SSブログ
’23年以前の”新旧の価値観” ブログトップ
前の10件 | 次の10件

日高敏隆先生の書から”無知の知”を考察 [’23年以前の”新旧の価値観”]


ぼくにとっての学校―教育という幻想

ぼくにとっての学校―教育という幻想

  • 作者: 日高 敏隆
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1999/2/1
  • メディア: 単行本

 


 


前にも記したけれど”教育”にはあまり


関心がないのだけれど、ならばなぜこれを


選んだのか、もう忘れておりますが日高先生だからなのだろう。


実は以前に投稿しておる次第でその続きでございます。


これはなかなか看過できないと思いまして。


講義とはなにか から抜粋


大学院に行ってからは、多少お金がまわるようになって、アルバイトをせっせとしなくてもすむようになりました。

だけど、学部卒業のときは大変だった。

たとえば植物学科の単位をとっていなければいけない。

そういうものは講義をまったく聞いていないのです。

だから、卒業するときになって、先生のところへ行って、「申し訳ないけれどもこういうわけで、じつは講義に全然出られなくてなにも聞いてないんですが、単位をください」

と言った。

そうしたら、「はい、いいよ」とくれました。


東大に竹脇潔先生という先生がいて、その先生はものすごくよく勉強していた。

新しい論文まで皆読んで、それを講義でしゃべってくれる。

「一般動物学」だったかな。

アメーバに始まるいろいろな動物のグループについて、これはなんとかで、だれだれがこういう研究をしたという話を全部しゃべってくれる。

すごい講義でした。

その先生の講義は一年生の前期で、まだ大学へ行っていたときだったから、ちゃんと講義に出席してノートをとった。

そして、大学院に入ってしばらくして、ホヤのことを研究しようと思ったんです。


ホヤという動物は脊椎動物にかなり近い。

脳下垂体のようなものもある。

それがわれわれの脳下垂体のようにホルモンを分泌しているのか、どういう臓器をコントロールしているのか、まったくわかっていなかったので、研究を始めたわけです。


そこで、文献を探していろいろな論文を読んで、その話を、「おもしろいですね。こういうことがあるんですね」と昼食会のときに、竹脇先生にしゃべった。

そうしたら先生は、「ほう、ほう」と聞いている。

途中でふっと、「もしかしたら先生が講義でしゃべっているかもしれない」と思って、ノートを引っぱりだして見たら、なんと全部書いてあった。


これには、びっくりしました。

だけど、要するに講義というのはそういうものだなあと思った

ただ必死になってノートをとっている状態だと、聞いたことをまったく憶えていない。

だから、講義がいかに立派であっても、学生のほうはそれをすごい講義とは受け取らないし、なにも残らない。

しかし、自分で調べたときには、人にそれを話せるぐらいきちんと憶えている。

こうなった。だから、こうだ。

そういうことまで全部説明できる。

だから、受け身の講義というのはそこそこでしかないのだなということがよくわかりました。


今の講義のしかたも、それと関係があります。

非常に詳しくしゃべってたとしても、たぶん全部は受け止められないのだろうから、印象に残ることだけを言っておけばいい

この人の本はこう書いてある。

この人はこう言っている。

そういうことを言っておけば、もし興味があれば自分で読むだろう。

そうしたらちゃんと憶える

それでいいではないか。


もしぼくが非常な勉強家で、その先生のノートを家へ帰ってもう一度読み直したら、それは憶えたかもしれない。

しかし、それでも結局また忘れたのではないかな。

ぼくは時間もなかったし、あまり真面目に勉強をしなかったということが、逆を言うと、ものを考えさせてくれたのかもしれない

だから、学生時代になにをどう勉強するかというのは、試験がよくできることだけが、勉強していることにはならない、ということはよくわかりました。


今で言うなら、ドヤリングしたつもりが


じつはその人から、またはWebで


見た情報そのままだった的な気まずさ


とでもいうか。


自分がさも発見したかのような、ってのは


かなり多く経験しているし


大瀧詠一師匠も仰っていた。


発見なんていってもすでに誰かの


剽窃だったりするわけで。


それより日高先生のすごさは


そこに気がつきつつ、さらにその先に


行くところで。


普通なら気まずいなあ、反省。で終わるところ


講義というのはそういうものなんだなあ、と


さらにその先に行くのが先生たる所以です。


余談だけど情報の全てを受け取るのは、


そもそも難易度が高いものと思うし


リアルであればなおさらと感じる。


テキスト情報だけであれば


そもそも多くを伝えること自体、


酷なことなのかもしれないとも思う。


リアルは言葉だけじゃなくて


その他多くの情報を含んでいるから、


っていう解釈にもなります。


これも大滝師匠が新春放談で言ってたような。


大滝師匠と日高先生は近いのかもしれない。


それにしても寒くなってきたここのところ


風邪が治ってきたと思ったら、夜勤で


基礎体力落ちて少しぶり返したと思ったら


また治ってきた感じのする祝日でした。


 


nice!(28) 
共通テーマ:

日高敏隆先生の周辺から”異端”を読む [’23年以前の”新旧の価値観”]


日高敏隆の口説き文句

日高敏隆の口説き文句

  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2010/07/29
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

過日、拝読した


日高先生の70年代の対談集


企画などの後方支援をされていた方からの証言。


日高先生との良いリレーションシップを窺がわせる。


先生が読んでいた本やその頃執筆されていた本の事


などにもお詳しい。


当時の反響などが分かり貴重かつ、面白かった。


雑誌「アニマ」の時代


澤近十九一(聞き手・小長谷有紀


澤近▼

60年代は公害問題が噴出した時代でした。

日本の自然は相当に壊れていましたから、「アニマ」を自然保護の雑誌にしようという意見もあった。

結局、今西さんが「(自然保護は)「アニマ」がやらなくてもよろし!」ということで、自然保護を直接お題目にすることはやめました。

結果としては良かったと思います。

自然保護について触れていないのに、「アニマ」は自然保護の雑誌と捉えられていた。


もうひとつがやっかいで、「アニマ」ではどのレベルの動物を扱うのか、という問題です。

個体レベルで扱うのか、種なのか、群れ、社会レベルなのか、結構まじめに議論しました。

そして種社会を中心にすることでまとまり、個体以下のレベルはやらない、という雰囲気だったのです。

その当時は、分子生物学全盛の時代で、分子生物学でなければ生物学にあらず、という雰囲気だったのです。

ですから、その反動として個体のレベル以下を扱おうとするのは、還元主義批判などを通じて、ある程度、理解できる時代の流れだった。

ところがそういう流れに対して、日高さんはかなり強く異をとなえたんです。


小長谷▼

安直なホーリズム(全体論)に安直に流れてはいけないと?


澤近▼

生物を理解する上で行動学や生態学だけで解決できることは少ない。

解剖学も必要だし、生理学も、分子生物学も欠かせないのだ。

というのが、日高さんの主張だった。


小長谷▼

階層性で捉える。


澤近▼

そうなんです。

日高さんが69年に訳したケストラーの『機械の中の幽霊』で、階層性の問題が扱われています。

あの本は日高さんにとって、重要な位置を占めています。

あの本の翻訳は大変だったと晩年になっても言ってましたね。


小長谷▼

「アニマ」の編集にかなり口を出した。


澤近▼

いえ。そういうことは全くありません。

逆に、編集部のほうが先生を無視できなくなったというのが正しいと思います。

「アニマ」が創刊されてからは、カメラマンも研究者もとどのつまり、動物たちをいかに生き生きと表現するかというテーマに取り組んだわけです。

そのために必要だったのが動物行動学。

日高さんが翻訳した本が、注目された。

スタートは、『動物のことば』にあると思いますが、多くの人が手に取ったのは、『ソロモンの指輪』ですね。

なにしろ、70年代になって、次々に話題作をあらわした。

裸のサル』、ローレンツの『攻撃』、ホールの『かくれた次元』、エヴァンスの『虫の惑星』などが、とても多くの人に読まれました。

他にも日高さんが勧めてくれたのは、ヴィックラーの『擬態』、トムソンの『生物のかたち』。

これらの本に描かれた視点を、カメラマンも研究者も取り入れたわけです。

動物行動学のブームが起き、「アニマ」の読者層も広がりました。


小長谷▼

澤近さんが編集長になってからの先生との関係は何か変わりましたか。


澤近▼

変わりましたね。

「若い研究者に原稿を書いてもらえ」「他の分野の人に書いてもらいなさい」

その一点張り。


小長谷▼

ご自分を売り込むことは?


澤近▼

全くなし。


小長谷▼

その頃、日高さんが連載対談をされましたね。

あれは私も面白く読ませていただきました。


澤近▼

日高さんは70年代に、具体的な動物の面白い本以外に、社会学の視点を含んだ翻訳本を出しています。

ローレンツの『文明化した人間の8つの大罪』、ユクスキュルの『生物から見た世界』、アイブル=アイベスフェルトの『愛と憎しみ』。ヴィックラーの『十戒の生物学』。

これらの本は動物行動学以外の人に多く読まれた。

日高さんも動物学以外の人たちとの接点の大切さを感じていました。

それを背景にして、「動物の目で見る文化」の連載対談がはじまりました。

山下洋輔さんに始まり、南沙織さんにおわる対談でした。

すごく反響があって、単行本になった時には載るべき書評欄にはほとんど載った。


小長谷▼

あの人選は誰がされたのですか。


澤近▼

ほとんど日高さんです。


日高先生との対談があったらさぞ含蓄やら


滋味ありのものすごいものになったろうなの


最高峰は自分なら、圧倒的に養老先生ですが


養老先生は高校生くらいの頃から


虫仲間のシンポジウムみたいので


海外の学者の通訳をされていたという


7歳上の日高先生を存じ上げておられたようで。


見栄えのする人だったとおっしゃる。


虫仲間でアウトローな教育者という


共通点は多そうだなと想像されるのです。


感覚で学べ


ーー『大学は何をするところか』読み直し


養老孟司(聞き手・小長谷有紀)


対象と方法


から抜粋


養老▼

虫を始めると切りがない。

日高さんもチョウが好きでしたが、一番面白いのはこの本にもあるチョウのサナギの保護色。

緑色のところに置けば緑色、茶色なら茶色になる。

それは僕らは子どもの頃から知っていましたが、なぜそうなるかという話をするとやたらにややこしい。

世間の人は単純だと思ってるけれども冗談じゃない

単純なのはお前の頭で、単純なことしか理解できないんです。

だから何か事件が起こるとすぐナイフを売るなとか、一段階でしか考えない

自然を扱っていると一段階では済まないことがよくわかります

そういう複雑さに耐えられなくなって来ている。

インターネットがそうでしょう。

世間がああいうものだと思われたら一番困る。


小長谷▼

実は複雑だということを知るチャンスが奪われているのですね。


養老▼

だから解剖をさせる。

頭で理解しようとしても、ややこしくて理解できないことがわかればいい。

工学系統と生物系統は全く違うんです。

工学系統は、限定された条件の中で、再現可能だとまず言っている。

藤井直敬という理研の若い研究者が、自分の研究の前提として書いていることの一つが「脳は2度と同じ状態をとらない」。

これを物理の学会に出したら即却下です。

2度と同じ状態を取らないものが、なぜ科学の対象になるのか。

実験の再現性がないわけでしょう。

でも実際はそうです。


小長谷▼

そうすると、科学自体ももうそろそろ変わっていかないのでしょうか。


養老▼

当然変わるんです。

古い科学の前提では、僕のように脳科学をやろうと思ってもできなかった。

例えば脳機能の研究でも、もともと脳にある機能なのか、それとも実験条件下で出来か調べようがない。

それはノーベル賞をもらったような仕事でもそうで、ヒューベル(David Hunter Hubel)とウィーセル(Torsten Nils Wiesel )の有名な仕事ですが、網膜の情報処理の研究で、ネコに麻酔して体を固定して網膜に光を当てると、実に論理的にきれいな結果が出る。

