中村先生の訳書から”東西の価値観”を考察 [’23年以前の”新旧の価値観”]
表紙から引用
なぜ人間は有性生殖をするようになったのだろうか。
ある種の動物は、自分をコピーして子孫を増やしているというのに。
遺伝子をコピーした子孫をつくるクローニングがおこなわれるようになれば、この問いに対する答えが見つかるかもしれない。
人間のクローンはすでに技術的には可能であるといえるだろう。
この最新生殖技術をさまざまな面から論じたエッセイコレクション。
中村先生と村上龍氏の対談で話しておられた
この書を読んでみた。
深すぎる論考で、この周りがまたさらに興味深そうだと感じた。
序 から抜粋
ロスリン研究所のイアン・ウィルムットと共同研究者たちが、雌ヒツジの乳腺細胞からのクローン作成に成功した(ドリーと命名)と発表したとき、いたるところで激しい感情的反応が起きた。
クローニングの実験は、少なくとも40年以上行われてきたわけだが、ドリーの出現によって、近い将来、ヒト・クローンの可能性に直面せざるを得なくなることがはっきりしたことが問題なのだ。
これは、まだ思考実験に過ぎないが、それでも動物クローンができたという事実以上に、人々の不安を掻き立てるものがある。
誰でもとは言わないまでも多くの人は、クローニングは人類の歴史におけるあるターニング・ポイントを象徴すると考えている。
今後の見通しについては、警戒心を持つ人、嫌悪を感じる人、喜ぶ人、これまでの生命観がいずれ通用しなくなるだろうと嘆く人などさまざまだ。
もちろん、この事態を冷静に事実として受け入れ、恐ろしいことと決めつけずに、科学の自然な発達にまかせるべきだと主張する人もいる。
とにかく多くの人が、さまざまな疑問をなげかけたのだ。
クローニングを選ぶのはどんな人だろう
これらの疑問には科学的な検討が必要であり、その結果事実が示されれば、私たちが思い描くクローンの可能性の多くは、非現実的だとわかるだろう。
この本の目的は、なるべく素人にもわかりやすく、クローニングについての基本的事実を解説することにある。
研究者たちーーこの本の第一部の書き手たちーーは、クローンとは、同じ人間をつくりだすことではなく、違う世代に生まれたクローンは、別れて育った双子ほども似ていないということを示してくれる。
このように科学は、多くの面で、真に問うべき問いは何かを明らかにしてくれる。
だがクローニングによって起こる倫理的、政治的、社会的、宗教的問題には、科学は答えを出せない。
それは、議論を通じて見つけていくしかないのである。
選択肢を明確に示し、適切な問題提起をする点で、人文科学や社会科学が活躍してくれるはずだ。
シカゴにて、1997年10月
M・C・N
C・R・S
答えは保留、しかし議論していかないとって
ある意味人間の勝手で無謀な試みだけれど
現時点では本当にそうだと感じる。
訳者あとがき から抜粋
翻訳という作業をする時は、いつも複雑な気持ちになる。
本来ならこれと同じものを自分の手で産み出すことができれば、その方がはるかによいのだけれどと思うからだ。
今回もーーいや今回は特にその気持ちが強い。
クローン羊ドリーの誕生は、日本でも話題になった。
クローンという言葉は、急速に進歩する生物学や医学の中で開発された新しい技術の社会的・倫理的問題を扱う時には常にとりあげられ、SFまがいの話の中で、おどろおどろしさを象徴する技術として語られてきた。
そこへドリー登場というわけで、話はぐんと現実味を帯びた。
となると、これをどう受け止めるか…とにかくヒト・クローンだけは当面禁止という約束をしておき、科学の問題として、生殖技術の一つとして、いやそれを超えた人間づくりの技術として真剣に検討をして態度を決めなければならないという状態になったわけだ。
もちろん、日本でも、研究や技術開発の担当省庁である文部省、科学技術庁の中に委員会が設けられ、動物を用いてのクローン研究や技術開発を妨げないことを前提としたうえで、ヒト・クローンの作成はもちろん、それに関する研究も行わない申し合わせをした。
けれども、人工授精や体外受精はすでに行われており、米国では代理母もすでに定着しているという状況の中、ヒト・クローンを禁止する論拠はどこにあるのか。
考えてみると、これは簡単に答えの出る問題ではない。
