大人のいない国―成熟社会の未熟なあなた:鷲田清一・内田樹著(2008年) [’23年以前の”新旧の価値観”]
内容的にも興味あったので一気に読んで気になるところをピックアップ。
プロローグ 成功と未熟ーもう一つの大事なものを護るために
鷲田清一
から抜粋
(中略)
働くこと、調理すること、修繕すること、そのための道具を磨いておくこと、育てること、考えること、教えること、話し合い取り決めること、看病すること、介護すること、看取ること、これら生きてゆくうえで一つたりとも欠かせぬことの大半を、ひとびとはいまの社会の公共的なサーヴィスに委託している。
社会システムからサーヴィスを買う、あるいは受けるのである。これは福祉の充実と世間ではいわれるが、裏を返していえば、各人がこうした自活能力を一つ一つ失ってゆく過程でもある。
ひとが幼稚でいられるのも、そうしたシステムに身をあずけているからだ。
近ごろの不正の数々は、そうしたシステムを管理している者の幼稚さを表に出した。
ナイーブなまま、思考停止したままでいられる社会は、じつはとても危うい社会であることを浮き彫りにしたはずなのである。
それでもまだ外側からナイーブな糾弾しかしない。そして心のどこかで思っている。
いずれだれかが是正してくれるだろう、と。しかし実際にはだれも責任をとらない。
「われわれは絶壁が見えないようにするために、何か目をさえぎるものを前方に置いた後、安心して絶壁のほうへ走っている」。
17世紀フランスの思想家、パスカルの言葉はいまも異様なほどリアルだ。
サーヴィス会社はたしかに心地よい。
けれども、先にあげた生きるうえで欠かせない能力の一つ一つをもう一度内に回復してゆかなければ、脆弱なシステムとともに自身が崩れてしまう。
システム管理者の幼稚さはそのことを知らせたはずだ。
「地域の力」といったこのところよく耳にする表現も、見えないシステムに生活を委託するのではなく、目に見える相互のサーヴィス(他者に心をくばる、世話をする、面倒をみる)をいつでも交換できるよう配備しておくのが、起こりうる危機を回避するためにはいちばん大事なことだと告げているのだろう。
これ以上向こうに行くと危ないという感覚、あるいはものごとの軽重の判別、これらをわきまえてはじめて「一人前」である。
ひとはもっと「おとな」に憧れるべきである。
そのなかでしか、もう一つの大事なもの、「未熟」は、護れない。
われを忘れて何かに夢中になる、かちっとした意味での枠組みに囚われていないぶん世界の微細な変化に深く感応できる、一つのことに集中できないぶん社会が中枢神経としているのとは異なる時間に浸ることができる、世界が脱臼しているぶん、「この世界」とは別のありようにふれることができる、そんな、芸術をはじめとする文化のさまざまな可能性を開いてきた「未熟」な感受性を、護ることができないのである。
成熟はサーヴィスが行き届いていて雇用も生み出すから、
社会として機能しているから良いとする反面、
陰の部分もあるという「トレードオフ」の構造なのですな。
「おとな」「一人前」となるべく、そして「未熟」のままで良いはずがないって難しいな。
鷲田さんと内田さんの対談から抜粋
■鷲田
最近、政治家が幼稚になったとか、経営者が記者会見に出てきたときの応対が幼稚だ、などと言いますが、皮肉な見方をしたら幼稚な人でも政治や経済を担うことができて、それでも社会が成り立っているなら、それは成熟した社会です。
そういう意味では、幼稚化というのは成熟の反対というわけではないんですね。
■内田
官僚や政治家やメディアに出てくる人たちがこれほど幼稚なのに、致命的な破綻もなく動いている日本社会というのは、改めて見ると、きわめて練れたシステムになっているなって、いつも感心するんですよ。
■鷲田
幼稚なひとが幼稚なままでちゃんと生きていける。
■内田
そうなんです。欧米にもアジアにも、そんな社会ないですよ。
日本みたいに外側だけ中高年で、中身が子どものままというような人たちが権力を持ったり、情報を集中管理していたりしたら、ふつうは潰れますよ。
なぜ日本社会は子どもたちが統治しているのに、潰れないで済んでいるのか。
そっちの方がずっと不思議だし、興味深い論件だと思いますけれどね。
■鷲田
今の日本には大人がいないんですよ。いるのは老人と子どもだけ。
若い人はみんなもう自分は若くないと思っているし、オジサン、オバサンたちはまだ自分はどこか子どもだと思っている。成熟していない大人と、もうこの先ないと思っている子どもだけの国になってしまいましたね。
■鷲田
大学で学ぶことについて、内田さんが格好いいことを言ってるんです。
■内田
なんでしたっけ。
■鷲田
大学で身につけるべき教養とは、「言っていることは整合的だけど何かうさんくさいものと、言っていることはまるでわからないけれど何かすごそうなもの、その二つをちゃんと見分ける能力だ」って言っているです。
■内田
そんなこと書いたかな。いかにも書きそうですけど。(笑)
■鷲田
つまり本物と偽物を見分ける力を身につけることが大切だということです。
(中略)
■内田
僕は、「知識と教養は違う」とよく学生に言うんです。
図書館にある本は情報化された知識ですよね。
教養というのは、いわば図書館全体の構成を知ること。
教養というのは知についての知、あるいはおのれの無知についての知のことだと思います。
■鷲田
コンテクスト(文脈)をつけていけるということね。
■内田
図書館のマップがあれば、自分が読んだ本がどこにあり、読むべき本がどこにあるのかわかる。
