ローレンツ博士の書から”ありのまま”を考察 [’23年以前の”新旧の価値観”]
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 1998/03/01
- メディア: 文庫
1 動物たちへの忿懣(ふんまん)
から抜粋
どうして私は、まず動物たちとの生活のいやな面から筆を起こすのだろう?
それはこのいやな面をどれくらい我慢できるかによって、その人がどれくらい動物を好いているかがわかるからなのだ。
私は自分が小学生かあるいはもうちょっと大きくなったころ、またまた新しい、おそらく前よりもっと破壊的なペットをうちにもちかえったときに、頭をふるか、せいぜいあきらめのため息をつくだけでいつも見逃してくれていた、しんぼう強い両親に、かぎりない感謝の念をい抱いている。
そして私の妻は長い年月の間、どれほどの我慢をしてきてくれたことだろう。
ネズミを家の中で放し飼いにして、そいつが家じゅう勝手に走り回り、敷物からきれいなまるい切れはしをくわえだして巣をつくってもほっといてくれ、といえる夫は、私の他にそうもない。
これがもしよその奥さんだったらどうだろう。
庭に干した洗濯物のボタンをかたっぱしから食いちぎってまわるオウムなど、とうてい我慢してくれまい。
およそばかげた苦心談だ。
人はきっとこうたずねたくなるにちがいない。
「そういう苦労はすべて必要不可欠だったのですか」。
もちろん私は大声ではっきり「イエス」と答える。
すべては絶対に必要なことだった。
もちろん、居間に取り付けた檻の中で動物を飼っておくことはできる。
けれども、知能の発達した高等動物の生活を正しく知ろうと思ったら、檻や籠ではだめである。
彼らを自由にふるまわせておくことが、なんとしても必要だ。
檻の中のサルや大型インコたちがどれほどしょんぼりしていて、心理的にもそこなわれていることか。
そしてまったく自由な世界では、そのおなじ動物がまるで信じられぬほど活発でたのしそうで、興味深い生きものになるのである。
もちろんその場合は相当な損害や忿懣も覚悟せねばならない。
こういう科学方法論的な根拠から、私は高等動物をまったく自由な状態で飼うことを身上にしてきたし、じっさいに私の研究の大部分は、自由に生活させて飼った動物についておこなわれてきたのである。
2 被害をあたえぬものーーアクアリウム
から抜粋
それはほとんど金がかからず、しかもじつに驚異にみちたものである。
ひとにぎりのきれいな砂をガラス鉢の底にしき、そこらの水草の茎を二、三本さす。
そして数リットルの水道の水を注意深く流しこみ、水鉢ごと日のあたる窓ぎわに出して数日おく。
水がきれいに澄み、水草が成長をはじめたら、小さな魚を何匹か入れる。
これでアクアリウムは出来上がりだ。
ほんとうは、ガラスピンと水網をもって近くの池へゆくのが良い。
二、三回網ですくえば、いろいろな生きものがいっぱいとれる。
アクアリウムはひとつの世界である。
なぜならそこでは、自然の池や湖とおなじく、いや結局はこの全地球上におけるのと同じく、動物と植物が一つの生物学的な平衡(へいこう)のもとで生活しているからである。
植物は動物が吐き出す炭酸ガスを利用し、かわりに酸素を吐き出している。
植物が動物とちがって呼吸せずその逆をやる、というのは正しくない。
植物も動物とまったくおなじように、酸素を吸い込み炭酸ガスを出している。
しかしそれとはまったく別に、成長しつつある緑色植物は炭酸ガスを取り入れている。
植物は自分の体をつくりあげるために炭酸ガスを使うからである。
そしてそのさいに植物は、呼吸につかうよりもっと多量の酸素を吐き出すのだ。
この余った酸素によって、動物と人間が呼吸してゆける。
最終的には植物は、ほかの生物の排出物や死体がバクテリアに分解されて生じた物質を同化して、ふたたびそれを物質の大きな循環の中にくみ入れる。
この物質循環や動植物共同生活の平衡がちょっとでも乱されると、たちまち悪い結果が生じてくる。
緑の水草の量からみて、もうこれ以上動物は入れられないはずの水槽に、もう一匹このきれいな魚を泳がせてみたいという誘惑は、子どもには(おとなにだって)我慢しきれないものである。
そしてまさにこのたった一匹の魚のために、今まで大切にかわいがってきたアクアリウムが壊滅してしまうこともあるのである。
最近のアクアリウム愛好家は、エア・ポンプで人工的に空気を水中に送りこんで、この危険を防止する。
けれどもそのような人工的なやりかたでは、アクアリウムの真の魅力はそこなわれてしまう。
アクアリウムの魅力は、この小さな世界が自活しているところにあるのである。