既存の価値に照らし合わせてみても…本書の宗教からの検討を見ても、それぞれの宗教によって判断はさまざまであり、絶対の基準などは見つからない。
憲法で保証されている基本的人権とはどう関わるのか、同性愛から見た時どうなるか、古来人間はクローンをどう受け止めてきたのか…人間の本質と関わる問題として検討すべきことがたくさんある。
しかし、日本では、社会、倫理、法という抽象的な言葉だけがとび交い、ここにあげたような具体的な事柄を、一つ一つ精密に詰めていく議論はない。
なんだか気分的に抵抗感があるという程度のことで、科学者が勝手なことをするのはけしからんというところに話を押し込めている。
本書を読むと、まあ、なんとしつこくやるのだろうと思いたくなるほど、さまざまな側面から検討し、それぞれの見解を述べている。
最も興味深いのは科学を社会から分離して、これは科学の問題だぞと構えて論じているのでなく、文化の中、日常生活の中の事柄として語っていることだ。
性、人権に関わりことなので、立場によっては、差別意識を思わせる考え方も諸々に見られ、読んでいて抵抗を感じることもあった。
しかし、はっきり実情を分析し、立場を明らかにすることはこの種の議論には不可欠のことだ。
これだけ議論しても、クローンについては是とも非とも結論するのは早すぎるというところに話は落ち着いているのだが、あいまいにして倫理という言葉だけを振り回しているのとはまったく違う。
21世紀、日本は科学技術立国を目指すというのが大方の合意のようだが、もしそうなら、新しい科学や技術について、単に技術開発の面だけでなく、このような社会的な面についてもきちんと評価をし、自ら判断していく場を持たなければ、一流の国にはなれないと思う。
繰り返しになるが、本書を翻訳したのは、日本でもこのような議論をきちんと行うようにしませんかという提案のつもりである。
お断りしておくが、なんでもアメリカ式がよいとか、ここに述べられた意見が素晴らしいのでこれを真似しようと言っているのではない。
日本の社会としてクローンという技術をどう考えるのか(もちろんクローンだけではない。臓器移植、体外受精など、これまでの技術についてすべてこれをやらずになしくずしで来てしまったので人間を巡る技術について、深く考えていかないと未来を考えることは難しい)を議論することが大事だと思っている。
とにかく範囲の広い話題が扱われており、小説や詩まで出てくるので、適切な表現のできていないところ、誤ったところがあるのではないかと気になる。
お気づきの点、お教えいただければありがたい。
1999年7月 中村桂子
羊のドリーは、当時日本でもニュースになっていて
是か非か、どうなっていくのだろうと思った。
こういう本が出るくらいなので国内外でも
議論が活発で簡単なことではなかったのだろうと
思ったのだけど、中村先生のあとがきを読むと
日本だときちんとした議論が行われてなかったという。
日本向きの科学技術ではないのか、当時は。
クローンの考え方が、西欧というか
キリスト教と日本だと大きく異なるだろうことは
想像できるのだけど。
余談だけど中村先生の、アメリカ式と日本は
異なるという態度はとても共感させて
いただいておる次第です。
それはともかく、この書で扱っているテーマは
さらに追求する価値あるなあ、と
かなり昔の話題を掘り下げることに意味が
あるのだろうかという一方、意味じゃないんだよ、
そういうのは、という自分もいて、
そろそろ出勤の準備をせねばと
思っている寒い朝でございます。
垂水先生の翻訳書から”価値観”を考察 [’23年以前の”新旧の価値観”]
第16章
社会生物学者とその敵
狙いをはずした撃ち合い
グールドとドーキンスの長々しいデュエット
から抜粋
グールドとドーキンスの大西洋をはさんだ口論に、同僚たちはどのような反応をしたのだろう。
デネットはドーキンスを、「過度に単純化してはいるが」、それは意図的にしているのだとして擁護した。
同時に、彼は「グールドは多少は正しくさえある」ことを認める。
生物と進化は、ドーキンスが示しているよりは複雑なものである。
そしてデネットは、ドーキンスが実際「ありがとう、スウィーヴ。それが欲しかったんだ」と言うことができると結論した。
しかし、ニック・ハンフリーは次のようにコメントしている。
「リチャード・ドーキンスとスティーヴ・グールドが論争していることの一部は時代遅れで、もうやめるべきだ。『利己的遺伝子』とグールドの初期の著作が出版されて以降、新しい事態が生じている。