自分自身の知識がどれほどのもので、自分が知らないことがどういう広がりを持っているかを知ることができる。
(中略)
知的探求を行なっている自分自身の知のありようについて、上から俯瞰できることが「教養がある」ということではないかとぼくは思うんです。
自分の置かれている文脈を知る。
なぜ自分はこのことを知らずにきたのか、なぜ知ることを拒んできたのかという、自分の鞭の構造に目を向けた瞬間に教養が起動するんだと思います。
■鷲田
内田さんも私も哲学を学んだ出発点が、メルロ・ポンティ(20世紀のフランスの哲学者)ですよね。
こうして話していても、彼の両義性の哲学が核にある。
何か見えたら、これを通して正反対のものも同時に見えてくるという。
勝ち組とか負け組にしたって一枚岩的に語られるけど、本当はそんな単純なものじゃない。
格差は解消しなければならない、痛みは緩和しなければならない、と言い切ってしまうとき、何かを見落としているんです。
ぼくは幼い頃、病気やケガが好きでね。
病気になったら、おいしいものが食べられるし、普段来ない人が来てくれたりするから嬉しかった。
骨折して包帯してたら、もうヒーローやったね。
■内田
「病」にしても「ケガ」にしても両義的な経験ですよね。
■鷲田
「老い」にしてもね。
■内田
60歳近くなって思うことがあるんです。
歳をとるのはマイナス面だけではないって。
馬鈴を重ねただけで、若い人に「50年前の日本の戦後の空気を、君は知らないだろう」と偉そうにいうことができる。「経験的に言って」という一言で何でも断言できちゃうのは圧倒的に優位ですよ。(笑)
■鷲田
日本人が幼稚化を始めたターニングポイントっていつからだったんでしょうね。
■内田
1970年台からじゃないですか。日本が豊かで安全になったので、大人がいなくても、子どもたちだけでも回せるシステムができた。
その結果、成熟する必要がなくなってしまった。
成熟って、生き延びる知恵だから、危機的な状況がなくなれば必要ないといえばないんです。
だから、ある意味では「いいこと」なんです。
それだけ安全で堅牢な社会を作り上げたということなんですから。
(中略)
■鷲田
70年代というと核家族化も進んだ時代ですね。
親子二世代だけの核家族は、子どもにとって一番辛い家族形態じゃないかな。
親と子が対立したら、親の言うことを聞くか、ぶつかって家を出るか、どちらかしかないでしょう。
オール・オア・ナッシング。
もう一つの世代がいれば、父親が偉そうなことを言っても、「あんたが子どもの時はもっとひどかった」と言うことで、子どもにも複数の選択肢が出てくる。
■内田
レヴィ・ストロース(フランスの文化人類学者)が「親族の基本構造」で書いている親族の最低単位は、男の子と両親と母方の伯叔父(おじ)の四人から成るというものです。
核家族ではなく、プラスワンになっている。
父が息子に厳しく接する社会集団ではおじさんが甥を甘やかす。
おじさんが甥を厳しく育てる社会では父と息子が親密である。
これはよく考えると当然だろうと思うんです。
同棲の年長者が二人のロールモデルとして登場してきて、それぞれが子どもに向かって違う接し方をする。
極端な話、違う考え方、違う生き方を指示する。
それが親族の基本構造として要請されていたということが重要だと思うんです。
だって、それだと子どもの中に葛藤が生まれますからね。
どちらのいうことを聞いたらいいのか。
でも、成長のためにはまさにその葛藤が不可欠だと思うんです。
■鷲田
核家族でも、両親が連帯するのが最悪の構図ですね。
■内田
今まさにそうなってますよね。
今に始まったことではなくて、自分の子供の頃、50年前からそうだったな、と気がついた。
内田樹
もっと矛盾と無秩序を
「子どもを成熟させないシステム」を突き崩すには
子どもたちはいまたいへんわかりやすい社会に生きている。
そこでは子どもに
「手早く、たくさんお金を稼ぐ能力」
の習得が何よりも最優先的に勧奨されている。
そこにはもう何の葛藤もない。
そのような環境で、「子どもが成熟しない」と嘆いてみてもはじまらない。
永い歳月をかけて「子どもを成熟させないシステム」を作り上げてきたのは私たち自身なのだから。
それは対談の中でも述べているように、「未成熟な人間でも経営できる、操縦しやすく安定した社会システム」を完成させる努力として進められてきた。
ヴィジョンのない政治家、自己利益と自己保身しか考えない官僚、思考停止に陥っているマスメディア……。
これら劣悪な人的資源環境の下で、なおこれだけ高いパフォーマンスを示すことのできる社会システムを完成させた国は歴史上存在しない。
これはたしかに世界に向かって誇ることのできる成果だと私は思っている。
しかし、この「子どもだけでも経営できるシステム」が不調になったときに、いったい「誰が」メンテナンスを引き受け、「誰が」制度設計の青写真を描き直すのかという問題は答えのないまま残されている。
私たちが今緊急に考えなければならないのはこの問題だろう。
これまでのやり方を変えて、「日本人を一気に成熟させるシステム」などというものを考案しても仕方がない。
国民全員を斉一的にある方向に向けるようなプログラムがなければならないという考え方自体が子どもの発想だからである。
少数でも一定数の「大人」が継続的に供給されていれば、システムの「メンテナンス」や「再設計」の仕事は果たせる。
その少人数の「大人」の育成をどうやって制度的に担保するのか。それが喫緊の問題だと私は思っている。
たとえば、デジタル庁とか。大丈夫ですかね?
