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ダーウィン伝記(1993年) [’23年以前の”新旧の価値観”]




ジョサイアおじさん から抜粋


チャールズはもちろん、ビーグル号の招待のことを、おじさんのジョサイア・ウエッジウッドに話しました。

ジョサイアおじさんは嬉しいことに、お父さんとはぜんぜん違うことをいいました。

おじさんは、ビーグル号での旅はすばらしい機会だ、こんな機会は、両手でしっかりつかまえなければいけない、というのです。


艦長に会う から抜粋


ビーグル号にさそわれてから三日しないうちに、ダーウィンは大喜びで、その招待を受けることにしました。

9月5日には、ダーウィンはロンドンに来て、ビーグル号の艦長ロバート・フィッツロイの面接を受けました。

最初、フィッツロイはダーウィンが気に入りませんでした。

ダーウィンの鼻が小さくてあぐらをかいているから、というのです!

フィッツロイ自身の鼻は、高く、すっきりと貴族的で、チャールズ2世(イギリス王、在位1660~1685年)を先祖に持つ人物にふさわしい鼻でした。

艦長は、人の性格はその鼻にあらわれる、と考えていました。


けれどもダーウィンは、その熱心さと人柄のよさで、すぐに、艦長の気持ちを変えてしまいました。

これでもう、ダーウィンの出発をじゃまするものはなくなりました。


”怪物”の墓場 から抜粋


”怪物”の墓場というのは、プンタ・アルタと呼ばれる場所で。アルゼンチンのバイア・ブランカの町の近くにあります。

ダーウィンがとりだした最初の骨は、メガセリウムという巨大なナマケモノのような動物のものでした。

現在のナマケモノと同じく、木の葉を食べますが、食事をするために木にのぼる必要はありません。

腰を下ろして、首をのばすだけで、やすやすと木の葉が食べられるほど大きかったからです。


ダーウィンはすっかり興奮して、集めた大荷物をビーグル号へ運ばせ、乗組員のうんざりした顔をしりめに、デッキに積み上げました。

乗組員だちは怒ったりおもしろがったりしながら、「ビーグル号の哲学者」が、きれいに磨いてある船をめちゃくちゃにしてしまう、と文句をいいました。

「哲学者」のほうは、もうむちゅうで、えものの上にかがみこんでいました。

この化石動物たちと、現在生きている、その仲間らしい小さな生き物たちとは、いったいどうつながっているのだろう?

なぜ、そして、どんなふうに、この巨大な生き物たちは死に絶えたのだろう?


なぜ、この生き物たちは死に絶えるのだろう? から抜粋


熱心なキリスト教信者としてのダーウィンは、この問いの答えを知っていました。

大洪水です。

神が、罪深い世界を罰するために大洪水を起こしたのだと、聖書に書いてあります。


けれどもメガセリウムをはじめとする、この巨大な生き物たちは、それほど運が良くなかったのでしょう。


ダーウィンは、牧師になるはずだったのですから、他のだれにも負けないほど、聖書についてはよく知っていました。

けれども洪水説は、どこかおかしく思われました。

ほかにも、キリスト教の教えで。おかしなものがありました。

たとえば地質学者たちはそのころ、地球が、キリスト教の教える年代よりはるかに古くからあったと主張するようになっています。

聖職者たちは伝統的に、世界がはじまったのは、わずか数千年ばかり前のことだと教えてきました。

けれど科学者たちは、むしろ数百万年というほうが、真実に近いと主張しました。


とけた謎、そして猛勉強 から抜粋


ビーグル号は、太平洋、インド洋をぬけ、大西洋を北上して、1836年10月イギリスに戻りました。

ダーウィンは27歳になっていました。

そのときもう、自分の名前と仕事が人々に知られるようになっていたので、ダーウィンは驚きもし、喜びもしました。

ダーウィンが、注意深く荷づくりした標本といっしょにケンブリッジに送っていた報告は、ヘンズロウだけでなく、他の科学者たちも読んでいました。

その人たちは、帰ってきたダーウィンに会いたがり、偉大な地質学者チャールズ・ライエルは、ダーウィンを食事に招待しました。

名誉ある地質学会がダーウィンの入会を認め、ダーウィンはまもなく幹事になりました。

こういう仕事のほかに、ダーウィンは、自分の研究もしなければなりませんでした。

のちになってダーウィンは、帰国後の二年間が生涯でいちばんいそがしかった、と回想しています。


ダーウィン、反抗する から抜粋


シュールズベリーに住みながらこういう仕事をするのは、とても無理でした。

そこで1873年、ダーウィンは、ロンドンの中心のグレイト・モールバラ・ストリートに部屋を見つけました。

そうして、ロンドンならではの社交的な行事や、科学者としての日々を楽しみました。

けれどまもなく、ダーウィンは、自分は都会がきらいだということに気がつきました。

都会はうすぎたなく、いやなにおいがして、とじこめられたような気分になります。

そのうえ、ダーウィンはにげだすことができませんでした。

することがありすぎました。

こんなふうにして数ヶ月をすごしたあと、ダーウィンは、がまんをするのをやめました。

毎日の生活が、がさがさしていてほこりっぽく、グレート・モールバラ・ストリートそっくりになっていました。


ダーウィンはもっと良い案を思いつきました。

結婚するのです!


相手はダーウィンのいとこ、エマ・ウエッジウッドで、ジョサイアおじさんの末むすめでした。

ふたりは1839年1月29日に結婚しました。

ダーウィンの三十回目の誕生日の少し前でした。


偉大な計画のスタート から抜粋


ビーグル号の報告書を書くあいまに、ダーウィンは、動物の品種改良にとりくむ人たちや園芸家と会って話をしました。

科学者たちに質問の手紙を送り、論文をたくさん読みました。

結婚し、ダウン・ハウスに移ってからは、疲れを知らずに観察や実験を続けました。

飼育している何種類ものハトを観察し、ダウン村に自生するヒイラギの受粉を研究し、キャベツの変種をかけあわせて、その結果を分析しました。


「生存闘争」から抜粋


けれども、このころはすでに、ダーウィンは一つの理論をつくりあげ、それを確かめる段階にきていました。

発見したことをテストし、その結果を見て、またテストをくりかえします。

1838年、ダーウィンは偶然、大きな影響力を持つイギリスの経済学者トマス・マルサスの本を読みました。

『人口論』と題するこの本は、人類の暗い未来を描き出していました。

マルサスは、人類は何の制約もなしにほうっておいたら、人口は非常ないきおいで増える、25年ごとに倍になるだろう、と予測していました。

食糧はそれほどのいきおいで増産できませんから、人類は常に、飢える危険にさらされることになります。

人口増加をおさえるただ一つのものは、戦争、飢餓、病気などのわざわいでした。

だれかが生きるために、だれかが死にどなないとならないのです。

生きること自体が、たえまない戦いなのでした。


ーーチャールズ・ダーウィン『種の起源』より

たまたまわたしは、楽しみのためにマルサスの『人口論』を読んた。

私は動物や植物の習性を長期間観察してきたから、生存をめぐる戦いがあらゆるところでおこなわれているという事実を受け入れる準備がととのっていた。

そこで、このような状況のもとでは、有利な条件を持つ変種がより生き残りやすく、不利なものは絶滅するだろうということが、すぐにわかった。

こういうことが起きた結果として、新しい種が出来上がるだろう。


出版の日 から抜粋


チャールズ・ダーウィンの本は、正式な題を『自然選択、あるいは生存のための戦いにおいて有利な品種の保存による、種の起源』といい、1859年11月24日、ロンドンで出版されました。


おばあさんはサルだった?


主教はほほえみをうかべて、科学者をちらりと見ました。

科学者の方は、きっと目をすえて、主教を見返しました。

オックスフォードの大ホールがしずまりかえりました。


「おしゃべりサム」の敗北 から抜粋


「主教のおっしゃることが正しいと仮定してみましょう。わたしーーハクスリーーーは猿の子孫だと仮定しましょう。

それがどうだというのでしょう。わたしは、神からの贈り物を真実をぼかすために使うような男よりは、むしろサルを、先祖に持ちたいものです。」


ハチの巣をつつく から抜粋


たちまち、ハチの巣をつついたようなさわぎになりました。


そうして、これはまたどうしたことでしょう?

とびあがるようにして立った一人の男性が、人ごみの中で聖書を高く掲げ、なにかどなっています。

「ここに、すべての真実がある!ここにしかないのだ!」

それはロバート・フィッツロイドでした。

当時54歳のフィッツロイドは、副提督の地位にあり、熱狂的なキリスト教信者で、熱心な創造論者でもありました。

まるで過去からの亡霊のように、フィッツロイドは自説を主張します。

5年後、彼は自殺してしまいました。


ビーグル号元船長、最初の面談では


笑ってしまうエピソードだったのに


その後全く笑えない展開になるとは。


ダーウィンの論説の裏でのさまざまな人間関係や


キリスト教徒の関係性などを考慮すると


ダーウィンの心中やいかに。


その後、さらにダーウィンの説は進化していき、


1940年代頃に時は流れり。


さまざまな発見の統合 から抜粋


科学者たちは、この新しい説明を「進化論的統合」と呼びます。

この名はサー・ジュリアン・ハクスリーの本で有名になりました。

サー・ハクスリーは、ダーウィンの友人だったあのハクスリーの孫です。

「統合」というのは集めて一つにすることで、進化論的統合は、さまざまな分野での、多くの科学者たちの発見をもとに成り立っています。

その最初のものは、修道士グレゴール・メンデルの発見で、メンデルはダーウィンの著者を読んでいます。

彼が発見した遺伝の法則は、何年も無視され続けましたが、1900年になって再発見されました。

生物が自分の特徴を次の世代に伝えていく、その伝え方には決まった型があることを、メンデルは発見したのです。

たとえば、たけの高いマメとたけの低いマメをかけ合わせると、この雑種はぜんぶ、たけが高くなります。

けれども、この雑種のなかの二つをとってかけ合わせると、次に生えてくるマメの4分の1はたけが低くなるのです。

メンデルはなぜこうなるのかをあきらかにしました。

けれど、植物が次の世代に伝えているのは何なのか、たけの高さや低さを決めるのはどういうものなのか、ということはわかりませんでした。


その後、DNA、染色体、遺伝暗号、などが


解明されていって現代に至るということのようで。


今も進化を続けるダーウィンの論説。


この書籍にあるけれど、当時の


生物学者たちの方が、科学者・宗教家よりも


真実に近かったようで、それは今考えると


そうだろうって思うのだけど


進化の過程がわかってたってことなんだろうな。


それと解説にあったのが、ビーグル号が


出港したころのイギリスは産業革命の後押しもあって


勢いがあった、ってのも指摘されていた。


自分として興味深かったのは、ダーウィンが


結婚した相手の父親(おじさん)が


ビーグル号乗船を強く進めて、取り計らってくれた


ってところや


ダーウィン含めて、親戚一同


みんなキリスト教の信者だったってことで、


それは、論説を発表するのには


相当悩んだだろうということ。


それと、『種の起源』でははっきり人間の起源は


書いてなかったにもかかわらず


論争の的になってしまったこと。


(言わずもがな、だったんだろうけど)