今や我々は新しい領域(テリトリー)に入っているのだ。」
これらは本当に、一人の科学者が別の科学者を誤解しているという問題なのだろうか。
もちろん、ここで私たちが扱っているのは根深い確信であり、二人ともおそらく一歩も譲らない正当な理由があると思っているだろう。
それが一つの知的挑戦でもあるのは疑いなく、両者がまったくの気晴らしとして楽しんでいるのかもしれない。
われわれは一種の決闘を見ているのだ。
さらにいえば、グールドとドーキンスの間のこの延々とつづく論争ーーどこにも行き着く先がないように見えるーーの要点は、グールドとドーキンスは本当はお互いの意見の相違が解消されることを望んでいないということなのではないのか。
むしろグールドとドーキンスは、彼らのベストセラー本で、新たな論点と反論を生み出すためのスパークリング相手として利用しているのではないか。
訳者あとがき(垂水雄二)から抜粋
社会生物学とは何だったのか。
それこそ本書の主題であり、私が下手な解説をするより読んでいただくほうがよいだろう。
ここでは、本書の扱いの特徴について紹介するにとどめたい。
社会生物学論争が複雑なのは、そこに学問的論争と、社会的・政治的論争という二つの側面、科学史の用語でいえば、内在的側面と外在的側面が共にかかわっていたことである。
論争の内在的側面とは、社会生物学(あるいは行動生態学)の理論的・概念的枠組みについてのものであり、社会生物学が遺伝子決定論、適応万能論、あるいは擬人主義だとする批判をめぐる論争であった(最近翻訳のでたジョン・オルコックの『社会生物学の勝利』は、社会生物学者の立場からのこの論争の総括であり、結局のところ批判は誤解・曲解・歪曲にすぎなかったと結論している)。
論争の外在的側面は、一般的にいえば、科学的に正しいことが道徳的・政治的に正しいかどうかということを含めて、科学および科学者の社会的評価の問題であり、のちの「サイエンス・ウォーズ」につながるものである。
具体的には、社会生物学が人種差別主義やそのほかの体制維持の根拠を提供するという批判をめぐる論争であった。
本書の最大の特徴は、著者が社会学者であることで、この本の面白さもそこにある。
論争の関係者につぎつぎとインタヴューを重ね、表向きの論争の背景にある事情を明るみにだし、人々の本音をひきだす。
また、この論争の初期から現場に立ち会ってきたという強みを生かした節目節目での出来事についての臨場感あふれるレポートは貴重である。
社会学者であるにもかかわらず、生物学に関する著者の理解力は生半可ではなく、ていねいに原論文を参照して、発言の裏付けがとられている。
論争をそれぞれが属する陣営からの社会的認知を得るための闘争と見る社会学的視点も新鮮である。
生身の人間としての科学者たちの喜びや怒り、野心や羨望が自ずと伝わってくる。
そういった意味で、三幕のオペラに見立てられた本書は、その浩瀚(こうかん)さにも関わらず一気によみすすむことができるはずだ。
いやあ、かなりの分量ありますぜ。
興味ある人でも一気は難しいのではなかろうか
というのは余計なお世話でした。
オペラというのが洒落てますな。
2巻ともですがこの書の表紙の意味が
腑に落ちたような気がいたします。
ネガティブなテーマなのは解せないのだけど。
そして、なによりも特筆すべきは、ウィルソンとルウォンティンという論争の主役の特異な人格を浮き彫りにし、彼らをはじめとする関係者それぞれの隠れた動機、つまり彼らにとっての「真理」観の違いを明らかにし、異なる「真理」感を奉じる人々の対立という視点によって、この論争の内在的側面と外在的側面のみごとな統合を実現していることである。
邦訳書の副題および原題『真理の擁護者たち』の意味するところはここにある。
1980年代に日本に社会生物学が導入されるが、それに際してはほとんど何の論争らしい論争も起きなかった。
しかし、これを日本のみの特殊事情として過度に強調するのはあたらないだろう。
本書で述べられているように、フィッシャーやホールデンのような集団遺伝学者を擁する英国でさえ、ドーキンスが問題の核心を誇張した形で提示するまで、大部分の生物学者は「種のための利益」という観点に固執していたのであり、エソエロジーの祖ローレンツもまた進化をそのようなものとして考えていた。
