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③日高先生の対談本から”文化”を考察 [’23年以前の”新旧の価値観”]


動物の目でみる文化―日高敏隆対談集 (1978年)

動物の目でみる文化―日高敏隆対談集 (1978年)

  • 作者: 日高 敏隆
  • 出版社/メーカー: 平凡社
  • 発売日: 1978/04/20
  • メディア: -

つっぱる 赤塚不二夫

負けた!から抜粋


赤塚▼

最近新聞を見ていると、漫画よりすごい事件がいっぱいあるのね(笑)。

漫画なんてほんとにチョロいもので、ぼくたちひどくショックを受けてるんですよ。

このあいだもおもしろい事件があったな。

マンションの6階に住んでいる男が、イヌを飼っていて、自分の息子のようにかわいがってた。

ご飯も一緒に食べた。

ところが、たまたま隣にホステスが住んでて、外から帰ってきたら、イヌがキャンキャン鳴くので、「うるさい!」と言って、イヌを6階から投げ捨てた。

イヌが死んじゃったんで、男が怒って、包丁でホステスを刺しちゃった。

それで警察に捕まって行ったら、その男が「息子ォ、かたきをとったぞっ」と言ったというんだよね(笑)。

それはもう、ただの人間じゃないね。


日高▼

そりゃ、どう考えても、バカボンのオヤジさんを上回るね。


赤塚▼

そういう記事を読むと「負けた!」という気がしますよ。


日高▼

映画やテレビで、サスペンス・ドラマなんかをつくっている人だって、大変でしょうね。


赤塚▼

テレビ・ドラマや映画よりおもしろい事件がいっぱいあるわけですよ。

こないだの「サムの息子」の事件にしても、早速映画化するという話もあるでしょう。

ウォーターゲート事件だって、『大統領の陰謀』という映画になったし、エンテベ空港の事件もそうですよね。

エンテベの事件なんて恐ろしい事件で、誰が考えてもあれ以上の迫力出せませんよ。

どんなに金かけて映画を作っても、あれにはかなわないわけ。

あれこそドラマですからね。

最近、つくづくと思うんですが、フィクションというのには、やはり限界があると思うんですね。


日高▼

それはそうなんだけど、人間がなしうる最大の迫力ある事件というのは戦争ですよね。

だから、戦争にまつわるフィクションというのもたくさんあるわけですよ。

エンテベの事件なんていうのは一つの戦争だけど、もっと大きな戦争だって当然考えられるわけだ。

つまり、迫力のある事件というのは、これからまだまだ出てくると思うんです。

それをタネにしてまたフィクションもできるんじゃないかなあ。


赤塚▼

すると、フィクションの世界もまだ見通しが明るい。


『1984年』から抜粋


日高▼

それともう一つ、ぼくたちは「1984年」までは先がみえていると思うんです。

つまり、ジョージ・オーウェルが書いている『1984年』の管理社会の恐ろしさ。

それまではイメージできるわけです。

逆に、それ以上をイメージすることは「1984年」を越さないと、その先はわからないんじゃないかあとも思う…。

つまりぼくがやっていることも、動物の話とひっかけながら、人間の本性がどうのこうのといいながら、法と秩序は恐ろしいものであるとかなんとかいってるわけですよ。

要するに、よく考えてみたら『1984年』の動物学版をやってるだけでもありますね。

そんな気持ちがしてしょうがないわけ。


赤塚▼

ギャグ漫画はそもそも管理されないものだと思うんです。

つまり管理されたらギャグなんておもしろくもおかしくもなくなっちゃう。

そんなところがギャグ漫画をはじめたきっかけになってるんです。

ところが、漫画で表現したギャグがギャグにならない。

というのは、世の中がますます管理されてきて、みんな画一化してるのに、事件だけは個的になって、ますます狂気の沙汰になっているわけですよ。

事件を追ってゆけば当然、ギャグ漫画になるんだけど、それは二重にばかばかしい。

もちろん、ぼくの画風にもよりますけど、自分の画というものはもう20年間、使い古した画ですから、ほかの人の画風と比べると、逆に大人しくなっちゃったわけです。

これじゃ何を表現しても迫力がない。

そうすると画をまったく変えるか…、変えるには五木寛之みたいに休筆宣言なんかして、3年間ぐらい沈黙をまもってまた出てくるという方法もあるけど、そうもいかない。

食っていかなきゃいけませんから。


日高▼