その後『人間の由来』で


進化のヒエラルキーのレイヤーを


 ヒト


  L ネアンデルタール人


   L ホモ・エレクトゥス


    L ホモ・ハビリス


     L アウストラロピテクス


      L ラマピテクス


       L チンパンジー


と、はっきり書いたことなど。


いずれにせよ物議を醸す「時代」だったのだろう。


と思いを馳せつつ、ダーウィンさんの言葉って


なぜか考えさせられるような書きっぷりで


「時代」というだけではなく、


ミステリアスさ加減を煽るような


別文脈での解釈が発動するような気が


自分なんかはするのだけど。


今でいえば格差社会の影響による人口減少、


戦争、パンデミック、とか。


ーーチャールズ・ダーウィン

どのような生物でも、自然のままにおかれたものの数があまり急に増えないように、何らかの制限がつねにはたらいている。

食糧の供給量は平均すると、いつも一定である。

しかし、すべての動物が繁殖によって、非常ないきおいで増加する傾向がある…。

古くからの種の生き物が突然たいへんないきおいでふえるわけにはいかない。

なんらかの方法で制限されねばならない。


なんか意味深に読み取れる。


いや、気のせいだろう。


そうであってほしい寒い冬の休日でした。


 


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自分の読書術を考察(なのかこれ?) [’23年以前の”新旧の価値観”]


井上ひさしの読書眼鏡 (中公文庫)

井上ひさしの読書眼鏡 (中公文庫)

  • 作者: 井上 ひさし
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2015/10/23
  • メディア: 文庫


不眠症には辞書が効く から抜粋


その日に届いた書物を、書庫から仕事部屋に運んで、

「すぐ読む」

「そのうちに読む」

「いつか読む」

の三つの山に分ける。

読み終えた書物は、これもまた、

「机の近くに置く」

「後日のために書架に並べる」

「郷里の図書館、遅筆堂文庫に送る」

の三種に分ける。

これがわたしのもとへ届いた書物の、おおよその動きです。

なかには仕事部屋へ運ぶのさえもどかしくその場でページをめくってしまうものもあって、たとえば、大江健三郎さんの最新作、『取り替え子(チェンジリング)』がそうでした。

冒頭の五行に途方もない仕掛けが用意されていて、そのままその場に釘づけ。

その上、文章は質が高いのに、じつに柔らかで、一語一語がこちらの体に染み込んでくるような気配、しかも事件を伝える小説家の作業が次第に「祈り」そのものまでに高まって行き、やがて、これからの人間のための新しい信仰というテーマが行間から迸りはじめ、火の気のない書庫で心を熱くしながら3時間、立ったまま一気に読んでしまいました。


素晴らしい読書体験。


そして、それをいいあらわす言葉と文章。


自分も若い頃は10時間くらいぶっ続けで


読んだりしてた。(2、3冊だけだけど)


もう今は無理。


最長2時間が限度。最短5秒。


こういうのもだんだん短くなるので


寂しいかぎりです。


そういえば、だいぶ以前、大江さんに、

「不眠症をどのように克服なさっておいでか」

と質問したところ、このの希代の読書家からこんな答えが返ってきました。

「このところ一年がかりで大野普さんの『岩波古語辞典』を読みました。

この方法だとよく眠れますよ」

試してみて、その効果にびっくりしました。

なにしろ、辞典には物語も伏線もクライマックスもありませんから、いつでもやめることができます。

「このあと、この単語の『建蔽率』の運命はどうなるんだろう』

なんて考えなくても済みますから、すぐに眠りに落ちてしまう。

それ以来、この大江式就眠法で不眠症を退治しています。


事典(辞典)も良いだろうけど、


何よりも仕事で身体が疲れると眠れますよ。


なんか、これ、三島由紀夫先生が


「太宰治の悩みなんか、寒風摩擦で治る」


みたいな物言いで、嫌な感じに聞こえるかも


でも、そうではありませんから。


体験からですから。


って三島先生もそうだったかもしれないけど。


知識を磨く二冊の事典 から抜粋


年表で読む哲学・思想小辞典


日本史事典


の二冊を購入された井上ひさし先生。


その理由の文章が素敵でございます。


わたしは系統立てた勉強を、何一つ、してこなかった。

そのくせ、年をとるごとに、さまざまな知識を取り込んでしまう。

当然、アタマの中はつぎつぎに放り込まれる知識の切れっ端が山をなして、物置同然です。

知識を持っているだけでは、単なる物知り。

これらの知識をうまく組み合わせて、なにかもっとましな知恵を産み出したい。

そこで、この種の事典が必要になる。

まず、概説的説明で、アタマの中の知識をきちんと区分けして文脈をつくり、つぎに事典的説明で、区分けした知識の一つ一つを丁寧に磨き上げようというわけです。


世界の真実、この一冊に から抜粋


ごく稀に、

「この一冊の中に、この世のあらゆる苦しみと悲しみ、そして喜びが込められている、世界の真実のすべてがここにある」

と、深く感銘をうけ、思わず拝みたくなるような書物に出会うことがあります。

中村哲さんの『医者 井戸を掘る』は、まちがいなく、その稀な一冊でした。


最近、歳のせいか、


読書の仕方が変わってきて、


面白そう、面白い、だけではなく


副次的な影響とでもいうか、


ためになる、感動まで消化される、


読んだ時間が有効だったわあ、


後でもう一回読みたい、


忘れたくない、


家族に伝えたい、日常生活が豊かになる、


確実に安い買い物感、


読み飛ばして深く考えないで次!


なんてのも思う。


(そんな理屈っぽいものじゃないけど、


あえて書き出してみると、ってことで)


その視座でいうなれば、


井上ひさし先生のこの書物は


素敵な文章で心透きとおり、かつ、


紹介された本が読みたくなる


という感じだった。


「良いもの」に出会うと


腰が浮く感じとでもいうか


こうしてはいられないって


無意味に思うのだよね。


(意味じゃねー、とは養老先生や


チャップリンさんも似ていることを


おっしゃるけど)


余談だけど、今まで言ってきた


自分の読書メソッドを


どんでん返しのようにひっくり返すけど


晩年の小林秀雄先生、


若い頃、本を読むのは


仕事ってこともあったのだろうけど、


どうやっつけてやろうかと思いながら読んでたが


最近はただ読むだけのために読むから、


楽しいですよ講演のCDでおっしゃっていた。


その境地にはもう少し、


かかりそうだなと思わざるを得ない。


いや、至っているのか?


煩悩なのかな、こういうんも。


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②神は妄想である―宗教との決別:リチャード・ドーキンス著・垂水雄二訳(2007年) [’23年以前の”新旧の価値観”]


神は妄想である―宗教との決別

神は妄想である―宗教との決別

  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2007/05/25
  • メディア: 単行本

第6章 道徳の根源ーーなぜ私たちは善良なのか?


私たちの道徳感覚はダーウィン主義的な起源をもつか? から抜粋


私が支持している「まちがい」や「副産物」という考え方は、そんなふうにして働く。

私たちの祖先がヒヒのような小さくて安定した群れをつくって暮らしていた時代に、自然淘汰は性的衝動、飢餓衝動、よそもの嫌いの衝動などとならんで、脳に利他的な衝動をプログラムした。

知的なカップルは、ダーウィンを読み、性的衝動が形づくられた究極の理由を知ることができる。

彼らは女がピルを飲んでいれば妊娠しないことを知っている。

しかし彼らは、それを知ることによって自分たちの性欲が消滅するわけではないことにも気づいている。

性欲は性欲であり、個人の心理におけるその強さは、それを衝き動かす究極のダーウィン主義的な圧力とは独立したものである。

この強い衝動は、究極的な合理的根拠とは独立して存在するものなのだ。

私はここで、同じことが親切への

ーー利他行動や気前よさ、同情、憐れみといったものへのーー

衝動についても当てはまるのではないかと言おうとしているのである。

祖先の時代、私たちは利他行動を近縁者と潜在的なお返し屋にのみ向けるような暮らしをしていた。

だが、なぜその経験則もなくなってしまわないのか?

