスン)に関する学会が増えています。


その背景には、西洋医学の負の部分に対して、人々が別の選択肢を求めているという現実があると思います。

西洋医学は薬の切れ味がよく、服用すればすばやく鋭い効きめを発しますが、同時に副作用も強く引き起こします。


そういう人たちが、副作用のない、あるいはひじょうに少ない医療を求めて、代替医療、補完医学を選択しているのでしょう。

代替医療、補完医学には、漢方、鍼灸、アロマテラピー、ホメオパシーなどいろいろありますが、どれもゆっくりと身体の生体反応を刺激して治癒を促すという治療です。

免疫を高めたり、循環をよくしたり、排泄をよくしたりすることで、治療を促していく。

西洋医学は直接病変に働きかけますが、代替医学は生体反応を利用していくため、ゆっくり効いていきます。

それは、本来、人間の身体が病気やケガから回復していくときの治療のあり方に通じています。

そういう意味でも、代替医学・補完医学はこれから飛躍する分野だと思っています。


もちろん、現代医療をつくりあげてきた西洋医学を全否定するべきではありません。


西洋医学が人間の健康に果たしてきた役割は、ひじょうに大きなものです。

しかし、一方で、病気というものを分析的にとらえる方向に邁進した結果、西洋医学には弱点が生まれてしまいました。

体全体の健康というものをとらえられなくなってしまったのです。


東洋的な思考が未来の医学をひらく


から抜粋


私がみるところ、代替医学の治療は、ガン、膠原病、アレルギーなど、西洋医学の治療を長く続けると破綻をきたすような病気に効果をあげていることが多いです。

なぜかと考えてみると、こうした病気はどれも、慢性化する病気です。

慢性化しているということは、つまり自律神経、免疫系、循環系、消化器系など、生体全体のバランスが破綻しているということです。

ですから、これからは西洋医学で治療に向かわないときは早く見切りをつけて、代替医学をためしてみてほしいと思います。


代替医学の本質には、東洋的な思考法がある、と私は感じています。

全体像をつかんで病気と対応するという基本が、まさにそうです。

西洋医学を分析医学とよぶのに対して、東洋医学を統合医学とよぶことがありますが、身体をとらえることに長けているのが強みです。


しかし、東洋医学にも弱点はあります。

東洋医学は、体調全体を把握する反面、分析するという研究が進みませんでした。

歴史を振り返ってみても、東洋医学や伝統医学しか存在していなければ、生体の化学的・生理学的な謎は解くことができなかったでしょう。

そう考えてみると、東洋医学あるいは代替医学と西洋医学は、今までまったく違った方向に進んできています。

お互いがお互いを否定するところで、発展をとげてきたようなところもありましたから、これまではなかなか共存するというわけにはいきませんでした。


しかし、私はいま、この二つが、共存とまではいかなくても、対立を避けながら、ともに人間の健康に貢献していくことも可能ではないかと考えています。


代替医療をとり入れつつ、西洋医療のよいところを残していくという方向性を探るとすれば、日本という社会は、じつは地球上でいちばんうまくいく可能性があるところなのではないか、そんなふうにも考えています。


究極の健康法とは、自然のリズムに乗って生きること


から抜粋


私は若いときに、交感神経と副交感神経が1日の間に交代するように活性化しているということを発見し、自律神経や白血球の日内リズムの研究として発表しました。

続いて、自律神経が気圧の変化にも影響を受けること、一週間から十日くらいのリズムでも動いていること、さらに一年の内でも変化していることを研究しました。


つまり、自律神経というのは、いつも揺さぶられているわけです。

この揺さぶりというのは、自然環境が与えるものですから、そのリズムに逆らうことは自然に逆らうことになります。

だから、こうしたリズムを無視した無茶な生き方をすると、必ず破綻をきたすのではないか。

今までたくさんの症例を見てきて、そんな思いを強くしています。


朴訥とした東北弁だと思うが、その喋り方は


お人柄を滲ませるお優しい印象。


残念ながら2016年に大動脈解離で


お亡くなりになられている。享年69歳って


まだ若いだろう。


安保先生のおかげで沢山の方が助かったことを


伺わせるエピソードありの書籍だった。


自然のリズムとか、交感神経・副交感神経とか


薬に極力頼らないというのはよく見聞きするが


安保先生がスタートのお一人だったのか、


ちとわからないが、若い頃から研究っていうから


そうなのだろうなと。


病気は”対処”するのではなく、QOLを重視して


”理解”して”和らげ”、できれば”防止”の生活をするべし


という、ざっくりとだけど納得できます。



「まじめ」をやめれば病気にならない 簡単! 免疫生活術 (PHP新書)

