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武者利光先生の書から”1/fゆらぎ”を考察 [’23年以前の”新旧の価値観”]


ゆらぎの発想―1/fゆらぎの謎にせまる

ゆらぎの発想―1/fゆらぎの謎にせまる

  • 作者: 武者 利光
  • 出版社/メーカー: 日本放送出版協会
  • 発売日: 1994/03/01
  • メディア: 単行本


著者の名前は多分、柳澤桂子先生の本にあり


歩きながら、いわば”ゆらぎ”ながら


拝読させていただきました。


まえがき から抜粋


「1/fゆらぎ」の研究を私が始めたのは30年ほど前です。

その時は単に、半導体や水晶時計の究極的なノイズの原因を物理学的な観点から究明するつもりでしたが、この1/fゆらぎは宇宙的なスケールでさまざまなところに現れてくることがわかり、興味と好奇心の赴くままにいろいろな対象を自分の研究領域に取り込んでしまいました。


途中で自分の研究のあり方を振り返ってみて、こんなに手を広げると”虻蜂(あぶはち)取らず”になるのではないかと考え、意識的に研究の縮小を始めましたが、一度広がったものはなかなか小さくはなりません。


しかし、不思議なことに最近になって、この広がった研究の尾ひれが、結局は1匹の魚の尾ひれであることがわかってきました。


1992年に東京工業大学を定年で退職してから設立した「能機能研究所」は、今年(1994年)の2月に株式会社となり、ベンチャー企業として新しく出発しました。

この研究所で、われわれの喜怒哀楽などの感性やある種の思考状態などを、脳波の特徴抽出から識別するシステムを解発することに成功しましたので、私がこれまでに経験から推測していた「1/fゆらぎ」と生体の快適感との関係を、客観的に計測できるようになりました。


また、十数年にわたって行ってきたレーダーの信号処理の研究成果が、脳波の信号処理に生かされることになりました。


過去の自分の研究の足取りをみると、偶然と思えるような人との出会いが、要所要所で研究の流れを決める決定的な役割を果たしています。


「偶然とはなんなのか」と考え込んでしまいます。


われわれの知識不足が、ある現象を「偶然」であると思わせているだけで、すべてはそうなるべくしてそうなったのでしょう。


ゆらぎは、半導体や水晶時計のような物理学的な世界の現象にとどまらずに、われわれの日常生活におけるものの考え方として、非常に重要であることが次第にわかってきました。


第1章 ゆらぎを追いかけてーー不思議な1/fゆらぎ


「ゆらぎ」って何ですか? から抜粋


自然界に存在するもので、じっと静止しているものはありません。

時間の経過とともに必ず変化します。

それが目に見るほどの変化ではなくても、完全に静止しているものは「ない」と言ってもよいでしょう。

そして、その動きは、厳密に言うとすベて不規則な動きを含んでいます。


人間の目には見えなくても、変化するものはいろいろあります。

たとえば人の感情や気持です。

「気持ちがゆらぐ」とか「心がゆらいでいる」という表現は、日常的に使われる言い方だと思います。


ものの変化、そして、その変化が不規則な様子、それが「ゆらぎ」です。


はっきり定義するのが、難しいのですが、予測できない変化と言ったらよいと思います。

予測は規則性があるからできるので、少し難しく言えば、決定論的な予測からのズレを含むような時間的または空間的な変化ということです。


物理学の世界ではこうした変化のことを「揺動」とも言います。

しかし「ヨウドウ」と言われて、何のことかわかる人はほとんどいないでしょう。

そこで、物が不規則な動きをする総称として、私は物理の世界でも「ゆらぎ」という、いわば話し言葉を使うことにしています。


第1章 ゆらぎを追いかけて


1/fのfって、何なのですか? から抜粋


1/fゆらぎのfというのは、振動数、または周波数です。

英語で言えばfrequencyです。

その頭文字をとっているのです。


音楽で言えば、音の周波数で音の高さが決まります。

メロディーには、ゆっくり変化する部分と速く変化する部分が混ざっているのですが、その変化のしかたを分析して、変化する速さを表す場合にも、別な意味で「周波数」が用いられます。