だからノーベル賞になるのですが、もしかしてその論理性はネコの網膜が持つ論理性ではなく、実験しているヒューベルとウィーセルが持っている論理性なのではないのか。

それは絶対に否定できない。

乗り越えられないところなんです。


小長谷▼

科学自体の枠組みを変えていかないと


養老▼

だから日高さんとか僕の話になるわけで、そういう常識で普通の学会に出ると干される


小長谷▼

そういう干される人が何人か出ると、科学自体の再検討も起こるでしょうか。


養老▼

それはまた言いにくいところがあって、前線で鉄砲を撃っている兵隊を後ろから撃つなと。

「この戦争は何のためにやっているんだ」とか言えないでしょう。

そこが難しい。だから象牙の塔だった。


解剖学をやればいい医者になるという保証はないけれど、最低の読み書きそろばんみたいなものです。

そういう体験は必要でしょう、それは国家試験の結果によく出ているでしょう、というのが僕の言いたいことなんです。

医療の現場では、無論理かつ無秩序にやってくる患者さんの病気をどう整理するかというノウハウを医者が自分なりに作っている。

それは完全に意識化はできない。

だから最後は、意識の問題になってきて、そこは日高さんと僕がたぶん違ったと思います。


意識とは、どんな自然科学でも使っている顕微鏡みたいなもので、解像力とかいったその道具の性質を知らなければ使えない。

だから科学にとって一番大事なのは意識の研究です。

意識は科学的に定義できない、だから科学では扱えない、というのが短絡的な科学主義者の意見だけれど、そうではないんです。

理屈があろうがなかろうが、現に意識という現象があるのは誰でも知っている。

その意識が学問を作っていて、性質を具体的に調べることがいる。

それが科学でしょう。


小長谷▼

意識という課題に対して、日高先生の場合は「幻想」と名づけて、行動から見ていらしたような気がします。


養老▼

一方、僕は解剖学だから。

Olgyがつく学問は沢山あって、医学で典型的なのは眼科学(Ophthalmology)、皮膚科学(Dermatolgy)など、つまり「扱う対象」です。

解剖は対象ではない。

方法です。


小長谷▼

解剖はolgyではないんですか。


養老▼

Anatomyです。tomyは切るという意味で、対象は決まっていないんです。

カエルだろうが人間だろうが解剖は解剖。

極端な話、僕がいつも言うのは永田町を解剖してもいいんだろうと。

それは方法論ということです。


小長谷▼

先生の場合は方法も二刀流。解剖学と博物学。切るぞと集めるぞのセットで。


養老▼

同じなんです。

もともとあるものは仕方がない。

どうでも何でも必要があればやるということです。

対象を調べるためには方法を身につけなければならない。

イギリスの有名な科学者はたいてい機械だって自分で作っています。

方法をまず見つける。

パスツールは、自然発生説を否定するのに、首の長いフラスコを作っただけじゃないですか。


小長谷▼

日高先生も道具を結構自作しておられた。


養老▼

この本に書かれているモンシロチョウの羽の紫外線反射率の測定の話が典型ですね。

光学の専門家は紫外線を当てて見ていた。

太陽光線を当ててどれくらい反射するか見て欲しいのに、通じていない。

生きものは自然状態の中で生きているのであって、実験条件の中に置いたら、それは「そういうもの」になってしまうんです。

だから僕は昔から実験が嫌いで、実験するくらいなら外に行く。


小長谷▼

観察型になる。


養老▼

そうすると学問じゃないと言われる。

そこから狂っちゃうんです。

早い話が論文にならない。


頭の回転が高速な養老先生。


返す方も相応に拮抗した知性がないと


対談として成立しないですよなあ。


それにしても日本での学会の話が


日本の社会そのもので興味深い。


はみ出ると干される。


それを指摘できない象牙の塔。


評価軸から外されると出世できないのが


普通なんだけど、お二人ともかなり


高い地位に鎮座されて好んでではないかもだけど


この二人ならば普通の評価軸では評価できない位


ハイレベルな仕事っぷりだったのでしょうな。


要は「あの人いないと困るわー」と周り中が


言うならばもう誰も文句言えないわけで。


この書の他の人の原稿にあったけれど


日高先生の講義はその頃、多忙を極めて


いつも休講だった、とあるのはその証かと。


休講だらけでも教師として成立してしまう


ってすごいな。どういう年間のカリキュラム


だったのだろうかと余計なお世話。


松岡正剛さんのコラムでも日高先生の凄さがわかる。


話を本に戻し、この書は日高敏隆愛が


横溢していて爽快な感じがした。


アウトロー烈伝みたいです。


先生は23ヶ国語も操れたらしい…


どういう頭をしているのだろう。


若いころ生活が苦しくて翻訳のバイトしてたって


以前読んだ本にあったけど、生活苦なら


勉強もする気がしないだろうと思うのだが。


”普通”じゃないんだろうな。


余談だけど、養老先生の本好きは有名だけど


翻訳本を選ぶ際、日高先生が手がけたものは


一つの指針となりお世話になったと


どこかで書かれてましたが、


我身に振り返りそういう読み方って確かにあるなと。


好きな海外の作家の翻訳者とか


その翻訳者の解説なんか、かなり読みますし


時には本文そっちのけだったりして。


共通言語、文化、習慣に接している方が


分かりやすいってのはあるからだろうからね、と


のどの風邪が治ってきた寒い冬のはじめです。


 


nice!(33) 
共通テーマ:

中村桂子先生の自伝本から”プロセス”を考察 [’23年以前の”新旧の価値観”]


生命科学者 中村桂子 (こんな生き方がしたい)

生命科学者 中村桂子 (こんな生き方がしたい)

  • 作者: 大橋 由香子
  • 出版社/メーカー: 理論社
  • 発売日: 2004/01
  • メディア: 単行本

はじめに から抜粋

2003(平成15)年4月、ヒトゲノムの解読完了というニュースが世界中に流れました。

人間の遺伝子情報であるヒトゲノムが解読されたのですーーー

そう聞いてもピンとこないという人でも、遺伝子組み換え食品、バイオテクノロジー、DNA、クローン人間といった言葉は、豆腐や納豆のパッケージ、映画などで目にしますね。

むずかしそうな科学の出来事は、じつは私たちの日常に入り込んでいるのです。


中村桂子さんは、大学で化学を学び、そのころ発見されたDNA二重らせん構造を知って興味を抱き、生物化学に進みます。

大腸菌を使った研究ののち、生命科学という新しい学問をつくる作業をにない、やがて、ゲノムから生きものを見る生命誌研究館をスタートさせました。

子どもが生まれて研究所勤めを中断した時期もありますが、育児と研究を両立させた女性科学者の先駆者でもあります。


こう紹介すると、科学一直線のようですが、中村さんは小さいころから文学少女、音楽もスポーツも好き、いろんなことに興味を持つタイプでした。

理系の科学者・研究者ときくと、子ども時代は昆虫採集に夢中、試験管や顕微鏡をのぞくのが三度の飯より大好きで、という人物を思い浮かべますが、ちょっと違うのです。


「好きなことだといっぱい話しちゃうから誰も信じてくれないけど」

と笑い、実は話すのが苦手で、黙って人の話を聞いているほうが好きだという中村さん。

高校時代にお父さんが買ってくれた古いピアノのある部屋ですてきな庭を見ながら、あるいは大阪の生命誌研究館で食草園に目をやりながら、ご自身の半生を熱心に語ってくれました。


第3章 DNAから世界を見る


もうひとりの恩師、そして結婚 から抜粋


無事に大学院の前半である修士課程を終えました。

種類の異なるアミノ酸を運ぶt-RNAは構造が違うことを示した研究で論文を出しました。

後半の博士課程に進むにあたって、そのまま東大で学ぶなら先生を変える必要があり、江上不二夫先生に師事することになりました。


江上先生の口癖は「自分のものを大切にして、へたな競争はしない」でした。


「実験が思いどおりにいかなかったら、喜びなさい」。

シュンとした学生をなぐさめるためにか、先生はよくこうも言いました。

人間が考えることなんか、たかだ知れているよそれより自然が教えてくれることのほうが、はるかに大きい。予想通りの結果が出なかったのは、自然の中に君の考えを超えた、おもしろい新事実が隠されていることを示しているんだと思いなさい。」

その後、さまざまな場面で思い出す言葉です。


第4章 生命科学に導かれて


恩師からの呼びだしーーー生命科学ってなに?


1970(昭和45)年のある日、江上先生から電話がかかってきました。

いつものように翻訳の仕事かなと思いながら、研究室へ出向いてみると、ちょっと様子が違います。

「新しい研究所を始めるんだ。しかもそれは、とっても新しい。生命科学というのをやろうと思うんだ。その仕事を手伝ってくれないか」


「これまでの社会は、あまりにも物理や化学の知識を使った技術に頼りすぎてきた。

それが生物を無視して、生命を軽視する風潮につながってしまった。

これからは生物の研究が非常に大事になる。そして、生物を基礎にした新しい技術や新しい価値観をもった社会を作ることが要求される」


「今の世の中を見ていると、生きもののことを考えなきゃいけない時代になったのに、大学の研究は縦割りになっている。

生きもの全部のなかで人間と科学、生きものにとってのよい科学を考えなきゃいけないのに、そういう場はどこにもない。

本来は国や大学がやるべきだけど、できる段階じゃない。

だから、民間で始めようと思うんだ」


「5年もたったから、もういいでしょ。そろそろ仕事をした方がいいよ」

たしかにそうです。

上の子を見ていると、下の子は赤ちゃんでも、だんだん手が離れていくのが予想できます。

新しい研究所も今は赤ちゃんでも、だんだん手が離れていくのが予想できます。

調整すべきいろいろな事柄が、一瞬のあいだに頭のなかを駆け巡りました。

家族にも納得してもらう方法を考えられそうです。

「はい、ぜひ」

気がつくと、桂子はそう答えていました。


ここで江上先生の構想をもう少しくわしく見てみましょう。

生命科学の柱は三つあります。


ひとつは、人間を理解するための総合生物学にすること。

生物の単位である細胞などの基本的な研究から、発生や分化、脳神経の働きなど、難しい課題を研究しながら、異なった分野の研究者同士が、おたがいに話し合い、関連づけて、タコツボ化しないようにするということです。


二つめは、研究の成果を人間の暮らしに役立てるようにすること

これまでの科学や技術は、人間が自然と対決し、自然を征服するという考え方で進められてきました。

とくにヨーロッパやアメリカではこの傾向が顕著です。

でも、これからは、自然は征服するものではなく、限りある地球のなかで、生態系をこわさないで生きていけるような科学技術が必要になります。

そういう技術を研究しようということです。


三つめは、科学と社会の関係を考える分野にすること

科学にかぎらず、学問というのは大学という象牙の塔に閉じこもっていてはいけない、社会とのかかわりの中で研究はなされるべきだということです。


生命科学は、アメリカで生まれたライフサイエンスの日本語版ではなく、江上先生独自の構想です。

江上先生は、日本だから考えられるもの、けれど世界に通用する「生命科学」を作り、世界に発信しようとしていました。


当時は世界中で、公害の被害者になった住民たちが中心にした反公害運動、ベトナム戦争に反対する運動、大学の在り方に異を唱える学生運動(スチューデント・パワー)など、それまで当然とされてきたことや社会現象に批判的な眼を向ける活動が盛んになっていた時期でした。