「まじめ」をやめれば病気にならない 簡単! 免疫生活術 (PHP新書)

  • 作者: 安保徹
  • 出版社/メーカー: PHP研究所
  • 発売日: 2011/10/07
  • メディア: Kindle版

はじめに


から抜粋


いまの日本には二つの不思議な現象があります。

1つ目は、豊かで平和な時代なのに病人が多く、長生きしても寝たきりの人が多いということ。

そして2つ目は、りっぱな病院が多いのに病気をなかなか治せないということです。

病院に行っても満足している人は少ないでしょう。

こんな変なことが起こったのには、じつは理由があるのです。

第一の問題として、時代とともに病気の原因や種類が変わるということに、一般の人も医師も気づいていないことがあげられます。

50年前の日本なら、冬の寒さ、飢え、肉体的重労働のような過酷な生き方が病気の原因だったのです。

しかしいまの日本には、このような原因で病気になっている人はほとんどいないでしょう。


病気の成り立ちが見えてくると、それに合わせて生き方を変えれば病気は治ります。

いまの日本人は、全体的に働きすぎ、まじめすぎなのです。

無駄に生まじめな生き方をすこし見なおしてほしいのです。

「まじめ」をやめれば病気にはなりません。


今日の日本の医療は薬を出して病気を治すという流れになっていますが、本来、薬はつらい症状を軽減するための対症療法なわけです。

長期間飲むには適さないということを医師も一般の人も理解することが必要です。

病気の成り立ち、病気が発症する、あるいは治るときのからだの反応なども学び、ともに成熟した日本社会をつくりたいと思います。

それが、この本の役割です。

2007年11月


付録 免疫力を高め生きる力を発揮するための13ヶ条


から抜粋


最後の一つだけ全文引用


1. 働きすぎを見直す

1. 食事は食べ過ぎないが基本

1. パソコンを使って仕事をする場合には、1〜2時間に1度は休憩をとる

1. 夜更かしをしてまで、パソコンやテレビゲームに向かう生活はやめる

1. ストレス状態が長く続かないように、うまく処理する

1. 怒りすぎたり、感情を抑えすぎたりせずに、心をおおらかにして人生を楽しむ姿勢をもつ

1. 日頃から顔色、肌の色艶、胃腸の調子、疲れやすいかどうか、風邪をひきやすいかどうかなど、自分の体調のチェックを心がける

1. からだを動かす習慣をつける

1. 薬は極力使わない

1. 前向きに感謝の気持ちを忘れず、笑みを絶やさない

1. 人間に必須なものであっても、とりすぎず不足せずが原則

1. いつまでもボケずに元気でいたければ、できれば70歳くらいまではペースダウンしながらも仕事を続ける

1. 安らかな死を迎えるには過剰治療をしない

(自力で食べること、ひとりで歩くことができなくなったら、それは「もう死んでもいい」という、からだのサインととらえることができる。点滴など受けずに、自分の生命力にまかせれば、痛みもなく安らかな死を迎えられる。)


基本的にアグリーなのでございますが、


最後の1点だけ、


大変僭越で恐縮の極みでございますが


これは”安らかな死”になるとは限らないと思う。


最期は苦しいこともあるというのを


仕事上、ターミナルケアを経験したり


自分の両親を看取り損ねた経験も併せ


本当のところは本人にしかわからないとはいえ


とてもそうとは思えないので、この点だけ


疑問符であることを提示させていただきます。


しかし、過剰治療しない、自力で食べれなくなったら


お迎えを身体が希望しているってのは


同意なのでございます。


何はともあれ、安保先生の書はわかりやすいです。


「共に成熟した日本社会を」という高次な志が


まぶしいのでございます。


平易でとっつきやすく、内臓が大切とか


西洋と東洋の融合であるとか


三木成夫先生のドクター版のようでございました。


 