したがって、欧米においても、真の意味で遺伝子淘汰主義的な観点が行動研究者のコンセンサスになるのは、『社会生物学』『利己的な遺伝子』の出現以後なのである(そして一般むけの社会生物学書の翻訳出版がジャーナリズムをにぎわすことになる)。
一方で、遺伝子決定論が現状肯定の科学的根拠を与えかねないという危惧に基づく社会生物学批判の大衆運動は、1980年代の日本では起こりうる基盤がなかった。
生物学内の古典的左翼はルイセンコ論争を通じてアカデミズムの内部での権威を失っていたし、学生を中心とする新左翼は1960年代末から70年代初めにかけての全共闘闘争の終焉、連合赤軍事件によって、ほとんど壊滅状態に陥り、仮にルウォンティン流の反社会生物学キャンペーンがあったとしても、それを大衆運動として担える実行部隊は存在しなかった。
ただし、学問的レヴェルでの批判がまったくなかった(創造論者や重力進化論者のようなトンデモ的な進化論批判は論外として)というわけではなく、柴谷篤弘や池田清彦らによって、構造主義生物学の立場からの社会生物学批判・ネオダーウィン主義批判が精力的になされたことは明記しておくべきであろう。池田らの批判についてここで論じる余裕はないが、私見によれば、哲学的な議論は別にして、批判の実質はルウォンティンおよびグールドの適応万能主義批判に通じるものであり、社会生物学者の側からの応答もそれに準じるものであろう。
ドーキンスとグールドに興味があったのだけど
それはもう一段階、深い論争があった模様で。
ウィルソン博士は1冊、ルウォンティン博士は未読の為
あまりキャッチできなかったが、そこがわかると
この書の価値は高まるのだろう、自分にとってだけど。
80年代の生物学論争って、全共闘と関連してたってのは
言われてみればそうなのか、と思い
新しい価値観だったのかもしれないと。
70年代の学生運動って反社会的な面だけで
強調されるけれど、論争ってのはそもそも
反体制な行為だからなのか、とか。
さらにここで構造主義生物学の
柴谷篤弘・池田清彦先生が出てくるのか、
という納得の仕方をしてみるも、
どこまで理解しているのか、怪しいものだけれど
近くの大学のオープンカフェで読んでいたら
怪しい空模様のため急いで帰宅して
自宅のこたつからの投稿しております。
別の書で日高先生のローレンツ追悼文を読んだ。
ローレンツと日高先生の対談を
NHKで放送したらしいが今西錦司先生の
ご感想がちょっと批判めいたものだった
ということを垂水先生がお聞きになり
日高先生にお伝えになったというのを拝読
これも日本の動物行動学という領域での
新旧の価値観の交代劇だったのではなかろうかと
思ったのはまったくの余談でした。
中村桂子先生の書から”進化論”を読む [’23年以前の”新旧の価値観”]
46億年の地球の誕生からの歴史を
フローチャートとして図でご説明されているのが
ものすごく面白い。
テキストだけ抜き出してもあまり伝わらないけれど
思わずメモしてしまいました。
生きものの歴史
生命誌を中心に宇宙から地球、生命、人間に至る流れ。
この中に描かれたさまざまな現象は、この歴史の中で重要なできごとである。
ガスが凝縮してできた雲
↓
冷える地球
↓
水と粘土がかたまる
↓
大気
↓
生物をつくる簡単な分子
↓
自己複製
↓
区画整理
↓
細胞分裂
↓
タンパク質
↓
DNA
↓
発酵
↓
光合成
↓
酸素呼吸
↓
運動
↓
原始的な性
↓
最初の真核細胞
↓
真核細胞の中に単純な細胞が住みこむ
↓
多細胞化
↓
性の改善
↓
中枢神経系
↓
ボディ・プランーー植物
↓
ボディ・プランーー動物
↓
骨格
↓
タネという工夫
↓
協働社会
↓
防水性の卵
↓
花
↓
羽
↓
温血
↓
飛躍的な発明
さらに興味深い”進化論”をご説明される件でございます。
第4章 ゲノムを単位とする
多様や個への展開
共通性と多様性を結ぶ
から抜粋
生物の本質を知るには共通性と多様性を同時に知りたいのだけれど、その方法がないために長い間、共通性を追う学問が独自の道を歩いてきたと述べました。
しかも20世紀は、ぐんと共通性の方に傾いて、遺伝子がわかればすべてがわかるかのように思われてきたきらいもあります。
ところで、ゲノムを切り口に用いれば、DNAに関するこれまでの知識を100%活用した上で多様性や個性にも迫れるということは両者をつなげる見通しが出てきたということですから、興奮します。
