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夏目琢史先生の書から”ヒトの弱さ”を考察 [’23年以前の”新旧の価値観”]


アジールの日本史

アジールの日本史

  • 作者: 夏目 琢史
  • 出版社/メーカー: 同成社
  • 発売日: 2009/07/01
  • メディア: 単行本

この書へのきっかけは


記憶になくて恐縮ですが多分


”アジール”という単語に惹かれたのと


記憶違いでなければ内田樹先生がどこかで


言っておられたような。


違ってたら陳謝でございます。


はじめに から抜粋


苦しめられた人びとが行き着く先のことをアジールという。

アジールに入れば、世間を跋扈(ばっこ)するさまざまな俗権力の一切が干渉できない。

たとえ犯罪者であっても、ひとたびアジールに入り込めば、その罪は許されてしまうという。

このような場は古い時代の夢物語ではない。

我々の先祖は常にこのようなアジールをめざし、そしてそれをつくりあげるために戦ってきたのである。


古今東西さまざまな文献や資料を目にしていく中で、これまで一般的に言われてきたのとは違うあることに気づいた。

それは、アジールが決して古い時代の原始的な遺物ではなく、人間が社会的動物として生きるために創出したきわめて近代的・文明的な装置である、ということだ。


昨今の経済・金融危機に際して、時にはネットカフェやファーストフード店がアジールとなったり、お寺が再びアジールとしての機能を発揮したりしているのが何よりもそれを物語ってくれている。


具体的な話で考えてみよう。

日露戦争後のポーツマス条約締結の際、賠償金が得られなかったことに激怒した日本国民が暴徒と化し、交番などに焼き討ちをかける事件が起きた。

日比谷焼き討ち事件である。

これをみたアメリカの新聞社は次のように報じたという。


日本は異教徒の国であるが、たとえ宗教が異なっていても、神に祈りを捧げる神聖な場所を焼き払い破壊するのは人間ではないことを示す何よりの証拠である。

日本人は戦争中、見事な秩序と団結で輝かしい勝利を得た。

彼等は人道と文明のために戦い、講和条約の締結にもそれを感じさせた。

しかし、東京騒動は、日本人が常に口にしていた人道と文明のためという言葉が偽りであることを明らかにした。

彼等は黄色い野蛮人に過ぎない。

(平間洋一『日英同盟』PHP新書、2000年)


ここから気がつく通り、他の宗教の権威を認めようとしたり、他者に対する慈悲を心がけたりする心理構造は、野蛮というよりもむしろ文明的なものである。

実際、「聖的・呪術的なアジール」などといわれるものは、物理的暴力や俗権力の介入に対して場当たり的で脆弱なものだった。

それよりも、よりはっきりとした形のアジールが歴史の中でしだいに形成されてきているのである。


「未曾有」の時代といわれる昨今の危機は、たしかに深刻なものであるが、歴史上にはさらに過酷な時代があった。

その時々に応じて人間はどのように対応したのか。

アジール創出へ向かう力とそれを押し戻す力との拮抗の歴史を検証し、あらたな意味でのアジールを形成するにはどうしたらよいのか、そうしたことを考えてみたい。


第一部 アジールとは何か


第1章 アジールの定義


第1節 アジールをめぐる研究史の概観 から抜粋


「アジール」という言葉は、いまや、歴史学や宗教学という学問の枠を超え、それこそさまざまな研究者や評論家によって論じられている。


このアジールという言葉に脚光を浴びせた、その流行の一つの起点となったのは、1970年代に日本の中世史家・網野善彦が発表した『無縁・公界・楽』である。

この著書の絶大な影響をもとに文学・心理学・政治学・社会学・日本史学・西洋史学・民俗学等のそれぞれの学問領域でアジールは語られることになった。


このような潮流は、たしかに当初は、丸山真男がかつて指摘したようなアカデミックの「タコツボ型」に対するアンチテーゼ(「共通の基盤」)という側面を持っていた。

しかし、アジールという概念のそもそもの曖昧さからそれぞれの研究者によって多様な理解が生まれてしまい、結果的には研究の息詰まりを招いてしまったように思われる。

その証拠に今日ではアジールを積極的に論じようとする研究者はほとんどみられなくなってしまった。


第2章 日本中世はアジールの時代なのか?


