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そして、人生はつづく:川本三郎著(2013年) [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]

長年連れ添った奥様を亡くされて一人になっての心境からはじまる。


「まえがき」から抜粋


一人暮らし、それももうじき70歳になろうとする人間にとっても「秩序と平和を創造すること」がいかに大事であるか。

自己管理をきちんとし、静かに暮らすこと。

一人暮らしになって静かな一日を送ることの困難と、それゆえの幸福を知るようになった。

家事をし、仕事をし、散歩をし、一日の終わりに酒を飲みながら、昔の映画をビデオで見る。

無論、そんな平穏な一日が毎日あるわけではないが、それだからこそ「秩序と平和」が大事なものに思えてくる。

もうあまり大きな声でものを言いたくない

「独り居」の中にささやかな喜びを見つけてゆきたい。3.11のあともそんな思いで書き続けた。

あれはフェリーニの映画だったか、「私は生きることより思い出すことのほうが好きだ。

結局は、同じことなんだけど」という意味の言葉があった。

日記を書くとは、まさにその日その日を思い出にしてゆくことなのだろう。


日記は本当にそういう局面あるだろうな、と思い自分も20年くらい続けていたけど、あえて一昨年やめてみた。


その時間、家族と話したり、眠る時間に費やしたほうが得策だと熟考してのことだった。


でも、川本さんの本を読み、またつけてみようかなと思ったり。


「家事一年生」から抜粋


一人暮らしでいちばん気をつけないといけないと悟ったのは忘れること。

電気のつけっぱなし、洗濯ものの取り込み忘れ、水道の水の出しっぱなし、日常生活には実に忘れることが多い。一度、ガスのつけっぱなしにしていて青くなった。

よくあるのが、電子レンジで温めたものを取り忘れること。

食事が終わってはじめて気がつく。

なにかおかずが一品少ないとは気づいていたのだが。

家事一年生には勉強しなければならないことがたくさんある。

今日は朝から天気がいい。久しぶりに布団を干した。

取り込みを忘れないようにしよう。(「暮しの手帖」2009年初夏号)


川本さんもつげ義春さんがお好きなようで、「ねじ式」よりも、温泉ものが良いと言うのに大きく同意させていただきたい。


シュールでメッセージ色あるものよりも、牧歌的なものの方が自分も昔から好きだった。


本も音楽も最近、素朴なものの方が、富に好みです。


そんな気持ちが川本三郎さんの本に向かわせたのかもしれないな。


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地球で生きている ヤマザキマリ流人生論(2015年) [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]

「この母にしてこの娘あり」から抜粋


■可愛い子に旅をさせたかった

頼りがいのある自分に気づく

何年経っても不思議に思うのは、まだ世の中に14年しか生きた経験のない子供を、1ヶ月間も日本から遥か遠く離れた土地へ一人で旅行へ行かせようと思い立った母の心理だ。

やがて自分も子供を持つ立場になり、果たしてそんな思い切りと勇気が持てるかどうかシミュレーションしてみたが、子供がたとえ平気だと言っても、その間留守をしなければならない私が抱えるであろう不安のことを思うと、簡単に「行ってこい」とは言い難い。

それでも母は、あの時空港で飛行機に乗り込む私を毅然とした態度で見送った。

やせ我慢の得意な人だから、内心では様々な思いがひしめき合っていたのだろうけれど、それは私の留守中も、一切言動や表情に露見させることはなかったらしい。

(中略)

真冬のヨーロッパの朝は暗い。

手元に握りしめられた交通公社刊の「六カ国会話集」は、思いを言葉に転換させる速度にページをめくる速度がついていけず、さっぱり役に立たないのに、全てのページがくしゃくしゃになっていた。

フランスにドイツにも厄介になった家には私と同じ年頃の女の子達がいたが、皆信じられないくらい大人っぽく、美しくて、かっこ良かった。

食べ物は朝も昼も夜も、それまで食べたことのないようなものが毎日続いたが、言葉が不自由な代わりにせめて食べ物越しに私を受け入れてくれている人々への感謝やシンパシーを表明しようと、どんなに不味いものであろうと、何でももりもり食べることに尽くした。

気を緩めると「私はなぜこんな自分と関係のない土地にいるのだろう」という疑問で飽和するから、とにかく余計なことは考えないようにする。

為すべきことをこなそうと心に固く決めて毎日を送るのみ。

滞在先で熱が出て寝込んでも、予約が間違っていたせいで連泊するはずのホテルから突然追い出されても、列車の乗り換えがわからなくて話しかけた駅員に何故か激しく怒鳴り散らされても、とにかく泣いたら終わりだと思って耐え抜いた

泣いたって何も解決しなさそうなのは、誰一人自分に気を止めているわけでもない周辺の様子を見れば一目瞭然でもあった。

そうしているうちに、ふと、自分というのは、実は思っているより頼り甲斐がある人間なのではないか、もっと頼ってみてもいいのではないか、という思いが湧き起こってきたのを覚えている。

こんなに心細くてたまらないのに、今にも泣き出しそうな心地なのに、それでも両足で大地を踏みしめて歩いている自分が、母よりも誰よりも逞しい存在に感じられてきたのだ。

いろいろ大変だけれど、自分がいる限り大丈夫だ。

成し遂げられる。

その場を乗り越えるための一時的な暗示だったにせよ、これは効力があった


常にこういう「思い」でいるってわけではないだろうけど。


こういう暗示を本気でかけられるってすごい体験だ。


こうでもしないと何かが崩壊してしまう危険にさらされていたんだろうな。


こういう経験からくる「自己防衛本能」というか「生存戦略」というか、を得ている人って、いざという時、強そうだ。


この後のヤマザキさんの人生に於いての危機対応管理力に影響を与えていることは間違いなさそうだ。


こういうバイタリティは、年齢や性別に関係なく見習いたい。


余談だけど「美味しい」というのは世界共通で幸せの感情を表明するようで、椎名誠さんがジャングルの奥地に行った時、その民族からまず「美味しい」をその民族の言語で教えてもらっておいて、実際何かを食べたときに言うとコミュニケーションが弾むと言うのを何かで読んだ気がした。


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小林克也 洋楽の旅:小林克也著(2021年) [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]


小林克也 洋楽の旅

小林克也 洋楽の旅

  • 作者: 小林 克也
  • 出版社/メーカー: 玄光社
  • 発売日: 2021/05/31
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

80年代を20代で過ごした自分達にとっては、この方と言ったらなんといっても「ベストヒットUSA」。

でもその頃から一味違う、視点がクールでしたよ。


それは下地として心理学博士との馴れ初めがあったのですね。かつシニカルなのは資質かな。


■「はじめに」から抜粋

(中略)

22歳の時、アメリカの心理学博士ドクター・キャサリンと出会った。

(中略)

実はこの心理学の先生から大きなヒントをもらうことになるんだよ。

「心理学でも何でも、学者が研究を続けていくといろんな壁にぶつかるんだよ。

するとね、その度に仮説を作ってみる。こうなんじゃないだろうか?

いやそれともあーなんじゃないだろうか?