それが性欲とまったく同じようなものだからだ。

泣いている不幸な人(その人は血縁者ではなく、見返りを期待することもできない)を見たときに欲情を感じるのを抑えられないのと同じように、憐れみを感じるのを抑えられることができないのだ。

どちらもメカニズムの誤作動で、ダーウィン主義的には誤りである。

だが、悦ばしく、貴重な誤りである。


どうか早合点して、ダーウィン主義者による説明が同情や寛大さといった高貴な感情の意義を失わせたり、貶めたりするものだと思わないでほしい。

性欲についても同じことだ。

性欲は、言語文化というチャンネルを通じて発揮された場合、偉大な詩や演劇として姿を現す。

たとえば、ジョン・ダンの恋愛詩や『ロミオとジュリエット』である。

そしてもちろん、血縁および互恵性にもとづく同情のあらぬ方向への誤動作についても同じことが起こる。

債務者に対する慈悲は、文脈を無視して見たとき、他人の子供を養子にするのと同じように反ダーウィン主義的である。


 慈悲は強いられるような性質のものではない。

 それは慈雨のごとく天から、

 あまねく地上に降り注ぐもの。

 (『ヴェニスの商人』で、裁判官に扮したポージャがいう台詞)


性的な熱情(情欲)は、人間の野心や闘争の相当大きな部分の背後にある原動力であり、その発露の多くは人間のメカニズムの誤動作の結果である。

気前の良さや同情への熱情についても、もしそれが田舎暮らしをしていた祖先の生き方が誤動作を起こした結果であるとすれば、同じことが当てはまってはならない理由は存在しない。

祖先の時代に、自然淘汰が私たちの中にこれら二つの熱情を築きあげるには、脳に経験則をインストールするのが最善の方策であった。

そうした規則は現在でも私たちに影響を与えており、もともとの機能にとって不適切な効果をもたらす状況においてさえ、この仕組みは変わらない。


神がいなかったら、どうして善人でいられるのか? から抜粋


このように問われると、実に下劣に聞こえる質問である。

ある信仰を持った人間が私にこういう形で言ったとき(そして信仰心の篤い人間の多くがそうする)、直ちに私は、こう意義申し立てたくてたまらなくなった。

「あなたは本気で、自分が善人であろうとつとめる唯一の理由が神の賛同と褒美を得ること、あるいは非難や罰を避けることだとおっしゃるのですか?

そんなものは道徳ではなく、単なるご機嫌取りかゴマすりであり、空にある巨大な監視カメラを肩越しにうかがったり、あるいはあなたの頭のなかにあって、あなたのあらゆる動きを、あらゆる卑しい考えさえ監視している小さくて静かな盗聴器を気にしているだけのことじゃないですか」。

アインシュタインも言っているように、

「もし人々は、罰を恐れ、褒美を期待するというだけの理由で善人であるならば、私たちはまったくじつに惨めなものではないか」。

マイケル・シャーマーは『善悪の科学』において、これを論争(ディベート)ストッパーと呼んだ。

もしあなたが、神が不在であれば自分は「泥棒、強姦、殺人」を犯すだろうということに同意するのなら、あなたは自分が不道徳なことを暴露しているのであり、「それはいいことを聞いたから、私たちは、あなたのことは大きくよけて通らせていただく」。

反対に、もしあなたが、たとえ神の監視のもとになくとも自分は善人であり続けると認めるのであれば、私たちが善人であるためには神が必要だというあなたの主張は、致命的に突き崩されてしまったことになる。

私は思うのだが、非常に多くの信仰心のある人間が、自ら善人たらしめるように衝き動かしているのが宗教であると本気で考えているのではないか。

個人的な罪の意識を組織的に悪用しているような宗教に所属している場合、とりわけそうではないだろうか。


第8章 宗教のどこが悪いのか?なぜそんなに敵愾心(てきがいしん)を燃やすのか?


原理主義と科学の破壊 から抜粋


宗教上の原理主義者たちは、自分は聖典を読んだのだから自分の考えは正しいという考え方をする人たちで、何をもってしても自分たちの信仰が変わることがないと、あらかじめ知っている。

聖典の真理はいわば論理学でいう公理であって、推論の過程によって生み出される最終産物ではないのだ。

聖典こそ真理であり、もし証拠がそれと矛盾するように思えるなら、捨て去るべきはその証拠であって、聖典ではない。

それに対して、私が科学者として真実だと考えること(例えば進化)は、聖典を読んだからではなく、証拠について調査・研究をおこなった上で、真実だとみなしているのである。

彼らと私のやり方は、まったくと言っていいほど異質なものだ。

進化に関する本は、それが神によって書かれたから真実だと思われるわけではない。

互いに補強しあう圧倒的な量の証拠を提供する本だから、信用されるのである。

科学書がまちがっているときには、最後には誰かがそのまちがいを発見し、その後の書物によって訂正される。

しかしそういうことは、聖典に関しては明らかに起こり得ない。


哲学者たちは、とりわけ少しばかりの哲学的素養を持つアマチュアが、あるいは「文化相対主義」に感染した人々がいちばんよくそういうことを言ってくるのだが、この辺りでうんざりするようなデマ情報(レッドヘリング)を提起するかもしれない。

すなわち、科学者のそういう”証拠信仰”こそ、原理主義的な信仰と同じ類の事柄だと言い出すのだ。


アマチュア哲学の帽子をかぶってどんなことを公言しようとも、私たちは皆、自分の生活では証拠というものの有効性を信じている。


「真実」によってなにを意味するかということを何らかの抽象的な方法で定義するという話になれば、ひょっとしたら、科学者は原理主義者かもしれない。


私たちは、証拠が支持しているという理由で進化を信じるのであり、もし、それを反証するような新しい証拠が出されれば、一晩で放棄することになるだろう。

本物の原理主義者はそんなことを言ったりはしないものだ。


第9章 子供の虐待と、宗教からの逃走


文学的教養の一部としての宗教教育 から抜粋


私よりももっと世代の若い、ここ数十年に学校教育を受けた人々が一般に示す聖書についての無知には、この私でさえ、ちょっとばかりびっくりさせられる。

あるいはそれは、10年単位で区切った話ではないのかもしれない。

ロバート・ハインドの思慮深い著作『なぜ神は存続するのか』によれば、ずっと昔の1954年、米国の世論調査で以下のような結果が見られた。

カトリック教徒とプロテスタントの4分の3は、『旧約聖書』に出てくる預言者の名前を一人もあげることができなかった。

3分の2以上が、誰が山上の垂訓(さんじょうのすいくん)を説いたかを知らなかった。

相当な人数が、モーセがイエスの十二使徒の一人だと考えていた。

もう一度繰り返すが、これは米国、すなわち他のどの地域の先進国よりもずば抜けて宗教的な国での話である。


日本は今から500年前にキリスト教が入ってきても、


世界一、キリスト教が根付かない国だというのは


何かで読んだのだけど。


そういう国民の一人としては、上記のことを知らないのは


当然なのだけど、もしアメリカ人だったとしても


多分興味なくて知らない、となるのではないだろうかなあ、


なんて。


それで、神の御加護あれとか、最後の審判とか、


信じるのがマジョリティなのであれば


なんかおかしい、とドーキンスさん同様に


思うかもしれない。


だとすると、性質的に似ているからこの本も


看過できなかったのか、なんて。


第10章 大いに必要とされる断絶(ギャップ)? から抜粋


「本書は大いに必要とされる断絶(ギャップ)を埋めるもの」。

この洒落が面白いのは、私たちが同時に二つの正反対の意味を理解するからである。

ところで、私はこれが発明された名言だと思っていたのだが、驚いたことに、出版社が、まったくなにも知らず実際に使っていたことを発見した。

「ポスト構造主義運動に関する利用可能な文献の、大いに必要とされる断絶を埋める」本についての

参照してほしい。(今はPage not found…2023年1月14日現在)


宗教は大いに必要とされる断絶を埋めるのだろうか?


脳には、神によってつくられた満たされなるべき隙間(ギャップ)があるということがよく言われる。

つまり、私たちは神ーー架空の友、父、兄、懺悔を聴いてくれる人間、秘密を打ち明けられる人間ーーを求める心理学的欲求を持ち、神が実際に存在しようとしまうと、その欲求は満足させられなければならないというのだ。

しかし、神は私たちがほかの何かで満たしたほうがいいような隙間をふさぐ邪魔物であるということはないだろうか?

隙間を埋めるべきものは何だろう?

科学?芸術?人間の友情?

人道主義?死後のあの世の人生を信じずに、この世の人生を愛すること?

自然への愛、あるいは偉大な昆虫学者E・O・ウィルソンがバイオフィリアと呼んだものか?

いつのころからか、宗教は人間の生活において四つの主要な役割、すなわち説明、訓戒、慰め、霊感(インスピレーション)を満たすものと考えられてきた。

歴史的には、宗教は私たちが存在する理由や私たちのいる宇宙の性質に関する説明役たらんとしてきた。

この役割は、現在では完全に科学に取って代わられており、その点については第4章(ほとんど確実に神が存在しない理由)で扱った。


インスピレーション(霊感)から抜粋


これは趣味ないし個人的判断の問題であり、そのことは、私が採用しなければならない論議の方法が論理よりもむしろ修辞(レトリック)であるという、いささか不幸な影響をもたらす。

私は以前にもそれをしたことがあり、他にも大勢の人がしていて、ごく最近の例だけでも、『惑星へ』におけるカール・セーガン、『バイオフィリア』におけるE・O・ウィルソン、『魂の科学』におけるマイケル・シャーマー、そして『確約』におけるポール・カーツが含まれる。

私は『虹の解体』で、DNAの文字の組み合わせによって潜在的に生まれ落ちることができたはずの膨大な数の人間が実際には生まれないということを考えると、私たちが生きているということがどれほど幸運であるかを伝えようと試みた。


巨大ブルカ から抜粋


カール・セーガンが『人はなぜエセ科学に騙されるのか』を書いた動機を説明していて言いたかったのは、おそらくこういう側面であったかもしれない。

「科学を説明しないのは私には邪なことに思える。もしあなたが恋に落ちれば、世界について語りたいと思うだろう。本書は、私の生涯をかけた科学との恋愛を振り返った、個人的な発言である」。

複雑な生命が進化によって生まれたことは、実際には、物理法則に従う宇宙にそれが存在するというだけでも、大変に驚くべきことであるーーもっとも「驚く」という感情が、ほかならぬこの驚くべきプロセスそのものの産物である脳の中にしかないものである、ということを忘れてはいけないかもしれない。

これは、

「私たちがこの宇宙に存在するのは驚くべきことでもなんでもない」

という人間原理的な感覚にもつながることだ。それでも私は、このことが心底から驚くべき事実であると考える人間すべてを代表して自分が語っているのだと思いたい。


私たちが進化した限られた世界では、小さな物体の方が大きな物体よりも動いている可能性が大きく、大きい方は動く際の背景と見られる。世界が回転するにつれて、近くにあるために大きく見える物体