余談だけれど、本日は朝早くから


コオロギのような虫が外で鳴いておりました。


秋がそこまで近づいているのだなあ、と思う


静かな日曜日、お風呂とトイレ掃除してからの


夜勤のため出勤でございます。


 


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続・吉川さんの書から良書の条件を考察 [’23年以前の”新旧の価値観”]

理不尽な進化 増補新版 ――遺伝子と運のあいだ (ちくま文庫)


理不尽な進化 増補新版 ――遺伝子と運のあいだ (ちくま文庫)

  • 作者: 吉川浩満
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2021/09/24
  • メディア: Kindle版


第二章 適者生存とはなにか


お守りとしての進化論


キャッチフレーズの由来ーー「適者生存」の起源


から抜粋


ダーウィンは有名な『種の起源』において、生き物たちがみせる驚くべき精密さと多様性を「自然淘汰」(natural selection)の原理を用いて説明した。(※)

生き物は環境の変化からさまざまな影響を受ける。

ある個体が新しい環境と相性のよい能力や機能をもっている場合、その個体は生き延びるだろう。

逆にソリがあわなかった場合には死んでしまうだろう。

生物の精密さや多様性は、そうした「生存闘争における有利なレース」が積み重ねられた結果である。


※=ダーウィン生誕200周年『種の起源』150周年の2009年、『種の起源』の新訳(渡辺政隆訳)が光文社古典新訳文庫から刊行された。

簡潔な訳文でぐいぐい読ませる(もともと同書は学術書ではない。その分量と精緻な議論によって難物であることに変わりはないが)。

ほかにも『ビーグル号航海記』は荒俣宏による新訳が出たし、『人間の由来』という名でも知られる『人間の進化と性淘汰』は文一総合出版の『ダーウィン著作集』に収められている。

最晩年のミミズ研究をまとめた『ミミズと土』も味わい深い。

残るは岩波文庫でときどき復刻される1931年刊行の『人及び動物の表情について』だが、愉快な写真とイラスト満載のこの作品をより楽しめるような新訳がほしいところだ。

ダーウィン思想の解説では内井惣七『ダーウィンの思想』を推す。

伝記としては、まずは松永俊男『チャールズ・ダーウィンの生涯』、それにデズモンドとムーアの『ダーウィンーー世界を変えたナチュラリストの生涯』が決定版だ。


ダーウィンものは奥が深い。


まったく知らなかった書もあった。


進化論への独自考察もさることながら


ガイドブックとしても機能させていただきたく。


良書の共通して持っている特徴とでもいうか。


共振した作家さんの仕事の一つとでもいうか。


これに「適者生存」(survival of the fittest)というキャッチフレーズ、あるいはスローガンを与えたのが、スペンサーであった。

後にはダーウィン自身もそれを用いるようになる。

アルフレッド・ラッセル・ウォレスがその採用を強く薦めたともいわれている。

ウォレスはイギリスの博物学者で、ダーウィンとは独立に自然淘汰のメカニズムを見出し、ダーウィンとともに自然淘汰説の共同発見者となった人物だ。

結果として、ダーウィンとウォレス、つまり自然淘汰説の元祖と本家が、このスローガンにお墨付きを与えたことになる。


ちなみにウォレスがこのスローガンを推奨したのは、それによって”natural selection”の”selection”という語がもたらす誤解を回避したいと考えたからだという。

ちょっと想像できないかもしれないが、ダーウィンが自然淘汰説を発表した当時、”selection”、つまり淘汰/選択の行為を執り行うのは、結局のところ神ではないのかという議論が起こった。

「淘汰/選択」という言葉は、「誰が淘汰/選択するのか」という行為主体の存在を連想させるが、当時においてそうした主体の第一候補は神様だったのである。


『種の起源』第4章に付けられた章題「自然淘汰」は、ダーウィン自身の手によって、後に「自然淘汰すなわち最適者生存」と変更された。

また、「自然淘汰」という言葉が初めて出てくる第3章では、「しかしハーバード・スペンサー氏がしばしば用いている”最適者生存”の語はもっと正確であり、ときには同様に便利である」という一文が挿入されている。