江上先生も、そうした学生たちの運動に共感を寄せていました。

生命科学の三つめの柱、科学と社会の関係などは、当時の大学闘争のテーマと重なるところもあります。


こうした体制に反対する運動においては、民間企業というのは利潤を追求するあまり、人々の健康や幸福を踏みにじる存在と見なされてきました。

実際、水俣病は、排水処理にお金をかけることなく、工場から毒を含んだ汚水を垂れ流し続けるために起きた公害です。

しかも、科学者の一部は、そういう公害企業を弁護するために、科学的な事実をねじまげる研究成果を発表することもありました。

公害に反対する住民運動の立場からは、企業(産業界)と大学(学問)の癒着は「産学協同」と批判されていました。


そんな時代に、江上先生は財閥系の企業である三菱化成の出資で、新しい生命科学の研究所を作ろうとしたのです。

弟子たちの中には、内容ではなく、このスポンサーのことを批判する人もいました。


正しいことは正しい、やるべきことはやる!という意気込みで、江上先生は民間で生命科学研究所を立ち上げることを決意したのです。


「私のやりたいことに近そうだ」という直感を頼りに、民間の研究所に勤めることに決めます。

34歳の時でした。


第6章 生命誌研究館の館長として


科学のコンサートホールをつくろう から抜粋


年末にベートヴェンの第九交響曲を聞くことが、いつの間にか日本の年中行事になりました。

暮れも押しつまったある日、桂子も目白にある東京カテドラルに出かけました。

小澤征爾のチャリティー・コンサート、曲目は第九です。


第四楽章の合唱が始まると、ふっと涙が流れてきました。

コンサートホールは、音楽の感動を伝える場です。

演奏者は作曲家の楽譜を自分なりに解釈しながら表現し、聴いている人と音楽の美しさを共有します。

これと同じことができるはずだ」。


科学者が専門用語で論文を書いていても、DNAのらせん構造の美しさは一般の人には伝わりません。

自然のすばらしさや生命の不思議を、プロとアマチュアが共に感じとれるような場がほしい。

生命科学という概念にはおさまりきれなくなっていた思いと、それを伝えるための手段とが一緒になって「生命誌研究館」という六文字がひらめきました。

「生命誌」と「研究館」は、つながっています。


「自分がおもしろいと思った生きもののおもしろさを、専門家だけでなく、いろいろな人と共有したい。

1匹の虫を見て研究するのが科学者。作曲するのが音楽家。

気持ちは同じですね。

研究は楽譜のようなもの。

普通の人は譜面を見ても面白くない。優れた音楽家が上手に演奏して、はじめてみんなが感動できるでしょう。

上手に伝えれば、科学も音楽と同じように楽しめるはず」


生命誌の「誌」には、自然が語ってくれる物語を読みとって記していこうという思いがこめられています。

一つの生きもののゲノムをさかのぼっていくと、そこには、38億年の生きものの歴史が書きこまれています。

気の遠くなるような長い時間の流れを感じ取れるように、「生命誌」と表現しました


「生命誌研究館」というアイディアを見つけた以上、形にしたい、実現させたいという思いが、日に日に強くなります。

三菱化成にも、打診してみました。

趣旨はよくわかるけれど、ひとつの会社でふたつの研究所を作るのは難しい、と言われました。


そのとおりだと思いました。でも、あきらめきれません。

立ち上げの時から20数年間過ごした職場には愛着もあり、周囲の人にも恵まれていましたが、「生命科学研究所で一生を終えるわけにはいかない」と退職を決意します。

1989(平成1)年、53歳の決断でした。


20代のころって、何かやろうとするときに、先に無限の時間があるみたいに思って計画する。

40代まではほとんど同じだった。

それが50歳を過ぎたら、急に時間というのは有限なんだと思い始めた。

50歳になって本当の自分のやりたいこと、やるべきものが見えるようになってきた

だから若返りたいとは思いませんよね。こまるのは物忘れだけ(笑)。」


中村先生の幼少時からのエピソードが川となり、


生命誌にたどり着いた様や考えの流れが


少しというか、なんとなくつかめた。


他、印象的なのは、ご自身の親の死に立ち合い


死は瞬間ではなく、過程(プロセス)だと


実感された件。ご臨終と言われてもそこから


死が始まるわけではないという、その前後から


すでに体験していることなのだ、という。


最近自分も病気の高齢者さんと触れ合う機会が


多いのでこれはものすごくよくわかる。


この書の他で気になる点、子育ての日々からの気づき、


やポイントポイントでの多くの有意義な出会い。


そこからの勝手解釈、一見無為と見えても


有意義に変えてしまうバイタリティというか。


ものすごく興味深い内容の書籍で


やはりこういう人にはこういう経験や思いが


下支えになってるのか、と思ったり。


実際の「生命誌研究館」にも足を運んでみたいな


と思ったり。公式で出ている関連資料をDLしてみたり。


研究館を東京生まれの中村先生が


関西圏に作ったことにも、一極集中への


物申しがありという考えが反映されてのこと。


恐れ入りました、素晴らしいですの一言です。


余談だけれど、昨日夜勤で仕事して帰宅して


体力弱ってるところに仕事場では風邪ひきさんが


何人かいたことにより伝染してしまったのか


本日は休日で雨なので、家にこもっているという


これも原因と結果というか


ひとつの”プロセス”なのだと感じ入る、


NHKで見た”ハナレグミ”さんという


音楽家さんの曲を聴きながらの投稿でございました。


 


nice!(36) 
共通テーマ:

③日高先生の対談本から”文化”を考察 [’23年以前の”新旧の価値観”]


動物の目でみる文化―日高敏隆対談集 (1978年)

動物の目でみる文化―日高敏隆対談集 (1978年)