ーー山、樹木、建物、そして地面そのものーー

は、太陽や恒星のような天体との比較で、互いにまったく同調して、観察者とも同調して動く。

私たちの進化によって生じた脳は、前景にある山や樹木よりも、そうした天体の方が動いているという幻影を作りだすのである。

ここで、いま述べてた論点、つまり世界がなせいま見えているように見えるのか、そしてある事柄は直観的に把握しやすいのに、別の事柄は把握しにくいのはなぜか、といったことがあるのは、私たちの脳それ自体が進化によってつくられた器官だからだという点をさらに突っ込んでみたいと思う。

私たちの脳は、世界で私たちが生き残るのを手助けするために進化した搭載型コンピューターであり、その世界

ーー私はミドル世界という名を使うつもりであるーー

では、私たちの生存にかかわる物体は極端に小さいことも、極端に大きいこともない。

そこでは事物はじっと立っているか、光速に比べればゆっくりとした速度で動いているかである。

そしてそこでは、非常にありえなさそうなことは、起こりえないこととして処理しても問題はない。

私たちの精神的なブルカの窓が狭いのは、私たちの祖先が生き残るのを助ける上で、それをひろげる必要がなかったからなのである。


訳者あとがき から抜粋


本書は、ドーキンスの著作のなかでも、色んな意味できわめて過激なものとして受けとめられるだろう。

利己的遺伝子説も衝撃的ではあったが、基本的には生物学内部の話であり、学問的には現在の主流に属する考え方である。

しかし、テーマがこと宗教となれば、生物学者だけでなく、全人類を相手にすることになる。

大きな異論・反論が寄せられることは疑いない。

短いエッセイで宗教批判を何度かしてきてはいるが、今度はこの大著まるまる一冊あてて、宗教とは妄想だと断じているのだから、只事ではない。

進化論はその誕生の時から宗教と対立する要素をはらんでおり、信仰心の篤い生物学者をしばしば悩ませてきた。

論理の筋を通せば、創造論をはじめとして宗教的な教えと矛盾することは避けがたいからだ。

しかしたいていの生物学者は、真っ向から宗教を批判したりはしない。

グールドのように、科学と宗教の守備範囲をわけて、科学の領域に宗教が入り込んできたときには反撃するが、相手の陣地にまで攻め込まないというのが、「大人の」態度というものかもしれない。

しかし、ドーキンスはあえて立ち向かう。

同僚たちのあいだから、なんでそこまで宗教を敵視するのか、という声さえ聞こえてくる。

なのに、あえて立ち向かう。

いったいなにが、彼をここまで駆りたてるのだろう?

その答えの一つは、思想家ドーキンスの矜持(きょうじ)だろう。


ドーキンスの宗教批判は徹底したものであり、哲学的・科学的・聖書解釈的・社会的、その他あらゆる側面から、神を信じるべき根拠を潰していき、どこにも逃げ場を与えない。

科学と宗教は守備範囲が違うという主張も退ける。

こうしたやり方で、信仰心の篤い人々を無神論に転向させることなどできるわけではなく、むしろ進化論に好意的な信仰者を敵に回すだけの利敵行為だという批判があるのは、ドーキンスも承知のことだ。

それでもあえて本書を上梓したのは、神や宗教に対する疑念を秘かに抱いている人々に勇気を与えることの方が、より大切と考えるからであろう。


現状を打開する方策としてドーキンスが考えているのは、無神論者が声をあげることの他に、子供の宗教教育からの解放がある。

ほとんどの人間は幼いときに親の宗教の影響を受けて信仰を持つに至る。

本書第5章でドーキンスが指摘するように、子供の脳は、目上の人間の教えに教化されやすいという生得的な傾向を持つ。

すべての宗教煽動家_布教者はそのことをよく知っていて、できるだけ早くから宗教教育をしようとする。

イスラムの世界では、国家の教育体制の不備をついて、イスラム学校で幼い子供を集めて教育するということが各地で行われており、そこからはてしなく殉教者が送り出されている。

キリスト教世界でも同様で、米国では公教育を拒否して、宗教学校で学ぶことが認められており、そこでは進化論を信じない子供たちが育てられている(おそるべきことに米国国民の中で科学的な進化論を信じている人は、10%に満たない)。


イスラム教が世俗化しないかぎり、現代世界との軋轢の種はこれからも尽きないだろう。

現状で、イスラム教世俗化の見通しが暗いのは確かだが、希望がないわけではない。

それはイスラムの女性たちの意識の高揚である。

原理主義的な世界観は、いわば中世的な世界観であり、必然的に女性にとって抑圧的なものである。

現にイスラム教圏では女性の参政権はいわずもがな、基本的人権さえ認められていない国が少なくない。

この情報化の時代にイスラム圏の女性たちにも世界の趨勢が耳に入ってこないはずがない。

やがて来るべき女性の権利要求運動がイスラム教の世俗化の鍵を握ることになるかもしれない。


訳者のあとがきと併せて読むと


腑に落ちるところがありました。


こういう言説の言論人って、敵が多く


ときには脅迫とか命を狙われがちだと思い


世間では避けられてしまう傾向あると思うが


世の中を明るくすることもあるのではないか?


しかしそう思えない反対勢力もいて…


というような、問答を繰り返してしまう。


普段「神」「宗教」をあまり考えてないけど


この書籍というか、氏の態度というか、


に触れることで、ビビりながらも少し意識が


変わったとまでいかないかもしれんが


影響され変節しうる、


そしてそれはもしかしたら


寂しいことなのかもしれないと思った。


なぜなら「不思議」や「神秘」というものが


なくなってしまう事を意味しそうで。


でも、養老先生曰く


人間は真っ赤な嘘が欲しいものなのだ


というのもとても良くわかるしなあ。


仮にそれだったとして、


他者に害がなければ、良いんだろうなあと思った。


さらにそこから幸せが大きくなればいい。


なんだか幼稚園の詩みたいに


なってしまったな、これ。


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①神は妄想である―宗教との決別:リチャード・ドーキンス著・垂水雄二訳(2007年) [’23年以前の”新旧の価値観”]


神は妄想である―宗教との決別

神は妄想である―宗教との決別

  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2007/05/25
  • メディア: 単行本

タイトルからして、かなりきわどい。

大丈夫なのかと思いながら、読んでみた。


はじめに から抜粋


私の妻ララは子供の頃、通っていた学校が大嫌いで、できるものならやめたいと思っていた。

後年、二十代になったときに、彼女が両親にこの不幸な事実を打ち明けると、母親は仰天した。

「でもおまえ、どうして私たちのところへ言いにこなかったの」。

そのときのララの答えは、

「でも、そんなことできるとは知らなかったのよ」だった。

これが、今日ここで取り上げる主題である。

私は、そんなことができるとは知らなかった。


2006年の一月に、私は英国のテレビ(チャンネル4)で放映された、《諸悪の根元?》と題する二部構成のドキュメンタリー番組に出演した。

はじめから、このタイトルが気に入らなかった。

宗教は諸悪の根本ではない。

一つの事柄がすべての問題の原因ということはありえないからだ。

しかし私はチャンネル4が全国紙にうった広告がうれしかった。

それは大空を背景にしたマンハッタンの写真で、「想像(イマジン)してほしい、宗教のない世界を」というキャプションがついていた。

いったいどんなわけで、その写真が選ばれたのだろうか?

実はそこには、世界貿易センタービルのツインタワーがくっきりとそびえ立っていたのだ。


本書の構想は数年前から温めていた。

その間に、考えたことの一部は必然的に、例えばハーバード大学のタナー講義のような講演、新聞や雑誌の記事という形で発表されることになった。

とくに、私が連載コラムを持っている《フリー・インクワイアリー》の読者は、いくつかの文章を見たことがあると思うかもしれない。


今日では、本書のような著作は、これを核にして補完するような資料、反応、議論、質疑応答のためのウェブサイトがつくられるまでは、完成したことにならないーー将来に何が起こるかなんて誰にわかるというのだ。

私は、<理性と科学のためのリチャード・ドーキンス財団>のウェブサイト、https://richarddawkins.net/がその役割を果たしてくれることを期待しており、それに注ぎ込まれている芸術的手腕、プロ精神、そしてまったくのハードワークに対して、ジョシュ・ティモネンに深甚(しんじん)なる感謝を捧げる。


第二章 神がいるという仮説


多神教 から抜粋


本書に対する避け難い一つの反論について先手を打っておくのは、ここらあたりが最適だろう。

その反論というのは、ほうっておけばーー夜が明けたら朝が来るのと同じほど確実にーー書評に出てくるはずのものだ。

すなわち、

「ドーキンスが信じないという神のことなど、私だって信じていない。

私は、天空に住む長く白いヒゲをたくわえた老人など信じていない」。

この老人というのは、実はこの問題には関わりのないはぐらかしで、その長いヒゲ同様、あってもなくてもいいものだ。

実際のところ、このはぐらかしは無関係というよりむしろ悪質である。

こういった、見るからに馬鹿馬鹿しいものを引き合いに出すのは、その発言者の信じているものがそれよりも馬鹿馬鹿しくないとはちっとも言えないという事実をはぐらかそうと計算してのことなのだ。