プラトンとアリストテレス以来できなかったことができるようになる。
ちょっと大げさですが、そういっても良いと思います。
では多様性を追ってきた博物学、分類学は今、どのような状態になっているでしょう。
分類学の祖リンネの書いた『自然の体系』(1735年)には900種ほどの生物種があります。
今、私たちが手にする生物分類表には約150万種が取り上げられています。
250年でこれだけの数の新種を発見し、同定したのですから、たいへんな成果です。
しかし、研究者の好みや地域などのせいで、生物種によってはほとんど研究されていないものもあります。
地球上に果たしてどれだけの生物種があるのか。
現代なら博物学はこのような問いを持って当然と思いますが、つい最近までそのような問いはなされなかったというのも生物学の歴史として興味深いことです。
ここで注目すべきは、ニューヨーク自然誌博物館のアーウィンらが、パナマにあるスミソニアン野外研究施設で行った調査です。
熱帯雨林の昆虫はあまり陽のささない地面にはおらず林冠にいるので、アーウィンは19本の樹木を選び三シーズンに渡り下から殺虫剤を吹きつけ、下に敷いたビニールシートに集まってくる昆虫を調べました。
するとなんと、既知のものは4%しかなかったのです。
現在、多様性の研究はとても興味深い展開をしています。
アーウィンの方法は、標本蒐集にはなるけれど、実際に熱帯雨林のなかで生きものがどのように暮らしているのかはわかりません。
生きたままを調べたいのですが、林冠は低いところで40メートル、高いと70メートルもあるのでなかなか到達できません。
けれども近年飛行船を飛ばすなど、さまざまな工夫がなされるようになりました。
その中で、京都大学教授だった故井上民二さんはツリータワーとウォークウェイ(樹登り用の梯子と樹間をつなぐ橋)をみごとに設計し、マレーシア・サラワク州で生きた熱帯雨林、ダイナミックに動いている熱帯雨林を捉えることに成功しました。
ここでは彼らの仕事を詳細に紹介する余裕がないのが残念ですが、さまざまな生きものがお互いに関係し合いながら生きている姿に関してみごとな成果を上げました。
それについては、井上民二著『生命の宝庫・熱帯雨林』(NHKライブラリー)を是非読んでいただきたいと思います。
実はこれはこの本と同じようにNHK人間大学のテキストとして書かれたのに、井上さんが事故で亡くなり放送されなかったものです。
とても素晴らしい本です。
進化というとダーウィンの進化論が有名であり、彼の自然選択を進化の要因とする考え方に対して棲み分けなどの要因を出し、新しい進化論とするなどの論争がありますが、今大事なのは、進化という現象に目を向けることです。
ところで、ダーウィンは、変異が起きた場合、それがある環境の中で形態として有利であると、それが集団の中に広まって進化につながるといったわけです(日本語の突然変異という言葉が事情をよく表しています。ある日突然変わった形や色の個体が現れるという気持ちです。しかし今では人為的に変化を起こせます。しかも変異はDNA内ヌクレオチドの変化だということもわかっていますので、もう突然はとって変異でよいでしょう)。
自然選択は、常識に合う見方です。
しかし、変異はDNAに偶然起こるのであって、ほとんどの場合は、よくも悪くもない(中立)か、悪いかです。
たまたま起きた変化が素晴らしい性質を示すなどということは滅多にありません。
悪いものは消えますから、残るものの多くは中立の変異ということになります(中立変異説)。
つまり、DNAの変化、個体が誕生するか否かの選択も含めての個体の変化、集団の変化という三段階の変化があって初めて進化が起きます。
繰り返しになりますが、もう論を立てるのでなく、進化の道筋を追って、共通性を持ちながら多様化してきた生物の姿を追うことのできる面白い時代が来ているのです。
中村先生のダーウィンの解説はわかりやすい。
なんとなくグールドの言説に近いような気がした。
生命誌にたどり着くのもこの書は最適であると
タイトルが表しているので自分が言うのは蛇足そのもの。
それにしても中村先生に限らず、知の巨人たちって
本当に読書が深い。
リンネの書は1735年ですか。日本だと江戸時代で
八代将軍吉宗の頃だよ、ってのは余談でございまして
