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池内了先生の2冊から”科学とモラル”を考察 [’23年以前の”新旧の価値観”]


科学者と戦争 (岩波新書)

科学者と戦争 (岩波新書)

  • 作者: 池内 了
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2016/06/22
  • メディア: 新書

過日読んだ書の源泉のような


2冊を読んでみた。


はじめにーーー軍学共同が急進展する日本


から抜粋


日本が集団的自衛権の行使を可能とし、同盟国の支援のために海外に自衛隊を送って武力を行使する道を開いた現在、自衛隊は堂々たる軍隊になったというべきだろう。

安倍晋三首相が自衛隊を「わが軍」と呼んで名実ともに軍隊であることを世界に誇示したが、世界各国も日本国軍隊と認知していることは確かである。

したがって、自衛隊およびそれを管理・運営する防衛省を「軍」と呼び、防衛省と大学や研究機関の研究者(「学」)との共同研究を「軍学共同」と呼びことに異論はないであろう。

本書は、政治の保守化・軍事化と軌を一つにして軍学共同が急展開する日本の現状をレポートしたものである。


第4章 軍事化した科学の末路


軍事技術の限界 から抜粋


軍事研究は、結局は戦争に勝つため、あるいは「抑止力」として敵を怯ませ、攻めてこないようにするための技術開発である。

だから、省エネルギー・省資源とか環境への影響といった観点は無視されてしまう


一般に、科学の法則は一つだが、それを技術化する方法は複数ありうる。

そのため、新技術は特許を通じて一般公開され、その特許を参照することから、より合理的な別の方式が考え出され、より洗練された技術に育っていく。

たとえば、性能が良い、エネルギーや資源の消費が少ない、安全で扱いやすい、といったさまざまな面で最善の方式が探され提供されていく。

民生品はこのような過程を経て、市場で生き残ってきた製品といえる。

これが技術的合理性といわれる。


ところが軍事開発となると、投入するコストやエネルギーは問題ではなく、運用のための追加コストや環境倫理は無視され、ひたすらパフォーマンスとして何が可能になるかだけしか眼中になくなってしまう。

そして、たまたま成功した一つの技術方式だけに精力が注がれ、それより良い方式を工夫することがなくなり、技術レベルはそこで止まってしまうのだ。

あるいは行き詰まっても軍事研究であるため秘密のままだから新しい試みがなされず、可能性を秘めた別方式の技術があっても立ち枯れてしまうことにもなる。


おわりに から抜粋


社会に責任を持つ科学者 から抜粋


原爆の開発という事態に衝撃を受けた朝永振一郎は、科学者は科学のことだけを考えるだけではいけない。

科学の内実を市民に知らせ、市民が間違いのない選択をする手伝いをしなければならない、それが核時代の科学者の倫理であるとして、


科学者の任務は、法則の発見で終わるものでなく、それの善悪両面の影響の評価と、その結論を人々に知らせ、それをどう使うのかの決定を行うとき、判断の誤りをなからしめるところまで及ばねばならぬことになる。」(「平和時代を創造するために」)


また、加藤周一は、軍産学共同への批判として、

「自分の知識とか頭脳を権力を強化するために使うというのは、人民に対する一種の裏切り」(「教養の再生のために」)と述べている。


また、彼は「戦争を批判するのに役立たない教養であったら、それは紙くずと同じではないのか」とも言っている。


最後に、ガンジーが残した、

 

 人格なき学問、人間性が欠けた学術にどんな意味があろうか

 

という言葉を記しておこう。

常に肝に銘じておきたい言葉である。


科学者と軍事研究 (岩波新書)

科学者と軍事研究 (岩波新書)

  • 作者: 池内 了
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2017/12/21
  • メディア: 新書

