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日高敏隆先生の書から”ローレンツ”を読む [’23年以前の”新旧の価値観”]


人間はどういう動物か (日髙敏隆選集 VIII) (日高敏隆選集 8)

人間はどういう動物か (日髙敏隆選集 VIII) (日高敏隆選集 8)

  • 作者: 日高 敏隆
  • 出版社/メーカー: 武田ランダムハウスジャパン
  • 発売日: 2008/06/26
  • メディア: 単行本


すごく力の入った書籍で、だから高い。


普通は買えませんよ。


そういう手合いの書ではないのか。


でも中身は平たくて読みやすい。


ローレンツと日高先生の写真ってないのかなと思って


あるならこれか、と思ったけれど


それはなかったが、刺激的な随筆が目を引いた。


第3章 そもそも科学とはなにか


ローレンツは時代の「すこし先」をいっていた


から抜粋


沖縄で海洋博があったときにローレンツが来た。

その理由というのがおもしろい。

ローレンツの息子トーマス・ローレンツはドイツで生物物理学をやっている。

ドイツの教授は森永先生という日本人で、彼はその助手をしていた。

森永先生がトーマスに「沖縄に行って、イカの飼い方とイカの神経の実験の仕方を勉強してこい」と言った。

イカの神経は大きくて長いので、研究に使いやすいらしい。

トーマスは、体は大きいが、気が弱い。

「ぼくひとりで行って大丈夫かな」と心配していたら、父親のコンラート・ローレンツが

「ではおれが一緒に行ってやる」ということになった。


それをNHKがいちはやくキャッチして、なんとかローレンツに日本のテレビに出てもらいたいので、ぼくと対談してくれという。

調べてみるち、沖縄の講演が終わり、羽田からドイツへ帰る途中に、2時間か3時間のあきがあった。

そこでNHKは、ローレンツを羽田空港でつかまえて、NHKのスタジオへ連れてきて、急いでぼくと対談して、飯を食う暇もなく、そのまま羽田へ送り出した。

それがぼくとローレンツとの初対面だった。


あとでローレンツに聞いたのだが、対談をそばで聞いていたトーマスが、

「お父さん、プロフェッサー日高と東京でやった対談は、今までお父さんがやった対談の中でいちばんよかったよ」

と言ったらしい。

「息子が非常にほめていた」とローレンツはとても喜んでいた。

その後、「NHKスペシャル」という番組でローレンツを取材することになり、ドイツのローレンツの家を訪れることになった。

1980年のことだ。


ローレンツは元々は自分の家で、庭にいろいろな動物を放し飼いにして観察していた。

だから動物がしょっちゅう家の中に入ってくる。

『ソロモンの指輪』に書いてあるが、普通の家では

「窓を閉めてくれ、鳥が出ていってしまう」

と言うが、ローレンツの家では反対で、

「窓を閉めてくれ、鳥が入ってくる」となる。

そういう状況でつぶさに動物を観察していた。

すると、どうしてこんなことをやるのかわからないという行動がたくさんあった。


なぜだろう、なぜだろうと思いながらずっと見ていくうちに、動物たちの行動というのは、人間の手の指が5本あるのと同じように遺伝的にもともと決まっていて、それがあるきっかけでぱっと行動に出るのだ、ということに気づく。

けっして心理学で言っているように、あるいはパブロフの条件反射で言っているように、次々に学習して覚えていくというものではない、と主張した。

これが動物行動学のいちばんの基本である。


1930年代のことであるから、そういう考え方はものすごく古いと受け取られ、ローレンツは保守反動のように言われていた。

当時の思想は、人間も含めて動物は、学習して行動がどんどん進歩していくというものだった。

それが、遺伝的にもともと決まっているというと、進歩も発展もないことになる。

けれどそれから20年以上経って、DNAがどんなものであるかがわかってきたときに、遺伝子が非常に大事で、基本的にはみなそれで決まっているのだということになってきた。

そうなってみると、ローレンツの言ったことは非常に現代的だったわけである。

およそ古くさい、固定的な保守反動の親玉のように言われていたのが、じつは非常に現代的だったということになってきた。

ローレンツがノーベル賞をもらったのも、そういうことだったのだろう。


人間が自然をどうみるかという見方は、時代精神を反映するものである。

ダーウィンの進化論にしても、イギリスで産業革命が動き出して、神様がおつくりになったとおりに世の中があるというのではどうも間に合わなくなってきたという、社会全体の感覚が動いていった中に生まれてきたものだ。

だから反響を呼んで広まったわけである。

ダーウィンのようなことを200年前に言っていたら、変人扱いされただけだっただろう。

ダーウィンは、動いている時代の中のちょっと先を言っていたわけだ。


ローレンツも、ある対談で

「あなたは天才ですね」

と言われたときに、こう答えている。

「いや、本当の天才というのは長い間、世の中に認められないものです。

そういう意味では私はそうではない。

私が言ったことは間もなく認められる。

ということは、私は大した天才ではないということです。」


NHKの対談では、いろいろおもしろい議論をした。

たとえば、ローレンツが

「歴史に学ばなければいけません」というので、ぼくが

「しかし、そもそも人間は歴史に学べるものですか」

と返したら

「たしかにそうだ。歴史からわれわれが学べることは、歴史からわれわれは学べないということです」

と言った。


われわれは歴史を学んでいる。

しかし、現象的に多少違うにしても、同じようなことをまたやっている。

ということは、歴史から学んでいないということなのである。

ただ、あまり学んだらなにもやることがなくなるかもしれないから、それでもいいのかなという具合にぼくは思っているけれども。


ほかの動物はどうか知らないが、人間は、人間とはそういうものだということを認識できる。

それならどうしたらよいかということも、少しはわかるはずである。

そのためには、いろいろなことを知っておくことは大事だし、もしも人間が誇るとすれば、いろいろなものを客体化して、人間自身ももういちど改めて突き放して考えてみることができるだろう。


20世紀に人間は、あまりにきれいごとを言いすぎてきた。

人間は崇高で、賢い存在だということばかり強調してきた。

しかし、それにしては戦争がいつになってもなくならない。

どうしてこういうことになっているのかということを、そろそろ考えてみないといけないのではないか。

あまり人間とはすばらしいものものだというところから出発すると苦しくなるから、もう少し楽にしたらいいのではないだろうか。


ローレンツとの対談がNHKにあるのか。


アーカイブで放送してくれないだろうか。


それにしても、先生の動物と人間、


自然の考え方というか態度というか、


思想というか、は先生の言葉を借りると


日高先生ご自身が「ちょっと先」を行っていた


と言わざるを得ない。


歴史に学ばない人間、戦争がなくならない、


というのなぞ、ただいま現在の人類にとって


大変に耳に痛く突き刺さる言葉でございます。


もっと楽に、というのもなんか看過できないなと。


ローレンツの「学ばないことを学ぶ」ってのも


なんだか禅問答のようで、これもまた興味深い。


ローレンツ博士も、ダーウィンさんも


この手合いのキャラだったのでは


なんて不毛なことに考えを及ばせながらも


12月に入った関東地方、寒い一日でございました。


 


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