すると答えが出る。いや、違ってた、これも違ってた。

でもね、その仮説が正しいこともあるんだ。

アインシュタインの相対性理論だって仮説から生まれたんだよ」

このプレゼントもね、後々になってオレの役に立っている。

(中略)

「アーチストがコラボしたり、フィーチャーを頻繁にやるようになり、グループの数が可哀想なくらい減っている」

こりゃ、当たり前だよね、相性のいい組み合わせがカンタンに作れる。

曲も共同で作れる。悪い曲ができたりするムダも省ける。

ロックグループが減ってくるよね。

こんなちょっと頭を使う仮説的な遊びも番組に取り入れるんだよ。

聴いてる人もより頭使うようになる。

つまりね、二流のオレのくだけたシャベリと、一流のシャッキッとした悟りと誰も考えないような思想、もちろん大ウソの可能性がある。それを全部番組に入れるの。

ウソだって強いんだよ。

トランプなんか「こないだの大統領選挙はインチキでオレが負けた」ってまだ言っててそれを共和党のほとんどが「その通りです」って支持してる。あの立派な国アメリカをウソが堂々と歩くんだよ。

 ーーーーーーーー

■「第二章ラジオの世界へ足を踏み入れる」から抜粋

 

僕のお気に入りのDJの一人に、アメリカのFENなんかですごく人気のあったサンフランシスコのトニー・ピッグマンという人物がいたんです。

彼のラジオショーは、「レディス&ジェントルマン!ディス・イズ・トニー・ピッグ!」というセリフでスタートしたら、何も喋らないでそのまま3曲続けて流すんです。

その後で、彼がラジオボイスでない声でボソボソっと「今流れたナンバーは何とかと何とかでした」と曲名を紹介して、また3曲続けて流すんです。

このトニー・ピッグという人物は、まさに異才のDJでした。ともかく、彼は余計なことは一切喋らないんですよ。

それでいて、番組中に時々「クスッ」っという若い女の子の笑い声が入っていたりして「おいちょっと待てよ、今の声は誰なんだ!?すぐ傍に女がいるな」とか、そういうことがわかるような仕掛けになっていました。

(中略)

僕はウルフマン・ジャックと一緒に番組をやったことがあるんですが、彼は短いイントロで簡単なジョークを使って曲を紹介する時に手元に資料を置いて、

「この曲はすごくホットだよ~!だから、うちの放送局のアンテナに鳥が乗っかっていたら、焼け死んで落っこちちゃったんだよ」とか言うの。

しかもあの声でやるわけじゃないですか。

そこでボーンと曲を流すと、それが彼のトークとマッチしていてすごくカッコいいんですよ。

彼はそうやって一つの曲を脚色することができる人なんです。

彼のように人気があるDJは、みんなそういう風に独自のスタイルでやっているんですよ。

僕がいつも思っているのは、ビートルズの曲なんかはみんな知っているわけだから、

「じゃ次はビートルズの「ヘイジュード」です」とDJが紹介して、すぐにポールの声で、

「ヘイ~ジュード♪」と始まったら、それは最悪の紹介の仕方なんですよね。

ところが日本のラジオ番組の場合、それをわざわざ

「ビートルズは四人組で、これはポール・マッカートニーが作った曲で、ジョン・レノンがアレンジして~」

なんて解説したりする。

だから日本のラジオ番組とアメリカのラジオ番組というのは根本的に違うものなんですよ。

いうならば、アメリカのラジオ番組というのは、すごく音楽的にセンスのあるお笑いの人が曲を紹介しているような感じで、曲の内容なんかを紹介することはないんです。


DJ哲学というかラジオ哲学みたいなものが、貫かれているので聴いてて心地良いし痛快。


アーチストに媚びるでもなく、かといって完全にリスナー寄りでも、まして業界至上主義でもない独自視点が今でも素敵です。


それがダメだって人ももちろんいるのでしょうけど。


この方と双璧をなすのは、ピーターバラカンさんで、このお二人の功績がなかったら日本のポップorロックの解釈は、かなりちがったものになっていたのではないかと。


「スネークマンショー」やYMOも、当時聴いてはいたのだけど、自分はテクノになじめなかった。


というか、肉声の少ない音楽が若い頃は抵抗あったのか。


細野晴臣さん文脈で音楽を捉えられなかったのですよなあ。


はっぴいえんど系譜だと、どうしても大滝さん派に属しておりました、不遜ながらも「隠れナイアガラー」とでもいうか。


余談だけど、細野さんのファーストは最近よく聴かせてもらってます。


ってほんとに余談だな、これ。


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正宗白鳥―何云つてやがるんだ(ミネルヴァ日本評伝選):大嶋仁著(2004年) [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]


正宗白鳥―何云つてやがるんだ ミネルヴァ日本評伝選

正宗白鳥―何云つてやがるんだ ミネルヴァ日本評伝選

  • 作者: 大嶋 仁
  • 出版社/メーカー: ミネルヴァ書房
  • 発売日: 2004/10/10
  • メディア: 単行本

小林秀雄さんが唯一、影響を受けた批評家というのを、講演会のCDを聴いて、昔から興味はあったのものの、なかなか機会に恵まれず、今回この評伝を読んだらさらに面白そうと感じた。


第一章生い立ち 人間不信 から抜粋

 

ある日試験があって、「日本では誰が一番偉いか」という問いが出されたという。

教師は生徒たちに「和気清麻呂」とか「楠木正成」とか書いてもらうことを期待したが、少年白鳥はあっさり「馬琴」と答えている。(「私の履歴書」昭和31年、1956年)

当時の彼が馬琴文学に夢中になっていた事は事実であるが、みんなが書きそうな答えを敢えて書かず、教師という権威に簡単に応じないところに後年の白鳥の面影があらわれているといえる。

もっとも、彼は生来の反逆者、反権力の権化ととらえるのは誤りである。

権威に対して従順であったことはないにせよ、何かに対して正面から反抗する気質は彼には乏しい。

彼を特徴づけているのは「反抗」ではなく「不信」。人間不信、社会不信の塊(かたまり)なのである。

こうした彼の気質を「岡山気質」として一般化するだけでなく、狭苦しい村で経済的にも文化的にも優越してした地主の長男であったということも注意したい。

家では大事にされても周囲からは孤立して育った彼は、周りを馬鹿にしておれば済むというわけではなく、つねに周囲を恐れ、世間を警戒したのである。

無論、地主で教員をしていた父親の教育の影響もあったろうし、四国の武家の出であった母のしつけもあったろう。

加えて、教養ある、厳格な祖母の存在もあった。はじめから世間と一般を画して育てられたことは間違いのないことで、それは次の文章からも窺い知れる。

 

明治十年代にこの瀬戸内の漁村に生まれた私は、あの頃此処に生存していた太郎兵衛次郎兵衛の感化を受けたのである。彼等によって人生を知るやうになったのである。

自分の家を一歩出れば我儘の通らぬ事を、子ども心によく覚えた

他所の子供の持っている玩具を我が物としようとして争って、負けて泣いた事も、人生を学ぶ最初の一事件であった。

垣の外をのぞいて、さまざまな人生光景を見たが、それ等は大抵嫌悪すべき記憶をのちのちまで留めたのであった。(「人間嫌い」昭和24年、1949年)


「岡山の風土」から抜粋

 

白鳥は人一倍宗教的関心の強かった人として知られているが、彼の生まれ育った岡山という土地はその点でも関係があるだろうか。

岡山というと古くから備中に吉備津(きびつ)神社があり、古代日本の宗教的中心地の一つであったが、神道とあまり縁のなかった白鳥に、そのことは直接関係がなさそうである。

 

僕は死ぬるとき、どう言って死ぬるか、キリストを拝んで死ぬるか、あるひは阿弥陀仏で死ぬるか。(「文学生活の60年」昭和37年、1962年)

 

これは晩年の言葉であるが、ここに「阿弥陀仏」が出てくるのは注意を惹く。

「阿弥陀仏」への帰依を唱えた法然(ほうねん・1133年~1212年)は、なんと吉備津神社の神官の子だったのである。(黒崎秀明「岡山の人物」1998年)


この評伝では、白鳥さんが法然を知っての「阿弥陀仏」なのかは不明とされているけど。


いやあ、知ってたと思うけどなあ、勘だけども。


それと学生時代を経て、読売新聞に勤めていたらしいけど、主義主張の違いから、辞めた件。


まあ、そうなるよな的な展開。こんな人が新聞社にいたら大変だよ、きっと。


そして、最期は何を拝んだかも書いてあるけど、今回は割愛し、ご夫婦の関係の方をフォーカスいたします。


「第4章結婚と成熟 無関心と寛容」から抜粋

 

白鳥夫妻の海外旅行の様子を映している作品に、「髑髏(ドクロ)と酒場」(昭和6年、1931年)がある。

そこに出てくる二人は極めて親密な夫婦で、例えば妻がパリのホテルの「女中」を格好が良いというと、夫がどの「女」を見ても絵画の中の人物のようで何を考えているのか分からない、と言う。

今度は妻が「同じ人間」だから言葉が通じなくても気持ちは分かると言うと、そう思うのは「うわべ」だけで、実際には分かったものではないと夫が言い返すのである。

互いの見解を認めつつ、それぞれが意見を出し、たわいなく会話を楽しんでいる様子が窺える。

(中略)

