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①ドーキンス博士『遺伝子の川』の”つかみ”を読む [’23年以前の”新旧の価値観”]


文庫 遺伝子の川 (草思社文庫)

文庫 遺伝子の川 (草思社文庫)

  • 出版社/メーカー: 草思社
  • 発売日: 2014/04/02
  • メディア: 文庫
この書の購入動機は著者にあるのは
論を俟たないですけれど、
この書にした理由はこだわりはなく
古本屋さんで見つけたからなのでした。

また一つの川がエデンから流れ出て園を潤した。

『創世記』(2・10)


まえがき から抜粋


自然、それはゲームの通り名か。

何十億、何千億、何万億もの粒子が

あちらこちらで、彼方こなたで、ぶつかりあう

無限につづくビリヤード・ゲーム

ピート・ハイン


ピート・ハインが描いているのは古典的な意味での原初の物理的世界だ。

しかし、原子のビリヤードの玉が何かのはずみに、一見どうということもなさそうなある特性を持つ物体を作り出すとき、宇宙にはきわめて重大な変化が起こる。

その特性とは自己複製の能力である。

つまり、その物体は自己を取り巻く物質を利用して、自らとそっくりな複製をつくることができるのだが、それにはコピーするときに起こりがちな些細な欠陥の写しまでも含まれるのである


宇宙のどこにせよ、この類まれな出来事のあとに続くのが、ダーウィンの言う自然淘汰(自然選択)であり、それによってこの惑星に、生命と呼ばれるおどろおどろしい狂騒劇が生じる


これほど多くの事実がこれほどわずかな仮定で説明されたことはいまだかつてなかった。

ダーウィンの理論はこの上ないほどの説得力をもっているだけではない。

この説明のむだのなさには、引き締まった優雅さ、世界中の創世神話の中でも、最も忘れがたいものにもまさる詩的な美しさが備わっている。


私が本書を執筆する目的の一つは、ダーウィンの生命観に関する現代のわれわれの理解が、霊的といっていいほどすばらしいものであることを認識してもらうことである。


ミトコンドリア(エヴァ)には、その名の由来となった神話の主人公以上に詩的な雰囲気がある。


私のもう一つの目的は「生存の仕方」が「DNA暗号で書かれたテキストを未来に伝える仕方」と同義であることを読者に納得のいくように解き明かすことである。

私のいう「川」とは、地質学的な時間を流れながら分岐していくDNAの川であり、個々の種の遺伝子によるゲームを閉じ込めている険しい川の土手という比喩は、説明のための工夫として驚くほど説得力に富み、便利である


とにかく、私のこれまでの著書はすべて、ひたすらダーウィンの原理がもつ無限といえるほどの力ーー原始の自己複製の結果が発現するだけの時間があればいつ、どこでも放出される力ーーを探求して、くわしく説明しようとするものだった。


本書『遺伝子の川』も、この使命に沿うとともに、それまでささやかだった原子のビリヤード・ゲームに複製という現象が注ぎ込まれたとき、その結果として起こる間接的な影響の物語を地球大気圏外で起こるクライマックスまで導こうというものである。


ダーウィンのことはやはり


リスペクトの対象なのですな。


遺伝子のコピーで個体の継承ではないのよ


ってのは相変わらずというか通貫される


言説でございます。


でも”霊的”な”すばらしさ”ってのは


どういうことなのだろか。


それとこの後に出てくるが”デジタル”という


ドーキンス先生の定義はなにかが興味深い。


昨今ちまたに溢れている”デジタル”とは


異なるのか、同じなのか。


1 デジタルの川 から抜粋


すべての生物がすべての遺伝子を、祖先と同世代で失敗した者からではなく、子孫を残した祖先から受けついでいる以上、あらゆる生物は成功する遺伝子を持つ傾向がある。

彼らは祖先になるのに必要なもの、つまり生き残って繁殖するのに必要なものをもっていることになる。

だからこそ、生物が受け継ぐ遺伝子はおおむね、うまく設計された機械ーーまるで祖先になるために奮励努力しているかのごとく活発に働く身体ーーをつくりあげる性質をもっている。

だからこそ、鳥はあれほど上手に飛び、魚はいかにもすいすいと泳ぎ、猿は木登りが得意で、ウイルスは広がるのがうまいのだ。


われわれが人生を愛し、セックスを好み、子供を可愛がるのも、それゆえである。

それはわれわれすべてがただ一人の例外もなく、成功した先祖から途切れることなしに受け継がれてきたすべての遺伝子をもっているからにほかならない。

一言でいうと、それがダーウィン主義なのである。

もちろん、ダーウィンはもっとはるかに多くのことを言っているし、今日ではさらに多くにことがいえる

本書がここで終わりにならないのもそのためである。


とはいえ、いま述べた一節には、無理からぬとはいえきわめて有害な誤解を招く余地がある。

祖先が成功したのであれば、彼らが子孫に受け渡した遺伝子は、結果として祖先が自分の親から受け継いだ遺伝子に比べてよりすぐれたものになってしまっていると考えたくなる。

