長谷川博士の書から”動機”の強さを読む [’23年以前の”新旧の価値観”]
進化生物学への道―ドリトル先生から利己的遺伝子へ (グーテンベルクの森)
- 作者: 長谷川 眞理子
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2006/01/26
- メディア: 単行本
Amazonをつらつら見ていたら
柳澤桂子先生と同じフォーマットの装丁で
長谷川先生のもあるではないですか。
寝る前にコツコツ読んだ、これまた
至福の時間でございました。
表紙の袖の紹介文から
図鑑とドリトル先生シリーズによって動物の世界に誘われた少女は、生物学研究者の道に進み、いま進化の視点から「人間の本性」に迫ろうとしている。
動物好きの少女がここに至るには、『ソロモンの指輪』や『利己的な遺伝子』などの本、大学の恩師やチンパンジー研究者グドールなどとの決定的な出会いがあり、その道は悩み多きジグザグのコースをたどった。
これは一研究者のドラマティックな成長の記録であるとともに、興味津々たる読書の履歴書でもあり、動物と進化に関する名作・名著への生き生きとしたガイダンスともなっている。
第二章『ドリトル先生航海記』ーー博物学とイギリス流ユーモア
「ドリトル先生シリーズ」との出会い
から抜粋
小学校に入ったころ、講談社の『少年少女世界文学全集』というのを買ってもらった。
初めは父に読んでもらったが、そのうち自分で読むようになった。
『ギリシャ・ローマ神話』を初めとして、いくつかの世界の古典に最初に触れたのがこの全集だった。
のちに、この全集のほとんどは年下のいとこにあげてしまったが、『ドリトル先生航海記』が入っている巻だけは、今でも手元に残してある。
しかし、『航海記』がやはり群を抜いておもしろかった。
最初の出会いであったから印象が強かったということもあるのだが、いろいろこれまで読み返してみて、文学的にも『航海記』がもっともすぐれているのではないかと思う。
また、この本は日本語がたいへん良かった。
後年、『航海記』は原書でも読んだが、井伏鱒二氏の日本語訳はたいへんよくできていると思う。
19世紀のイギリスの人物の雰囲気を日本語で表現するのはなかなか難しいが、井伏氏の訳はドリトル先生も、オウムのポリネシアも、ネコ肉屋のマシューほか、さまざまな階級の人間たちも、その雰囲気と性格を見事に表現している。
そして、日本語として、とてもきれいな日本語である。
削られた差別的表現
から抜粋
作者のロフティングは、1886年生まれで1947年に亡くなった。
19世紀後半から20世紀前半を生きたイギリス人であり、アメリカに移住した。
そういう時代の人であったから、イギリスの階級社会をそっくりひきずっていたし、黒人やアメリカ・インディアンに対する差別表現もあった。
私が子供のときに読んだ井伏鱒二訳では、それらはすべてそのまま訳されていた。
1990年代にペンギン・ブックスに収められている原書を買って驚いたことには、そういう差別的表現のところが全部削られていたのである。
とくに子どもに読ませる児童文学なのだから、差別的表現はないほうがよいのだろう。
しかし、差別的表現が満載されたオリジナルを愛読して育った私は、差別主義者になったのだろうか?
