中村先生の訳書から”東西の価値観”を考察 [’23年以前の”新旧の価値観”]
表紙から引用
なぜ人間は有性生殖をするようになったのだろうか。
ある種の動物は、自分をコピーして子孫を増やしているというのに。
遺伝子をコピーした子孫をつくるクローニングがおこなわれるようになれば、この問いに対する答えが見つかるかもしれない。
人間のクローンはすでに技術的には可能であるといえるだろう。
この最新生殖技術をさまざまな面から論じたエッセイコレクション。
中村先生と村上龍氏の対談で話しておられた
この書を読んでみた。
深すぎる論考で、この周りがまたさらに興味深そうだと感じた。
序 から抜粋
ロスリン研究所のイアン・ウィルムットと共同研究者たちが、雌ヒツジの乳腺細胞からのクローン作成に成功した(ドリーと命名)と発表したとき、いたるところで激しい感情的反応が起きた。
クローニングの実験は、少なくとも40年以上行われてきたわけだが、ドリーの出現によって、近い将来、ヒト・クローンの可能性に直面せざるを得なくなることがはっきりしたことが問題なのだ。
これは、まだ思考実験に過ぎないが、それでも動物クローンができたという事実以上に、人々の不安を掻き立てるものがある。
誰でもとは言わないまでも多くの人は、クローニングは人類の歴史におけるあるターニング・ポイントを象徴すると考えている。
今後の見通しについては、警戒心を持つ人、嫌悪を感じる人、喜ぶ人、これまでの生命観がいずれ通用しなくなるだろうと嘆く人などさまざまだ。
もちろん、この事態を冷静に事実として受け入れ、恐ろしいことと決めつけずに、科学の自然な発達にまかせるべきだと主張する人もいる。
とにかく多くの人が、さまざまな疑問をなげかけたのだ。
クローニングを選ぶのはどんな人だろう
これらの疑問には科学的な検討が必要であり、その結果事実が示されれば、私たちが思い描くクローンの可能性の多くは、非現実的だとわかるだろう。
この本の目的は、なるべく素人にもわかりやすく、クローニングについての基本的事実を解説することにある。
研究者たちーーこの本の第一部の書き手たちーーは、クローンとは、同じ人間をつくりだすことではなく、違う世代に生まれたクローンは、別れて育った双子ほども似ていないということを示してくれる。
このように科学は、多くの面で、真に問うべき問いは何かを明らかにしてくれる。
だがクローニングによって起こる倫理的、政治的、社会的、宗教的問題には、科学は答えを出せない。
それは、議論を通じて見つけていくしかないのである。
選択肢を明確に示し、適切な問題提起をする点で、人文科学や社会科学が活躍してくれるはずだ。
シカゴにて、1997年10月
M・C・N
C・R・S
答えは保留、しかし議論していかないとって
ある意味人間の勝手で無謀な試みだけれど
現時点では本当にそうだと感じる。
訳者あとがき から抜粋
翻訳という作業をする時は、いつも複雑な気持ちになる。
本来ならこれと同じものを自分の手で産み出すことができれば、その方がはるかによいのだけれどと思うからだ。
今回もーーいや今回は特にその気持ちが強い。
クローン羊ドリーの誕生は、日本でも話題になった。
クローンという言葉は、急速に進歩する生物学や医学の中で開発された新しい技術の社会的・倫理的問題を扱う時には常にとりあげられ、SFまがいの話の中で、おどろおどろしさを象徴する技術として語られてきた。
そこへドリー登場というわけで、話はぐんと現実味を帯びた。
となると、これをどう受け止めるか…とにかくヒト・クローンだけは当面禁止という約束をしておき、科学の問題として、生殖技術の一つとして、いやそれを超えた人間づくりの技術として真剣に検討をして態度を決めなければならないという状態になったわけだ。
もちろん、日本でも、研究や技術開発の担当省庁である文部省、科学技術庁の中に委員会が設けられ、動物を用いてのクローン研究や技術開発を妨げないことを前提としたうえで、ヒト・クローンの作成はもちろん、それに関する研究も行わない申し合わせをした。
けれども、人工授精や体外受精はすでに行われており、米国では代理母もすでに定着しているという状況の中、ヒト・クローンを禁止する論拠はどこにあるのか。
考えてみると、これは簡単に答えの出る問題ではない。
既存の価値に照らし合わせてみても…本書の宗教からの検討を見ても、それぞれの宗教によって判断はさまざまであり、絶対の基準などは見つからない。
憲法で保証されている基本的人権とはどう関わるのか、同性愛から見た時どうなるか、古来人間はクローンをどう受け止めてきたのか…人間の本質と関わる問題として検討すべきことがたくさんある。
しかし、日本では、社会、倫理、法という抽象的な言葉だけがとび交い、ここにあげたような具体的な事柄を、一つ一つ精密に詰めていく議論はない。
なんだか気分的に抵抗感があるという程度のことで、科学者が勝手なことをするのはけしからんというところに話を押し込めている。
本書を読むと、まあ、なんとしつこくやるのだろうと思いたくなるほど、さまざまな側面から検討し、それぞれの見解を述べている。
最も興味深いのは科学を社会から分離して、これは科学の問題だぞと構えて論じているのでなく、文化の中、日常生活の中の事柄として語っていることだ。
性、人権に関わりことなので、立場によっては、差別意識を思わせる考え方も諸々に見られ、読んでいて抵抗を感じることもあった。
しかし、はっきり実情を分析し、立場を明らかにすることはこの種の議論には不可欠のことだ。
これだけ議論しても、クローンについては是とも非とも結論するのは早すぎるというところに話は落ち着いているのだが、あいまいにして倫理という言葉だけを振り回しているのとはまったく違う。
21世紀、日本は科学技術立国を目指すというのが大方の合意のようだが、もしそうなら、新しい科学や技術について、単に技術開発の面だけでなく、このような社会的な面についてもきちんと評価をし、自ら判断していく場を持たなければ、一流の国にはなれないと思う。
繰り返しになるが、本書を翻訳したのは、日本でもこのような議論をきちんと行うようにしませんかという提案のつもりである。
お断りしておくが、なんでもアメリカ式がよいとか、ここに述べられた意見が素晴らしいのでこれを真似しようと言っているのではない。
日本の社会としてクローンという技術をどう考えるのか(もちろんクローンだけではない。臓器移植、体外受精など、これまでの技術についてすべてこれをやらずになしくずしで来てしまったので人間を巡る技術について、深く考えていかないと未来を考えることは難しい)を議論することが大事だと思っている。
とにかく範囲の広い話題が扱われており、小説や詩まで出てくるので、適切な表現のできていないところ、誤ったところがあるのではないかと気になる。
お気づきの点、お教えいただければありがたい。
1999年7月 中村桂子
羊のドリーは、当時日本でもニュースになっていて
是か非か、どうなっていくのだろうと思った。
こういう本が出るくらいなので国内外でも
議論が活発で簡単なことではなかったのだろうと
思ったのだけど、中村先生のあとがきを読むと
日本だときちんとした議論が行われてなかったという。
日本向きの科学技術ではないのか、当時は。
クローンの考え方が、西欧というか
キリスト教と日本だと大きく異なるだろうことは
想像できるのだけど。
余談だけど中村先生の、アメリカ式と日本は
異なるという態度はとても共感させて
いただいておる次第です。
それはともかく、この書で扱っているテーマは
さらに追求する価値あるなあ、と
かなり昔の話題を掘り下げることに意味が
あるのだろうかという一方、意味じゃないんだよ、
そういうのは、という自分もいて、
そろそろ出勤の準備をせねばと
思っている寒い朝でございます。
垂水先生の翻訳書から”価値観”を考察 [’23年以前の”新旧の価値観”]
第16章
社会生物学者とその敵
狙いをはずした撃ち合い
グールドとドーキンスの長々しいデュエット
から抜粋
グールドとドーキンスの大西洋をはさんだ口論に、同僚たちはどのような反応をしたのだろう。
デネットはドーキンスを、「過度に単純化してはいるが」、それは意図的にしているのだとして擁護した。
同時に、彼は「グールドは多少は正しくさえある」ことを認める。
生物と進化は、ドーキンスが示しているよりは複雑なものである。
そしてデネットは、ドーキンスが実際「ありがとう、スウィーヴ。それが欲しかったんだ」と言うことができると結論した。
しかし、ニック・ハンフリーは次のようにコメントしている。
「リチャード・ドーキンスとスティーヴ・グールドが論争していることの一部は時代遅れで、もうやめるべきだ。『利己的遺伝子』とグールドの初期の著作が出版されて以降、新しい事態が生じている。
今や我々は新しい領域(テリトリー)に入っているのだ。」
これらは本当に、一人の科学者が別の科学者を誤解しているという問題なのだろうか。
もちろん、ここで私たちが扱っているのは根深い確信であり、二人ともおそらく一歩も譲らない正当な理由があると思っているだろう。
それが一つの知的挑戦でもあるのは疑いなく、両者がまったくの気晴らしとして楽しんでいるのかもしれない。
われわれは一種の決闘を見ているのだ。
さらにいえば、グールドとドーキンスの間のこの延々とつづく論争ーーどこにも行き着く先がないように見えるーーの要点は、グールドとドーキンスは本当はお互いの意見の相違が解消されることを望んでいないということなのではないのか。
むしろグールドとドーキンスは、彼らのベストセラー本で、新たな論点と反論を生み出すためのスパークリング相手として利用しているのではないか。
訳者あとがき(垂水雄二)から抜粋
社会生物学とは何だったのか。
それこそ本書の主題であり、私が下手な解説をするより読んでいただくほうがよいだろう。
ここでは、本書の扱いの特徴について紹介するにとどめたい。
社会生物学論争が複雑なのは、そこに学問的論争と、社会的・政治的論争という二つの側面、科学史の用語でいえば、内在的側面と外在的側面が共にかかわっていたことである。
論争の内在的側面とは、社会生物学(あるいは行動生態学)の理論的・概念的枠組みについてのものであり、社会生物学が遺伝子決定論、適応万能論、あるいは擬人主義だとする批判をめぐる論争であった(最近翻訳のでたジョン・オルコックの『社会生物学の勝利』は、社会生物学者の立場からのこの論争の総括であり、結局のところ批判は誤解・曲解・歪曲にすぎなかったと結論している)。
論争の外在的側面は、一般的にいえば、科学的に正しいことが道徳的・政治的に正しいかどうかということを含めて、科学および科学者の社会的評価の問題であり、のちの「サイエンス・ウォーズ」につながるものである。
具体的には、社会生物学が人種差別主義やそのほかの体制維持の根拠を提供するという批判をめぐる論争であった。
本書の最大の特徴は、著者が社会学者であることで、この本の面白さもそこにある。
論争の関係者につぎつぎとインタヴューを重ね、表向きの論争の背景にある事情を明るみにだし、人々の本音をひきだす。
