柳澤桂子先生の好きなもの [’23年以前の”新旧の価値観”]
▼本
小林秀雄の作品
田辺聖子の作品
▼音楽
ヴェルディー「シモン・ボッカネグラ」「椿姫」「海賊」
▼好きな演奏家
▼好きな声楽家
▼好きな画家
▼好きな花
▼食べ物
なるべく手を加えていない生もの、魚のあら、和菓子、洋菓子
美しいものはなんでも好きです
自分とほとんど被るところがなくて、
同じと思ったのは今のところ
”小林秀雄”と”あじさい”だけだった。
音楽に関していうならロックという
ジャンルはお好きではないのだろうか。
少し世代が上だったのだろうか
60年代の黄金時代は。
自分が世代が下なのに60年代にハマって
しまったのがおかしいのだろうけど。
あらためて時間のあるときに
検証させてください。
どうかよろしくお願いいたします。
かしこ
2冊の書から”軍産学の科学と近代日本”を考察 [’23年以前の”新旧の価値観”]
のっけから余談で恐縮ですが、
”みすず書房”って装丁や書体が
とても味わい深いし内容も興味深い。
社内外に目利きが全部じゃないだろうけど
多くいるような気がしていて、
骨太な出版社だと感じていてリスペクトしています。
”筑摩書房”や”講談社学術文庫””や岩波文庫”も
一目置かせていただいております。
序章 新しい科学者倫理の構築のために
から抜粋
これまで多くの科学倫理に関する本が書かれてきたが、本書はおそらく「科学者は軍事研究に手を染めるべきではない」と主張する最初の本になると思っている。
言い換えれば、これまでの科学倫理に関する書物は、科学研究における不正行為や研究費の不正使用がいかに倫理にもとるかについて述べることを主眼とし、そのために従うべき倫理的な科学研究とは何かを説くものばかりであった。
科学に多くの資金が投じられるようになるにつれ、必然的に不正な手段で利益を得ようとする科学者が多くなり、それを防止するために、科学者に対し科学倫理を説くことが求められたためである。
それはそれで必要なことだが、このような科学倫理の書だけでは、決定的に欠けているテーマがあった。
科学者及び技術者が軍事研究に手を染め、戦争で人間が効率的に殺戮するための手段の開発研究に深入りしている問題で、これこそ問われるべき科学者・技術者の倫理問題と言えるはずである。
アメリカの場合 から抜粋
アメリカの軍事予算は60兆円以上で国家予算の20%以上を占め、日本の軍事予算の10倍以上である。
軍事開発の研究費は全分野の研究予算の半分以上を占めていて、8兆円を超している。
いずれも世界一である。
これからもわかるように、アメリカはいわば軍事国家であり、科学者が軍事研究することを当たり前とするお国柄なのである。
アメリカは技術者の倫理(工学倫理)が強く叫ばれ、技術者の社会的地位を高めるという意図もあって、厳しい「技術士資格」が確立している。
ところが、技術士資格試験においては技術の軍事利用に関する倫理的考察や行動規範は考慮の外で、軍事開発は重要な技術の応用先の一つとか考えられていない。
実際、アイゼンハウワー大統領が離任演説で警告したように、アメリカにおいては「莫大な軍備と巨大な軍需産業との結びつき、つまり軍産複合体が大きな影響力を行使することで自由や民主主義が危険に曝される」ことが問題とされてきた。
そのような状況が続く中、最近は「軍産学複合体」と呼ばれるようになっている。
「軍と産」の結びつきに「学」を引き込むことが不可欠となってきたのである。
実際、ミサイルや核兵器の開発のみならず、AIを用いた無人戦闘機や殺人ロボットなどの開発、サイバーセキュリティと呼ばれるコンピューター管理、対テロ戦争を想定した生物・化学兵器対策、電磁パルス弾のような新兵器の検討など、進展する技術を応用した最先端の武器開発を行うために、「学」を動員することが当然視されるようになってきている。
日本の場合 から抜粋
日本においても科学(者)倫理に関わる本において、軍事研究に携わることは科学(者)倫理に反すると明確に書いているものはまだなく、おそらく当分現れないだろう。
その理由として日本には誇るべき特殊事情があった。
日本の大学を始めとする「学」セクターは、戦争前及び戦争中、国家や軍の意向ばかりを尊重して、世界の平和や人々の幸福のための学問という原点を失っていた。
敗戦後、そのような科学者集団であったことを反省して、日本学術会議は1950年に「戦争を目的とする研究には絶対従わない」という声明を決議した。
これは日本国憲法の平和主義の精神に則った決意表明で、軍事研究を当然とする世界においては稀有なことであった。
おそらく、1947年に軍を持たないことを決議して、今なお軍事予算ゼロを貫いているコスタリカを除いて、こんな国はなかっただろう。
もう一つの理由は、科学者の軍事研究の問題には、日本の安全保障について意見が分かれることが多く、これがせいかいだとなかなか一意的に示すことができないことがあった。
日本国憲法第9条で規定されている「戦争の放棄」と「戦力不保持」を堅持して、一切の武器を持たずに平和外交に徹すべきとする立場もあれば、自衛権まで放棄しているわけではないから自衛のための戦力保持と自衛戦争は可能とする立場もある。
前者の立場を立つと、たとえ自衛のためであっても科学者の軍事研究に反対することになるが、後者の立場では自衛のための軍事研究は当然許され、むしろ激励すべきことになる。
