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大地の五億年・せめぎあう土と生き物たち: 藤井一至著(2015年) [’23年以前の”新旧の価値観”]


ヤマケイ文庫 大地の五億年 せめぎあう土と生き物たち

ヤマケイ文庫 大地の五億年 せめぎあう土と生き物たち

  • 作者: 藤井 一至
  • 出版社/メーカー: 山と溪谷社
  • 発売日: 2022/06/18
  • メディア: Kindle版

なんでこの書籍に辿り着いたのかは

もはや覚えてないのだけど、初出はゴッホの絵が


表紙になってて興味あったのかなあ程度でしたが


自然と生物の関わり、文化論から環境問題を考察され


面白く拝読。


まえがき から抜粋


子供のころから土に憧れ、土の研究者になった。

そんな人間を私はまだ知らない。

灼熱の熱帯雨林で、泥まみれになって土を掘り、30キロの土を担いで山を下る。

極北の大地でひとり、柱が立つほどの蚊に襲撃される。

白衣の化学者のイメージとはかけ離れたきつい現実に愕然とし。こんなはずではなかったと思うこともある。

それでも、スコップ片手に世界を飛び回るのは、土にはきつい労働を上回る魅力があるからだ。

土は、植物や昆虫の躍進、恐竜の消長、人類の繁栄に場所を貸すだけでなく、生き物たちと相互に影響し合いながら、5億年を通して変動してきた。

本書は土と生き物たちの歩みを追った5億年のドキュメンタリーである。


プロローグ 足元に広がる世界


酸性土壌と闘った宮沢賢治 から抜粋


酸性土壌と密接に関わる人物に、童話作家・宮沢賢治がいる。

本題に入る前に、ひとつ賢治の詩を紹介したい。

未発表の詩集『春と修羅』第二集の「林学生(りんがくせい)」の草稿には、

 

 あぢさゐいろの風だといふ

 雲もシャツも染まるといふ

 ここらの藪と火山塊との配列は

 そっくりどこかの大公園に使へるといふ

 絵に描くならば、却って藪に花

 (以下略)

 

とある。

「あぢさゐいろの風(あじさい色の風)」

は、後に

「ラクムス青(ブルー)の風」

に修正される。

ラクムスとはリトマス試験紙に含まれる色素成分だ。

澄み切った空の青から夕焼けのピンクまで色が変わる移ろいを、

「酸性」や「アルカリ性」に反応して色を変えるリトマス試験紙によって表現しようとしたのだろう。

では、なぜリトマス試験紙とアジサイの間で賢治は悩んだのだろうか?

ここには、「酸性」とアジサイ、そして賢治の結びつきがある。

アジサイの読み方の最後のaiには「藍」が隠されているように、日本人はアジサイと聞けば青色の花(ガク)を想像する。

ところが、ヨーロッパ地中海地方の人々は、ピンクの花を想像する。

これは人種が違うからではなく、土が違うためだ。

アジサイの花の色素成分(アントシアニン)はもともとピンクだが、この色素はアルミニウムイオンと反応し。青色を呈する。

日本に多い酸性土壌では、粘土が溶かされてアルミニウムイオンが多く溶け出す。

このアルミニウムイオンがガクまで運ばれてアジサイの花を青く染めている。

賢治は、リトマス試験紙のように「酸性」土壌に反応して色を変えるアジサイの花に、澄み切った空の青と夕焼けのピンクを重ねようとしたのだった。

(注:アジサイは酸性で青くなり、リトマス試験紙はアルカリ性で青くなる違いはある)