から抜粋


日本の中世は、一般的に、アジールが広汎にみられた時代だと認識されている。

このような「常識」が、戦前には平泉澄、戦後では網野善彦によって創り出されてきたということはよく知られているが、はたしてこのような見方がほんとうに正しかったのであろうか。


なるほど日本中世の研究書の中には、「アジール」という用語を引用したものが現在でもかなり多くあり、一見すると西洋の中世と同様にアジールが認められていた社会のような印象を受ける。

しかし、それらを具体的にみていくと、実はほとんどが抽象的な引用であって、史料的な裏づけがなされているものはほとんどみられない。


比較的研究の多くみられる「都市のアジール」についても、挙げられている史料は戦国期のものがほとんどであり、日本中世=アジール隆盛の時代という単純な理解は成立しないのではないか。

もちろん中世にアジール的な事例があまりみられないことについて、史料の相対的な少なさや書き手側の階層的な制約などがあることを考えなくてはならないが、それにしてもその量はあまりにも少なく、むしろ逆にアジールを否定するような史料が多いことに気づく。


結論から述べて仕舞えば、筆者は日本の中世にアジールが広汎にみられたという見解には否定的であり、西洋中世にみられたアジールは日本中世においてはごく限られた場合にしか機能していなかったと考える。


すごいです。


調べっぷりや分析力、網野先生への懐疑など


なかなかできることではないですよ。


若いからできることなのかも。


網野先生について、先日読んだ


平川克美さんの書にもあったので、


他の本があったと思い探したが


見つからずだった。またの機会に。


さらにすごいのが「あとがき」でした。


あとがき から抜粋


本書における筆者の関心の第一は”生きる”とは何か、もっと言えば”幸せに生きていくにはどうすればよいのか”ということにあった。

最後の章で、近代社会におけるアジールを「想像力」や「縁切り信仰」に結びつけたことに対して、読者の中には「単なる妄想にすぎないのではないか」「幼稚ではないか」といった疑問や批判をもった方もおられるかもしれない。

しかし決して逃れられない苦痛や不幸に、いざ立たされたとき、人は自分の心の「想像力」(夢や可能性)に希望の光を見出し、神頼みをすることで心の安堵や自分のめざす目標を再認識することができる

これは苦しみから逃れる唯一のアジールにほかならなく、単なる逃避や逸脱として考えるいはあまりに寂しいものではないだろうか。

これが筆者のアジール論の帰結である。

最初、筆者はアジールを「犯罪者がそこに入った場合、その罪が問えなくなる空間」として捉えた。

しかし、近代社会のなかではもうこの概念は成立しえない

「そこに入れば苦しみを逃れられる空間」、これこそがまさしく近代のアジールであった。


自分も普段は神仏を意識はしないものの


ここぞという時に、願掛けの意味を込めて


近くの神社仏閣にお参りに行ったりして


人間って弱いよなあ、すがりつくしか出来ないのかあ


と心底感じた事が、それが”アジール”だったのか。


それにしても歴史が古い、というか


人間の持っている性(さが)とか業(ごう)


みたいなものなのかもしれないと思うと


古いとかの話ではないのかもしれない。


話を書に戻させて頂きまして


この”あとがき”の帰結が興味深いのは、


最初の仮説を最後に変えてみせるところで、


これを素にさらに進化しそうな感じでして。


しかしこれを2007年頃か、卒論で出されちゃあ


正直、ビビるよ先生は、多分。


この書籍、図書館で借りてしまったのだけど


新書にして出してほしい、増補・改訂版として。


さらに網野先生や阿部謹也先生も併読すると


理解が深まりそうで、”中世”には左程でも


ないのだけど”世間”とか”社会”とかいった”秩序”の中で


家族と仕事しながら暮らしていると


どうしても関わらざるを得ないテーマであるため


夏目先生のあらたな書を読みたいと思わせる


秋の休日の夜、虫の声が聞きながらでございます。


 