私がとやかくいう言える筋合いではないけど。
自分もここで言われている「大人」になれているのか、って言ったら甚だ疑問を呈してしまうけれど。
「葛藤」を「思考」と置き換えてしまうのは、
ちと無理があるのかもしれないけど、「考えない」方向に
世間全般・世界全体が行っている気が
大袈裟かもしれないけど、します。
単に「成果」だけ出せばあとは無視。
それで良い世界に自分もいて(今もなのかもしれないけど)、なんの疑問も持たなかったけど。
そこを養老孟司先生などは大昔から警鐘を鳴らされているが、如何ともし難い。
いや、まだ子供が義務教育内の自分達は、
1ミリでもいいから良い方向にするよう考えて、日常生活をキープし、行動しないとって思う。
余談だけれど、高齢者施設の方たち(90歳代位)は
「大人」だなと思う(全員ってわけじゃないけど)。
一様にみんないうのは「戦争」のことで、
一年前までは今の世の中は「戦争」がなくていいね、
だったのだけど、近い将来また戦争にならないとは
誰も確約できない世の中になってしまったようだ。
久米宏です。ニュースステーションはザ・ベストテンだった。:久米宏著(2015年) [’23年以前の”新旧の価値観”]
この本は、かなり詳細です。つまり、かなり面倒な内容ともいえます。
最後の「簡単にまとめてみる」をお読みいただくと、一瞬にして本書の内容がわかります。
久米さんにそう言われちゃ、そうしますよ。
エピローグ・簡 単 に ま と め て み る
(中略)
50年間続けてきた仕事が、それなりの成果を得た、つまりそこそこの成功だったのか、どう見ても失敗の50年だったのかは、なかなか興味のあるテーマだ。
しかしながら、長年の仕事が、成功だったか失敗だったかを判断するのは、とても難しい。
最初にラジオで取り組んだ番組、「土曜ラジオワイドTOKYO」は、成功したと思っている。
特に、僕がリポーターをしていた8年間は、何とかして新しい「中継」をと、そればかり考えていて、なんとか、それまでにない中継の形を創り出したという実感がある。何より仕事をしていて楽しくてたまらなかった。
これは僕にとっての最大の成功体験であることは間違いない。
テレビに軸足を移しての、「ぴったしカン・カン」。
この番組は、コント55号の番組だった。僕は、ただそこに居たに過ぎない。でも、テレビの本質に気がついたのはこの番組だった。
「ザ・ベストテン」が大成功だったことは間違いない、あれ以上の成功は考えられないぐらいだ。
公正なランキングと生放送、このコンセプトが成功の源だ。日本の歌謡界のピークに遭遇した幸運もある。
「ザ・ベストテン」の大ヒットの威力はものすごく、この番組開始後1年半で僕がフリーに転身したのも、この番組のエネルギーに背中を押されたからだ。
「ザ・ベストテン」については、「ニュースステーション」の開始のために途中降板したことは、慚愧の念に堪えない。
黒柳さんにとても申し訳ないことをしたと、今でも心から思っている。
大ヒット中の番組を途中で放り出すという行為は、許されないことだと思う。
この業界の常識で考えれば、僕はTBSから永久追放されてもおかしくはない。
ところが、今、僕はTBSでラジオの番組をさせていただいている。
TBSという会社は、とても懐の深い会社なのだ。
「ザ・ベストテン」と並行して「TVスクランブル」という番組が誕生した。
僕にとって、この番組の意味はとても大きい。
ラジオとテレビの世界で、僕が初めて、企画の段階から参加できた番組だからだ。
この番組には、成功のハンコを押しても良いと思っている。
さて、問題は「ザ・ベストテン」を
強行降板までしてスタートした、「ニュースステーション」だ。
この番組は成功だったのか、失敗だったのか、この判断はとても難しい。
難しい理由の一つが、放送期間が18年半と、とても長かったことだ。
これだけ長いと、いろいろと判断材料がありすぎるのだ。
(中略)
ニュースは分かりやすく伝えなければならない。
テレビのニュースは分かりやすくなければならないから。
果たしてこれは正しかったのか。
わかりやすくなければ、番組は見てもらえない。
番組を見てもらえないと、民法としての経営が成立しない。
どんなニュースでも分かりやすく説明してしまうのは、無理があるのではないか。
いや、途方もなく難解なニュースでも、その本質に迫っていけば、実は、優しい言葉で説明できるのだ、この考え方の方が真実ではないか。
「ニュースステーション」は、スタートして2年半ほど経ったころから、厳しい批判に晒され始めた。
ニュースがワイドショーになってしまった。
ものごとを単純化しすぎている。
久米宏は軽すぎる。
山のような批判は、ほとんどが頷けるものばかりだった。
厳しい批判を受けながらも、僕は、「番組がある程度軌道に乗り、成功したからこそ、こうして批判を受ける身になれたのだ。ありがたいことだ」
「ニュースステーション」が終了して、もう13年が経ってしまった。
あの番組が成功したのか、あるいは、日本のテレビのニュース番組に、取り返しのつかない前例を作ってしまったのか。
とても僕には判断できない。
(中略)
51年前、あまりに学業の成績がひどくて、普通の企業の入社試験は受けることができなかった。そんなとき、アナウンサーの募集を知って、冷やかしのつもりでその試験を受けてみた。合格することなどあり得ないと思っていた。