スペンサーさんというのはダーウィンと


同時代を生きたイギリスの思想家とのこと。


「進化」を人類だけでなく、


神羅万象を紐付けた方らしい。


最近読んだ、マット・リドレーさん系列の


始祖といった感じなのか。


『種の起源』も読んで共鳴され支持しての


生物学原理』という書を書かれたと


この書でも引かれておられる。


ダーウィンの”功績”であり逆に


原理主義からすると”罪”ともいえる


人間の起源は神ではなく科学で立証できる


というものが、”淘汰・選択”であるならば


それは神が行なっている、というイタチごっこ


水掛け論の子どもの喧嘩の如しの


展開だったというのはこれまた興味深いけど


実際やるせない。


そんなこと言ったらキリがないではないか。


進化を”科学”だと気づかせたのも”運命”で


それは神の采配である、みたいで。


そういったその頃の世間の輩は何を言っても


交わらないのかもしれないなあと嘆息しか出ない。


こんな結果になったのは、ダーウィンの真意を理解できなかった一般大衆のせいなのだろうか。

そうとばかりもいえない。

学問の世界で起こったのも同じ非ダーウィン革命だったからだ。

当時の専門家の多くも、ダーウィンの真意を十分に理解することができなかった。

なかでもダーウィニズムの核心であるはずの自然淘汰説は20世紀前半には息絶え絶えの状態だったといわれている。

自然淘汰説が正しく理解されるには、現在の主流派である総合説(ネオダーウィニズム)が進化生物学を革新した1940年代を待たなければならなかった。

学問の世界でさえ、ダーウィンが正当な評価を得るには100年がかりの二段階革命を要したのである。


では、発展的進化論にたいするダーウィン進化論(ダーウィニズム)の革命性はどこにあったか。

いろいろな言い方ができると思うけれど、とりあえず大ざっぱにいえば、生物進化を自然主義的に説明する道を拓いた点にある。

自然主義的に説明するとは、神や形而上学に頼らず自然科学の手段のみを用いて説明するという意味だ。


先にも触れたように、次の三条件ーー個体間に性質のちがいがあること(変異)、その性質に伝えられること(遺伝)ーーがそろった場合に進化(遺伝的性質の累積的な変化)が起こるというのが自然淘汰説の要諦である。

そしてこれらはすべて自然主義的な解明の対象である。


さまざまな人たちの思想や経験則から


アップデートされたってのは読んだことがあるが


さらにそれを世間で揉まれてのダーウィニズム。


ダーウィンが今それを見たらなんと申すのだろうか。


「いや、私が言ったのはそうではなく…」と言ったりして。


リチャード・ドーキンスは、これまで人間が考案した進化学説は、煎じ詰めれば三つしかないと言っている。

すなわち、神学、ラマルキズム、そしてダーウィニズムである。

そのなかでダーウィニズムだけが、神学のように超自然的な存在や現象を想定したり、ラマルキズム(発展的進化論)のように形而上学的な原理を前提したりすることなく、あくまで科学的に生物進化のメカニズムを説明できるのである。


なお、神学や発展的進化論とダーウィニズムのちがいは、学説上の些細な違いではない。

帰結は重大である。

これによって生物世界にたいする見方が一変するからだ。

それは「存在の連鎖」から「生命の樹」へ、という転換である。


進学においても発展的進化論においても、あらゆる生物は「存在の連鎖」(chain of being)ーーーもっとも下等なものからもっとも高等なものまでもが連続的につながった述べたて階梯ーーーの一員であった。

これはプラトンの昔から長い間西洋の思想で影響力をもっていたイメージだ。

そこでは進化とは、共通のゴールへと向かう階梯を上昇していく過程にほかならない。

それぞれの生物種はその階梯における位置ーーーゴールからの距離や方角ーーーによって優劣を比較することができるし、あるべき未来の姿を予言することもできる。


それにたいして、ダーウィニズムにおいては共通のゴールなど存在しない。

そうである以上、ある生物種とべつの生物種の優劣を直接に比較することなどできなくなるし、あるべき理想の状態や未来の姿といったもの予言することも難しくなる。


「未来を予測するなら、現時点で大いに繁栄しており、ほとんど打ち負かされていないか、まだほとんど絶滅させられていないグループは、この先も長期にわたって増加を続けることだろう。

