武者利光先生の書から”1/fゆらぎ”を考察 [’23年以前の”新旧の価値観”]
著者の名前は多分、柳澤桂子先生の本にあり
歩きながら、いわば”ゆらぎ”ながら
拝読させていただきました。
まえがき から抜粋
「1/fゆらぎ」の研究を私が始めたのは30年ほど前です。
その時は単に、半導体や水晶時計の究極的なノイズの原因を物理学的な観点から究明するつもりでしたが、この1/fゆらぎは宇宙的なスケールでさまざまなところに現れてくることがわかり、興味と好奇心の赴くままにいろいろな対象を自分の研究領域に取り込んでしまいました。
途中で自分の研究のあり方を振り返ってみて、こんなに手を広げると”虻蜂(あぶはち)取らず”になるのではないかと考え、意識的に研究の縮小を始めましたが、一度広がったものはなかなか小さくはなりません。
しかし、不思議なことに最近になって、この広がった研究の尾ひれが、結局は1匹の魚の尾ひれであることがわかってきました。
1992年に東京工業大学を定年で退職してから設立した「能機能研究所」は、今年(1994年)の2月に株式会社となり、ベンチャー企業として新しく出発しました。
この研究所で、われわれの喜怒哀楽などの感性やある種の思考状態などを、脳波の特徴抽出から識別するシステムを解発することに成功しましたので、私がこれまでに経験から推測していた「1/fゆらぎ」と生体の快適感との関係を、客観的に計測できるようになりました。
また、十数年にわたって行ってきたレーダーの信号処理の研究成果が、脳波の信号処理に生かされることになりました。
過去の自分の研究の足取りをみると、偶然と思えるような人との出会いが、要所要所で研究の流れを決める決定的な役割を果たしています。
「偶然とはなんなのか」と考え込んでしまいます。
われわれの知識不足が、ある現象を「偶然」であると思わせているだけで、すべてはそうなるべくしてそうなったのでしょう。
ゆらぎは、半導体や水晶時計のような物理学的な世界の現象にとどまらずに、われわれの日常生活におけるものの考え方として、非常に重要であることが次第にわかってきました。
第1章 ゆらぎを追いかけてーー不思議な1/fゆらぎ
「ゆらぎ」って何ですか? から抜粋
自然界に存在するもので、じっと静止しているものはありません。
時間の経過とともに必ず変化します。
それが目に見るほどの変化ではなくても、完全に静止しているものは「ない」と言ってもよいでしょう。
そして、その動きは、厳密に言うとすベて不規則な動きを含んでいます。
人間の目には見えなくても、変化するものはいろいろあります。
たとえば人の感情や気持です。
「気持ちがゆらぐ」とか「心がゆらいでいる」という表現は、日常的に使われる言い方だと思います。
ものの変化、そして、その変化が不規則な様子、それが「ゆらぎ」です。
はっきり定義するのが、難しいのですが、予測できない変化と言ったらよいと思います。
予測は規則性があるからできるので、少し難しく言えば、決定論的な予測からのズレを含むような時間的または空間的な変化ということです。
物理学の世界ではこうした変化のことを「揺動」とも言います。
しかし「ヨウドウ」と言われて、何のことかわかる人はほとんどいないでしょう。
そこで、物が不規則な動きをする総称として、私は物理の世界でも「ゆらぎ」という、いわば話し言葉を使うことにしています。
第1章 ゆらぎを追いかけて
1/fのfって、何なのですか? から抜粋
1/fゆらぎのfというのは、振動数、または周波数です。
英語で言えばfrequencyです。
その頭文字をとっているのです。
音楽で言えば、音の周波数で音の高さが決まります。
メロディーには、ゆっくり変化する部分と速く変化する部分が混ざっているのですが、その変化のしかたを分析して、変化する速さを表す場合にも、別な意味で「周波数」が用いられます。
つまり、ある現象の時間的変化の性質を分析して得られる、成分の周波数を意味しているのです。
第2章 万物はゆらいでいる
時間もゆらいでいると言えるのですか? から抜粋
時間というのは、二つの現象が起こった時刻と時刻の間隔です。
現在、時間の基準は、原子の構造で決まる発振現象の周期によって定められています。
これは、原子の構造は不変であるという前提に立って、そう決めているのです。
ですから時間に関しては、世界のどこで測っても同じになります。
これに対して時刻は、天文現象で決められている別の概念です。
つまり、特定な星が真上を通過する瞬間によって、時刻を決めています。
一年は、太陽の回りを一度回る1公転が基準となっています。
天文学的に見ると、365日では完全に太陽の回りを一周できません。
差が出てきます。
この差を修正するために、閨年という1日長い年を設け、さらに細かく、秒単位での修正も行っています。
ただし、地球が太陽の回りを一周する時間や地球が一回自転する時間は、徐々に変化しています。
地球は安定した自転をしているように思えますが、地球の回転軸はたえず微妙にゆらいでいます。
第3章 暮らしの中のゆらぎ
電車に乗っていると眠くなるのは、なぜですか? から抜粋
電車に乗る前に、今日はこの本を読もう、あるいは参考になる論文を読もうと、以前はよく思っていました。
しかし、あのコトコトコットンというゆれ方の影響なのか、どうしても眠くなってきて、読んでいるはずの本の内容が、まったく頭に入りません。
電車の中で睡魔が襲ってくるのは、不思議な現象です。
とくに、難しい本を読もうとする場合はダメです。
電車がゆれるのは、レール面の高さのゆらぎが原因で、これは、「水準狂い」と呼ばれています。
レールの面が左右で違うのは、地面の影響です。
ゆらぎはゆとりであり、人間らしさにも通じます。
朝日新聞にこんな記事が出ていました。
『「舞姫」を書いた森鴎外がドイツから帰ってきてから、都市計画の諮問(しもん)を受けた。
ヨーロッパの都市のように、高さもそろえて石造りの街にすべきだろうか、というものだが、鴎外は「バラバラでいい」と答えた。「人間が住むのだから、人間らしくあればいい」というのだ』。
街によって、印象や美観が違うのは、この「美しい乱れ」の構造を持っているのか、いないのかということに影響される部分が大きいのではないでしょうか。
第4章 人体の構造と心の動き
話し方の上手、下手にも1/fゆらぎが関係するのですか? から抜粋
話し上手な人は、間の取り方が非常に上手なようです。
話術の上手、下手とはどういうものかと思い、東京・上野にあった講談の定席である本牧亭が店じまいする直前に、講談を聞きに行ったことがあります。
そこでも、間の取り方の上手さを痛切に感じました。
講談や落語には「枕」があります。
枕とは、本題に入る前に、自分の言葉で話す世間話のようなものですが、芸の若い前座の人の場合、枕と本題の調子がガラッと違うのです。
これが真打ちとなると、枕も本題も、まったく同じ口調でしゃべります。
さすがに真打は、普段の言葉でしゃべる話が、もう芸になっているのでしょう。
話し方の上手な方の声の強弱変動のしかたを分析してみると、ここにも「1/fゆらぎ」が顔を出しました。
第5章 心地よい音楽の世界ーー古今東西から
自然の音を騒音とはあまり感じませんが、なぜですか?