また、この論争の初期から現場に立ち会ってきたという強みを生かした節目節目での出来事についての臨場感あふれるレポートは貴重である。
社会学者であるにもかかわらず、生物学に関する著者の理解力は生半可ではなく、ていねいに原論文を参照して、発言の裏付けがとられている。
論争をそれぞれが属する陣営からの社会的認知を得るための闘争と見る社会学的視点も新鮮である。
生身の人間としての科学者たちの喜びや怒り、野心や羨望が自ずと伝わってくる。
そういった意味で、三幕のオペラに見立てられた本書は、その浩瀚(こうかん)さにも関わらず一気によみすすむことができるはずだ。
いやあ、かなりの分量ありますぜ。
興味ある人でも一気は難しいのではなかろうか
というのは余計なお世話でした。
オペラというのが洒落てますな。
2巻ともですがこの書の表紙の意味が
腑に落ちたような気がいたします。
ネガティブなテーマなのは解せないのだけど。
そして、なによりも特筆すべきは、ウィルソンとルウォンティンという論争の主役の特異な人格を浮き彫りにし、彼らをはじめとする関係者それぞれの隠れた動機、つまり彼らにとっての「真理」観の違いを明らかにし、異なる「真理」感を奉じる人々の対立という視点によって、この論争の内在的側面と外在的側面のみごとな統合を実現していることである。
邦訳書の副題および原題『真理の擁護者たち』の意味するところはここにある。
1980年代に日本に社会生物学が導入されるが、それに際してはほとんど何の論争らしい論争も起きなかった。
しかし、これを日本のみの特殊事情として過度に強調するのはあたらないだろう。
本書で述べられているように、フィッシャーやホールデンのような集団遺伝学者を擁する英国でさえ、ドーキンスが問題の核心を誇張した形で提示するまで、大部分の生物学者は「種のための利益」という観点に固執していたのであり、エソエロジーの祖ローレンツもまた進化をそのようなものとして考えていた。
したがって、欧米においても、真の意味で遺伝子淘汰主義的な観点が行動研究者のコンセンサスになるのは、『社会生物学』『利己的な遺伝子』の出現以後なのである(そして一般むけの社会生物学書の翻訳出版がジャーナリズムをにぎわすことになる)。
一方で、遺伝子決定論が現状肯定の科学的根拠を与えかねないという危惧に基づく社会生物学批判の大衆運動は、1980年代の日本では起こりうる基盤がなかった。
生物学内の古典的左翼はルイセンコ論争を通じてアカデミズムの内部での権威を失っていたし、学生を中心とする新左翼は1960年代末から70年代初めにかけての全共闘闘争の終焉、連合赤軍事件によって、ほとんど壊滅状態に陥り、仮にルウォンティン流の反社会生物学キャンペーンがあったとしても、それを大衆運動として担える実行部隊は存在しなかった。
ただし、学問的レヴェルでの批判がまったくなかった(創造論者や重力進化論者のようなトンデモ的な進化論批判は論外として)というわけではなく、柴谷篤弘や池田清彦らによって、構造主義生物学の立場からの社会生物学批判・ネオダーウィン主義批判が精力的になされたことは明記しておくべきであろう。池田らの批判についてここで論じる余裕はないが、私見によれば、哲学的な議論は別にして、批判の実質はルウォンティンおよびグールドの適応万能主義批判に通じるものであり、社会生物学者の側からの応答もそれに準じるものであろう。
ドーキンスとグールドに興味があったのだけど
それはもう一段階、深い論争があった模様で。
ウィルソン博士は1冊、ルウォンティン博士は未読の為
あまりキャッチできなかったが、そこがわかると
この書の価値は高まるのだろう、自分にとってだけど。
80年代の生物学論争って、全共闘と関連してたってのは
言われてみればそうなのか、と思い
新しい価値観だったのかもしれないと。
70年代の学生運動って反社会的な面だけで
強調されるけれど、論争ってのはそもそも
反体制な行為だからなのか、とか。
さらにここで構造主義生物学の
柴谷篤弘・池田清彦先生が出てくるのか、
という納得の仕方をしてみるも、
どこまで理解しているのか、怪しいものだけれど
近くの大学のオープンカフェで読んでいたら
怪しい空模様のため急いで帰宅して
自宅のこたつからの投稿しております。
別の書で日高先生のローレンツ追悼文を読んだ。
ローレンツと日高先生の対談を
NHKで放送したらしいが今西錦司先生の
ご感想がちょっと批判めいたものだった
ということを垂水先生がお聞きになり
日高先生にお伝えになったというのを拝読
これも日本の動物行動学という領域での
新旧の価値観の交代劇だったのではなかろうかと
思ったのはまったくの余談でした。
中村桂子先生の書から”進化論”を読む [’23年以前の”新旧の価値観”]
46億年の地球の誕生からの歴史を
フローチャートとして図でご説明されているのが
ものすごく面白い。
テキストだけ抜き出してもあまり伝わらないけれど
思わずメモしてしまいました。
生きものの歴史
生命誌を中心に宇宙から地球、生命、人間に至る流れ。
この中に描かれたさまざまな現象は、この歴史の中で重要なできごとである。
ガスが凝縮してできた雲
↓
冷える地球
↓
水と粘土がかたまる
↓
大気
↓
生物をつくる簡単な分子
↓
自己複製
↓
区画整理
↓
細胞分裂
↓
タンパク質
↓
DNA
↓
発酵
↓
光合成
↓
酸素呼吸
↓
運動
↓
原始的な性
↓
最初の真核細胞
↓
真核細胞の中に単純な細胞が住みこむ
↓
多細胞化
↓
性の改善
↓
中枢神経系
↓
ボディ・プランーー植物
↓
ボディ・プランーー動物
↓
骨格
↓
タネという工夫
↓
協働社会
↓
防水性の卵
↓
花
↓
羽
↓
温血
↓
飛躍的な発明
さらに興味深い”進化論”をご説明される件でございます。
第4章 ゲノムを単位とする
多様や個への展開
共通性と多様性を結ぶ
から抜粋
生物の本質を知るには共通性と多様性を同時に知りたいのだけれど、その方法がないために長い間、共通性を追う学問が独自の道を歩いてきたと述べました。
しかも20世紀は、ぐんと共通性の方に傾いて、遺伝子がわかればすべてがわかるかのように思われてきたきらいもあります。
ところで、ゲノムを切り口に用いれば、DNAに関するこれまでの知識を100%活用した上で多様性や個性にも迫れるということは両者をつなげる見通しが出てきたということですから、興奮します。
プラトンとアリストテレス以来できなかったことができるようになる。
ちょっと大げさですが、そういっても良いと思います。
では多様性を追ってきた博物学、分類学は今、どのような状態になっているでしょう。
分類学の祖リンネの書いた『自然の体系』(1735年)には900種ほどの生物種があります。
今、私たちが手にする生物分類表には約150万種が取り上げられています。
250年でこれだけの数の新種を発見し、同定したのですから、たいへんな成果です。
しかし、研究者の好みや地域などのせいで、生物種によってはほとんど研究されていないものもあります。
地球上に果たしてどれだけの生物種があるのか。
現代なら博物学はこのような問いを持って当然と思いますが、つい最近までそのような問いはなされなかったというのも生物学の歴史として興味深いことです。
ここで注目すべきは、ニューヨーク自然誌博物館のアーウィンらが、パナマにあるスミソニアン野外研究施設で行った調査です。
熱帯雨林の昆虫はあまり陽のささない地面にはおらず林冠にいるので、アーウィンは19本の樹木を選び三シーズンに渡り下から殺虫剤を吹きつけ、下に敷いたビニールシートに集まってくる昆虫を調べました。
するとなんと、既知のものは4%しかなかったのです。
現在、多様性の研究はとても興味深い展開をしています。
アーウィンの方法は、標本蒐集にはなるけれど、実際に熱帯雨林のなかで生きものがどのように暮らしているのかはわかりません。
生きたままを調べたいのですが、林冠は低いところで40メートル、高いと70メートルもあるのでなかなか到達できません。
けれども近年飛行船を飛ばすなど、さまざまな工夫がなされるようになりました。
その中で、京都大学教授だった故井上民二さんはツリータワーとウォークウェイ(樹登り用の梯子と樹間をつなぐ橋)をみごとに設計し、マレーシア・サラワク州で生きた熱帯雨林、ダイナミックに動いている熱帯雨林を捉えることに成功しました。
ここでは彼らの仕事を詳細に紹介する余裕がないのが残念ですが、さまざまな生きものがお互いに関係し合いながら生きている姿に関してみごとな成果を上げました。
それについては、井上民二著『生命の宝庫・熱帯雨林』(NHKライブラリー)を是非読んでいただきたいと思います。
実はこれはこの本と同じようにNHK人間大学のテキストとして書かれたのに、井上さんが事故で亡くなり放送されなかったものです。
とても素晴らしい本です。
進化というとダーウィンの進化論が有名であり、彼の自然選択を進化の要因とする考え方に対して棲み分けなどの要因を出し、新しい進化論とするなどの論争がありますが、今大事なのは、進化という現象に目を向けることです。
ところで、ダーウィンは、変異が起きた場合、それがある環境の中で形態として有利であると、それが集団の中に広まって進化につながるといったわけです(日本語の突然変異という言葉が事情をよく表しています。ある日突然変わった形や色の個体が現れるという気持ちです。しかし今では人為的に変化を起こせます。しかも変異はDNA内ヌクレオチドの変化だということもわかっていますので、もう突然はとって変異でよいでしょう)。
自然選択は、常識に合う見方です。
しかし、変異はDNAに偶然起こるのであって、ほとんどの場合は、よくも悪くもない(中立)か、悪いかです。
たまたま起きた変化が素晴らしい性質を示すなどということは滅多にありません。
悪いものは消えますから、残るものの多くは中立の変異ということになります(中立変異説)。
つまり、DNAの変化、個体が誕生するか否かの選択も含めての個体の変化、集団の変化という三段階の変化があって初めて進化が起きます。
繰り返しになりますが、もう論を立てるのでなく、進化の道筋を追って、共通性を持ちながら多様化してきた生物の姿を追うことのできる面白い時代が来ているのです。
中村先生のダーウィンの解説はわかりやすい。
なんとなくグールドの言説に近いような気がした。
生命誌にたどり着くのもこの書は最適であると
タイトルが表しているので自分が言うのは蛇足そのもの。
それにしても中村先生に限らず、知の巨人たちって
本当に読書が深い。
リンネの書は1735年ですか。日本だと江戸時代で
八代将軍吉宗の頃だよ、ってのは余談でございまして
江戸時代とか歴史に疎いのに調べてみたので
言いたいだけでした。
それよりも、ここで挙げられた他の書籍も
興味深いなあ、と思わざるを得ないけれども
読みたい書って読めば読むほど
増えてしまうのだよなあと
朝5時起きで仕事した身には睡魔との
格闘でございます。
日高敏隆先生の書から”ローレンツ”を読む [’23年以前の”新旧の価値観”]
人間はどういう動物か (日髙敏隆選集 VIII) (日高敏隆選集 8)