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若松英輔先生の書から”詩と心”を考察 [’23年以前の”新旧の価値観”]


言葉を植えた人

言葉を植えた人

  • 作者: 若松 英輔
  • 出版社/メーカー: 亜紀書房
  • 発売日: 2022/09/27
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

NHK「100分de名著」に


指南役で出演されておられた若松先生。


そこでの語り口が印象的で本書を読んでみた。


あとがき から抜粋


福永武彦に『意中の文士たち』、『意中の画家たち』と題する著作がある。

題名通り、この作家が真に愛した文学者、画家たちをめぐってつむがれた文章が収められている。

作品もさながら、作者自身が書いた文字が印刷さらた函入りの本は、そのたたずまいが「意中」とは何かを無言のまま語っている。


この本にならって、本書も『意中の人たち』という題下に世に送りたいと考えていた。

もちろん、本書で十分にふれ得なかった「意中の人」はいる。


結局、書名を改めたのは、「意中」という言葉が、福永の時代のように生きた意味を伝えなくなっているということもあるが、何よりも、作成の最終段階になって、本書の主眼が明らかになったからでもあった。

この本で浮かび上がらせたいと願ったのは、私がこれまで、誰に影響を受けたかということよりも、折々に出会った言葉のちからをめぐる事実だった。


言葉との邂逅は、ふとした会話の中であったとしても、人生を変えるに十分な出来事になる。

そして、どこからともなく選ばれてきた言葉はしばしば、人が心と呼ぶ場所よりも、さらに深い場所に届いて、人生を支えるものになり得る、ということだった。


言葉のみが何かを語るのではなく、語られた言葉が、浮かび上がらせる沈黙の意味を深める。

こうした出来事は確かにあるし、本書で取り上げた人々からはそうした沈黙を通じて学んだ。

改めていうまでもないようなことでもあるが、分かち合われた言葉は記録に残るが、湧出した沈黙は文字にはならず、それを受け取った者の魂で生き続けるだけだ。

記録に残らないということと存在しないことは同じではない。

だが、現代人は、この厳粛な事実を忘れていることがある。


言葉を支えているのは沈黙であり、人生を深いところから包み込むのもまた、沈黙だと福永は感じていたのだろう。

さらにいえば、彼にとって文学とは言葉に導かれながら、沈黙の意味を感じることですらあっただろう。


「匂う」という言葉が、嗅覚に限定されるようになったのは、現代のことで、この言葉は本居宣長の歌に「朝日が匂う」という表現があるように光が醸し出す気配を示す言葉だった。

福永武彦にふれながら宣長に言及するつもりはなかったが、この二人はともに『古事記』をめぐって、それぞれにとって重要な仕事があるから、読み重ねていくと、意外な発見があるのかもしれない。