しかし、そのグループが最終的に繁栄するかは誰にも予測できない。

なぜなら、かつては大成功を収めていたグループで今は絶滅してしまっているものも多いからである。

(Darwin 1859-2009: 上222)」


その結果、ダーウィニズムがもたらす生物進化のイメージは、神学や発展的進化論が想定していた存在の連鎖ではなく、不規則に枝分かれする樹木のようなものになった。

それが「生命の樹」(tree of life)である。(※)

このようにして、ダーウィニズムは、生物の世界は整然としつらえられた存在の連鎖ではなく不規則に枝分かれする生命の樹であるという、従来とはまったく異なるい見方を提示することになったのである。


※=三中信宏・杉山久仁彦『系統樹曼荼羅』は、古今東西の系統樹の図像を蒐集・分類・理解した奇書。

読んでも眺めても楽しめる作品だ。

本書の関心からはとくに、美麗な系統樹をたくさん残したヘッケルと、単純なダイアグラムしか残さなかったダーウィンの比較が興味深い。

両者のちがいは、絵心の有無(だけ)ではなく、系統樹にたいする考え方のちがいからきていることがわかる。


自然淘汰、適者生存についての深い論考・研究。


よくわからないところも多々あるのだけど


第二章までとして、またあらためる。


その前に宿題というか気になった点。


・第3章 ダーウィニズムはなぜそう呼ばれたか


・終章 理不尽にたいする態度


では、ドーキンスとグールドの考察になり


ドーキンスの勝ちであるとされているとは


養老先生の解説から。


しかし、2章までの流れでは、


進化は偶然の要素が強くそれをベースにしていたのは


グールドさんだったはずで


なぜそうした対決結果になるのか?


それとも自分の読み方が浅いのか。


ちと、いや、かなり興味深い。


なんにせよ、グールドさんも


ただ負けた酔狂って訳では


当然なかったはずで、何を言いたかったのかを


ディープに検証されている模様で。


この書を深く読むためには


ドーキンス・グールドさんを


もう少し深めておきたく一旦この書を置きまする。


ちなみにこんな素敵なページも。


朝日出版社ウェブサイト


余談だけど、ここでまた新たな興味というか


すでにあったと言える三中先生たちの系統樹について。


さらにあとがきでは、著者に影響を与えた書として


言うに及ばず『利己的な遺伝子』と、


社会学者の真木悠介先生の『自我の起源』。


途中で鶴見俊輔さんの登場も忘れ難い。


なんかリゾームのようにうねうね広がっていく


興味の様自体が”系統樹”だよ、と悩ましい


残暑厳しい、9月の始まりでございます。


 


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吉川さんの書の題にはなぜ”理不尽”とあるのか? [’23年以前の”新旧の価値観”]


理不尽な進化 増補新版 ――遺伝子と運のあいだ (ちくま文庫)

理不尽な進化 増補新版 ――遺伝子と運のあいだ (ちくま文庫)

  • 作者: 吉川 浩満
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2021/04/12
  • メディア: 文庫

序章 進化論の時代

進化論的世界像ーー進化論という万能酸


から抜粋


私たちは進化論が大好きである。


進化論は、まずなによりも生物の世界を説明する科学理論である。

だが、私たちはそうした枠をはるかに飛び越えて、あらゆる物事を進化論の言葉で語る。


言葉があふれているだけではない。

とくに熱心に勉強したわけではなくとも、私たちは進化論の考え方をなんとなく理解しているように感じている。


本の業界では「ネット時代における出版社の適応戦略はなにか」といった話題が出たりする。


実際には、メディアや日常会話で交わされる進化論風の語りが正しいものなのかどうか、進化論を社会や個人のありかたに適用する際のやり方が妥当なものなのかどうかは、はなはだ怪しい。


それでも確かにいえることは、世間に流布している進化論のイメージにいかなる不備があろうとも、進化論的な物の見方やその言葉が喚起するイメージが、物事を「死滅か存続か」という究極的な尺度で測るリアルなものとして私たちに受容されているということだ。


日本人は進化論風の話が好きなようで、明治期に輸入されて以来ずっと、この世界の「実相」や「真相」つまり「きれいごと」ではない本当のありかたを言い当てるものとして重宝されてきた。


