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柳澤桂子先生の書から”再生”を読む [’23年以前の”新旧の価値観”]


いのちの日記 神の前に、神とともに、神なしに生きる

いのちの日記 神の前に、神とともに、神なしに生きる

  • 作者: 柳澤 桂子
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2005/09/02
  • メディア: 単行本

帯にあるコピーから抜粋

傑作『生きて死ぬ智慧』に結晶した体験と

思索のすべてがここにあります。(黒田杏子・俳人)


はじめに から抜粋


燃え上がる暮色に思う一日(ひとひ)

我を生かせし遥かなるもの


私が半生の体験で見出した信仰心のイメージは、般若心経に記されている「空」という考え方にきわめて近い。


生きて死ぬ智慧』に結晶している般若心経の現代詩訳は、一通の手紙からはじまった。

その手紙は、私のまったく知らない編集者からのもので、般若心経を現代の詞章に作業に近いがいかに私が適任者であるかが熱心に説かれていた。


般若心経の日本語訳としては、中村元氏と紀野一義氏のものが1番よいとされているが、それでも難解で、理解できない。


般若心経については、私自身特に専門的に勉強したわけではないので、まったくの素人の翻訳である。

けれども、中村先生や紀野先生の本はよく研究させていただいたので、その真髄は把握しているつもりである。


私が科学者であるために、仏教界の方々が訳されたものとまったくちがう訳をして、お叱りを受けるのではないかと思いつつ、科学者の訳もあってもいいのではないかと開き直ることにした。

私なりの般若心経の科学的解釈と現代日本語訳は、私の宗教観の核心に触れる作業でもあったのだから。


私の個人史については、個々の時期や事件のことはこれまでの著書のいくつかでくわしく書いたことがある。

しかし、私の半生を貫いて宗教観を述べた個人史”通史”といえるものは、本書がはじめてである。


科学と宗教は、ものごとの両極端にあるようにいわれるが、私はそうではないと思っている。


宗教も科学とおなじように、人間の脳の中の営みである。


いずれ科学がすべてをあきらかにするであろう。


「空」の感覚は、雑誌『ダビンチ』で過日


養老先生が星野源さんとの対談で


ハイな状態は「無」ではなく「空」なのだと


ご指摘されていたような。


それだけでなく、養老先生別の書で


ご自身の考え方を「お経そのものじゃないか」


と書いておられた。


脳がつくりあげた現代文明の脳化社会。


科学があきらかに、というのは利根川博士も。


近しいものを感じるのは偶然か必然か。


苦しみの一夜が明けて戸を操れば

盛りだくさんの春にとまどう


12 こころにリアリティー(真実)を取り戻そう


から抜粋


私たちは、ものごとを自己と非自己として、二元的に見る。

自分があり、対象物がある。

爬虫類以上になると、生命の進化の過程で、自己と非自己を区別できることが、生殖や生き残り競争に有利であったために、このような能力をもつものが生き残ってきたのではなかろうか


しかし、現実の世界(リアリティー)は一元的なものであり、本来、自己も非自己もない。

にもかかわらず、私たちは強い自我を発動して生きることを強いられる。

このように、ものごとを二元的に見るために、執着が起こり、絶え間のない我欲と満たされざる煩悶(はんもん)に苦しめられるのである。


私たちは、自己と非自己のある錯覚の世界に生きている


人間の知性を象徴する言葉というものも、元来、二元的なものである。

自己と他者を区別しないことには言語は成立しない

自己以外の外部世界を一つ一つ認識する手段として、言葉なしには生きられない。


つまり、私たちは一元的な現実の世界に生きていながら、頭の中では二元的な見方にとらわれ、非現実=いわばテレビやパソコン画面のようなヴァーチャル・リアリティー(仮想現実)を生きているのである。