- 作者: 日高 敏隆
- 出版社/メーカー: 武田ランダムハウスジャパン
- 発売日: 2008/06/26
- メディア: 単行本
すごく力の入った書籍で、だから高い。
普通は買えませんよ。
そういう手合いの書ではないのか。
でも中身は平たくて読みやすい。
ローレンツと日高先生の写真ってないのかなと思って
あるならこれか、と思ったけれど
それはなかったが、刺激的な随筆が目を引いた。
第3章 そもそも科学とはなにか
ローレンツは時代の「すこし先」をいっていた
から抜粋
沖縄で海洋博があったときにローレンツが来た。
その理由というのがおもしろい。
ローレンツの息子トーマス・ローレンツはドイツで生物物理学をやっている。
ドイツの教授は森永先生という日本人で、彼はその助手をしていた。
森永先生がトーマスに「沖縄に行って、イカの飼い方とイカの神経の実験の仕方を勉強してこい」と言った。
イカの神経は大きくて長いので、研究に使いやすいらしい。
トーマスは、体は大きいが、気が弱い。
「ぼくひとりで行って大丈夫かな」と心配していたら、父親のコンラート・ローレンツが
「ではおれが一緒に行ってやる」ということになった。
それをNHKがいちはやくキャッチして、なんとかローレンツに日本のテレビに出てもらいたいので、ぼくと対談してくれという。
調べてみるち、沖縄の講演が終わり、羽田からドイツへ帰る途中に、2時間か3時間のあきがあった。
そこでNHKは、ローレンツを羽田空港でつかまえて、NHKのスタジオへ連れてきて、急いでぼくと対談して、飯を食う暇もなく、そのまま羽田へ送り出した。
それがぼくとローレンツとの初対面だった。
あとでローレンツに聞いたのだが、対談をそばで聞いていたトーマスが、
「お父さん、プロフェッサー日高と東京でやった対談は、今までお父さんがやった対談の中でいちばんよかったよ」
と言ったらしい。
「息子が非常にほめていた」とローレンツはとても喜んでいた。
その後、「NHKスペシャル」という番組でローレンツを取材することになり、ドイツのローレンツの家を訪れることになった。
1980年のことだ。
ローレンツは元々は自分の家で、庭にいろいろな動物を放し飼いにして観察していた。
だから動物がしょっちゅう家の中に入ってくる。
『ソロモンの指輪』に書いてあるが、普通の家では
「窓を閉めてくれ、鳥が出ていってしまう」
と言うが、ローレンツの家では反対で、
「窓を閉めてくれ、鳥が入ってくる」となる。
そういう状況でつぶさに動物を観察していた。
すると、どうしてこんなことをやるのかわからないという行動がたくさんあった。
なぜだろう、なぜだろうと思いながらずっと見ていくうちに、動物たちの行動というのは、人間の手の指が5本あるのと同じように遺伝的にもともと決まっていて、それがあるきっかけでぱっと行動に出るのだ、ということに気づく。
けっして心理学で言っているように、あるいはパブロフの条件反射で言っているように、次々に学習して覚えていくというものではない、と主張した。
これが動物行動学のいちばんの基本である。
1930年代のことであるから、そういう考え方はものすごく古いと受け取られ、ローレンツは保守反動のように言われていた。
当時の思想は、人間も含めて動物は、学習して行動がどんどん進歩していくというものだった。
それが、遺伝的にもともと決まっているというと、進歩も発展もないことになる。
けれどそれから20年以上経って、DNAがどんなものであるかがわかってきたときに、遺伝子が非常に大事で、基本的にはみなそれで決まっているのだということになってきた。
そうなってみると、ローレンツの言ったことは非常に現代的だったわけである。
およそ古くさい、固定的な保守反動の親玉のように言われていたのが、じつは非常に現代的だったということになってきた。
ローレンツがノーベル賞をもらったのも、そういうことだったのだろう。
人間が自然をどうみるかという見方は、時代精神を反映するものである。
ダーウィンの進化論にしても、イギリスで産業革命が動き出して、神様がおつくりになったとおりに世の中があるというのではどうも間に合わなくなってきたという、社会全体の感覚が動いていった中に生まれてきたものだ。
だから反響を呼んで広まったわけである。
ダーウィンのようなことを200年前に言っていたら、変人扱いされただけだっただろう。
ダーウィンは、動いている時代の中のちょっと先を言っていたわけだ。
ローレンツも、ある対談で
「あなたは天才ですね」
と言われたときに、こう答えている。
「いや、本当の天才というのは長い間、世の中に認められないものです。
そういう意味では私はそうではない。
私が言ったことは間もなく認められる。
ということは、私は大した天才ではないということです。」
NHKの対談では、いろいろおもしろい議論をした。
たとえば、ローレンツが
「歴史に学ばなければいけません」というので、ぼくが
「しかし、そもそも人間は歴史に学べるものですか」
と返したら
「たしかにそうだ。歴史からわれわれが学べることは、歴史からわれわれは学べないということです」
と言った。
われわれは歴史を学んでいる。
しかし、現象的に多少違うにしても、同じようなことをまたやっている。
ということは、歴史から学んでいないということなのである。
ただ、あまり学んだらなにもやることがなくなるかもしれないから、それでもいいのかなという具合にぼくは思っているけれども。
ほかの動物はどうか知らないが、人間は、人間とはそういうものだということを認識できる。
それならどうしたらよいかということも、少しはわかるはずである。
そのためには、いろいろなことを知っておくことは大事だし、もしも人間が誇るとすれば、いろいろなものを客体化して、人間自身ももういちど改めて突き放して考えてみることができるだろう。
20世紀に人間は、あまりにきれいごとを言いすぎてきた。
人間は崇高で、賢い存在だということばかり強調してきた。
しかし、それにしては戦争がいつになってもなくならない。
どうしてこういうことになっているのかということを、そろそろ考えてみないといけないのではないか。
あまり人間とはすばらしいものものだというところから出発すると苦しくなるから、もう少し楽にしたらいいのではないだろうか。
ローレンツとの対談がNHKにあるのか。
アーカイブで放送してくれないだろうか。
それにしても、先生の動物と人間、
自然の考え方というか態度というか、
思想というか、は先生の言葉を借りると
日高先生ご自身が「ちょっと先」を行っていた
と言わざるを得ない。
歴史に学ばない人間、戦争がなくならない、
というのなぞ、ただいま現在の人類にとって
大変に耳に痛く突き刺さる言葉でございます。
もっと楽に、というのもなんか看過できないなと。
ローレンツの「学ばないことを学ぶ」ってのも
なんだか禅問答のようで、これもまた興味深い。
ローレンツ博士も、ダーウィンさんも
この手合いのキャラだったのでは
なんて不毛なことに考えを及ばせながらも
12月に入った関東地方、寒い一日でございました。
中村先生の書から”折り返し点”を考察 [’23年以前の”新旧の価値観”]
ひらく 〔生命科学から生命誌へ〕 (中村桂子コレクション・いのち愛づる生命誌(全8巻)第1巻)
- 出版社/メーカー: 藤原書店
- 発売日: 2019/06/26
- メディア: 単行本
第6章 時間を解きほぐす
1 50歳という年齢
から抜粋
「生命誌」という言葉を考えさせた要因の一つは、年齢のような気がします。
科学史の村上陽一郎さんとは同じ昭和11年生まれ。
大人になってから知ったのですが、中学校が同じです。
つまり同じ世代で同じような育ち方をした仲間である村上さんが同じことを書いていたしたので、これは世代感覚だと思うのですが、50代になったら、さまざまなことがらの受け止めかたが今までと違うことに気がつきました。
数年前までは、時間は永久にあるように感じていました。
もちろん生きものには老いや死があることは知っていても、日常感覚としては、自分の時間は無限であるかのように思っていたのです。
やりたいことがあればなんでもやってみる。
40代までは、20代とまったく同じように時間はずっと先に続いていて、やろうと思えばなんでもできると思っていました。
ところが50代にはいったとたん、時間は有限だと実感しました。
50歳だと自覚して、その後で有限を感じたのではなく、有限だと思うことが多くなり、なぜだろうと思ったらどうも50歳という年齢なのではないかと感じたのです。
深く考えずに時間を潰していてはいけない。
大事だと思うことをやろうと思いはじめたのです。
村上さんも同じことをおっしゃっていました。
問題は「50歳」だからという実年齢ではなさそうです。
樋口一葉や正岡子規など明治から大正にかけての文学者を病気という切り口で書いた立川昭一さんの『病いの人間史ーー明治・大正・昭和』によると、彼らの多くは30歳、40歳で亡くなっているのに、やはりそこには若い時と晩年の違いがみられます。
今は平均寿命が80歳ですから、20歳で成人として、大人として生きる時間が60年間です。
これを半分にすると30年。
20歳に30を足すと50歳です。
つまり50歳が折り返し点なのです。
今までは前方を向いて走っていましたから、終点は見えませんでした。
どこまでも先がありそうだったわけです。
ところが折り返し点を回ったので、終点が見え、それと同時にいろいろなものが違って見えてきたのではないかと思うのです
ゴールも見えてきたに違いないのですが、まだあまりゴールは気になっていません。
ゴールがあるということだけはひしひしと感じながらも、老いよりは次にくる人たちの方に関心が向いています。
これまでと違う考え方をするようになっている自分に気がついて、これはなぜだろうと思い、こんな理由をつけたというのが本音です。
あ、折り返したんだと思いあたり、そうしたら納得できて、折り返しの道をゆっくりと走ろうという気持ちになりました。
もう一回、違う景色を見ながら走るのですから、とても楽しいのです。
高齢化が進みますから、老いは大きな問題になりますが、S・ド・ボーヴォワールのような冷徹な目で「老い」を論じるのは、日本人向きではなさそうです。
老いが醜いものであることを認めて、それをこれでもかこれでもかとつきつけ、答えを求めていくやり方は好まず、できることならごまかそうとします。
老いても気持ちさえ若々しければ青春であるとか、現代はエイジレス時代だから、齢を感じないようにしようとする態度が好まれますが、私は、それはごまかしだし、生きものの感覚としてはおかしいと思っています。
生きものにとっては、齢をとることに意味があるのです。
齢をあやまたず感じとって、その齢を生きなければならないのです。
70歳だって生き生きと暮らしている人はもちろんいて、それは素晴らしいことですが、それを青春とは言いません。
70歳はそれにふさわしくおもしろい時代だと思えばいいのです。
それをごまかすのは、老いをマイナスと思うからであり、見方が偏っています。