「ちょっと試験を受けてみるか…」から始まったのだ。
「とにかく、ちょっとやってみるか」これは結構大切なのだ。
そして乗りかかった舟は、とりあえず一生懸命漕いでみる。
それぐらいのことしか、人間はできないのではないか。
50年は、とても長い。
しかし、あっという間に過ぎてしまうものでもある。
一生懸命舟を漕ぐ時間は、長そうでいて、短い。
「ザ・ベストテン」をしているときは、テレビを見ている人に楽しんでもらいたい。
「ニュースステーション」をしているときは、何とか世の中の役に立ちたい。
そんなことを考えながら仕事をしてきたのだけれど、今になって思うと、今までやってきたことは、きっと自分のためだったのだと思う。
よほどの聖人でない限り、なかなか他者のために生きるのは難しいと思う。
人は皆、自分のために懸命に生きている。
ただ、自分のために一生懸命生きたら、それが他者のために、大勢のためになることが、時々起きたりする。
番組が成功したり、会社の利益が急増したり、クラスが団結する。
ここで終われば、とても良い話、さすが久米さん哲学持ってるなあ
なんて思われるのに、以下を追加しちゃうのが
久米さんが久米さんたらしめている、さらなる深さなのだろうなあ。
個人的にはこういう考え方、好きではないけど。
20代後半、ナポリに旅をしたことがある。
ホテルの前に、小さな土産物店があり。
その店先に一人の男がいた。
両腕を頭の後ろに回して、椅子に掛けてぼんやり遠くを眺めていた。
ほぼ僕と同世代の男だった。
数時間ナポリ市内を見物して、ホテルに帰ってきたら、その男は、僕が出かけるときと、全く同じ格好で遠くを眺めていた。
僕が出かけている間、何人かの客が来たのかもしれないし、一人の客も来なかったのかもしれない。
僕は彼の姿を見た瞬間、ある事実に気がついた。
もしかしたら、彼が僕だったかもしれない。僕が彼であっても不思議もない、と。
人間は生まれる場所と時を選べない。
僕は、たまたま、太平洋戦争が終わる一年ほど前に、日本で生まれた。
あのナポリ旅行以来、
「自分の人生すべてが、偶然そのものなのだ」、この考えにとりつかれている。
偶然乗り合わせた舟を、懸命に漕いでいるだけなのだ。
私が母親と同居していたころだからざっと三十年位前、
久米さんのテレビを見たようで
「サラリーマンなんて、つまらないことみんなよくやってますよね」
みたいな発言をされたらしいのを受け、母が言った言葉。
「久米さんは嫌いになった。もう見ない。」
「何でよ?」
と聞いたら
「だって、そのサラリーマンが社会を支えてるんじゃない」
これは、母親と久米さんをとても象徴しているエピソードと記憶させていただいてます。
翻って、じゃ、これ書いてる君はどうなのよ、
という問いがあるならば、「その中間です」と面白くないけど正直に答えざるを得ない。
会社員を合計15年くらいやってましたゆえに。
(その前の15年は雇われデザイナだったから会社員とは言い切れないし)
余談だけど久米さんといえば、アンチジャアンツ。
これも久米さんを象徴しているけれど、その昔。
元日本テレビの徳光さんと番組というかテレビ局を跨いで賭けをしてましたよね。
ジャイアンツが1位になったら「丸坊主になって徳光さんの番組で万歳三唱する」って。
ジャイアンツ贔屓の徳光さんも相対して多分なんか賭けてたんだと思うけど。
それは忘れたが、徳光さん「久米さん!いらしてくださいよ、約束ですよ!」みたいに煽ってらした。
その後、本当にジャイアンが1位になってしまった。
久米さんその通りにして、徳光さんの番組に丸坊主でいらして「万歳」三唱をされてた。
でも、その時の横にいた徳光さんが言ったのは、力無い声で
「…もう、こんな意味のないことやめましょうね…」みたいに仰る。
なんかとてつもなく深い瞬間だった。
音楽が聴けなくなる日:永田夏来著(2020年) [’23年以前の”新旧の価値観”]
はじめに 永野夏来 から抜粋
日本のテクノバンド、電気グルーヴのメンバーで最近では俳優としても活躍しているピエール瀧さんが、麻薬取締法違反の疑いで2019年3月12日火曜日の深夜に逮捕されました。
(同年6月判決後、7月に懲役1年6ヶ月、執行猶予3年で有罪が確定)。
(中略)
しかし本当に衝撃だったのは、逮捕翌日の出来事かもしれません。
この件を受け、株式会社ソニー・ミュージックレーベルズが、既に発表済みとなっている電気グルーヴの全ての音源・映像の出荷停止、在庫回収、配信停止を発表しました。
これにより新たにCDやDVDが買えなくなり、ネットオークションサイトなどでは高値で取引される事態となりました。
また、最近の音楽の聴き方として定着しつつあるサブスクリプション(定額聴き放題)などでも聴き放題のSpotify、Google play music、Apple music、Amazon Prime Musicなどでも、一斉に電気グルーヴの楽曲が聴けなくなったのです。
今まで当たり前のように聴けていた音楽が、突如聴けなくなる。
CDを買いたいと思っても買えず、転売とみられる業者が不当な利潤を得ている。
そして毎月お金を支払っているにもかかわらず、聴きたい曲が聴けなくなる。こうしたことは果たして「当たり前」なのでしょうか。