究極的なだけではない。それは包括的でもある。

つまり進化論はなんにでも適用でき、すべてを含みこむことができる。


この究極性と包括性という点において、進化論は史上最強の科学思想だ。


アメリカの哲学者ダニエル・C・デネットは、進化論を「万能酸(ばんのうさん)」と呼んだ。

どんなものにでも侵食してしまうという空想上の液体のことだ。

この思想をいったん受け取ったら、もう後戻りはできない。

進化論という万能酸は、私たちの物の見方をそのすみずみまにわたって侵食し尽くすまで、その作用を止めることがない。

それは従来の理論や概念を浸食し尽くした後に、ひとつの革新的な世界像ーー進化論的世界像ーーを残していくのである。


第1章 絶滅のシナリオ


絶滅率99.9パーセント


ほぼすべての種が絶滅するーー驚異的な生存率(の低さ)


から抜粋


アメリカの代表的な古生物学者のひとりであったデイヴィッド・ラウプは、現在地球上に生息している生物種はおそらく400万種は下らないだろうと推定する。

そして、これまで地球上に出現した生物種の総数は、おそらく50億から500億ではないかと推定している。

ここからわかるのは、現在いかにたくさんの生物種が存在していようとも、これまでに出現した生物種の数と比べたら、ほんのわずかなものにすぎないということだ。


ラウプの推定にもとづいて、いまなお存続している生物種を500万から5000万とし、これまでに出現した生物種を50億から500億として割り算してみよう。


つまり、これまでに出現した生物種の99.9パーセントはすでに絶滅してしまっているのだ。


なんとも驚異的な生存率(の低さ)ではないか。

気持ちのいいほどの皆殺しである。

母なる大地などと言うけれど、それは一大殺戮ショーの舞台であると言うことだ。

地球にやさしくとか言うけれども、地球のほうは生き物にそんなにやさしくないのではないかと思えてくる。

ともかく、いま生きている生物種は、倍率1000倍の狭き門をくぐり抜けた稀有な存在なのである。


すると、私たちヒトを含む現存種は過酷な生存レースを勝ち抜いたエリート中のエリートなのだろうか。

倍率からいえばそういうことになるだろう。

また、私たちが漠然と抱いている進化のイメージに照らしてもそういえそうだ。

常識的な進化のイメージでは、優れた者たちは生き残るべくして生き残り、劣った者たちは滅び去るべくして滅び去っていくのだから。

そうでなければ、序章で触れたように、向上心旺盛な野心家たちがビジネスやマーケティングにかんする持論に「たえず競争し、適応し、進化をつづけよ」とばかりに進化論風の味付けをほどこそうと思うこともないだろう。

しかし、そうは問屋が卸さない。事はそんなに単純ではないのである。


遺伝子か運か


遺伝子がわるかったのか、運がわるかったのかーーー究極の問い


から抜粋


先のデイビッド・ラウプは、絶滅のほうから生物の進化を考えるという、きわめてユニークな試みを行った。(※)

通常は生き残りと適応は生き残りと適応の観点から考える生物進化を、絶滅の条件という観点からとらえかえしたのである。

そして、絶滅生物たちの厖大な化石記録を前にして、次のような究極な問い(あるいは身も蓋もない問いといってもいいが)を発する。


※=本書の考察の出発点となったデイビッド・ラウプ『大絶滅ーー遺伝子が悪いのか運が悪いのか?』は、古生物学の知見をもとに絶滅の諸相を解明した意欲作。

堅実な調査と統計、そして大胆な推理とシミュレーションが共存する、じつに楽しい書物である。


長い地球の歴史のなかで、これまで何十億もの種が絶滅してきた。

それらは、適応面で劣っていた(遺伝子が悪かった)せいで絶滅したのだろうか、それとも単に間違った時期に間違った場所にいた(運が悪かった)せいで絶滅したのだろうか。(Raup 1991-1996.5)


絶滅した生物は、結局のところ、遺伝子がわるかったのか?