差別的表現には気づいたが、私がこの物語全体から得たものとしては、ヒューマニズムのほうがずっと大きかった。
その後の教育と経験の中で差別のいけないこと、その悲惨な実態を知り、楽しいドリトル先生とは関係なく、差別の問題を考えるようになった。
その後、実際にアフリカで過ごし、アフリカ人と一緒に仕事をする過程で、アフリカやアフリカ人に対する自分の考えを作り上げた。
仕事がうまくいかず、アフリカ人たちが協力的でないときには、アフリカに対する軽蔑の感情も生まれた。
しかし、アフリカ人に助けられ、言葉が違い、文化が違っても人間は同じだと思うことも多々あった。
差別がいけないのは当然だが、ささいなところまで言葉狩りをすることで、何でも消し去ろうとすることにも、また、差別的表現に触れれば必ず子どもは差別主義者に作られるかのように考えることにも、疑問を抱いている。
差別用語については軽くだけど
この後ドリトル先生の面白さを
解きほぐし具体的にも触れられている。
帝国主義時代は西欧諸国の価値観が
強固な時代ですからね。
それにしても井伏鱒二さんってこういう仕事も
されてたんすね。改訂前のを読んでみたい気もした。
第3章『ソロモンの指環』とコンラート・ローレンツ
ミクロの生物学からマクロの生物学へ
から抜粋
大学で出会った先端の生物学は、こうしてどんどん個体から遠ざかり、細胞に、分子に、遺伝子に、とミクロな話になっていった。
普通なら、ここで分子生物学にのめり込み、図鑑やドリトル先生の世界は過去のものとなるのだろう。
しかし、先の述べたように、本当に小さい頃から図鑑やドリトル先生に惹かれて動物の研究がしたかった私は、心のどこかで、丸ごと個体としての動物の研究への興味を捨てられなかった。
ここで、私をマクロの生物学に決定的にゆり戻す展開が起きた。
それは、2年生後期の、菅原浩先生の講義だった。
先生は動物学教室のご出身で神経生理学がご専門だったが、その年は退官の年であり、先生の最後の授業だった。
そこで、先生が「今もっともおもしろいと思う分野」ということで、動物の行動と進化に関する講義をなさったのである。
おりしも1973年、分子生物学が真っ盛りのとき、動物行動学の祖である、カール・フォン・フリッシュ、コンラート・ローレンツ、ニコ・ティンバーゲンの3人が、ノーベル生理・医学賞を受賞したのだ。
ときは、遺伝子暗号解明の興奮の時代であり、分子生物学によって初めて、生物学が物理学のような理論の世界に入ろうとしていた時代である。
そんなときに、動物の行動と進化の研究は決して主流ではなかったのだが、このノーベル賞によって、それが生物学の一つの分野として公式に認められた。
これは画期的なことだった。
私は、ノーベル賞の内幕も政治も知らないので、なぜこの時期に動物行動学がノーベル賞の対象になったのかの詳細は知らない。
しかし、これは本当に先駆的な決断だったと思う。
動物の行動と生態を研究する学問は、その後、大雑把に言えば二つの方向に分かれ、一つは行動生態学に、もう一つは認知行動科学となって発展した。
しかし、この二つとも、当時は、現在のような発展があるとは誰も予期していなかったし、行動生態学がその後に結びつくことになる、生物多様性の生態学も、まだまったく存在していないも同然だったのだ。
時のノーベル賞が、その後の学問の発展を
広く導いた結果になった動物行動学。
当時はそれは学問なのか?という時代だったのかな。
長谷川先生にすれば菅原先生という恩人との出会いや
ローレンツ氏達のノーベル賞受賞など時代の流れも
味方となり、それは運命と呼べるものかもしれない。
さらにいうなら自分が最初に感じたことを
貫けたというのは幸せな事だろうなと感じた。
話はズレるけど、自分の小6の頃だから
40数年前、担任の先生(当時36歳くらい)が
若い頃、考古学なんて学問なのか、と思ってきたが
この歳になり思うのは、あれは紛れもなく学問だね
と仰っていたのを
思い出したのは言いたいだけでした。
余談だけどその先生も相当に変人で
自分はモロに精神的に影響を受けてしまいました。
コンラート・ローレンツ
から抜粋
行動生物学という学問上では、ローレンツよりもティンバーゲンのほうが、大きな貢献をしたかもしれない。
しかし、一般的に言えば、ティンバーゲンはほとんど知られていないと言っても良いだろう。
それに対して、ローレンツは、一般向けの著作を通して、多くの人々に知られている。
彼は、専門分野の視点から人間や文明について哲学的に論じるのが好きだった。
そして、人を惹きつけるおもしろい書物を書く才能があった。
『ソロモンの指環』という題名も、ドリトル先生の話に通じるものがある。
どちらも、動物の言葉を人間を理解するということだからだ。
ドリトル先生は、人間の言葉を覚えた賢いオウムのポリネシアからオウム語を習い、そこから始めて多くの動物たちの言葉を習得した。
伝説の王様、ソロモンは、特別な指環を持っていて、それをはめると動物たちの言葉がわかるようになるという。
ローレンツは、動物の身振り、表情、行動を観察することから、動物が何をしているのか、動物の行動にどんな意味があるのかを研究する、動物行動学という学問分野を開いた。
その研究は、ソロモンの指環を手に入れるようなものだというわけである。
長谷川先生の印象に残っている『ソロモンの指環』の
中の話でカラスの逸話が引き合いに。
ローレンツは、チョックと名付けた、コクマルガラスというカラスの仲間を、ヒナのときから自分で育てて飼っていた。
大きくなったチョックは、ローレンツを自分の仲間だとみなしていたので、カラスが親密な個体同士で行う行動を、ローレンツに対して向けるようになった。
その一つは、チョックが見つけてきた太ったミミズの切れ端を、ローレンツの口に押し込もうとするものである。
動物にはとことんつきあうローレンツだが、これはちょっと受け入れがたかった。
そこでローレンツはこの迷惑なプレゼントを拒否し続けていたのだが、チョックのほうもあきらめなかった。
ついにチョックは、本を読んでいたローレンツの肩に止まり、彼の耳の穴にプレゼントをぎゅっと詰め込んだのだった!