まえがき から抜粋


前著の『科学者と戦争』を出して以来、一年半経った。


本書では、2015年に発足した「安全保障技術研究推進制度」を中心とする軍学共同の、その後の2年間足らずの間の状況を報告するとともに、より広く進展している日本の科学の軍事化の状況、日本学術会議の議論や「声明」の発出の経過、イノベーションばかりを強調する日本の科学技術政策の現状、などをまとめる。


さらに軍学共同を拒む大学がある一方、受け入れようとする大学が存在する(今後、増えていく可能性がある)ことも含め、大学(特に国立大学)の置かれた実情について報告する。


今大学は、国家から求められる厳しい競争環境の下で、国民の公共財としての知の生産と継承を行う「知の共同体」から経済倫理に隷属してもっぱら知を消費財として商品化する「知の企業体」と化しつつある


その背後には「大学改革」と言う名の行政からの「改革」の押し付けがあり、端的には大学の財政逼迫の問題として現れている。

そこに付け込んで「軍学共同」が大学に入りつつあり、また産学官連携に軍学共同が合体して軍産学複合体形成が大きく進む情勢である。


そもそも、このように軍学共同が急進展するきっかけになったのは、2013年12月17日になされた安倍内閣の、今後の総合的安全保障戦略を宣言した三つの閣議決定である。


その三つとは、


国家安全保障戦略


平成26年以降に係る防衛計画の大綱


中期防衛力整備計画


で「積極的平和主義」のもとでの軍拡路線を


展開されていた、と。


素朴な疑問だけど、当時安倍さんは何をしようと


企んでおられたのだろうか、そして


なにゆえそこまで駆り立てられていたのだろうか。


その原動力、発芽はどこにあったのか。


検証する意味はそれなりにある気がする。


価値はあまり認められないかもしれないけれど。


第1章 安全保障技術研究推進制度について から抜粋


前著『科学者と戦争』では、防衛装備庁が創設した「安全保障技術推進制度」の2016年度の公算段階まで述べた。

現在ではすでに2017年度の採択結果が発表されているが、以下ではまず2016年度の応募・採択状況を取りまとめ、2015年度からどのように変化したかを振り返る。

その後、2017年度の結果を議論する。

というのは、2017年度の応募・採択状況は、過去2年間の実績とは大きく異なっており、別個に論じた方が良いと判断したためである。


実際、最初の2年間の結果は多くの点で示唆的であり、装備庁の隠された意図が見えるし、また私たちの運動との関連も議論できるからだ。


「私たちの運動」とは、池内先生が立ち上げた


軍学共同反対連絡会」のことのよう。


この後、いかに当時の日本の時の政府が


都合の良いように新法律を制定し乱立、


茶番劇を繰り返してきたかは、ご存知の通り。


秘密保護法」は2013年で今思うと


これらの伏線だったのでしょうなあ。


多くの大学研究が軍事利用されていく、


それも研究費欲しさに、研究力競争のために、


研究者のモラルをすり抜け、だからこそ研究者よ、


原点に帰り、正しい感性を、と、


超端的にいうとおおよそそんなことを指摘されるよう


読み取れるのだけど、浅学ゆえ全然違ってたら陳謝。


余談だけど”大学改革”って、2015年ごろのラジオで


内田樹先生が神戸の学校で教鞭取られてた頃


独立行政法人の手続きが超面倒くさくて、


ビジネス化するんじゃねえ、


国家の教育への見当違いも


甚だしいぞって仰ってたのと、


(こんな雑な言い方してませんよ念のため)


間接的に関係がありそうな気が。


第4章 科学者の軍事研究推進論


自衛という意識 から抜粋


つまり、武装開発は止まることがない

そして、結局核兵器の開発にまで及ぶのである。

「核兵器開発を誘われたら断りますよ」と現在の時点では言えるかもしれないが、核兵器こそ祖国防衛の命運を握っているとか、敵の攻撃を抑止できるのは核兵器しかないと言われて、開発費と人員と資材と秘密を守る約束が与えられれば、それを拒否できるだろうか。