江戸時代とか歴史に疎いのに調べてみたので
言いたいだけでした。
それよりも、ここで挙げられた他の書籍も
興味深いなあ、と思わざるを得ないけれども
読みたい書って読めば読むほど
増えてしまうのだよなあと
朝5時起きで仕事した身には睡魔との
格闘でございます。
日高敏隆先生の書から”ローレンツ”を読む [’23年以前の”新旧の価値観”]
人間はどういう動物か (日髙敏隆選集 VIII) (日高敏隆選集 8)
- 作者: 日高 敏隆
- 出版社/メーカー: 武田ランダムハウスジャパン
- 発売日: 2008/06/26
- メディア: 単行本
すごく力の入った書籍で、だから高い。
普通は買えませんよ。
そういう手合いの書ではないのか。
でも中身は平たくて読みやすい。
ローレンツと日高先生の写真ってないのかなと思って
あるならこれか、と思ったけれど
それはなかったが、刺激的な随筆が目を引いた。
第3章 そもそも科学とはなにか
ローレンツは時代の「すこし先」をいっていた
から抜粋
沖縄で海洋博があったときにローレンツが来た。
その理由というのがおもしろい。
ローレンツの息子トーマス・ローレンツはドイツで生物物理学をやっている。
ドイツの教授は森永先生という日本人で、彼はその助手をしていた。
森永先生がトーマスに「沖縄に行って、イカの飼い方とイカの神経の実験の仕方を勉強してこい」と言った。
イカの神経は大きくて長いので、研究に使いやすいらしい。
トーマスは、体は大きいが、気が弱い。
「ぼくひとりで行って大丈夫かな」と心配していたら、父親のコンラート・ローレンツが
「ではおれが一緒に行ってやる」ということになった。
それをNHKがいちはやくキャッチして、なんとかローレンツに日本のテレビに出てもらいたいので、ぼくと対談してくれという。
調べてみるち、沖縄の講演が終わり、羽田からドイツへ帰る途中に、2時間か3時間のあきがあった。
そこでNHKは、ローレンツを羽田空港でつかまえて、NHKのスタジオへ連れてきて、急いでぼくと対談して、飯を食う暇もなく、そのまま羽田へ送り出した。
それがぼくとローレンツとの初対面だった。
あとでローレンツに聞いたのだが、対談をそばで聞いていたトーマスが、
「お父さん、プロフェッサー日高と東京でやった対談は、今までお父さんがやった対談の中でいちばんよかったよ」
と言ったらしい。
「息子が非常にほめていた」とローレンツはとても喜んでいた。
その後、「NHKスペシャル」という番組でローレンツを取材することになり、ドイツのローレンツの家を訪れることになった。
1980年のことだ。
ローレンツは元々は自分の家で、庭にいろいろな動物を放し飼いにして観察していた。
だから動物がしょっちゅう家の中に入ってくる。
『ソロモンの指輪』に書いてあるが、普通の家では
「窓を閉めてくれ、鳥が出ていってしまう」
と言うが、ローレンツの家では反対で、
「窓を閉めてくれ、鳥が入ってくる」となる。
そういう状況でつぶさに動物を観察していた。
すると、どうしてこんなことをやるのかわからないという行動がたくさんあった。
なぜだろう、なぜだろうと思いながらずっと見ていくうちに、動物たちの行動というのは、人間の手の指が5本あるのと同じように遺伝的にもともと決まっていて、それがあるきっかけでぱっと行動に出るのだ、ということに気づく。
けっして心理学で言っているように、あるいはパブロフの条件反射で言っているように、次々に学習して覚えていくというものではない、と主張した。
これが動物行動学のいちばんの基本である。
1930年代のことであるから、そういう考え方はものすごく古いと受け取られ、ローレンツは保守反動のように言われていた。
当時の思想は、人間も含めて動物は、学習して行動がどんどん進歩していくというものだった。
それが、遺伝的にもともと決まっているというと、進歩も発展もないことになる。
けれどそれから20年以上経って、DNAがどんなものであるかがわかってきたときに、遺伝子が非常に大事で、基本的にはみなそれで決まっているのだということになってきた。
そうなってみると、ローレンツの言ったことは非常に現代的だったわけである。
およそ古くさい、固定的な保守反動の親玉のように言われていたのが、じつは非常に現代的だったということになってきた。