つまり、ある現象の時間的変化の性質を分析して得られる、成分の周波数を意味しているのです。


第2章 万物はゆらいでいる


時間もゆらいでいると言えるのですか? から抜粋


時間というのは、二つの現象が起こった時刻と時刻の間隔です。

現在、時間の基準は、原子の構造で決まる発振現象の周期によって定められています。

これは、原子の構造は不変であるという前提に立って、そう決めているのです。

ですから時間に関しては、世界のどこで測っても同じになります。


これに対して時刻は、天文現象で決められている別の概念です。

つまり、特定な星が真上を通過する瞬間によって、時刻を決めています。

一年は、太陽の回りを一度回る1公転が基準となっています。


天文学的に見ると、365日では完全に太陽の回りを一周できません。

差が出てきます。

この差を修正するために、閨年という1日長い年を設け、さらに細かく、秒単位での修正も行っています。

ただし、地球が太陽の回りを一周する時間や地球が一回自転する時間は、徐々に変化しています。


地球は安定した自転をしているように思えますが、地球の回転軸はたえず微妙にゆらいでいます。


第3章 暮らしの中のゆらぎ


電車に乗っていると眠くなるのは、なぜですか? から抜粋


電車に乗る前に、今日はこの本を読もう、あるいは参考になる論文を読もうと、以前はよく思っていました。

しかし、あのコトコトコットンというゆれ方の影響なのか、どうしても眠くなってきて、読んでいるはずの本の内容が、まったく頭に入りません。


電車の中で睡魔が襲ってくるのは、不思議な現象です。

とくに、難しい本を読もうとする場合はダメです。


電車がゆれるのは、レール面の高さのゆらぎが原因で、これは、「水準狂い」と呼ばれています。

レールの面が左右で違うのは、地面の影響です。


ゆらぎはゆとりであり、人間らしさにも通じます。

朝日新聞にこんな記事が出ていました。

『「舞姫」を書いた森鴎外がドイツから帰ってきてから、都市計画の諮問(しもん)を受けた。

ヨーロッパの都市のように、高さもそろえて石造りの街にすべきだろうか、というものだが、鴎外は「バラバラでいい」と答えた。「人間が住むのだから、人間らしくあればいい」というのだ』。


街によって、印象や美観が違うのは、この「美しい乱れ」の構造を持っているのか、いないのかということに影響される部分が大きいのではないでしょうか。


第4章 人体の構造と心の動き 


話し方の上手、下手にも1/fゆらぎが関係するのですか? から抜粋


話し上手な人は、間の取り方が非常に上手なようです。


話術の上手、下手とはどういうものかと思い、東京・上野にあった講談の定席である本牧亭が店じまいする直前に、講談を聞きに行ったことがあります。

そこでも、間の取り方の上手さを痛切に感じました。


講談や落語には「枕」があります。

枕とは、本題に入る前に、自分の言葉で話す世間話のようなものですが、芸の若い前座の人の場合、枕と本題の調子がガラッと違うのです。


これが真打ちとなると、枕も本題も、まったく同じ口調でしゃべります。

さすがに真打は、普段の言葉でしゃべる話が、もう芸になっているのでしょう。


話し方の上手な方の声の強弱変動のしかたを分析してみると、ここにも「1/fゆらぎ」が顔を出しました。


第5章 心地よい音楽の世界ーー古今東西から


自然の音を騒音とはあまり感じませんが、なぜですか?


今から10数年以上前になりますが、大学の研究室の遠足と称して、奥多摩に行ったことがあります。

当時、私の研究室では1/fゆらぎの音を調べていました。

発振器で1/fゆらぎを電気信号として出してスピーカーを鳴らすと、滝壺に「ドウドウ」と水が落下して轟きわたるような感じがします。

ぜひ一度、実際の滝壺の音を調べてみたいと思い、録音設備一式を車に積んで奥多摩に行くことにしました。


研究室に帰って、早速、音の分析にとりかかりました。

期待に胸をワクワクさせながら、まず滝壺の音を分析してみました。

すると意外なことに、滝壺の音は1/fゆらぎではなかったのです。


しかし、ついでに録音した小川の「ちょろちょろ」という音響振動の振動数が「1/fゆらぎ」を示したのです。

まったく意外な収穫でした。


この後、冨田勲氏と対談で、


人工的に自然の音を再現したことが


作品化されていると記されている。


初期のモーグ・シンセサイザーで”回転むら”が


あるのを、そのままにしたのを作品にしたのが


富田氏のデビューLP「月の光」だという。


第6章 あそびのゆらぎと環境


生き方のゆらぎはいつごろから注目されているのですか? から抜粋


ある時、アメリカの本屋で、『ファイブ・リングス』という本が店頭に積んであるのを見ました。


なんだ、「五輪書」のことかと、すぐにわかりました。


私は日本に帰ってから、この五輪書を読んでみました。

その水の巻の「兵法心持の事」に書かれている次の文を読んで、愕然となりました。


『兵法の道におゐて、心のもちやうは、常に心(平常心)に替わる事なかれ。

常にも、兵法の時にも、少しもかはらずして、心を広く直にして(広い観点から真実を見て)、きつくひつぱらず(緊張せず)、少しもたるまず、心のかたよらぬやうに、心をまん中におきて、心を静かにゆるがせて、其のゆるぎのせつなも、ゆるぎやまぬやうに、能々(よくよく)吟味すべし。