この実感がおそらく理詰めで割り切る「科学」からゆっくり語る「誌」に移ろうとする変化につながっているのだろうと思います。
そこには、生物と時間という問いもあります。
時間論のような難しい話ではなく、老いのような日常への関心から始まるのが私流ですが、ここにはなにか大事なことがあると感じています。
それも分析的な「科学」から歴史意識をもつ「誌」への移行の一つの要因です。
この書は、コレクション初巻にふさわしく
中村先生のベースになっているものの
考え方や態度など、いつものことながら
押し付けではなく、柔らかく諭されていて
自分としては特に興味深かった
「生命科学」から「生命誌」に移っていく
理由などもご説明されていてそれがとても
美しく優しく、とても印象的だった。
50歳が節目で、それは実年齢だからというより
中村先生風にいうなら”日本列島人”の平均寿命から
換算された”折り返し点”であると指摘され
自分のやるべきことを悟ったとおっしゃる。
我が身に引いていうなら、確かに50歳というのは
節目になり得る歳だったなあ、と思うし
そこから得るものが多く、またそうしていくのが
理想なのだろうなあ、と思ったりもしつつの
妻子がワクチン注射の為、仕事休みとっての
本日一日主夫をしてみて
家族のありがたさに一瞬気がつくも、
早く風呂とトイレ掃除しなくちゃと
もう15時だという昼と夜の折り返し点
ともいえる時間にも同時に気がつき
慌てているところでございます。
笠井博士の書から”江上先生語録”を読む [’23年以前の”新旧の価値観”]
科学者の卵たちに贈る言葉-江上不二夫が伝えたかったこと (岩波科学ライブラリー)
- 作者: 笠井 献一
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2015/06/18
- メディア: Kindle版
たくましい科学者でなくてよい
から抜粋
江上先生は研究室でもことあるごとに、
「私はたくましい科学者ではなくて、おとなしい科学者なんですよ。」とのたまった。
そのたびにみんなは大爆笑。
そのあまりの倒錯ぶり。
まさに「先生、ご冗談を」である。
先生はぬけぬけとこうおっしゃる。
私はおとなしい科学者なんですよ。
名古屋大学に理学部ができたとき、柴田雄次先生から、化学教室に有機化学の講座を作るから、そこの教授になるようにと言われたんです。
そのとき先生に私が言ったことは、あまり優秀な人を集めると、とかく一匹狼になって教室がうまく運営できない。
だから優秀かどうかは二の次にして、おとなしい人を集める方がよいので君を選んだ、ということです。
だから私はあまり優秀ではないが、おとなしいのがとりえなんです。
江上先生をおとなしいと評価した柴田先生の目は節穴同然。
おとなしいと自称する江上先生も、自己認識能力に大いに欠陥がある。
事実はまったくの正反対。
まずは物理的にやかましい。
普通の人よりも音程が一オクターブは高い。
それにアンプのボリュームつまみが壊れている。
目の前1メートルのところにいる相手に、講義室の最後列まで届くような大声でまくしたてる。
いったん口が回り出したら、マシンガンのように言葉と唾がほとばしる。
本や雑誌の企画で、対談とか座談会の記事がよくある。
人選が適切なら、なかなか有意義な記事になる。
江上先生が本領を発揮できるのは個人競技においてであって、聞き手を前にして一方的にしゃべりまくれる状況でなくてはならない。
対談や座談はいわば団体競技で、お互いに相手の言うことをよく聞き、流れをよく把握しつつ自分の意見も披露するなど、バランス感覚を保って協調してゆかなければならない。
ところが先生はいったんしゃべり始めたら、しゃべりたいことがあふれ出てくるので、たちまち独演会になってしまう。
これでは対談、座談なんか無理な話だ。
すごい興味深い人だ。隣にいたら嫌かも。
でもすごい成果をあげてるから
そのポジションをキープしていたり
お弟子さんがついていかれたのだろうことは
コウジカビが作るRNA分解酵素
リボヌクレアーゼT1のエピソードでも
なんとなくわかる。
その実験内容はよくわかりませんが。
先生は宝剣エクスカリバーを手にしたのだから、その気になればレースに参戦して勝者になれたかもしれない。
優秀な働き手ならいくらでも集められた。
でもそれはしなかった。
激戦地で手柄を立てようとすれば失うものも大きい。
自分が参戦しなくたって、参戦するたくましい科学者はいくらでもいる。
自分はおとなしい科学者として、優れた科学者を育てる仕事、今はまだ地味な分野を育てる仕事に徹しよう。
つまり、江上先生が言う「おとなしい」研究者とは、人がやらないような研究を意図的に取り上げる、あまのじゃくな研究者ということである。
たくましい研究者も必要かもしれないが、自分はそうしない
から抜粋
『二重らせん』という本を読んだことのある読者も多いだろう。
フランシス・クリックとともにDNAの二重らせん構造を提唱したジェームズ・ワトソンが、この大発見の経緯を書いたものだが、関係者の人間関係まで含めた、時に率直すぎるほどの描写が大いに話題になった。
江上先生は日本の核酸研究の草分けだったので、日本語に翻訳してほしいと依頼され、弟子(で私にとっては先輩)の中村桂子さんとの共訳で1968年に日本語版が出た。
この日本語版はたいへんに読みやすいが、私の経験から推測すると、先生が訳したものではない。
中村さんがほとんどを訳している。
先生は名前を貸しただけ。
想像するに、出版社から翻訳を頼まれたとき、先生のことだからきっと、私は忙しすぎて自分で訳す時間なんかないが、私の弟子にこういう仕事に「最適任」の者がいる。
その人と共同で良ければ引き受けるよ、と提案したのだろう。
先生の名前を使わせてもらうために、出版社はその条件を受け入れ、先生は仕事の全部を中村さんに丸投げしたに違いない。
中村さんが丹精込めて翻訳を仕上げ、その原稿を先生に渡すと、多分その翌日くらいには点検が終わって「だいたい良いよ。だけど、こことここはこう直した方がいいかな」という言葉で感性となったのだと思う。
それが先生のいつものやり方だったから。
後で中村さんに、3ヶ月くらいかかったんですかと聞いたら、出版社から1ヶ月でやってくれと頼まれて、電車の中でまで必死になって訳したのだそうだ。
ところで先生は日本語版のあとがきにこんなことを書いている。
この本を読んで、やはり、日本の科学が世界の第一流になるためには、ワトソン、クリックその他この本に現れる科学者たちのようにたくましい科学者がでなければならないのだろうと痛感する。
先生の目にはワトソンやクリックがたくましい科学者、つまり戦う科学者に映った。
ワトソンは自著の中に実に率直に書いているが、DNAの立体構造をなんとしても一番乗りで解明したい、最大の競争者であるライナス・ポーリングには絶対負けたくない、という強烈な思いに駆られていた。
「そんなことやってもいいのかなあ?」
と言いたくなるようなこともやっている。
江上先生はワトソンのような、アメリカ型と言うべきか、競争意欲をバネにした研究者が出てきたことにやや戸惑っている。
自然を知りたいと素朴に願っているおとなしい研究者とは違って、闘争的で、競争して、他人を打ち負かして、発見一番乗りを果たしたい野心を隠すこともしない新しいタイプの研究者の出現を見た感触が、このあとがきを書かせたのだ。
科学の現実はこうなってきたのか。
それはそれで受け入れねばなるまい。
日本でもこういった科学者が増えてゆくのだろうし、それは日本の科学研究が欧米と並ぶためには必要なのかもしれない。
でも自分はワトソンとはまったく違うタイプで、戦う研究者にはなれない。
あくまでおとなしい研究者に止まるのだ。
自分はワトソンのように、他人に負けたくないということをエネルギーにして、攻撃的に研究を進めることはできない、と言っているのである。
先生は圧倒的な神懸かりパワーで多くの弟子を洗脳してしまったのだが、強制することは決してしなかった。
いつも弟子をあおりたて、けしかけたが、それを受け入れるかどうかは本人次第だった。
これはつまらない研究で、これは意義のある研究だなんて分けることはできないよ。
生命現象はみんな結びついているんだから。
つまらなそうに見えることだって、やっているうちに、どこかで本質とつながっていることがわかってくる。
今は重要でないと思っていても、いつか重要なこととの接点がきっと見つかるよ。
初めから重要だった研究なんてないよ。
今、重要だと思われている研究だって、みんな誰かが重要なものにしたんだから。
みんながやっているという理由で研究テーマを選ぶ人がいるけれど、流行に乗り遅れまいとあたふたしているだけだよ。
君たちは誰かが重要なものにした研究に便乗なんかしないで、まだ重要でない研究を、自分の手で重要な研究に育てなさい。
流行っている研究は君がやらなくても必ず誰か他の人がやるに決まっている。
そんなテーマをやってたってつまらない。
自分のやっている研究が一番面白いと思いなさい。
面白くないなら、君の手で面白いものにしてやりなさい。
そうやって君だけができる研究をやりなさい。
私の使命は研究者を育てることなの。
そのためには経験がない学生であっても、本人が興味と情熱と責任を持てるような、独立したテーマをやらせるべきなのよ。
指導者がやらせたいことをやらせたり、チームでやるような大きな仕事の一部を分担させたりするのは、科学者を育てるには有害きわまりない。
だから君たちにはでいるだけ大きな選択肢を与えようと思う。
その代わり、自分が選んだ以上、そのテーマに関しては君たち自身が全責任を持ちなさい。
実験が失敗したら大喜びしなさい。
君はこういう結果になるだろうと予想していたのに、そのとおりにならなかったので失敗だったと言っているけれど、それは君の予想の方が間違っていたんだよ。
それとも何か知られていない現象があって、それが原因なのかもしれない。
こんなことはまだ誰も見つけたことがない。
これは未解決になっているこれこれしかじかの問題を解く手掛かりになるかもしれない。
だから君の実験は大成功だったんだ。
君は大喜びしなきゃいけない。
もっといろんな角度から調べて、新発見だということを確実にしなくちゃ。
それにはこんな実験をやるのがいいよ。
自分の考えに固執する人、自信を持ちすぎる人は、指導者になったとき、部下が自分の期待と違う実験結果を出すと、こんなはずはない、お前が悪いのだと言って責めてしまう。
実験結果はいつも正しいのだから、自分の考えが間違っていたと謙虚に認めなくちゃいけないのにね。
自分の予想した通りの結果を出すように部下に圧力をかけると、部下も指導者の気に入るデータだけを報告するようになり、間違った結果が公表されることになるんだね。
私は君たちの学問上の先輩にすぎない。
自然は偉大だから、どんなに知識や経験が豊富でも、知らないことがいっぱいある。
だから先生も弟子もしょせんは50歩100歩だよ。
私が考えたり言ったりしたことが、君たちのものより正しいとは限らない。
実験をやってみなければわからないことなんだよ。