ローレンツがノーベル賞をもらったのも、そういうことだったのだろう。
人間が自然をどうみるかという見方は、時代精神を反映するものである。
ダーウィンの進化論にしても、イギリスで産業革命が動き出して、神様がおつくりになったとおりに世の中があるというのではどうも間に合わなくなってきたという、社会全体の感覚が動いていった中に生まれてきたものだ。
だから反響を呼んで広まったわけである。
ダーウィンのようなことを200年前に言っていたら、変人扱いされただけだっただろう。
ダーウィンは、動いている時代の中のちょっと先を言っていたわけだ。
ローレンツも、ある対談で
「あなたは天才ですね」
と言われたときに、こう答えている。
「いや、本当の天才というのは長い間、世の中に認められないものです。
そういう意味では私はそうではない。
私が言ったことは間もなく認められる。
ということは、私は大した天才ではないということです。」
NHKの対談では、いろいろおもしろい議論をした。
たとえば、ローレンツが
「歴史に学ばなければいけません」というので、ぼくが
「しかし、そもそも人間は歴史に学べるものですか」
と返したら
「たしかにそうだ。歴史からわれわれが学べることは、歴史からわれわれは学べないということです」
と言った。
われわれは歴史を学んでいる。
しかし、現象的に多少違うにしても、同じようなことをまたやっている。
ということは、歴史から学んでいないということなのである。
ただ、あまり学んだらなにもやることがなくなるかもしれないから、それでもいいのかなという具合にぼくは思っているけれども。
ほかの動物はどうか知らないが、人間は、人間とはそういうものだということを認識できる。
それならどうしたらよいかということも、少しはわかるはずである。
そのためには、いろいろなことを知っておくことは大事だし、もしも人間が誇るとすれば、いろいろなものを客体化して、人間自身ももういちど改めて突き放して考えてみることができるだろう。
20世紀に人間は、あまりにきれいごとを言いすぎてきた。
人間は崇高で、賢い存在だということばかり強調してきた。
しかし、それにしては戦争がいつになってもなくならない。
どうしてこういうことになっているのかということを、そろそろ考えてみないといけないのではないか。
あまり人間とはすばらしいものものだというところから出発すると苦しくなるから、もう少し楽にしたらいいのではないだろうか。
ローレンツとの対談がNHKにあるのか。
アーカイブで放送してくれないだろうか。
それにしても、先生の動物と人間、
自然の考え方というか態度というか、
思想というか、は先生の言葉を借りると
日高先生ご自身が「ちょっと先」を行っていた
と言わざるを得ない。
歴史に学ばない人間、戦争がなくならない、
というのなぞ、ただいま現在の人類にとって
大変に耳に痛く突き刺さる言葉でございます。
もっと楽に、というのもなんか看過できないなと。
ローレンツの「学ばないことを学ぶ」ってのも
なんだか禅問答のようで、これもまた興味深い。
ローレンツ博士も、ダーウィンさんも
この手合いのキャラだったのでは
なんて不毛なことに考えを及ばせながらも
12月に入った関東地方、寒い一日でございました。
中村先生の書から”折り返し点”を考察 [’23年以前の”新旧の価値観”]
ひらく 〔生命科学から生命誌へ〕 (中村桂子コレクション・いのち愛づる生命誌(全8巻)第1巻)
- 出版社/メーカー: 藤原書店
- 発売日: 2019/06/26
- メディア: 単行本
第6章 時間を解きほぐす
1 50歳という年齢
から抜粋
「生命誌」という言葉を考えさせた要因の一つは、年齢のような気がします。
科学史の村上陽一郎さんとは同じ昭和11年生まれ。
大人になってから知ったのですが、中学校が同じです。
つまり同じ世代で同じような育ち方をした仲間である村上さんが同じことを書いていたしたので、これは世代感覚だと思うのですが、50代になったら、さまざまなことがらの受け止めかたが今までと違うことに気がつきました。
数年前までは、時間は永久にあるように感じていました。
もちろん生きものには老いや死があることは知っていても、日常感覚としては、自分の時間は無限であるかのように思っていたのです。
やりたいことがあればなんでもやってみる。