私はあなたは雲に腰掛けている老人を信じていないことは知っている。

だから、その件でそれ以上時間を無駄にしないようにしよう。

私は神というものを、すべての神を、これまでどこでいつ発案された、あるいはこれから発案されるどんなものであれ、超自然的なものすべてを攻撃しているのである。


一神教 から抜粋


私はもっぱらキリスト教のことを念頭におくことにするが、それはキリスト教がたまたま私にとってもっとも馴染みのある宗教であるからというだけのことに過ぎない。

仏教や儒教のような他の宗教についてはいっさい気にしないつもりである。

実際には、そうしたものは宗教ではなく、むしろ倫理体系ないし人生哲学として扱うべきだという見方にも一理ある。


第五章 宗教の起源


時間・痛み・困窮というコストをともなうにもかかわらず、

普遍的に見られる過剰な宗教的儀礼は、進化心理学者にとって、

マンドリルの赤いお尻のように鮮やかに、宗教が適応的なものであることを示すものであるにちがいない。

マレク・コーン


ダーウィン主義の命ずるところ から抜粋


宗教の由来とすべての文化が宗教をもっている理由については、誰もがそれぞれのお気に入りの理論をもっている。

宗教は慰めと安らぎを与える。

それは集団の一体感を育む。

それは「私たちが存在する理由を知りたい」という切なる願いを満たしてくれる。

こういった類の説明は、たちどころに思いつくだろうが、私はそれに先立つ問い、やがて見るような理由によって優先されるべき一つの問いから始めたいと思う。

すなわち自然淘汰についてのダーウィン主義的な問いである。

人間がダーウィン流の進化の産物であることを知っているのであれば、自然淘汰の及ぼすいかなる圧力(それは一つとは限らない)が、そもそも宗教への衝動を進化させたのかを問うべきである。

真っ先にこれを問うべき理由は、経済についての標準的なダーウィン流の考え方による。

宗教はきわめて浪費的なもので、非常な無駄遣いである。

そしてダーウィン流の淘汰はふつう、浪費を狙い撃ちにして、消滅させる。

自然はしみったれた会計係で、一銭でも出し惜しみ、時間ばかり気にし、ほんのわずかな浪費にも罰を与える。

ダーウィンが説明するように、容赦なく、止むことなく、

「自然淘汰は、日々、時々刻々、世界中のあらゆる変異、どんな些細な変異にも目を光らせている。

悪いものは排除し、いいものはすべて保存し、累積していく。

いつでもどこでも機会さえ与えられれば、それぞれの生き物の改善のために、黙々と、気づかれることもなく働いているのだ」。

もし野生の動物が何かの役に立たない活動を習慣的におこなっていれば、自然淘汰は、その時間とエネルギーを生存と繁殖に捧げるライヴァル個体を支援するだろう。

自然には、勝手気ままな洒落遊びを許す余裕などない。

たとえつねにそのように見えないにしても、非情な功利主義が勝利を収めるのだ。


第六章 道徳の起源ーーなぜ私たちは善良なのか?


私たちの道徳感覚はダーウィン主義的な起源をもつか? から抜粋


ロバート・ハインドの『なぜ善は善なのか?』、マイケル・シャーマーの『善悪の科学』、ロバート・バックマンの『私たちは神なしで善良でいられるか?』、および、マーク・ハウザーの『道徳精神』といった数冊の本は、私たちが持つ正邪の感覚は、ダーウィン主義的な人類の過去に由来するものであった可能性があると主張している。


一見したところ、進化は自然淘汰によって推進されるというダーウィン主義の考え方は、私たちがもっている善良さ、あるいは道徳心・礼節・共感・憐れみといった感情を説明するのには適していないように思える。

空腹感・恐怖・性欲についてなら、自然淘汰でたやすく説明できる。

すべて、私たちの遺伝子の生き残りないし存続に直接貢献するからである。

しかし、泣いている孤児、孤独に絶望した年老いた寡婦、あるいは苦痛に苦痛にすすり泣く動物を見たときに私たちが感じる、胸が苦しむような思いやりの気持ちについてはどうだろうか?

地球の反対側にいる津波の犠牲者たちに対して、けっして出会うこともなく、その好意に対する見返りがまず期待できない相手に、お金や衣類などの匿名の寄付を送らなければならないという強い衝動が、私たちに何を一体もたらすというのだ?

私たちの中の善きサマリア人(びと)はどこから来たのか?

善良さは、「利己的な遺伝子」説とは両立し得ないのではないのか?

いやちがう。

これはこの理論についてよく見られる誤解ーーしかも救い難い(そして、あと知恵で考えれば予測できた)ーーである。(※)


※=『利己的な遺伝子』が悪名高いエンロン社の最高経営責任者の愛読書であり、この本が彼の社会ダーウィン主義的な人格を形成するインスピレーション源となったという記事を読んで私は打ちのめされた。

私は『利己的な遺伝子』30周年記念版の序文で、同じような誤解を未然に防ぐように試みた。


怖いほどの筆致で、数学、いや足し算の如く


1+1、って2でしょ、


みたいな論説で進めていくドーキンスさんのこの書籍は


ご自分の学者生活を縮めたりしないのだろうか、


と余計な心配をしてしまう。


フランスでは、


2015年に宗教を揶揄した記事から殺人事件にまで


発展しているのに、とか。


イスラム教とキリスト教だと異なるのだろうけれど。


それ以上に、言いたいことがあったという姿勢は


ダーウィンさんに似ているような気もするのだけど。


「神」「宗教」のみならず、「超自然的」なものを


斬るという姿勢は尋常ならざるものを感じるけど。


近影は穏やかな紳士のようでギャップがあるのだよなあ。


眼光は鋭敏なものを感じるが。


なぜにここまで、宗教を論破されるのだろうかと


訝しく思うのは、悲しいかな、凡人である自分には


わからない範疇なのかもしれないけど。


一回ではまとめられず、次回に続きます。


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LIFE SPAN(2020年)と養老先生たちの2冊の見解から [’23年以前の”新旧の価値観”]



LIFESPAN(ライフスパン)―老いなき世界

LIFESPAN(ライフスパン)―老いなき世界

  • 出版社/メーカー: 東洋経済新報社
  • 発売日: 2020/09/01
  • メディア: Kindle版


原題の副題が


 Why We Age-and

 Why We Don’t Have To


翻訳すると


 なぜ私たちは老化し、

 なぜ老化する必要がないのか


なので邦題の「老いなき世界」はちと違うのでは。


不死身になれるわけではないのだし。


正確性よりも浸透性の方を


優先されるのは世の常でございます。


ということで本書の内容と関連してなくて、


どもすみません!言いたいだけでした。


まえがきの前から抜粋


可能性に溢れた場として世界を見ることを教えてくれた

祖母のヴェラへ

 

自分を二の次にして子どもたちのことを考えてくれた

母のダイアナへ

 

私の拠り所である

妻のサンドラへ

 

そして私の孫の孫たちへ

君たちに会うのを楽しみにしているよ


孫たちに「おばあちゃん」とは呼ばせなかった祖母のヴェラさん。


「ばあば」とか親しみを込めた呼びかけも気に入らなかったという。


はじめにーーいつまでも若々しくありたいという願い


「いい人生」を教えてくれた祖母の晩年 から抜粋


もちろん、いい子どもも年をとり、いつまでもそんなことばかりかまけてはいられなくなる。

そして大人は、彼らが学校に行き、やがて働き始め、パートナーを見つけ、貯蓄をし、家を買ってもらいたいと願う。

なぜなら、時間は刻々と過ぎていくからだ。

だが、そんなふうにしなくてもいいのだと、初めて教えてくれた大人が私の祖母だった。

言葉で説いたというより、身をもって示したというべきかもしれない。

祖母はハンガリーにうまれて育ち、夏は自由気ままに過ごした。

バラトン湖の冷たい水で泳ぎ、役者や画家、詩人などが集う湖北岸の保養地に滞在して山々をハイキングした。

冬にはブダ丘陵でホテルの仕事を手伝っていたが、やがてそこはナチスに接収され、親衛隊の中央司令部へと姿を変えられた。


ヴェラは「運転っていうのはこうやるのよ」といって、車線を全部またいでジグザグに走らせたり、カーラジオから流れる音楽に合わせて車にダンスを踊らせたりしてみせた。

若さを楽しみなさい、若いという感覚を味わい尽くしなさい。

それが祖母の口癖である。

大人って奴らは、物事を台無しにする。

大きくなるんじゃないよ。

絶対に大人になんかなるんじゃない。

六十代をすぎて70歳をゆうに超えても、ヴェラはいわゆる「気持ちの若い」女性だった。

友人や家族とワインを楽しみ、美味しいものに舌鼓を打ち、面白い話を語って聞かせ、貧しい人や病気の人、恵まれない人を助け、オーケストラを指揮する真似をし、夜遅くまで大きな声で笑う。

誰の目にも「いい人生」の典型であるように映った。

しかし、そう、時間は刻々と過ぎつつあったのである。

八十代半ばのヴェラはもはや抜け殻のようになり、人生最後の10年間は見るもつらいものだった。


第一部 私たちは何を知っているのか(過去)


第一章 老化の唯一の原因ーー原初のサバイバル回路


生命の誕生 から抜粋


地球と同じくらいの大きさの惑星を想像してほしい。

その惑星と恒星との距離は、地球から太陽までの距離はほぼ等しい。

自転のスピードは地球よりわずかに速く、1日はおよそ20時間である。


比較的大きな島に熱水噴出孔が点在していて、その脇に水が溜まっていた。

地表はどこもかしこも有機分子に覆われている。

これは、隕石や彗星に付着して降ってきたものだ。

乾いた火山岩の上に載っているだけなら、分子は分子のままである。

しかし、温かい水に溶けたあと、水溜まりの縁で濡れたり乾いたりを繰り返すうち、特殊な化学反応が起きた、

核酸が生じ、その濃度が高まり、分子同士がつながっていく。

ちょうど、海辺の潮溜まりで水が蒸発すると、塩の結晶ができるのに似ている。

これが世界初のRNA(リボ核酸)分子だ。

のちにDNA(デオキシリボ核酸)へとつながる物質である。

池に再び水が満ちたとき、この原始の遺伝物質は脂肪酸に閉じ込められ、微小な石鹸の泡のようなものができた。

細胞膜の誕生である。


極めて小さく、壊れやすい生命は、日に日に進化して複雑な形態をとるようになる。

そしてしだいに川や湖へと広がっていった。

そのとき新たな脅威が訪れる。

乾季がいつもより長引いたのだ。

それまでも、泡の膜に覆われた湖の水位は寒気になれば大幅に下がっていた。

しかし、雨が戻って来れば必ず元通りに水が満ちた。

ところがこの年、はるか彼方で異様に激しい火山活動が起きた影響で、毎年同じ季節に降っていた雨が落ちてこない。

雲はただ通り過ぎていき、湖は完全に干上がる。


大量の細胞の塊は最低限の栄養と水分を求めて争い、どうにか命をつなごうとする。

それでも、死滅への道をたどりつつあった。

増えたいという根源的な欲求に応えるべく、個々の生命は奮闘する。

やがて一風変わった生命が現れた。

仮にそれを「マグナ・スペルステス(Magna supertes)」と呼ぶとしよう。ラテン語で「偉大なる生き残り」の意味だ。


生殖か、修復かーー厳しい環境を生き残るための仕組み から抜粋


アダムとイブがそうであるようにマグナ・スペルステスも実在したかどうかはわからない。

だが、過去25年に及ぶ私の研究を踏まえるなら、今日私たちの周りにいるすべての生物がこの「偉大なる生き残り」から、または少なくともそれとよく似た原始生物から生まれたと考えてよさそうだ。

