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夏目琢史先生の書から”ヒトの弱さ”を考察 [’23年以前の”新旧の価値観”]


アジールの日本史

アジールの日本史

  • 作者: 夏目 琢史
  • 出版社/メーカー: 同成社
  • 発売日: 2009/07/01
  • メディア: 単行本

この書へのきっかけは


記憶になくて恐縮ですが多分


”アジール”という単語に惹かれたのと


記憶違いでなければ内田樹先生がどこかで


言っておられたような。


違ってたら陳謝でございます。


はじめに から抜粋


苦しめられた人びとが行き着く先のことをアジールという。

アジールに入れば、世間を跋扈(ばっこ)するさまざまな俗権力の一切が干渉できない。

たとえ犯罪者であっても、ひとたびアジールに入り込めば、その罪は許されてしまうという。

このような場は古い時代の夢物語ではない。

我々の先祖は常にこのようなアジールをめざし、そしてそれをつくりあげるために戦ってきたのである。


古今東西さまざまな文献や資料を目にしていく中で、これまで一般的に言われてきたのとは違うあることに気づいた。

それは、アジールが決して古い時代の原始的な遺物ではなく、人間が社会的動物として生きるために創出したきわめて近代的・文明的な装置である、ということだ。


昨今の経済・金融危機に際して、時にはネットカフェやファーストフード店がアジールとなったり、お寺が再びアジールとしての機能を発揮したりしているのが何よりもそれを物語ってくれている。


具体的な話で考えてみよう。

日露戦争後のポーツマス条約締結の際、賠償金が得られなかったことに激怒した日本国民が暴徒と化し、交番などに焼き討ちをかける事件が起きた。

日比谷焼き討ち事件である。

これをみたアメリカの新聞社は次のように報じたという。


日本は異教徒の国であるが、たとえ宗教が異なっていても、神に祈りを捧げる神聖な場所を焼き払い破壊するのは人間ではないことを示す何よりの証拠である。

日本人は戦争中、見事な秩序と団結で輝かしい勝利を得た。

彼等は人道と文明のために戦い、講和条約の締結にもそれを感じさせた。

しかし、東京騒動は、日本人が常に口にしていた人道と文明のためという言葉が偽りであることを明らかにした。

彼等は黄色い野蛮人に過ぎない。

(平間洋一『日英同盟』PHP新書、2000年)


ここから気がつく通り、他の宗教の権威を認めようとしたり、他者に対する慈悲を心がけたりする心理構造は、野蛮というよりもむしろ文明的なものである。

実際、「聖的・呪術的なアジール」などといわれるものは、物理的暴力や俗権力の介入に対して場当たり的で脆弱なものだった。

それよりも、よりはっきりとした形のアジールが歴史の中でしだいに形成されてきているのである。


「未曾有」の時代といわれる昨今の危機は、たしかに深刻なものであるが、歴史上にはさらに過酷な時代があった。

その時々に応じて人間はどのように対応したのか。

アジール創出へ向かう力とそれを押し戻す力との拮抗の歴史を検証し、あらたな意味でのアジールを形成するにはどうしたらよいのか、そうしたことを考えてみたい。


第一部 アジールとは何か


第1章 アジールの定義


第1節 アジールをめぐる研究史の概観 から抜粋


「アジール」という言葉は、いまや、歴史学や宗教学という学問の枠を超え、それこそさまざまな研究者や評論家によって論じられている。


このアジールという言葉に脚光を浴びせた、その流行の一つの起点となったのは、1970年代に日本の中世史家・網野善彦が発表した『無縁・公界・楽』である。

この著書の絶大な影響をもとに文学・心理学・政治学・社会学・日本史学・西洋史学・民俗学等のそれぞれの学問領域でアジールは語られることになった。


このような潮流は、たしかに当初は、丸山真男がかつて指摘したようなアカデミックの「タコツボ型」に対するアンチテーゼ(「共通の基盤」)という側面を持っていた。

しかし、アジールという概念のそもそもの曖昧さからそれぞれの研究者によって多様な理解が生まれてしまい、結果的には研究の息詰まりを招いてしまったように思われる。

その証拠に今日ではアジールを積極的に論じようとする研究者はほとんどみられなくなってしまった。


第2章 日本中世はアジールの時代なのか?