2022年8月 若松英輔


特定のジャンルということはなく


若松先生の興味のある人物を中心に


先生の言葉を紡がれておられていて


自分も興味のある人が何人かおられた。


中でも吉本隆明さんは最初に読んでしまった。


2008年吉本邸にお伺いされた時のこと


最初の会話が唐突感がすごく面白くて


夜勤の休憩中だったが爆笑してしまったが


ここではそれはカットするとして。


詩人はなぜ、思想家になったのかーーー吉本隆明の態度


から抜粋


自分だけが悟ることをの望まない、むしろ、隣人と共に苦悩の道にあることを希うこと、それが「大無量寿経(だいむりょうじゅきょう)」に描かれている菩薩の道だった。

悟りと呼ばれる場所から遠く離れた親鸞は菩薩の道を歩く者だった。

吉本にとって親鸞は、いわゆる宗教者ではない。

むしろ、狭義の「宗教」という枠を壊そうとした先行者だった。


ある時期まで、宗教を語る吉本隆明の言葉に強い抵抗を感じていた。

内心には鋭い反発すらあった。

この人物は思想家としては現代日本を代表することは論を俟(ま)たないが宗教の問題は別だ。

信仰を持たない人が宗教を語るときに陥りがちなところに、彼もまた陥っているに過ぎないと思っていた。


だが、この時の対話で誤認していたのはこちらだったことを痛いほどに知らされたのだった。

彼は「宗教」を至高の価値のようには認識していない。

勝手にそう思い込んでいたのはこちらだった。

宗教もまた、人間の作った不完全な営みの一つであることを、彼はけっして忘れない。

宗教的経験もまた、思想的経験がそうだったように、人間の精神を蹂躙(じゅうりん)し、大きく誤らせる。

他を愛することを説くはずの宗教が、現代ではもっとも根深い争いの種子になっていることから彼は目を離さない。


経験が人間を深化させることを、彼は信じていないのではない。

しかし、そのために宗教の門をくぐらなければならないという説に彼は同意しない。

人生の出来事と呼ぶべき事象はあらゆるところで起こっている。

それを特定の領域にのみ生起するかのような議論に与(くみ)することがないだけだ。


詩とはなにか。

それは、現実の社会で口に出せば全世界を凍らせるかもしれないほんとうのことを、かくという行為で口に出すことである。

(「詩とはなにか」『吉本隆明全集6』)


詩とは「ほんとうのこと」に言葉という姿を与えることであり、そこで発せられたものは全世界を凍りつかせる力をもつ、というのである。

比喩ではない。

彼は文字通りこうした言葉の響きを信じた。

吉本は、世界を土台から刷新することができるのは、言葉であることを深く自覚していた現代日本では稀有な思想家だった。


語らざるものからの手紙ーーー石牟礼道子(いしむれみちこ)


石牟礼道子の代表作は『苦海浄土』である。

しかし、読み通すのは簡単ではない。

難解だからではなく、問題があまりに厳粛であり、人間という存在の業の深さを思い知らされるからだ。


石牟礼道子の世界へは随筆から入るのがよい。

なかでも『花びら供養』の冒頭に置かれた「花の文をーー寄る辺なき魂の祈り」をすすめたい。


この一文で石牟礼は、水俣病が原因で亡くなったきよ子という女性にふれる。

石牟礼は生前の彼女を知らない。

その母から話を聞いているだけなのだが、そこに生起しているのは、生者と生者の出会いとは別種な重みをもった邂逅(かいこう)なのである。


きよ子の母は、娘が生きる姿を切々と石牟礼に語る。

思うように身体を動かすことも語ることもできなくなったきよ子が体現したものを、畏怖の心情とともに証言者のように吐露する。


桜が咲いている春の日のことだった。

母は用事があって家を留守にしていた。

戻ってみるときよ子がいない。

彼女は自由にならない身体で縁側から転げ落ちるように庭先に這い出て、もう充分に動かなくなった指で舞い落ちる花びらを拾おうとしていたのである。

母が慌ててかけよると、きよ子は曲がった指で花びらを地面ににじりつけ、肘からは血を流していた。

そのときの様子を母はこう続けている。

「あなた」と記されているのは石牟礼である。


「おかしゃん、はなば」ちゅうて、花びらば指すとですもんね。

花もあなた、かわいそうに、地面ににじりつけられて。

何の恨みも言わじゃった嫁入り前の娘が、たった1枚の桜の花びらば拾うのが、望みでした。

それであなたにお願いですが、文(ふみ)ば、チッソの方々に、書いて下さいませんか。

いや、世間の方々に。

桜の時期に、花びらば1枚、きよ子のかわりに、拾うてやっては下さいませんでしょうか。

花の供養に。


ここでの「花びら」は、個々の人間に宿っているいのちの輝きでもある。

また、「きよ子」は、苦しみを生きたひとりの女性でありながら同時に、語ることを奪われた人の象徴になっている。


「生きがい」の哲学の淵源ーー神谷美恵子


から抜粋


神谷美恵子は医師であり、『生きがいについて』や『こころの旅』などを書いた著述家であり、ローマの五賢帝の一人マルクス・アウレリウスの『自省録』などを訳した優れた翻訳家でもあった。