静かなる時も心は静かならず、何とはやき時も心は少しもはやからず、心は躰につれず(とらわれず)、躰は心につれず、心に用心して、身には用心をせず、心のたらぬ事なくして、心を少しもあまらせず、うへの心(外見)はよはくとも、そこの心(心底)をつよく、心を人に見分けられざるやうにして、云々』


生涯、師と仰ぐ人を持たず、相手の剣の前で死を賭けて、いわば独学で武蔵が体得した兵法の極意は「ゆらぎ」だったのです。

「ゆらぎ」という表現を用いて、それに積極的な意味を見いだしていたのは、少なくとも宮本武蔵まで遡らなくてはならないことを私は発見したのです。


そうとも言えないこともないですが、


そうなのかなあ?というのが正直な感想で。


岡本太郎さんが縄文式土器を上野博物館で観て


「これだ!」という天啓を受けたのに


少し似ているような…。


水をかけているわけではありません。


失礼しました。


人間の進化にもゆらぎの影響がありますか?


から抜粋


生物が進化する仕組みをダーウィン流に考えてみると、環境の変化に応じて、生物はその遺伝的な形質(形や性質)を変えていくという風に見えます。

突然変異などで、遺伝子の構造がたえず親から子へゆらいでいるために、その中で環境によりよく適合するものが現れるのでしょう。

ここでは何が原因で突然変異が起こるかということより、突然変異がたえず起こっているという事実が重要です。


「ゆらぎ」なくしては生物の進化はありえないし、ゆらぎ方によっては、それが自然選択の結果、消滅する道へもつながるということです。


興味深い”ゆらぎ”、それも”1/fゆらぎ”。


最後に著者の人生の流れが披露されていて


ハーバード大学とか利根川博士で有名なMIT


にもおられたご様子で、時代がただいま現在ならば


TEDで講演とかされていたかもしれない。


脳機能の会社は現在もWebサイトもありますが


これを株式会社化って難しくないのだろうか?


とは要らぬおせっかい、余計なお世話であるが


ますますのご健勝をお祈りしつつ、


間も無く夕飯の支度を手伝おうと考えている


連休終わりの悲しい夕暮れ時でございます。


 


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望月衣塑子氏の書から”国家・組織・個人”を考察 [’23年以前の”新旧の価値観”]


武器輸出と日本企業 (角川新書)

武器輸出と日本企業 (角川新書)

  • 作者: 望月 衣塑子
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2016/07/10
  • メディア: 新書


はじめに 


日本で初めての武器展示会 から抜粋


2015年5月13日から3日間にわたり、海上防衛についての大型の武器展示会「MAST Asia 2015」が開催された。

国内では初めての武器の展示会で、後援は防衛省、外務省、経済産業省だ。


武器といってもすぐに軍事に結びつくものだけとは限らない。

実際、政府や防衛省は武器ではなく、「防衛装備品」という言葉を使っている。

富士通が展示していたのは、大容量の高速無線通信ネットワークを可能にする半導体ガリウムナイトライドのパネルだ。

「軍事だけでなく、広く海洋安全のために国際社会で使えるものを」と、開発したという。


展示会の来場者数の3795人は、当初の予想を倍近く上回った。

反響を受け、主催者であるイギリスの民間企業マスト・コミュニケーションは、2017年6月に千葉県の幕張メッセで2回目を開催することに決めた。


1回目の展示会では見送られていた商談ブースを設けることなども検討している。


武器輸出、47年ぶりの大転換


から抜粋


一般にいわれている「武器輸出三原則」は、1967年、佐藤栄作首相が国会答弁で表明したものだ。

具体的には次の三項である。


①共産圏諸国への武器輸出は認められない

②国連決議により武器等の輸出が禁止されている国への武器輸出は認められない

③国際紛争の当事国または、その恐れのある国への武器輸出は認められない


さらに76年2月、三木武夫首相が「武器輸出についての政府の統一見解」を発表する。


①三原則対象地域については「武器」の輸出を認めない

②三原則対象地域以外の地域については、武器の輸出を慎む

③武器製造の関連設備の輸出については、武器に準じて取り扱う


これらを合わせて「武器輸出三原則等」といわれてきた。

以後、その時々で例外規定が設けられてきたが、基本的に政府は武器輸出へ慎重な姿勢をとってきた。

一方で、自民党防衛族や経済団体連合会(2002年に日本経営者団体連盟と統合し、日本経済団体連合会に名称を変更)に属する多くの防衛企業は、武器輸出の解禁を強く要望し、ことあるごとに武器輸出三原則の見直しは俎上に載せられてきた。