それとも運がわるかったのか?という問いである。


幸か不幸か、絶滅生物は自己申告をしない。

だから議論が白熱することもなく、また、誰からも見送られることもなく、ただひっそりとこの世から消えゆくのみだ。

しかしラウプは大胆にも、絶滅生物を含む生命の歴史そのものにたいして、この問いかけを行ったのである。

そして、古生物学の公明正大な観点から、答えを見出そう試みたのだ。


進化論に詳しい人なら、ほぼすべての種が絶滅するなどという当たり前の話をなんでいまさらと感じるかもしれない。

だが、詳しい人のあいだでは常識であるものが、素人のあいだでも常識であるとはかぎらない。

それに序章にも書いたとおり、本書が理解したいと願うのは超一流の専門家による学説だけでなく私たち素人自身の進化論でもある


この社会で流通している進化論のイメージのなかに、絶滅にかんする概念や考察が占める場所がほとんどないように感じる私は、絶滅についていまさらながらに言い募るくらいいいじゃないかと思うのである。

実際、つい先ほど述べたように、ほぼすべての種が絶滅するという基本的な事実からして、私たち素人にはそれほど自明なことではないかもしれないのだ。


だからといって、よりによって「遺伝子か運か」とは、これまたなんとも子供じみた問いかけだと思うかもしれない。

これには、問いが子供じみたものだからといって、答えもまた子供じみたものになるとはかぎらないよと、いまの段階では答えておくしかない。(※)


※=映画をつくる前の伊丹十三が書いた『問いつめられたパパとママの本』には、子供の問いにたいする大人の応答の好例が詰まっている。素朴ではあるけれど根源的な子供の問いに答えるには、たしかな科学の知識に加え、たとえ話やユーモアの素養、そしてときには華麗なスルー技術なんかも必要であることを教えてくれる。

でも彼のように上手にやるのはむずかしい。


ダーウィンもじつは進化論を考えついたのは


ガラパゴス諸島での生物を見てというよりも


絶滅していった大量の化石群の見てという、


「生」よりも「死」からだったのではなかろうか、


というのは荒俣宏さんの書にあった。


話戻して、ラウプさんは、絶滅の原因として


「遺伝子ではなく運が悪いのだ!」と


仰るようでそれに対して吉川先生は…


じつに興味深い持論である。


生物は落ち度もないのに絶滅する。

しかも、それこそが普通なのである。

だが他方、これは著しく常識に反した主張だと感じないだろうか。

ラウプはどのようにして、絶滅の沙汰も運次第という、こんな結論にいたったのだろうか。


そう、本当に興味深いのは、ラウプがこの結論にいたった過程である。

彼が行った考察とその結果を理解することで、いっけん非常識とも思えるこの結論が、じつはそれほど非常識なわけでもないと思えるようになるはずだ。


ちなみに、進化の話題に運の問題を持ち出すことについて、次のような疑問を抱く向きもあるかと思う。

お前は自然淘汰説を否定するのかとか、それは過酷な生存競争を否認する生ぬるい世界観ではないかとか、はたまた進化論の主流派に反対するプロバガンダではないかとか。

ある意味もっともな疑問だが、ぜんぶちがう。

ラウプは(後に述べるように、私もまた)ダーウィンの自然淘汰説と現代の主流派進化論の有効性を微塵も疑っていない。

生ぬるさについては、自由競争第一の考えこそ、じつのところ甘美な幻想にもとづいた生ぬるい世界観ではないかと答えてこう。

生存競争はたしかに過酷なものだろうが、これから紹介する絶滅の有様には、競争のアリーナそのものをぶち壊すような、別の種類の過酷さがある(本書ではそれを理不尽さと呼ぶ)。

つまり過酷さにもいろいろあるのであり、競争だけで事が済むわけではないのである。


養老先生の解説というか書評を読んで


この書にたどり着いたのだけど


予想以上にエキサイティングな内容。


博学な知識で、ストーンズのキースやら


クレイジーケンバンド忌野清志郎


引き合いに出されるユニークっぷり。


進化論の専門家からしたら、なめんなよお前、


と言われそうで、ご本人もうっすら牽制されているが


素人だから気づく何かがあり、考察・研究したいのだ


と読み取れるので、それでいいのでしょう。


かくいう自分もそうでございまして


歩きながらこの書を読んでみたりしていて


遅々として進まない読書に苛立ちながらも


またまた古書店で追加で数冊買ってしまうという


愚挙に利己的で理不尽な自己読書欲を


抑えられない過酷な暑さの休日でございました。


 


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