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知的ヒントの見つけ方:立花隆著(2018年) [’23年以前の”新旧の価値観”]

「はじめに」から抜粋

(中略)

やはり70代後半まで生きてきて痛感することは、長生きすることは意外に面白いということだ。

自分の70代以前の人生を振り返って思うことは、やはり70代以前の人間の言うことなど、つまらんということだ。

昔から、年寄りがとかく口にしがちな言葉としてよく知られているものに、

「50、60は鼻たれ小僧」(あるいは「40、50は鼻たれ小僧」)という決めゼリフがあるが、あれはホントだなと日々痛感している。

昔はあのセリフをただのジジイの繰り言と聞いていたが、今は逆でホントにそうだなと思うことが多い。


東京裁判と私(2017年2月号の随筆から抜粋)

 

NHKで12月12日から15日まで、4日間にわたって放送された「ドラマ 東京裁判」は従来の東京裁判者とは全くちがう視点から裁判を描いている。相当に面白かったが、かなり不満も残した。見てない人に多少の説明を付け加えれば、これはあくまでドラマであり、ドキュメンタリーではない。

(中略)

東京裁判は近年これまで発表されなかった資料のたぐいが完全公開されるようになり、特に若い人の間で、自由な討論がなされるようになってきた。

もう少しすると、高校の日本史の授業で、裁判の主要な論争点が公然と議論されるようになるだろう。そこまでいかないと、本当の日本の戦後はやってこない。


まだ日本は戦後がやって来ていないのか。すごいなこの展開。


そして立花さん、若い頃、東京裁判のキーナン検事とタイムスリップしての接近遭遇をしていたらしい。


出版社が買い取った財閥系の建物に、東京裁判当時キーナン検事など検事局の面々が宿舎として使用。


キーナン検事が好んで使っていた応接間などホテル並みの環境を利用するうち、段々と近しい存在と思うようになったご様子。


だがしかし。


後に東京裁判文献を読むと、この人は相当に知的にお粗末だったことがよくわかる。

日本の陸軍の軍閥なるものを、アメリカ・オハイオ州検事時代に扱ったギャングの一味のような組織と考えて理解したという。

そう言う話を聞くと、あの東京裁判全体が相当にお粗末だったということがよくわかる。

NHKの番組それ自体は悪くなかったが、裁判全体は相当にお粗末だったのだ。


NHKの番組は私も見て大変な力作だと感じ興味深く拝見。


裁判シーンは実際の映像で、裏の作戦会議などをドラマ仕立てに俳優を起用しての新撮影。


その作戦会議の建物を後年立花さんが使っていたものなのだろう。


でも東京裁判をそういう視点で考えたことある人って、今や少ないのではないだろうか。


「ギャングの一味」程度の認識だったって。


たとえ正しい認識をされてても問題ありなんだろうけど。


しかし、そもそも戦勝国が敗れた国を裁くっていうのも、難しい話だな。


「特別講義 未来を描く(文藝春秋Special 2015年冬号)」から抜粋

(中略)

日本が抱える最大の弱点とは何か。私は三つに要約できると考えます。

それは人口減、高齢化。そして夢のない社会。

いいかえれば日本が「悲観社会」になっていることです。

この三つは互いに絡みあっています。


少子高齢化をともなう人口減少の流れを止めることは容易ではありません。

だからといって私はこの状況を悲観一方で見ているわけではありません。

日本が敗戦を迎えた1945年の総人口は7200万人に過ぎませんでした。

あの頃を体験した人間として、日本の人口がたとえ7000万人程度に減っても社会は成り立つだろうと思っています。

とはいっても、子供や働き手となる年齢層が極端に少なく、高齢者がもっぱらという社会はいびつです。やはり子供も、働き手も充分いる状態が社会として健全です。

人口のバランスを取り戻すことを社会全体の目標と掲げ、出生率を高め、子育てしやすい社会を実現するなどの施策を進めていくことが必要でしょう。

”日本満員”の時代からアッという間に半世紀がすぎて、いま日本は人口減少時代のデメリットに悩まされています。

もっと女性に子供を産んでもらって社会全体で育てていこうという掛け声がさかんにかかっていますが、人口のバランスを本当に取り戻すまでには相当の時間がかかり、困難が続きます。

この状況を乗り切るには、高齢者を技術力でパワーアップして頑張ってもらうしかないと私は考えています。

 

そういう技術の一つの方向性を示しているのが、筑波大学大学院教授の山海氏らが開発したロボットスーツ「HAL(ハル)」です。

HALは、脳から筋肉に送られる微弱な信号を皮膚から捉え、装着者の意思をくみ取って運動をアシストします。脊椎損傷や脳血管疾患によって自力歩行できなくなっても、HALを着て思いのままに歩けるようになると期待されています。

今のところ日本でHALは福祉機器として承認を受け、介護施設で歩行のリハビリに使われているだけですが、ヨーロッパ(EU)では、すでに2013年、医療機器の承認を受けています。

日本でも医療機器として認められ、保険が適用されれば、病院への導入が進み、価格も下がるでしょう。HALを利用することで、寝たきりの人が立ち上がり、自活できるようになれば、本人にとって喜ばしいことであるだけでなく、介護費、医療費の節約になるはずです。


先進国は、どこも少子高齢化の道を歩みつつあり、近いうち日本と同じ問題に直面すると見られています。

一人っ子政策を1979年から進めてきた中国もそうです。

したがって、今、日本が率先して超高齢社会を乗り切る技術を開発しておけば、それが将来日本の食い扶持になる。世界中にHAL的なロボットを輸出して、それで日本が食っていけるわけです。

これは「悲観社会」を克服する方法です。


むかし流行ったマーケティングの小話で、誰も靴を履いていない国に派遣された靴販売会社の二人のセールスマンの反応という話がありました。

一人は

「この国では靴は売れない。何しろ誰も靴を履いてないんだから」

といい、もう一人は

「この国には靴の無限の需要がある。何しろ誰も靴を履いていないんだから」

といったというのです。

悲観論者と楽観論者の違いです。

この世の中は、悲観論者は自分の予測通り失敗して没落し、

楽観論者は自分の予測通り成功していくものです。

楽観主義でいきましょう。


立花さんの”人となり”をよく表している「楽観論」のような気がする。


賛否あるとは思うけど、楽観しないと前へ進めないのは確かかと。


しすぎも禁物だけど。


余談だけど、昨今「文春砲」とか言われ


ジャーナリズムも色々ありそうだし、


正直あまり得意なジャンルじゃないんだけど、


こういう気骨ある人たちに支えられてた


メンタリティを今の「大手既成メディア」は


継承して欲しいと切に願う次第です。


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