白鳥の寛容さは、彼の一見した無関心と冷淡の裏返しである。

たとえば「他所の恋」(昭和14年、1939年)という作品、そこに日本人と結婚した「不幸」なアメリカ女性が描かれているが、このアメリカ女性とその夫とは、周囲から見ればいかにも惨めな夫婦であるにもかかわらず、白鳥はこれを見て、本当に彼等が「不幸」かどうかは分かったものではないと言っている。

他人に安直に判断されると「何云ってやがんだ」と反感をいだくのが常であった彼は、無関心・冷淡と見える態度の裏で他人を勝手に判断しない公平無私な姿勢を貫いていたのだ。

これは寛容の倫理のあらわれといって良いもので、白鳥のそれがネガティブにあらわれるので目立たないが、ネガティブだからこそ確実だとも言えるのである(大嶋仁「異人の倫理と他者の倫理」参照)。

白鳥が歳とってから書いた「女といふもの」(昭和36年、1961年)には、「女」についての次のような文章がある。

白鳥の異性への対し方のみならず、他者へのまなざしが端的にあらわれている。

 

女なんて単純なものだとか、女は魔物であるとか、容易に極めかかるものもあるが、さう簡単に極められはすまい。女性には女性として、男性の窺ひ知らぬ魂の動き心の動きを持っているかもしれない。

さう思って、街上や乗物のなかで、婆さんの顔や少女の顔や、種々雑多の女性の顔を見ると、そこに生理上の現象を見るばかりでなく、哲学的疑問をそこに宿しているらしくも思われるのである。

 

これは皮肉ではなく、真面目な言葉と受け取らねばなるまい。

「女」にかぎらず、どんな存在にも、自分とはちがって「窺い知らぬ」面があるとつねに意識しつづけた人、それが白鳥だからである。


小林秀雄さんも正宗白鳥さんも共に色々あったようだけど、終生伴侶に恵まれ仕事を成されたと言えるのではないだろうか。


獅子文六さんの「娘と私」なんか読むと、男尊女卑の思想が見てとれるので同じ明治生まれという共通点で見た時、白鳥さん達夫婦は稀有な存在だったような。(だからってどちらがどうだってわけではないよ、「娘と私」は白鳥さんでは書けないと思うし。)


この評伝によると白鳥さん達は見合い結婚で(「見合い or 恋愛」は関係ないかもしれないが)お互いを認めつつ成長できる、という関係って自分が思うに理想だ。


偉大な人物の影に、支えたパートナーがいるってのはよくある話で、それは人間は一人では生きられないことを象徴している気がする。


今度、随筆のみならず小説も読んでみよう。(ってまだ読んでないんかーい!)


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文民統制の危機:立花隆(「文藝春秋」2015年11月号) [新旧の価値観(仕事以上の仕事)]

「知的ヒントの見つけ方(2018年)」から記事の抜粋

唖然とした。何なのだこれは、と思った。しばらくテレビ実況に見入った。

9月17日の安保法案強行採決の場面だ。

(中略)何に唖然としたのかというと、あの決定過程だ。

野党から平和安全法制特別委の鴻池委員長に対して不信任動議が出された。

その採決をする間、委員長職が鴻池氏から自民党の筆頭理事たる佐藤正久議員(かつてのイラク派遣自衛隊のヒゲの隊長)にゆずり渡された。

しばらくして不信任動議が否決されると、鴻池委員長が委員長席に復帰した。

その瞬間だった。強行採決劇が一気に進行した。

突如屈強な一群の若手自民党議員が入ってきたかと思うと、アッという間に委員長席周辺を取り囲んだ。そのただならぬ様子にいよいよと察知した野党議員たちがドッとかけつけた。

たちまち両陣営が入り乱れての怒鳴り合い、つかみ合い、殴る蹴るの乱闘シーンがあちこちで繰り広げられた。怒号が飛び交う中、いつの間にか議場の一角に移動していたヒゲの隊長が手を何度か上下に振ると、それに合わせて与党議員たちが一斉に立ったり座ったりを繰り返した。

声がちゃんと収録されていなかったので、テレビを見ている人には何が起きているのかさっぱりわからない。

テレビ実況のアナウンサーが、「今何が行われているんですか?」「さあ何ですかね」と言葉を濁したくらいだ。議事録上には「議場騒然。聴取不能」とのみ書かれているという。

聴取不能のわずか8分間のうちに、あわせて11本の安保関連法案の採決が全部終わっていた(と自民党は主張し、野党は無効を主張している)。

まるで、見物人の気が一瞬そがれた隙に全てが終わってしまう高等手品のような法案さばきだった。この間何といっても目立ったのは、議場の一角から全体の指揮をとっていたヒゲの隊長の采配ぶりである。優れた指揮官は戦場で味方の軍に指揮棒を一閃させるだけで、自由自在に兵を動かすといわれるが、それはこういうことをいうのだろうと思った。

その見事な統率力と采配ぶりに感心もしたが、同時になんじゃこれはと思った。こんなことが許されていいのだろうかと思った。

(中略)

これほどの無茶苦茶は、昭和戦前期の議会で政党政治がテロで一瞬に瓦解し、軍の専横時代を全面的に開花させたあの時代ですら行われなかったことだ。

悪夢を見る思いだった。軍がかかわる最重要の国策変更を、元軍人が全面に出て現場指揮を執ることで一挙に強行採決で片付けてしまったのだ。

それもわずか8分で。

(中略)

この場面を見ていてつくづく感じたのは、軍という組織が持つ圧倒的な行動力と組織力である。

あれを見て、軍が中心になって行動すれば、クーデタなんかすぐにできると思った。

史上最も有名なクーデタは、ナポレオンが一瞬にして政権を掌握した「ブリュメール18日(1799年)のクーデタ」だが、今回のヒゲの隊長の作戦は、手際からいって、それをはるかにしのぐものだった。軍はこういう危険性を内包した組織であるだけにそれ的な暴走を絶対に起こさせない仕掛けを内部に持っていなければならない。

それがシビリアンコントロールという制度である。

現代のいかなる国家も、軍という武力装置を持つと同時に、それに付随して軍を暴走させないためのシビリアンコントロール制度をあわせ持っている。

(中略)

安倍首相(当時)は、シビリアンコントロール制度は日本から消えたわけではない、その根幹は、軍の最高司令官たる日本の総理大臣が文民でなければならない(憲法66条)というところにある、という意味の答弁をおこなって(シビリアンコントロールは、「国民から選ばれた総理大臣が最高指揮官であるということにおいて完結している」)国民を安心させた。

だが、安保法案騒動のなかで、国民の相当部分が、安倍首相の平和マインドそのものを疑いはじめている。

日本は軍と軍人にいかなる地位を与えるべきなのか。

いかなる行動準則を与えるべきなのか。真剣に考えるべきときがきているのではないか。


ひどい話ですよなあ、これTVで見たことあるから覚えてるけど。


立花さんと同意見ですよ。恐れ多くも。


そして早くも、このことは記憶の彼方に行こうとしている。


余談だけれど、「文民統制」って「シビリアン・コントロール」のことだというのに、別の本を読んでて今日知った。


恥ずかしながら…というか、そういう人、もはや多いような気もするのだが。


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死後の世界:立花隆(「文藝春秋」2014年10月号) [’23年以前の”新旧の価値観”]

「知的ヒントの見つけ方(2018年)」から記事の抜粋

昨年暮れから制作にかかっていた

NHKスペシャルの「臨死体験 死ぬとき心はどうなるのか」が完成に近づき、私自身のナレーション入れが先日行われた。

一行一行内容を再検討しながら午後1時から八時間以上かかり、終わったときはクタクタだった。

これは1991年にやはりNスペで作った「臨死体験」の続編のような作品である。

あの「臨死体験」では、作ったあとに内容的にかなり不満を残したので、その不満を補うべく、「文藝春秋」で長い長い連載(「臨死体験」)を行った。

それを書くことで私はある程度満足したが、十分満足したかと問われれば、そうでもない。

臨死体験とはそもそも何なのか

というかんじんのところに明確な答えを出すことができなかったからだ。

臨死体験とはそもそも何なのかという問いに対しては、大きく分けて、二つの根本的に異なる立場がある。

一つは体験者が自分自身の確かな体験として語るすべての特異にして異常な体験(たとえば体外離脱)は、体験者が死に瀕する状況の中で活動不全に陥った脳が見た一種の幻覚であって、リアルな体験ではまったくない

