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往復随筆③内田先生とるんさんから”こう在りたい”と感じた [’23年以前の”新旧の価値観”]


街場の親子論-父と娘の困難なものがたり (中公新書ラクレ (690))

街場の親子論-父と娘の困難なものがたり (中公新書ラクレ (690))

  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2020/06/08
  • メディア: 新書

表紙袖にある文章から


抜粋。


わが子への怯え、親への嫌悪、誰もが感じたことのある「親子の困難」に対し、名文家・内田樹さんが原因をときほぐし、解決のヒントを提示します。

それにしても、親子はむずかしい。

その謎に答えるため、一年かけて内田親子は往復書簡を交わします。

「お父さん自身の”家族”への愛憎や思い出を文字に残したい」「るんちゃんに、心の奥に秘めていたことを語ります」。

微妙に噛み合っていないが、ところどころで弾ける父娘が往復書簡をとおして、見つけた「もの」とは?

笑みがこぼれ、胸にしみるファミリーヒストリー。


2 僕が離婚した年の長い夏休み


内田樹 → 内田るん


から抜粋


るんちゃんの最後の質問、「『くだらない人だなあ』と思っていた人が、実はなかなか稀有な人物だと思い直したり、『失敗したなあ』と後悔していたことが、時間が経ってからむしろ大正解だったと気づいたりしたようなこと、何か思いつきますか?」

ということですが、どうでしょう。


失敗だと思っていたことが「いかにも自分がしそうな失敗だった」とわかるということはよくあります。

単なる偶然や不運ではなくて、自分にとって必然的な失敗だったということがわかる。

そういうことはあります。


僕はいま能楽の稽古をしているのですけれど、稽古や舞台で犯す失敗はすべて「僕がやりそうなこと」です。

態度がでかい、ものごとを舐めてかかる、粗雑、自分勝手、無反省…そういう僕の個人的欠点が必ず失敗というかたちをとって外形化されます。

「なるほど、これがオレの欠点なのか」ということがしみじみ身に染みます。


昔の人はある程度の年齢や社会的地位に達したら、必ずお稽古事(能楽や義太夫のようにシステマティックに失敗して、師匠に叱られ続ける芸事)を嗜んだものですけれど、それは年を取って偉くなってきたせいで、「自分の欠点を思い知らされる」機会が減ることを警戒していたからだと思います。


「くだらない人だ」と思っていた人に対する評価が大きく変わるということについては、記憶をたどってみても、経験がありません。

たぶん僕の場合は会った人については「くだらない人/まっとうな人」という見きわめよりも「興味を持てる人/持てない人」の分類が先行して、「この人、興味ない」とか「この人、邪悪」とか思うと、仔細に観察して、データを絶えず更新します。

人間はどこまで愚鈍になれるかとかどこまで邪悪になれるかということを知るのは生き延びる上できわめて重要な情報ですからね。


3 「内田樹の真実」はどこに?


内田るん → 内田樹


から抜粋


お父さんと私では、人の分類の仕方が違うみたいです。

じつはこう書くとちょっと感じが悪いかもしれませんが…私にとっては、「興味が持てない人」というのは私にとって「いい人」「安全な人」と映る人で、「まっとうじゃない人」「邪悪な人」の方が、パッと目に入るというか、思わず注視してしまう気がします。


もちろん警戒心からで、そういう人物と極力関わらないようにするために、強く記憶に残します。

「この人は絶対に信用してはいけない」と判断した瞬間のことは、その時の相手の瞳がまざまざと思い出せます。

「私は人の悪い面しか見えないのではないか」と、時々哀しくなります。

そして「邪悪な人」と判断した人に関しては、その後の観察や風の噂を聞く限りだと、私の判断が覆ったことがいまのところありません。

それもまた哀しいことです。


人の魅力や欠点というのも、そもそも見る人によってそれぞれですよね。

たとえば、私にとってお父さんの評価されてる部分というのは、現状ではごく一部です。

お父さんは絵本の文章を書く才能もありますし、絵も上手だし、漫画だって描けます。

お料理も上手だし、車の運転も上手いし、体型的に腰が高く脚が長くX脚と甲高で、バレエダンサーの才能がすごくあることも知ってます。

一日家にいるだけの日も、汚い格好はせず、どんなに着古した服も神経質なくらい洗濯機で毎日洗って清潔にしていて、汗臭かったりしません。


アメリカンカジュアルでまとめていつもオシャレだったし、(私の主観だけど)音楽の趣味も良いし、保育園でもお母さん方に運動会や餅つき大会でいつもモテモテだったし、「中型バイクと革ジャンにサングラスでお迎えに来るパパ」がいるのは、ちょっと悪目立ちもしたけど、鼻が高かったです。


うわー、こんな素敵なパパ、


子供にはこの本は絶対に読ませられない!


どうも、申し訳ありませんでした!


