中村桂子先生の書から”恩師”に思いを馳せる [’23年以前の”新旧の価値観”]
わたしの今いるところ そしてこれから (生命誌年刊号vol.100-101/2019)
- 出版社/メーカー: 新曜社
- 発売日: 2020/11/15
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
「生命誌研究館」の名誉館長、中村桂子先生を
中心として発行されている『季刊生命誌』の
100号を記念して101号と合併のとてつもない書。
場所的になかなか行けないという
自分のようなものにとってこういう書や公式Webは
なかなかに有難い。
この書は「生命誌」という考えと共振される
先生方やスタッフの方たちの研究成果や思いなどが
詰まったもので経済至上主義とは無縁の良書。
どれも興味深いのですが特に目を引いたのが、
「生命誌が生んだ3つの表現」とあり
①1993年生命誌絵巻
②2003年新・生命誌絵巻
③2013年生命誌マンダラ
が26年間のあゆみの年表に添えられていた。
さらに中村先生の文章が圧巻でございました。
科学と日常の重ね描きを
ふつうのおんなの子のちから から抜粋
日常こそが学問を支えると考えてきました。
科学では対象を決め、知りたい現象を決めて考え、具体的な解明をしなければ研究になりません。
その過程で、自然や生きものや人間の持つ日常性を排除していきます。
研究ではそれをするしかないけれど、焦点をあてた外側を自分の中から捨ててはいけないと思うのです。
今の科学はそれを捨てさせます。
科学と日常を一人の人間の中で重ね描くことこそがとても大事だと考えています。
2018年に書いた本『「ふつうのおんなの子」のちから』はタイトルをみて、生命誌と関係ないと思われるかもしれませんが、「まさに生命誌」と思って取り組んだ仕事です。
読んでくださった方から「幸せってこういうことだ」と思ったいう声をいくつもいただき、「生命誌」はそれを願って始めたのだということに気づきました。
遺伝子でなくゲノムという総体を見よう、そうすることで機械論から生命論へと脱却しよう。
学問の世界としてはそうなのです。
でも、一人の生活者としての「生命誌」は、このまま進むと幸せから遠くなるのではないかしらという危惧から始まったのでした。
自分が本当に大事だと思うことを続けてこれたのは幸せです。
先日息子にもそれを言われました。
ただ、AIやゲノム編集などがもてはやされる今の社会に危機感を持っています。
AIは意味を理解しません。
意味こそ人間にとって最も大事なもののはずです。
「生きる」とはどういうことか。
人間とは何かを考えることがこれまで以上に大事になっている。
今改めて強く思うことです。
日常と学問の重ね描きをもう少し続けて幸せへの道を探していきます。
好きなものを追求し続けられるというのは
本当に稀有な事で望ましい状態だと思います。
自分も思うに若干その口なのかもしれないけれど
当然ながら先生ほどの知を持ち得てないので
次元の違う話であろうけれどもなどと思ってみた。
おわりに から抜粋
1970年に始まった生命科学は、あらゆる生物をDNAという共通の切り口で考えられる面白い分野でした。
ただ、その頃から科学研究はただ面白いと言っているだけではすまされない状況になってきたのです。
「科学と社会」「自然と人間」などという言葉で科学のありようを問われるようになりました。
社会に役立つという要求と、自然や人間に勝手に手を加えることへの疑問とが出されたのです。
今もその動きは続いています。
私はここにある「と」という両者を分ける言葉に引っかかりました。
すべてが一体化した、全体を感じる世界を考えたい。
当時はこの感覚を共有してくれる仲間はいませんでした。
1980年に、たまたま「人間」について徹底的に考える機会を与えられ、社会の中にある科学、自然の中の人間、芸術と共にある科学、など「と」のない知を創ろうと懸命に考えました。
そして生まれたのが「生命誌研究館」です。
もちろん頭の中だけで。
それ以降の事は本書のサイエンティスト・ライブラリーにある通りです。
すばらしい方たちの力で、頭の中だけの知が次々と現実になってきた26年間でした。
優れた仲間たちが更に本物にしていってくれることでしょう。
とても楽しみです。
もっとも気になることがないわけではありません。
社会はこの26年間に、生命誌が求める知や人間の生き方が存在しにくい方向へと動いています。
2020年初めからCOVIC19のパンデミック、海水温上昇で生じた線状降水帯による豪雨などの自然界の動きも人間の行動の影響を考えなければなりません。
政治、経済、教育、科学技術の一つ一つをここで検討はしませんが、近年、すべての質が落ちていること、つまりは人間の質が落ちているとしか言えない事は、多くの人が認める所でしょう。
生命誌は次の世代、またその次の世代と未来の人々が生き生き暮らす社会を思い描く知です。
これを生命誌の新しいテーマとして考えていきます。
コロナ禍や線状降水帯の豪雨のことにも触れられて
”生命誌”というのはどこまでも現実とリンクしている
研究対象であると同時に中村先生いつも言われるのが
「生活者としての人間」を感じさせていて深いです。
昨日NHKでゲノムの番組をやっていたけれど
今は更に研究が進んでいて、
躍進のおかげでDNAの再現性が高い研究が
進んでいるってのと、中国でデザインベビーが
作られたってのが、かなり気になった。
仕事しながらだったのできちんと
見れなかったのだけどその後どうなったのか?
良い方向に行くといいのだけれど、と懸念。
でもって本日家族でブックオフに行ったところ
偶然にも、中村先生の書があって購入
したのでございます。
壁の側は戦争で問題を解決しようとします。
卵は当然のことながら戦争は苦手です。
私は昭和11年1月1日生まれ、2・26事件の年です。
最近、戦争のことが気になって昭和の歴史を読み、まさに私が生まれた年から少しづつ怪しい雰囲気になっていったのだと実感しました。
戦争の体験は、小学生になってからの疎開や空襲ですが、実は生まれたてでフニャフニャしている間に、社会は不穏な方向に動いていたのでした。
そのときはどうにもできませんでしたが、大人になった今は、社会の動きをよく見て、今度こそおかしくならないようにしたいのです。
平時の経済戦争での過労死もいけません。
歴史に学び、今をどう生きるかを考えたときに、内からわき上がってきたのが「ふつうのおんなの子」、その切り口で考え続けます。
「ふつうのおんなの子」は女性だけでなく男性の中にもあると思っていますので、男性にもお仲間になっていただきたいと願います。
「おんなの子」を中心とした書物との
リレーションシップからなる中村先生の
書評本のような一風変わった本で、
先生ご指摘にように男性にもなかなか
読み応えのありそうですが、ちと初老の男として
不似合いなものなのかもしれませぬが。
余談だけれど、中村先生の誕生日は
1並びと書かれていて驚いた次第。
自分にはもう一人恩師と呼べるような人で
1月1日生まれの方がいまして
小学校の時の担任の男性で、
哲人ショーペンハウワーを愛読されていて
教師になる前、なぜか税務署に勤めてて
その職を辞めた理由が差し押さえのシールを
貼りに行くとその家族の子供が泣いてて、それに
耐えられず、って言ってたのを思い出しました事は
中村先生にまるで関係ありませんで、
いいたいだけの情報でした。
生まれ年までは11ではなかったのですが、
その先生の1980年初頭にしては差別のない
視座の高い言動と鑑みて「生命誌」とも
リンクしている先生だったなあと思った次第で
ございます。