生物の遺伝子には、いわば原初のサイバイバル回路の基本形を(多少の差異はあるにせよ)今なお抱えもっていることがわかる。

どの植物も、どの真菌も、どの動物も。

もちろん、人間も、だ。


この回路はじつに単純にして、じつに堅牢な仕組みである。

おかげで、生命が地球上に存在し続けられるようになっただけでなく、回路を親から子へと伝えることができた。

その過程で変異を繰り返し、着実に改善されながら、宇宙から何がもたらされようと生命を助けて何十億年も存続させてきた。

その一方で、ともすると個々の生物が必要をはるかに超えて長く生きることにもつながった。


人体とは完璧とはほど遠く、今も進化の途上にある。

しかし、高度なサバイバル回路が備わっているために、生殖年齢を過ぎてからも何十年と生きられる。

なぜヒトが長い寿命を獲得したのかは、なんとも興味深い謎だ(祖父母として部族の教育を担う必要があったからというのが一つの心惹かれる仮説である)。

だが、分子レベルの化学反応がじつに無秩序であるのを思えば、命を落とさずに30秒間いられるだけでも不思議というほかない。

ましてや生殖年齢まで生きながらえるのも、80歳に達する人が大勢いるというのも、信じがたいことである。

なのに私たちは現にそうしている、

驚くべきことに。

まるで奇跡のように。

それは、果てしなく長い「偉大なる生き残り」の系譜に私たちも連なっているからだ。

だから私たちは生き残ることが大得意なのである。

だが、それには代償が伴う。

というのは、一番遠い祖先に生じた一連の遺伝子変異を、つまり原初のサバイバル回路を受け継いでいることこそが、私たちの年を取る原因でもあるからだ。

そう、敢えて「こそ」といったのにはわけがある。

それが唯一の原因だからである。


第二部 私たちは何を学びつつあるのか(現在)


第六章 若く健康な未来への躍進


山中伸弥が突き止めた老化のリセット・スイッチ から抜粋


2006年、日本の幹細胞研究者である山中伸弥は、世界に向けて重大な発表を行なった。

遺伝子の組み合わせをいくつも試した結果、4つの遺伝子(Oct4、Sox2、Kjf4、c-Myc)が成熟細胞を「人工多能性幹細胞(iPS細胞)」に変えることを発見したというのである。

iPS細胞は未成熟な細胞であり、誘導すればどんな種類の細胞にも変身できる。

4つの遺伝子から作られるのは、転写因子という種類の強力なタンパク質だ。

4つの転写因子は、それぞれが別の遺伝子群を制御しており、その遺伝子群は、胚の発生時にウォディントンの「地形」の中で細胞をあちこちに動かす働きをしている。

4つの遺伝子は、チンパンジー、サル、イヌ、ウシ、マウス、ラット、ニワトリ、魚、カエルなど、ほとんどの多細胞生物で存在が確認されている。

要するに山中は、細胞を若返らせることが培養皿の中でできるのを示したわけだ。

この発見により、山中はジョン・ガードンと共に2012年のノーベル生理学・医学賞を受賞した。

今では、この4つの遺伝子は「山中因子」と呼ばれている。


第三部 私たちはどこへいくのか(未来)


第九章 私たちが築くべき未来


科学者による未来予想 から抜粋


私は現在50歳の科学者だ。

輝かしい経歴の持ち主と呼ぶ人もいるかもしれない。

少なくとも、教え子たちには絶対に私を研究室から締め出したいはずだ。

だとすれば、自分の予言に自信があるとはいえないものの、未来を予想してもいいだけの資格は十分にもっているように思う。

私はときどきアメリカ連邦議会の議員などから、これからの科学技術について質問を受けることがある。

どのような飛躍的進展があるか、それはどのように活用ないし悪用されるおそれがあるか。

数年前には、未来における生命科学の進歩のうち、国家の安全保障に関係するもの上位5つについて意見を述べた。

内容は教えられないが、あの場にいたほとんどの人はサイエンスフィクションだと思ったに違いない。

おそらく2030年を待たずに実現するだろうとそのときは説明したが、半年と経たずに5つのうちの2つが科学的事実(サイエンスファクト)となった。


125歳のハードルを超える人がいつ現れるのか、具体的なところはわからない。

だが先駆けとなる人がつねにそうであるように、最初の一人は間違いなく例外的な存在だろう。

しかし、わずか数年で仲間が一人増える。

それからさらに数十人、数百人と続いていく。


22世紀のどこかの時点では、世界初の150歳が登場してもまったくおかしくはない(そんな馬鹿なといわれそうなので伝えておくが、今日アメリカで生まれる子どもの半数は、2120年の大晦日を祝うと考える研究者もいるのだ。例外どころではない。半数だ)。

そんなことが起こるわけがない問い思う人は、科学を知らない。

さもなければ信じたくないのだ。

どちらにしても、ほぼ確実に間違っている。

物事の進展が非常に速いので、生きているうちに自分の誤りを悟る人も少なくないのではないだろうか。


「私が実践していること」


と言う中で、いくつかご提示されているけれど、


ここではすべては引かず、一つだけ抜粋。


・健康寿命を延ばすうえで最適の範囲内にBMI(体重[キログラム]を身長[メートル]の二乗で割った数値)を保つことを目指している。

私の場合はそれが23~25である。


こちらで自動計算できるページございます。


余談だけど私の場合は、それが「20.08」だった。


大切な家族とずっと一緒にいるために から抜粋


長く生きても、周りに家族や友人がいなければ何の意味もない。


健康寿命のための方法があるとしても、どうせ大変すぎて守れないに決まっているーーそう思っている人が多い。

そんなことはない。

私の家族にだってできている。

みんな、一日を何とか乗り切ろうとしているだけのごく普通の人間だ。

ただ私は、今という時間をできるだけ意識しながら生活をするようにし、気分が良くなることに注意を向けている。


やりたいことがたくさんある。

助けたい人が大勢いる。

私はこれからも人類の背中を押して、私が信じる道へと進ませていきたい。

その道の先には、より一層の健康と幸福と、繁栄が待っている。

そしてその道を振り返ることができるほど、長く生きていきたい。


この書籍を知ったきっかけは、いつもで大変恐縮です。


養老先生だったのでした。


養老先生、病院へ行く

養老先生、病院へ行く

  • 出版社/メーカー: エクスナレッジ
  • 発売日: 2022/11/24
  • メディア: Kindle版


第二章 養老先生、東大病院に入院 中川恵一


養老先生が医療の考え方を変えた? から抜粋


今回、養老先生が大病を経験したことによって、先生の医療に対する考え方を変えたのではないかと私は思いました。

その理由の1つが白内障手術で入院していた8月に読んでいた『ライフスパン』という本の感想です。

出版社から送っていただいた発売される前の見本をいち早く読まれたようです。(発売は2020年9月発行)

この本の著者の一人、デビット・A・シンクレアは、ハーバード大学医学大学院の教授で、老化の原因と若返りの方法に関する研究で知られる世界的に有名な科学者です(起業家でもある)。


養老先生は、この本にずいぶん興味を持たれたようで、私に「中川君、老いは自然じゃなくて病気なんだよ」と言われたように記憶しています。


養老先生のお話や本によく出てくるのが「都市と自然」という概念です。

都市というのは人工物であり、人工物は脳が作り出したものです。

自然は変化しますが、人工物である都市は不変です。

夏でも冬でも同じ室温に調整された高層ビルの中に一日いると、季節の移ろいゆく自然を感じることができません。

都市は自然を排除しようとするのです。

人工物の象徴である都市を作り上げた大脳も、自然を避けようとします。

その最も忌避すべきものが「死」です。

死は自然であり、大脳も自然(身体)の一部であることを教えるからです。

この「大脳の身体性」こそが、現代社会の最大のタブーだと養老先生は言っています。

養老先生の考え方に従えば、死に近づいていく「老い」もまた自然です。

人間にとって死が避けられないように、老いもまた避けることができません。

これに対し『ライフスパン』では、老い(老化)は病気だと言っているのです。

老いや死が自然であると言っていた養老先生が、「老いは病気」だと言うのは、宗旨替えとも言える発言です。

それで私は驚いたのです。


中川さんも以下の池田清彦さん同じ感想のようなのだけど、


シンクレア氏はやや楽観すぎるとおっしゃる。


中川さんはそれでも、その一部は未来で


実現するだろうとされていた。


年寄りは本気だ: はみ出し日本論 (新潮選書)

年寄りは本気だ: はみ出し日本論 (新潮選書)

  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2022/07/27
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

第二章 お金と頭は使いよう


老化が病気なら治せばいいだろ から抜粋


■池田

ハーバード大学で老化を研究しているデビッド・シンクレア教授は、2020年に翻訳のでた『LIFE SPAN』という本の中で、はっきり「老化は病気だ」と主張しているでしょう。

僕はあの本を読んで、ちょっと楽観すぎると思ったけど。

 