から抜粋


日本の中世は、一般的に、アジールが広汎にみられた時代だと認識されている。

このような「常識」が、戦前には平泉澄、戦後では網野善彦によって創り出されてきたということはよく知られているが、はたしてこのような見方がほんとうに正しかったのであろうか。


なるほど日本中世の研究書の中には、「アジール」という用語を引用したものが現在でもかなり多くあり、一見すると西洋の中世と同様にアジールが認められていた社会のような印象を受ける。

しかし、それらを具体的にみていくと、実はほとんどが抽象的な引用であって、史料的な裏づけがなされているものはほとんどみられない。


比較的研究の多くみられる「都市のアジール」についても、挙げられている史料は戦国期のものがほとんどであり、日本中世=アジール隆盛の時代という単純な理解は成立しないのではないか。

もちろん中世にアジール的な事例があまりみられないことについて、史料の相対的な少なさや書き手側の階層的な制約などがあることを考えなくてはならないが、それにしてもその量はあまりにも少なく、むしろ逆にアジールを否定するような史料が多いことに気づく。


結論から述べて仕舞えば、筆者は日本の中世にアジールが広汎にみられたという見解には否定的であり、西洋中世にみられたアジールは日本中世においてはごく限られた場合にしか機能していなかったと考える。


すごいです。


調べっぷりや分析力、網野先生への懐疑など


なかなかできることではないですよ。


若いからできることなのかも。


網野先生について、先日読んだ


平川克美さんの書にもあったので、


他の本があったと思い探したが


見つからずだった。またの機会に。


さらにすごいのが「あとがき」でした。


あとがき から抜粋


本書における筆者の関心の第一は”生きる”とは何か、もっと言えば”幸せに生きていくにはどうすればよいのか”ということにあった。

最後の章で、近代社会におけるアジールを「想像力」や「縁切り信仰」に結びつけたことに対して、読者の中には「単なる妄想にすぎないのではないか」「幼稚ではないか」といった疑問や批判をもった方もおられるかもしれない。

しかし決して逃れられない苦痛や不幸に、いざ立たされたとき、人は自分の心の「想像力」(夢や可能性)に希望の光を見出し、神頼みをすることで心の安堵や自分のめざす目標を再認識することができる

これは苦しみから逃れる唯一のアジールにほかならなく、単なる逃避や逸脱として考えるいはあまりに寂しいものではないだろうか。

これが筆者のアジール論の帰結である。

最初、筆者はアジールを「犯罪者がそこに入った場合、その罪が問えなくなる空間」として捉えた。

しかし、近代社会のなかではもうこの概念は成立しえない

「そこに入れば苦しみを逃れられる空間」、これこそがまさしく近代のアジールであった。


自分も普段は神仏を意識はしないものの


ここぞという時に、願掛けの意味を込めて


近くの神社仏閣にお参りに行ったりして


人間って弱いよなあ、すがりつくしか出来ないのかあ


と心底感じた事が、それが”アジール”だったのか。


それにしても歴史が古い、というか


人間の持っている性(さが)とか業(ごう)


みたいなものなのかもしれないと思うと


古いとかの話ではないのかもしれない。


話を書に戻させて頂きまして


この”あとがき”の帰結が興味深いのは、


最初の仮説を最後に変えてみせるところで、


これを素にさらに進化しそうな感じでして。


しかしこれを2007年頃か、卒論で出されちゃあ


正直、ビビるよ先生は、多分。


この書籍、図書館で借りてしまったのだけど


新書にして出してほしい、増補・改訂版として。


さらに網野先生や阿部謹也先生も併読すると


理解が深まりそうで、”中世”には左程でも


ないのだけど”世間”とか”社会”とかいった”秩序”の中で


家族と仕事しながら暮らしていると


どうしても関わらざるを得ないテーマであるため


夏目先生のあらたな書を読みたいと思わせる


秋の休日の夜、虫の声が聞きながらでございます。


 


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