今から10数年以上前になりますが、大学の研究室の遠足と称して、奥多摩に行ったことがあります。
当時、私の研究室では1/fゆらぎの音を調べていました。
発振器で1/fゆらぎを電気信号として出してスピーカーを鳴らすと、滝壺に「ドウドウ」と水が落下して轟きわたるような感じがします。
ぜひ一度、実際の滝壺の音を調べてみたいと思い、録音設備一式を車に積んで奥多摩に行くことにしました。
研究室に帰って、早速、音の分析にとりかかりました。
期待に胸をワクワクさせながら、まず滝壺の音を分析してみました。
すると意外なことに、滝壺の音は1/fゆらぎではなかったのです。
しかし、ついでに録音した小川の「ちょろちょろ」という音響振動の振動数が「1/fゆらぎ」を示したのです。
まったく意外な収穫でした。
この後、冨田勲氏と対談で、
人工的に自然の音を再現したことが
作品化されていると記されている。
初期のモーグ・シンセサイザーで”回転むら”が
あるのを、そのままにしたのを作品にしたのが
富田氏のデビューLP「月の光」だという。
第6章 あそびのゆらぎと環境
生き方のゆらぎはいつごろから注目されているのですか? から抜粋
ある時、アメリカの本屋で、『ファイブ・リングス』という本が店頭に積んであるのを見ました。
なんだ、「五輪書」のことかと、すぐにわかりました。
私は日本に帰ってから、この五輪書を読んでみました。
その水の巻の「兵法心持の事」に書かれている次の文を読んで、愕然となりました。
『兵法の道におゐて、心のもちやうは、常に心(平常心)に替わる事なかれ。
常にも、兵法の時にも、少しもかはらずして、心を広く直にして(広い観点から真実を見て)、きつくひつぱらず(緊張せず)、少しもたるまず、心のかたよらぬやうに、心をまん中におきて、心を静かにゆるがせて、其のゆるぎのせつなも、ゆるぎやまぬやうに、能々(よくよく)吟味すべし。
静かなる時も心は静かならず、何とはやき時も心は少しもはやからず、心は躰につれず(とらわれず)、躰は心につれず、心に用心して、身には用心をせず、心のたらぬ事なくして、心を少しもあまらせず、うへの心(外見)はよはくとも、そこの心(心底)をつよく、心を人に見分けられざるやうにして、云々』
生涯、師と仰ぐ人を持たず、相手の剣の前で死を賭けて、いわば独学で武蔵が体得した兵法の極意は「ゆらぎ」だったのです。
「ゆらぎ」という表現を用いて、それに積極的な意味を見いだしていたのは、少なくとも宮本武蔵まで遡らなくてはならないことを私は発見したのです。
そうとも言えないこともないですが、
そうなのかなあ?というのが正直な感想で。
岡本太郎さんが縄文式土器を上野博物館で観て
「これだ!」という天啓を受けたのに
少し似ているような…。
水をかけているわけではありません。
失礼しました。
人間の進化にもゆらぎの影響がありますか?
から抜粋
生物が進化する仕組みをダーウィン流に考えてみると、環境の変化に応じて、生物はその遺伝的な形質(形や性質)を変えていくという風に見えます。
突然変異などで、遺伝子の構造がたえず親から子へゆらいでいるために、その中で環境によりよく適合するものが現れるのでしょう。
ここでは何が原因で突然変異が起こるかということより、突然変異がたえず起こっているという事実が重要です。
「ゆらぎ」なくしては生物の進化はありえないし、ゆらぎ方によっては、それが自然選択の結果、消滅する道へもつながるということです。
興味深い”ゆらぎ”、それも”1/fゆらぎ”。
最後に著者の人生の流れが披露されていて
ハーバード大学とか利根川博士で有名なMIT
にもおられたご様子で、時代がただいま現在ならば
TEDで講演とかされていたかもしれない。
脳機能の会社は現在もWebサイトもありますが
これを株式会社化って難しくないのだろうか?
とは要らぬおせっかい、余計なお世話であるが
ますますのご健勝をお祈りしつつ、
間も無く夕飯の支度を手伝おうと考えている
連休終わりの悲しい夕暮れ時でございます。