とする立場である。

それに対して、もう一つの立場は、それは幻覚ではなく、ある意味でリアルに起きた事象そのものであって、そのような事象が起きたということは、死後の世界が存在する証拠と考える立場。

あるいはこの世の実体が完全物理世界ではなく、半スピリチュアルな(霊的な)世界であることの証明

と考える立場だ。

この世界は、全てが即物的な物理現象として存在するのではなく、半分以上が、物理世界を離れたスピリチュアルな現象世界として存在すると考えるのだ。

人間はその両方の世界を往復し認識できる能力を持っているという立場に立つと、それなりにこの説も合理化できる。

世界の構造とその認識に関して世の常識とはちょっとズレた世界認識、人間認識の世界に入り込んでしまうわけだが、アメリカの場合は、この認識がキリスト教信仰と重なりあい、スピリチュアルな存在との出会いが、神ないし、イエス・キリストとの出会いに翻訳されるので一般理解となる。


91年Nスペでは、


「臨死体験者の生まれ育った文化圏におけるスピリチュアル世界の要素を取り入れると、基本的に似たような認識が成立していることが示せた。」とはいうものの


「もう1段階科学的説明を深めることができず、最後まであいまいさを残して終わった。」


というのは悔いの残る仕事だったようだ。


しかし間も無く放送される今回の番組では、そこのところを徹底追求した。

この番組では、一部の人間の間で臨死体験の代名詞の如く使われている「幽体離脱」なる言葉は一切使わなかった。

なぜならこの言葉はあまりにも特殊な日本的オカルトスピリチュアルにまみれている言葉と判断したからだ。

どういうことかというと、この言葉はその前提として、そもそも人間とは肉体と幽体が結びついた存在であって、幽体はしばしば肉体から遊離して単独の霊的存在となるという考えの上に立っている。

これは江戸時代の神道思想に発し、その後丹波哲郎などが「大霊界」などで大衆に広めた理論だが、語感がもっともらしいだけで、そのようなものが存在するという根拠は何もない

そのような根本怪しげな理論は排除したのだ。


臨死体験と呼ばれる一連の不思議な現象は確かにある

それを真剣に科学的に研究している一連の学者が世界中にいる。

しかし、それはいかなる意味でも死後の世界と結びつくものではないし、怪しげなオカルト理論と結びつくものでもなかった。

しかしオカルトなしの臨死体験論は人間の脳と意識の深層世界に深く入りこむことでオカルト以上の面白世界に入っていった。


番組もNHK オンデマンドで先ほど拝見。見応えあった。


最後にがんに侵されている立花さん


「わからないから、知ろうとする、だから生きることは面白い」


と締めくくる。


脳科学研究が20年前より進んでいるとはいえ、解明まではいかなかったけれど。


 


でも、余談だけど、それでいいんじゃなですかね。解明されても何か得るものあるのかな。


解明されて何か良い方向にいくなら良いし、病気とかは治せるといいと思いますけど。


わからない領域があるからこそ人間世界なのかも。


生命科学者の柳澤桂子さん曰く、踏み込んではならない領域の一つなのかも。


 


さらに戻って、余談だけど、番組を見てていて気になった点、


ノーベル賞ホルダーの利根川博士を訪ねている。いわく


「脳が作りだす記憶からくるイマジネーションの部分が多くあり、リアルを阻害(幻覚)していると思われる。でも人間と動物の違いは、人間というのは


「アート」やるでしょ、


「サイエンス」やるでしょ、


「ミュージック」やるでしょ


それが人間を人間たらしめているわけで・・・」


みたいな部分。ちょっと言葉尻違うかもしれないけど。


この3点、思いつくままに言ったのかもしれないけど理屈ではできないものの内容を言っている気がした。


詳細が重要そうだったら補記しよう。眠れない夜にて。


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人間の未来AIの未来:山中伸弥・羽生善治著(2018年) [’23年以前の”新旧の価値観”]

iPS細胞で有名なノーベル賞ホルダーの山中伸弥さんと、将棋界の天才羽生善治さんの対談。


面白すぎて付箋貼りまくってしまい、全てが興味深かったのだけど、なんとなく選んだ二箇所の抜粋をご紹介。


「スマホは「外付けの知能」」から抜粋

山中■アメリカでは、「アポロ計画」「ヒトゲノム計画」に次ぐ巨大プロジェクトとして、前の大統領のオバマさんが2013年に「ブレイン・イニシアティブ」を打ち出しましたね。

脳の部位ごとの役割を解明して「脳マップ」を作成することで、脳のネットワークの全体像を解明する計画です。

 

羽生■アメリカに対抗してヨーロッパでも、巨大脳科学プロジェクト「ヒューマン・ブレイン・プロジェクト」を進めています。ローザンヌ連邦工科大学の主導で、EU(欧州連合)の資金をもとに、スーパーコンピューターを使って最終的にヒトの脳をシミュレーションすることを目標としています。

 

山中■そのあたりで、また何かブレイクスルーが出てくるでしょうね。まずアポロ計画で、コンピュータの技術が飛躍的に進んだでしょう。

そのコンピュータの発展があったからこそ、ゲノム計画でゲノム解読の技術が一気に進みました。

そこからさらにどう進化していくか楽しみではありますね。

 

羽生■個人的には、人間と機械の境界が、けっこう曖昧になってくるのかなと思っています。

というのは、例えばさまざまなハンディキャップを持った人が、機能を回復させるために人工的なものを取り込んで生活していくことになると、人体のうちどこまでが生身のもので、どれくらい人工的なものが入っているのかが、だんだん曖昧になってくる気がします。

 

山中■日本人は見た目を重視しますからね。

特に今、高齢者の方の介護が人手不足で、ロボットを導入する試みがなされていますね。

いいことだと思いますが、日本だとおそらく見た目も人間っぽいものが重宝されるでしょう。

でもアメリカだと、見た目はゴツゴツした機械的なものでも、それが実用的だったら広がるように思います。日本はそういう他の国にはない、見た目の要素も必要とされる気がします。

 

羽生■「ターミネーター」と「鉄腕アトム」の違いだと思います。(笑)

鉄腕アトムの功績は大きいですね。

知能のことに関していうと、今、かなり多くの人がスマホを持っています。

スマホを持っているということは、そのスマホが持つ知能を「外付けで持っている」ことにほかならない。

IQ(知能指数)で表現するのが適切かどうかわかりませんが、例えばIQ500とか1000の人工知能を携帯できる道具が技術的に現れたときに、体外に装着するか体内に入れ込むかは別にして、それを使わない人はほとんどいないと思います。

人間が四十六時中、それを身につけて物事を理解できたとしたら、IQ100の人は「IQ500とはこういうとだったのか!」と腑に落ちるわけです(笑)。

そういう意味でも、人間と機械の境目がすごい微妙になってくると思っています。

 

山中■今でもアイフォンなんて、10年くらい前の世界最速コンピュータに近いくらいの性能があるでしょう。

 

羽生■「アポロ計画」で使っていたコンピュータの性能よりも、アイフォンの方が高いはずです。

 

山中■それが、あんな小さな箱の中に入っていて、今みんなが使っていますよね。

学生たちは疑問があるとすぐ、アイフォンで調べるので、僕なんかいい加減なことを言ったら、即座に「先生、違います」(笑)。

それを使うのは、もう当然ですから。


「AI は抜群に優秀な部下の一人」から抜粋

山中■今後、僕たちのような研究者や医師たちの仕事がどう変わっていくのか。

たとえば、AIは「こういうことをすればどうか」と研究の方向性まで助言してくれるかもしれないですね。でも、それを実行するかしないかを決めるのは、やっぱり人間です。

 

羽生■AIは無意味なデータを大量に作るんです。

ずっと動いてくれているので、将棋の棋譜も何百万局と作ってくれます。

では、それが全部参考になるかと言うとそんなことはなく、その中のごく一部がすごく参考になるだけです。

だから、それに意味づけとか意義づけしていくのは、やっぱり人間なのかなという気がします。

 