生命は人智をはるかに超えているんだから、人間の浅はかな頭で考えだしたことなんか、その偉大さ、神秘さには敵うはずがないよ。
自然から教えてもらうという謙虚な姿勢が、結局は真理の発見に繋がるんだよ。
自然と向き合っているとき、私の立っている高さは、君たちとほとんど違わない。
生命のとてつもない高さの前では、無視できるほどの差でしかないんだ。
だから私は君たちの学問上の先輩以上のものではないの。
前言撤回いたします。
こういう人が学問の場や、職場で隣にいたら幸せだと思います。
まえがき から抜粋
私は江上不二夫先生(1910ー1982)に科学者になるための指導を受けたが、その間にたくさんためになる言葉を聞いた。
私だけではない。
直接の弟子はもとより、付き合いのあった人、間接的に聞いた人まで含めて、先生の言葉に支えられて、幸せな科学者になった人がたくさんいる。
ただし江上語録という名前の本は存在しない。
先生の言葉を刷り込まれた科学者たちの共通の記憶という無形文化財である。
それが心に強く刻まれ、いつまでも影響を与え続けた。
しかし先生が他界して四半世紀以上、このまま放っておけば、聞いたことのある人々の退場とともに消えてしまう。
そんなことはもったいないので、きちんと書き残したいのである。
もとは生命を研究する科学者を相手に語られたもの、そここめられた見方、考え方、攻め方は、自然を知りたい科学者すべてに通じるものである。
自分はもう科学者になれるわけでは
ございませんが中村桂子先生を読んでて
興味が出てきて手に取ったこの書ですが
江上先生の言葉はなんか響くものがございます。
一般の仕事でも通用すると強く感じた
次第でございます寒くなってきて関東地方
明日からもう師走なんて時の速さは
とどまるところを知らなさすぎでございますと
感じ入る今日この頃です。
養老先生のシンポジウム本から”普遍性”を考察 [’23年以前の”新旧の価値観”]
脳と生命と心―第一回養老孟司シンポジウム (養老孟司シンポジウム (第1回))
- 出版社/メーカー: 哲学書房
- 発売日: 2000/04/01
- メディア: 単行本
世界観に開いた穴
まえがき:シンポジウムのいきさつと目的
柴谷篤弘氏の主催する構造主義シンポジウムが大阪の千里で行われたのは、もう10年以上前になる。
私もなぜかそこに出席した。
当時の生物学の常識ではあまり扱われない問題を積極的に評価したシンポジウムとして、歴史に残るものだと思っている。
とはいえこのシンポジウムは、とにかく妙な人の集まりだった。
日本側のメンバーの主だった人たちは、今回の私のシンポジウムにも名を連ねている。
要するにはっきりいうなら、集まった人たちは、学会のいわゆる常識にはまらない人たちだった。
招聘された外国人たちも、いずれも変な人たちだったと思う。
フランシスコ・ヴァレラも来たが、かれの話はいずれ脳につながる話だと思った。
柴谷氏が忙しくなったこともあり、同趣旨のシンポジウムがないのを残念に思っていた。
学会というところはどこでもそうだが、暗黙の常識という縛りがかかっている。
日本ではそれに世間という枠がさらにかかっている。
世間から出て暮らしている人はいないから、その縛り自体を意識化することはきわめてむずかしい。
科学を疑問を追求する作業と規定するなら、学会というところはその疑問が正当であるかどうかを決めるように機能している。
私は学問上の疑問は個人のものだと思っている古いタイプの人間である。
それなら疑問を学会が正当かどうかを決めるのはおかしい。
まったく同じことが倫理にいえる。
倫理とは、取り返しのつかない決断をするときに、どういう原則をとるかという、個人的な問題である。
しかし現在の常識として、倫理は間違いなく手続きと見なされている。
倫理委員会というのが、典型的にその種の思考を示している。
あれは昔風にいうなら、倫理委員会ではない。
そもそも倫理は委員会で相談して決めるような問題ではない。
倫理委員会の実情は、ルールを策定する委員会である。
それなら倫理といわず、ルール策定委員会といえばいい。
科学の疑問もまた、基本的には個人の疑問である。
時代や文化によっては、幸福なことに、個人の疑問がそのままその文化や社会に属する人たちの一般的な疑問になりうる。
したがってそれに解答することは、社会的に有益なことだと見なされる。
しかし個人の疑問はしばしば、ただいま現在の社会にとって、かならずしも意味のある疑問とは見なされない。
疑問によっては、むしろ有害と見なされることもある。
疑問はじつは世界観に開いた穴である。
その穴に気づくと、人はかならずそれを埋めたいと思う。
それが学問あるいは科学である。
既存の世界観にも、当然穴があることは、公式に認められる。
いわばその公式に開いた穴を埋める作業が、学会に正当だと認められる学問である。
しかし非公式な穴も、際限なく開いているという気がする。
そうした穴に気づいて、それを埋めようとするとき、非公式な穴については、ふつうそれをなにかで簡単に覆ってしまう。
適当な説明をとりあえずつけておく。
それがいわゆる俗説である。
あるいは問題をさまざまな方法で隠蔽する。
どことなく不安になるからである。
それを追求する作業が、公式の世界観自身を転倒させることを恐れるからであろう。
現在はマスメディアが発達している。
しかしメディアが発達したということは、語る内容が増えたことを意味しない。
いうことがないから、メディアはしばしば肝心の問題つまり非公式の穴を隠すために機能するようになる。
脳死問題が極端に大きく報道されるのは、その典型例である。
なぜそれが「大きく報道されなくてはならないか」、それについて報道関係者はまったく答えない。
「日本で初めてだから」を繰り返すばかりである。
私が平成7年に東京大学を退官したとき、パーティーの席上で柴谷氏が挨拶をしてくださった。
そのときに柴谷氏が語ったことは、日本のメディアのその種の態度についての話である。
当時はダイアナ妃の個人的行動に関する話題がメディアを賑わせていた。
英国のメディアでは、この話題はエリザベス女王亡き後の英国が、共和制に移行するか否かという問題の一部をなしている。
しかしその面を、日本のメディアはまったく報道しない。
柴谷氏はそう語ったのである。
私はメディアの悪口を言いたいのではない。
科学もまた、基本的にはメディアである。
”Publish or perish”という英語の台詞は、それをよく示している。
それならメディアと同じことが、体制的な科学、つまり正当と見なされている科学の、どこかの段階で生じていると思わなくてはならない。
それがいうなれば学会の機能である。
学問の世界にも、体制的な疑問と、反体制的な疑問がある。
この場合の反体制とは、体制に反対するという意味ではない。
体制が正統、適切、正当と見なすか否か、そういう問題である。
しかし疑問は単に疑問であって、正当性、正統性とは、本来なんの関係もない。
にもかかわらずある種の疑問は「尋ねてはいけない」のである。
ダイアナ報道はなぜあんなに大きいのか。
脳死報道はなぜあんなに大きいのか。
それを訊いてはいけない。
ただしそれを放置すると、しだいにわけがわからなくなる。
報道だけを読み、論文だけを読んでいると、ダイアナ問題とはなにか、脳死問題とはなにかの答えが出てこない。
いろいろなことについて、さんざんそう思ってきた。
だから素直な疑問をそれなりに考えよう。
そういうつもりでシンポジウムをやりたかった。
それだけのことである。
理路整然、シンプルな理由と言わんばかりだけど
この論理展開は先生ならでは、高次レベルと
言わざるを得ない。
誰しもがそこに到達できるとは思わないけれど
メディアと世間への”態度”というか、それらに対する
”疑問”とか”立ち止まり方”がなんか頷けてしまうのは
自分もそういう要素があるからなのか。
ひとつ言えることは、仮にそうだとしてもそれが
研究発表や会合など持りシンパシーを表すには
普通ならばなにかに忖度して成立するようなものを
養老先生たちならばそうならないようですな。
ただし費用その他を外部に求めると、素直な疑問を追求することがむずかしくなる。
どうしても遠慮や配慮が生じるからである。
それならなにもかも自前でやるのがいちばん簡単である。
やった結果は公表するが、元々一種の私的会合だから、なにをいおうと、別に誰からも文句をいわれる筋合いはないはずである。
さらにいえば、この国の憲法は、言論・出版の自由を確か保証していたのではないかと思う。
この書が普遍性を帯びているのは刊行から
20年以上経ていると思えないと
身体が感じる事から明らかではなかろうか。
他の論文発表者は以下で、併せて討議もされている。
・茂木健一郎
クオリアと志向性
「私」という物語ができるまで
・郡司ペギオ幸夫
クオリアと記号の起源
フレーム問題の肯定的意味
・澤口俊之
前頭前野の動的オペレーティングシステム
・松野幸一郎
<さすらう不都合>ということ
・計見一雄
精神分裂病と<肉体性を持つ言葉>
・池田清彦
同一性、記号、時間
・団まりな
物質の雑音状態
あとがき
シンポジウムの構成など
から抜粋
全員の問題意識が同じだったわけではない。
特定の主題もおいたわけではない。
しかし討議を終わってみて、私が興味を持った根本的な問題の一つはたえず変化していくものとして生物というシステムと、それ自体は変化しないという性質を持つ情報とが、どのように関係しているか、ということだった。
生命、時間、記号、伝達、そうしたものの基礎にある同一世と差異、これらはいずれもたがいに関係しあった概念でもある。
しかしそれを全体として意識化し、それぞれの専門的な議論をどこに位置付けるか、それはまだ考える余地が十分にある。
次回のシンポジウムでは、そうした点を私自身は追求してみたい。
そう思っている。
しかしもちろん、具体的な問題もたいへん面白い。
それはここに収録された論文や討論に見るとおりである。
茂木先生が世に出れたのは、
このシンポジウムのおかげだったと仰っていた。
池田先生は養老先生と深く付き合うきっかけは
このシンポジウムだと仰っていた。
養老先生の果たした役割はご本人の意識、無意識に
かかわらず多大であるといわざるを得ない、
なんてのは自分に指摘されるようなものでなし、
夜勤明け休日の本日、北野武監督『首』を拝見し、
日本の社会の縮図ってほぼ変わってないよなあ
約500年前から、とか、
これは西欧からしたら未開の野蛮人と
思われただろうなとか、
また別の視点からだけど、かなり重たいものを
突きつけましたなあ北野監督は、とか
北野監督と養老先生は似ている所多いのでは
とか思いつつ映画館からの帰り地元サイゼリアで
コーヒーをいただきながらの読書の冬本番
直前な午後でございました。
村上龍氏と中村先生の対談から”無知の知”を考察 [’23年以前の”新旧の価値観”]
わたしが主宰するメールマガジンJMMでメディア特集を企画して、この対談集に収められている女性ニュースキャスターとの対談・座談会を行なった。だがそこで企画は途絶えてしまった。内外の変化に適応する文脈の整備ということで、いつも問題になるのは教育とメディアだ。教育とメディアは日本語に守られているために、たとえば金融や企業経営などに比べると適応が遅れているなどと指摘されることも多い。