私は大学で社会学を教えていて、その際学生に必ず伝えていることがあります。
それは「現時点で自明と信じられている常識を疑うことで、社会が見えてくる」という姿勢です。常識は社会秩序の一部ですが、それは特定の誰かにとって都合の良い秩序であり、発言力が弱い立場にいる別の誰かを抑圧する機能を必ず併せ持ちます。
作品回収・販売停止は、少なくないコストをかけて企業収入を自ら断つという選択です。
決して小さな決断ではないはずです。それがこれほどスムーズに決まってしまうのは、なぜなのか。
もしかすると「売るな」という声が不当に重用され、それと異なる意見が抹殺されているのではないか。
音楽家の坂本龍一さんは、本件を受けてTwitterで
「なんのための自粛ですか?電グルの音楽が売られて困る人がいますか?」
と問いかけました。おっしゃる通りだと思います。
困る人がいないのに、わざわざ自粛する。これは「異常な事態」のように思えます。
(中略)
自粛後の様々な論戦、言説にも注目していきます。
中でも当事者である電気グルーヴの石野卓球さんのツイートは注目を浴びました。
石野卓球さんが徹底してピエール滝さんを「友達だ」と言い続けたことはとても重要です。
(中略)
「反社会的勢力とのつながりを断つため」
「薬物に厳しい姿勢を取ることが日本の良さだ」
「本人がまた薬物をやらないためにも、お金を渡すためにはいかない」。
回収・販売停止を支持するいろいろな意見が存在しているのも確かです。
そこには一定の説得力をもつものも、当然含まれます。
しかし同じことを繰り返していて、発展性はあるのでしょうか。
これまでのことをどのように考え、どのように繋げていけば良いのか。
第三節 自粛と再帰性
コンプライアンスと再帰性
なぜ企業にコンプライアンスを求めるようになったのか。
一般的には三菱自動車リコール隠しや、牛肉偽装事件など、ゼロ年代に相次いだ企業不祥事や粉飾決算などが挙げられます。
ただ、企業経営とコンプライアンスの関連についてはその手の専門家に任せるとして、ここでは再帰性という観点から社会の変化と企業の在り方について考えて行きましょう。
再帰性とは、簡単にいえば「人や集団・制度などが自らのありようを振り返り」「情報を参照しながら必要に応じてありようを修正していくこと」です。
(中略)
再帰性のうち、「自らのありようを振り返る」という前段の行為を「セルフモニタリング」と呼びます。
人のふり見てわがふり直すのであれば、あまり良くないと思った他人の行為から自らを省みるということになりますが、「セルフモニタリング」にはもう少し「人の目を気にしすぎる」というような感覚がつきまといます。
インターネットや携帯電話などのコミュニケーションツールの発達がこれを加速させている可能性があります。
「ひとの目を気にしすぎる」というのは、昔からあることではありますが、すぐれて現代的な状況ということもできるでしょう。
コンプライアンスという言葉が日本で言われ始めたのは2000年ごろからだと思いますが、その背景には二つのことがあります。
一つは企業による不祥事を防ぐこと。
そしてもう一つは、企業価値の向上です。
再帰性という観点から見ると、気になるのは二つ目の企業価値の向上の方です。
それはつまり、コンプライアンス体制をホームページなどで公表してしてステークホルダーから信頼を得て、コーポレートブランドを上げるといったようなことです。
これは再帰性の高まりという観点から理解できるように思います。
会社のことを振り返ってチェックし、必要に応じて社内でできることを修正していくという営みです。そしてコンプライアンスとして表明することがさらに企業価値を向上させることにつながります。
まとめると、再帰性の高まりからコンプライアンスがもてはやされるようになったのは理由は以下のようになります。
近代化が進むにつれて企業もまた再帰性の高まりに呑み込まれ、自分の立ち位置がはっきりわからなくなった結果、セルフモニタリングで得られた情報を使って自社の態勢を修正していく。
ここまでは再帰性の基本的な考え方です。
そしてそれに実効性を持たせるための方便が、コンプライアンスである。
これが現代における企業のコンプライアンス重視の背景というわけです。
つまりコンプライアンスというのは本当のところ、自分の立ち位置を掴むべく行うセルフモニタリングを意味付けするために導入された使い勝手の良いキャッチフレーズである、というのは言い過ぎでしょうか。
今までの経験と自分なりの解釈を通すと
「企業のリスクヘッジ、自社では統治できない
けど、しかし売上は上げないと
各方面に迷惑かける。
だからと言って手を抜かず働けよ
給料払ってるんだから、でもって
法令遵守を破ったら時代に
反しているからねって、言ったよね?」
みたいになるのだけど、これはなかなか
悪い意味でしびれますよね。
ちょっと端折りすぎたけど。
そんなところで社員やってて
活躍できるわけないと思うが、
それが多くの日本の会社の
現状なんかな、一昔前は。
もう今は、よくわかりませんけど。
永田さんがどこの学校で教鞭を
ふるわれているか存じませんが、
そこの学生は幸せです。
こんな素敵な先生がいるなんて。
余談だけれど、同じタイトル名を
持つ書籍