■養老

あの本で、シンクレアがいっているのは「老化は病気だから、治療して若返らせることができる」ということだよね。

その治療も簡単な薬を飲むだけでよくて、実際にその実験をやっている。

それによって、人間の寿命はどこまで伸びるかわからないといっている。

まあ、いくら老化を防いで寿命を延ばしたって、いずれは死ぬよという話だけど。

でも、普通の医療はその「死ぬ」方ばかりを見て、「老化」そのものにはあまり焦点を合わせてこなかったという反省はあってもいいと思う。

研究の是非は別として、日本人の死因の上位を占めるがんや心臓、脳の疾患は、加齢とともに増える「老人病」だから、それを個別に予防したり、治療したりするより、老化そのものを止めてしまった方が、話が早いことは間違いない。


老化が本当に病気みたいに治せるなら、医療費は大幅に削減できるよ。

今の日本で、高齢者医療にかかっている費用はものすごいでしょう。

介護みたいな社会的負担も減るから、人材を経済活動に回すこともできる。

老いや死のような自然の流れを止める研究については、当然、反論もあると思う。

でも、日本の経済や社会の先行きを考えたら、これからはそういう技術も重要になっていくんじゃないか。

コロナだ、戦争だ、不景気だと暗い話題に右往左往するより、いっそ明るい未来を信じて、そういう分野にお金を回したらどうだろう


そういう流れになるといいし、


そういう流れにできるよう


動きたいし、考えたいと思った。


『LIFE SPAN』自体は深い良書だと思ったけれど


著者近影や生年の記述がないので、


ちと気になって調べたら


ハーバード大学教授ってことでTEDでの講演もあり


確認すると自分とそう年齢変わらなそうで


同年代という視点でも


今後の動向に興味があるなあ、と感じた。


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種の起原をもとめて―ウォーレスの「マレー諸島」探検:新妻昭夫著(2001年) [’23年以前の”新旧の価値観”]


種の起原をもとめて ウォーレスの「マレー諸島」探検

種の起原をもとめて ウォーレスの「マレー諸島」探検

  • 作者: 新妻昭夫
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
  • 発売日: 2013/03/15
  • メディア: ペーパーバック

初出は1997年、ちくま学芸文庫からのを読んでみた。


ちなみに、ユングやニーチェなど骨太な人たちの


解題物が多い、この文庫シリーズ


かなり自分的には気になったのは


どうでもいいです、すみません。


プロローグ から抜粋


ロンドンの名所、ウェストミンスター寺院。

内外の観光客にまぎれて入っていくと、正面に主祭壇が見える。

その右手奥には有名な詩人たちのコーナーがあり、シェークスピアなど著名な文学者の墓がある。

しかし私がウェストミンスター寺院を訪れた目的は、別のところにあった。

自然選択による進化論を展開した『種の起源』(1859年)の著者チャールズ・ダーウィン(1809~82年)の墓と、そしてもう一人、進化論前夜に彗星のごとくあらわれ、自然選択説にダーウィンと同時に、しかも独自に到達したアルフレッド・ウォーレス(1823~1913年)を記念する肖像レリーフを見るためである。


ダーウィンの質素な墓碑銘 から抜粋


主祭壇の前に立つと、左側の柱が地球儀をあしらったニュートン(1642~1727)の記念碑になっていた。

万有引力の法則のニュートンは、やはり科学者の中でも特別に偉大とみなされているらしい。


ダーウィンの墓は、その主祭壇の左の回廊の入口の手前にあった。

1882年4月26日、ダーウィンの葬儀の参列者のなかには、当時の学界の重鎮たちとともに、59歳のウォーレスもいた。

少し離れてダーウィンの墓を見ていると、観光客たちが床にはめこまれたダーウィンの墓碑をぞろぞろと踏みつけていく。

やがて日本人の一団が手前で立ち止まり、ガイドさんが説明を始めた。

「進化論のダーウィンをみなさんは知っていますね。けれど彼の奥さんが、後でみなさんが買い物に行くウェッジウッド、陶器のウェッジウッド家の娘だったとは知らなかったでしょう。ダーウィンの母親もウェッジウッド家の娘ですから、いとこ同士です。ダーウィン家とウェッジウッド家は親戚なんですね。人間もサルも、それからピーター・ラビットも、もとをたどればみんな同じ祖先から進化した親戚、といったかどうかはわかりませんが(笑い声)。」


ウォーレスの墓碑はダーウィンの隣にあったようだが、


ウォーレス夫人や家族はそれを反対、しかしその功績から


考慮すると隣り合った方が良いという


学界などからの判断でそうされているようだ。


政治的な力学が働いたような感じもするが。


その後、実際のウォーレス氏の墓にも参った筆者は、


地元のタクシーも知らなかったらしく墓自体も


故人の意志を感じられないような作りだったことに


疑問の念を禁じ得なかったという。


この後、ウォーレスさんの航海について話が展開。


アマゾンで病気になり急死に一生を得て船で戻ったという。


高熱で帰る途中、船が火事になり難破、苦労して集めた標本も焼失。


ほうほうの体で帰国しても、後年また行きたいと言っていたようで。


この、ものすごい熱量はなんなんだろうと思ったら、


同好の士がいたようで。


第1章 アマゾンからの敗退 


アマゾンへ!


この悲惨な帰路から4年半ほどさかのぼった1848年5月28日、ヘンリー・ウィルター・ベイツ(23歳)と共にアマゾンの加工に到着したウォーレス(25歳)は、どれほど気分が高揚していたことだろう。

ウィーレスは1週間のパリ旅行は経験していたが、長期にわたる外国旅行は初体験だった。

しかも今回はたんなる旅行ではなく、すくなくとも数年はアマゾン流域を探検し、博物学標本つまり昆虫や鳥の標本を収集するために故郷をあとにしたのである。

新天地での博物学探検は、どんな成果をもたらしてくれるだろう。


二人は1年ほど一緒に採取を続け、翌1849年6月から別行動をとることにした。


おそらく別々に行動した方が、いろいろな種類の標本をたくさん採集できると考えたのだろう。

標本採集は、二人にとって趣味や道楽ではなく生業であり、ビジネスを考えれば別行動はごく自然な判断だ。

ウォーレスとベイツは博物学者や探検家であるまえに、「標本採集業者」だったのである。


二人はイギリスでは中流下層階級の勤労青年であり、アマチュア博物学者として研究に没頭したくても、仕事に追われてなかなかそれができないでいた。

そんなときに見つけたのが、E・W・エドワースという米国人のかいた

『アマゾン遡行記』(1847年)に出会った。

そこには、熱帯の景観の美しさや雄大さ、人々の気立の良さとともに、

「生活費も交通費も非常に手ごろだ」

と書かれていた。

生活費が安ければ、標本を売って生活できるかもしれない。

大英博物館のチョウ担当者E・ダブルディ氏に助言をもとめてみると、

「全ての目(もく)の昆虫、それに陸貝、鳥、哺乳類を採集したなら、容易に費用をまかなえる事間違いなしと保証してくれた。」

つぎに東インド会社博物館のT・ホースフィールド博士を訪ねてみると、彼がジャワから大量のチョウの標本を送ったときの特別製の箱を見せてくれた。

また幸運なことに、サミュエル・スティーヴンスという優秀で信頼できる代理人と出会うことができた。

彼自身も英国産のチョウ類と甲虫類の熱狂的な収集家であり、その兄J・C・スティーヴンスはよく知られた博物学標本の競売人であった。


ウォーレスとベイツの二人が、虫マニアだったことは間違いないが、


同時にビジネスでもあったわけなのですね。


好きなことをやって仕事として認められるならば、そりゃ力も入るだろう。


でもアマゾンに何年も行く理由が分からなかったけど、この書籍でなんとなくわかった。


漫画家の水木しげるさんが、日本にいると元気ないけれど、


南方に行くと元気になるというのとなんか似ているなあ、と思った。


我が身にひいて、自分もロンドンに行った時、


街にはあまり興味がないけど、セントジョーンンズウッド駅にある


アビーロードスタジオには行きたくて仕方なかった。


市内ホテルに着いて早々、妻を催促して出かけたって経験があるのも、


そういうことなのかと思った。


あとがき から抜粋


私にとってウォーレス研究が余技から主要課題になったきっかけは、1988年夏に鶴見良行名誉隊長、村井吉敬隊長のもとにおこなわれたインドネシアの島々をめぐる航海に参加したことである。

その年の初めからウォーレスの主著『マレー諸島』(1933年)の翻訳に着手していたし、航海はマレー諸島の主要な島々をたずねることになっていた(この航海については鶴見良行『アラフラ海航海記』(1994年)に詳しい)。

ちょうどアザラシの研究に区切りがつき、後輩に調査と保護活動を引き継いだところだった。

この航海で、ウォーレスの足跡を訪ねるという自覚が明確なものとなった。

彼がおとずれた場所を再訪し、できるだけ彼と同じことをしてみた。

熱帯雨林をさまよい歩いてみたり、虫を追いかけてみたり、船酔いに苦しんでみたり、そして彼が書いた論文や報告あるいは手紙をそれが書かれた場所で読んでみるーーウォーレスの気分にひたろうといろんな努力をしてみた。