JMMでは何度か教育の特集をした。だが結局メディア特集を編むことはできなかった。教育では、「症状」がわかりやすい形で発生しているのに対して、メディアに関してはほとんど症状がないという理由による。日本のマスメディアは、症状を露わにするどころか、格差を伴った多様性を隠蔽する機能を持っていると思われる。だがそれが日本に特有のものなのか、内外の変化に適応できずに没落する社会に共通の現象なのかはわからない。
わたしは繰り返し日本のマスメディアを批判してきた。だがもちろんそれは「俗悪番組」の批判などではなかった。いわゆる俗悪番組はどの国にもあるし、活力を失った国ほどそういったカタルシスを必要とするものだ。わたしがマスメディアを批判するのは、すでにこの社会にある対立と格差を具体的に論議する前提をまったく探そうとしていないように見えるからだ。
当たり前のことだが、対立は日本社会だけではなく、世界中にフラクタルに存在する。アメリカとイラクの対立、米英と独仏の対立、アメリカの政治・軍の内部にもあるだろうと予想される対立、イギリスの首相と議会、世論との対立、対立の数と種類はほとんど無限で、この世界は対立が基本となって成立していると言い換えることも可能ではないだろうか。そういった世界に対し、「一丸」「一致団結」というキーワードで理解し、対応するのは難しい。
わたしはJMMにおいて、対立を基本とする論議の文脈を整備することを目標にしている。この対談集の「啓蒙」にはそういったニュアンスがある。
村上▼新聞紙上で対談したのは何年くらい前でしたかね。対談の後からさらにDNAの研究は進んだようですね。
中村▼最近はもうひとつ、細胞生物学と、それをもとにした再生医療へ向けての研究が急速に進んでいます。ただ、進んでいるといっても研究には時間がかかるわけですが、今は生命科学を産業と結びつけようとする動きが大きいので、そちらからの期待が先行しているという感じもします。
村上▼ミクロの再生医療というのは例えば、骨髄の細胞を培養したりすることも含まれるんですか。
中村▼骨髄の場合、骨髄移植は実用化されていますが、型の合う人がなかなか見つからない悩みがあります。そこで自分の細胞を取り出して、不足している遺伝子を入れて培養し、自分の体に戻すことを目指していますね。骨髄細胞、血液細胞などは扱いやすいわけですが、最近の再生医療は体をつくる細胞すべてを対象にしはじめました。そこで活用されるのは「ヒト胚性幹細胞」といわれるもので、通常はES細胞といって、体外受精に使うためにつくった受精卵の中から未使用なものを用いて、試験管の中で分裂させるという方法で手に入れます。具体的には未使用の卵は冷結保存されており、体外受精に成功してもう不要というカップルの場合、破棄するわけです。この卵をお願いして承諾を得られた場合、それを培養し、胚盤胞という時期の内部の細胞を用います。これは、もし体内にあれば赤ちゃんの体をつくるはずの細胞ですから、体をつくる何の細胞にでもなる可能性を持っている。
村上▼臓器などにもなるんですね。
中村▼そう。何にでもなる。試験管の中では人間にはなりませんが、ある条件のもとではさまざまな臓器になります。心臓や肺や肝臓などの臓器は条件が難しいのですが、神経、目のレンズ、筋肉、血管などは試験管の中でも比較的つくりやすいのです。将来はあらゆる臓器をつくって、今のような臓器移植ではなく、再生したものを使おうというのが再生医療の狙いです。この分野はまだ始まったばかりで、技術の問題もこれから解決すべきことがたくさんありますし、社会的話題もたくさんあるので、細かいことはまたあらためてお話しします。
村上▼そういった研究は、基本的にビジネス主導で進められているわけですよね。
中村▼そうですね。そこはとても難しいところです。この分野は、発生という生物学としてとても興味深い分野を背景にしており、生きものの体が出来上がる不思議を知る研究として多くの研究者が興味を持っているので、その研究がすすむことは皆望んでいます。ただ、科学研究も自分のお金でやるわけじゃないですよね。大学や公の研究所の研究を支えるのは、主として国のお金です。ですから、国がどういう考え方でお金を出しているのかによって、研究の方向が決まるわけです。
今の日本の科学技術政策の目的ではっきりしているのは、世界の中で日本の科学技術の存在感を高めようということだと思います。今は主としてアメリカがリードしていますから、アメリカを意識して負けないようにしようということになるわけです。アメリカはビジネスのほうを向いて動いていますから、同じ方向を見て競争しないといけなくなります。そうすると、科学とし面白いかどうかということではなくて、産業化に向くかどうかだけで研究予算が決まるわけです。しかも、マスコミや企業は、表に見えるビジネスの側面だけで研究を見ている。
先日、名古屋大学の生命科学専攻部門の評価に行ってきたのですが、大学の研究はまだ研究として「面白い」という意識が基本にある。当たり前のことですが、ちょっとホッとしました。
村上▼中村さんは、大学の研究を評価するということもおやりになっているんですね。
中村▼外部の研究者が評価する動きが高まっているので。この間の名大など、学者として本当に面白いからやるという研究をしていながら、目的もはっきりしていて魅力的な生物学をやっていました。結局はそういうところから、少し長い目で見れば技術としても面白く役に立つ成果が出てくるのではないかと思うのです。大学の研究室よりも大きなお金で動いているプロジェクトはビジネスを向いて、そのための競争をしているのでそこが目立ちますが、10年後に、生きものを基本とした社会、科学技術をつくるための素材は、ビジネスに直結するところでないほうから出てくると思っているんです。
日本には健全というかそういうメンタリティを持って、いい仕事をしている人が十分いるとは感じています。実は、一時期落ち込んだんです。国の科学技術政策に沿って研究を進めるための委員会に参加していると、経済効果だけで成果を測る話ばかり出てくるので、嫌気がさして、目先だけでなく基盤をつくることも考えなければいけないのに、どうしようかと思ったんですが、いろいろな人の話を聞いていたら、基礎研究もきちんとあるので、そういうものを伸ばすことをやれば日本の力はあるはずだと。でも、マスコミはあまりそちらには目を向けないでしょ。そうなると、基礎づくりを支える力は弱くなるので危険です。
私は生きものの本質を知ろうとする研究を基本に新しい知を組み立てていこうとしている仲間たちと、それを育てることに少しでも努力しようと思うようになりました。
村上▼そういう「面白い」というモチベーションの研究は、「ビジネス」主導の研究と分かれてしまっているんですか。
中村▼「面白い」というと誤解を招くといけないので補足すると、生物学の流れの中で今これをやることに意味がある、次の流れをつくるという意味で学問的に面白いということなのですが、それとプロジェクトで進むものとはだんだんと区分けされてきてしまっているんです。かつては研究費も、例えば数百万円というレベルで動いていたんです。それが、ゲノム解析となりますと、解析機器やコンピュータなどの台数で研究スピードが決まる。だから機械設備が必要になりますね。それで研究の桁が違ってきました。数十億円という費用が必要なプロジェクトなのです。文部科学省の科学研究費での仕事も、数千万円とか数億円のプロジェクトが組める機会が昔に比べたらずいぶんと増えてきました。これは生命科学に関心が持たれるようになったためで、いいことですね。それだけ豊かな研究費で世界的レベルの研究ができるようになった。一方、50億円、100億円という、直接政治や経済と結びつくプロジェクトは、本当にそこに投入することが最適かというチェックが専門的になされないので、やはり歪みも出る。
村上▼アメリカの科学ジャーナリズムは、冷静に現実を見つめ、解説・啓蒙書として優れているものが多いですね。例えば中村さんが訳された『ゲノムが語る23の物語』(M・リドレー著)は、今生命科学の最先端で行われていること、そこですでに得られている知識を一般的に説明して、ゲノムと遺伝子の現状をわかりやすく書いています。
中村▼あれはいかにもしゃれた感じのジャーナリストらしい本で、日本にはああいう本を書くジャーナリストが育っていないのが残念ですね。日本では今、遺伝子ですべて決まるような話になっている。「何でも遺伝子症候群」と呼んでいるんですが、専門外の方たちが遺伝子、遺伝子とお使いになり、性質から何から遺伝子で語る風潮がありますね。遺伝子で説明できるはずのないことまで遺伝子で理由づけしようとする。
村上▼アメリカがまず「犯罪者の遺伝子」というようなことを言い出したんですよね。
中村▼アメリカは遺伝子で語るのが好きな国ですから。昔から、双子の研究や犯罪者の研究などに関する遺伝の研究がたくさん行われています。
村上▼優生学みたいなことを昔からやっていましたよね。
中村▼そう、好きなんですよ。二重らせんを発見したことでも有名になったジェームズ・ワトソンも所長を務めたことのあるコールド・スプリング・ハーバー研究所という、分子生物学では中心的な立場にある研究所があります。そこはもともと、アメリカの富豪が優生学のためにお金を出してつくった研究所なんです。それが今はDNA研究の中心になっているというのは象徴的です。でも最近、双子の研究はかなり進んできましたが、遺伝要因なのか環境要因なのかという結論が、どんどんフィフティ・フィフティに近づいているんです。まあ当たり前と思うんですけど(笑)。やらなくてもそうだろうなと思うところに落ち着いています。
村上▼もうひとつ日本のメディアが危険だと思うのは、バイオビジネスでアメリカにリードされているので、日本が追いつくことが国是であるという前提で科学面の記事をつくっているような気がするんです。そして、それに対するカウンターはモラルしかないという点についてもアメリカを模倣してます。
中村▼生命倫理、モラルでは対応できないと思うんです。私は、生きものがどういうものかということを徹底的にわかれば、やったら危ないことと、やっても大丈夫なことがわかるだろうと思っています。本当はそこからやるしかないと思うんです。生きものを基本に置くことです。
村上▼僕もまったくそう思います。クローンにしても、神に反しているとかいうことではなくて、何が起こるかわからない。リスクが確定できないということですね。
中村▼そういうことです。クローンについてはいろいろな考え方があり、『クローン、是か非か』という本にほとんどすべての場合が出ているのですが、どんな場合を考えても、生物学的に見たときに無意味なんです。先日猫のクローンが生まれましたよね。あれをごらんになれば分かるように、三毛猫のクローンなのですが、親と子の模様のパターンが全然違うんです。クローンだけど違う。三毛になるということは決まっているけれども、毛の生え方を決めるのは決して遺伝子だけじゃないことの証明ですね。それは毛の色だからわかりやすいのですが、毛の色だけの問題ではありません。あの猫を見れば、クローンは見かけさえ全然違うとわかります。ペットのクローンが欲しいと思っても毛のパターンが違ったら何の意味もないでしょう。