おもしろいことを表現するというけれども、おもしろさの基本的なパターンであるブラック・ユーモアを表現する自由というのは日本にはないでしょ。

話はちょっと違うけれども、タモリは赤塚さんの家にいたんでしょ。


赤塚▼

主人のような顔をした居候だった。

もとはといえば、山下洋輔さんが見つけてきたんです。

「九州にバカがいる、呼ぼうじゃないか」って。

そして呼んだら出てきた。


日高▼

2年ほど前かな、京都大学の11月祭に彼を招(よ)んできて、その後、ホテルで彼の話を聞いたわけ。

彼の話は実にきわどいから、公開の席ではできないものが多い。


赤塚▼

差別に満ちてて、ブラック・ユーモア解放同盟なんていってるんだから。

危ないよ(笑)。


日高▼

だから、公開にしたら面白くない。


文化論、漫画論になり


日本の漫画は世界最高レベルで外国のは


面白くない、さらに日本の漫画は個性が


より強いものとなりそのことに認識が


及ばない為、結局画一化されるのでは、と


危惧されて終わってます。なんか深い考察。


”個性”を意識されておられるところは


なんとなく70年代っぽいと感じた。


今だとなんだろう、言葉の違いだけかもだが


”キャラ”とかなんかな、と。


くらべる 南沙織


ON AGGRESSION から抜粋


日高▼

以前、沙織さんが大岡昇平先生と対談されたでしょう。

あれ、すごく面白かった。

その時に知ったんですが、沙織さんはローレンツの『ON AGGRESSION(攻撃)』を読んだそうですね。


南▼

そうなんです。

あの本とても面白かった。

でも、あれを読んだのはもう5年も前のことでしょう。

うっすらとしか憶えてないの。

昨日、聞いたんですけど、あの本、先生がお訳しになったんですってね。

知らなかったんです。


日高▼

どんなきっかけで、あの本を知ったの。


南▼

あのね。私がまだ調布のアメリカン・スクールに通っててときに、バイオロジーのクラスで先生がみんなに推薦してくれたんです。

それともう一人、ビヘイビアのクラスの先生が、テキストを使わないで『ON AGGRESSION』を使い、テストというと、その本から出すというわけなの。

二人の先生ともすごく推すので読んだのです。


日高▼

あの本はもともとドイツ語版で出てたんだけど、すぐに英語版で出た。

ドイツ語版の原書の題は『Das sogenannte Bose』つまり「いわゆる悪」というんです。

それで副題が「アグレッションのナチュラル・ヒストリーに向けて」とかいうのが付いているもんだから、英語版では『ON AGGRESSION』になったわけ。

ぼくはドイツ語版をフランスにいた時に読んで、すごく感激した。

しかも、その本が生物学者に広く読まれている。


南▼

でも、あれは政治家なんかに読むことをすすめているでしょう。

たしか、英語版はそう書いてある。


日高▼

そうそう。

英語版には書いてある。

が、ドイツ語版には何もそんなこと書いてない。

あたりまえといえばあたりまえで、あれを書いたローレンツ自身は動物学のつもりで書いている。

結局、日本では僕が怠慢で翻訳にずいぶん時間がかかったからいけないこともあるんだけど、ものすごくおくれて入って来た。

しかも、それを読みはじめたのは社会学に興味のある人で、生物学者じゃない。

生物学者関係の人はもっとずっと後のようです。


南▼

私が読んでた時は、日本では翻訳がされることを知らなかった。

でも日本にいるアメリカ人はすでにあれを読んでましたよ。


日高▼

やはりアメリカ人なんかのほうが、いろんなことを幅広くとらえようとするんだね。

動物学の話でも、そのほかの話でも、自分に興味のある話はどんどん取り込むでしょう。

それがすごくうらやましいと思うことがある。


南▼

そのへんはよくわかんないけど。


日高▼

『ON AGGRESSION』のどういうところに興味があった?


南▼

やっぱり人間という動物にいちばん興味があるじゃない?

自分自身を知ることにもなって、いちばんおもしろいわけ。

しかも、あの本では人間とほかの動物とを比べたりするでしょ。

あのなかで最高に注目したのは、人間はインスタントにほかの人を殺したりすることがよくあるけど、あの本を読んでいる限りでは、人間だけよね。

理由もなしに…。


日高▼

仲間を殺すというのは…。


南▼

そう。

そういうところにとくに興味をもったの。


FAITH FUL から抜粋


日高▼

動物は好き?