20世紀フランスを代表する哲学者ミシェル・フーコーと交流し、いち早く紹介した現代思想家でもあった。

そして彼女は、家庭人としては、妻であり、母親だった。


また、若き日から彼女はすでに、超越的世界を探求する真摯な求道者だったことも見過ごしてはならない。

その思いは詩に結実している。

その軌跡は未発表の詩を含む新編刺繍『うつわの歌 新版』に詳しい。


優れた思想家の主著は、その哲学だけでなく、生涯をも浮き彫りにする。

彼女の代名詞にすらなった『生きがいについて』も例外ではなかった。


この本を神谷は次の一節から始めている。


平穏無事なくらしに恵まれている者にとっては思い浮かべることさえむつかしいかもしれないが、よのなかには、毎朝目がさめるとその目ざめるということがおそろしくてたまらないひとがあちこちにいる。

ああ今日もまた1日を生きていかなければならないのだという考えに打ちのめされ、起き出す力も出て来ないひとたちである。


「生きがい」を感じるのは「自分がしたいと思うことと義務とが一致したとき」だと神谷は書いている。

「生きがい」の発見は、願望の成就とは異なる。

人が、何かのために自己の営みを注ぎ込むときに起こる出来事だと神谷はいう。

また、「人間から生きがいをうばうほど残酷なことはなく、人間に生きがいをあたえるほど大きな愛はない」とも書いている。


この本は発刊から48年経った今でも、新しい読者の手に取られている。

20世紀日本を代表する著作の一つだといってよい。

だが、今日私たちがこの本を読むとき、そこに刻まれている叡智が、愛生園に暮らす人々の生涯から生まれていることを忘れてはならない。


生命のつながりーー中村桂子


から抜粋


中村桂子が「生命」というとき、ある個体が生きていることを意味するだけではない。

むしろ、個を超え、種を超え、さらには時代を超えて受け継いできた躍動するエネルギーを指す。

さらに「生命誌」と彼女が書くとき、無数の生きる営みによって編まれた、そして、編まれ続けている、「いのち」の歴史を刻んだ見えない「書物」が浮かび上がってくる。


生きる 17歳の生命誌』と題する本書は、これまでの彼女の仕事をまとめた選集の一冊である。


本書では、詩人まど・みちおの作品にふれながら、作者が科学の真髄を語るという独創的な作品がある。


犬は呼吸し、人も呼吸する。

しかし、ロボットは呼吸しない。

もちろんどんなに優れたシステムも同じである。

彼女はこれから人生という航海に旅立とうとする17歳の若者たちに向けてこう語る。


普段空気を吸っているときに、このようにつながりを感じることはあまりないでしょう。

でもマドさんの詩とそれを裏付ける科学的事実を知った今では、空気を通してあらゆるところにいる生きものとつながっているのだ、という気持ちを忘れないでいただきたいのです。


人と自然という視座は、現実を反映していない。

自然の中で生きている人を感じ直さなくてはならない。

「生命」は孤立していないことをもう一度認識し直さねばならない場所に、私たちはいるのではないだろうか。


吉本隆明さんは詩人という印象はあまりなく


ご健在の時は思想家・評論家の活動をされていた。


他の方達の文章もそれを引いている若松先生の


文章も流れるような筆致で良質な詩に触れたような。


とはいえ”詩”がなんなのか分かっていないけれど。


余談だけれど”詩”には興味はもちろんあるのだけど


なかなか手が出ないのはなぜかと問うてみるが、


たいした理由なぞはないのだけど


平易にみえて難解なイメージがあるからのような。


知的すぎて近寄れないような。


メロディがある「歌」の方が圧倒的に馴染みがあって


「詩」は後からついてくるみたいに思っているのか


というのはどうでもいい10月、寒くなり


家で読書というのが良い季節になってきましたな。


 