  • 作者: 日高 敏隆
  • 出版社/メーカー: 平凡社
  • 発売日: 1978/04/20
  • メディア: -

つっぱる 赤塚不二夫

負けた!から抜粋


赤塚▼

最近新聞を見ていると、漫画よりすごい事件がいっぱいあるのね(笑)。

漫画なんてほんとにチョロいもので、ぼくたちひどくショックを受けてるんですよ。

このあいだもおもしろい事件があったな。

マンションの6階に住んでいる男が、イヌを飼っていて、自分の息子のようにかわいがってた。

ご飯も一緒に食べた。

ところが、たまたま隣にホステスが住んでて、外から帰ってきたら、イヌがキャンキャン鳴くので、「うるさい!」と言って、イヌを6階から投げ捨てた。

イヌが死んじゃったんで、男が怒って、包丁でホステスを刺しちゃった。

それで警察に捕まって行ったら、その男が「息子ォ、かたきをとったぞっ」と言ったというんだよね(笑)。

それはもう、ただの人間じゃないね。


日高▼

そりゃ、どう考えても、バカボンのオヤジさんを上回るね。


赤塚▼

そういう記事を読むと「負けた!」という気がしますよ。


日高▼

映画やテレビで、サスペンス・ドラマなんかをつくっている人だって、大変でしょうね。


赤塚▼

テレビ・ドラマや映画よりおもしろい事件がいっぱいあるわけですよ。

こないだの「サムの息子」の事件にしても、早速映画化するという話もあるでしょう。

ウォーターゲート事件だって、『大統領の陰謀』という映画になったし、エンテベ空港の事件もそうですよね。

エンテベの事件なんて恐ろしい事件で、誰が考えてもあれ以上の迫力出せませんよ。

どんなに金かけて映画を作っても、あれにはかなわないわけ。

あれこそドラマですからね。

最近、つくづくと思うんですが、フィクションというのには、やはり限界があると思うんですね。


日高▼

それはそうなんだけど、人間がなしうる最大の迫力ある事件というのは戦争ですよね。

だから、戦争にまつわるフィクションというのもたくさんあるわけですよ。

エンテベの事件なんていうのは一つの戦争だけど、もっと大きな戦争だって当然考えられるわけだ。

つまり、迫力のある事件というのは、これからまだまだ出てくると思うんです。

それをタネにしてまたフィクションもできるんじゃないかなあ。


赤塚▼

すると、フィクションの世界もまだ見通しが明るい。


『1984年』から抜粋


日高▼

それともう一つ、ぼくたちは「1984年」までは先がみえていると思うんです。

つまり、ジョージ・オーウェルが書いている『1984年』の管理社会の恐ろしさ。

それまではイメージできるわけです。

逆に、それ以上をイメージすることは「1984年」を越さないと、その先はわからないんじゃないかあとも思う…。

つまりぼくがやっていることも、動物の話とひっかけながら、人間の本性がどうのこうのといいながら、法と秩序は恐ろしいものであるとかなんとかいってるわけですよ。

要するに、よく考えてみたら『1984年』の動物学版をやってるだけでもありますね。

そんな気持ちがしてしょうがないわけ。


赤塚▼

ギャグ漫画はそもそも管理されないものだと思うんです。

つまり管理されたらギャグなんておもしろくもおかしくもなくなっちゃう。

そんなところがギャグ漫画をはじめたきっかけになってるんです。

ところが、漫画で表現したギャグがギャグにならない。

というのは、世の中がますます管理されてきて、みんな画一化してるのに、事件だけは個的になって、ますます狂気の沙汰になっているわけですよ。

事件を追ってゆけば当然、ギャグ漫画になるんだけど、それは二重にばかばかしい。

もちろん、ぼくの画風にもよりますけど、自分の画というものはもう20年間、使い古した画ですから、ほかの人の画風と比べると、逆に大人しくなっちゃったわけです。

これじゃ何を表現しても迫力がない。

そうすると画をまったく変えるか…、変えるには五木寛之みたいに休筆宣言なんかして、3年間ぐらい沈黙をまもってまた出てくるという方法もあるけど、そうもいかない。

食っていかなきゃいけませんから。


日高▼

おもしろいことを表現するというけれども、おもしろさの基本的なパターンであるブラック・ユーモアを表現する自由というのは日本にはないでしょ。

話はちょっと違うけれども、タモリは赤塚さんの家にいたんでしょ。


赤塚▼

主人のような顔をした居候だった。

もとはといえば、山下洋輔さんが見つけてきたんです。

「九州にバカがいる、呼ぼうじゃないか」って。

そして呼んだら出てきた。


日高▼

2年ほど前かな、京都大学の11月祭に彼を招(よ)んできて、その後、ホテルで彼の話を聞いたわけ。

彼の話は実にきわどいから、公開の席ではできないものが多い。


赤塚▼

差別に満ちてて、ブラック・ユーモア解放同盟なんていってるんだから。

危ないよ(笑)。


日高▼

だから、公開にしたら面白くない。


このあと文化論、漫画論になり


日本の漫画は世界最高レベルで外国のは


面白くない、さらに日本の漫画は個性が


より強いものとなりそのことに認識が


及ばない為、結局画一化されるのでは、と


危惧されて終わってます。なんか深い考察。


今はコンプライアンスやらプライバシー


などに縛られてるがゆえ、この時代のような


ユーモアは出にくいだろうなと。


”個性”を意識されておられるところは


なんとなく70年代っぽいと感じた。


言葉の違いだけかもだが今でいうなら


”キャラ”とかなんかな、と。ちと軽いか。


くらべる 南沙織


ON AGGRESSION から抜粋


日高▼

以前、沙織さんが大岡昇平先生と対談されたでしょう。

あれ、すごく面白かった。

その時に知ったんですが、沙織さんはローレンツの『ON AGGRESSION(攻撃)』を読んだそうですね。


南▼

そうなんです。

あの本とても面白かった。

でも、あれを読んだのはもう5年も前のことでしょう。

うっすらとしか憶えてないの。

昨日、聞いたんですけど、あの本、先生がお訳しになったんですってね。

知らなかったんです。


日高▼

どんなきっかけで、あの本を知ったの。


南▼

あのね。私がまだ調布のアメリカン・スクールに通っててときに、バイオロジーのクラスで先生がみんなに推薦してくれたんです。

それともう一人、ビヘイビアのクラスの先生が、テキストを使わないで『ON AGGRESSION』を使い、テストというと、その本から出すというわけなの。

二人の先生ともすごく推すので読んだのです。


日高▼

あの本はもともとドイツ語版で出てたんだけど、すぐに英語版で出た。

ドイツ語版の原書の題は『Das sogenannte Bose』つまり「いわゆる悪」というんです。

それで副題が「アグレッションのナチュラル・ヒストリーに向けて」とかいうのが付いているもんだから、英語版では『ON AGGRESSION』になったわけ。

ぼくはドイツ語版をフランスにいた時に読んで、すごく感激した。

しかも、その本が生物学者に広く読まれている。


南▼

でも、あれは政治家なんかに読むことをすすめているでしょう。

たしか、英語版はそう書いてある。


日高▼

そうそう。

英語版には書いてある。

が、ドイツ語版には何もそんなこと書いてない。

あたりまえといえばあたりまえで、あれを書いたローレンツ自身は動物学のつもりで書いている。

結局、日本では僕が怠慢で翻訳にずいぶん時間がかかったからいけないこともあるんだけど、ものすごくおくれて入って来た。

しかも、それを読みはじめたのは社会学に興味のある人で、生物学者じゃない。

生物学者関係の人はもっとずっと後のようです。


南▼

私が読んでた時は、日本では翻訳がされることを知らなかった。

でも日本にいるアメリカ人はすでにあれを読んでましたよ。


日高▼

やはりアメリカ人なんかのほうが、いろんなことを幅広くとらえようとするんだね。

動物学の話でも、そのほかの話でも、自分に興味のある話はどんどん取り込むでしょう。

それがすごくうらやましいと思うことがある。


南▼

そのへんはよくわかんないけど。


日高▼

『ON AGGRESSION』のどういうところに興味があった?


南▼

やっぱり人間という動物にいちばん興味があるじゃない?

自分自身を知ることにもなって、いちばんおもしろいわけ。

しかも、あの本では人間とほかの動物とを比べたりするでしょ。

あのなかで最高に注目したのは、人間はインスタントにほかの人を殺したりすることがよくあるけど、あの本を読んでいる限りでは、人間だけよね。

理由もなしに…。


日高▼

仲間を殺すというのは…。


南▼

そう。

そういうところにとくに興味をもったの。


FAITH FUL から抜粋


日高▼

動物は好き?


南▼

大好きです。


日高▼

何が好き、特に。


南▼

イヌなの。ネコって好きじゃないの、こわいの。


日高▼

ローレンツもネコが嫌いでイヌが大好きらしい。

彼が書いた別の本『ソロモンの指輪』だったかに描いてあるんだけど、ローレンツの家では彼と奥さんがそれぞれにイヌを一匹づつ飼ってるわけ。

で、夫婦ケンカをすると「お前の飼っているイヌはまるでネコじゃないか!」という。

それが相手に対する最大の侮辱の言葉になるらしいんだな(笑)。


南▼

すごく素敵なアグレッションだわ


日高▼

そうでしょう。

でも、ちょっと気になるのは、ローレンツという人は忠誠心というものを、人間の美徳として非常に買っているのね。


南▼

忠誠心?


日高▼

ある人に対してフェイスフルであるという。


南▼

イヌは人間に対してフェイスフルよね。とても…。


日高▼

ローレンツがイヌが好きなことと、フェイスフルであることが美徳と考えることが直接には結びつかないと思うけど、僕はフェイスフルということがとてもこわいんです。

たとえばヒットラーが出てきたとき、ドイツ人はフェイスフルに従ったでしょう。


南▼

ああ…。そういう部分がある。


日高▼

ね!だからフェイスフルであることを尊重するということは、なんかすごくこわいことだなあという気がするわけ。


南▼

一種のスレイブ(奴隷)だもんね。


日高▼

結局そうでしょう。

イヌはパック・ハンターだから、パックを作ってハントする。

たとえば、エスキモーのリーダーがいて、その下にイヌがずっとつき従っているわけ。

さらに、そのリーダーは自分のリーダーが人間だと思っているので、人間に従う。

そうすると、人間に従うリーダーに付いているイヌたちも、それに全部が従うわけね。

イヌはそういう感じがあるにで、ネコの方が安全だなあと…。


南▼

ネコは勝手気ままだから、とても可能性があるわよね。

それはわかるんだ。


日高▼

そういう意味で、僕はネコの方が好きだなあ。

それからネコってきれいだし、女性的でもあるし(笑)。


自分の世代では少し早いので


南沙織さんってよく知らないのだけど


この対談では流石に篠山紀信夫人で


あることを感じさせる知性の持ち主で


ただものじゃない気がした。


ローレンツに興味あるなんて素敵です。


日高敏隆 あとがきから抜粋


動物のことに関心をもつ人々が、最近はとくにふえてきているような気がする。

文学、哲学、芸術など、さまざまな分野の人々が、動物学のことをよく知っていて、はっとするようなことを述べているのを、しばしば耳目にする。

けれどこれは、べつに学際的とか境界領域とかいう問題ではなくて、じつに当然のことなのだろうと思う。


そう思うわけはすくなくとも三つある。

一つは、ぼくら人間がやはり動物の一種であって、その枠内で生きているのに、近代はそのことを故意に無視しようとしてきた。

その結果われわれの中に、何かそこはかとない不安や不信がかもしだされてきたということ。


第二は、いわゆる科学と芸術、科学と宗教、論理と感性などという二分法が、じつはほとんど意味をもたないのではないかという疑いの感覚が、多くの人々の心の中に芽生え、根着いてきたこと。

そして第三に、何らかの形の創造的活動には、分野を問わず共通したものがあるはずだということである。


日高先生、相変わらず深くて素敵でございます。


この本、調べても対談相手一覧がなかったので


今回引かせていただいた方含め以下でございます。


▼対談相手

山下洋輔(ジャズ・ピアニスト)

安野光雅(画家・絵本作家)

岸本重陳(大学教授・理論経済学)

矢川澄子(詩人)

長谷川尭(大学教授・建築史)

松田道雄(小児科医・評論家)

観世寿夫(能役者)

中根千枝(大学教授・社会人類学)

羽田澄子(記録映画監督)

坂本正治(音楽家)

赤塚不二夫(漫画家)

南沙織(歌手)


寒くなってまいりました11月の


関東地方、こたつからお届けいたしまして


夜勤明け、本日は休みなので


子供の絵が近くの公園で展示されている


ようなので妻と暖かくして出掛けよう。


 


nice!(43) 
共通テーマ:

②日高先生の対談本から”時代”を読む [’23年以前の”新旧の価値観”]


動物の目でみる文化―日高敏隆対談集 (1978年)

動物の目でみる文化―日高敏隆対談集 (1978年)

  • 作者: 日高 敏隆
  • 出版社/メーカー: 平凡社
  • 発売日: 1978/04/20
  • メディア: -

 


70年代しているなあ。


テーマが、言葉が、雰囲気が。


うまくはいえませんが。


むだをする 岸本重陳


金は天下の回りもの から抜粋


岸本▼

動物の場合はどうなんですか。

個体差を識別するということはかなりあるのかしら?


日高▼

はっきり識別してる動物がずいぶんいますね。

鳥なんかのように人間が見ても区別できないものを、ちゃんと識別しているものもいます。


岸本▼

人間の場合、今までの階級社会における個体識別の重要なポイントは、経済面における貧富の差であったと思います。

その貧富の差によって、あそこの家はダメな家だからあんなのと結婚しちゃいかんというのに始まって、個体識別を非常に容易にしてたと思うんです。


日高▼

そうでしょうね。

ところで、貧富の差というのは、富が有るか無いかですよね。

動物の場合を見ていると、その富というのがよくわからないわけです。

たとえば、生態学では富の源泉というのは、太陽エネルギーしかない。

それに困ったことには、太陽エネルギーはだんだん蓄積されるのではなく、結局、宇宙空間に再び放出されるわけです。

つまり、太陽エネルギーが地球上でしばらくグルグル回っているうちに、いろんな動物が食べていく。

人間の場合でも、ーーもちろん人間も太陽エネルギーの流れの中にいるんだけどーーたとえば、金は天下の回りもの式な言い方をすると、どこからお金が入ってきて、金がひとまわりグルっとする間に食えるわけですね。

そうすると、生態学の場合と人間の場合では、どこがどう違うんだろう?

生物の場合では富が増大することはないけど、経済学の面では富が増大するわけですね。


岸本▼

実はね、「富」というものほど、経済学上、定義されてないものはないんですよ。

『資本論』にだって、その冒頭に「資本制的生産様式が支配している諸社会の富はーー」なんて書いてあるけど、その「富」というのはなにかという定義はひとつも出てない。


日高▼

たしかにそうだ。


岸本▼

だけど、客観的に見れば、経済学で「富」といっているのは、人間の生存手段でしょうね。

人間の生存手段は、生態学の立場からは順増にはなれないけれども、人間が支配下においたものと限定すれば、今まで支配下になかったものが、新しく支配下に入ってくるということで、増減を考えることができる。

そこで、富を増やすこと、生存手段を増やすことを生産というわけです。


日高▼

動物を研究している人でも、動物における生産を論じることがあるなあ。

なにしろ、人間の社会に起きていることを、動物に投影しないと気が済まない人が意外にたくさんいるんでね。

そこが実に面白いところなんだけれども…。


ばかされる 矢川澄子


ボーヴォワール から抜粋


日高▼

この頃、ボーヴォワールに関心を持つ人がなんだかまた増えているような気がするんだけど…。


矢川▼

そうかしら。


日高▼

僕の狭い印象だけなのかなあ?


矢川▼

ボーヴォワールよりもシモーヌ・ヴェーユあたりに関心を持つ人のほうがわりあい増えてきているんじゃないかしら。


日高▼

大学で学園紛争のあったときにはシモーヌ・ヴェーユが話題になったけれど、ヴェーユを口にした人はほとんど駆逐されましたね。

あとに残った人たちは、たとえボーヴォワールの名を口にしなくとも、どうも基本的にはボーヴォワール的な感覚を持っているように思います。


矢川▼

私は時代おくれだし、いわゆる女性論てのにあんまり興味がないので、彼女についてよう知らないのね。

なんだかお説教されてるみたいで、きらいなのよ。


日高▼

矢川さんが時代おくれなのでなく、ボーヴォワールがおくれていて、そのおくれる人の感覚がいまだに生きているってのが気になるんだな。


矢川▼

ボーヴォワールのような格好で生きようとしている女の人は、少なくなってるような感じがするけど。


日高▼

それがそうでもないらしいんだな。

ボーヴォワール式の考えを何かと持ち出す人というのは大抵、結婚してない人でもなく、子供を生んでない人でもない。

あるいはもっと若い人だったら、いずれはちゃんと旦那も欲しいし子供も欲しい。

そして実際にそうする人たちですね。


矢川▼

ずいぶんよくばりみたいね。

よほど体力だか生命力(バイタリティ)だかに自信があるのね。


日高▼

ある意味ではね。

で、おのれないしは女の生き方について公式な見解を求められると、男と女はそもそも平等で、まったく同じものである。

それが女になってゆくのは、社会的に女としてつくられるのだというようにバーンという(笑)。

公式にだからそういうのではなくて、本当にそう思い込んでいるらしいんだな。

だからできるだけ自分が女らしく振る舞おうとしている。


矢川▼

言えるってことはすでに救われた者のすることよね。

女であることの痛みをほんとにひっかぶって生きている人たちは、ほとんど無言ですもの。

ボーヴォワールって、健康人の日のあたる世界のことしかいってないみたいな気がするけど。


ならべる 中根千枝


カラスとネズミ から抜粋


日高▼

日本人の社会というのは、カラスの社会に似ているのかなあ。


中根▼

え!鳥のカラス?