南▼

大好きです。


日高▼

何が好き、特に。


南▼

イヌなの。ネコって好きじゃないの、こわいの。


日高▼

ローレンツもネコが嫌いでイヌが大好きらしい。

彼が書いた別の本『ソロモンの指輪』だったかに描いてあるんだけど、ローレンツの家では彼と奥さんがそれぞれにイヌを一匹づつ飼ってるわけ。

で、夫婦ケンカをすると「お前の飼っているイヌはまるでネコじゃないか!」という。

それが相手に対する最大の侮辱の言葉になるらしいんだな(笑)。


南▼

すごく素敵なアグレッションだわ


日高▼

そうでしょう。

でも、ちょっと気になるのは、ローレンツという人は忠誠心というものを、人間の美徳として非常に買っているのね。


南▼

忠誠心?


日高▼

ある人に対してフェイスフルであるという。


南▼

イヌは人間に対してフェイスフルよね。とても…。


日高▼

ローレンツがイヌが好きなことと、フェイスフルであることが美徳と考えることが直接には結びつかないと思うけど、僕はフェイスフルということがとてもこわいんです。

たとえばヒットラーが出てきたとき、ドイツ人はフェイスフルに従ったでしょう。


南▼

ああ…。そういう部分がある。


日高▼

ね!だからフェイスフルであることを尊重するということは、なんかすごくこわいことだなあという気がするわけ。


南▼

一種のスレイブ(奴隷)だもんね。


日高▼

結局そうでしょう。

イヌはパック・ハンターだから、パックを作ってハントする。

たとえば、エスキモーのリーダーがいて、その下にイヌがずっとつき従っているわけ。

さらに、そのリーダーは自分のリーダーが人間だと思っているので、人間に従う。

そうすると、人間に従うリーダーに付いているイヌたちも、それに全部が従うわけね。

イヌはそういう感じがあるにで、ネコの方が安全だなあと…。


南▼

ネコは勝手気ままだから、とても可能性があるわよね。

それはわかるんだ。


日高▼

そういう意味で、僕はネコの方が好きだなあ。

それからネコってきれいだし、女性的でもあるし(笑)。


自分の世代では少し早いので


南沙織さんってよく知らないのだけど


この対談では流石に篠山紀信夫人で


あることを感じさせる知性の持ち主で


ただものじゃない気がした。


ローレンツに興味あるなんて素敵です。


日高敏隆 あとがきから抜粋


動物のことに関心をもつ人々が、最近はとくにふえてきているような気がする。

文学、哲学、芸術など、さまざまな分野の人々が、動物学のことをよく知っていて、はっとするようなことを述べているのを、しばしば耳目にする。

けれどこれは、べつに学際的とか境界領域とかいう問題ではなくて、じつに当然のことなのだろうと思う。


そう思うわけはすくなくとも三つある。

一つは、ぼくら人間がやはり動物の一種であって、その枠内で生きているのに、近代はそのことを故意に無視しようとしてきた。

その結果われわれの中に、何かそこはかとない不安や不信がかもしだされてきたということ。


第二は、いわゆる科学と芸術、科学と宗教、論理と感性などという二分法が、じつはほとんど意味をもたないのではないかという疑いの感覚が、多くの人々の心の中に芽生え、根着いてきたこと。

そして第三に、何らかの形の創造的活動には、分野を問わず共通したものがあるはずだということである。


日高先生、相変わらず深くて素敵でございます。


この本、調べても対談相手一覧がなかったので


今回引かせていただいた方含め以下でございます。


▼対談相手

山下洋輔(ジャズ・ピアニスト)

安野光雅(画家・絵本作家)

岸本重陳(大学教授・理論経済学)

矢川澄子(詩人)

長谷川尭(大学教授・建築史)

松田道雄(小児科医・評論家)

観世寿夫(能役者)

中根千枝(大学教授・社会人類学)

羽田澄子(記録映画監督)

坂本正治(音楽家)

赤塚不二夫(漫画家)

南沙織(歌手)


寒くなってまいりました11月の


関東地方、こたつからお届けいたしまして


夜勤明け、本日は休みなので


子供の絵が近くの公園で展示されている


ようなので妻と暖かくして出掛けよう。


 


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