山中■だから多分、AIって抜群に優秀な部下の一人なんですよ。

膨大な知識を持っていて、いつも冷静沈着。感情を交えずに「山中先生、これを選択した場合、このようになる可能性が13%高くなります」(笑)。

とても貴重な情報ではあるけれど、あくまでセカンドオピニオンというか、彼は部下の一人であって意思決定者ではない

それは医療の世界では決定的に重要なことなんです。

治療方針を最終的にどうするかは、患者さんと医師が決定するものですからね。

例えば、末期がんの患者さんに対して、AI君は「このがんは、いかなる治療をしても99.9%効果がありません。

だから治療は中止して、ターミナルケア(終末期医療)に移行しましょう」と論理的に言ってくるかもしれません。

でも、そういうことがわかった上で、ご本人や家族が「いや、それでもあきらめたくない。

最後まで闘いたい」と希望すれば、AI君がなんと言おうとも、希望をかなえてあげるべきでしょう。

その判断はやっぱり人間にしかできません。

そういう意味で、人間の意思は最後まで必要です。

AIが全部決めると、「医療経済的にこの患者の治療は必要ありません」とか「80歳の患者に何千万を要する治療は割に合いません」と判断しかねません。

「いやそれでも治療を続けたい」という希望は考慮すべきです。

 

羽生■そうだと思います。

 

山中■でも、もしかしたらAI君はその辺りの各種データをもとに「理論的に考えるとこうなりますが、この患者の性格と経済力を考慮に入れると、別の選択肢があり得ます」と指示するくらい賢くなってしまうかもしれないですけれど。

 

羽生■それにはおそらく、二つのアプローチがあると思います。

一つは何百万人分というビッグデータをもとに「確率的にはこういうふうな選択肢があります」と答えを出すやり方。

もう一つは、その人が生きてきた過去のデータを蓄積しておいて、それをもとに「彼はこういう答えを望んでいるはずだ」と答えを出すやり方です。

 

山中■その時は、判断の根拠となるような、その人の個人データを蓄積しておかなければいけませんね。ランダムに入ってくるデータは蓄積できると思いますが、個人個人のデータは個人情報の壁があってできるかどうかですね。

 

羽生■そうですね。ただ今はスマホを操作しているだけで、その人の情報全てフリーで「向こう側」に蓄積されています。

 

山中■確かに、頼みもしないのに、アマゾンから「あなたにおすすめの本」とか言ってきますから。時々カチンと来ますね。(笑)

でも相当賢い部下であるのは間違いない。


AIの発展は切望しつつ、それが、横暴で知性のない「上司」にならないことを祈りつつ。


なんか、そっちの方向に行きそうだよね。


しかも、資本家の良いように利用されそうで、ちと、いや、かなり怖い。


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知的ヒントの見つけ方:立花隆著(2018年) [’23年以前の”新旧の価値観”]

「はじめに」から抜粋

(中略)

やはり70代後半まで生きてきて痛感することは、長生きすることは意外に面白いということだ。

自分の70代以前の人生を振り返って思うことは、やはり70代以前の人間の言うことなど、つまらんということだ。

昔から、年寄りがとかく口にしがちな言葉としてよく知られているものに、

「50、60は鼻たれ小僧」(あるいは「40、50は鼻たれ小僧」)という決めゼリフがあるが、あれはホントだなと日々痛感している。

昔はあのセリフをただのジジイの繰り言と聞いていたが、今は逆でホントにそうだなと思うことが多い。


東京裁判と私(2017年2月号の随筆から抜粋)

 

NHKで12月12日から15日まで、4日間にわたって放送された「ドラマ 東京裁判」は従来の東京裁判者とは全くちがう視点から裁判を描いている。相当に面白かったが、かなり不満も残した。見てない人に多少の説明を付け加えれば、これはあくまでドラマであり、ドキュメンタリーではない。

(中略)

東京裁判は近年これまで発表されなかった資料のたぐいが完全公開されるようになり、特に若い人の間で、自由な討論がなされるようになってきた。

もう少しすると、高校の日本史の授業で、裁判の主要な論争点が公然と議論されるようになるだろう。そこまでいかないと、本当の日本の戦後はやってこない。


まだ日本は戦後がやって来ていないのか。すごいなこの展開。


そして立花さん、若い頃、東京裁判のキーナン検事とタイムスリップしての接近遭遇をしていたらしい。


出版社が買い取った財閥系の建物に、東京裁判当時キーナン検事など検事局の面々が宿舎として使用。


キーナン検事が好んで使っていた応接間などホテル並みの環境を利用するうち、段々と近しい存在と思うようになったご様子。


だがしかし。


後に東京裁判文献を読むと、この人は相当に知的にお粗末だったことがよくわかる。

日本の陸軍の軍閥なるものを、アメリカ・オハイオ州検事時代に扱ったギャングの一味のような組織と考えて理解したという。

そう言う話を聞くと、あの東京裁判全体が相当にお粗末だったということがよくわかる。

NHKの番組それ自体は悪くなかったが、裁判全体は相当にお粗末だったのだ。


NHKの番組は私も見て大変な力作だと感じ興味深く拝見。


裁判シーンは実際の映像で、裏の作戦会議などをドラマ仕立てに俳優を起用しての新撮影。


その作戦会議の建物を後年立花さんが使っていたものなのだろう。


でも東京裁判をそういう視点で考えたことある人って、今や少ないのではないだろうか。


「ギャングの一味」程度の認識だったって。


たとえ正しい認識をされてても問題ありなんだろうけど。


しかし、そもそも戦勝国が敗れた国を裁くっていうのも、難しい話だな。


「特別講義 未来を描く(文藝春秋Special 2015年冬号)」から抜粋

(中略)

日本が抱える最大の弱点とは何か。私は三つに要約できると考えます。

それは人口減、高齢化。そして夢のない社会。

いいかえれば日本が「悲観社会」になっていることです。

この三つは互いに絡みあっています。


少子高齢化をともなう人口減少の流れを止めることは容易ではありません。

だからといって私はこの状況を悲観一方で見ているわけではありません。

日本が敗戦を迎えた1945年の総人口は7200万人に過ぎませんでした。

あの頃を体験した人間として、日本の人口がたとえ7000万人程度に減っても社会は成り立つだろうと思っています。

とはいっても、子供や働き手となる年齢層が極端に少なく、高齢者がもっぱらという社会はいびつです。やはり子供も、働き手も充分いる状態が社会として健全です。

人口のバランスを取り戻すことを社会全体の目標と掲げ、出生率を高め、子育てしやすい社会を実現するなどの施策を進めていくことが必要でしょう。

”日本満員”の時代からアッという間に半世紀がすぎて、いま日本は人口減少時代のデメリットに悩まされています。

もっと女性に子供を産んでもらって社会全体で育てていこうという掛け声がさかんにかかっていますが、人口のバランスを本当に取り戻すまでには相当の時間がかかり、困難が続きます。

この状況を乗り切るには、高齢者を技術力でパワーアップして頑張ってもらうしかないと私は考えています。

 

そういう技術の一つの方向性を示しているのが、筑波大学大学院教授の山海氏らが開発したロボットスーツ「HAL(ハル)」です。

HALは、脳から筋肉に送られる微弱な信号を皮膚から捉え、装着者の意思をくみ取って運動をアシストします。脊椎損傷や脳血管疾患によって自力歩行できなくなっても、HALを着て思いのままに歩けるようになると期待されています。

今のところ日本でHALは福祉機器として承認を受け、介護施設で歩行のリハビリに使われているだけですが、ヨーロッパ(EU)では、すでに2013年、医療機器の承認を受けています。

日本でも医療機器として認められ、保険が適用されれば、病院への導入が進み、価格も下がるでしょう。HALを利用することで、寝たきりの人が立ち上がり、自活できるようになれば、本人にとって喜ばしいことであるだけでなく、介護費、医療費の節約になるはずです。


先進国は、どこも少子高齢化の道を歩みつつあり、近いうち日本と同じ問題に直面すると見られています。

一人っ子政策を1979年から進めてきた中国もそうです。

したがって、今、日本が率先して超高齢社会を乗り切る技術を開発しておけば、それが将来日本の食い扶持になる。世界中にHAL的なロボットを輸出して、それで日本が食っていけるわけです。