「音楽が聴けなくなる日:服部克久著(1996年)」を
読んだ。
こちらは「CD再版制度撤廃法案」に物申す内容。
これを紹介している当時(1997年)の
雑誌「CUT」の山下達郎さんの記事が
最高に良い意味でシビれます。
永田夏来さんのと主旨は異なるけど、
流れで、ご紹介をご紹介。
■欲しいのは安いCDではない。いいCDだ。
再版制度を撤廃したら、すべての文化は少年ジャンプ化してしまう。
山下達郎
(中略)
音楽、とりわけポピュラー音楽が第二次世界大戦後の文化的リーダーとなり得たのは、レコードという大量複製の技術を獲得して商品特性が大幅に向上したからに過ぎず、別に音楽が他の文化に比べて特に秀でていたわけでも、市場経済と相性がよかったわけでもない。
ずっと以前から印刷技術によって大きな商品性を得ていた文字メディアも同様だ。
今持って大量頒布の手段を持たない一点ものの絵画や演劇・舞踏などの場合、美術館や劇場まで出向かなくてはならないため、音楽・文学に比べ商品としての市場拡大はしづらいが、それはおのおのの文化の持つ価値とは本来何の関係もない話である。
例えば収容人数100人程度の小劇場を拠点に活動している劇団は、TVから吐き出されるドラマ文化や東京ドームで繰り広げられる大量動員の音楽ライブの前では、マーケティング・観客動員等あらゆる面で「存在しないに等しい」状態を余儀なくされてしまう。
しかし、だからといって、彼等の表現がTVの学芸会ドラマより質的に劣っている、あるいは全国展開されている劇団四季の芝居より価値が低いなどと、誰が言えるだろうか。
(中略)
今日も音楽業界ではテレビ・ドラマとのタイ・アップ、CDタイ・アップといった試みが飽くことなく続けられている。
どんなに愚かしくともそれが商業文化の宿命であり、我々はその中で戦い続けるしかないから、そのこと自体を否定する気はさらさらない。
しかし世の中の文化をすべて市場競争原理の支配下に置いたらどういうことになるか。
商品性の低い文化はあっという間に絶滅してしまうだろう。
再版制度廃止の向こうには、文化に正札を付け選別しようと得意満面のお役人やお知識人の顔がありありと見て取れる。
例えば視聴率やヒット・チャート。
あんなものは単なる商売の指針であり広告代理店の営業の参考資料でしかない。
商業音楽に携わっている以上、話題にもするし一喜一憂もするが、あんなものに文化の優劣の判断基準になどなるはずもない。
こんな当たり前のことさえ口に出して言わねばわからない。
ある種の文化はそれほど金儲けの手段としてオイシイものなのだ。
(中略)
CDが安くなる?賭けてもいいが、どこかのバッタ屋に1280円で山積みされた安売り新譜の中に、私の欲しいものは一枚もないだろう。
何かといえばすぐ「アメリカでは~」だ。
鹿鳴館を一歩も抜けられていない。
1997年(当時)のこのご時勢にアメリカのマーケットと日本とを同一視する想像力のなさ。
アメリカのCDシングルのマーケットはとっくに壊滅している。
あれと同じにしたいらしい。
アメリカでは今やCDシングルはアルバム拡売用の販促物に堕し、レコード店頭で無料に大量にばらまかれている。
山下さんのこのコラムからざっと25年。
音楽を楽しむ形態が様変わりしたのは
いうまでもございません。
日本の文化の価値判断って本当に
遅れているというか、わかってねえなー
というか。
しかしこれ、文化だけにどどまる
話ではなく、政治にも似たような傾向が…。
だからなのか?
夜勤明け、頭痛くなってきたから
今日はそろそろ休ませていただきます。
定本 作家の仕事場:篠山紀信著(1996年) [’23年以前の”新旧の価値観”]
「後記」 から抜粋
この本は「小説新潮」に昭和54年(1979)より5年間ずつ連載されたグラビア「日本の作家」「往復書簡」「日本人の仕事場」の中から。
主に小説・文芸に深く関わる134人の方々を選び、それに柳美里氏を加えて構成した。
登場順は生年月日順とし、同誌に同時掲載されたそれぞれの作家の横顔を紹介する文章も再録した。
(中略)
1996年12月 篠山紀信
野上彌生子、宇野千代、井伏鱒二、井上靖、
埴谷雄高、水上勉、色川武大、
向田邦子(亡くなる四ヶ月前!)、
椎名誠、ビートたけし、村上春樹、
吉本ばななさん達、他。
中上健次さんの写真が
色んな意味ですごい。
これは他の本
「RYU’S 倶楽部「仲間」ではなく友人として
:村上龍対談集(1997年)」で、
篠山さん・村上龍さんが対談しているのを
引いた方良いように思う。
この写真集をネタに2人で話し合っておられる。
■篠山
出たね、中上健次。
■村上
うーん…(また感慨深げ)。
■篠山
こうやって生年月日順に見てると、相当この人は若いわけだよ。
もう終わりの方なんだから。
だけど、やっぱり死んじゃうんだよね、早く。
才能というのは、ずっと生きていて何も書かないでダラダラと生きているやつもいれば、こんなふうに溢れる才能で書きまくって突然パッと亡くなっちゃうのもいる。
中上健次なんか、そういう意味で早死にだよね。
それと、生き急いでいたんだもの。
なんか、ソウルに一緒に行ったんだよ。
その時も、顔、真っ黒だったよ。
■村上
毒を飲むようなところがあったしね。
■篠山
なんにも体にいいことしなかったもの、彼は。
■村上