成功にかかわった何かが彼らの遺伝子に影響を与えたからこそ、その子孫たちはあれほどに飛翔や水泳、求愛が上手なのだ、と。


これは間違い、大間違いである


遺伝子は使うことで改善されるものではない。

それらはただ伝えられるだけで、ごくまれな偶然のエラーを別とすれば、まったく変わらないのだ。

成功がすぐれた遺伝子をつくるのではない。

すぐれた遺伝子が成功するのであって、個体が生きているあいだに何をしようと、それは遺伝子に何の影響も与えない

すぐれた遺伝子をもって生まれてきた個体は、大人になって首尾よく祖先になる可能性がきわめて高い。

したがって、すぐれた遺伝子は劣った遺伝子よりも後代に伝えられる可能性は高くなる。

各世代はフィルターであり、。篩(ふるい)なのである。

すぐれた遺伝子は篩の目から次の世代へ落ちてゆく。

劣った遺伝子は若死にするか、繁殖しないで死ぬ身体のなかで終わりを迎える。

劣った遺伝子も一世代か二世代ぐらいは篩を通り抜ける可能性があるが、それはおそらくたまたま運に恵まれて、すぐれた遺伝子と同じ身体を共有したからである。

ところが、1000世代もの篩を一つまた一つとつづけ様に通り抜けていくには、運以上のものがなくてはならない。

1000世代にもわたってうまく通り抜けつづけた遺伝子は、たぶんすぐれた遺伝子だろう。


それは真実ではあるが、一つ明らかな例外があって、混乱をきたさないように、まずその点をはっきりさせておきたい。

個体のなかには間違いなく不妊でいながら、自分たちの遺伝子を将来の世代に伝えるのを手伝うようにつくられているらしく見えるものがある。

アリやシロアリのワーカー(働き蟻・働き蜂)たちは不妊である。

彼らは自分が祖先になるためではなく、普通は姉妹や兄弟といった近縁で繁殖力のあるものを祖先にするために働く


ここで理解しておかなければならない事が二つある。

第一に、どんな種類の動物でも姉妹や兄弟は同一遺伝子のコピーを共有する確率が高いこと第二に、たとえば個々のシロアリが繁殖個体になるか不妊のワーカーになるかを決定するのは環境であって遺伝子ではないということである。


すべてのシロアリは、ある環境条件によっては不妊のワーカーに、また別の環境条件でによっては繁殖個体になりうる遺伝子をもっている。

繁殖個体は不妊のワーカーの世話を受けながら、不妊ワーカーと同じ遺伝子のコピーを子孫に伝えるのだ。

逆にいうと、不妊のワーカーたちは遺伝子の影響を受けてせっせと働くが、その遺伝子のコピーが繁殖個体の体内に収まっているのである。


ワーカーが持つこの遺伝子のコピーは、繁殖個体が持つ自らのコピーが世代の篩を通り抜けるのを助けようと努力しているのである。


シロアリのワーカーは雄雌ともありうるが、アリやハチ、スズメバチの場合、ワーカーはすべて雌である。しかし、それ以外の点では原理はまったく同じだ。

彼らほど顕著ではないにしても、この原理はある程度まで姉や兄たちが幼いものの世話をする(ヘルパーと呼ばれる)数種の鳥や哺乳類をはじめとするほかの動物たちにもあてはまる。

要するに、遺伝子は自らの宿る体が祖先になるのを手助けするだけでなく、近縁者の体が祖先になるのを手伝うことによって、世代の篩を通り抜けおおせることができるのである。


この本の表題でいう「川」はDNAの川であり、空間ではなく時間を流れる。

それは骨や組織の川ではなく、情報の川である。


体をつくるための抽象的な指令の川であって、体そのものの川ではない。

情報は体を通り抜けながら体に影響をおよぼすが、その際に体から影響を受けることはない。

この川は流れていくあいだに成功した体の経験や業績の影響を受けないだけではない。

見たところ、この川の汚染源としてはるかに強い可能性を持つと思われる性の影響すら受けないのである。


あなたの細胞の一つ一つのなかで、母親の遺伝子の半分が父親の遺伝子の半分と肩を擦り合わせている。


だが、遺伝子そのものは混じりあうことはない。

混じりあうのは遺伝子の影響だけである。


父親の遺伝子と母親の遺伝子が混じりあうことはなく、それぞれ独立に組み換えられる。

あなたのなかの特定の遺伝子は母親から伝わったか父親から伝わったかのどちらかである。

それはまた、あなたの四人の祖父母の一人から、ただ一人から伝わったものであり、八人の曾祖父母の一人から、ただ一人だけから伝わったもの、というぐあいに祖先へさかのぼっていく。


深い。さすがドーキンス先生。


混じりあうのは遺伝子の影響だけ、


篩を通り抜けるのものあるってのは


隔世遺伝のことも含めてのことなのかなあ。


それにしても要諦だけを抜粋、のつもりだとして


ここまででなんとまだ15ページ。


最初に感じたなぜ”デジタル”なのか


すらもたどり着けない。


”川”というメタファーは


どうしても『方丈記』を浮かべてしまうのだけど


ドーキンスさんの場合は、


遺伝という情報というのに重きを置かれて


でもゆく川の流れの無常感は共通するような。


(鴨長明の時代に遺伝子があるわけないからね)


この書、決して疲れはしないし


軽妙洒脱なタッチなんだけど


含まれている情報があまりにも膨大すぎて


なっかなか読めないのが難点。


しかし、それが面白くてエキサイティングなのは


それがドーキンス先生なのだろうなと思うし


古本で100円で買ったんだから


がたがた御託並べてんじゃねえよと


夜勤明け、急に寒くなった雨スタートな


せっかくの休日、読書といきますか


と思っております秋の早朝でございます。


あ、でも同じ書でハードカバー版も持ってます。


Amazonで300円だけど。


垂水先生の文庫版あとがきが気になって


100円のも買っちゃいましたけど。


(そんなんだから本が増えるんだよ!)


 


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