40代までは、20代とまったく同じように時間はずっと先に続いていて、やろうと思えばなんでもできると思っていました。
ところが50代にはいったとたん、時間は有限だと実感しました。
50歳だと自覚して、その後で有限を感じたのではなく、有限だと思うことが多くなり、なぜだろうと思ったらどうも50歳という年齢なのではないかと感じたのです。
深く考えずに時間を潰していてはいけない。
大事だと思うことをやろうと思いはじめたのです。
村上さんも同じことをおっしゃっていました。
問題は「50歳」だからという実年齢ではなさそうです。
樋口一葉や正岡子規など明治から大正にかけての文学者を病気という切り口で書いた立川昭一さんの『病いの人間史ーー明治・大正・昭和』によると、彼らの多くは30歳、40歳で亡くなっているのに、やはりそこには若い時と晩年の違いがみられます。
今は平均寿命が80歳ですから、20歳で成人として、大人として生きる時間が60年間です。
これを半分にすると30年。
20歳に30を足すと50歳です。
つまり50歳が折り返し点なのです。
今までは前方を向いて走っていましたから、終点は見えませんでした。
どこまでも先がありそうだったわけです。
ところが折り返し点を回ったので、終点が見え、それと同時にいろいろなものが違って見えてきたのではないかと思うのです
ゴールも見えてきたに違いないのですが、まだあまりゴールは気になっていません。
ゴールがあるということだけはひしひしと感じながらも、老いよりは次にくる人たちの方に関心が向いています。
これまでと違う考え方をするようになっている自分に気がついて、これはなぜだろうと思い、こんな理由をつけたというのが本音です。
あ、折り返したんだと思いあたり、そうしたら納得できて、折り返しの道をゆっくりと走ろうという気持ちになりました。
もう一回、違う景色を見ながら走るのですから、とても楽しいのです。
高齢化が進みますから、老いは大きな問題になりますが、S・ド・ボーヴォワールのような冷徹な目で「老い」を論じるのは、日本人向きではなさそうです。
老いが醜いものであることを認めて、それをこれでもかこれでもかとつきつけ、答えを求めていくやり方は好まず、できることならごまかそうとします。
老いても気持ちさえ若々しければ青春であるとか、現代はエイジレス時代だから、齢を感じないようにしようとする態度が好まれますが、私は、それはごまかしだし、生きものの感覚としてはおかしいと思っています。
生きものにとっては、齢をとることに意味があるのです。
齢をあやまたず感じとって、その齢を生きなければならないのです。
70歳だって生き生きと暮らしている人はもちろんいて、それは素晴らしいことですが、それを青春とは言いません。
70歳はそれにふさわしくおもしろい時代だと思えばいいのです。
それをごまかすのは、老いをマイナスと思うからであり、見方が偏っています。
この実感がおそらく理詰めで割り切る「科学」からゆっくり語る「誌」に移ろうとする変化につながっているのだろうと思います。
そこには、生物と時間という問いもあります。
時間論のような難しい話ではなく、老いのような日常への関心から始まるのが私流ですが、ここにはなにか大事なことがあると感じています。
それも分析的な「科学」から歴史意識をもつ「誌」への移行の一つの要因です。
この書は、コレクション初巻にふさわしく
中村先生のベースになっているものの
考え方や態度など、いつものことながら
押し付けではなく、柔らかく諭されていて
自分としては特に興味深かった
「生命科学」から「生命誌」に移っていく
理由などもご説明されていてそれがとても
美しく優しく、とても印象的だった。
50歳が節目で、それは実年齢だからというより
中村先生風にいうなら”日本列島人”の平均寿命から
換算された”折り返し点”であると指摘され
自分のやるべきことを悟ったとおっしゃる。
我が身に引いていうなら、確かに50歳というのは
節目になり得る歳だったなあ、と思うし
そこから得るものが多く、またそうしていくのが
理想なのだろうなあ、と思ったりもしつつの
妻子がワクチン注射の為、仕事休みとっての
本日一日主夫をしてみて
家族のありがたさに一瞬気がつくも、
早く風呂とトイレ掃除しなくちゃと
もう15時だという昼と夜の折り返し点
ともいえる時間にも同時に気がつき
慌てているところでございます。