さらに、「核兵器の保有・使用は、現在の憲法の範囲では許容される」との閣議決定があることを押さえておく必要がある。


核兵器開発は国家として禁止しているわけではないのである。

だから、いったんタガが外れると核兵器開発へ傾れ込んでいくのは必然だろう。


ある大学の教員にこの話をしていると、「突き詰めて考えると、結局、池内さんが言うように非武装論にならざるを得ないのですね」と言い、いささか残念そうであった。


「あなたが一気に非武装論者になる必要はなく、自衛隊の存在を主張しても別に構わない。しかし、なぜ自衛隊を存続させたいのか、しっかり考える必要がある。災害の救助で非常にお世話になっていることが理由なら「戦地復興隊」として道路や橋や港の修理・整備に当たればいい。

いずれも丸腰でやれることだし、それに限るのではどうだろう?」


国民の多くは災害救助を行う自衛隊を見て、自衛隊の存在を当然視し、自衛隊によって国が守られているとの意識が強く刷り込まれている。


北朝鮮が盛んにミサイルを発射してアメリカ(や日本や韓国)を挑発しており、政府は「Jアラート」を発して地方自治体にミサイル落下の防衛措置をとるよう要請している。


今の状況は、政府が北朝鮮のミサイルや核実験の恐怖を煽って国民を怖がわせ、それによって軍事力を増強する圧力にしようという魂胆であることは確かだろう。

国家が危険な状況にあること(国難)を振り撒き、軍事化路線を強めるという昔から繰り返されてきた策動に乗せられてはならない。


あとがき から抜粋


しかし、ツラツラ考えているうちに、安倍晋三が首相になって以来、「日本再興戦略」とか「総合戦略」などと称する文章を乱発していることに気が付いた。


おそらく、ほとんどの人は、これら「XX戦略」と仰々しく書かれた文章を見ておられないと思われるのだが、実際に安倍首相はそれに従って政治や経済の方針を立てているようなのだ。


そこで私は、「政府はこんなことを考えて予算を立てて既成事実を積み上げていますよ」ということを人々に知らせる必要があると考え、それらの中で科学に関わる部分を拾い出してみることにしたのである。


「軍事力」という国家が一番に頼りにする暴力装置にたいして、「科学者の軍事研究反対」として対抗するのはまさに「蝙蝠の斧」のようなものなのだが、私たち「軍学共同反対連絡会」の面々は意気軒昂である。


2017年12月池内了


ヘヴィーな書籍だった。


歩きながら、勤務前のコンビニ駐車場、


勤務中休憩時間、病院待合室などで拝読。


今までどのくらいの国費が軍研究に流れているか


どのような技術が国に採択されそれを


開発した科学者と大学名のここ数年のリストもあり


また、古代ギリシアから始まる科学者と


軍事利用の蜜月関係等を丁寧に書かれておられる。


推測、仮説もそこには入るのだろうが


鋭い分析力もさながら、今警鐘せねばという


想いが伝わる。


その他、科学のナチスの軍事利用と


”悪法も法”であるとの当時の認識


(全ての科学者が、じゃないですよ)


良識とは、そもそもなにを指すのか、


米国の軍事の力の入れよう、


それに呼応する世界、そして日本など。


ここのところ”科学”をいろんな視点で


わかる範囲で吸収して考察してきた


遅れてきた”科学勉強人”の一人ですが


これまた深い書に出会った感覚。


余談だけれど、池内了(さとる)先生は


池内紀(おさむ)先生とご兄弟だったのですね。


紀先生はかねてより拝読させていただき


その最初は”つげ義春全集”の解説経由で


紀先生の温泉本を手にとったという、


普通は”ドイツ”とか”学問”からの流れで


存じ上げるものだろうと思いますため


自分はイレギュラーなのだろうけれども


昨日Webでその弟さんと知って、


これまた奇縁だなあと、


思ったことは全くどうでもいい、


夜勤明けの早朝読書


秋も深まり足元が寒いと思った次第でした。


 


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