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池内了先生の2冊から”科学とモラル”を考察 [’23年以前の”新旧の価値観”]


科学者と戦争 (岩波新書)

科学者と戦争 (岩波新書)

  • 作者: 池内 了
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2016/06/22
  • メディア: 新書

過日読んだ書の源泉のような


2冊を読んでみた。


はじめにーーー軍学共同が急進展する日本


から抜粋


日本が集団的自衛権の行使を可能とし、同盟国の支援のために海外に自衛隊を送って武力を行使する道を開いた現在、自衛隊は堂々たる軍隊になったというべきだろう。

安倍晋三首相が自衛隊を「わが軍」と呼んで名実ともに軍隊であることを世界に誇示したが、世界各国も日本国軍隊と認知していることは確かである。

したがって、自衛隊およびそれを管理・運営する防衛省を「軍」と呼び、防衛省と大学や研究機関の研究者(「学」)との共同研究を「軍学共同」と呼びことに異論はないであろう。

本書は、政治の保守化・軍事化と軌を一つにして軍学共同が急展開する日本の現状をレポートしたものである。


第4章 軍事化した科学の末路


軍事技術の限界 から抜粋


軍事研究は、結局は戦争に勝つため、あるいは「抑止力」として敵を怯ませ、攻めてこないようにするための技術開発である。

だから、省エネルギー・省資源とか環境への影響といった観点は無視されてしまう


一般に、科学の法則は一つだが、それを技術化する方法は複数ありうる。

そのため、新技術は特許を通じて一般公開され、その特許を参照することから、より合理的な別の方式が考え出され、より洗練された技術に育っていく。

たとえば、性能が良い、エネルギーや資源の消費が少ない、安全で扱いやすい、といったさまざまな面で最善の方式が探され提供されていく。

民生品はこのような過程を経て、市場で生き残ってきた製品といえる。

これが技術的合理性といわれる。


ところが軍事開発となると、投入するコストやエネルギーは問題ではなく、運用のための追加コストや環境倫理は無視され、ひたすらパフォーマンスとして何が可能になるかだけしか眼中になくなってしまう。

そして、たまたま成功した一つの技術方式だけに精力が注がれ、それより良い方式を工夫することがなくなり、技術レベルはそこで止まってしまうのだ。

あるいは行き詰まっても軍事研究であるため秘密のままだから新しい試みがなされず、可能性を秘めた別方式の技術があっても立ち枯れてしまうことにもなる。


おわりに から抜粋


社会に責任を持つ科学者 から抜粋


原爆の開発という事態に衝撃を受けた朝永振一郎は、科学者は科学のことだけを考えるだけではいけない。

科学の内実を市民に知らせ、市民が間違いのない選択をする手伝いをしなければならない、それが核時代の科学者の倫理であるとして、


科学者の任務は、法則の発見で終わるものでなく、それの善悪両面の影響の評価と、その結論を人々に知らせ、それをどう使うのかの決定を行うとき、判断の誤りをなからしめるところまで及ばねばならぬことになる。」(「平和時代を創造するために」)


また、加藤周一は、軍産学共同への批判として、

「自分の知識とか頭脳を権力を強化するために使うというのは、人民に対する一種の裏切り」(「教養の再生のために」)と述べている。


また、彼は「戦争を批判するのに役立たない教養であったら、それは紙くずと同じではないのか」とも言っている。


最後に、ガンジーが残した、

 

 人格なき学問、人間性が欠けた学術にどんな意味があろうか

 

という言葉を記しておこう。

常に肝に銘じておきたい言葉である。


科学者と軍事研究 (岩波新書)

科学者と軍事研究 (岩波新書)

  • 作者: 池内 了
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2017/12/21
  • メディア: 新書

