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安部公房全集29 (2000年) [’23年以前の”新旧の価値観”]

■安部公房氏語る(1991.06.27)

 

現代が何かを端的に言うと、自分が自分を見ることができるようになった時代だ。

遺伝子が自分の顔を鏡に写してみた時代だろ、言ってみりゃ。これは不思議な時代だよね。

しかし気をつけないといけないことはね、遺伝子が言葉で自覚したと言うこと。

ここにすごいトリックがあってね。

気をつけないといけないことはね、言葉が無かったら今話してきたことはゼロなんだ。

何もないんだよ。

しかし、その言葉というものは、遺伝子がプログラムしたんだ。

つまり(遺伝子が)言葉をプログラムした瞬間に遺伝子が遺伝子を見たわけ。これが一番重要な問題だ。

だから人間とは何かと言ったら言語です。よく「言葉じゃ言い切れない」というけれど、「じゃあ、何で言い切るんだ」と聞きたい。言語はある意味で最後のなぞなんだ。

 

 ー 難しいですね。人の意思や言葉が、もし遺伝子を温存するためにプログラムされているとしたら、なぜ遺伝子を殺す戦争を人がするのか。矛盾しませんか。

 

違う。それは違うよ。そういう発想を可能にしているプログラムがあるだけで、プログラムでそういう発想をするわけではないんだ。

一番肝心なのは、チョムスキーの言語理論。それは、言語を可能にする能力は、すでに遺伝子にプログラムされているという理論。(しかし)日本語や英語がプログラムされているというわけではない。

ある条件が整うと人間はグループを形成し言語を発生するということに気がついた。

つまり、子供だけがある集団を作って、親はみんな死んじゃった、という時に子供同士で新しい文法考えて作り出しちゃう。

実際生きた現実としてハワイで起きた。

この能力がプログラムされた能力。だから、どこでできようと大体基本的に似た言葉ができる。

これを(私は)クレオールと規定している。一口に要約すると、親から教えられたのではない言葉。

古代日本もクレオールという説がある。ということを(もとに)書く。これが「アメリカ論」。

 

 ー アメリカ?

 

そう、アメリカは今言った問題の精髄なんだよ。

言語から文化に広げると、アメリカ文化の精髄は、自動車じゃないんだよね。<ジーンズとコーラ>なんだ。

二つの特徴は国籍がないんだ。親がいらないんだよ。

たいてい衣装でも習慣でも親がつける。しかしジーンズを着なさいという親はいない。

コーラを飲みなさいという親もいないぜ。だからモスクワの青年でも北京の青年でも飛びつくんだ。

これは一つの国際スタイル。それでアメリカとは何かということに…。

分かりやすく言うと伝統を拒否した文化。

親のない文化っていうか、子供だけで作ってしまう文化。だから本当はクレオール論なんだ。ただクレオールって言ってもわからないだろ。


三島由紀夫さんが最後の対談で語っていた、


「安部公房のような方には僕はいけない、僕は日本の古典が染み込んでいる最後の世代なのだから」


と言っている意味が少しわかったような気がした。


安部さんの方が若いから、当然だけど新しかった、


そしてそれは三島さんも「仮面の告白」の時は


最高に若くて新しかった。


■万年筆とワープロは100%同じだよ(1991年11月)

 

ワープロも万年筆も、結局は各手段に過ぎない。そしてその手段は、最後の表現形態である「活字」に呑み込まれてしまう。

使った画材が最後まで残り、そのマチエールが鑑賞の対象になる絵画などとは根本的に違うんだ。

読者が読むのは書かれている文体であり、筆記用具でもなければ、書体でもない。

そして文体とは結局筆者の脳(思考)の構造にほかならないんだ。

嫌味な言い方になるけど、特に文学の場合、作品を決定つけるのは、しょせん作家の才能じゃないかな。

才能がなかったら、筆で書こうと、ワープロで書こうと、どうしようもないじゃないか。

カメラだってそうでしょう。マニュアルでも、オートでも、シャッターチャンス、つまり写真家の眼が大切なんだ。「ワープロで打った文章には魂がこもらない」と言う意見があるって?馬鹿な。

万年筆からだけ出てくる「魂」なんで、ずいぶん軽薄な「魂」もあったもんだよ。

当然のことだけど、手段はなるべく簡素で、使用感が希薄な方がいい。車だって産んでし易い方がいいだろ。

その点、今のワープロ、まだ完全とは言い難いな。でも僕の場合、スピードはいらない。指の動き以上の速度で思考するなんてこと、ありえないからね。

(中略)

でももう一歩の改良は望みたいな。通電から作業開始までの準備時間の短縮、プリントアウトのスピードアップ、それから携帯用小型器とのフロッピーの互換性の向上。特にこの最後の注文が実現してくれたら、もう一度ワープロの出現の時に匹敵する感動が味わえるんじゃないかな。


「安部公房全集」のすごい所は、


こんな短い文章までも掲載するのか、ってのと、


装丁のデザインが素敵で安ければ買いたいところ。


装丁は安部さんの直接手がけた仕事では


ないけれど、安部さんの仕事が


引き出したものとも言えるのかなと。


余談だけど、この随筆を読んでて


思ったのが、ここから突然音楽の話に


変わるのだけれど、自分は


The Stone Roses」を


なぜかこの2-3年聴いていて、


それは他にない「雰囲気」と「声」が


とてもお気に入りなんですけれど、


音楽って結局この「他にない」「雰囲気」と


「声」なのではないかと。


自分にとってはってことなんだけど。


90年代の音のあしらいを持っているけど、


もしも「曲」だけシンプルに削ぎ落としても、


そこは変わらなそうと感じた。


なので、「ボブ・ディラン」「ニール・ヤング」の


初期の弾き語りも同じ理由で、


演奏はシンプルでも、伝わるものが


横溢してるから深く感じて、


あわせてよく聴いております。


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