とすると、科学者の軍事研究への参加については自分の立場を明確にしないと意見が述べられず、そこまで踏み込んで倫理を説く人間が現れなかったのである。
科学の二面生 から抜粋
本書で問題とするのは、いま各国で競われている科学技術の軍事利用である。
すべての科学技術の成果は、人々の生活を豊かにし環境条件を向上させるため(民生利用)にも、戦争で敵を殺傷し戦術・戦略を効率的にするため(軍事利用)にも使うことができる。
これをデュアルユース(軍民両用技術)という。
複数の電波源からの電波を受信することによって、潜水艦やミサイルや軍の部隊の現在位置を正確に定めるGPS(軍事利用)が、自動車に搭載されて目的地に向かう自らの位置を確認するためのカーナビ(民生利用)に使われるのが、一例である。
GPSは軍事利用が先で、その後に民生利用された。
インターネットがまさに”デュアルユース”だよなと。
”ドローン”や”AI”もそうか。
”センサー”や”ロボティクス”も含まってしまうのか。
あとがき から抜粋
本書は科学者になることを目指す若者に読んで欲しいのだが、読書習慣をあまり持たない若者である場合には、周辺の人々(肉親や友人や大学の教員や事務官・技官など)が本書を読んで、科学者と軍事研究の関わりについて知るとともに、若者と対話するための材料としてもらえれば幸いである。
近代日本を考察するときって
世界を見ないとならない。
特にアメリカ抜きには語れない。
まえがき から
「日本という国」。
この本の読者は、ほとんどがこの「日本の国」に住んでいる人(日本国籍ではない人も含めて)だと思う。
この国のこと、そのしくみや歴史を知り、いまの状態がどうやってできてきたかを理解する。
そういうことはめんどうくさいけれど、必要なことだ。
なんといっても、私たちはこの国に生きていて、この国が進む方向によって、自分の運命も左右されかねないのだから。
あとがき から抜粋
この本が最初に出版されたのは、2006年でした。
日本社会についていえば、「格差社会」という言葉が流行語大賞にあがったのが、ちょうど2006年でした。
それから世界金融危機がおこり、政権交代があり、震災と原発事故がおきました。
2006年には、スマートフォンも発売されておらず、YouTubeもできたばかりでした。
また日本の国際的位置も、変わりました。
たとえばドルで換算した中国のGDPは、2000年には日本の約4分の1でした。
それが2010年には日本を抜き、2017年には日本の3倍近くなりました。
しかし、日本の社会や国際的位置は大きく変わったけれど、変わっていないことがあります。
それはこの本であつかった、明治からの近代化のあり方と、アメリカとの関係です。
明治からの近代化のあり方は、今でも日本に影響を残しています。
西洋に追いつき、追いこせ、植民地にされないために、強く豊かにならなくてはいけない。
一言でいえば、これが日本の近代化の動機だったといってもよいでしょう。
この近代化のあり方は、植民地化を逃れ、周辺地域を勢力圏に収めたあと、戦争に負けることでいったん挫折しました。
しかしその後、復興と経済成長によって、1980年代には経済大国とよばれるに至りました。
しかし、経済大国になったあと、日本は目標を失ってしまったようでした。
強く豊かになったあと、どうするのかまでは考えていなかった。
そんなふうに、他国からは見られていたようです。
考えてみれば、軍事的な強さも、経済的な力も、それじたいは目標になりえません。
軍事力や経済力を使って何をするのかのほうが問題なのです。
それを考える余裕がなかったのが、明治以降の日本だったといえるかもしれません。
戦後の日本という国は、いろいろな意味で、アメリカとの関係の中で形づくられてきました。
象徴的なのが、日本国憲法と日米安保条約です。
この二つは、アメリカの存在と大きく関係しています。
そして、この二つが奇妙にからみあったかたちで、日本のあり方を決めています。
敗戦直後の状態から、高度成長やバブル経済などを経て、日本社会が変化していっても、この二つは変わりませんでした。
冷戦が終わり、他のアジア諸国が経済的に成長して、世界が大きく様変わりしても、この二つは変わりませんでした。
私としては、この本の最後に書いたように、アジア諸国と新しい関係をつくり、そしてアメリカとも新しい関係をつくれば、日本経済にかげりが出て、中国が台頭すると、ますますアメリカとの関係をかつての形に保とうと望んでいる人も多いようにさえ見えます。
それはまた、「もういちど強く豊かになろう」という、かつての目標にこだわり続けていることとも重なっているようです。
つまり、明治からの近代化のあり方と、戦後からのアメリカとの関係は、今でも日本に大きく影響しているといえるでしょう。
「もういちど強く豊かになろう」というのは
小泉さんや亡くなられた安倍さんが
思いつくのだけど今でも継承されている気が。
「豊か」にはなってほしいが、
「強く」なる必要はないと思うし
さらに「豊か」というのは
”経済”とイコールではないと感じるのは
自分だけだろうか。
必要なものを必要なだけっていう
世の流れと逆行していると思わざるを得ない。
今すぐに変えるってのは難儀な事なのだろうが
まずは疑問を持つ人が増えてほしいなと
科学やアメリカ、日本を考えてたら
なんかシリアスになってしまい、
プライベートなことで複数の友人から
暗いメールが続き惨憺たる有様になりつつも
今夜は仕事なので準備をしっかりして
挑みたいと殊勝に考えている
秋の早朝読書でした。