まえがき から抜粋


前著の『科学者と戦争』を出して以来、一年半経った。


本書では、2015年に発足した「安全保障技術研究推進制度」を中心とする軍学共同の、その後の2年間足らずの間の状況を報告するとともに、より広く進展している日本の科学の軍事化の状況、日本学術会議の議論や「声明」の発出の経過、イノベーションばかりを強調する日本の科学技術政策の現状、などをまとめる。


さらに軍学共同を拒む大学がある一方、受け入れようとする大学が存在する(今後、増えていく可能性がある)ことも含め、大学(特に国立大学)の置かれた実情について報告する。


今大学は、国家から求められる厳しい競争環境の下で、国民の公共財としての知の生産と継承を行う「知の共同体」から経済倫理に隷属してもっぱら知を消費財として商品化する「知の企業体」と化しつつある


その背後には「大学改革」と言う名の行政からの「改革」の押し付けがあり、端的には大学の財政逼迫の問題として現れている。

そこに付け込んで「軍学共同」が大学に入りつつあり、また産学官連携に軍学共同が合体して軍産学複合体形成が大きく進む情勢である。


そもそも、このように軍学共同が急進展するきっかけになったのは、2013年12月17日になされた安倍内閣の、今後の総合的安全保障戦略を宣言した三つの閣議決定である。


その三つとは、


国家安全保障戦略


平成26年以降に係る防衛計画の大綱


中期防衛力整備計画


で「積極的平和主義」のもとでの軍拡路線を


展開されていた、と。


素朴な疑問だけど、当時安倍さんは何をしようと


企んでおられたのだろうか、そして


なにゆえそこまで駆り立てられていたのだろうか。


その原動力、発芽はどこにあったのか。


検証する意味はそれなりにある気がする。


価値はあまり認められないかもしれないけれど。


第1章 安全保障技術研究推進制度について から抜粋


前著『科学者と戦争』では、防衛装備庁が創設した「安全保障技術推進制度」の2016年度の公算段階まで述べた。

現在ではすでに2017年度の採択結果が発表されているが、以下ではまず2016年度の応募・採択状況を取りまとめ、2015年度からどのように変化したかを振り返る。

その後、2017年度の結果を議論する。

というのは、2017年度の応募・採択状況は、過去2年間の実績とは大きく異なっており、別個に論じた方が良いと判断したためである。


実際、最初の2年間の結果は多くの点で示唆的であり、装備庁の隠された意図が見えるし、また私たちの運動との関連も議論できるからだ。


「私たちの運動」とは、池内先生が立ち上げた


軍学共同反対連絡会」のことのよう。


この後、いかに当時の日本の時の政府が


都合の良いように新法律を制定し乱立、


茶番劇を繰り返してきたかは、ご存知の通り。


秘密保護法」は2013年で今思うと


これらの伏線だったのでしょうなあ。


多くの大学研究が軍事利用されていく、


それも研究費欲しさに、研究力競争のために、


研究者のモラルをすり抜け、だからこそ研究者よ、


原点に帰り、正しい感性を、と、


超端的にいうとおおよそそんなことを指摘されるよう


読み取れるのだけど、浅学ゆえ全然違ってたら陳謝。


余談だけど”大学改革”って、2015年ごろのラジオで


内田樹先生が神戸の学校で教鞭取られてた頃


独立行政法人の手続きが超面倒くさくて、


ビジネス化するんじゃねえ、


国家の教育への見当違いも


甚だしいぞって仰ってたのと、


(こんな雑な言い方してませんよ念のため)


間接的に関係がありそうな気が。


第4章 科学者の軍事研究推進論


自衛という意識 から抜粋


つまり、武装開発は止まることがない

そして、結局核兵器の開発にまで及ぶのである。

「核兵器開発を誘われたら断りますよ」と現在の時点では言えるかもしれないが、核兵器こそ祖国防衛の命運を握っているとか、敵の攻撃を抑止できるのは核兵器しかないと言われて、開発費と人員と資材と秘密を守る約束が与えられれば、それを拒否できるだろうか。