そして、2014年4月、第二次安倍晋三内閣の下で事実上の解禁となったのである。


武器輸出の解禁が、安倍首相により急速に進められたという論調もあるが、それは一面的な見方だろう。

政財官が一体となった地ならしは着々と進められてきており、09年〜12年の民主党政権下も例外ではなかった

11年12月、野田佳彦政権の藤村修官房長官談話によって、武器輸出を大幅緩和する方針が決定。

民主党政権はその直後に崩壊し、新たに誕生した第二次安倍政権が一定の条件の下で武器を原則輸出できる、「防衛装備移転三原則」を閣議決定したのだった。


①国連安全保障理事会の決議などに違反する国や紛争当事国には輸出しない

②輸出を認める場合を限定し、厳格審査する

③輸出は目的外使用や第三国移転について適正管理が確保される場合に限る


この原則では、従来の三原則での「紛争当事国になる恐れのある国」は禁輸の対象から外された。

イスラエルや中東諸国への輸出も事実上制限がかからず、紛争に加担する可能性は高まったといえるだろう。

また従来の三原則にあった「国際紛争の助長回避」という基本理念は明記されなかった。


新三原則が制定され、防衛装備庁も発足したことで、武器輸出に向けた国内の環境はある程度整ったといえる。


この書では、MAST Asia 2015の出展企業の


売り上げベスト10がリスト化されている。


三菱重工、川崎重工、NEC、ANAホールディングス


三菱電機、IHI、富士通、東芝、コマツ、三井造船。


これらはWebでも調べようと思えばあるのだろうけど


この書で取り上げることに著者の努力が窺えます。


企業倫理というかコンプライアンス、ガバナンスが


問われるのは言うに及ばず。


第2章 さまよう企業人たち


海外から熱視線を注ぐ日本の電子技術 から抜粋


ベトナム戦争の末期には、アメリカ軍がソニーの開発したビデオカメラをスマート爆弾の誘導部に装着。

レーザー誘導兵器に利用された。

爆撃機から投下後の落下状況がスクリーンに映し出され、誘導係が目標物まで導くやり方だった。

これにより、アメリカ軍は北爆で多大な成果を上げた。


このソニーの製品の使われ方を武器輸出と


絡めるのはちと無理があるように思うのだけど。


これをいったらキリがないですよ、


電子機器とか半導体とか自動車企業とかであれば。


かといって見過ごせるものでもないと思うのは


もし自分と直接関係している人の作った製品が


戦争に使われているとしたら、ってことで。


つまるところ経済優先にしてしまう何かが問題で


国家や組織や個人の倫理や感性が問われる。


科学とか技術とか、


本当に難しい問題を孕んでいます。


あとがき から抜粋


それまでは事件などを扱う社会部に所属していた私が、2011年、一人目の出産明けに配属されたのは、社会部でなく畑の違う経済部。

しかも担当は原発問題で混乱を極めていた経済産業省だった。


戦後初の東大総長(15代)の南原繁が記した『南原繁 教育改革・大学改革論集』に出会った。

南原は、戦後、東大が掲げてきた軍事研究禁止の原則において象徴的な存在の一人だ。


国の政治に何か重大な変化や転換が起きるときには、その前兆として現れるのが、まず教育と学問への干渉と圧迫である。

われわれは、満州事変以来の苦い経験によって、それを言うのである。」


「大切なことは政治が教育を支配し、変更するのではなく、教育こそいずれの政党の政治からも中立し、むしろ政治の変わらざる指針となるべきものと考える。

…いまの時代に必要なものは、実に真理と正義を愛する真に自由の人間の育成であり、そういう人間が我が国家社会を支え、その担い手になってこそ、祖国をしてふたたびゆるぎない民主主義と文化的平和国家たらしめることができる


戦後70年、日本は憲法9条を国是とし、武力の放棄、交戦権の否認を掲げた。

それらを捨て、これからを担う子どもにとって戦争や武器を身近でありふれたものにしようとしている。

この状況を黙って見過ごすわけにはいかない。


時を経てただいま現在、岸田政権、


三原則をどのようにしようとしているか。


東京新聞の記事を見る限り


継続しているとしか思えない。


東京新聞ってところがミソですな、余談だけど。


この書に何箇所か出てくるけれど


国の中枢に近い人たちほど


武器輸出はお国や国民を守るためとおっしゃる。


それを受ける”下請け”という言葉は好きではないが


の、人たちほど「本当はやりたくない」と。


この著書自身も、報道の方で活躍したいが、


出産ブランクを経ての経済部に回されたと。


どなたかが旧ツイッター、現Xでの著者のつぶやきで


戦闘機の名前が違っていると指摘されていたけど


軍事ライターじゃないから、そんなこともあるだろと。


そんなん知らんよ、仕事なんだから正確性を、と


寛容と呼べない社会。


なにか、様々なこととリンクする窮屈な社会構造。


よくある話としてしまえばそれまでだけど。


余談だけど南原三原則に出てくる”満州事変”って


遠い昔、自分の亡祖父も鉄道人員で


かり出されたといっていたのを思い出す。


いろんなことを考えさせられた書でございました。


 


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