日高敏隆先生の書から”無知の知”を考察 [’23年以前の”新旧の価値観”]
前にも記したけれど”教育”にはあまり
関心がないのだけれど、ならばなぜこれを
選んだのか、もう忘れておりますが日高先生だからなのだろう。
実は以前に投稿しておる次第でその続きでございます。
これはなかなか看過できないと思いまして。
講義とはなにか から抜粋
大学院に行ってからは、多少お金がまわるようになって、アルバイトをせっせとしなくてもすむようになりました。
だけど、学部卒業のときは大変だった。
たとえば植物学科の単位をとっていなければいけない。
そういうものは講義をまったく聞いていないのです。
だから、卒業するときになって、先生のところへ行って、「申し訳ないけれどもこういうわけで、じつは講義に全然出られなくてなにも聞いてないんですが、単位をください」
と言った。
そうしたら、「はい、いいよ」とくれました。
東大に竹脇潔先生という先生がいて、その先生はものすごくよく勉強していた。
新しい論文まで皆読んで、それを講義でしゃべってくれる。
「一般動物学」だったかな。
アメーバに始まるいろいろな動物のグループについて、これはなんとかで、だれだれがこういう研究をしたという話を全部しゃべってくれる。
すごい講義でした。
その先生の講義は一年生の前期で、まだ大学へ行っていたときだったから、ちゃんと講義に出席してノートをとった。
そして、大学院に入ってしばらくして、ホヤのことを研究しようと思ったんです。
ホヤという動物は脊椎動物にかなり近い。
脳下垂体のようなものもある。
それがわれわれの脳下垂体のようにホルモンを分泌しているのか、どういう臓器をコントロールしているのか、まったくわかっていなかったので、研究を始めたわけです。
そこで、文献を探していろいろな論文を読んで、その話を、「おもしろいですね。こういうことがあるんですね」と昼食会のときに、竹脇先生にしゃべった。
そうしたら先生は、「ほう、ほう」と聞いている。
途中でふっと、「もしかしたら先生が講義でしゃべっているかもしれない」と思って、ノートを引っぱりだして見たら、なんと全部書いてあった。
これには、びっくりしました。
だけど、要するに講義というのはそういうものだなあと思った。
ただ必死になってノートをとっている状態だと、聞いたことをまったく憶えていない。
だから、講義がいかに立派であっても、学生のほうはそれをすごい講義とは受け取らないし、なにも残らない。
しかし、自分で調べたときには、人にそれを話せるぐらいきちんと憶えている。
こうなった。だから、こうだ。
そういうことまで全部説明できる。
だから、受け身の講義というのはそこそこでしかないのだなということがよくわかりました。
今の講義のしかたも、それと関係があります。
非常に詳しくしゃべってたとしても、たぶん全部は受け止められないのだろうから、印象に残ることだけを言っておけばいい。
この人の本はこう書いてある。
この人はこう言っている。
そういうことを言っておけば、もし興味があれば自分で読むだろう。
そうしたらちゃんと憶える。
それでいいではないか。
もしぼくが非常な勉強家で、その先生のノートを家へ帰ってもう一度読み直したら、それは憶えたかもしれない。
しかし、それでも結局また忘れたのではないかな。
ぼくは時間もなかったし、あまり真面目に勉強をしなかったということが、逆を言うと、ものを考えさせてくれたのかもしれない。
だから、学生時代になにをどう勉強するかというのは、試験がよくできることだけが、勉強していることにはならない、ということはよくわかりました。
今で言うなら、ドヤリングしたつもりが
じつはその人から、またはWebで
見た情報そのままだった的な気まずさ
とでもいうか。
自分がさも発見したかのような、ってのは
かなり多く経験しているし
大瀧詠一師匠も仰っていた。
発見なんていってもすでに誰かの
剽窃だったりするわけで。
それより日高先生のすごさは
そこに気がつきつつ、さらにその先に
行くところで。
普通なら気まずいなあ、反省。で終わるところ
講義というのはそういうものなんだなあ、と
さらにその先に行くのが先生たる所以です。
余談だけど情報の全てを受け取るのは、
そもそも難易度が高いものと思うし
リアルであればなおさらと感じる。
テキスト情報だけであれば
そもそも多くを伝えること自体、
酷なことなのかもしれないとも思う。
リアルは言葉だけじゃなくて
その他多くの情報を含んでいるから、
っていう解釈にもなります。
これも大滝師匠が新春放談で言ってたような。
大滝師匠と日高先生は近いのかもしれない。
それにしても寒くなってきたここのところ
風邪が治ってきたと思ったら、夜勤で
基礎体力落ちて少しぶり返したと思ったら
また治ってきた感じのする祝日でした。