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中村桂子先生の書評本から”アート”を考察 [’23年以前の”新旧の価値観”]

生命の灯となる49冊の本


生命の灯となる49冊の本

  • 作者: 中村桂子
  • 出版社/メーカー: 青土社
  • 発売日: 2017/12/20
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

あとがき から抜粋

新聞というメディアの持つ特質上、年齢・性別・職業などの別なく、幅広い方が関心をお持ちになりそうな本を選ぶように努めています。

でも、どうしても「私の関心」が基本になりますのでちょっと面倒なものもあるのはお許しいただきたいと思います。

「まえがき」にも書きましたように「生命誌」という新しい知を求め、「人間は生きもの」であるというあたりまえのことを基本とする生き方を考えていきたいのですが、その底には科学があります

「科学」はどうしても面倒な話になり、そのために専門外の方には敬遠されがちです。

でもその面倒があるからこそ本質がストンとわかるということも少なくありません。

科学がそういうものとして受け入れられるようになって欲しいと思っています。

書評という形でそのような可能性が広がらないだろうか。

そんな思いを込めて書いています。


あまり馴染みのない本ばかり


取り上げられているため興味は尽きない。


というか中村先生が取り上げる本であれば


学術書でない限り読んでみたいと


思わせていただける書評本です。


カント、宮沢賢治、鴨長明の書評も深くて流石だし


ネガティブ・ケイパビリティ」というのも、


着眼点がすごいなあと単純に思ったが


ことのほか、一冊だけ特に目に留まった。


自分の得意分野だからというわけでもないけれど。


岩田誠


ホモ ピクトル ムジカーリス


アートの進化史


神経内科医である著者は「アートとはなにか」という問いへの答えを、脳機能を基盤とする神経心理学に求めていたが、退職して孫の言葉と描画の発達を観察し、進化史で考えるようになった。

専門と日常を一体化して謎を解く科学者の有り様として興味深い。


著者は孫たち、また自身の子どもの頃の両親による記録から言語獲得過程を個人の発達の中で追う。


指示コミュニケーション能力の獲得は、アート、つまり表現へとつながっていく。

近年ゾウのお絵描きが話題だが、訓練や報酬なしで描画を楽しむのは霊長類からである。

ただそれはなぐりがきを越えない。

一方人間は、なぐりがきから始まって閉じた円などを描くようになり、2歳半ごろには自分の顔だとか風船だなどと説明するようになる。

また3歳半ごろには、複数の対象を描き、「…しているところ」という「コト」を表現するようになる。

6歳くらいになると自己中心座標だけでなく、公園全体を描くなど環境中心座標での空間表現も生まれ、これは言語獲得と並行している。

幼児に言語を教えられず絵を描けなかった少女が、言語能力と共に描く能力も得たという。


古代の洞窟画の大半がリアルな大型動物であるのは、狩りの成功への祈りというよりその場の占有権を主張する勇気の証であり、群をつくって生きる有効手段だったと著者は考える。

一方、ヴィーナス像など小さなアートには「美」の追求が見られ、美の概念を持つホモ・ピクトルを実感させる。


ついでホモ・ムジカーリスである。

近年、ネアンデルタール人も歌を持っていたと考えられ、絵画洞窟の絵の描かれている場所は音響効果が良いという調査がある

ここで歌や演奏がなされていた可能性が高い

協同での狩りにはリズム合わせが大事ということも明らかになっており、音楽や絵画は「社会的行動」と共にあるのだろう。


アートのありようは時代と共に変化してきたが、今も生活の一部としてある。

人間は自身と世界との関係を「我」と「それ」の関係として知る科学をもつ。

そして「我」と「汝(なんじ)」との関係の表現がアートであり、この二つは共に人間の本質と言ってよい。

これが著者の答えである。


アートを科学的に解き明かそうとされる


人間の本質で「我」と「汝」で


それが大いに関わるという点も興味深いのだけど


この書を書かせた岩田誠先生の


”きっかけ”が気になったので調べたら


Kindle unlimitedにあったので読んでみた。



ホモ ピクトル ムジカーリス

ホモ ピクトル ムジカーリス

  • 作者: 岩田誠
  • 出版社/メーカー: 中山書店
  • 発売日: 2020/12/16
  • メディア: Kindle版


はじめに から抜粋


もしアートが生存のためには必要のない行為なのだとするなら、ヒトはなぜそんな行為をわざわざ営もうとするのか。

それどころか、自分の生存の可能性が失われていくことが確実な極限的な環境下でも、ヒトは、語り、詠い、唄い、描き、奏で、踊り、演じようとする。

むしろ、そういう時にこそ、ヒトはアートといえるような行為を積極的に行おうとすることが少なくない。

他の生物では見られないこのような行為を行うヒトは、その点において生物界における極めて特異な存在なのである。


生物学的常識からは不可解な、このアートという営みは一体何なのか、ヒトは何故アートというような、一見生存には不要な営みを、かくも執拗に追い求めようとするのか、それらのことは、筆者にとって長年の大きな疑問であり、数十年にわたって、筆者はそれらの問題に対する答えを模索し続けてきた。


当初筆者は、自らの専門研究領域の一つである、脳機能を基盤にした神経心理学の研究を進めて行けば、その答えが見出せるのではないかという漠然とした想いの下で、これらの問題について考えてきたが、それが見当はずれであるということに気付かされるに至ったのは、筆者の孫たちの造形行動の発達過程を、直接観察する機会が得られたからである。


なるほど、学者さんというのは


そういう視点でアートを追求するのですなあ、


と少し納得。


アートの起源というか原初の情動というような


情景が喚起されてこれまた興味深いです。


深淵なる存在への感謝を捧げていたのか


絵画だけでなく音楽との関係なども。


トランス状態になることが気分を


高揚させたのかなあとか。


自分はアートの営みが何か、よりも


なぜ求めるかについては興味があって


ぼんやりとした答えが2つあり、


”つくられたもの”というのと


”でてしまったもの”というのでございまして、


ちと分かりにくいので補足すると


前者が”意識”から、後者が”無意識”から


発想されるような気がするのだけど。


岩田先生のように”対象”ではないので


自分のいうのと次元が異なるのかもしれんけど。


岩田先生の書の凄い所は孫を調査対象としている


というのは分かるが、自分の親がつけてくれた


過去の自分の成長記録も照らし合わせての


分析ってことで、それは他には


なかなかないのではなかろうかと。


それこそ、意識(孫)・無意識(自分)みたいな。


中村先生の書評から脱線してしまったけれど、


書評って興味ある人のだと


ほぼ間違いなく面白い。


読書のありがたさを痛感させられる、


台風のような今朝方、大雨と風で家が


ガタピシ揺れて眠れなかったので


中村先生の講演動画を聞きながら過ごし


先生の”科学”愛の底知れぬ深さを感じ、


そういう一生を賭ける値打ちのある対象を


持っている人は文句なしに強いよなあ、


と思った木曜日でした。


 


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