村上▼映画でよくありますけどね。ペットの代わりで。
中村▼人間はもっと違うでしょう。外見を見ただけで違うことがわかりますし、性格などすベて含めたらもっと違ってくると思います。
村上▼でも、メディアではそういったニュアンスでは語られない。例えば、人間のクローンをつくってどのような利益があるのかと考えて、「マイケル・ジョーダンが五人いるチームができる」と言ったりする。
中村▼マイケル・ジョーダンがいきなり誕生するわけではなくて、赤ちゃんができるわけですから。成長していく途中でひとりひとり違うことが起きるでしょう。だから、どの例を考えても、クローンはまったく無意味だという答えが出るんですね。神様の教えにもとるとかそういうことまで戻らなくても、生きものとして無意味なことはやめようということになるわけです。
村上▼モラルで批判するのが簡単だ、ということなんでしょう。
中村▼今のところ法律での規制ということになりますが、法律をつくってすべて防げるなら殺人事件もないはずでしょう。法律をつくっても、やりにくくはなるでしょうけれど、防ぐことはできないと思うのです。体外受精を認めるかどうかも、倫理を基本として議論していました。ところが、ルイーズ・ブラウンという赤ちゃんが体外受精第一号として生まれたあとは、この子を否定できない。技術を否定するとその子の存在を否定することになるし、かわいい赤ちゃんが生まれたということでとたんに議論がなくなって、あとはどんどん広がったのです。倫理でとめている限りはそうなります。だから、クローンだっていくら法律をつくってもひとり誰かがやるとすると、あとはとめられません。生まれた赤ちゃんに、「生まれてきてはいけなかった」とは言えないですよね。そうすると、クローン技術を肯定せざるを得なくなる。
村上▼モラルで批判をすると、クローン人間が実現した時に、その子を死刑にするのかということになりますよね。
中村▼世界の中でたったひとり生まれたという事実だけで、全部が壊れるわけでしょ。
村上▼合理的かどうかで判断した方がいいと思いますね。
中村▼こんなことをしても意味がないんだということですね。
村上▼すでに生まれたクローンはどうすることもできないけれど、二番目、三番目とつくっても合理的ではなく利益もないという批判のほうが有効ですね。それはアメリカのアフガニスタンへの攻撃への批判も結構似ていて、モラルの面から反対しても、じゃあ9・11はどうなんだと反論されると非常に弱いです。そうではなくて、報復攻撃は非常にリスクが高くて、テロをなくすことはできないだろうというように、合理性で議論していかないと弱いんじゃないかと思うんですよね。
中村▼攻撃で起きることのマイナスの大きさを考えると、そのことの無意味さを感じますね。
村上▼モラルを持ち出さないほうがいいと思うんです。
中村▼住民への影響のことを考えると、マイナスのほうが大きいですよね。
村上▼モラルというのは耳に心地いいんです。
中村▼宗教は宗教としての基準を持つのであって、例えばカソリックは、そもそも体外受精を否定するわけで、それはひとつの立場ですね。でも、いわゆる倫理はそうではない。今のような状況の中では倫理は弱いと思いますね。だから新しい価値観をつくるしかないんじゃないでしょうか。
村上▼アナウンスメントしなくちゃいけないと思うことは、生命に関していうと、いまだにわかっていないことが多いんだということじゃないかと思うんです。
中村▼おっしゃる通りです。遺伝子にしても再生医療にしても、生きものはまだまだわからないことだらけであって、機械のように思うように操作できるものではない。生命操作というけれど、実は私たちにはまだ操作なんてできていないんだということだと思います。子供の教育でやらなければいけないことは、「わからないことがいっぱいあるんだ」ということを知らせることですね。今の学校は、すべてわかる子どもをいい子としているでしょ。わかならいと言っている子供のほうが、いろいろなことを考えていたりするんですよ。
村上▼そのほうがいろいろ知っていたりしますよね。
中村▼わからないことがあるということをわかっているのは、一番大事なことですよ。
村上▼情報や知識がないと、何がわからないかが、わからないんですよね。
中村桂子先生の書から”逡巡”を考察 [’23年以前の”新旧の価値観”]
遺伝子工学の展開についてのインタヴュー
分子生物学と動物行動学 から抜粋
編集者▼ 分子生物学という言葉がいまや一般にも通用し、最近では遺伝子工学とか、バイオテクノロジーという言葉もよく聞かれるようになってきているわけですが、まず、この新しい分野がどんなかたちで形成されてきたのかということがひとつですね。次にいま現在はどんな状況であるかということ、そしてこれからはどのようになるのだろうかということ。
中村▼
これからのことは分かりません(笑)。
編集者▼ どこまでわかっているのか、どこまでできるのかというようなことですね。それから最後に動物行動学のような領域との関連ですね。
例えば分子生物学における決定論的考え方と動物行動学におけるそれとの違いのようなこと…。
中村▼
この特集(=科学の最前線)の中に動物行動学の日高先生(日高敏隆氏)がいらっしゃいますね。
編集者▼ 日高先生にも同じことをお伺いしようと思っているんです。
中村▼
私は日高先生のところに時々伺うと、いつも楽しくなって帰ってきます。
編集者▼ 京都にはよくいらっしゃるんですか。
中村▼
それほど伺えませんが。
この間お目にかかった時は、タヌキを始めたけれどタヌキって面白いよと言われました。
コウモリやタヌキ、北海道のアシカ、いろいろなものを研究してらっしゃる。
どうしてそんなにさまざまなものをなさるのか聞いたら、学生が好きだというものを研究させるんですって。
編集者▼ それがやはり一番いいんでしょうね。
中村▼
ナマズを好きという方の論文を見せていただきましたが、ああいうのを見ると嬉しくなります(笑)。
その点分子生物学は面白くないかもしれません。
編集者▼ よく動物行動学は一種の擬人論だというように非難されたりするわけですが、そういう擬人論的な観点を決して否定なさらないわけですね。
中村▼
動物行動学はあまり擬人化せずにタヌキはタヌキとして見る方がいいとは思います。
私はもともとは生物学がそんなに好きではなかったのです。
小さいときに一日中蝶々を追いかけたという人種ではありません。
単純な人間なものですから論理的にすっきりと解明されるとスカッとするわけでそういうものが好きでした。
化学式などは、私向きだったものですから化学を勉強したのです。
化学式は物質の構造とその働きとの関係を考えますね。
そこで遺伝子DNAという物質を習って非常に魅力を感じたわけです。
そういう方面から分子生物学に入ったものですから、生物からではないのです。
ところがこの頃になって生物学が、好きになってきました。
最初は遺伝子という全生物を共通の言葉で説明できるものの魅力、むしろ普遍性に惹かれたわけですが、それが現実に表れているところではこんなに多様に表れている。
むしろそれが面白いし大事にしなければならないことだと思い始めたわけです。
なにもタヌキの研究は人間を知るための研究だなどと思う必要はなく、タヌキのことを知る喜びでいいと思うのです。
もちろん人間は生物のしっぽを引きずっている存在ですから、生物の行動学から学ぶことはたくさんあると思います。
この間もサルの行動学の専門の方のお話を伺いましたがお互いのかけひきなど面白いですね。
コウモリの親子の超音波によるコミュニケーションの話が出てくれば、人間の親子にもそういうつながりはあるんだろうと思ったりしますね。
ローレンツのように動物行動学を基礎に、人間に対して発言をする方もあるわけですが、あれは一つの警告として受け止めれば良いのではないかしら。
動物行動学を擬人化したらつまらない。
この世の中人間だけではつまらない。
自分と違うものがあって、それを理解する努力をすることが楽しく、理解できると好きになります。
わからなければ好きになれないかというと、そうではないでしょうが、わかると好きになるのは確かです。
子供の頃は生物が特に好きではなかったけれど、分子生物学という全然生物っぽくない方面から、生物のことが少しわかってきて、好きになった。
私は実を言うと、ウサギから採血するのなど苦手で、注射をするのでも目をつぶってやってたくらいダメなんです。
けれどいま、分子生物学を勉強してよかったなと思っています。
その中には、生物を見る眼がずいぶん変わってきたということもあるわけです。
編集者▼ 興味深いのは、最初は原理的な考察というか原理論に惹かれておられた…。
中村▼
私はスッキリわりきれるものに魅力を感じるたちなのです。
だからわけのわからないものに拒否感があった。
だから哲学や思想も、申し訳ありませんが、恐くてダメです。
常に単純明快なことしかわからない。
編集者▼ そういう原理的なものからむしろ逆の多様なものの方に関心が移ってこられたということですね。
分子生物学というのは世界の多様な生物界を簡潔な原理に還元しようとする情熱によって形成されてきたように見えるわけです。
しかし、それだけが強調されてはならないので、問題はむしろ、たとえばDNAの二重らせんという簡潔な構造がじつは生物のすばらしい多様性を生み出しているということであって、これで比重が逆になるわけですね。
中村▼
そこが興味の対象です。
複雑に、多様性に分かれている底に普遍性があること。
それが何にもなくて、説明もなにもできず、ネコとネズミは比べてもどうにもならないというふうになってたら、あまり興味を持たなかったかもしれません。
共通のものがあるのに、ネコはネコ、ネズミはネズミだということ。
だから一度分子生物学を通らなければならなかったんだと思います。
ただあれは、あくまでも基礎的理解で最後まで分子生物学ではいかないんでしょうね。
編集者▼ 一般には、分子生物学というとどこか高級で、動物行動学のほうは、なんとなく即物的すぎるというか、科学的に、論理的じゃないと思われがちではないんでしょうか。
中村▼
でも分子生物学をなんのために研究しているかといえば、ナマズのことを知ったりタヌキのことを知ったり、最後には人間のことを知るためでしょ。
確かに共通の概念で生物を捉えられるようになったということは、学問的にずいぶん進歩だったと思うし、分子生物学の功績は大きいと思いますけれど、生物の生物らしさや、生物学の生物学らしさは別のところにあるような気がします。
動物行動学も、今遺伝その他の問題で、分子生物学と無縁でなくなっていますでしょ。
遺伝子の機能を理解した上で、ああいうところに戻っていくのが、生物学という感じがします。
遺伝子組み換えの意味 から抜粋
編集者▼ お話を伺っていますと、分子生物学に対して一般に抱かれているイメージと正反対のイメージが湧いてくるようです。