(生原稿の文字の羅列のアップを見て)すごいね。
■篠山
コクヨの集計用紙に書くんだよね。
これ一枚で、400字詰め原稿用紙を6枚超える量らしい。
■村上
すごい写真だね、しかし。
■篠山
この時、本邦初公開だったんだよ、コクヨを見せたのは。
象形文字のような迫力で圧倒されます。
これはテキストでは、本当に伝わらない。
写真を見れば一瞬でわかる。
それから、島田雅彦さんの写真に
添えてある、村上龍さんの文章
遅れてきた理由 村上龍
さあ島田雅彦のことを書こう、と思って、こうやって原稿用紙に向かってみて彼のことを何も知らないのに気がついた。
もちろん著作は読んでいるし、私の映画「トパーズ」に出演して貰った関係で、よく話もしている。
だが、当たり前のことだが、一緒にメシを食いながらの話は、抽象的なものになってしまう。
二人ともテレ屋なのでしょうがない。
「実は、ぼくは~~の生まれで、~~の頃から、~~的なところがあって、今も~~なんですよ」みたいなことは一切言わない。
島田君に関して、最も印象に残っていることがある。
もう2年前になるが、「トパーズ」クランク・イン万歳というパーティをやった。
ドン・ペリニョンを15本くらい空けて。
実はそのパーティの席で、私は「映画に出てほしい」と正式にお願いしたのだった。
伝え聞く少人数のスタッフとシステムを徹底させること、プロモーションには協力しないこと、役作りでは自分の考えも入れてくれること、三つの条件で、島田君はOKしてくれた。
「ボクは彼の才能を愛している、君らもそうだと思う、だからボクは出演する、最高に変態的な映画を作ろうじゃないか」
というスピーチまで披露してくれた。
だが、奇妙に印象に残っていることというのは、島田君が、そのパーティに遅れてきた理由だ。
パーティ会場に入る前に、私達はそのホテルのバーで待ち合わせていたが、彼は一時間も遅刻した。
遅れてきた彼は、
「親類に子供が生まれて、とても可愛かったので、じっと見てたり、触ったりしてるうちに、遅れてしまいました」
と言ったのである。
奇妙だが、納得できる理由だった。
抽象的・その逆な表現が面白かった。
仕事に関係してないから、不要ってことなのかな。
それはさておき
「トパーズ」は強烈だった。
映画も小説も。
こういうことが今東京の片隅で、
行われているというカルチャーショックというか。
20代だった自分はまるで外国人の
ように反応してしまった。
外国人と「トパーズ」について
話したことないから推測だけど。
余談だけれど、村上さんはこの数年あと、
映画「KYOKO」を撮るんだけど、
それで自分の手法を確立できたみたいなことを
おっしゃっていたけれど、そのきっかけが
映画「トパーズ」だったんじゃないかな
と思うんだけど。
なんとなくそれが当時、自分も、
勝手に嬉しかったのを覚えてる。
「映画とは」「売れるためには」みたいな
メソッドで、押し込んでくる
抵抗勢力から逃れられたのかなと。
うまく表現できませんけれど。
読まない力:養老孟司著(2009年) [’23年以前の”新旧の価値観”]
養老先生の書籍は何冊も読み、
こちらでもご紹介賜っておりますが、
この本ほど付箋を挟んだ本は、
今の所ない。
どれを取り上げるか迷う所だけど、
一つならば、こちらを引用でございます。
広島・長崎の意味(2007年10月)
(中略)
多くの人は忘れていると思うが、東海村で事故があり、関係者が何人か、入院加療後に死んだ。
その一人の病状を私は詳しく知る機会があった。
担当の医師が私の後輩で、説明してくれたからである。
その医師がなぜ私に患者の病状を説明したか。
しなければ、いられなかったからである。
もちろん守秘義務があろうから、単純に公にはできない。
それなら医師ですら、耐え切れない思いがあったのである。
結論をいえば、人間には他人をああいう眼に遭わせていいのかというのが、原爆の倫理問題である。
私はそう思っている。
その話題が出ないのは、人々が意外にそれを知らないし、知ろうとしないからであろう。
広島・長崎を知っている日本人ですらそうなのだから、世界の人のことは簡単に想像できる。
はっきりいうなら「わかっちゃいない」のである。
人間はどうせ死ぬ。それならどう死んだって、同じじゃないか。
それをいうなら、誰でも死ぬ。それならどう生きたっていいのか。
ヒロシマ、ナガサキがあったおかげで、じつはあのあと核戦争がなかったのだと私は思っている。
その意味でなら、あの犠牲もムダではなかったのかもしれない。
もうそれを忘れかけているらしいから、老人としては一言、言い遺しておきたいと思った。
核爆弾の使用は全てテロだ。国連はそう決議すべきであろう。
禁止という言葉には具体性がない。つねに例外が生じてしまうからである。
殺人と戦争の関係がそうであろう。
余談が思いつかないほど、
これ以上、追記することはございません
あえて無粋ながらいうなら、
天才の仕事は時代を越える。
安部公房全集29 (2000年) [’23年以前の”新旧の価値観”]
■安部公房氏語る(1991.06.27)
現代が何かを端的に言うと、自分が自分を見ることができるようになった時代だ。
遺伝子が自分の顔を鏡に写してみた時代だろ、言ってみりゃ。これは不思議な時代だよね。