日高▼

ええ。ローレンツの書いているカラスの話でおもしろいのがありますね。

カラスっていっても、日本にいるのとすこし違う、コクマルガラスという種類なんですけどね。

このカラスは、自分たちの群れの中では一応年長のものから順番にずっと並んでいるわけです。

これには雄雌の区別はない。

だから若いものは雄でも雌でも下になるんですが、若いものの中には、雌は雄の下につくことになっている。


中根▼

へえー。


日高▼

お互いに認知しているんですね、あれは何番だと。

いや「何番」なんてことは知らないでしょうけど。


中根▼

誰の次とか…。


日高▼

ええ。自分の次とか、下とか上とかいうのはわかっている。


中根▼

日本人だって自分はいちばん上から数えて何番かは知らないんだわ、どっちが上か下かで。

だいたいカラスと同じ(笑)。


日高▼

しかも面白いのは、同じ年齢だと雌は雄よりも常に順位が低いんです。

しかし、雌は自分より順位の低い雄とは絶対に結婚してつがいにならないし、雄は自分より順位が上の雌とつがってはならないんです。

だから、かならず雌の順位が結婚相手の雄の順位に上がるんであって、雄の順位が雌の順位に上がるということはないんです。


中根▼

ほ、ほぉー。それはすごいわね。


日高▼

だからカラス同士も大変いろいろ気をつかっているらしくて…(笑)。

つまり、自分より順位が下だった雌がいるわけでしょ。

なんだ、あんなもんかと思ってたのが、突如としてポーンと自分より順位の上の雄と婚約などされると「ははあ」って下がんなきゃいけない。


中根▼

どこかで聞くような話ね。


日高▼

そうなんですよ。

人間でも自分より若い女の子が自分の目上の人の奥さんなんかになったら、あんまり軽々しい口はきけなくなるでしょう。すごくカラス的…。


中根▼

一列に並ぶというのはカラスがそうだとすると、日本はカラスだわね。

それで、途中で順番が変わることはない?


日高▼

ほとんとないようですね。


中根▼

動物の世界というのは一列に並ぶものだけではないんでしょう?


日高▼

もちろんそうです。

ネズミなんか個体識別できないから、誰が自分より上か下かちっともわからないで、ごちゃごちゃしているんですね。

ただ、デスポット(独裁者)ができる。

「あれは偉い」というのだけは、どのネズミもわかっている。


中根▼

それはイタリア式よ(笑)。

イタリア人は完全にかなわないというものだけいうことを聞くのよ。

韓国もイタリア式ね。

それからフィリピンなんかもそうだわ。

だからマルコス大統領みたいな相当強いのがいるからまとまっているけど。

下の方はわあわあよ。


日高▼

韓国というのは割合に単一社会なんじゃないですか。


中根▼

まあ単一な方だけど、北の方はツングースが混ざっているし、南の方は倭人と似たような民族が混ざってるわね。


日高▼

日本もほぼ完全な単一社会だけど、日本の薩摩と長州なんてものではない?


中根▼

もっと違うでしょ。

だけど今はもう完全に混ざっちゃってるけどね。

でも歴史的には違うわね。


日高▼

日本以外に単一社会の国というのはないんですか。


中根▼

5000万以上の人口を持っている近代国家ではまずないわね。

2、30万ぐらいの社会だったら、結構あるけど。

ちょっと日本みたいに大きい社会ではないわねえ。


日高▼

単一性がないと「タテ社会」にならないわけでしょ?


中根▼

少なくとも、「タテ」のプリンシプルというのは、一つに統合されないと全体にあまねくゆき渡らない。

日本のようにきれいに「タテ」になるためには、やはり単一性が母体であることが重要になるといえるでしょう。

一つの社会のなかに、一つが上になり、他方が下になると階層ができるでしょう。

そうするといずれの場合も「ヨコ」の機能が強くなって「タテ」が部分的にしか機能しないし、全体としては「ヨコ」の機能が支配的になるわね。

日本列島には、北や南からいろいろな人々が入ってきて、長い間にそれが混交して日本人というものが出来上がったようですが、すでに、縄文時代から同じ文化が日本列島全体に見られるわけだから、単一性というものは相当古く、今日の我々にとって根強いものといえるわね。

たいてい国家ができてから異なる既存の集団が統合されて一つになるというケースが圧倒的に多いんだけど、日本の場合はもう奈良朝ができる前に相当な文化の単一性ができてしまっているから…。


かくどを変える 坂本正治


標本箱と三島由紀夫 から抜粋


坂本▼

分類学者はコレクターとして素養が必要だということだけど、生物学者というのはコレクターとは違うんでしょう。

知識だけをコレクトしようとしているような人もかなりいるようだけど。


日高▼

全然、違うんじゃないだろうか。

僕は昆虫学をやってることになっているけど、昆虫を収集する趣味はないし、虫についてありとあらゆる知識をできるかぎり集めようなんて趣味もないですね。

少なくとも、それが第一義ではない。

知識をコレクトしようとする人は、論文やら本やらを片っ端から集める。

僕にはそんな根性みたいなものはないな。

あくまで適当にしておく。


坂本▼

しかし、知識をコレクトしているだけの生物学者は多い。


日高▼

それは多いよ。

しかし、この問題は生物学者に限ったことではないでしょう。


坂本▼

そう。僕は三島由紀夫の文章なんか読むと、一種のコレクトマニアの標本箱を思い浮かべる。

彼の文章には日本人の美学が描かれているという人もいるけど、僕は実に薄っぺらいと思います。

標本箱にならべられたチョウと同じように、三島由紀夫の文章はできてくるプロセスが全然なくて、完成品なんですよ。


日高▼

まったく同感だね。

彼の作品をいくら読んでも、標本箱を見ているよう。

インテレクチュアルな感じはしない。


坂本▼

そうでしょ。

芸術家の中にもそれ派がいますよ。

テクニックが非常にあって、ある美しい世界を描き出す。

そしてその作品が市場価値を持って動き出すと、もうチョウのコレクションと似てくる。

純粋であるところも似てるし、あんまりインテレクチュアルじゃないところも似ている。


日高▼

なるほど。あらゆる分野にコレクターがいるわけですね。


坂本▼

いままでの高度経済成長時代というのは、特に進歩というのが信じられていたわけですね。

まあ、明治以降ずっと日本人は進歩を信じてたわけですけど。

ところが生物学というのはその進歩感に重要な役割を果たしてきたわけですね、人間はだんだん進歩していると。

野蛮人があって、文明人があって、という図式があったんです。

ところが、今それがチョウのコレクターとかなり似ているんじゃないかと。

人間は好きなものを集めて所有したがる。

ところが、好きなものは人によって違い、金を集めるもの、知識を集めるものなどがいる。

その人たちが近所迷惑も顧みず、進歩観に乗って、ただ懸命に”文明の象徴”を収集しつづけた結果が、今の日本列島だといえないこともない。

しかも、生物学から提案された進化とか進歩のイメージに忠実でない人たちが多くなってくると、進歩と調和して、シンボルだの、知識だの、お金だの、土地だのを収集していた人たちがそれぞれどのようなトータル・イメージを持つようになるのかが問題となりますね。

そこで僕が一番不思議に思うのは、生物を研究している人たちというのは、動物なら動物、植物なら植物を見るときに、どういうイメージを持って見ているのかということがわからないわけです。


日高▼

それは人によって違うんでしょうね。

たとえば、生物を研究している人が、どのくらい進歩発展の思想にのっているか、つまり、20世紀の近代主義思想にのっているか、いないかによって、生物を見るイメージも違いますね。

近代主義的な感覚の持ち主は、やはり生物に対してもそういう目を向けるからね。


坂本▼

どういう目を向けるんですか?


日高▼

やはり、生物学は進化、発展してきたものだという…。


坂本▼

いまでもそんなことを信じているわけですか。


日高▼

もちろんですよ。


坂本▼

そういう人はクジラより人間は偉いと思うわけですか。


日高▼

内心ではそう思っているんじゃないかなあ。

だからサブヒューマン・プライメイツ(subhuman primates)、つまり人間以下の霊長類なんていう言葉が、ひょいと出てくる。

そして、そのことについて、誰も対して不思議に思わない。


坂本さんというのは存じ上げませんで


WIKIで見るかぎり書籍もあまり出されてないようで


残念ですが、惹かれるものがあるような。


少し調べた感じだとかなりラディカルな印象。


イメージシンセサイザーってなんなのだろうか。


環境デザイナーとあるけれど、90年代に


「ワン・トゥ・ワン・マーケティング研究会」って


何をされようとしていたのかも気になるが。


この対談での日高先生が押され気味なのが


なんとなくすごい感じがいたします。


余談だけど、本日夜勤のためそろそろ


食事するのだけど一個レトルトカレーが


100円だった。時代も変わったものです。


 


nice!(31) 
共通テーマ:

①日高先生の対談本から”ルーツ”を考察 [’23年以前の”新旧の価値観”]

70年代の対談本。日高先生がお若い。


教育者然・学者然としていなくてかっこいい。


40代ですか、これは当時新しい価値観の


人だったろうなと想像つく。


装丁は対談相手の一人の安野光雄さんで


これも時代を反映されたデザインだなと。



動物の目でみる文化―日高敏隆対談集 (1978年)

動物の目でみる文化―日高敏隆対談集 (1978年)

  • 作者: 日高 敏隆
  • 出版社/メーカー: 平凡社
  • 発売日: 1978/04/20
  • メディア: -

あとがき から抜粋


動物雑誌『アニマ』の編集部から、今西錦司先生のあとをうけて1977年の連載対談をやりませんかという話をもちかけられたとき、まずぼくの頭に浮かんだのはこのことであった。

動物の雑誌だから動物学者を集めて動物の話ばかりしていれば良い時代ではなかろう。

それにその方面については、その前年に今西先生が堂々たる今西動物学を展開しておられる。


そこでぼくは、『動物学の内と外』として、一見動物学とは関係ない方々の話をうかがうことにした。

こうして、ジャズ・ピアニストに始まり歌手に終わる対談が、動物の雑誌『アニマ』の1977年1月号から12月号にわたって連載されることになった。


でたらめをつくる 山下洋輔


ふと思いつく から抜粋


日高▼

それであるとき、またその山へ採集に行こうというとき…、それもどうしてそういうふうに思いついたか、全然わからないんだけれども、これはきっと今まで温度を一定にして飼ってたのが悪かったんだとふと思いついた。

そこで山の上へ自記温度計を持ってって温度を記録したら、昼間は日当たりでは輻射温度が35度から40度近くもある。

夜は温度が5度まで下がる。

帰ってきて早速実験室の飼育箱をこの山頂の温度に似せて振らせてやったら実によく生きたわけです。


山下▼

ふと思いつくというのは、まるで科学的じゃない言葉だなあ。


日高▼

全くそうですよ。


山下▼

そうすると、小松左京さんが『日本沈没』の中で、科学は直感だというのは当たってる…。


日高▼

当たってますよ


山下▼

じゃ、科学者像っていうのを、完全に変えていいわけですね。


日高▼

変えて欲しいですね。

じゃないと、ぼくらは女の子にモテない(笑)。

だけど科学は直感だなんてことは、たいていは、それもシラフのときはとくにいいたがらないし…。

それにもう一つ言わないことがある。

つまり、直感っていうのは教育するときに困るんです。

一応工業国家である日本で、工学部に入った学生がみんな直感、直感なんて言いだしたら工業国家は潰れちゃうわけですよ。

国家的にいったら、ごく一部の直感のすぐれた人が何人かいて、その人が出してくれた直感を、直感に頼らないような、こつこつやる人が現実化してくれた方が、ずっとありがたいわけでしょう。