中村▼
そうですか。
でも、分子生物学者は今そう思っているのではないでしょうか。
ワトソン=クリックがつくった見事なモデルを中心にしたセントラル・ドグマで、大腸菌のような単純な生物の遺伝は確立しましたね。
10年ほど前までは、これは原理的な人間まで同じだと思っていたわけです。
そして世界中の分子生物学者が多細胞生物の研究に入ったわけです。
1984年のこのインタヴューではまだ
生命誌にたどり着く前の
中村先生の逡巡のようなものがあり、
どんなに聡明な方でも暗中模索というのは
あるのだなあと。
動物行動学や分子生物学がなんなのか、
よく分かってない上に自分は中年になってから
ゲノムを知ろうとしてもどうにもならんのでは
なかろうかという一抹の思いもなくは
ないのだけど、どうにも引っかかるのだよなと。
この書はこのインタビューが最高に自分には
響いたのだけどその他の随筆も素敵な
書籍でございます。
最後の「文庫ためのあとがき」は時を経て
初出から16年くらい後の2000年に書かれていて
もう生命誌研究館ができているので
ただいま現在仰っていることとほとんど同じ感じで
現在の経済優先の世の中に疑問を呈しておられるが
そこは中村先生流で「志」「分」という言葉で
諭される。
文庫のためのあとがき から抜粋
今は、物質的に豊かにしようというところに「志」があるとは思えない。
私が人間にとってもう一つ大事だと思っている「分」について考えるべき時に来ているのではないかと思うのだ。
地球という限られた場の中で、他の生きものと一緒に生きるには人間にとっての適切な取り分があるだろう。
世界中にさまざまな国があり、大勢の人が暮らしている中で、日本という国の取り分も自ずと決まるはずだ。
一人勝ちしたり、石油などの資源をどんどん使う生活を当たり前と思うような暮らし方をするのをよしとして生きるのは美しい生き方とはいえない。
そして、「私」の分もある。
ある節度を持つのが良い生き方なのではないだろうか。
このような分を身につけたうえで、すべての人が物質だけでなく心も豊かに暮らし、すべての生きものが元気に生きていける地球にしようという、新しい「志」を持って生きていきたい。
真理なのだけどなあ。
なぜに人類はこういう発想にならないのだろうか。
新自由主義に毒されて生きてきてしまった自分は
こういう言説を聞くと身が引き締まる。
会社員だった頃はキャッチできなかったろう事
考えるとまだマシなのかもしれず
コロナ禍を経験したのも影響あるかもしれない。
1980年代からの警鐘が2023年のただいま現在も
鳴り響いているってのは実は憂うべきこと
なのだろうなと思ったり。
中村先生の最近の動画では、人間は生命誌絵巻の
上から物を申している、
中から目線にならないとと仰る。
人間も自然の一部だという当たり前の発想に
なぜ気がつかないのだろうかと。
特別なことを言っているように、
どうしても思えないのは自分が中村先生に
影響されすぎなのかなんかなのか
よくわからないけれど、
それはいったんおきつつ、といっても
中村桂子先生の研究(読書)は継続し深めつつ
自分の風邪が子供に感染ってしまったようで
発熱してしまって申し訳なく思いつつ
仕事帰りコンビニでビタミンC系か
野菜系の飲み物かを深く”逡巡”し
いずれにしても飲み物を買ってくるくらいしか
できず、今日は早朝5時起床で
仕事しているから自分も眠くなってきている
土曜日なのでございました。
中村桂子先生の書から”恩師”に思いを馳せる [’23年以前の”新旧の価値観”]
わたしの今いるところ そしてこれから (生命誌年刊号vol.100-101/2019)
- 出版社/メーカー: 新曜社
- 発売日: 2020/11/15
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
「生命誌研究館」の名誉館長、中村桂子先生を
中心として発行されている『季刊生命誌』の
100号を記念して101号と合併のとてつもない書。
場所的になかなか行けないという
自分のようなものにとってこういう書や公式Webは
なかなかに有難い。
この書は「生命誌」という考えと共振される
先生方やスタッフの方たちの研究成果や思いなどが
詰まったもので経済至上主義とは無縁の良書。
どれも興味深いのですが特に目を引いたのが、
「生命誌が生んだ3つの表現」とあり
①1993年生命誌絵巻
②2003年新・生命誌絵巻
③2013年生命誌マンダラ
が26年間のあゆみの年表に添えられていた。
さらに中村先生の文章が圧巻でございました。
科学と日常の重ね描きを
ふつうのおんなの子のちから から抜粋
日常こそが学問を支えると考えてきました。
科学では対象を決め、知りたい現象を決めて考え、具体的な解明をしなければ研究になりません。
その過程で、自然や生きものや人間の持つ日常性を排除していきます。
研究ではそれをするしかないけれど、焦点をあてた外側を自分の中から捨ててはいけないと思うのです。
今の科学はそれを捨てさせます。
科学と日常を一人の人間の中で重ね描くことこそがとても大事だと考えています。
2018年に書いた本『「ふつうのおんなの子」のちから』はタイトルをみて、生命誌と関係ないと思われるかもしれませんが、「まさに生命誌」と思って取り組んだ仕事です。
読んでくださった方から「幸せってこういうことだ」と思ったいう声をいくつもいただき、「生命誌」はそれを願って始めたのだということに気づきました。
遺伝子でなくゲノムという総体を見よう、そうすることで機械論から生命論へと脱却しよう。
学問の世界としてはそうなのです。
でも、一人の生活者としての「生命誌」は、このまま進むと幸せから遠くなるのではないかしらという危惧から始まったのでした。
自分が本当に大事だと思うことを続けてこれたのは幸せです。
先日息子にもそれを言われました。
ただ、AIやゲノム編集などがもてはやされる今の社会に危機感を持っています。
AIは意味を理解しません。
意味こそ人間にとって最も大事なもののはずです。
「生きる」とはどういうことか。
人間とは何かを考えることがこれまで以上に大事になっている。
今改めて強く思うことです。
日常と学問の重ね描きをもう少し続けて幸せへの道を探していきます。
好きなものを追求し続けられるというのは
本当に稀有な事で望ましい状態だと思います。
自分も思うに若干その口なのかもしれないけれど
当然ながら先生ほどの知を持ち得てないので
次元の違う話であろうけれどもなどと思ってみた。
おわりに から抜粋
1970年に始まった生命科学は、あらゆる生物をDNAという共通の切り口で考えられる面白い分野でした。
ただ、その頃から科学研究はただ面白いと言っているだけではすまされない状況になってきたのです。
「科学と社会」「自然と人間」などという言葉で科学のありようを問われるようになりました。
社会に役立つという要求と、自然や人間に勝手に手を加えることへの疑問とが出されたのです。
今もその動きは続いています。
私はここにある「と」という両者を分ける言葉に引っかかりました。
すべてが一体化した、全体を感じる世界を考えたい。
当時はこの感覚を共有してくれる仲間はいませんでした。
1980年に、たまたま「人間」について徹底的に考える機会を与えられ、社会の中にある科学、自然の中の人間、芸術と共にある科学、など「と」のない知を創ろうと懸命に考えました。
そして生まれたのが「生命誌研究館」です。
もちろん頭の中だけで。
それ以降の事は本書のサイエンティスト・ライブラリーにある通りです。
すばらしい方たちの力で、頭の中だけの知が次々と現実になってきた26年間でした。
優れた仲間たちが更に本物にしていってくれることでしょう。
とても楽しみです。
もっとも気になることがないわけではありません。
社会はこの26年間に、生命誌が求める知や人間の生き方が存在しにくい方向へと動いています。
2020年初めからCOVIC19のパンデミック、海水温上昇で生じた線状降水帯による豪雨などの自然界の動きも人間の行動の影響を考えなければなりません。
政治、経済、教育、科学技術の一つ一つをここで検討はしませんが、近年、すべての質が落ちていること、つまりは人間の質が落ちているとしか言えない事は、多くの人が認める所でしょう。
生命誌は次の世代、またその次の世代と未来の人々が生き生き暮らす社会を思い描く知です。
これを生命誌の新しいテーマとして考えていきます。
コロナ禍や線状降水帯の豪雨のことにも触れられて
”生命誌”というのはどこまでも現実とリンクしている
研究対象であると同時に中村先生いつも言われるのが
「生活者としての人間」を感じさせていて深いです。
昨日NHKでゲノムの番組をやっていたけれど
今は更に研究が進んでいて、
躍進のおかげでDNAの再現性が高い研究が
進んでいるってのと、中国でデザインベビーが
作られたってのが、かなり気になった。
仕事しながらだったのできちんと
見れなかったのだけどその後どうなったのか?
良い方向に行くといいのだけれど、と懸念。
でもって本日家族でブックオフに行ったところ
偶然にも、中村先生の書があって購入
したのでございます。
壁の側は戦争で問題を解決しようとします。
卵は当然のことながら戦争は苦手です。
私は昭和11年1月1日生まれ、2・26事件の年です。
最近、戦争のことが気になって昭和の歴史を読み、まさに私が生まれた年から少しづつ怪しい雰囲気になっていったのだと実感しました。
戦争の体験は、小学生になってからの疎開や空襲ですが、実は生まれたてでフニャフニャしている間に、社会は不穏な方向に動いていたのでした。
そのときはどうにもできませんでしたが、大人になった今は、社会の動きをよく見て、今度こそおかしくならないようにしたいのです。
平時の経済戦争での過労死もいけません。
歴史に学び、今をどう生きるかを考えたときに、内からわき上がってきたのが「ふつうのおんなの子」、その切り口で考え続けます。
「ふつうのおんなの子」は女性だけでなく男性の中にもあると思っていますので、男性にもお仲間になっていただきたいと願います。
「おんなの子」を中心とした書物との
リレーションシップからなる中村先生の
書評本のような一風変わった本で、
先生ご指摘にように男性にもなかなか
読み応えのありそうですが、ちと初老の男として
不似合いなものなのかもしれませぬが。
余談だけれど、中村先生の誕生日は
1並びと書かれていて驚いた次第。
自分にはもう一人恩師と呼べるような人で
1月1日生まれの方がいまして
小学校の時の担任の男性で、
哲人ショーペンハウワーを愛読されていて
教師になる前、なぜか税務署に勤めてて
その職を辞めた理由が差し押さえのシールを
貼りに行くとその家族の子供が泣いてて、それに
耐えられず、って言ってたのを思い出しました事は
中村先生にまるで関係ありませんで、
いいたいだけの情報でした。
生まれ年までは11ではなかったのですが、
その先生の1980年初頭にしては差別のない
視座の高い言動と鑑みて「生命誌」とも
リンクしている先生だったなあと思った次第で
ございます。