そんな私のようすを見ていた藤林泰氏は「ウォーレスごっこ」と絶妙なネーミングをしてくれた。

この航海で現場を歩きながら考えることの大切さを教えられ、その後も何度も「ウォーレスごっこ」を続けることになった。

ロンドンの図書室に足を運ぶことになったのも、ウォーレスの足跡をたどった結果である。

やがてウォーレスのやろうとしていたことが時間と空間の統一的把握だと理解できた時、自分も時間と空間を旅行していることに気がついた。

マレー諸島の小さな島々、ロンドン、そして東京という地理的に遠く隔たった場所に行き来しながら、今の時間を暮らしつつ、一世紀半も過去のことを追体験しようとしていた。

そう気づいてみれば、文献資料を読み解くという作業もフィールド・ワークの一種になってしまった。


8年にわたる研究で、間違いや取りこぼしも多く


失態も繰り返されるたものの、ある程度目鼻のたった


自分にとっての成果であると自負されつつも


こう締めくくられます。


ただし正直に告白しておけば、いまひとつの旅が終わり疲労もおぼえていながら、心ひそかに次の探検、つぎのフィード・ワークの場所を考えている。

アマゾンから急死に一生を得てロンドンに帰り着きながら、

「もうつぎの放浪の地はアンデスかなフィリピンかな、などと考えています」

というウォーレスの博物学馬鹿を、私には笑うことができない。


「映画カラオケ」という、メソッドというか、


知的な遊びがあるようで、


川本三郎さん、大瀧詠一さんらが


実施しておられた、今でいう聖地巡礼のような、


映画の撮影場所を探る、そして


監督・撮影スタッフになりかわり、


なぜその場所なのかを考える、


と、簡単にいうと、なのですが。


これに近いのではないか「ウォーレスごっこ」。


余談だけど、川本さん大瀧さんの掲載されてる


東京人」、アマゾンで高値になってて


この前神保町の古書店行ったら八千円だったよ。


買えませんよ。


誰か文字起こししておられないだろうか。


いや、もちろん全文とは言いませんから。


話戻って、解説の西村さんの言葉が、


この書籍に対する自分も同じことを感じたので


引かせていただき今回はお開きと


させていただきたく存じます。


解説 ウォーレス、もって瞑すべし 


西村三郎(京都大学名誉教授 地球生物学・博物学史)


それにしても、ウォーレスが世を去って80有余年、極東の日本で、その仕事と生涯に魅せられた一人の研究者によってこのように質が高く、かつ共感の念にあふれたおのれの評伝が書かれようとは、彼自身夢にも思っていなかったに違いない。

ウォーレス、もって瞑すべしであろう。


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大地の五億年・せめぎあう土と生き物たち: 藤井一至著(2015年) [’23年以前の”新旧の価値観”]


ヤマケイ文庫 大地の五億年 せめぎあう土と生き物たち

ヤマケイ文庫 大地の五億年 せめぎあう土と生き物たち

  • 作者: 藤井 一至
  • 出版社/メーカー: 山と溪谷社
  • 発売日: 2022/06/18
  • メディア: Kindle版

なんでこの書籍に辿り着いたのかは

もはや覚えてないのだけど、初出はゴッホの絵が


表紙になってて興味あったのかなあ程度でしたが


自然と生物の関わり、文化論から環境問題を考察され


面白く拝読。


まえがき から抜粋


子供のころから土に憧れ、土の研究者になった。

そんな人間を私はまだ知らない。

灼熱の熱帯雨林で、泥まみれになって土を掘り、30キロの土を担いで山を下る。

極北の大地でひとり、柱が立つほどの蚊に襲撃される。

白衣の化学者のイメージとはかけ離れたきつい現実に愕然とし。こんなはずではなかったと思うこともある。

それでも、スコップ片手に世界を飛び回るのは、土にはきつい労働を上回る魅力があるからだ。

土は、植物や昆虫の躍進、恐竜の消長、人類の繁栄に場所を貸すだけでなく、生き物たちと相互に影響し合いながら、5億年を通して変動してきた。

本書は土と生き物たちの歩みを追った5億年のドキュメンタリーである。


プロローグ 足元に広がる世界


酸性土壌と闘った宮沢賢治 から抜粋


酸性土壌と密接に関わる人物に、童話作家・宮沢賢治がいる。

本題に入る前に、ひとつ賢治の詩を紹介したい。

未発表の詩集『春と修羅』第二集の「林学生(りんがくせい)」の草稿には、

 

 あぢさゐいろの風だといふ

 雲もシャツも染まるといふ

 ここらの藪と火山塊との配列は

 そっくりどこかの大公園に使へるといふ

 絵に描くならば、却って藪に花

 (以下略)

 

とある。

「あぢさゐいろの風(あじさい色の風)」

は、後に

「ラクムス青(ブルー)の風」

に修正される。

ラクムスとはリトマス試験紙に含まれる色素成分だ。

澄み切った空の青から夕焼けのピンクまで色が変わる移ろいを、

「酸性」や「アルカリ性」に反応して色を変えるリトマス試験紙によって表現しようとしたのだろう。

では、なぜリトマス試験紙とアジサイの間で賢治は悩んだのだろうか?

ここには、「酸性」とアジサイ、そして賢治の結びつきがある。

アジサイの読み方の最後のaiには「藍」が隠されているように、日本人はアジサイと聞けば青色の花(ガク)を想像する。

ところが、ヨーロッパ地中海地方の人々は、ピンクの花を想像する。

これは人種が違うからではなく、土が違うためだ。

アジサイの花の色素成分(アントシアニン)はもともとピンクだが、この色素はアルミニウムイオンと反応し。青色を呈する。

日本に多い酸性土壌では、粘土が溶かされてアルミニウムイオンが多く溶け出す。

このアルミニウムイオンがガクまで運ばれてアジサイの花を青く染めている。

賢治は、リトマス試験紙のように「酸性」土壌に反応して色を変えるアジサイの花に、澄み切った空の青と夕焼けのピンクを重ねようとしたのだった。

(注:アジサイは酸性で青くなり、リトマス試験紙はアルカリ性で青くなる違いはある)

梅雨の時期にアジサイの花が見せる鮮やかな青色は、日本に酸性土壌が広く分布することを示している。

日本の農業はこの酸性土壌との戦いでもあった。

意外なことに賢治は、青いあじさいによって象徴される酸性土壌に強い問題意識を持ち、苦闘した先人の一人だ。

賢治といえば

『銀河鉄道の夜』『注文の多い料理店』

などの有名作品を多く世に出した童話作家として知られている。

しかし、生前の彼が作家として稼いだのは5円(1921年当時、今の1万円に相当)に過ぎなかった。

一方、土の博士として賢治が稼いだ給料は初任給80円(今の14万円に相当)にもなる。

お金の話はともかく、東方地方の酸性土壌の改良は彼のライフワークであった。


第4章 土の今とこれから:マーケットに揺れる土


温暖化のからくり から抜粋


土も気候に影響を与えることは、3.5億年前の泥炭蓄積が寒冷期を引き起こしたことが証明している。

現在、深さ1.5メートルの土には、大気中に存在する炭素量の2倍、植物体の3倍もの炭素が有機物として蓄積している。

温暖化によって、微生物の分解活動が刺激されれば、土に数千年も眠っていた有機物が分解され、大気中の二酸化炭素濃度をさらに上昇させるのではないか、と予測する研究者もいる。

温暖化予測には土を含めて多くの不確定要素が存在するが、二酸化炭素濃度の上昇が将来の気候変動のリスクを高めているのは間違いないだろう。

二酸化炭素濃度を高める要因こそ、化石燃料に依存した私たちの生活であり、文明である。

エネルギーの歴史をたとれば、古くは木材燃料、それが足りなくなると石炭が、イギリスの覇権を支えた。

アメリカで石油の発掘に成功すると、エネルギーの主役が石炭から石油へシフトするとともに、アメリカが覇権を奪う。

中東の石油産出地をめぐる主導権争い、シェールガス革命によるアメリカの復権、バイオ燃料と食糧需要の競合による穀物価格の高騰…エネルギーは世界を揺り動かしてきた。

変わらないのは、大消費者としての日本の立場である。

石油や石炭といった地下資源の乏しかった日本が、エネルギーを求めて東南アジア諸国へ展開したのが太平洋戦争であり、敗戦やオイルショックのなかで頼ったエネルギー安全保障の一手段が、原子力発電であった。

エネルギーを操ってきたはずのヒトは、エネルギーに翻弄されてきた。

東日本大震災に伴う福島原発事故は、エネルギーに対する私たちの姿勢を問いかけている。


土が照らす未来:適応と破滅の境界線


土壌という植物工場  から抜粋


便利さと環境問題を同時にもたらす、諸刃の剣とも言えるエネルギーと窒素肥料の効率的な利用を目指すなら、タダの太陽エネルギーと土の微生物の働きを最大限に活かせる、土壌という”植物工場”の価値を再評価してもいいはずだ。


明日に撒く種 から抜粋


人口増加、ハーバー・ボッシュ法の発明、人類はどんどん未知の局面に突入している。

生物進化のスピードでは、急速な変化に到底追いつかない。

人間が自ら引き起こした変化に対抗できるとすれば、やはり人間の知恵や技術しかない。

過酷な大地を生き抜いてきた生き物たち、問題土壌を克服してきた先人たちの知恵は、土とうまく付き合う未来を照らしている。

一方で、フン尿のように、価値を忘れ去られようとしているものもある。

当たり前に見えた無駄を減らし、古くて新しいヒントを発掘する必要がある。

夏目漱石が日記に記した言葉は、時代を超えた教訓となる。

 

 汝の現今に撒く種はやがて汝の収むべき未来となって現るべし

 

先人のまいた種を育てつつ、新しい種をまく。

それは国家や企業、農家まかせではなく、審査員でもある私たち消費者が食卓を見つめ直し、スーパーマーケットの商品の裏側をにらむことからはじまる。


ここには引かなかったけれど、進化とかダーウィンが


出てきて興味深かった。


他にも、江戸時代の排泄物が大根と


取引されるくらい貴重なもので


それも、大名のものは高く、牢獄されたものたちのは安価で


取引されていたとか。(食べ物の質の関係による)


そこから派生して自分が子供の頃、まだ家は


汲み取り式トイレだったことを思い出したり。


そして本書は最終的には土のみならず、環境問題に話は及び、


未来を照らそうとされる筆者の体験に基づく


哲学のようなものに集約されていく。


環境問題において筆者の言説全てを肯定は


できないかもしれないけれど、


「土」という視点があまり取り上げられないような気が


するのは自分だけだろうか。


それの与えうる影響とか推論が、もう少し世に浸透し


証明され、良き方向に行くと良いと感じた。


余談だけど、自分は家に猫の額程度の


庭があり色々改良中で自然を近くに感じ始めている


今日この頃だったのでした。


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