梅雨の時期にアジサイの花が見せる鮮やかな青色は、日本に酸性土壌が広く分布することを示している。

日本の農業はこの酸性土壌との戦いでもあった。

意外なことに賢治は、青いあじさいによって象徴される酸性土壌に強い問題意識を持ち、苦闘した先人の一人だ。

賢治といえば

『銀河鉄道の夜』『注文の多い料理店』

などの有名作品を多く世に出した童話作家として知られている。

しかし、生前の彼が作家として稼いだのは5円(1921年当時、今の1万円に相当)に過ぎなかった。

一方、土の博士として賢治が稼いだ給料は初任給80円(今の14万円に相当)にもなる。

お金の話はともかく、東方地方の酸性土壌の改良は彼のライフワークであった。


第4章 土の今とこれから:マーケットに揺れる土


温暖化のからくり から抜粋


土も気候に影響を与えることは、3.5億年前の泥炭蓄積が寒冷期を引き起こしたことが証明している。

現在、深さ1.5メートルの土には、大気中に存在する炭素量の2倍、植物体の3倍もの炭素が有機物として蓄積している。

温暖化によって、微生物の分解活動が刺激されれば、土に数千年も眠っていた有機物が分解され、大気中の二酸化炭素濃度をさらに上昇させるのではないか、と予測する研究者もいる。

温暖化予測には土を含めて多くの不確定要素が存在するが、二酸化炭素濃度の上昇が将来の気候変動のリスクを高めているのは間違いないだろう。

二酸化炭素濃度を高める要因こそ、化石燃料に依存した私たちの生活であり、文明である。

エネルギーの歴史をたとれば、古くは木材燃料、それが足りなくなると石炭が、イギリスの覇権を支えた。

アメリカで石油の発掘に成功すると、エネルギーの主役が石炭から石油へシフトするとともに、アメリカが覇権を奪う。

中東の石油産出地をめぐる主導権争い、シェールガス革命によるアメリカの復権、バイオ燃料と食糧需要の競合による穀物価格の高騰…エネルギーは世界を揺り動かしてきた。

変わらないのは、大消費者としての日本の立場である。

石油や石炭といった地下資源の乏しかった日本が、エネルギーを求めて東南アジア諸国へ展開したのが太平洋戦争であり、敗戦やオイルショックのなかで頼ったエネルギー安全保障の一手段が、原子力発電であった。

エネルギーを操ってきたはずのヒトは、エネルギーに翻弄されてきた。

東日本大震災に伴う福島原発事故は、エネルギーに対する私たちの姿勢を問いかけている。


土が照らす未来:適応と破滅の境界線


土壌という植物工場  から抜粋


便利さと環境問題を同時にもたらす、諸刃の剣とも言えるエネルギーと窒素肥料の効率的な利用を目指すなら、タダの太陽エネルギーと土の微生物の働きを最大限に活かせる、土壌という”植物工場”の価値を再評価してもいいはずだ。


明日に撒く種 から抜粋


人口増加、ハーバー・ボッシュ法の発明、人類はどんどん未知の局面に突入している。

生物進化のスピードでは、急速な変化に到底追いつかない。

人間が自ら引き起こした変化に対抗できるとすれば、やはり人間の知恵や技術しかない。

過酷な大地を生き抜いてきた生き物たち、問題土壌を克服してきた先人たちの知恵は、土とうまく付き合う未来を照らしている。

一方で、フン尿のように、価値を忘れ去られようとしているものもある。

当たり前に見えた無駄を減らし、古くて新しいヒントを発掘する必要がある。

夏目漱石が日記に記した言葉は、時代を超えた教訓となる。

 

 汝の現今に撒く種はやがて汝の収むべき未来となって現るべし

 

先人のまいた種を育てつつ、新しい種をまく。

それは国家や企業、農家まかせではなく、審査員でもある私たち消費者が食卓を見つめ直し、スーパーマーケットの商品の裏側をにらむことからはじまる。


ここには引かなかったけれど、進化とかダーウィンが


出てきて興味深かった。


他にも、江戸時代の排泄物が大根と


取引されるくらい貴重なもので


それも、大名のものは高く、牢獄されたものたちのは安価で


取引されていたとか。(食べ物の質の関係による)


そこから派生して自分が子供の頃、まだ家は


汲み取り式トイレだったことを思い出したり。


そして本書は最終的には土のみならず、環境問題に話は及び、


未来を照らそうとされる筆者の体験に基づく


哲学のようなものに集約されていく。


環境問題において筆者の言説全てを肯定は


できないかもしれないけれど、


「土」という視点があまり取り上げられないような気が


するのは自分だけだろうか。


それの与えうる影響とか推論が、もう少し世に浸透し


証明され、良き方向に行くと良いと感じた。


余談だけど、自分は家に猫の額程度の


庭があり色々改良中で自然を近くに感じ始めている


今日この頃だったのでした。


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