この行動に関するローレンツの説明は、チョックがローレンツに対してミミズをあげたいという愛情表明行動をしたくなると、一旦それが始まったからには完結しなければおさまらず、ローレンツの口という「正しい」目標が拒否された場合には、次善の策として、ともかくも丸い穴である彼の耳を選んで行動を完結させた、というものだ。
別のところで、ローレンツは、自分自身および人間の怒りの行動にも、同じ説明を与えている。
他者に対する激しい怒りの「本能」がわき起こったとき、人はその怒りを爆発せざるを得ないのだが、その目的を直接に達することが阻止されると、そばにあったブリキ缶を蹴飛ばすなどという行動に出る。
これも、チョックの行動と同じ原理で説明できるというのである。
人間社会も動物社会も同じですな。
八つ当たり、ってやつで、気が収まらない、から
ガス抜きが必要、またはあげた拳を振り下ろさせる。
どこかの誰か、プーチンさんにこの技の転用を
お願いできないものだろうか。
こうもり傘の威力
から抜粋
『ソロモンの指環』の中に語られているおもしろい挿話の中で、もう一つ、のちのちまで私の頭にこびりついていた印象的な話がある。
それは、ローレンツの奥さんがガンたちに対してとった行動の話だ。
ローレンツはハイイロガンをたくさん飼っていたが、彼らは奥さんの花壇や野菜畑にしばしば入りこんでは中を荒らしていた。
そこで、ローレンツの奥さんは、ある日、ガンたちに向かってこうもり傘をばっと開いては閉じ、またばっと開いては閉じる、というディスプレイを行ったのだ。
ガンたちは、これには仰天して逃げていったという。
ユーモラスな挿絵もついていたので、ますます印象に残った。
しばらく前の夏、うちにスタンダード・プードルの子犬がやってきて家族の一員になった。
名前を菊丸という雄の子である。
うちに来たときには、まだ生後3ヶ月だった。
いろいろと事情があって、菊丸がうちにやってきて数ヶ月は、私は家にいなかった。
そこで、初めて私と会ったとき、菊丸は私を友達扱いしようとした。
そして、さらには、なんとかして自分の方が順位が上だということを印象付けようとし始めたのである。
これは、まずい。
イヌとの長いつきあいが始まろうとしているのに、イヌの方が偉くなってたまるものか。
菊丸が私につっかかってこようとしたある日、私は、ローレンツの奥さんのことを思い出した。
そして、本当に都合よくそばにあった折りたたみ傘を手に取った。
菊はなんにもわからないらしい。
そこで、私は、無邪気な菊の目の前で、いきなりばっと折りたたみ傘を開いたのである。
菊は、心底びっくりした。
尻尾をまいて、耳を垂れ、後ずさりした。
そこで、私は二度、三度と傘を開いたり閉じたりしてみせた。
菊はとうとうお風呂場に退却して、しばらく出てこなかったのである。
こんなに恐怖心を起こさせたとは、こちらも予期していなかった。
そこで、あとは一生懸命抱っこしたり、なでなでしたりして、関係の修復をはかった。
それは、一応功を奏したようである。
動物を飼った事がないのだけど、
順位づけがあるというのはなんとなく
知っておりましたが先に家にいたからって、
ここまであからさまなものなんですな。
先人の知恵を継承されたエピソードの
「傘での威嚇」はユニーク。
菊君、若干気の毒だけど、びっくりしただろうな。
この書は長谷川先生の興味の成り立ちから
紆余曲折のストーリー展開が読んでて楽しい、
柳澤桂子先生とはまた別の深淵なる思考の塊からの
行動とその顛末が爽快でございます。
学者さんで本出してるという図式だけでは
捉えきれない、人生の悲喜交々が
心を打つのでございまして感慨を禁じ得ないが
それはさておき、そろそろ夜勤のための腹拵えを
しないとっていう時間になってまいりました。