存在のあり方が根底から自己分裂してしまい、私たちの認識そのものに我執の苦しみが胚胎(はいたい=物事の起こる原因を含みもつこと)している


リアリティーを喪失し、我執・我欲に溺れ自分が自分ではなくなり、自分が自分そのものをわからなくなってしまう。


だから、リアリティーを取り戻すための第一歩は、「自分が自分ではなくなっていること」への気づきから始めなくてはならない。


そして、非二元的な世界、つまり原初のリアリティーをはっきりと感じられるようになるためには、我執で織り上げられた「三次過程」の認識にまで到達する必要がある

それは決して不可能なことではないのである。


生きるか死ぬかの瀬戸際にたち


孤独という最悪の病にもさらされてきた


柳澤先生でしか現せない境地なのだけれど


それは誰しもが可能な領域とご指摘される。


すでに書いたように、私は歩けなかったので電動車椅子を使っていた。

電動車椅子で通りを通ると、見知らぬ人の多くが挨拶をしてくれる。

私は喜んで挨拶を返していたが、ある日、私と同年くらいのご婦人から

「たいへんでいらっしゃいますね」

と声をかけられた。


その瞬間、「私は、憐(あわ)れまれているのかしら

という考えが頭をよぎった。

それまで考えたこともなかったのに、その日は妙にそれにこだわった。


少し車椅子を進めてから、私は道端に止まって、考え込んだ。

しかし、いくらも経たないうちに、私は、かつての神秘体験に近い恍惚感に包まれた。


「憐れまれている」などといういやな気持ちは、私があそこにいたから出てきたので、私がいなければ、この気持ちも存在しないのだ。

あのご婦人は、かわいそうな人に優しい言葉をかけて、心地よかったであろう。

私がいなければ、その心地よさしか存在しなかったのである。


…言葉で書いてしまえばこれだけのことであるが、私は身震いするほどの感動を味わった。

これこそ自我を滅するということにちがいない。


このように考えていくと、自我さえなければ、苦しみも悲しみも存在しない

それを作り出しているのは私自身であるということが、こころの底から体感できた。


これは私にとって大きな体験であった。

それ以降、私には自分が不幸であるとか、人を恨むとかいう気持ちがなくなった


おそらく修行を積まれた僧侶の世界では、自我を滅するということは、こんな生やさしいことではないであろう。

けれども、さしあたって、私にはこれで十分であった。


私たちのこころに「野の花のように生きられる」リアリティーを取り戻すために、必ずしも全知全能の神という偶像は必要ない。

もはや何かに頼らなければ生きられない弱い人間であることから脱却して、己の力で、まさに神に頼らず、神の前に、神とともに生きるのである。


宗教学では、このように信仰が進化するという考えは否定されているようだが、生物学的、進化学的に見ると、この仮説は捨てがたいものである。

私自身は、人格神や特定宗派の教義にこだわらない信仰の形がありうると信じている。


しかし、アリエティウィルバーが述べているように、私たちは「一次課程」の認識にもどるのではない。

「二次過程」の認識を超越して、よりスピリチュアル(霊的)な精神作用を生み出す「三次過程」の認識に進化しなければならない。


そんな”神なき時代”において、「悟り」という至高体験を得られる境地にたどり着くためには、私たち自身の力で、自らのこころを耕し続けるしかない。

たとえば、読書をし、思索を深め、音楽や絵画などの優れた芸術作品に数多く触れることも大切だろう。


ーーたとえば、あなたが散歩中であらゆる雑念やストレスから解放されているとき、なにげなく野の花を目にして、その清らかでつつましい美しさに感動したことはないだろうか?


そこには、すくなくとも私たちを苦しめる我欲は働いていない。

たとえば仏教が煩悩五欲と見なす食欲・色欲・睡眠欲・金銭欲・名誉欲などが、野の花の清らかさに感動を誘うことはあまりない。

この感動は、私たちが芸術作品に触れたときに触発される情感と同質のものである。


始末するもののみ多き老いた身に

紅葉の一葉静かに落ちるる


17 その後ーーあとがきにかえて


から抜粋


家の中でも車椅子で移動する無理の利かない身体である。

原稿をかくことも身体に悪いことがわかってから、仕事をやめることにした。


友人や知人の訪問も疲れるので、すべてお断りしている。

けれども、親しい友人と差し向かいで談笑できる日の来ることが、心の底からの願いである。


たいへん不思議なことであるが、これまで、私が書くべきことは自然と湧き出て、私の前に差し出されてきた。

私から探したことは一度もない。

私の仕事は終わった。


ラヴェンダーの野に寝てみたい

その次は波打ち際を歩いてみたい

柳澤桂子


この書を最後の仕事と決めておられたのですね。


病床からのカンバックであり


仕事への再生の記録であり、これでラスト


あとは穏やかに過ごされたかったはず。


しかし、不幸にもというと語弊あるが


この後も精力的に書かざるを得ない事態に


ご存知のように東日本大震災に端を発した


原発事故だったというのは周知の事実で。


これらを踏まえての”私が書かなければ”という


”深くて重い思い”を表現できる言葉を


見つけることができるほうが


おかしいくらいでございますよ。


最後に参考文献をあげておられるので


引かせていただきます。


柳澤先生の言葉こそ「三次過程」に必要なものだ


と自分は強く感じます。


 


【参考文献】


癒されて生きる 女性科学者の心の旅路

「いのち」とはなにか

愛をこめ いのちを見つめてーー書簡集 病床からガンの友へ

生命の秘密

認められぬ病 現代医療への根元的問い

ボンへッファー獄中書簡集「抵抗と信従」増補新版

アートマン・プロジェクト 精神発達のトランスパーソナル理論

般若心経・金剛般若経

歎異抄講話

神の慰めの書

脳の進化

ブッタの言葉

無意識の心理


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