そういうこともあるんだろうと思うんです。


わかりっこない から抜粋


山下▼

直感という話とある程度関係があるんだけど、以前、ブルースの成り立ちに興味を持っていたんです。

ブルースはアメリカの黒人が作り出した音楽だといわれている。

すごく簡単な節回しなわけで、ジャズとかロックに乗って、世界中の人間が聞けば、ああ、あれはブルースの節だってわかるわけです。

ところが、その節がどこから出てきたかが問題で、アメリカでできたんだという説と、アフリカからもたらされたんだという説があったんです。


日高▼

へーえ。音楽解説書にはわかりきったように書いてあったように思ったけど…。


山下▼

その節の中で、独特にぐらぐら動いてもいいという音があるんです。

その音を今までの研究者は、ドミソドとかの和音の中で、その音をつかまえようとしてたわけだけど、ぼくはどうもそうじゃなくて、和音とは全く別の原理で、節だけが成り立っていると考えた。

それとは別に、最近の話ですが、あるとき、アフリカの音楽のテープを聴いていた。

それはタンザニアの牛追い歌で、それを聞いたら、まるでブルースの節であることに気づいた

普通は、ブルースのもの悲しいような節は、アフリカにあまりなくて、アフリカの音楽は、どっちかというと、サンバみたいな音なんだけど、その牛追い歌は、追分節みたいな、民謡みたいな感じだったんです。

これはどうもブルースだっていうんで、ギター弾きを一人連れてきて、この節に合わせて、ブルースの和音進行をあわせた

つまり、牛追い歌の節の中心の音はある。

その中心音に西洋の和音のドを重ね合わせて、そこに和音を乗せて、ブルースのコードを弾いたんですね。

そうしたら、もののみごとに誰に聞かせても、ブルースになっちゃったんですよ。

言葉がアフリカの言葉なだけなんです。


日高▼

なるほど。

そりゃそういうもんかもしらんな。

日本にも長唄のように、独特の節回しがあるでしょう。

それと西洋音楽が結びついて…。


山下▼

それは明治以来できてて、一つは小学唱歌、もう一つは歌謡曲、演歌ですね。

長唄もこちらに入ると思いますが、いずれも、日本の節に西洋のコードをくっつけちゃった。


日高▼

他の民族でも、その民族の音楽に西洋のコードをくっつけた例はあるんでしょう?


山下▼

たくさんありますね。

たとえば、インドの歌謡曲なんていうのもそうなんです。

いかにもインド的なんだけど、和音の進行だけは、なぜか、西洋の300年ほど前にできたものを使うんですよね。


日高▼

西洋の和音形式がなぜそんなにくっつきやすいんですか?


山下▼

あれが流行ったっていうのは、いちばん単純にしたから流行ったんで。


日高▼

なるほどね。単純なものは流行りやすいからな。


山下▼

ほんとの音楽はあんな単純なものじゃないんです。

それぞれ複雑な、もっとデリケートないい回しをみんな持っているんだけど、あの和音進行はものすごく簡単で、理論的で、覚えやすくて、伝えやすい。

つまり、ちゃんと教育できるようになっているから、どんどんよその国へ入っていっちゃう

そして、自分のところのメロディーをのせちゃうんですね。


いたずらをする 安野光雅


えっしゃあ から抜粋


安野▼

エッシャーの作品には、大きく分けて二つの面がありますね。

無限階段のようにありえない世界をかいたものと、いまひとつ、エッシャー流の模様の世界と。

私は模様のほうに興味がありますが…。


日高▼

無限階段の方はあまりに理づめになりすぎて、トポロジーそのものになるきらいがありますね。

例えば、手(A)を描いている手(B)がある。

描かれている手(A)は手(B)を描いている手である。

これは非常に面白いが、いつ見ても驚くというわけにはいかない。

さっき話したネコみたいに、鏡に驚くのは一度だけといった感じがありますね。

その点、アンノの階段の方がいろいろとおもしろい要素があるし、わかりいい。


安野▼

そういってくれる人もありますが、やはり、エッシャーは先人ですしね。

私はエッシャーに刺激されて『ふしぎなえ』を描いたようなものですから。


日高▼

先人にはまた先人がいて、その先にまだ先人がいる。

原点というものはなくなるんですよ。

原点でなくちゃ創作でないような言い方をする人があるけれど、それでは創造もなくなってしまいます。


大瀧詠一さんの領域になってまいりました。


この路線でどなたか追及してくださらんでしょうか。


音楽の起源。


誰かすでにやってそうだけれども。


『アニマ』という雑誌、存じ上げませんでしたが


エソロジーの方達はここで自由闊達な言論を


交わされていたのだろうか。


こういった対談がのるってことは


かなり先鋭的な編集部だったのではないか。


日高先生のようないわば学会のメインストリーム


から外れたアウトローを起用なんていうのは、


その当時の若いスタッフが新しい感性で


作ろうとした証のような。


なんて、動物にも虫にもあまり興味はないのが


もはや残念ですが、それを対象として”ヒトをみる”


さらにそれが興味ある人たち、だったとしたら


かなり面白いなあ、とか、でも、ヒトはヒト、


動物は動物という昨今の考えもあるなあ、とか


70年代といえばもう50年前かよお、と思った


風の強い早朝読書、寒くなってまいりましたが


そろそろ仕事行ってまいります。


 


nice!(26) 
共通テーマ:

3冊から”遺伝子”と”ミーム”を考察 [’23年以前の”新旧の価値観”]

自分にとって頂上対談と言える


中村・養老先生の対談を読んでみた。


ただいま現在の今のところ


これが最新なのかな、当時2000年頃。


かなり学術的な内容だけれど


お二人の話し言葉なのでとっつきやすい。


ので、何度も読みたい気になる。


そんな中、気になったドーキンスさんの


記述があった。



生命の文法―〈情報学〉と〈生きること〉 (哲学文庫―叢書=生命の哲学 (2))

生命の文法―〈情報学〉と〈生きること〉 (哲学文庫―叢書=生命の哲学 (2))

  • 出版社/メーカー: 哲学書房
  • 発売日: 2001/02/01
  • メディア: 単行本


第二章 情報が物質的ペースを得た


人間を考えるときにだけ、「個体」が 浮上する


から抜粋


養老▼

個体というのは非常に偶発的なもので、生物にとってそう本質的なものではないような気がしてきましたね。

なぜ個体が成立しなければならないのか。


中村▼

人間を中心に考えたときにだけ個体が大事になるんじゃないですか?

人間は「私は私だよ」ということがないと不安で、「個」や「私」が大事になるのだけれど、人間以外の生物の世界にとっては個体は別に大事なものではありませんね。

ただそこを強調しすぎると、「個体は遺伝子の乗り物にすぎない」という、ドーキンスの利己的遺伝子説(注)の議論になってしまいますけれど。

人間を考える立場としては、ドーキンスとともにおおらかな気持ちになって、ああそうですねというところでは終わらない。

「私とはなんぞや」という悩みがあるのに、それを放り出して「関係ない」と言ってしまったら、学問としておもしろくなくなるので、「個」という問題も考えます。


養老▼

自意識の問題ですね、自己の問題。


注:利己的遺伝子説selfish gene ドーキンスはその著書『利己的な遺伝子』で「われわれは生存機械ーー遺伝子という名の利己的な分子を保存するべく盲目的にプログラムされたロボット機械なのだ」と書く。

これまでは、まず生物個体が生物学者の意識にのぼり、遺伝子は個体が用いる仕掛けとみなされていたが、実は「生命が生じるために存在しなければならなかった、唯一の実体は、不滅の自己複製子(遺伝子)である」とこの本を結ぶのである。


この中村先生のご発言は、いかにも先生の


思想というか志向を現されているなあと思った。


もしこのドーキンス氏への解釈を世間が


展開されたなら、さまざまな誤解の


勝手解釈がなくて、まともな学者のストレスは


軽減されたろう。


まともな学者ってのもアレですけれども。


でもって、”ミーム”のことを科学的に


研究した本も読んでみた。



ダーウィン文化論―科学としてのミーム

ダーウィン文化論―科学としてのミーム

  • 出版社/メーカー: 産業図書
  • 発売日: 2004/09/01
  • メディア: 単行本


日本語版への序文


2004年9月 ロバート・アンジェ


から抜粋


日本語を話す方々がミームについて、さらに多くのことを発見される機会ができ、大変うれしく思います。

これはすなわち、情報の断片が社会的学習を通じて伝えられていくという考え方、さらには文化のダイナミクスについて、みなさまが思考をめぐらせる、ということでもあります。


本書をお読みいただければ、わかるように、ミームの考えかたは一般には非常にウケが良いのですが、専門家の間ではいまだに論争の対象になっています。

「心のウイルス」や「文化遺伝子」というものがどのように機能するのか、わかっていないからです。


序文 ダニエル・デネット


2008年 から抜粋


ミーム論者たちが同意するからもしれない意見があるとしたら、それは以下のようなものだろう。

ある考えが栄えることーーそれが複製して成功して心の的、倫理的な洗練度などーーに関係があるとしても、それは偶然であり不完全な関係でしかない

いくたの良い考えが消失してしまうこともあれば、悪い考えが社会全体に影響を与えることもある。

ミームという考えかたについて将来予想されることはこれらどちらの面においても定かではない

本書の目的は、ミームというミームの繁栄を確定することではなく、もし繁栄するとしたらそれは理由があってのことだと示すことにある。

この有意義な目標に向かって進むには、道しるべと軸足となる点が定められ、ドクトリンではなく証拠と方法論が確定すること、さらに、いささかなりとも共感する者が擁護者の間にも批判者の間にもてて定着し、この分野が進むべき方向についてのコンセンサスが情勢されることが必要だ。


何十年もの間、ミームを弁護する側・批判する側の双方において、あまり有効な活動は展開されてこなかったが、本書の元となったワークショップは、熱っぽくも建設的なものである。

そして本書によって、より多くの読者が一蓮托生となる。

これを皮切りに、類似の試みがどんどん続いていくだろうと予言しておこう。


”ミーム”が何かは、この書で書き尽くされていて


まあ、わかるような気にもなるのだけど。


”ミーム”自体が説明するのに難しい存在だから


学術的に説明しようとしても、


それはナンセンス・無理筋なのかもしれない。


デネットさんの文は興味そそられるのだけど。


そして思い浮かんだのが池田先生の書でした。



驚きの「リアル進化論」 (扶桑社新書)

驚きの「リアル進化論」 (扶桑社新書)

  • 作者: 池田 清彦
  • 出版社/メーカー: 扶桑社
  • 発売日: 2023/09/01
  • メディア: 新書


おわりに から抜粋


私が、進化は「遺伝子の突然変異」「自然選択」「遺伝的浮動「性選択」ですベて説明できるという、いわゆる「ネオダーウィニズム」の理論に疑問を抱き始めたのは1980年代の初頭で、そのころの日本の生態学会は、ドーキンスに代表される極端なネオダーウィニズム一辺倒でした。

しかし、新しい分類群の出現といった大きな進化は、ネオダーウィニズム的なプロセスでは説明不可能なことは、私の目には自明であったので、やれ「利己的遺伝子」(ドーキンスらが提唱した「自然選択や生物を遺伝子中心の視点で見る理論」を表現するのに盛んに用いられたことば)だ、やれ「ミーム」(文化を形成する脳内の情報。他の脳にも複製可能で、遺伝子と影響し合いながら進化するとされる)だと能天気に浮かれている連中を憐憫の思いで眺めながら、私は、学会にも顔を出さずに、ひたすら「構造主義進化論」の構築に情熱を注ぎ込みました。