申し訳ありませんでした!2回重ねつつ


あれ、デジャヴ、なのかこれ


なので、お父さんは「考えていることを文章にしたりお話しすることが上手」だけど、それがお父さんの「一番の才能」として、世間がお父さんの枠に決めてしまっていることが、私にはなんだか「うちのお父さんはもっと凄いのよ!?」という気持ちにさせられるというか、ちょっと不満です。


世間の人は勝手になんでも決めてしまえるから恐ろしいです。

共通認識ができてしまえば歴史だって改変されてしまう。

だからこうやって、あらゆる証言・資料を残しておきたいです。


そしてもっと大事なことは、「本当のことは誰にもわからない」って理解してもらうことだと思います。

私の見方や意見は、あくまで私のものです。

色々言っていますが、これは「内田樹の真実」ではありません。

そんなものは、お父さんの著書を全部読んだって、お父さんをストーカーしたってわからないことです。

だってお父さん自身にだってわからないことなんですからね。


素晴らしい娘さんだと思わずにはいられない。


どこがってのは言えませんよ。


なんてったって『「いき」の構造』


読んでますからね、自分は。


4 「記憶の物置」に足を踏み入れる


内田樹 → 内田るん


から抜粋


保育園にバイクで通園していたこともよく覚えています。


夏はジージャン、冬は革ジャンで、足元はブーツで、サングラスですから、保育園に送迎するお父さんとしては相当ガラ悪いですよね。

実際にるんちゃんから「もうすこしおとなしい格好をして来て」と注意されたことがありました。


昔のことをこうやって二人で思い出して、小箱にしまっていた小石を机に並べるみたいに「そうそう、そういうこともあった」とか「それ、覚えていない…」とか確認し合うというのは、とてもすてきな経験だと思います。


記憶というのは、不思議なもので、新しい経験をするごとに「上書き」されて、「書き換え」が行われます。

それまで現実だと思っていたことがなんだかあいまいになり、逆にすっかり忘れていたことがありありと思い出されたりする。


僕だって要領の悪いことをいろいろしでかしたし、感情的になって判断が狂ったりということは時々あったんですけれど、じっくり吟味されることがなかった。

どうして、「こんなこと」を思ったり、したのかということを自分の問題として考えることがなかった。

ただの「やりそこない」「ふみはずし」だと思っていた。

でも、そんなわけないんですよね。


人間がやることは一から十まで、ぜんぶ「その人らしい」ことなんです。

よいことも、わるいことも。

うまくいったことも、失敗したことも含めて、実はぜんぶ「自分らしいこと」なんです。


だから、全部の経験を等しく記憶して、それをときどき記憶のアーカイブから取り出して、よくわからないことについては、「さてまた、どうしてこんなことを僕はしたんだろう?」と考えるのはたいせつなことだと思います。


もちろん、そうしたからといってすぐに「あ、そうか!わかった!」というようなことは起きません。


すぐに答えは出なくても、考えるだけでも。


13 お父さんの「オフレコ青春日記」


内田るん →  内田樹


から抜粋


ふと気づけば身の回りの生活雑貨や家具・家電もどんどん変化していって、「え、いまってもう、あれ売ってないの?」ということが、今後もどんどん増えそうです。


家具も、ニトリやIKEAで手軽に安く使い勝手のう良いものが揃うのは素晴らしいことですが、たまには大塚家具などで、職人さんが作った一生物の家具なども見て目を肥やしておかないと、物の価値がわからなくなりそうで怖いです。

「2〜3年で粗大ゴミに出しても惜しくない」ものばかりで暮らす生活は、ある意味「贅沢」ではあっても、「豊か」とは言えないんじゃないか、と勝手にモヤモヤします。


リサイクルショップで働いたこともあって、昭和の高級家具や、実用的で作りのしっかりした家具の価値を見過ごせません。

「需要がない」「場所を取る」と、安易に焼却処分せず、直し直し使っていく道を探すべきだし、そうしていかないと、「昭和の中産階級家庭の日用品」と同じレベルの質のものは、我々以下の世代では到底手に入らない希少品になってしまうでしょう。


そこそこの品質の大量生産品を気軽に買える時代も、いずれ終わってしまうことを考えると、いまのうちに「カネ」よりも「モノ」を国内にキープしておかねばならないと感じます。

この国はこれからますます貧しくなっていくのだから、それに合わせて生活スタイルを見直していかなくちゃいけない。

昔のやり方も、新しいやり方も、どんどん取り入れて。


ここには引きませんでしたが


娘さんとうまくいかない時期もあったご様子で


お互い書きたくないような、思い出を


丁寧に掘り起こし、謝るところなど涙なしでは


読めなかったりしたが、父娘でかつ


離婚もされてのことであれば


いろいろあるのだろうなあ、と納得したり。


しかし、内田先生の娘さん、


さすがだというしかない。


新しきに惑わされずに、権力や原理主義に


振り回されない柔らかさを文章や行間から


発している。


自分は見習いたいと思いますが


家人にそれを要求してはいませんからね。


そういうオーラ出ているかもしれないけど。


影響はモロに受けるかもしれないけど。


って、なぜか言い訳ばかりしたくなるような


良書だった。


そろそろ昼食の野菜ラーメンを拵えなくては。


嵐中の関東地方からでした。


 


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