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中村先生の書から”折り返し点”を考察 [’23年以前の”新旧の価値観”]


ひらく 〔生命科学から生命誌へ〕 (中村桂子コレクション・いのち愛づる生命誌(全8巻)第1巻)

ひらく 〔生命科学から生命誌へ〕 (中村桂子コレクション・いのち愛づる生命誌(全8巻)第1巻)

  • 出版社/メーカー: 藤原書店
  • 発売日: 2019/06/26
  • メディア: 単行本

第6章 時間を解きほぐす


1  50歳という年齢


から抜粋


「生命誌」という言葉を考えさせた要因の一つは、年齢のような気がします。

科学史の村上陽一郎さんとは同じ昭和11年生まれ。

大人になってから知ったのですが、中学校が同じです。

つまり同じ世代で同じような育ち方をした仲間である村上さんが同じことを書いていたしたので、これは世代感覚だと思うのですが、50代になったら、さまざまなことがらの受け止めかたが今までと違うことに気がつきました。


数年前までは、時間は永久にあるように感じていました。

もちろん生きものには老いや死があることは知っていても、日常感覚としては、自分の時間は無限であるかのように思っていたのです。

やりたいことがあればなんでもやってみる。

40代までは、20代とまったく同じように時間はずっと先に続いていて、やろうと思えばなんでもできると思っていました。


ところが50代にはいったとたん、時間は有限だと実感しました。

50歳だと自覚して、その後で有限を感じたのではなく、有限だと思うことが多くなり、なぜだろうと思ったらどうも50歳という年齢なのではないかと感じたのです。


深く考えずに時間を潰していてはいけない。

大事だと思うことをやろうと思いはじめたのです。

村上さんも同じことをおっしゃっていました。


問題は「50歳」だからという実年齢ではなさそうです。

樋口一葉や正岡子規など明治から大正にかけての文学者を病気という切り口で書いた立川昭一さんの『病いの人間史ーー明治・大正・昭和』によると、彼らの多くは30歳、40歳で亡くなっているのに、やはりそこには若い時と晩年の違いがみられます。

今は平均寿命が80歳ですから、20歳で成人として、大人として生きる時間が60年間です。

これを半分にすると30年。

20歳に30を足すと50歳です。


つまり50歳が折り返し点なのです。

今までは前方を向いて走っていましたから、終点は見えませんでした。

どこまでも先がありそうだったわけです。

ところが折り返し点を回ったので、終点が見え、それと同時にいろいろなものが違って見えてきたのではないかと思うのです


ゴールも見えてきたに違いないのですが、まだあまりゴールは気になっていません。

ゴールがあるということだけはひしひしと感じながらも、老いよりは次にくる人たちの方に関心が向いています。

これまでと違う考え方をするようになっている自分に気がついて、これはなぜだろうと思い、こんな理由をつけたというのが本音です。

あ、折り返したんだと思いあたり、そうしたら納得できて、折り返しの道をゆっくりと走ろうという気持ちになりました。

もう一回、違う景色を見ながら走るのですから、とても楽しいのです。


高齢化が進みますから、老いは大きな問題になりますが、S・ド・ボーヴォワールのような冷徹な目で「老い」を論じるのは、日本人向きではなさそうです。

老いが醜いものであることを認めて、それをこれでもかこれでもかとつきつけ、答えを求めていくやり方は好まず、できることならごまかそうとします。

老いても気持ちさえ若々しければ青春であるとか、現代はエイジレス時代だから、齢を感じないようにしようとする態度が好まれますが、私は、それはごまかしだし、生きものの感覚としてはおかしいと思っています。


生きものにとっては、齢をとることに意味があるのです。

齢をあやまたず感じとって、その齢を生きなければならないのです。

70歳だって生き生きと暮らしている人はもちろんいて、それは素晴らしいことですが、それを青春とは言いません。

70歳はそれにふさわしくおもしろい時代だと思えばいいのです。

それをごまかすのは、老いをマイナスと思うからであり、見方が偏っています。


この実感がおそらく理詰めで割り切る「科学」からゆっくり語る「誌」に移ろうとする変化につながっているのだろうと思います。

そこには、生物と時間という問いもあります。

時間論のような難しい話ではなく、老いのような日常への関心から始まるのが私流ですが、ここにはなにか大事なことがあると感じています。

それも分析的な「科学」から歴史意識をもつ「誌」への移行の一つの要因です。


この書は、コレクション初巻にふさわしく


中村先生のベースになっているものの


考え方や態度など、いつものことながら


押し付けではなく、柔らかく諭されていて


自分としては特に興味深かった


「生命科学」から「生命誌」に移っていく


理由などもご説明されていてそれがとても


美しく優しく、とても印象的だった。


50歳が節目で、それは実年齢だからというより


中村先生風にいうなら”日本列島人”の平均寿命から


換算された”折り返し点”であると指摘され


自分のやるべきことを悟ったとおっしゃる。


我が身に引いていうなら、確かに50歳というのは


節目になり得る歳だったなあ、と思うし


そこから得るものが多く、またそうしていくのが


理想なのだろうなあ、と思ったりもしつつの


妻子がワクチン注射の為、仕事休みとっての


本日一日主夫をしてみて


家族のありがたさに一瞬気がつくも、


早く風呂とトイレ掃除しなくちゃと


もう15時だという昼と夜の折り返し点


ともいえる時間にも同時に気がつき


慌てているところでございます。


 


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