それから時は流れて、蓄積された科学的事実は徐々に「構造主義進化論」に整合的になってきました。

中には、「池田の言っていることは要するに『エピジェネティクス』で、そんなことは今では常識だ」という人まで現れました。

しかし、私がネオダーウィニズム批判を始めた1980年代の半ばごろに、そんなことを言っている人はほぼ皆無だったわけで、後出しじゃんけんで威張る人が現れたということは、「構造主義進化論」の優位性を雄弁に物語っています


孤高に屹立する池田先生ならではの言説で


すべて理解はもちろんできておりませんし


本当にここまで否定できるものなのかは


自分の頭では当然に難しいのだけど


もしも”ミーム”を追求しようとすると


無視できないご意見であることは確かと感じる。


なんと言っても”心のウイルス”なんて


誰も、どういう手を使っても、納得できる資料なぞ


出せないだろうと思うのだけど


それを議論しているのも面白いっちゃ面白い。


だからこれだけの論客たちが論争して本が


出ているのだろうなあとこのテーマは引き続き


ウォッチしてアナライズするだろう


予感がする寒くなってまいりました朝


今日は休みのため、図書館に


フィールドワークだなこれは。


 


nice!(35) 
共通テーマ:

中村桂子先生の書評本から”アート”を考察 [’23年以前の”新旧の価値観”]

生命の灯となる49冊の本


生命の灯となる49冊の本

  • 作者: 中村桂子
  • 出版社/メーカー: 青土社
  • 発売日: 2017/12/20
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

あとがき から抜粋

新聞というメディアの持つ特質上、年齢・性別・職業などの別なく、幅広い方が関心をお持ちになりそうな本を選ぶように努めています。

でも、どうしても「私の関心」が基本になりますのでちょっと面倒なものもあるのはお許しいただきたいと思います。

「まえがき」にも書きましたように「生命誌」という新しい知を求め、「人間は生きもの」であるというあたりまえのことを基本とする生き方を考えていきたいのですが、その底には科学があります

「科学」はどうしても面倒な話になり、そのために専門外の方には敬遠されがちです。

でもその面倒があるからこそ本質がストンとわかるということも少なくありません。

科学がそういうものとして受け入れられるようになって欲しいと思っています。

書評という形でそのような可能性が広がらないだろうか。

そんな思いを込めて書いています。


あまり馴染みのない本ばかり


取り上げられているため興味は尽きない。


というか中村先生が取り上げる本であれば


学術書でない限り読んでみたいと


思わせていただける書評本です。


カント、宮沢賢治、鴨長明の書評も深くて流石だし


ネガティブ・ケイパビリティ」というのも、


着眼点がすごいなあと単純に思ったが


ことのほか、一冊だけ特に目に留まった。


自分の得意分野だからというわけでもないけれど。


岩田誠


ホモ ピクトル ムジカーリス


アートの進化史


神経内科医である著者は「アートとはなにか」という問いへの答えを、脳機能を基盤とする神経心理学に求めていたが、退職して孫の言葉と描画の発達を観察し、進化史で考えるようになった。

専門と日常を一体化して謎を解く科学者の有り様として興味深い。


著者は孫たち、また自身の子どもの頃の両親による記録から言語獲得過程を個人の発達の中で追う。


指示コミュニケーション能力の獲得は、アート、つまり表現へとつながっていく。

近年ゾウのお絵描きが話題だが、訓練や報酬なしで描画を楽しむのは霊長類からである。

ただそれはなぐりがきを越えない。

一方人間は、なぐりがきから始まって閉じた円などを描くようになり、2歳半ごろには自分の顔だとか風船だなどと説明するようになる。

また3歳半ごろには、複数の対象を描き、「…しているところ」という「コト」を表現するようになる。

6歳くらいになると自己中心座標だけでなく、公園全体を描くなど環境中心座標での空間表現も生まれ、これは言語獲得と並行している。

幼児に言語を教えられず絵を描けなかった少女が、言語能力と共に描く能力も得たという。


古代の洞窟画の大半がリアルな大型動物であるのは、狩りの成功への祈りというよりその場の占有権を主張する勇気の証であり、群をつくって生きる有効手段だったと著者は考える。

一方、ヴィーナス像など小さなアートには「美」の追求が見られ、美の概念を持つホモ・ピクトルを実感させる。


ついでホモ・ムジカーリスである。

近年、ネアンデルタール人も歌を持っていたと考えられ、絵画洞窟の絵の描かれている場所は音響効果が良いという調査がある

ここで歌や演奏がなされていた可能性が高い

協同での狩りにはリズム合わせが大事ということも明らかになっており、音楽や絵画は「社会的行動」と共にあるのだろう。


アートのありようは時代と共に変化してきたが、今も生活の一部としてある。

人間は自身と世界との関係を「我」と「それ」の関係として知る科学をもつ。

そして「我」と「汝(なんじ)」との関係の表現がアートであり、この二つは共に人間の本質と言ってよい。

これが著者の答えである。


アートを科学的に解き明かそうとされる


人間の本質で「我」と「汝」で


それが大いに関わるという点も興味深いのだけど


この書を書かせた岩田誠先生の


”きっかけ”が気になったので調べたら


Kindle unlimitedにあったので読んでみた。



ホモ ピクトル ムジカーリス

ホモ ピクトル ムジカーリス

  • 作者: 岩田誠
  • 出版社/メーカー: 中山書店
  • 発売日: 2020/12/16
  • メディア: Kindle版


はじめに から抜粋


もしアートが生存のためには必要のない行為なのだとするなら、ヒトはなぜそんな行為をわざわざ営もうとするのか。

それどころか、自分の生存の可能性が失われていくことが確実な極限的な環境下でも、ヒトは、語り、詠い、唄い、描き、奏で、踊り、演じようとする。

むしろ、そういう時にこそ、ヒトはアートといえるような行為を積極的に行おうとすることが少なくない。

他の生物では見られないこのような行為を行うヒトは、その点において生物界における極めて特異な存在なのである。


生物学的常識からは不可解な、このアートという営みは一体何なのか、ヒトは何故アートというような、一見生存には不要な営みを、かくも執拗に追い求めようとするのか、それらのことは、筆者にとって長年の大きな疑問であり、数十年にわたって、筆者はそれらの問題に対する答えを模索し続けてきた。


当初筆者は、自らの専門研究領域の一つである、脳機能を基盤にした神経心理学の研究を進めて行けば、その答えが見出せるのではないかという漠然とした想いの下で、これらの問題について考えてきたが、それが見当はずれであるということに気付かされるに至ったのは、筆者の孫たちの造形行動の発達過程を、直接観察する機会が得られたからである。


なるほど、学者さんというのは


そういう視点でアートを追求するのですなあ、


と少し納得。


アートの起源というか原初の情動というような


情景が喚起されてこれまた興味深いです。


深淵なる存在への感謝を捧げていたのか


絵画だけでなく音楽との関係なども。


トランス状態になることが気分を


高揚させたのかなあとか。


自分はアートの営みが何か、よりも


なぜ求めるかについては興味があって


ぼんやりとした答えが2つあり、


”つくられたもの”というのと


”でてしまったもの”というのでございまして、


ちと分かりにくいので補足すると


前者が”意識”から、後者が”無意識”から


発想されるような気がするのだけど。


岩田先生のように”対象”ではないので


自分のいうのと次元が異なるのかもしれんけど。


岩田先生の書の凄い所は孫を調査対象としている


というのは分かるが、自分の親がつけてくれた


過去の自分の成長記録も照らし合わせての


分析ってことで、それは他には


なかなかないのではなかろうかと。


それこそ、意識(孫)・無意識(自分)みたいな。


中村先生の書評から脱線してしまったけれど、


書評って興味ある人のだと


ほぼ間違いなく面白い。


読書のありがたさを痛感させられる、


台風のような今朝方、大雨と風で家が


ガタピシ揺れて眠れなかったので


中村先生の講演動画を聞きながら過ごし


先生の”科学”愛の底知れぬ深さを感じ、


そういう一生を賭ける値打ちのある対象を


持っている人は文句なしに強いよなあ、


と思った木曜日でした。


 


nice!(37) 
共通テーマ:

中村桂子先生の本の解説から”女性”を考察 [’23年以前の”新旧の価値観”]


あそぶ 〔12歳の生命誌〕 (中村桂子コレクション・いのち愛づる生命誌(全8巻)第5巻)

あそぶ 〔12歳の生命誌〕 (中村桂子コレクション・いのち愛づる生命誌(全8巻)第5巻)

  • 出版社/メーカー: 藤原書店
  • 発売日: 2019/01/26
  • メディア: 単行本


解説


生物学と女性


養老孟司 から抜粋


中村さんを見ていて、思い出すことがありました。

バーバラ・マクリントックという婆さんです。

はじめから婆さんではなかったと思うんですが、なにしろノーベル賞をもらった時に、80歳を超えていました。

その時に知った人ですから、私にとっては初めから婆さんでした。

うちの母親の知り合いの婆さんたちと同じ。

あの人たちにも若い時があったなんて、想像もしませんでしたね。

バーバラ・マクリントックについては、優れた伝記があります。

その中で、この婆さんは「自分がトウモロコシの染色体の中に立っている」と述べています。

その実感がわかりますか。

わかるわけがないでしょうね。

でも現実って、そういうものなんですね。

この人は一生をトウモロコシの遺伝学に費やしました。

だからトウモロコシの染色体がこの人にとっての「現実」なんですよ。

それでいつの間にか、トウモロコシの染色体の中に立っていることになる。


そんなこと、お金にこだわる人を見ていてもわかるでしょう。

いまはFP、ファイナンシャル・プランナーなんて職業があって、どうやって資産を上手に運用するか、そういう相談に乗っています。

そういう人にとっては、お金は現実そのものでしょうね。

そうでなけりゃ、数字や紙きれを相手に、一生を過ごそうとは思わないでしょ。

私なんか、虫を相手に一生を過ごしてますけどね。


だから中村さんを見ていて、バーバラ・マクリントックを思い出すわけです。

中村さんは「生命誌」と言います。

良い言葉だと思いますけど、あまり広がっていません。

すべての生きものは、巨大な時間のスケールを通じて、つながりあっている。

そのつながりを中村さんは強調します。

ぜひ子どもたちにそれを実感してもらいたい。

その気持ちが、この本を読んでいると、強く伝わってきます。

生命誌が子どもたちの現実になることを訴えていると感じます。


中村さんについて考えると、もう一人、思い出してしまう生物学者がいます。

リン・マーギュリスです。

この人も女性で、ミトコンドリア細胞内共生説で著名です。

どこで中村さんとつながるかというと、「つながる」ということでつながるわけです。

生きものは祖先を共有して、みんなつながっていますよ。

中村さんはそういいます。

リン・マーギュリスは、それどころか、違う生きものが細胞の中に住んじゃっているじゃないか、と言いました。

発表当時、これは評判が悪かったんだと思います。

論文は17回、レフェリーに拒否されたという話も有名です。


私が女性を強調するのは、敵(かな)わないなあと思うからです。

バーバラ・マクリントックのトウモロコシの染色体も、リン・マーギュリスのミトコンドリア共生説も、中村さんの生命誌も、その裏にあるのは、それぞれの女性たちの現実感です。

実際に子どもを持とうが持つまいが、やはり女性は自分の中に別なヒトを抱えて生きるようにできている。

そう思うしかありません。

まさに共生です。


うーん、すごいです。養老先生は相変わらず。


中村先生とのシンパシーすごく伝わってくるし。


思い浮かぶ二人の海外の女性ってのも興味深い。


ちなみに全く存じ上げませんでした。


今日本に普通に暮らしていたら、知らんよなあ。


知ってるものなのか?