これは「悲観社会」を克服する方法です。


むかし流行ったマーケティングの小話で、誰も靴を履いていない国に派遣された靴販売会社の二人のセールスマンの反応という話がありました。

一人は

「この国では靴は売れない。何しろ誰も靴を履いてないんだから」

といい、もう一人は

「この国には靴の無限の需要がある。何しろ誰も靴を履いていないんだから」

といったというのです。

悲観論者と楽観論者の違いです。

この世の中は、悲観論者は自分の予測通り失敗して没落し、

楽観論者は自分の予測通り成功していくものです。

楽観主義でいきましょう。


立花さんの”人となり”をよく表している「楽観論」のような気がする。


賛否あるとは思うけど、楽観しないと前へ進めないのは確かかと。


しすぎも禁物だけど。


余談だけど、昨今「文春砲」とか言われ


ジャーナリズムも色々ありそうだし、


正直あまり得意なジャンルじゃないんだけど、


こういう気骨ある人たちに支えられてた


メンタリティを今の「大手既成メディア」は


継承して欲しいと切に願う次第です。


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音楽が終わった後に:渋谷陽一著(1982年) [’23年以前の”新旧の価値観”]


音楽が終わった後に

音楽が終わった後に

  • 作者: 渋谷 陽一
  • 出版社/メーカー: ロッキングオン
  • 発売日: 1998/12/10
  • メディア: ペーパーバック

「メディアとしてのロックンロール」から抜粋

72年当時、ロックは一つのシンボルとしての役割を負わされていた。

アメリカ、あるいはイギリスにおいてロックは単なる音楽ではなく、若い世代の時代意識やイデオロギーを反映したメッセージであった。

サイケデリック・ミュージック、メッセージ・ソング、そうしたものによって触発されたヒッピームーブメント、その思想的な質に対する評価はともかく、ロックはこれまでのポピュラーミュージックとは決定的に異なる、何か新しいものへ変わろうとしていた。

 

聴く側も演る側も、変わりつつあつロックの現場に立ち合い、それに加わっている事に興奮し、不思議な熱気がロックシーン全体に満ちていた。

ロックをやる事がそれだけで時代の最前線に立ち、何か新しいことの創造に加担しているのだと思わせる熱病が広がっていたのである。

日本の場合、ロックがイデオロギーとして根付いたことはこれまで全くないが、その時はアメリカ・イギリスの熱病の余波が極東の島国まで押し寄せ、ロックを文化的に語るのが流行になっていた。


メディアとはシステムなのである。

受け手と送り手、相方の意志が侵食し合う場合、システムを作り上げることが雑誌作りの全てなのだ。

いわゆる作品発表の場、自己表現の場だと思って雑誌を作っていては絶対に続いていかない。

余程金が余っているか、酔狂なスポンサーでもいない限りそれは不可能だ。

システムができあがれば今度はそれを最も効率よく動かす努力をすればいい。

システムは自立運動を始める。


僕は仕事の上で色々の表現者と会う機会がある。

ロックミュージシャンは無論のこと、作家や漫画家、映画監督、有名無名人たちと話す機会が多い。

しかし、どんな興味深い話ができたとしても、その表現者の作品と同じ時間向き合って得られた以上のものを話し合いで得ることは不可能だ。

だからメディアは素晴らしのだ。

デビッドボウイと30分話すよりも、彼の全力投球したレコードに30分向き合う方が、はるかにデビッドボウイの核に触れることができる


雑誌よりもフェスに力を入れたのはもうかなり昔。


いろんな雑誌を創刊されてて、若い頃の自分はとても刺激的でした。


余談だけれど、その昔、渋谷さんのトークイベントがあり、1回行った。そこで印象的だった言葉。


「昔は「ミュージックライフ」くらいしか音楽雑誌ってなくって。


そこにレッドツェッペリンのライブの写真があって。


キャプションに「演奏するレッドツェッペリン」ってあったんですよ。


そんなことは見ればわかるって!」


それがロッキングオンを創刊する一つの要因でもある、みたいなお話しされてたのは「季刊BRIDGE」がまだ「季刊渋谷陽一」として準備中だった頃。


ミュージシャンとの関係性が見えるようにと、取材写真もご自分で撮る姿勢は今も充分新鮮です。


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鈴木清順エッセイ・コレクション:四方田犬彦編(2010年) [’23年以前の”新旧の価値観”]

ワイドショーの司会者を一刀両断、戦争を実体験として持ってないことからか


暑さのせいなのか、仕事がないゆえ辛口なのか、辛口だから周りが引いて仕事がないのか


とにかく切れ味がやたらに怖い。


「敗戦の日(1991年)」から抜粋

美人の第一条件は、夏いかなる猛暑でも汗をかかないことだそうだ。

私は夏滅多に汗をかかない。

私が女であったらさぞ、一世を風靡する美人であったろうにと、男であることが悔やまれてならない。

そんな私も今年の暑さにはいささかバテ気味で、年々暑くなってゆく東京から逃げ出すにも田舎はなし、山にも海にも別荘はなし、仕事もないまま生温ったかくなった畳の上で、ごろんごろんいもむしのように転がって終日トロンとテレビを見ていたら、小癪千万にもあの司会者という奴にも夏休みがあるらしく、8月のうちコンビの誰かが一週間宛欠けていて、それを出番の奴があれこれ慣れ合いの噂話をするのは、如何にも聞き苦しい。

気に食わぬ司会者には、永久に休んでもらうことにしたことはないが、ああゆうたぐいの奴は、休んでいるうちにも人気失墜が気にかかり一週間が長くて長くて待ち切れず、必ず(なかには1週間がついつい2週間になったという奴がいてもいい筈だが、夏に雪の降ることはあっても、奴等にそんな殊勝な奴はいない)卑屈な笑いを浮かべて出てくるんだから、休みなどやらない方がいい

(中略)

面白い巨泉も敗戦特集の朝鮮問題となると、勉強をしてきたという割にはシドロモドロで、次から次へと付焼刃はボロボロと落ちこぼれてあわれさは一しお。

流石強心臓の巨泉も真面目(おかたい)番組は降りた方がよさそう。

その他の司会は私の批評の対象とならぬくらいの雑魚で、このくらいヒトの悪口を言っていると暑さも忘れて気持ちよく、事のついでにスポーツ・アナに及ぶと、甲子園の高校野球のアナは露木におとらぬ敬語馬鹿とお世辞馬鹿で、野球をやっている高校生だけが社会を背負う若者であるような錯覚を覚える。

 

諸君も知っているように選手になどなる奴は大方頭の悪い奴で、職業野球で暴力団とコネをつけた奴は大体高校生どまりの野球馬鹿。

二年生の選手が出るとアナウンサーは鬼の首でもとったように、二年生、二年生と持ち上げる。

馬鹿も休み休み家と言いたいところで、今の高校二年生はむかし中学五年生、気が利いた奴は旧制の高等学校か大学の予科に入っていて、あと二年もすれば兵隊検査で、酒とタバコと女を経験する年頃だ。

肉体的にはもう完全な大人で、野球をやっているから智脳の程度が子供で、その事を指して二年生、二年生というなら分かった話だが、アナウンサーもそこまでお利口ではない。

(中略)

さて15日になると各局は一斉に終戦(敗戦に非ず)特集を出した。

テレビは同時に二つ見ることのできぬ不便さがあって、あちこちとつまみ喰いしていると、小川宏のとこで硫黄島の記録映画が先ず出た。

アメリカ側がとった二時間のうち僅か30分もので、戦争はアメリカ軍上陸に三日間だけで、あとは日本人殺戮記録である。

戦争とは双方が互角の武器を持ち、あとは大将の智、兵の勇気で優劣を決する大勝負で、どちらか一方が初めから武器に劣勢なら、桶狭間や真珠湾のような奇襲戦法を用いるほかないが、これは堂々と言い兼ねる。

硫黄島も既に制空権がアメリカ側にあるから堂々の戦争とは申せぬが、水際作戦だけは戦争と言えるものを持ったようだ。

それは双方の戦死者の数を比べても分かることで、この水際作戦では日米共にほぼ同数の犠牲者を出している。

日本軍の弾丸が尽きてしまった四日目からはてんでお話にならず、味方一人で敵十人を殺すゲリラ作戦も、地形がゲリラに向かなければ絵に描いた餅で、敵は無傷でこちらは玉砕となる。