さらに、「核兵器の保有・使用は、現在の憲法の範囲では許容される」との閣議決定があることを押さえておく必要がある。


核兵器開発は国家として禁止しているわけではないのである。

だから、いったんタガが外れると核兵器開発へ傾れ込んでいくのは必然だろう。


ある大学の教員にこの話をしていると、「突き詰めて考えると、結局、池内さんが言うように非武装論にならざるを得ないのですね」と言い、いささか残念そうであった。


「あなたが一気に非武装論者になる必要はなく、自衛隊の存在を主張しても別に構わない。しかし、なぜ自衛隊を存続させたいのか、しっかり考える必要がある。災害の救助で非常にお世話になっていることが理由なら「戦地復興隊」として道路や橋や港の修理・整備に当たればいい。

いずれも丸腰でやれることだし、それに限るのではどうだろう?」


国民の多くは災害救助を行う自衛隊を見て、自衛隊の存在を当然視し、自衛隊によって国が守られているとの意識が強く刷り込まれている。


北朝鮮が盛んにミサイルを発射してアメリカ(や日本や韓国)を挑発しており、政府は「Jアラート」を発して地方自治体にミサイル落下の防衛措置をとるよう要請している。


今の状況は、政府が北朝鮮のミサイルや核実験の恐怖を煽って国民を怖がわせ、それによって軍事力を増強する圧力にしようという魂胆であることは確かだろう。

国家が危険な状況にあること(国難)を振り撒き、軍事化路線を強めるという昔から繰り返されてきた策動に乗せられてはならない。


あとがき から抜粋


しかし、ツラツラ考えているうちに、安倍晋三が首相になって以来、「日本再興戦略」とか「総合戦略」などと称する文章を乱発していることに気が付いた。


おそらく、ほとんどの人は、これら「XX戦略」と仰々しく書かれた文章を見ておられないと思われるのだが、実際に安倍首相はそれに従って政治や経済の方針を立てているようなのだ。


そこで私は、「政府はこんなことを考えて予算を立てて既成事実を積み上げていますよ」ということを人々に知らせる必要があると考え、それらの中で科学に関わる部分を拾い出してみることにしたのである。


「軍事力」という国家が一番に頼りにする暴力装置にたいして、「科学者の軍事研究反対」として対抗するのはまさに「蝙蝠の斧」のようなものなのだが、私たち「軍学共同反対連絡会」の面々は意気軒昂である。


2017年12月池内了


ヘヴィーな書籍だった。


歩きながら、勤務前のコンビニ駐車場、


勤務中休憩時間、病院待合室などで拝読。


今までどのくらいの国費が軍研究に流れているか


どのような技術が国に採択されそれを


開発した科学者と大学名のここ数年のリストもあり


また、古代ギリシアから始まる科学者と


軍事利用の蜜月関係等を丁寧に書かれておられる。


推測、仮説もそこには入るのだろうが


鋭い分析力もさながら、今警鐘せねばという


想いが伝わる。


その他、科学のナチスの軍事利用と


”悪法も法”であるとの当時の認識


(全ての科学者が、じゃないですよ)


良識とは、そもそもなにを指すのか、


米国の軍事の力の入れよう、


それに呼応する世界、そして日本など。


ここのところ”科学”をいろんな視点で


わかる範囲で吸収して考察してきた


遅れてきた”科学勉強人”の一人ですが


これまた深い書に出会った感覚。


余談だけれど、池内了(さとる)先生は


池内紀(おさむ)先生とご兄弟だったのですね。


紀先生はかねてより拝読させていただき


その最初は”つげ義春全集”の解説経由で


紀先生の温泉本を手にとったという、


普通は”ドイツ”とか”学問”からの流れで


存じ上げるものだろうと思いますため


自分はイレギュラーなのだろうけれども


昨日Webでその弟さんと知って、


これまた奇縁だなあと、


思ったことは全くどうでもいい、


夜勤明けの早朝読書


秋も深まり足元が寒いと思った次第でした。


 


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