中村さんには、いくつか、大切なことを教えてもらいました。

ご本人は忘れているかもしれませんが、私はよく覚えています。

生物には二つの情報系がある、というのがその一つです。

いまでは当然の常識かもしれませんが、きちんと意識化することができたのは、中村さんが一言、教えてくれたからです。

中村さんはゲノムに興味があり、私は脳に関心がありました。

どちらも情報系としては同じでしょ、ということを、そこではっきり意識したわけです。


もう一つ、既知のことを未知の言葉で説明するのが科学だ、ということです。

これでは多分通じないでしょうね。

この本がそうですが、中村さんは子どもたちにきちんと科学を教えようとします。

私もときどきやらされますが、生来の怠け者ですから、それが面倒くさい。

あとは自分で考えろ、とか言って、放り出します。

でも中村さんは丁寧に説明をしてくれます。

そうすると若いお母さんたちが「わかりやすく教えてやってください」などと、余計な注文を付けるわけです。

だから中村さんはいう。

「水なら、子どもはだれだって知っているでしょ、でもHもOも知らないんですよ」って。

水は湯気になり、雲にもなり、氷にもなります。

子どもはどれもよく知っています。

でもHやOは全然知らない。

でも科学の世界では、水はH2Oです。

つまり「よく知っているものを、知らない言葉で説明するのが科学なんですよ」というのが、中村さんの言い分でした。


でもお母さんたちは、暗黙の前提として、知っていることを前提にして、知らないことを説明してもらおうと思っている。

それが「やさしい」説明だと思っているわけです。

だから結局、新しいことを何も学ばない。

そういうことになりますよね。


私は20年以上前に、教師を辞めました。

いま私が教師をやっていたら、パワハラで告訴されるんじゃないでしょうかね

わけのわかんないことを押し付ける、って。

赤ん坊の時に、わけのわからない世界に放り出されたことなんか、皆もう忘れているわけです。

わけがわかんないから、面白い。

そういう時代が来ないかなあ。

生まれ直すしかありませんかね。


欧米、とくにアメリカの生物学は共生を嫌うみたいです。

リン・マーギュリスの扱われ方を見ればわかります。

根本的にはダーウィンの描いた系統樹に関係するんでしょうね。

これには枝分かれはありますが、枝どうしが融合することはない。

中村さんはお釈迦様についても、この本で一言触れています。

仏教的世界では、生物が「融合」しても、なんの不思議もないんですけどね。

中村さんの言う、生きものはすべてつながっているという結論に、私は文句なしに賛成します。


養老先生の解説しか引いておりませんが


この書自体ものすごく面白くて興味深い。


いのちの不思議や尊さ、女性への応援っぷりが


本当に素敵です。イノセントな人柄が滲む。


妻や娘に薦めたいのでございます。


相手にされないかもしれないけど、パパが言うと。


本の内容ですが子ども向けだからと思うが、


ルビが振ってありかつ、平易中の平易な


丁寧なお仕事に頭が下がります。


こんな中年に下げられても困るだろうけれど。


書評もいくつか書かれていて、


手塚治虫先生の講演本を取り上げておられるが


漫画自体は手塚作品のどれがってことではないが


どこをどう読めばいいかわからないから


苦手とおっしゃる。分かる所もなくはないが


自分の頭の構造とはまるっきり異なる


高次元な知性の持ち主であることを確認し


12歳の時にこの本に出会っていたら


もう少しましな仕事ができたのではないかと


詮ないことを考え一人でもこの轍を踏まないよう


ここでご紹介させて、って三木先生に対する


吉本隆明さんの真似すんなよ、と一人ツッコミを


してみても、朝5時起きでの仕事してきた


自分程度の頭ではすでに半分以上寝ているのだもの、


と言いたくなる冬の初めの夜でございます。


 


nice!(26) 
共通テーマ:

日高敏隆先生の書から”情報”を考察 [’23年以前の”新旧の価値観”]


生きものの流儀

生きものの流儀

  • 作者: 日高 敏隆
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2007/10/18
  • メディア: 単行本

5 生きる喜びと「いのち」


生きる喜び から抜粋


人間も他の生きものと同じく「生きる論理」をもっており、その倫理に従って生きている。

けれども不幸にも「死」というものを「発見」してしまったわれわれ人間の生きる論理は、死への対応という悩みの上に出来上がっているようにみえる。

そして人間はこの生きる論理の上に立ってさまざまなイリュージョンや美学を組みあげ、それによって「世界」を構築してきたように思われる。


人間は、「生きる意味」を問い、「生きがい」を求めている。

「生きる」ということについて書かれた本には、たいていこのようなことが述べられているようだ。


けれどわれわれ人間は、毎日そのように高邁なことを考えているだろうか?


職場に行けば、仕事がスムーズにはかどったらうれしい。

休み時間にかかってきた知人からのお礼の電話にひとしきり花をさかせ、いい贈り物をして良かったと、なんとなく心が温まる気持ちになる。


ほとんどが毎日このように過ぎてゆく。

そのどこに「生きがい」があり、「生きる意味」があるのだろう?


でも、われわれが何も求めていないと言ったら、それはどう考えてもうそになる。

人間は明らかに何かを求めて生きているはずなのだ。


われわれは何を求めているのだろう?


どうやらそれは、「意味」とか「価値」とかいう大袈裟なことではなさそうである。

われわれが求めているのは、おそらくもっとずっと単純なことではないだろうか?


人から髪型をひとこと褒められる、「よし、昼までに上げてしまおう」と思った仕事がちゃんと昼に仕上がった、そんな小さなことにも、われわれは「うれしさ」を感じる。

それはつまらないことにも思えるが、そのちょっとしたうれしさによって、われわれが勇気づけられているのも確かである。


そして人生を彩るもう一つの要素は、「悔しさ」ではないかと思われる。

「うれしさ」を求める気持ちを持っているからこそ、人間は無数の悔しさを積み重ねているのだが、その悔しさが、後になって振り返ると、何とも味わい深いものに感じられることがあるのだ。


人間にとって、うれしさや悔しさをまったく感じることができない日々は、感動も落胆もなく、味気のないものに感じられるだろう。

そしてそのように味気のない日が何日も続けば、自分は何のために生きているのだろうという疑いが生まれてきてもふしぎはない。


それは、そのように何ということもなさそうな、それこそとるに足らないと思われるかもしれない「うれしさ」や「悔しさ」が、じつは重大な意味と価値をもっているからである。


生きる喜びとは人類の幸福に役立つ何事かを成し遂げることでもなければ、学問の世界に名の残る立派な業績を苦労して仕上げることでもない。


その意味とか価値とは何だろうか?

少し大げさな言い方に聞こえるかもしれないが、それは「生きる喜び」とでも呼ぶべきものなのである。


言うまでもないが、喜びとはそのような概念的なものではなく、自分が感じる気持ちそのものから生まれるものだ。


仕事の分類分けをすれば、ぼくは自然科学者と言うことになる。

曲がりなりにも科学者である以上、ぼくはこれまでにいろいろな研究をしてきた。


ではそれでどんな業績を残したか。

もちろん研究の結果は論文となって残っている。

けれど残念ながら、それらの論文の多くは日本の学会雑誌に載っており、『ネイチャー』とか『サイエンス』とかいう国際的一流雑誌に載っているわけではないから、今流行の業績評価では、あまり高い点はつかない。


しかしそれはぼくにとってあまり問題にはならない


そのような論文を書き、それが学会の雑誌に載ったことは、ぼくにとって喜びであった。

問題なのは、それらの論文にはぼくにとって何がうれしかったか、どんな喜びを求めてぼくが研究に熱中したか、どんな辛いことがあったかが何一つ書かれてないことである。

本来、論文とか報告書とかいうものはそういうものだ。


人が後世に残ると思うものには、その人のうれしさや悔しさが必ず込められているはずだが、それが実際に何であったかは記されていない。

いや記してはいけないのだ。


ぼくを研究に駆り立てていたのは、じつにつまらない「うれしさ」だった。

どこに卵を産むかわかっていない昆虫のあとをひたすら追いかけて、夜の話の中を歩き回る。


そして、何度も悔しい思いをしながら、あるとき、偶然にその虫が卵を産むところに出会う。

そのときのうれしさ!


論文にはそれは1行で記される。

「この昆虫はどこどこに卵を産む」。

それで終わり。

そしてそれは学問的には歴史に残る大発見でも何でもないのである。


ぼくは今ここで、動物学者という自分の職業について述べてきたが、同じようなことはどんな人にでもどんな職業にでもあてはまる。


人を業績で評価するという今日の風潮では、誰にでも同じようなことがおこっているのだろう。

評価の際に資料とされるのは、論文とか報告書とか、作品、製品といった、要するに情報化しうるものである。

しかし人間のしていること、感じていることは情報化できない。


それを無理して情報化しようとすると、NHKのTV番組やノーベル賞受賞者とのインタビュー記事のようなものになってしまう。


そこでは人が何かを求めて探ってゆく情熱や苦労、そしてその上での思いもかけぬ偶然の出会いとその喜びが語られる。

そういう話は本当に人々の心を打つので、これらの番組や記事は多くの人に好まれる。

このような報道が盛んになってきたのは喜ぶべきことではあるが、そこには大きな問題がある。


それはこれらで扱われるのが大きな業績に関わるものだということである。

何らかの意味での社会的認知、社会的評価があれば、そこに至る苦労やその上での喜びは報道に値するだろう。

けれど大多数の人々の「生きる喜び」は、そんな大きな業績とは関係がないのである。


京都市の青少年科学センターというところで、小学生に昆虫の話をしていると、そのことを切実に感じてしまう。


実際投影機を使ったり、現実の虫の標本を見せたりしながら、虫たちがどう生きているかをゆっくり話していくのだが、その中で子どもたちはいくつかの「発見」をする。

今さら何の発見でもないことだ。


けれどその小さな「発見」をしたことが、その子どもにとってどれだけうれしいことか、そしてその子の「人生」にとってどれだけ大きな意味のある喜びであることか!

われわれ人間にとっての「生きる喜び」は、今流行の「情報」とは異なる次元のものなのである。


日高先生の素敵な考え方や態度の塊の書だった。


やはり日高先生はこういう人だったのだなあ的な。


一方で、分子生物学とか動物行動学とか


最新の学問視点で見たとき、軋轢があったのでは


なかろうかという懸念あるけど


すでに亡くなられてしまっている方へ


余計なお世話を焼きたくなるところあり、かつ


自分が今のそれを熟知しているわけでは


もちろんないので、勘でそう感じるだけだけど。


バリバリのラボ現役学者からしたら


「日高先生はロマンチックだなあ」


と悪い意味で揶揄されるのではなかろうか。


だけどプリミティブな意味で言えばそこが


そここそが、大事なのだ、っていう気がして


ならばよくわかる、っていうこれは


昭和人としてのシンパシーなのか。


さらに思ったこととして、この随筆では


科学者の評価の”システム”というか”構造”に


疑問を投げかけておられるが、成果をあげた


科学者の領分ではなく、


成果に群がる経済しか考えてない輩のそれ


なのではなかろうか、と。


とはいえ、一理あると思うのが


小さな発見だと今のご時世、記事に


ならないのだものさあ、と。


かつて養老先生、メディアのことを講演で


指摘されていて、新聞やテレビニュースは


「今日は特別なことはありませんでした、


という日はなく絶対に作るんです」と。


話戻してそれはそれで、いったん置いておいて


今後の”情報”の進展がどうなるかは不明瞭だが


人間はそもそも情報じゃないんだよ、というのは


心に留めておきたい秋の早朝読書で本日は


古書店いきたいと目論んでいるパパなのでした。


 


nice!(38) 
共通テーマ:
前の10件 | 次の10件 ’23年以前の”新旧の価値観” ブログトップ