歯を食いしばり額に皺を寄せて殊更難しい顔をして画面を見ていた小川が、映画が終わると、硫黄島生き残りのもと軍人に、小川が用意したのか、テレビ局が用意したのか知らないが、戦争体験から、悲惨とか残酷とか、繰り返さないとか、平和だとかの答えを予想してあれこれ質問するのだが、二人の軍人は悲惨とか残酷とか平和など一向に知らん顔で、むしろ身命を賭して戦ったことに矜りすら感じられる態で仲々小川の質問にはまり込まず、汗タラタラの小川は何とか悲惨とか平和を言わそうとすればする程、二人の狐につままれたような素頓狂な顔がちぐはぐで、アメリカに投降した日本兵が、投降を勧告したもう一人の旧軍人があらわれると、小川は一生懸命に投降兵の勇気を称賛するのだが、当人は至って迷惑顔で、

”ハイ勇気が要りました”。

戦った軍人はむっつり脹れた様な顔をしていたが、これも小川のムリコシャラコの”勇気”云々に最後はシャッポを脱いだが、予め引き出す答えを作った小川の司会は不愉快極まりなく、今日の日本の平和がこれら戦争の犠牲者の上に立つ、というようなお念仏は、私たち戦争体験者から言わせれば、こんな日本のために死んだのなら犬死にと言いたいし、若者にすれば、こんな日本にして何が犠牲だと言いたいだろう。

 

小川は又この記録映画に比べれば格好いい戦争映画はみな嘘だ、という様な暴言を吐いたが、戦争の中の一人の人間を追求すれば、それは格好良くもなるので、これも戦争の一つの真実である。

硫黄島のような日本向け記録映画からは呵呵大笑いしているアメリカ人の顔がカットされる可能性も充分ある事を小川はよく考えてみる必要があり、犠牲はイケニエとも読むことができることを噛み締める必要がある。

 

要は小川が戦争について、深く考えることもなく、常識的な戦争罪悪感を鵜呑みにして司会したこで巨泉と変わるところはない。

(中略)

記録映画ほど私は信用できぬものはないと思っている。

カットの組み合わせ一つでそれが反戦映画にも好戦映画にもなり得る性質のものだからだ。

真実を伝えるには程遠いシロモノなのである。

”新聞人は出て行ってください。新聞は真実を伝えないから私は嫌いだ。テレビの人は前へ出てください。”

と言った佐藤栄作氏の憤怒の表情が今更のようになつかしいが、暇になった佐藤氏は今頃テレビも又真実を伝え得ないと、政治のカラクリを充分承知しているから、私よりももっと目くじらを立てていることだろう。

 

しかし考えてみれば、テレビは朝から晩まで娯楽と思えばいいんで、やってる奴が報道番組では尚更娯楽精神に徹すればこちらも腹を立てずに済むものを、真面目くさってやるからいけないんだ。

 

戦争は最大の娯楽と承知すべきで、みている側も面白く、参加する者は見ているだけでは味わえぬ恐怖、涙、笑い等など人間感情の最高を味わえるものだ。

中国人は強大であるし、南北朝戦は合同の機運にある。

押し寄せてくる敵を腕を拱いて見ていては祖国が敗れる。巨泉の朝鮮問題で、朝鮮の学者はいみじくも言っている。

朝鮮が悲惨な目に遭ったのは近代化(武器を持つこと)が日本より十年遅れたからだ、と。

むかしの十年は今の一年だろう。

平和念佛で果たして戦争は安直に回避できる者なのだろうか。

敵は嘗てキリストを先頭に突進してきたではないか。

三世の諸仏あることを知らず、狸奴白牯却って有るを知る(諸仏は知らない、猫・牛は有ることを知る)……平和を唱える神や仏は本当にいるのかどうか分からない、ベトナムで戦争をやっている事は分かりきった事実だ、という意味で、人間がいる限り戦争がなくなる訳はなく、日本人が永遠にその埒外にいるという保証は全然ないのである。

あのねずみ算式に増えるねずみも地球上に棲める頭数は定まっていて、増えずぎると自殺するねずみが出て来るという。

地球上に殖えすぎる人間は、戦争以外大量殺戮は出来ないのだから、戦争も又神の摂理という外ない様な気がする。

いい雨が降って来た。一雨毎に秋が近づくと定まり文句が新聞に載り出した。


こんな人を「歯に衣着せぬ」というのかな。戦争体験者がここまで言っていいのだろか。体験者だからこそ言えるのか。


その他、差別発言だらけのような。これよく出版できたな「ちくま文庫」で。と思うのは自分がひ弱な現代人だからかだろうか。主眼はそこではないんだけれど。


鈴木清順先生、NHKのドラマ「みちしるべ」というのを高校生の時に見た記憶がある。


なんで覚えているかというと、最後に泣いてしまったからで、


齢50過ぎの涙腺緩んでる今ならまだしも、10代の頃、ドラマで泣いた記憶ってこれしかないからだろう。


加藤治子さんを車椅子に乗せての夫婦のロードムービー。


河原を先生が、奥さんの車椅子を雑に扱い、怖がらせる様は、まるで子供のようで、無邪気で、なんか素敵だった。


風貌もかなり鈴木さんの評価に影響してる気がする。哲学者にしか自分は見えない。


 


余談だけれど、自分の母方の祖父、満洲鉄道で働いてて


中国に家族で行ってたのだけど、やっぱり8月15日のことを、


「記念日ってのはおかしいやな、負けたんだから」。


かれこれ45年くらい前。実際に戦地に行ってた人たちって、


あまり戦争を語りたがってなかった気がする。


思い出したくない過去なんだろうと想像に難くない。


それは老いとも関係してたのかもしれないけど。


それより、幼少期を戦時中過ごした父親(S14生)の方がよく語ってた。


「あれは大変だった…君らは知らんだろうけど…」


みたいに言ってて正直言って違和感があった。


本当に大変だったんだろうとはもちろん思いますけれど。


祖父たち(戦地で実戦していた世代)はもう語りたくもなかったのだろうなと最近感じる。


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久米宏対話集 最後の晩餐(1999年) [’23年以前の”新旧の価値観”]

■大橋巨泉■

 1934年、東京都生まれ。早大政経部中退。

 1966年、テレビ「11PM」の司会者となる。

 金曜日は釣り、競馬、マージャンなどのレジャーの世界、

 月曜日は、安保や沖縄返還問題をヌードと組み合わせ、

 高度経済成長のシンボルとしてもてはやされる。

 90年、ハーフ・リタイアと称して、カナダのビジネスに取り組む。

 環境・人口問題に造詣が深い。

 ーー

■大橋

ぼくには医者の友達が多いんだけど、人間の平均寿命がこんなに延びているけど、これは今がピークで、これからは落ちるんじゃないかと、ときどき話したりするんですよ。

なぜかというと、今の若い人たち、つまり養殖魚とか、農薬栽培のものを食べて、風邪ひいたといえば抗生物質飲んでる人たちが、自然なものを食べて、しかも、悪運強く生き残った我々の世代より長生きするとは思えないって。

バイオテクノロジーというのは、長いスパンで見ないとその結果が出てこないでしょう。

もしかすると、一世代過ぎてから影響が出るかもしれない。

だから、ひもじい思いをしたけれども、僕らの年で生き残った人は、非常に幸運かもしれないと医者の友達が言うのを聞くと、ああ、幸運なのかもしれないと思うんです。

■久米

私の友人でも、30代、40代の人は「おれたち、アトピーはできるわ、花粉症にはなるわ、これはいったい何なんだ。こんなこと年寄りにはない」と言いますね。

■大橋

おれらは花粉症にならないもんね。

■久米

でしょ。アトピーなんていうのを聞いたのは、ここ10年くらいでしょ。

本質的にDNAが変わっちゃったんじゃないかと、彼らは非常に不安がってますね。

■大橋

ぼくも、それが一番心配だね。植物はもうクローンができているけど、今度、クローンの動物もできるようになったでしょ。そういうものを食べた影響というのは三十年、五十年経たないと出てこないわけだから。

ぼくは科学的なことはわからないけれども、そういうことを考えると、やはりラッキーだったんだと思うわけね。

完全な人間はいないというのが、ぼくの人生哲学なんです。

ちょっと日本語にはなりにくいんだけど、英語で言うと

You can’t have everything.