魚に餌をやったり、ときどき手前側のガラスをきれいにふいたりすることをのぞけば、生物学的にはとくに世話をしてやる必要はない。
さらに、もしほんとうの平衡状態が保たれていれば、掃除してやる必要もない。
最初の二つの随筆、
と呼ぶのも気が引けるほどの
研究から考察された文章からも
ローレンツさんの真髄が伺える気がする。
居丈高に言っているようで、実は異なり
確信に満ちているがゆえの眩しさから
初心者に諭されているような論調で。
すごいことを仰っているのだけど
今風に言うならば、マウントとっている感じが
しないのは、贔屓の引き倒しだからか。
マウントって発想自体がローレンツさんには
不似合いとしか言いようがないけれども。
文庫化にあたってのあとがきと解説
1998年3月2日 日高敏隆
から抜粋
旧約聖書によると、諸王の一人ソロモンはたいへん博学で、けものたち、鳥たち、魚たちについても語ったという(列王記I 4・33)。
聖書のこの記述のちょっとした読みちがいが、ソロモンは魔法をはめて、けものども、鳥ども、魚どもと語ったという有名な言い伝えを生むことになった。
ローレンツはこれに因んで、この『ソロモンの指環』のドイツ語原著(初版は1949年出版)に『彼、けものども、鳥ども、魚どもと語りき』という長いタイトルをつけた。
訳書には、原著第6章の表題Salomons Ringによる英語版のタイトル(King Solomon’s Ring)を借りることにした。
ドイツ語の原著のタイトルはあんまり長すぎるし、ローレンツ自身が原著第二版の「製作上のいくつかのまちがいについて」で書いているとおり、どういう部類の本だかさっぱりわからないだろうと思ったからだ。
1975年、彼が沖縄での海洋博の祈りに来日したとき、NHKの計らいで初めて彼に会い、テレビで対談した。
「われわれは歴史に学ぶ必要があります」といったローレンツに、ぼくは「でも、歴史に学ぶことはできるのでしょうか?」と質問した。
彼はしばらく考えてこう答えたーーー「たしかにそれは不可能かもしれません。われわれは歴史から学べるのは、われわれは歴史からは学べないということです。」
その後ぼくは幸にして、 NHKスペシャルの番組で、ノーベル賞受賞後オーストラリアに帰ったローレンツをアルム渓谷の彼の研究地に訪ね、ハイイロガンたちとともにいる彼と語ることになった。
そしてその後も、何度か晩年の彼に会い、親しく「コンラート」と呼ぶことにもなった。
コンラートは物理学をやっている息子トーマスをことのほかかわいがっていた。
「私がかつて日本であなたとしたNHKの対談を、あれはお父さんの対談の中でいちばんよかったよと、トーマスがいつもほめてくれます。」
ローレンツはうれしそうにぼくにこう語ってくれたことがある。
そのトーマスが病気で亡くなり、ローレンツの最愛の妻グレーテルも亡くなった。
晩年のコンラートは淋しそうだった。
1989年2月28日、ローレンツが死んだとき、彼が打ち立てた動物行動学は、すでに完全に変貌していた。
動物たちの行動は、ローレンツが考えていたように「種の維持」のためのものではなく、個体のためのものであるとみなされるようになった。
学問とはそういうものである。
しかし、変わったのは学問であり、つまりわれわれの見方でもある。
動物たちの行動というものの研究を、学問の重要な分野として確立したのがコンラート・ローレンツであり、その最初の本がこの『ソロモンの指環』であるということも、何一つまったく変わっていない。
この本は動物たちの行動を知る上で、絶対に欠かせないものである。
そこには感激があり、感動があり、人間の心の動きがあり、そして現実の動物たちを見る眼がある。
現実の動物たちは魔法であると、ローレンツはいつも思っていた。
彼がなぜそう思ったか、それはこの本を読めばわかる。
日高先生の名訳は他にも沢山あろうけれど
この書は、おそらくベスト5に
選ばれるのではなかろうか。
この「あとがきと解説」も”愛”が横溢。
翻訳について、漢字と平仮名のバランスも
素敵で読みやすい。
翻訳という枠にとどまらずの感想として
書籍全体が放つ美しさの理由は
ローレンツさんご本人と
アニー・アイゼンメンガーさんという
お二人で描かれている挿絵も素晴らしい。
これまたバイアスかかってると思うが
昔の学者さんって絵が上手という印象が強い。
写真もパソコンもない時代、
ものすごく好きな対象を留めたいと思うあまり
絵のスキルが自然に上がっていたのかも
と思えば、なんとなく納得するような
朝5時起床で仕事してた身としては
そろそろ眠くなってまいりましたのは
自然の摂理ですな。