しかし気をつけないといけないことはね、遺伝子が言葉で自覚したと言うこと。
ここにすごいトリックがあってね。
気をつけないといけないことはね、言葉が無かったら今話してきたことはゼロなんだ。
何もないんだよ。
しかし、その言葉というものは、遺伝子がプログラムしたんだ。
つまり(遺伝子が)言葉をプログラムした瞬間に遺伝子が遺伝子を見たわけ。これが一番重要な問題だ。
だから人間とは何かと言ったら言語です。よく「言葉じゃ言い切れない」というけれど、「じゃあ、何で言い切るんだ」と聞きたい。言語はある意味で最後のなぞなんだ。
ー 難しいですね。人の意思や言葉が、もし遺伝子を温存するためにプログラムされているとしたら、なぜ遺伝子を殺す戦争を人がするのか。矛盾しませんか。
違う。それは違うよ。そういう発想を可能にしているプログラムがあるだけで、プログラムでそういう発想をするわけではないんだ。
一番肝心なのは、チョムスキーの言語理論。それは、言語を可能にする能力は、すでに遺伝子にプログラムされているという理論。(しかし)日本語や英語がプログラムされているというわけではない。
ある条件が整うと人間はグループを形成し言語を発生するということに気がついた。
つまり、子供だけがある集団を作って、親はみんな死んじゃった、という時に子供同士で新しい文法考えて作り出しちゃう。
実際生きた現実としてハワイで起きた。
この能力がプログラムされた能力。だから、どこでできようと大体基本的に似た言葉ができる。
これを(私は)クレオールと規定している。一口に要約すると、親から教えられたのではない言葉。
古代日本もクレオールという説がある。ということを(もとに)書く。これが「アメリカ論」。
ー アメリカ?
そう、アメリカは今言った問題の精髄なんだよ。
言語から文化に広げると、アメリカ文化の精髄は、自動車じゃないんだよね。<ジーンズとコーラ>なんだ。
二つの特徴は国籍がないんだ。親がいらないんだよ。
たいてい衣装でも習慣でも親がつける。しかしジーンズを着なさいという親はいない。
コーラを飲みなさいという親もいないぜ。だからモスクワの青年でも北京の青年でも飛びつくんだ。
これは一つの国際スタイル。それでアメリカとは何かということに…。
分かりやすく言うと伝統を拒否した文化。
親のない文化っていうか、子供だけで作ってしまう文化。だから本当はクレオール論なんだ。ただクレオールって言ってもわからないだろ。
三島由紀夫さんが最後の対談で語っていた、
「安部公房のような方には僕はいけない、僕は日本の古典が染み込んでいる最後の世代なのだから」
と言っている意味が少しわかったような気がした。
安部さんの方が若いから、当然だけど新しかった、
そしてそれは三島さんも「仮面の告白」の時は
最高に若くて新しかった。
■万年筆とワープロは100%同じだよ(1991年11月)
ワープロも万年筆も、結局は各手段に過ぎない。そしてその手段は、最後の表現形態である「活字」に呑み込まれてしまう。
使った画材が最後まで残り、そのマチエールが鑑賞の対象になる絵画などとは根本的に違うんだ。
読者が読むのは書かれている文体であり、筆記用具でもなければ、書体でもない。
そして文体とは結局筆者の脳(思考)の構造にほかならないんだ。
嫌味な言い方になるけど、特に文学の場合、作品を決定つけるのは、しょせん作家の才能じゃないかな。
才能がなかったら、筆で書こうと、ワープロで書こうと、どうしようもないじゃないか。
カメラだってそうでしょう。マニュアルでも、オートでも、シャッターチャンス、つまり写真家の眼が大切なんだ。「ワープロで打った文章には魂がこもらない」と言う意見があるって?馬鹿な。
万年筆からだけ出てくる「魂」なんで、ずいぶん軽薄な「魂」もあったもんだよ。
当然のことだけど、手段はなるべく簡素で、使用感が希薄な方がいい。車だって産んでし易い方がいいだろ。
その点、今のワープロ、まだ完全とは言い難いな。でも僕の場合、スピードはいらない。指の動き以上の速度で思考するなんてこと、ありえないからね。
(中略)
でももう一歩の改良は望みたいな。通電から作業開始までの準備時間の短縮、プリントアウトのスピードアップ、それから携帯用小型器とのフロッピーの互換性の向上。特にこの最後の注文が実現してくれたら、もう一度ワープロの出現の時に匹敵する感動が味わえるんじゃないかな。
「安部公房全集」のすごい所は、
こんな短い文章までも掲載するのか、ってのと、
装丁のデザインが素敵で安ければ買いたいところ。
装丁は安部さんの直接手がけた仕事では
ないけれど、安部さんの仕事が
引き出したものとも言えるのかなと。
余談だけど、この随筆を読んでて
思ったのが、ここから突然音楽の話に
変わるのだけれど、自分は
なぜかこの2-3年聴いていて、
それは他にない「雰囲気」と「声」が
とてもお気に入りなんですけれど、
音楽って結局この「他にない」「雰囲気」と
「声」なのではないかと。
自分にとってはってことなんだけど。
90年代の音のあしらいを持っているけど、
もしも「曲」だけシンプルに削ぎ落としても、
そこは変わらなそうと感じた。
なので、「ボブ・ディラン」「ニール・ヤング」の
初期の弾き語りも同じ理由で、
演奏はシンプルでも、伝わるものが
横溢してるから深く感じて、
あわせてよく聴いております。