おまえは全てを持つわけにはいかんのだ、ということなんだけどね。


平均寿命について、ここ20年の数値を見ると外れてると言わざるを得ない、日本は延びて世界一とかだっけ。


これから先、どのようになるのか興味ありますが。


巨泉さん、政界に一瞬、進出されたのはいつだったか。


小泉元首相に噛みつかれてましたよね。


でも、あんなもんじゃないんだよね、この人の凄さ、というか頭の良さは。


結局尻窄みだったのが至極残念だったけど、元々日本の政界には、多分、合わないよね。


■美輪明宏■

 1935年、長崎県生まれ。本名、丸山明宏。

 51年、上京、17歳でシャンソン喫茶「銀巴里」で歌手デビュー。

 56年当時としては大胆な紫ずくめの女装で注目を集める。

 64年、自作「ヨイトマケの唄」を発表、大ヒット。

 68年には三島由紀夫脚本の「黒蜥蜴」に出演。

 71年に、現在の美輪に改名。

 ーー

■久米

食べ物に関心がないというよりも、さっきのお話と関連づけて考えますと、食べようと思えば美味しくものを食べられる肉体があるだけでもありがたいことだというわけですね。

■美輪

そうなんですよ。ありがたいと思えば、ありがたいものはいっぱいある。

それで自分はなんと幸せなんだろうと思えるんですね。

■久米

食べられる肉体があれば、なんでもいいと。

■美輪

そうなんですよ。そうすると、この世の中で怖いものなんてないんです。

いちばん怖いものは自分ですよね。自分の心のあり方ですよ。

自分の敵は自分。ほかには何にも怖いものなんてありません。

■久米

自分の心のあり方というのは、ややもすると……。

■美輪

落っこっていきますからね。堕落しちゃって、どんどん落ちていく。

それを、ある程度の水準で保ち続けることが必要なんだけど、これが大変なんです。

■久米

よくわかります。

■美輪

でも、それは闘いだけれど、楽しみでもあるんですよ。

昨日より今日。今日より明日というふうに、どれだけ自分を高めていくことができるだろうなって。

十年周期で思い出すんですね。十年前は一つの問題をこう考えてた、こうだった、ああだった、と。

で、今はどうなんだと。

そしたら、あ、ずいぶん成長したなと思うんですよ。私、30になった時に、もうこれ以上、成長しないと思っていたんです。

ですけど、40になってみて、30代のことを考えると、なんてガキだったんだろうと思うんですよね。(笑)

そういうこと、おありにならない?

■久米

しょっちゅうです。ぼくの場合あまり成長してないようですけどね、

高校時代とさほど変わらないような気がするんですけど、自分では(笑)。

■美輪

で、50になると、また、全く見えないものが見えてきちゃったりして。

だから長生きはするもんですよ。

(中略)

人間って不思議なものでね。人生、何度も帰路が来るじゃありませんか。

もうおしまいだっていうようなこともある。

そういうときにいちばん必要なのは何かっていうと、理性と知性なんです。感情はいっさいいらないんですよ。

ところが、普通の人は逆なんです。追いつめられると、感情的に泣く、喚く、酒を飲む。

だから翌日になっても、問題は何も解決してないんですよ。

酒屋のツケが回ってくるのと、お酒がオシッコになって流れるだけ。

昔の御武家様というのは素敵でしたね。

何か一大事というときに、えい騒ぐな、ざわざわと見苦しいと、毅然としていますでしょ。

だから、山一證券の社長さんみたいに、泣きながら会見するのは、本当に見苦しいと思いました。

こういう人だから、会社が潰れるんだって。

■久米

それはちょっとかわいそうかもしれませんけれども(笑)。

追いつめられた時ほど理性的になれというのは、よくわかります。

論理的に自分を分析する以外、解決方法がないですよね。


美輪さんは本当に言っていることが一貫してる、言葉遣いも美しい。


うちの母親が新宿ACBにいらした美輪さんと遭遇したのがはや70年くらい前なのかな。


上京して初めて見た有名人だったらしい。


 


唐突で全然関係ない余談ですが、昔恵比寿にある某スポーツ店の


Webの仕事してたんだけど、そこにいらしてたジャイアント馬場さん。


異様にガタイが大きかった、当たり前だけど。


プロレスはほぼ興味なくて申し訳ないんですが、そんな思い出もありつつ。


馬場さんと対談を終えた久米さんの記された文章で締めでございます。


ジャイアント馬場氏は、兄上を戦争で失くしている。

ガタルカナル島で、兄上は戦死した。ガタルカナル島は、「ガ島」「餓島(ガトウ)」とも呼ばれた。

南太平洋、ニューギニアとフィジーのほぼ中間に位置する小さな島だ。

1941年12月8日の真珠湾奇襲に始まった太平洋戦争。

その翌年の12月31日、日本軍はガタルカナル放棄を決定する。

結局、ガタルカナル島で、日本兵32000人の内、21138人が命を落とした。

この犠牲者は、半数以上が餓死あるいはマラリアによるもので、戦闘で死亡した兵士は半数以下なのだ。

太平洋戦争での日本兵の死者は、特に南方での戦線は、戦って命を失った兵士よりも病死者の方が多かった

ここに、日本軍の、つまり日本そのものの致命的欠陥があった。

 

ジャイアント馬場氏の兄上が、どういう最期をむかえたのかはわからない。

ただ本当に悔しい最期であったろう事は想像にかたくない。

その悔しさ、悲しみを、弟の馬場氏は、いつも背負っていたのではと、今にして思い至る。

リングの上で、ジャイアント馬場氏は、いつも「悲しさ」と闘っていたように思えてならない。

 

ジャイアント馬場氏と弟さんより50年以上も早く死をむかえてしまった兄上に、

心からご冥福をお祈り申し上げる。

久米宏


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ぼくの鎌倉散歩:田村隆一著(2020年) [’23年以前の”新旧の価値観”]

小町通り から抜粋

駅前広場の一角に鳥居。鳥居をくぐると一直線に酒店街。

レストラン、薬屋さん、八百屋さん、古美術商、お土産やさん、本屋さん、お菓子屋さんにお寿司やさんなどなど。

なんの変哲もない商店街のにぎわいに紛れて、ぼくはゆっくりと散歩する。

育ち盛りのお嬢さん、老婦人、それも未亡人らしいお年寄り、Tシャツの青年、着流しのご隠居さん。

一人ひとりの表情をながめながら歩く楽しみは、格別なものだ。

人間の数だけの人生。

その多様性の豊富さに、ぼくは一種の感動を覚えながら歩くのだ。

若いカップル。

質の異なるホルモンをおぎない合って、幸福そうな笑顔がかわいらしい。

ぼくもこういう時期があったはずだが、それは遠い昔のこと。

軍靴の響きと軍艦マーチとモンペと空腹だけではなかったのに、いま思い出すことができるのは、戦争のことばかりだ。

赤い風船。

水素ガスでふくらませた風船には糸がついていて、よちよち歩きの子供がその糸の端をしっかり握っている。残る片手はお母さんの手に握られていて、子供の歩行は真剣そのものだ。

風船を離してはいけない。2本の足で歩かなければならない。

 

人類が二足歩行をはじめた時から、これは巨大なテーマだったのではないか。

それを考えはじめた時から、ぼくは小町通り商店街から枝分かれしている路地に歩みこんでゆく。

そこには居酒屋があって、ぼくと同じことを考えながらウイスキーを飲んでいる友達がたくさんいるのである。


余談だけど、田村さんの詩は、昔住んでいた町の銭湯に貼ってあった。


あれは直筆(もちろんコピー)だったのかなあ、味わいある字だった。


銭湯すたれば 人情もすたる 

 

銭湯を知らない子供たちに

集団生活のルールとマナーを教えよ

自宅に風呂ありといえども

そのポリ風呂は親子のしゃべり合う場

にあらず、ただ体を洗うだけ。

タオルのしぼり方、体を洗う順序など

基本的ルールは だれが教えるのか。

われは、わがルーツをもとめて銭湯へ。


「古い時代の戯言」とは思えないんですよね、やっぱり。


いや、「古い時代の戯言」なのかもしれないけれど


詩人の言葉って「警鐘」も併せ持つ、深い言葉だよね。


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